2010年04月23日

自分たちがなぜ事業仕分けの対象法人となったの かを理解していない日本体育協会は解散した方が良い

先日、日本体育協会の国体推進部長の西田晴之氏と電話で話した(掲載内容に間違いがないかの確認を取ったため、掲載は今日になったが、基本的な文章は20日深夜に執筆)。話したと言っても、全く話にならなかった。なぜなら、彼の主張は「私たちの意見は先日の内容証明の文書であり、あれが最終回答です」というものだったから。まず、その文書の内容を全文ここに転載しよう。

株式会社ライブログ
代表取締役CEO 元木一朗殿

貴殿は、貴社社員小林幸世氏の第65回国民体育大会冬季大
会スキー競技への参加資格に関する本会へのご意見等につい
てウェブ上で公開されております。
本会といたしましても、この事実とともにその内容について、
当ホームページに掲載させていただき、改めて本会の見解を
述べさせていただきます。

平成22年3月2日
東京都渋谷区神南1−1−1
岸記念体育会館
財団法人日本体育協会
国民体育大会委員会
委員長 泉 正文


これだけ。当ホームページと言うのは多分これだと思うのだけれど、

国民体育大会参加資格における「勤務地が属する都道府県」の解釈・考え方について

この文書を読めばわかる通り、僕が出している質問には一切答えていない。それで、こちらからは「あなた達はひとりの選手を出場資格なしとしたことに対する説明責任を果たしていない」と言ったわけだが、西田晴之国体推進部長は「私たちには説明責任はない」と返答した。それに対し、「あなた達の組織は事業収益の16%を補助金、および文科省の委託金として受け取っている。この原資は税金である。当然のことながら、納税者である国民に対しては説明責任を負うのではないか」と質問したところ、「そんな責任はない。我々はあなたに対して返答する義務を一切持たない。我々は神奈川県体育協会を通じて組織として問い合わせがあった場合にのみ検討する」との返答をした。

小林幸世選手の出場資格に関する判断は神奈川県体育協会から日本体育協会へ問い合わせが行われ、判断したのは日本体育協会である。その判断基準として日本体育協会が提示している内容はおおよそ実際の運用とかけ離れているものと言わざるを得ず、そのあたりを質問してみた。具体的には、天山リゾートから国体に出場した選手、およびサンミリオンから国体に出場した選手の出場資格についてはどう考えるのか、と質問した。ところが、西田部長は、「そのような個別具体的な事案についての疑義は提出されていない」と、一切検討していないことを述べた。それに対して、「これまでも質問状を提出しているし、今この瞬間、私が質問しているのですが」と重ねて質問したところ、「あなたからの質問に回答する義務はない」との回答をした。

他にも、

我々は判断基準を明確にしている。それをきちんと読んで判断すべき。きちんと判断出来ないのはあなた達の責任である
佐賀や福岡の件についての判断は各県で行う話で、私たちには責任がない
あなたの質問には一切回答する義務がない
税金から10億もらっているからなんだというのだ


などと、耳を疑うような話が聞かれた。


これの対応には全く納得が行かないものの、とりあえず神奈川県体育協会には下記のメールを出していおいた。

株式会社ライブログの元木です。

神奈川県体育協会に送付、日本体育協会にccしております。

かねてより問い合わせている弊社小林幸世選手の件について先程日本体育協会西田晴之氏と電話で話しました。同氏によりますと、この件については県の体協を通せと譲りませんので、一度、県体協の方にも原宿まで来ていただき、その上で日本体育協会に対して疑義を提示したいと思います。内容としましては、先日来再三メールしている公開質問状の中身、および福岡県、佐賀県から出場し、好成績を残している各選手の取り扱いについてになります。

これらにつきまして、対応をお願いしたいと思います。なお、来年度の出場登録の時期が近くなっておりますので、その前までに全てが決着できるようにお願いします。


この要望書に対しては神奈川県体育協会からは快諾の返事をいただいており、また神奈川県スキー連盟理事も参加してくれるということなので、これから日体協と日程調整に入る。

一連のことについては僕もすでに弁護士と相談している。弁護士からは、「体育協会の主張は常識的に言って相当に無理があるが、交渉に際しては名誉毀損になるようなことだけは配慮するように」というアドバイスを受けている。だから、ウェブ上で、「こんなことを言っているあいつは馬鹿だから死んだ方が良い」などとはもちろん言わない。が、では、あなた達の組織はなぜ事業仕分けの対象法人となったのですか?という話である。国からお金をもらっている組織でないなら、もちろん仕分けの対象とはならない。国民の税金からお金を貰っておいて、その組織の運営において不適切と考えられる事態が発生し、しかもその内容について国民から説明を求められているにも関わらず、「回答の義務はない」と返答する担当者の感覚はおおよそ理解不能である。僕自身、中央官僚として霞が関で働いていた期間があるが、その間は常に納税者に対しての説明責任を考えて行動していた。

ちなみにちょうど僕はその電話のときに表参道で仕事をしていたので、「今から5分でそちらに行けますから、そちらに伺います。きちんと説明してください」と要求したところ、「会いません。色々忙しいので、対応している暇はありません」との返答。こんな組織は解散した方が良いと思うのだけれど、とりあえず、神奈川県体育協会と一緒に原宿に行ってこようと思う。

それにしても、「あなたのフルネームを教えてください」「あなたが回答不能ということであれば、上司の方と話します。上司は泉正文国民体育大会委員長ですか?」といった質問に対しても「返答しません」の一点張りの西田晴之事業部長というのは一体どういう人物なのか、ちょっと興味があるところである。とりあえず、まずはこのエントリーについて、ポイントになりそうな人物、組織に対して連絡を入れておこうと思う。まずは文科省と文部科学大臣、河野神奈川県スキー連盟会長に問い合わせてみると同時に、新聞、雑誌各社、および福島民主党議員に対してもろもろの状況について説明しておこうと思う。

#現時点で文科省にはアクセス済み

ひとりの選手の出場資格を剥奪したという事実は、非常に重い。当然のことながら、その判断に対しては説明責任が伴なうはず。これまでの運用と整合性の取れない説明では責任を果たしたことにはならない。税金から10億円以上のお金をもらっておきながら、「あなたの質問に答える義務は一切ありません」と返答するような組織は、さっさと解散した方が良い。  

Posted by buu2 at 13:37Comments(10)TrackBack(0)社長

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2010年04月22日

日体協の前にまずは文科省

国体の件。一昨日、電話で西田晴之国体推進部長と電話で話したんですが、全然お話にならない。で、そのあたりについては現在「こんな感じで載せますけど良いですね?」と日体協に問い合わせ中。明日にはオープンに出来るんじゃないかと。

で、そちらにばかり時間を費やしても仕方ないので、文科省にも連絡を入れておいた。こんな感じ。

国体出場に関する日体協の対応について
内容
株式会社ライブログの元木と申します。

前回の冬季国体において、弊社所属の小林幸世がアルペン種目において日本体育協会の判断で出場資格なしとされました。これにつきまして、神奈川県スキー連盟、神奈川県体育協会、および日本体育協会へ問い合わせを続けてきておりますが、連盟および県体協からは「日本体育協会の判断である」との連絡を受け、同協会国体推進部に重ねて問い合わせをしてきました。しかし、同協会の西田国体推進部長は「説明の義務はない」「判断は最終決定」「不都合が生じたのはあなた達の勉強不足」「問い合わせは県体協からしか受けない」という返答を繰り返しています。

実際には、日体協が提示している判断基準は非常に曖昧で、かつ、現在の運用には即しておらず、小林幸世が出場資格なしと判断されるのであれば、ここ数年、冬季国体で上位入賞した選手の多くが出場資格なしと判断される状態です。

今後、県体協を通じてさらに日体協に質問して行く予定ではありますが、彼らは責任を回避するばかりで説明責任を果たそうとしません。税金から10億以上のお金を得ており、事業仕分けの対象業者にも選出されているにも関わらず、その立場を理解していないようです。

国体は文科省も共催しておりますから、並行して、共催者としての文科省のご意見をお聞きしたいと思います。担当者の連絡先を教えていただければ幸いです。なお、現状についてはブログでも報告しておりますので、そちらもご参考願います。
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51014355.html http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50997188.html


引き続き、交渉の内容についてはブログで報告して行く予定です。  
Posted by buu2 at 17:03Comments(0)TrackBack(0)スキー

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2010年04月21日

青空会議室(青くないけど)

四ッ谷の某所で色々打ち合わせ。

最初、2人で打ち合わせていたんだけれど、途中でもうひとり合流した。テーブルに椅子がふたつしかなくて、「どうしようか」ってことになったら、会議室の持ち主が「じゃぁ、気持ちイイところでやりましょうか」っていうので、ついて行ったら、青空会議室だった。

陽が出ていないおかげで凄い爽やか。適度な風があって、こりゃぁ良いあんばい。ということで、サクサクサクっといくつかの案件を調整(プロジェクトはどれも内緒なので、モザイクかけてあります)。

いやー、いいねぇ、この会議室。でも、良い時期って、凄い限られているんだろうけれど。こちら側からはスカイツリーが見えないのがちょっと残念だけれど、それは贅沢というもの。

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Posted by buu2 at 15:15Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年04月20日

ようやく日本体育協会から返事がもらえるらしい

弊社社員の国体出場資格を剥奪しておいて珍妙な解釈を振り回し、周回遅れの内容証明を送ってきたりする第一回事業仕分け対象法人の日本体育協会ですが、ライブログからは公開で質問状を送っているにも関わらず一切の反応がありません。

先月25日には「一度訪問させていただき、担当者の説明を聴きたい。その状況については弊社負担でインターネットを通じて生中継させていただき、日本体育協会の見解を詳らかに世の中に知ってもらいましょう」という主旨のメールを送付したのだけれど、一ヶ月近く経っても何の回答もありません。「予算を減らす」という仕分け判定に対しては迅速に対応して鈴木寛文部科学副大臣に予算確保を求めて陳情したりするのに、なぜか本件に付いては反応が遅いのが解せません。

#送付した文書は追記に全文掲載。

本件に付いて日本体育協会から明快な回答と説明がないと、来年以降の小林幸世の出場登録なども判断が出来ないし、公平性という観点からは他県(福岡県とか、佐賀県とか)の選手も困ったことになります。いくら待っても返事は来ない感じなので、もう直接電話してみました。

国体推進部 国体課 03-3481-2217

以下、電話の様子(ほぼ正確に書いています)。

女性「はい、国体推進部です」
元木「株式会社ライブログの元木と申します。西田国体推進部長をお願いします」
女性「少々お待ち下さい」



女性「すいません、西田は本日、終日会議で本日は電話応対できません」
元木「終日とは、いつまでですか?」
女性「1730です」
元木「では、1730にもう一度電話すればよいでしょうか?」
女性「会議が終わっていれば出ることができますが、終わっていなければ電話できません」
元木「では、明日もう一度電話することにします。明日はいらっしゃいますか」
女性「少々お待ち下さい」



女性「担当者が不在でわからないのですが」
元木「会社にはいらっしゃるんですか?」
女性「いるんですが、会議が入っているので」
元木「どんな会議ですか?」
女性「それはお伝えできないんですが」
元木「どうして教えられないんですか?あなた達の組織は税金をもらって運営している組織ですよね?」
女性「少々お待ち下さい」



女性「では、こちらから電話させていただきますので、お電話番号をお知らせください」
元木「(会社と携帯の電話番号を伝達)」
女性「では、お電話させていただきます」
元木「いつお電話いただけますか?今日ですか?」
女性「では、時間はわかりませんが、本日お電話させていただきます」


とのこと。

ということで、どうやら今日中に西田国体推進部長から連絡がいただけるようです。内容については後ほどまたレポートさせていただきます(基本的には電話の内容を全文、包み隠さずブログに掲載します。茨城一区選出の福島議員は経産省時代の同僚なので、彼にも状況を連絡、今後の事業仕分け作業の参考にしてもらいます)。天山リゾートやサンミリオンの調査結果と、それらに対する日本体育協会の見解が楽しみです。

税金からお金(補助金5億180万円、文科省委託金5億1569.9万円、事業活動収入約62億のうちの約16.4%)をもらっている組織なんですから、きちんと説明していただかないと、納税者としても納得がいきませんよね。  続きを読む
Posted by buu2 at 11:10Comments(8)TrackBack(0)社長

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2010年04月12日

俺たちの邪悪なブレスト

今日はリバネスでちょっと打ち合わせがあったので朝早くから四ッ谷へ。終わってから、カフェドリバネスで昼ごはんを食べながら雑談。

最初のテーマは、なんで年金ってあんなことになっちゃったの?なんで生保って、こんなことになりつつあるの、みたいな。で、まぁ色々話したんだけれど、「さすがに、最初から後世の人間達を騙してやれ」っていうつもりはなかったんだろうな、というところで最初の合意事項。じゃぁ、どうして?というところなんだけれど、結局、年金制度にしても、保険制度にしても、制度設計するときの計算能力が低かったということなんだろうね、ということに。だって、300万人とかの生命保険についてどうするの?みたいな相談をしている時に登場するのがソロバン、電卓、しばらくしてようやく関数電卓っていう時代。今みたいに、パソコンでも凄い計算能力がある時代じゃない。考えてみれば、10年前に理研に1テラのハードディスクを用意するっていう話をしていて、「それはちょっと天文学的」みたいなことになったんだけれど(ヒトゲノムのデータに関する検討会で)、今となっては16ギガのSDカードが3000円とかだから、オイオイオイ、みたいな話。ちょっと前の漫画で宇宙探査で打ち上げた無人宇宙船が数十年後に開発された高性能宇宙船に追い抜かれちゃう、みたいな話があったけれど、まぁ、どれもこれもそんな感じであって、「計算能力がないから、ちょっと安全側に見積もりました」みたいなことが積み重なって今があるんだよなぁ、ということに。

ただ、そういう仕方のない中にも、「ん?」ということはあって、それは既得権。計算機がそれだけ高性能になったんなら、不要になる人もたくさんいるはずなのに、何故かいなくならない。だから、高コスト体質が変わってこない。そのあたりは日本が離島だから、っていうこともあるんだろうけれど、なんともね。でも、このあたりの話は本題ではなかった。雑談だから、話はどんどん移っていくわけだけれど、「そういう、技術開発によっていらなくなる仕事って、なんだろうねぇ?」ということになった。それで、ぱっと思いついたのが弁護士。

だってさ、法律って、ゆらぎがないように非常に厳密に作られているでしょ。こういう、しっかりしたフォーマットで記述されている文章というのは非常にコンピューターにフィットするわけです。じゃぁ、法律はもう電子化されているんだから、それを全部分析して、まずハイパーリンク化しちゃう。こういうのができたら、次は判例のデータベース化。これこれこういう事例では、こういう判断でした、みたいなのも全部DB化しちゃう。多分、この作業ができちゃったら、弁護士の数は半分ぐらい不要になるはず。その上で、「全自動判決機」を作っちゃえ、と。何人殺しましたか、殺した相手との関係はなんですか、みたいな犯罪に関する基礎データを入力したら、判決が一発で出ちゃう。ただ、これだと情状酌量とかがなくなっちゃう。だから、「この人は母子家庭でした」とか、「この人は子どもの頃いじめられていました」とか、不幸な過去とかについての情状酌量アルゴリズムを作る。その上で、情状酌量ボタンを押す。すると、「今回は執行猶予3年」とか、情状酌量した判決が出るの。それでも、人間の裁判官がやらなくちゃならないことは残るわけだけれど、判決ももちろんデータベース化されているから、「○○裁判官の傾向と対策」ボタンなんていうのも作っちゃって、弁護士がそれにアクセス出来るようにする。いやぁ、これは面白そうだなぁ。

ただ、もちろんこんなことを法務省が表立ってやるわけないし、弁護士会もやらないだろう。だから、僕たちで勝手に作るの。「すいません、全自動判決機、作っちゃいました」みたいな。

あぁ、今は厳罰化のトレンドがあるから、そういう修正プログラムも必要だなぁ。「厳罰パラメーター」とかを設置しておいて、世論を見ながら数字を変えていく。

あれ?もう、人間は要らないじゃない。司法試験も要らないんじゃない?だって、あれ、基本的には法律の暗記だよね。それって、コンピューターが一番得意なこと。全自動判決機とか、コンピューター弁護士とか、将棋でコンピューターが名人、竜王になるのよりも早いかも知れないよね、みたいな。

こんなのが今日の昼ごはんの話題。

弁護士も要らないけれど、会計士も要らない感じだよな。こちらも暗記力と計算能力だから。理系の人間は文系の人間に比較して冷や飯食ってるんだから、こんなことで一発逆転を考えたらどうなんだろう?将棋でPCが世界一になっても世の中はあんまり変わらない(いや、話としては面白いけれど)けれど、全自動判決機ができたら結構世の中変わるでしょ。  
Posted by buu2 at 22:54Comments(2)TrackBack(0)社長

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2010年04月09日

【coming soon!】iPhone、iPadでどうぶつしょうぎ

iPhone OS4で一部盛り上がっておりますが、どうぶつしょうぎのiPhone用アプリの開発もそろそろ佳境に入ってきています。今は開発機登録されているiPhoneやtouchで実際に動かしている段階です。

今のバージョンでは、CPU対戦と対面対戦(iPhoneやiPadをどうぶつしょうぎ盤として利用することを想定)が可能になる予定です。もちろん、ネット対戦に対応して行く予定もあります。

もう少々お待ち下さい。

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Posted by buu2 at 12:35Comments(0)TrackBack(0)将棋

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2010年04月07日

Thunderbirdの受信トレイのメールが全部消えた

一応、Inboxの.msfファイルをいじってみたり、いくつか復旧を試みたんだけど、駄目だった。システムをタイムマシンに載せて過去に戻ってみたけれど、それでも駄目。

ということで、「おーい、メールの返事がこないぞー」という方がいたら、念のため、再度連絡願います。まぁ、大抵のことは大丈夫だと思うのだけれど。

受信トレイに置いておくのは危険だなぁ。まめに別のフォルダに移すようにしよう。っていうか、Thunderbirdを辞めるかな?全部Gmailにするとか。あ、でも、それはそれで、Google様の言いなりみたいで良くないか。  
Posted by buu2 at 00:20Comments(0)TrackBack(1)社長

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2010年04月05日

ネットがステルス広告やサクラで満開の今がチャンスか

ブログのステルス広告、食べログのサクラレビュー、Twitterのステルス広告と、ネット情報が隠れた広告でグチャグチャになっているわけだけれど、最近気がついたのはYahoo!映画のレビュー。僕は自分のブログに載せているのと同時にYahoo!映画にもレビューを掲載している。あちらは映画専門のサイトだから、僕の発信する映画情報「だけ」を読みたければ、あちらをどうぞ、という主旨だ。

この手の情報の集約は以前食べログでもやっていたのだけれど、あちらは価格コムという会社が駄目会社だったために撤退した。価格コムは映画のサイトもやっているけれど、母体が駄目会社だとわかっているので、手を出していない。

それで、Yahoo!映画なんだけれど、普段はブログに書いた内容を多少削って(あちらは一応自動検閲装置がついているし、関係者からのクレームで記事を削除されたりもするので、表現にはブログよりもデリケートになる必要がある)転載してオシマイ。ただ、先日はちょっと他人のレビューに興味があって、「誰かが私にキスをした」のレビューをざっと読んでみた。そこで気がついたことは先日記事にしたんだけれど、

Yahoo!映画の「誰かが私にキスをした」のレビュアーが著しく不自然な件

後日、さらにふらふらしていたらYahoo!映画の常連さんの川崎オスカーさん(レビュー数508本)が書いていた誰キスのレビュー

yahooレビューでは満点レビューだけが浮いている“例”のパターン(笑)。


とあって、あぁ、今回のようなことはYahoo!映画では良くあることなのか、と腑に落ちたところ。それで今度は「ソラニン」のレビューを見てみたんだけれど、こちらはこちらでなんとなく妙な雰囲気。面倒なので全部調べたわけじゃないけれど、☆1つと☆5つのレビューの「単発レビュアー」が山ほどいるのだ。誰キスでは足を引っ張っているケースはほとんど見つからなかったんだけれど、こちらは結構足を引っ張っている。これが組織的なものなのか、そうじゃないのか、そのあたりはわからないんだけれど。

それで、今、結果としてどうなっているのか。両方の映画を比較してみる。

ソラニン
レビュー数162件
評価3.18点

誰かが私にキスをした
レビュー数163件
評価3.27点

いや、これはない。と思う。映画の評価というのも多分に主観的で趣味によって相当に分かれてしまうものだけれど、僕が評価すれば、この二つの映画は雲泥の差。ソラニンに比較して誰キスが優っているところは、頑張って探しても写真の撮影場面での表現手法と主演女優の個体としての可愛さ(個体としての、というのは単に素材としての話。可愛く撮られている、という面では完全にソラニンの方が上)ぐらい。じゃぁ、なぜ得点でソラニンが負けているかって、ソラニンの3.18という評価が低いのではなく(個人的にはもうちょっと高くても良いと思うけれど)、誰キスの3.27という評価が高すぎるのだ。でも、それは当たり前といえば当たり前。だって、160件程度のレビューのうち、40件以上が恐らくはサクラレビューなのだ。

ただ、サクラレビュー疑惑は誰キスだけではない。ソラニンについても同じようなレビューは散見される。要は濃度の問題である。サクラレビューによる汚染度と言えばしっくりくるかも知れない。汚染度の高い誰キスが汚染度の低いソラニンの上に行っている、という状態である。

ブログやTwitterなどのソーシャルメディアにおけるステルス広告と、食べログやYahoo!映画などに見られるサクラレビューは、その根絶が非常に難しい。ただ、根絶は難しいが、かなりの程度までその影響を軽減することはできるはずだ。その手法は、主観的なものよりも、客観的なもの、つまりは機械的にネグレクトできるような仕組みが好ましい。なぜなら、主観的な操作によって削除されたサクラレビュー側から、「これはサクラではない」と反論されたとき、再反論が難しいからだ。機械的なら、「そうかも知れませんが、機械が一定の基準で削除したので仕方ありません」と返答できる。ただ、仕組みとしては、そもそも「これはサクラ」などと指摘する必要すらなく、単に総合評価に対して影響がでなければ良いだけのことである。

食べログの場合、サクラレビューの他に、お金目当てで無駄レビュー、コピペレビューを連発するというのがあった。このあたりへの対応も必要になってくる。また、Yahoo!映画などをみれば、情報操作は組織的に行われている(しかも、多くの映画に最近はYahoo!自体が関わっているので、Yahoo!がそういう組織的な情報操作に対して故意に目をつぶっているふしがある)可能性が非常に高い。そういった、組織的な活動に対しても何らかの対抗措置が必要になってくる。

この手の作業というのはどうしてもイタチごっこになるのだけれど、何しろ食べログが駄目、Yahoo!映画が駄目、という現状は僕たちのような小さな会社にとっては大きなチャンスでもある。食べログにしても、Yahoo!映画にしても、小さくない弱点は明確になりつつあって、しかも彼らはそのビジネスモデル上の問題から、それを克服できない。

さて、どうするか。どこかと組むか、自分でやるか。  
Posted by buu2 at 12:48Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年03月26日

昨日、打ち合わせの前にYUKIのCDをTSUTAYAで買ったのだが

昨日ね、渋谷で打ち合わせだったの。で、相手がちょっと遅れてくることになったので、センター街入り口のツタヤで時間を潰していた。

そういえば、YUKIの新譜、買おうと思っていたんだったな、と思って、2階にあがって、どれどれ、って見ていたら、DVDが入っている初回限定版と普通のと、両方売ってる。「でもまぁ、Tカードの割引なんて全然大したことないから、アマゾンで良いや、と思って、チョイチョイっとアマゾンにアクセス。すると、初回限定版が売り切れじゃん。なんか、アマゾンではプレミアまでついているぞ。どうなってんだ、こりゃ。

ということで、ビックカメラはどうなのかなー、と思って、道玄坂のビックカメラに行ってみた。と、この店、CD売ってないじゃん。なんなんだよ。ということで、宮益坂の方のビックカメラまで歩いてみた。雨なのに。で、到着したら、こっちの店もやっぱりCD売ってない。もーーーー、と思って、またパソコンを取り出して、ネットでビックカメラのサイトをチェック。あら、こちらも初回限定版は完売ですね。そうかー、リアル店舗用に初回限定版を作って、それを山ほど卸しているんだなー。レコード会社も色々と工夫をしている。

それで、どうしようかなー、と思ったんだけれど、そろそろ相手が来る時間なので、またツタヤに戻って、またCDをつらつら見ていた。と、YUKIのCDのジャケットに「コンサートツアー先行予約」とか書いてある。一昨年も行ったけれど、今年も行きたかったんだよね、YUKIのコンサート。仕方がない、高いけれど、買っちゃえ、ということで、買っちゃった。まぁ、4000円ぐらいなんだけれどね。

ツタヤのお兄さんが「レシートを袋に入れておきます」とかいって見せてくれなかったので、下りのエスカレーターで見てみたら、Tカードの割引分ってたったの1%なんだね!これじゃぁ隠したくもなるよな。いくらなんだって、1%はしょぼいだろ、と思った。昔、鴨居のCD屋さん(KYOWAだったっけ?まだあるよね?)で買った時ですら、10%ぐらいのサービスチケットを出してくれていたぞ。

ま、それはさておき、無事待ち合わせをして、酒を飲みながら良い感じで話ができたんだけれど、そのあたりはさっくりパス。

さて、今日。午前中にひと仕事して、さて、CDを聞くかなー、と思ったのが昼休み。パッケージを開いているところでまず最初に思い出したのが、家のDVDプレーヤーが壊れていること。まぁ、PCとかで観ることは可能なんだけれど、どうせならステレオで聴きたいじゃんねぇ。これじゃぁ、初回限定版の意味がねー、と、ちょっとがっかり。早く思い出せよ、自分、と思った。

それは仕方ないとして、コンサートの予約したいよねー、と思って、申し込みサイトにアクセス。さて、予約、予約、と思ってリストをみたら、全部「アルバム購入者先行・受付期間終了」の文字(怒)。おい、そんなこと、ジャケットに書いてなかったぞ!って、中に封入されていたチラシを見たら、22日までだったらしい。開けてびっくり、って奴ですか?

ということで、これは消費者センターや公正取引委員会に質問すべき案件でしょうか?

何しろ、色々とがっかりだ。  
Posted by buu2 at 13:34Comments(2)TrackBack(0)社長

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2010年03月17日

りんごの木の所有権を売る商売

昨日は四ッ谷のウシカイで知人の結婚祝いをやっていたんだけれど、となりのテーブルでリバネスの連中が飲み会をやっていた。なんでも青森からお姉さんがやってきて、りんごの木のオーナーシップを売ることについて相談していたらしい。

彼らは先に飲み放題タイムが終了したので、ルバードに場所を変えて行った。僕たちも飲み放題タイムが終了したので、ちょっとルバードに顔を出してみたんだけれど、早速「一本買いませんか?」という話になった。

この手の奴はブルーベリーと牡蠣で経験があるのだけれど、ちょっと興味があったので話を聞いてみた。何でも、一本15000円/年で、大体120個ぐらいりんごがなるらしい。スーパーでりんごを買えば、一個100〜200円ぐらいだと思うので、120個もなるなら、まぁ悪い話ではない。台風やヒョウで全滅とかのリスクはあるけれど、あとは美味しいのかどうかが気になるところである。

でもね、真面目な話をするなら、この話というのは誰でも乗れる性質のものじゃない。一個あたりの値段云々とは全く違うところにビジネス上のポイントがある。この話は、販売サイドにとっては色々美味しいところがある。まず、120個/本で、たとえば100本のりんごの木があるとすれば、12000個のりんごを売る必要が出てくる。りんごは生ものだから、放っておいたら腐ってしまうわけで、頑張って売らなくちゃならないし、売れ残りのリスクもある。そういう手間とリスクは、全部オーナーに押し付けることができるわけだ。逆に言えば、ひとりひとりのオーナーたちは毎年120個のりんごを何らかの形で処分しなくてはならない。20個ぐらいのりんごなら簡単にさばけるだろうが、120個ともなればそれなりに大変である。普通に考えれば、「そんなに要らない」ということになる。それから、自然災害のリスク。これも回避可能。加えて、たくさん取れすぎたとか、そういう周辺事情にも全く左右されずに定額の売り上げが立つ。しかも、収穫よりも半年も前に入金するのだ。これは、事業サイドからすれば非常に美味しい話だろう。

昨日の場合、酔った勢いもあってか、あるいはそれなりにお金持ちだったからか、同行者の冨田さん(実名)が一本のオーナーになってしまった。その時点で僕のポジションは彼らのお客ではなくなった。なぜなら、りんごの収穫の時、冨田さんは大量のりんごを目の前にして途方に暮れるのがわかっているからだ。僕は冨田さんのところにニヤニヤしながら近づいて、「りんご、食べてあげますよ」とオファーしてあげれば良い。この場合、僕は費用負担もなければリスクも背負う必要がない。結構美味しい立場に自分を置くことに成功したわけだ。

さて、このビジネス、「何かアドバイスはないですか?」と聞かれたんだけれど、アドバイスなんてやろうと思えば山ほどある(笑)。でも、僕はコンサルタントで、アドバイスは無料じゃない。だから、何も教えてあげなかった。でもまぁ、冨田さんがかわいそうだから、冨田さんのためにちょっとだけ教えてあげよう。このビジネスで肝になるのは当然のことながらオーナーに対してどういうサービスをするか。良いサービスを提供しなければ、オーナーはオーナーであることをやめてしまう。新規顧客を営業で取ってくるのは凄く大変だ。それなら、リピーターを取った方がずっと楽。だから、一度オーナーになった人には、ずっとオーナーであって欲しいはず。そのためにどんなサービスが必要か。ひとつ、絶対に必要なのは加工サービス。ジャムにするんでも良いし、ジュースにするんでも良いんだけれど、とにかく120個(場合によっては200個とかなっちゃうかも知れないわけで)のりんごをさばくのは大変なわけで、自分で食べて、人に配るのでも限界がある。だから、加工して、日持ちするようなものに転換してやる必要がある。

そういえば、今池袋でやっている「農業少女」という芝居は、この商売に通じるところがある。「農業少女」では商品はりんごではなくお米だったんだけれど、不登校の女子高生達が作ったお米を販売するという話。「不登校」というラベルを付けることによって大反響を呼ぶんだけれど、あっという間にブームが去って、「農業少女」という銘柄米は一年で全然売れなくなってしまう。それによって生じる悲劇を描いているんだけれど、りんごの木のオーナーシップも一つ間違えるとそういう事態になりかねない。

結局のところ、オーナー達に対して何を提供出来るのか、ということであって、美味しいりんごはモチロンのこと、明示的でない形で販売サイドが回避したリスクの数々を、どうやったらオーナーたちが負担しやすくなるのかを考えなくちゃならない。そこで手を抜いちゃうと、最初は良くてもあとで酷い目にあう事になる。昨日聞いた話の限りでは、まだまだ全然考えが足りない感じだった。

実際のところ、年収1500万円を超えている人たちにとって15000円/年程度のお金は寄付しても惜しくない程度のものであるケースがほとんど。だから、ちょっと気に入ったビジネスや人物にお金を出すのはそれほど惜しくない。彼らにとって負担なのは、お金を出すことじゃない。目の前に必要以上に山積みされるりんごそのものなのだ。でも、ちょっと抜けている(笑)お人好しだと、このあたりのビジョンが欠けている。「取れすぎたらどうしよう」なんていうことは今の時点では考えていないのだ。そして、最初のシーズンが終わったところで初めて気がつくことになる。あれ?僕って、要はりんごの小売店(配布店)になっているんじゃん、って。

さて、これからどうするのか、ちょっと見ものではある。ま、何しろ、今年はりんごには困ることがなさそうだ(笑)。  
Posted by buu2 at 22:55Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年02月22日

業務連絡

関係者各位

17日14時以降、22日まで、元木宛のメールが確認しにくい環境となります。急ぎの場合はqamidala@gmail.comへ連絡をいただけるのが確実かと存じます。会社のメール(motoki@liblog.co.jp)はセキュリティの都合で外部への転送が不可能となっておりますので、急な連絡には利用しないでください。本ブログコメント欄、Twitterなども連絡には利用可能ですが、どの程度の頻度でアクセスするかは現状では不透明です。また、電話での連絡は可能ですが、携帯メールにつきましては流動的です。ミクシィにつきましてはメッセージがあったものについてお知らせメールが届いた時点でアクセスしている状況ですので、連絡には適しません。

なお、お急ぎでない場合は、今まで連絡にご利用いただいておりましたメールアドレスをご利用いただければ、22日以降に対応させていただきます。

以上、あしからずご了承いただければ幸いです。

2月15日
元木一朗  
Posted by buu2 at 15:00Comments(1)TrackBack(0)社長

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2010年02月13日

評価サイトと電子出版の融合

本を書くネタがあるので、ちょっと某出版社に連絡を取ったら、「その内容だとうちでは出せない」との回答。まぁ、別にその判断は構わないし、リスクを取るのは出版社だから、取捨選択をするのは当たり前。

で、ちょっと思ったのは、そんなら、自分たちで出しちゃえば良いのかな、ということ。ちょうど先日、池田信夫さんがこんなことをTwitterで書いていた。

これからは『直接売文業』の時代だ

また、これに関連してこんなエントリーもアップしている。

自費出版の時代
電子出版の経済学

実は、うちの会社ではかねてから「映画ノート」「読書ノート」「グルメノート」という3つの評価サイト構築を検討している。どういうコンセプトで、どういう評価方法を採用するか、などは決まっているのだけれど、「じゃぁ、それをどうやって現金化するんだろう?」というところで話が止まっていて、並行して走っている他のプロジェクト(スキーのワックス定着剤開発とか、どうぶつしょうぎアプリ開発とか、その他もろもろ)に比較して優先順位が下がっていた。

でも、電子出版を複合させちゃえば、「読書ノート」は結構行けそうな気がしてきた。僕たちは沢山あるコンテンツの中から面白いものを抽出する手法に案があるんだから、あとは「売れないリスクは著者が持ってください。場所は提供します」という形の電子出版部門を作ってしまえば構わないわけだし。あとは、アイデアがある人がどんどん書いてくれれば良い。うーーーーーん、なんか、行けそうな気がする。

問題はやっぱりどうやって安価で決済するかなんだろうな。あとは無断複製リスクか。ちょっと勉強会をやろうかな。

販売価格は300円、著者には200円、決済手数料とシステム提供料で合わせて100円を会社が取る、ぐらいかなぁ?

昨日、経産省時代の同僚とちょっとこの手の話をしたんだけれど、みんな割とポジティブな感想を持っていたし。

#って、こういうアイデアはあんまりオープンにすべきじゃないのかな(笑)。

とりあえず、自分の会社の全部証明をチェックしたら、ちゃんと「書籍、雑誌等の制作、出版、販売」「インターネットの代金決済代行システムの導入代行業務」「無形財産権の取得、使用許諾、売買及び管理」って書いてある(笑)。  
Posted by buu2 at 12:17Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年02月12日

Googleが太っ腹かと思ったら、全然そんなことはなかった

a9e255c0.gifこの間ね、Googleから郵便が届いたんですよ。

何かなーと思ったんだけれど、Googleさんから請求書が届く覚えもないし、どうせつまらないプロモーションだろうと思って放置してあったんです。でも、よく見ると、「2月中に開封してね」とか書いてある。仕方ねぇなぁ、と思って開封したら、アドワーズのクーポン券なんですよ。おやおや、Googleさん、太っ腹。だって、僕はこの間、一度クーポン券をもらったんだもの。それで、もう試してみたから。あれ?そのこと、ブログで報告してなかったっけ?ま、とにかく一ヶ月ぐらい試してみて、効果ないからやめた。でも、ただでやって良いなら、また5000円分やっちゃいますよ、ということで、Googleのアカウントに接続して、プロモーションコードを入力したら、「お前、二度目だろ。これは一回しか使えねぇんだよ」と言われた。

あのなーーーー、君が送ってきたんだよ(笑)

こら、グーグル株式会社執行役員オンラインビジネスソリューション本部長の王子田克樹!(お、さすがグーグルIM、一発で「おうしでん」が出るぜ(笑))君だよ、君!じゃぁ、もう過去のことを一つばらしちゃうもんね。

王子田氏は、15年くらい前、鎌倉橋近くにあるビルの7階あたりにあるオフィスで働いていたとき、物凄い大きな声で英語で電話してたんです。「ハーイ、なんチャラカンチャラ〜」みたいな感じで。日本語のオフィスだから、目立つの何のって、まぁ、凄く目立っていたわけですが、そうしたら、僕の同僚の鍵野さんが僕に話しかけてきた。「王子田さんって、変わってるよね」っていうから、なんで?って聞いたら、「だって、あれ、相手は日本人なんだぜ」だって(笑)。日本人相手に英語で電話する男として有名だったわけですな。あ、もうひとつあった。僕が三菱総研のスキー部に入ったとき、尾瀬岩鞍で練習があったんです。僕はその二年前に靭帯を切っていて、久しぶりのポール練習だったわけですが、まぁ、二年ぶりとはいえ、一応体育会スキー部出身ですから、ポールに入ればそれなりに速いわけです。それで、普通にぽんぽん滑ったわけですが、その時のお昼休み。食堂でご飯を食べていたら、そこに遅れて入ってきた王子田氏、「元木っていうのはどいつだ」っていうので、「はい」と答えたら、「お前なー、ポールに当たって、ポールを抜くんじゃねぇよ」って怒鳴りやがった(笑)アホか。速く滑るために練習しているのにポールに当たるなというのも変な話だが、ポールに当たられて困るなら、最初から「ポールに当たるのはやめましょう」って、周知徹底しろっつーの。そんな練習、聞いた事ないけど(笑)。

と、わざわざ自筆の署名のコピーを載せてきているので、過去の思い出を二つほど書いてみました。

あ、ついでなので、過去からの懸案だったOutlookのスケジュールとGoogleカレンダーを連動してみました。おかげで、iPod touchのスケジュール帳にも連動して、凄い便利になりました。Google万歳。できれば、もう一回5000円分お試しできるクーポン券を送ってください。よろしくお願いいたします。

えっと、それで、僕がauの携帯に入れてあるアドレス帳をiPod touch君に同期するのはどうしたら良いんですかね?au oneにあるんですが。まだできませんか?自分で調べろ?ごもっとも(笑)。  
Posted by buu2 at 01:56Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年02月08日

書類整理に忙殺される日

年度末が近いってこともあるんだけれど、何しろ事務仕事が多くて参っちゃう。いくつかの原稿書きとかもあって、状況の悪化に拍車がかかっている。加えて弁護士に相談しなくちゃならない案件が複数存在していて、その資料集めもあって、もうわやくちゃという状態である。

先日、経済産業省の役人と話をしていて、「どうして中小企業は厳しいのか」という話になったんだけれど、最終的に行き着いたところは何だと思う?融資が受けられない?人材がいない?いやいや、人でも、モノでも、金でもないんですよ。

要は「約束を守らない奴が多すぎる」ということ。

近代資本主義社会が成立するようになったことに寄与したもののうち最大のものは何か、という質問に対して「契約をきちんと守るようになったから」というのがあるわけで、そういう当たり前のことが通用しないのが日本の中小企業社会だったりするわけです。このあたり、本当になんとかならないものかね。

さて、夜はまた仕事の打ち合わせ。そろそろ準備しないと。  
Posted by buu2 at 17:38Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年02月07日

つぶやける美容室

ライブログでウェブサイト構築を実施した横浜線鴨居駅前の「モナミ美容室」(横浜市緑区鴨居)でTwitterができるようになりました

パーマをかける際などの待ち時間は週刊誌を読むのが普通ですが、つぶやいてみるのも良いかも知れません。まぁ、iPhoneなら今までだって普通につぶやけたわけですが(笑)。

#水や薬品がかかる可能性がありますから、利用の際はちょっと注意する必要があります。やり過ぎにはご注意ください。

なお、現在iPadの導入も検討中です。もし実現しましたら、また報告します。iPadって、美容院とかにはぴったりな気がするのです。というか、実のところ、iPadでの利用を実現するためにまずネット環境を整備したというのが正直なところなのですが。  
Posted by buu2 at 14:36Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年02月01日

アナログ世代とデジタル世代の世代間闘争

iPadの利用法として、「雑誌の代替には良いのでは」という意見(マイミクの日記)を見て、なるほどと思うこと約5分。ちょっと頭を整理してみる。

書籍に対する期待というのはいくつかあると思うのだけれど、乱暴に書けばこんな感じで二分類。

1.読んだらぱっとスルーしていいもの(新聞・雑誌)
2.ある程度気合を入れて読むもの(一般書籍)

2についてはそれぞれについて、保管する人としない人がいるので、全体を4つのカテゴリに分けてみる(ちなみに検索性の向上に合わせて、新聞を保管する人は激減していくと予想)。

1a2a.新聞、雑誌は読み終わったらゴミ箱。一般書籍も読み終わったらブックオフ。
1a2b.新聞、雑誌は読み終わったらゴミ箱。一般書籍は基本的に本棚へ。
1b2a.新聞、雑誌は読み終わったらスクラップ。一般書籍は読み終わったらブックオフ。
1b2b.新聞も雑誌も一般書籍も全部保管。

1b2aというタイプはあんまりいないと思う(直感)。1b2bのタイプ(情報オタク)も、スペースの都合などがあって、潜在的には存在しても、実際に行動できる人はあんまりいないと思う。普通の消費者行動としては1a2aか1a2bで、僕の周りを見ている限りでは男性は1a2b、女性は1a2aが多い気がする。このあたりはモノに対する執着ということなんだろうけれど、コレクターと言われる人は男の方が多いというのが僕の主観。ま、それはそれとして。

さて、じゃぁ、1a2aや1a2bにとってiPadはどうなのよ、ということだけれど、言うまでもなく、1a2aに対してはフィットする(もちろん、書籍が電子販売されて、誰でも入手可能になる、という前提があってのことだけれど)。一方で1a2bに対しては微妙。電子化された情報をデータベース化して保管できるというのは非常にナイスだけれど、1a2bは情報を集めたいのか、本(モノ)を集めたいのか、ということがあって、少なくない部分が情報ではなく本という物質を集めたいと思っていそう。

しかし、iTunesなんかを見ていると、結局利便性さえ高ければ、欲しいのはあくまでも情報であって、モノとしての存在はそれほど重視されない、というのもあるんだろうな、と思う。インターフェイスさえしっかりして、実物の本と同じような感じで情報が得られるのであれば、「読みたい」と思う大多数の本については電子書籍で読んで、「持っていたい」と思う少数の本だけを本屋で購入する、ということになりそうだ。

僕とかはこれまで長い間、紙に印刷されている文字を読んで生きてきたから、「本は紙になっていてナンボのもの」とか思っている(ようなつもりでいる)けれど、そういうのは徐々に旧世代になっていくんだろう。実際、ブログの記事とか、新聞社のサイトとかでニュースを読んでいても全然違和感がないわけで、書籍というものが電子化されたとしても、実際にはそれほど大きな違和感はないんだと思う。じゃぁ、違和感ってどこにあるのかって、縦組みか横組みか、ということなのかな。横組みだったら電子化されても全然平気。縦組みだと違和感あり、みたいな?だとすると、電子ブック市場は全部横組みの欧米から進んで行くのかも知れないし、そんなことは全然関係なく、日本でも中国でもどんどん電子化されちゃうのかも知れない。

うーーん、やっぱり、近い将来、書籍はiPadとかkindleとかで読むようになるんだろうな。今、なんとなく「やっぱり、本は紙で」とか思っていても。というか、僕はそろそろ別に紙じゃなくても良い気になってきている。正直なところ。スピリッツと少年マガジンは毎週端末にデータが送られてくるっていうので良いし、新聞も配達してくれなくてもデータだけで良いし(ただ、見出しの大きさとか、記事の場所とかで記事の重要性を差別化する仕組みは重要なので、新聞は新聞として、その体裁は残して欲しい)、小説も、まぁちょっと味気なさは残るけれど、データだけで良いかな、みたいな。「いや、やっぱり本で」っていう所有欲は、新書版で持っているか、文庫版で持っているか、みたいなところに通じるところがあるわけで、「俺は世界の終わりとハードボイルドワンダーランドをピンクの本で持っている」みたいな自慢ができるかどうか、ってことなのかも知れない。

それにしても思うのは、レコードがCDになって、製造費用って凄く安価になったはずなのに、実際のCDはそれほど安くなってなくて、おかげでダウンロード販売にしてやられちゃったわけだけれど(でも、それまでの間、レコード会社はがっぽり儲けたんじゃないかとも思う)、書籍も、製本コストとかが激減するはずで、出版社が抱えるリスクも軽減されるわけだから、本の価格というのはそれなりに下がるはず。例えば、今の出版だと、1000円の本があったら、著作者の利益が多くて100円、あとは本の製造コスト、編集作業、流通コスト、初版本の製造リスク、デザイン、イラスト作成、および各パートでの利益。極論してしまえば、電子化されちゃったら、作家がいて、その取り分が一冊あたり100円、あとはダウンロードとかの運用コスト。イラストなどの意匠部分と編集作業は残るけれど、そこを上乗せしたとしても、400円ぐらいで出版できちゃうんじゃないだろうか。ってことは、新聞社も、レコード会社も厳しいけれど、これからは出版周りの会社も厳しいってことか。

ま、著作物を製品にするまでに今までは物凄いコストがかかっていたわけだけれど、その経路がデジタル化によってどんどん簡略化されてきているわけで、ふと気がつくと完全なる衰退産業なんだろうなぁ、出版とか。機能として残るのは、「良い作品を見つけてくる」という目利き機能、作品をさらに良いものにするための編集機能、そしてそれをきちんと告知して販売数を伸ばすマーケティング機能の3つぐらいなんだろうか?

しかし、長い目で見ると、みんな効率化を進めたいわけで、その時にはどうしたって衰退産業が発生する。そうしたときに困るのは終身雇用社会なんだよなぁ。社会がデジタル化したことによって、ネタの消費スピードもアップしたけれど、その他の社会システムの消費スピードもアップしたわけで、雇用とかも同じ。これからどんどんスクラップされちゃう仕事が出てくるわけで、当然のことながら、それに対応して会社も社会も変わっていかなくちゃならない。そんなときに、既得権者とのコンフリクトが発生するんだよね。あ、その既得権を守ろうっていうのが日本電子書籍出版社協会って奴だっけ?

あれ?iPadの利用方法を考えていたら日本型雇用の問題点の話になっちゃったぞ?

いや、僕も何冊かの本を書いている人間だから、著作者側からの考え方を書くと、自分としては、要は著作を読んでもらえれば良いんだよね。その結果、お金をもらえるならそれで満足。そして、一冊あたり、僕がもらえるお金は120円ぐらい。だから、電子出版でダウンロードされる金額は400円とかで、僕にそのうちの120円が支払われるなら、それでオッケー。

いや、ちょっと待てよ?そんな金額か。例えば、この「まにあな日記」の、「社長ネタ」とか、あるいは「ブログでバイオ」とか、まとめて、そのサイトへのアクセス料は120円、みたいなことでも同じだね。お金をちゃんと回収できるシステムさえ構築できれば、問題は全部解決しちゃうのかも。この、課金システムの構築って言うのが厄介なんだよなぁ。あ、でも、昔、やったな、その仕事。僕のブログの右上にある、ショコラっていうサイトの課金システム構築だけれど。やってやれないことはないのか・・・・。ふーーーむ。でも、結局はカード会社とかががっぽり儲けちゃうんだよね。安全で安価な課金システム(例えば100円を回収する手数料が10円ならオッケー。現状は100円回収するのに100円かかっちゃったりする)が構築できたら、凄い便利なんだよなぁ・・・・・。

ま、なにしろ、デジタル化というのは社会全体の構造を変えてしまう大革命であって、ようやくその全貌が見えてきたんじゃないかなーと思う次第。もっと早く見えていても不思議じゃなかったんだけれど、意外と時間がかかった。それで、見えてきた結果がすべからく皆さんにとって明るい未来だったかと言うと決してそんなこともなく、ミクロな部分ではメリットたくさんなんだけれど、デメリットもあって、それが世代間闘争の要因になっている。要は、アナログ世代とデジタル世代の戦いなんだね。もちろん、最終的な勝者は決まっている。その上で、どういう筋道でそこに至るのかを摸索しているんだろう。アナログが全然駄目ってことではないし、アナログ禁止っていうわけでもない。パンダの保護区みたいな感じでアナログはアナログとして大事にしなくちゃならないとも思う。こういう落とし所は、双方が色々意識的に工夫しないとうまくいかない。自然な流れはことごとくデジタル方向へ、水が高いところから低いところへ流れるようにして、向かっていくはず。その流れを押しとどめようとするのは労力を必要とするし、その抵抗もいつかは消滅する。だから、どこかに遊水池みたいなものを作って、そこに貯めておくとかね。

ところで僕は自分のことをアナログ世代に含まれると思っていたけれど、考えてみたら、高校生の時にはすでにCDプレイヤーを持っていたわけで、やっぱデジタル側にいるのかも知れない。

2010/2/12追記
池田信夫さんが「電子出版の経済学」というエントリーをアップしているのを発見。参考になるのでリンクしておく。  
Posted by buu2 at 14:05Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年01月29日

「本当に日本の解雇規制は緩いのか」という記事で

城繁幸さんが「本当に日本の解雇規制は緩いのか」という記事で僕が大嫌いなモリタクについて

もしここを見ているテレビ局の人がいるなら、お願いしたいことがある。
あなた方に公共心があるのなら、もうこの男は金輪際使わないで欲しい。
どんなに我々が正論を吐いても、この男はお金儲けのために電波で嘘を撒き散らしてしまう。


と書いている。言論統制は好ましくないから「使うな」とは言えないけれど、「使わないで欲しい」と言いたくなる気持ちはメチャクチャ良くわかるし、モリタクがアホということは全面的に賛成なので、リンクしておく。

情報があんまりないエントリーでスイマセン。リンク先できちんと城さんが語ってくれているので、そちらをご参照ください。  
Posted by buu2 at 16:58Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年01月19日

ポップスなのか、ロックなのか

「コミックサイエンス撲滅委員会」を立ち上げたら、はてブがたくさんついて委員会のサイトにもアクセスが集中。瞬間最大風速では10000ヒット/日を超えたみたいで、本家のこのブログですら5000がやっとなのに、という状態だった。ま、そういうアクセスのうちのほとんどはネガティブなものか、あるいはただの野次馬なので、それがコミックサイエンス撲滅委員会のアクティビティにポジティブな影響を出すのかどうかという点については正直微妙なのだけれど、知名度が上がったことは間違いがなく、漫画好きで言葉狩りが好きなクラスターにとっては不本意かも知れないけれど、コミックサイエンスという言葉の認知度は予想以上にアップしたに違いない。

それで、今回僕に「コミックサイエンス撲滅委員会はけしからん」と言ってきた人たちは大きく分けて二つにわけられる。一つは漫画好きな人たちで、ネガティブなキーワードの一部としてコミックという漫画を連想させる言葉を使われるのは迷惑だから「コミックサイエンス」という表現をやめて欲しい、というもの。僕自身漫画は相当量読んでいる人間で、今もちゃんと2誌を定期購読しているわけだから、漫画が嫌いというわけではないのだが、面白いなーと思ったのは「この人は漫画が嫌いに違いない」などといった感想を見かけたことで、あぁ、はてブ文化というのは集合知形成の前提条件だった「独立性」を失わせる可能性が高いアイテムなんだなぁ、と思った。はてブの最大の特徴は対象について他者がどう思っているのかを見ることができるという点で、「人と一緒」であることを求めるクラスターにとっては非常に都合が良い。そして、自分と違った価値観、理解不能な価値観を見かけると、その対象を自分とは違うクラスターに置くための理論を考えるのだろう。もちろん理解不能な対象をどうやって理解したら良いのかを考えることは至って普通のことで、今僕が書いているこの文章もそういう性質のものだから、それが悪いという話ではない。で、自分の考えがはてブの中ではマジョリティであることを確認すること、その上で自分の意見を書くこと、同時に理解不能な考え方を自分たちのクラスターの外に置くこと、ここまでは全然問題ないのだけれど、「だから考え方を変えろ」となるととたんに「はぁ?」ということになる。今回、僕に対して一番最初にTwitterで文句を言ってきた場面はこんな感じだった。

内容:一般的には「コミック=漫画」という認識なので、このネーミングはやめていただきたい。 #comicscience 科学漫画を撲滅か?と思う人続出。余計な反感持たれないようにやめて下さい。
記入者:book_f
タイムスタンプ:8:46am, Jan 10 from movatwitter


もう、この文章を読んだ時点で「はぁ・・・・(苦笑)」という感じ(笑)。いきなりこういう低レベルな意見が直接僕の端末に届いてしまうところがTwitterというメディアの不便なところでもあるのだけれど、このデメリットに目をつぶるだけのメリットがあるかどうかというのがTwitterというメディアの今後を占うことになるんだろう。って、閑話休題。

まず大した検証もせずに「コミック=漫画」という認識が一般的であると断じているところがいきなり「はぁ」。で、それを前提として「このネーミングはやめていただきたい」だそうで、これでは中国のアバターに対する扱いとほとんど一緒である。

参考:大ヒット映画「アバター」に中国批判のメタファー=ネットユーザーは削除求める―中国

「科学漫画を撲滅か?」と思う人が続出したとしても、コミックサイエンスのサイトは厳然として存在するわけで、そのサイト上にコミックサイエンスの定義がきちんと書いてあれば全く問題がない。そうしたセーフティネットをすぐに用意できることがネットの長所であって、「そんなところを確認する暇はない」などという意見には耳を貸す必要がないのはもちろんである。「この言葉は何なんだろう」と思ったら調べれば良いだけのことだ。それこそ、漫画好きの人が軒並み「科学漫画を撲滅ってこと?本当に?」と思ってコミックサイエンスをぐぐってくれるなら、こんな良いネーミングはない。

#このクレームが来た時点では定義がきちんと書いてなかったので、誤解を招かないようにその後速やかに対応済み(2:35am, Jan 11にはTwitter上で報告)。

余計な反感を持たれないように、などというのはそれこそ大きなお世話であって、あぁ、そうですか、でスルーである。

そもそも、「名前を変えろ」などと言ってくる種類の人間は、先人がネットの中での自由な発言をどうやって確保してきたのか、そのあたりのことを全く理解していないのだと思う。が、その一方で、そういう人たちが「削除しろ」「変更しろ」と発言する自由もあるわけで、それを封鎖するつもりはない。ただ、スルーするだけだ。

Twitterの文化はまだ未成熟なので、利用者の中にひとつの誤解が形成されつつあると思うのだけれど、それは「意見は聞いてもらえる」というものだ。一般社会と同じく、ネット社会にも傾聴すべき価値のない意見というものは存在するわけで、それらは当然のことながら無視される。ところが、Twitterというシステムは比較的意見が無視されにくい性質があるので、「返事がもらえる」「対応してもらえる」と思ってしまう傾向が強いようだ。このあたりは徐々に修正されて行くのだろうが、僕はそういう修正をのんびり待っているタイプの人間ではないから、「あぁ、こいつは駄目だ」と思ったら無視するし、それでも食い下がってくるなら目障りだからブロックする。ということで、今回のゴタゴタでブロックした人間は3人ほどいる。僕としてもできればブロックなどという機能は使いたくはないが、あまりにもレベルが低い場合は付き合いきれない。

中には、「活動内容には賛同するものの、名称が気に入らないから協力しない」という意見まであるのだが、ここまで来ると自意識過剰も甚だしいという感じになってくる。別に名称が気に入らないからという理由で協力しないような人たちの協力など、最初から期待などしていないのだ。別に良いですよ、ありがとうございました、では、でオシマイである。

でね、「この言葉が気に入らない」という人がいるのはわかりましたが、その上で、「コミックサイエンス」という言葉を変更する気は全くありません。「言葉として間違っていようが、放送禁止用語だろうが、誤植だろうが、不愉快に思う人がいようが、類似の言葉や同義の言葉があろうが、もう決めたんだ。名前が嫌ならコミックサイエンス撲滅委員会には入ってくれなくて良い」という簡単な話。

余談ながら、個人的な「?」を一つ書いておく。漫画というのも一つの文化であって、それを愛している人間というのは表現の自由に対しても高い問題意識を持っているものだと思っていた。ところが、漫画愛好家を自認する人たちが「表現が不適切だから変更すべし」と言ってくるのは何なんだろう?まぁ、漫画は好きだけれど、表現の自由は制限されるべき、という考え方なのかな。

さて、表現の自由に密接な部分でのクレームが一つのクラスターだったわけだが、もう一つのクラスターは科学者サイドからのクレーム。「科学者なんだから、科学的根拠に基づいて客観的に話すべきでは」という内容に関するもの。こちらは僕も想定していた反論で、「あぁ、やっぱり来たか」という感じ。そういう意味では、言葉狩りよりは少しだけ筋が良い。で、少しだけ筋は良いけれど、やっぱりポイントがずれている。

以前、僕は

ブログでバイオ 第64回「マスクは文化だ」

というエントリーで高城剛氏について

「人が言えないことを言う」というこのスタンス。ロックだね。こういう賛否両論を巻き起こすような発言をすることが一億総ブロガー時代には重要。


と評価しているけれど、これは嫌味でもなんでもない。ロックかポップスか、という二分化理論は物事を簡単にするとは限らないのだけれど、それを承知の上で書いてしまえば、「コラーゲンももしかしたら効くかも知れませんよね。現時点で「効かない」と断言できませんよね?」という考え方はポップスの考え方。世の中は基本的にポップスで形成されている。別にそれはそれで構わないけれど、中には「そんなの、別に良いじゃねぇか。将来「やっぱり効きます」ってことならそれはそれ。現状では効かないと思うんだから、効かないんだよ!」というスタンスがあっても良い。すなわち、ロック。でね、僕はコミックサイエンス撲滅委員会ではロックの活動をやりたいと思っている。ポップスが好きな人には無理なんだから、やんなくて良いんです。ずっとその調子でポップスをやっていてくれれば良い。それ自体も別に否定していない。僕はポップスをやらない、それだけのこと。でね、ロックをやろうとしている人間に、「いや、みんな、名称が嫌いみたいですよ?」とか言っても、全然意味ないわけです(笑)。これまで人がやってこなかったことをやるのがロックなわけであって、そういう活動にとって一番無縁なのが「みんなが」ということ。

そうか、もしかして、世の中のポップス愛好家は、僕がポップスの枠組みの中で、ポップスの言語でコミックサイエンス批判を繰り広げることを期待していたのかな?全然違いますから。だって、このブログを見ていればそんなことわかるじゃん。あぁ、そこまで見てないんだろうね。ちょっと通りすがって、はてブしてみた、と、その程度のものなんでしょう。

「科学的根拠に基づいて客観的に話す」のは、科学の中のポップス。で、僕がやりたいのは、「科学的なセンスを持った人間が感覚的に語る」という、科学の中のロック。まぁ、科学者の中にも血液型を盲信している人がいて、血液型によって研究室内の人員配置を決めてしまう教授なども見てきているので、ただただ無分別に感覚で語れ、というわけではない。

例えば、コラーゲンだったら、「体の中に沢山存在するタンパク質ですよね。人間に限らず、普通に食べているものの中にもたくさん存在しますよね。確かに口から入った場合、ペプチドになって、小腸から吸収され、それがシグナルになって体内でのコラーゲン製造を誘発するかも知れないけれど、じゃぁ、普通に食事して吸収しているコラーゲンじゃ不足なんですか?普通に食事している人に対して、どの程度のコラーゲンを食べさせたら効果が出るの?っていうか、コラーゲンってカロリーゼロじゃないんだから、効果が出るほど食べたら、肌がプリプリになる前にデブデブになっちゃいますよね?あ、デブって、肌がパンパンになっちゃうことを称して「プリプリ」ってこと?それは違うんじゃないかなー。あと、体内のコラーゲンだって分解されますよね。それがペプチドとして体内のシグナルにも成り得ますよね。そんなことないの?でもさ、細かいことはともかくとして、やっぱ、効かないでしょ、コラーゲン」という考え方があったって良いわけです。科学的なセンスを持ち合わせた上で、それらをベースにしつつ、あえて感覚、直感で語るわけ。

ポップス領域の科学者は、「いや、でも効果があるかも知れないんだから」というところでストップしてしまって、そこから足を踏み出すことができない。それはそれで良いんです。全然否定する気はありません。科学者の領域で、科学者の言葉で、科学者同士で会話していれば良い。でも、コミックサイエンス撲滅委員会でやりたいのはそういうポップスじゃない。もっと感覚的に、科学者のセンスの範囲で語っちゃいましょう、ということ。それが、科学者じゃない人たちにとってファミリアで、わかりやすくて、そして実用的な情報発信になるんじゃないか、ということ。そういう領域で語ってこそ、一般の人に伝わる科学者の言葉もあるんじゃないの?ってことです。

繰り返しになるけれど、誰でもロックができるわけじゃない。というか、できる人のほうが少ないのが普通。だから、コミックサイエンスが蔓延しているわけです。そういう、ポップスしかできない人を批判しているわけでもないし、排除したいわけでもない。ポップスをやっていたい人は引き続き頑張ってポップスをやれば良いじゃないですか。それが間違いなく本流でもあるわけだし。その上で、撲滅委員会はロックをやる。やりたい人は参加すれば良い。それだけのこと。ところが、そこに対してわざわざ「こんなのおかしい」とか、またレベルの低い奴らが首を突っ込んでくるわけです。お前ら、暇だなー、お前らがやりたいのはポップスなんだから、ロックに首を突っ込んでないで一所懸命練習(というか、実験)をやっておけよ、と老婆心ながら思うわけですが、まぁ、三流のポップスなのかも知れません(笑)僕自身はポップス活動にはあんまり興味がないので、文句を言ってくる人たちが一流なのか三流なのかは調べる気もないのですが。

「ロックやります」という宣言に対して、「大衆が受け入れません」とか、「あくまでもポップスの文法で語るべき」とか、「ポップス愛好家にもわかるように説明してください」って言いたくなっちゃう一部のポップス愛好家の人たちというのは、実は難儀なものかも知れませんね。「別に無理して賛同してくれなくて構わないんです」「人は人、自分は自分」って考え方を理解できなくて、「私の考え方に賛同してください」「大衆の嗜好に従わないのはけしからん」って言わずにはいられないんだから。まぁ、宗教を広めたい人たちと一緒か。

追伸:上で紹介したブログでバイオ64回を再チェックしてみたら、コメント欄もなかなか参考になるね。あと、マスクで予防っていうのもコミックサイエンスかもなー。あとで追加しておこう。あのエントリーの時点ではみんなマスクしていたので社会実験になると思っていたんだけど、途中でみんな馬鹿らしくなってマスクしなくなっちゃったよね(笑)。今もちょうど国会やっているけれど、国会中継見ても誰一人マスクなんかしてないし。おかげで、マスクが役に立つかどうか、さっぱりわからなくなってしまった。  
Posted by buu2 at 14:58Comments(12)TrackBack(4)社長

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2010年01月14日

今年やってしまいたいこと

飲み会に「撲滅委員会」って名前つけたらはてブが一杯ついて、このブログよりも注目度があってびっくりって言うか、ちょっとヤキモチ焼いちゃうんだけど(ちゃんと「活動は飲み会」って明記してあるんだけどね(笑))それはそれ。いや、もちろん何も目算がなくてぶちあげたわけじゃない。今考えているのは、ひとつ前に書いた記事のラストで書いた、

「衆愚化しない一般参加型ネットサービス」とは。ちょっとここについてしばらく考えてみたい。今年から始める予定の勉強会があるのだけれど、一見、全然関係なさそうでいて、実際のところ、一つのブレイクスルーになる可能性がある気もする。


という部分との融合。これは基本的にはネット、携帯を利用した「あるサービスの提供」なんだけれど、ポイントになる要素は、

多様な視点の誘発
情報発信のインセンティブの確保
個人の独立した判断
リアルタイムで変化し固定化しない価値観
それを集合知として数値化する仕組み


といったところ。仕組み自体はすでにあるものに手を加えるのが基本なんだけれど、コンセプトが独自で、既存の仕組みでは想定していないことにも利用できるのが最大のポイント。ただ、まだ今のところ「コミックサイエンスの評価」というものに使えるかどうかは未知数。個人的には行けそうな気がしているし、逆にうってつけだとも思っているのだけれど、まずは有識者とのディスカッションで頭を整理してみる必要がある。特に発案者の意見は重要なところで。ちょっと考えるとネックになるところもあるかも知れず。25日までにアウトラインを作ってしまいたいなぁ。

実はこのネタ、もう2年ぐらい寝かせてある。理由は色々あるんだけど、「時期尚早」というのが最大のもの。でも、そろそろ良いかな?みたいな気もしていて、それならいよいよ、という感じ。うーーーーん、このシーズ、上手に育てたい。これがうまくワークすれば、「コラーゲンって、効くの?」っていう質問に対してかなり明確な答えが出せるはずなんだよね。

あーー、こっちの勉強会の立ち上げもやんなくちゃなんだった(汗)。今年こそはこいつを形にしたい。  
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2010年01月13日

衆愚化を絶対に回避できない一般参加型ネットサービス

一般参加型のネットシステムはどうしてすぐに衆愚化が叫ばれるのか。この問に対する回答は簡単なんだけれど、いくつか順を追って考えてみる。

ミクシィにしても、はてブにしても、2ちゃんにしても、必ずと言って良いほど、サービス提供からある程度の時間が経つと「衆愚化が進んでいる」という問題提起が行われる。そして、その時点ではもうその流れは修正不可能となっている。というか、「衆愚化している」というのはあくまでも評論的視点であって、だからどうだということは、最初からない。そして、この流れはどんなサービスであっても逃れられないというのが僕の私見で、だから、「Twitterは衆愚化している」と言えばそこそこの確度で正しいし、「Twitterは衆愚化しつつある」と言えばかなりの確度で正しいし、「Twitterは衆愚化する」と言えばもうこれはまず間違いがない。

では、ここで言うところの衆愚化とは何なのか、ということになるのだが、この定義は色々と考えられる。そこで、僕なりにそれを考えてみるのだが、まず「衆愚にならないために必要なこと」を考えると、こんな感じになる。

個人的ニーズ:
1.僕が欲しいのは判断材料としての情報である(=判断をして欲しいのではない)
2.そのためには、多様な意見が存在することが望ましい
3.情報にバイアスがかかるのは避けられないが、情報にどういうバイアスがかかっている可能性があるのかは知っておきたい

ニーズの背景:
1.絶対的な正義は存在しない
2.様々な視点からの情報が必要だし、場合によっては新しい視点からの提案も必要
3.最終的に判断するのは「みんな」ではなく、自分

そのために必要なこと:
1.意見の多様性が確保されている
2.情報発信者がそれぞれに独立していて、相互に干渉しあわない
(当然ながら集合知に関する概念と共通)

衆愚とはこれの逆であると定義するならば、一般参加型ネットシステムの衆愚化とは、

1.意見が均質化している(均質化しやすい)
2.参加者が相互に干渉しあっている(馴れ合っている)

と定義できる。

僕は現在でも2ちゃんについてはある程度の多様性と相互独立性が確保されていて、極端な衆愚には至っていないと考えているのだが、一方でミクシィに関しては衆愚化が行き着くところに行き着いた感があり、メディアとしての魅力はほぼ完全に失われたと思っている。メルマガの代わり、同好会の情報共有の場、友達との連絡ツール、他の参加者と一緒に楽しむ形式のゲームによる時間つぶしなどには使えるが、それ以外のことに利用するのはちょっと難しい印象がある。すでに成長期を終えているので、一時のようなスパムの増加には歯止めがかかっているようだが、メディアとしての面白さは欠片もない。もちろん、ミクシィに何を求めているかは人それぞれなので、「いやいや、ミクシィは素晴らしい」と思う人の方がマジョリティであっても不思議ではないし、実際のところ、株価の推移を見ても、2008年1月前後の200万円以上という株価には全く及ばないものの、2009年3月ぐらいからは順調に上げてきている。それでも、僕は「ミクシィはもう終わったな」と思っているし、そのあたりのことは去年の9月に書いているのでそちらを読んでもらうとして、

ミクシィはプライベートカンパニーでいれば良かったのかも知れない

ミクシィの例でも明らかなように、一般参加型のネットシステムは衆愚化という宿命を背負っているもので、しかもそれは避けられないのだ。

では、何故衆愚化するのか。

これは日本だけに特殊な状況なのか、それとも全世界的な傾向なのかはわからないけれど、日本に限れば、利用者が衆愚化を求めているからである。つまりは、均質化された意見と馴れ合いの状況に自分を置きたいと思っているのだ。「みんなが私と同じ意見だから、私の意見は正しいと思いたい」し、「自分の意見はないけれど、みんながどう思っているのかは参考にしたい」し、「みんなに溶けこむことで安心したい」し、そして「みんなと一緒であることによって考えることから解放されたい」のだ。

衆愚化を避ける方法を、僕は今のところ一つしか思い浮かばない。それは、そのシステムに参加する人の大部分が、そのシステムのクオリティを維持するためには衆愚化こそが敵であると認識し、その危機感を共有し、そして、それを避けようと意識し続けることだ。まぁ、「衆愚化は駄目」という思想を共有しようとすること自体、思考の自由度を奪うもので、それすらも衆愚への道行ではある。だから、本来は「やめようぜ!」と旗を振るべきことですらない。だから、僕も、「僕はこう考える」と、自分の意思を表明するだけだ。あとはこれを読んだそれぞれの人が考えれば良いし、共鳴するなら、そう考えれば良いだけのこと。

例えばTwitterにはRTという機能がある。「僕もそう思う」と思った場合に機械的にこれをやると、その情報はあっという間に拡散する。これなどは衆愚化のためのターボチャージャーみたいな装置である。しかし、その一方で、「この話、くだらなくて面白いよな!」というのをRTでみんなに知らせたいという気持ちもあって、それはそんなに衆愚にはならない。いや、結局は受け手の問題なんだろう。RTされてきた情報を見て、「あぁ、こういう意見もあるんだな」と、自分の判断のオプションを増やせるなら、RT機能は衆愚にはつながらない。RTを読んで「僕も同じだ」「仲間がいた」と安心したり、「みんなはそう思っているんだ」で思考停止したり、「みんながそうなら意見を変えよう」と安易に大衆に流されたりするのが衆愚につながる。

そして、日本人は、その農耕民族的な気質からして、どうしても衆愚に流されやすい。衆愚化が悪化すると「みんなこう言ってるんだから、意見を変えなさい」と多様性を排除しようとする思想まで現れたりして始末に負えない状態となるのだが、日本では決して珍しくない。実際には「私も同じ意見です」と表明することは、多数決で何かを決めようとする場面以外では何の生産性もない行動なのだけれど、日本においてはそれが意味を持つところが特徴的だ。

だから、日本ではどんなシステムであってもすぐに大衆化し、そしてすぐに消費し尽くされてしまうんだと思う。まぁ、そのおかげで次から次へと新しいシステムが登場するわけで、それはそれで悪くないと思う。ふと後ろを振り返ると衆愚化した残骸が山ほど転がっていたとしても、その中からもきっと何か新しいものが生まれてくるはずだ。

だけどやっぱり、イノベーションを生み出していく社会の構築には、この気質はちょっと向いてない。

同じシステムでも「色々なものを見たい」と思うか、「同じ考えの仲間を見つけたい」と思うかによってその将来像は全く異なる。また、「他人とは異なる情報を発信したい」と思うか、「他人と一緒であることを表明したい」と思うかによってもその将来像は全く異なる。システムの将来像は、システムそのものには寄らなくて、利用者によって規定される。システム構築サイドが「衆愚化しないシステムを作りたい」と考えても、どうにもならないのだ。

いや、もしかしたら、どうにかなるんだろうか?「衆愚化しない一般参加型ネットサービス」とは。ちょっとここについてしばらく考えてみたい。今年から始める予定の勉強会があるのだけれど、一見、全然関係なさそうでいて、実際のところ、一つのブレイクスルーになる可能性がある気もする。そのあたりについてはまた後日お知らせできればと思う。  
Posted by buu2 at 13:41Comments(0)TrackBack(0)社長

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2010年01月01日

日本社会が一向に活性化しないたったひとつの理由

僕は、サッカーを非常に良い席で観ることが少なからずある。その要因は以前と今とではちょっと異なるのだけれど(まぁ、細かいところはスルー)、10年ぐらい前、どうして良い席でサッカーを観ることができたのかといえば、サッカー界にいくつかのパイプがあったからだ。そのパイプが具体的にどういうものだったのかは書かないけれど、その中のひとりが僕に語ったことは「元木さんのような人が日本サッカーリーグ時代にサッカー界を支えてくれたから、今があるんです」ということ。確かに僕はJリーグの前身である日本サッカーリーグ時代、日産自動車のファンクラブに入って、試合がある日で、特段の用事がない日は、ほとんど全て三ツ沢競技場に足を運んだ。しかし、別に大枚をはたいたわけではない。当時高校生だった僕は、年間1000円ぐらいの会費を払っていれば、ほぼ全てのホームの試合をタダで観ることができた。スタンドのお客さんの半分くらいは選手の家族たち。当時デビューしたての神野選手を妹さんが応援している横で僕はサッカーを観ていた。当時のサッカー界は、「高校サッカーでは満員になる国立を、なぜ日本サッカーリーグが満員に出来ないんだ」と、みんなが頑張っていた。その結果が、Jリーグである。僕は当時、「日本のサッカーを支えてやる」なんていう大層なことは露程も考えていなくて、単に面白いから観ていただけなのだけれど、当時のサッカー関係者の多くは本気で日本サッカーを支え、そして、僕たちのようなファンを大事にしてくれた。だから、Jリーグが発足し、そしてワールドカップを開催するまでになっても、まだ時々僕を良いシートに招待してくれたりもしていた。

このエピソードで僕が何を言いたいのかといえば、今はそこそこに順調な日本サッカー界といえども、ほんの20年前くらい前は少数の人の膨大な努力と、それを観に行っていた一握りのファンの財布によって支えられていた(無意識ではあったけれど)ということ。そうした熱意がイノベーションを生み出し、そして高いアクティビティを生み出したのだ。

では、今の日本の社会はどうなのか。停滞する日本の社会を活性化させるものはなんなのか、ということである。世の中はすでにボーダーレスになっているので、その中で勝ち抜いていくためには相応の競争力が必要になっている。競争力を生み出すためには、今度は戦略と戦術が必要になってくる。その戦略の大きなものが、分業である。社会を安定させるセグメントと、社会を活性化させるセグメントは分離しよう、というのが世界的な流れで、実際、今国際社会で活躍している少なくない会社が、創業してそれほど時間の経っていないベンチャー企業である。

日本においても、ベンチャー企業が存在しないわけではない。というか、実際、今活躍している会社の中にはベンチャーマインドを持った会社も少なくない。古くはリクルート、最近では楽天といったところが代表格だけれど、そういった会社がどんどん出てこないことには、社会は活性化していかないのだ。

ところが、日本人の優秀な人材は、どちらかと言うと社会を安定化させるセグメントに所属したがる。安定化させるセグメントとは、具体的には大企業や公務員である。基本的に、こういったセグメントではイノベーションは起こせない。ところが、イノベーティブな人材までもがこうしたセグメントに進みたがるという現状が、日本社会の活性が回復しない原因の一つである。安定志向とは、換言すれば安楽死志向である。社会全体が成長の中にあれば安定志向でも問題ないのだけれど、今のように経済が縮小傾向にあるときに安定を志向するのは、氷河期に向けて冬眠するようなもので、そのまま凍死してしまっても何の不思議もない。そこでは、今ある資産をどうやって食いつぶすのかがメインテーマになって、来ないかも知れない春をじっと待つことになる。こうした状況が好ましいはずがないのだが、なぜか状況は変わらない。しかし、人材が安定セグメントに流れていることは、社会の沈滞のひとつの原因ではあるものの、本質ではない。

たしかに、少し前の時代までは、大企業でもイノベーションを起こすことが可能だった。また、中央の官僚達は、明らかに日本社会をイノベーティブに牽引していた。しかし、もうそういう時代は過去のものになりつつある。例えば僕が色々と見てきた製薬業界などはその顕著にして先進的な事例である。

創薬は、技術シーズを実際の薬にするまでに非常に多くのハードルが存在し、多額のリスクマネーが必要になる。しかし、一度薬になってしまえば、あとはルーチンにそれを販売して行くことによって、非常に多額の利益を出すことができる。例えば業界トップの武田薬品の場合、トップの売上となっているブロプレス(高血圧症治療薬)の国内売上が約1380億である。そして、武田薬品の総売上高は約15000億円だ。つまり、全売上高の9.2%もの部分が、たった一つの薬剤によって支えられているのである。こうした、少数の精鋭製品によって会社を支えるのが製薬業である。そして、これまで、新薬の開発部分を担ってきたのが大学の研究室だった。製薬会社は大学とパイプを作り、そこで生まれた研究成果に優先的にアクセスし、そしてその中からめぼしいモノを見つけてきては製品化する、というシステムでやってきていた。ところが、15年ほど前から大学側も知的財産を適正に運用することの重要性に気がつき始め、大学の研究成果を安易に外部に出さないようになってきた。このままでは大手製薬メーカーはその巨大な体を維持できなくなってしまうので、何らかの方法で技術シーズを社内に取り込んで行く必要がある。しかし、社内でシーズ開発からやっているのでは、リスクマネーが高額になりすぎる。それでは会社を支えられない。そこで出てきた考え方が、ベンチャーが保有しているシーズを買収するというものである。製薬業界では、リスクマネーを集めてシーズをブラッシュアップする部分をベンチャーが担当し、そしてそのリスクが軽減されたところを見計らって大企業が買収し、そしてルーチンの部分を担当するという役割分担が実現している。

典型的な事例として製薬の話を書いたけれど、今はこうした分業体制は、製薬に限らず様々な産業で行われつつある。イノベーションには知恵と、体力と、新しい発想と、そして何より冒険心が要求されるのだが、それらは基本的に「安定」の対極にある。大企業や公務員には、そもそも無理なのだ。「いやいや、大企業でもできるでしょう」と、特に大企業に所属する人たちは主張するのだけれど、はっきり言って無理だ。無理だから、護送船団方式の日本企業はことごとく海外の会社の後塵を拝しているのである。挙句、何をするかと思えば、海外のベンチャー企業の買収である。

日本の復活には、ベンチャー企業の活躍が必須である。

ところが、農耕民族の気質がDNAレベルで刷り込まれている日本人は、優秀であればあるほど安定指向になりがちで、イノベーションを担当する人数が増えてこない。もちろん、首根っこをつかんで無理やりやらせるようなことではないから、大企業や公務員になりたがることを翻意させる必要はないのだけれど、それならそれで、邪魔をせず、そしてサポートをすべきだ。

邪魔とはどういうことかという事例をふたつ。このブログでは何度か書いているけれど、僕が経産省時代にいたときの話を二つ。まず一つ目。僕がベンチャー支援のためのお金の執行の担当になったとき、一番最初にやってきたのは大企業の部長である。彼に「このお金はベンチャー企業のためのお金です」と言うと、今度は「社内ベンチャーを作りました」と言ってきた。もう一つは、ある遺伝子関連検査機器を開発したという会社の部長。僕のところにやってきて、「この仕様を業界標準にしてください」と言う。「別に標準化は必要ないんじゃないですか?イノベーションには競争が必要ですよね」と言うと、「これまで日本は中央官庁と大企業の護送船団でやってきたんじゃないですか。よろしくお願いします」と頭を下げた。この二つは、安定セグメントによるイノベーションセグメントへの明確な妨害だ。安定セグメントは活性が漸減するのは仕方がない。だからと言って、イノベーションセグメントを妨害しては、自らの死を早めるだけである。

続いて、サポート。日頃の生活において、イノベーションを担当する人間たちをサポートしてやって欲しいのだけれど、看板が大好きな人たちは、それすらも拒否したりする。サポートとは、例えば同じ内容の製品・サービスなら、大企業のものではなく、ベンチャー企業のものを買うとか、そういったレベルのことである。「でも、何がベンチャー企業由来のものなのかわからない。支援したくても支援出来ない」という意見はごもっとも。僕もバイオ分野以外は知らない。なぜなら、そういう情報が流通していないからだ。なぜ流通しないかといえば、ニーズがなかったから。「ベンチャーを支援したい」という思いが社会のベースにあれば、もっと違った状況になっていたはずである。しかし、何しろないものは仕方がない。これから作っていかなくてはならないということだ。そして、それと同時にベンチャーの側からも、きちんとアピールして行く必要もあるのだろう。僕もベンチャーの社長のひとりとして、今年はそのあたりを意識して経営をしていきたいと思う。

「ライブログは、イノベーションに挑戦する会社です」
「ライブログは、ひとりでも多くの雇用を生み出せるよう努力します」
「ライブログは、皆様ひとりひとりのサポートによって支えられています」

産業は放っておいて育つものではない。育てようというマインドが必要だ。同様にして、社会は放っておいて活性化するものではない。活性化しようというマインドが必要だ。これまで、そういった機能を果たしていたのは政治であり、役人だった。しかし、もうそういう時代ではなくなった。「安定」を担当するセグメントにいる人間であっても、イノベーションを支援することはできるのだから、日々の生活の中で、「どうしたら社会が活性化するんだろう」と考えて、そして行動することが必要である。もう、役人任せではダメなんだ。逆に言ってしまえば、国民の一人ひとりがきちんとそういった意識を持って生きていかなければ、日本の経済はいつまで経っても復活しない。

#もちろんベンチャーにも色々あって、なんでもかんでも支援しろっていうワケじゃないけどね。  
Posted by buu2 at 13:11Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年11月15日

蕎麦打ち中

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本日は株式会社クオリ企画の鹿島槍蕎麦打ち体験ツアーで鹿島槍スキー場にやってきました。

蕎麦打ちは生まれて初めて、という人たちがどこまでできるのか、と不安ではあったのですが、「蕎麦にならなかったときのために」と用意してあったキノコやら、サツマイモやらは出番なし。意外とちゃんと出来ちゃうものですね。

僕も蕎麦打ちは全く経験がなかったんですが、なんとかそれらしいものが出来上がりました。色々と改善点はあったものの、「新そばを打って食べる」という当初の目的は完全に達成することが出来ました。

ちなみに最初に挑戦したのは二八蕎麦。蕎麦粉400グラムに中力粉100グラムを加えて、水250ccぐらいで打ってみた。これが、結構ちゃんとできてびっくり。延ばしがちょっと足りなかったみたいで、少し太めになってしまったのは反省点。次はもうちょっとしっかり延ばしてみようと思う。

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それで、この二八蕎麦二回が非常に上手に出来たので、調子に乗って十割蕎麦にチャレンジしてみたのだけれど、さすがにこちらは難しかった。二八とは随分勝手が違っていて、短いそばが大量に出来上がってしまった(笑)。これもまた再チャレンジしてみたい。

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2009年11月04日

綾波システム

僕は今のところ、365日、ほぼ24時間、お客様から緊急の連絡があれば対応できる状態を作っている。ただ、僕はマナーとか法律とかにも比較的センシティブな人間なので、電車の中で電話に出ることとか、自動車を運転しているときに電話に出ることとかはしない。また、移動は地下鉄が多く、携帯が圏外にあることも少なくない。当然のことながら打ち合わせしている時間もかなりの部分を占めるので、そのときも電話、メールに対応することはできない。だから、必ずしも即時対応ということではない。クライアントとのコンサル契約とかでは「24時間以内の対応」を約束している。

と、いうことで、僕には「これは休日」なんていう日は存在しないのだけれど、ベンチャーとかやっていれば当たり前の話で、僕の会社だけじゃなくて、僕の周辺の会社の奴らも似たような状態。少なくとも、日本にいるのに24時間連絡がつかない、なんてことはまずない。でも、別にそういう状態であることがストレスでもないし、逆に金曜日の夜にクライアントから連絡があったのに、月曜の朝までそれに気がつかなかった、なんてことになってしまうことの方がよっぽどストレスだ。

でも、この間、ある会社の社長と、現在進行形の仕事の打ち合わせをしていたとき、「担当の○○さんは凄く有能だけれど、土日はしっかり休む人なので、連絡は平日の昼間にお願いします」と言われた。ベンチャーと言っても、これはこれで当たり前で、そういう勤務スタイルはそれはそれで尊重されるべきだし、そのことを理解しつつ、ビジネスパートナーにそれを説明する社長(ちなみに社長は365日対応)は、それはそれで偉いと思う。

また、その会社の役員と打ち合わせをしていたとき、こちらが金曜日に急ぎのオーダーを出したら、「日曜日に対応します」との返事。「いや、急ぎは急ぎだけれど、土日に出勤する必要はないです。月曜日で構いません」と言ったら、「ちょうど日曜日に出勤する用事があるので、大丈夫です」とのことだったのでお任せしてしまった。彼と僕との関係を考えれば、嘘をついてまで休日出勤するとは思えないので、本当に日曜日に出勤する仕事があったんだと思うのだけれど、こちらとしては非常に助かった。

またこれは別の話なんだけれど、ある親方の話。彼は職人を複数抱えている親方なんだけれど、クライアントのオーダーに対して職人を派遣している。契約は時間で決まっていて、時間内に一定の作業を終了しないと、残業になってしまう。そんな状況で、彼の愚痴を聞いた。いわく、抱えている職人のひとりの評判が芳しくなくて困っているとのこと。どうしたのかと思って突っ込んで聞いてみると、その職人は就業時間中に手を抜いて、残業を増やし、それによって給料を多くもらおうとするらしい。その結果、派遣先の評判が悪くなってしまい「彼以外の人を頼む」と言われてしまっているそうだ。一定の時間の中で想定される量の仕事をきちんとこなす。こういうことが要求される場面も間違いなく存在する。そして、それができなければ、名指しで起用を拒否されてしまう。

こうして考えてみると、就業時間と非就業時間をどう考えるか、というのはそれぞれのライフスタイルによって選択できることが重要だと思うのだけれど、一方で、会社側が従業員に対して要求するのはあくまでも「成果」であって、「時間」ではないと思う。「中には時間が重要な仕事もあるんです」という考え方もあるのかも知れないが、時間を成果に変換できないような仕事を僕はあまり思いつかない。

それなのに、なぜ成果主義は嫌われるのか。あるいは、機能しないのか。

僕が上に挙げた事例で登場したのは、僕だったり、社長だったり、役員だったり、親方だったり、要は、人事権を持っている人間である。結局のところ、成果主義というのは人事権とセットなのである。

人事権(というか、解雇権)の話になると、今度は「上司に人事権を握られていたら、何の反論もできなくなる」なんていう話が出てくるのだけれど、上司が人事権を濫用して次々に従業員を解雇すれば、上司が責任を持たなければならない部署の成績が落ちて、その人の評価そのものが低下することになる。上司の評価が落ちれば上司の給料は下がるし、場合によっては解雇されるわけだから、自分の権利を濫用するということは合理的な行動ではない。逆に言えば、解雇されるリスクが小さいから濫用などということが起きるわけだ。

成果主義というのはあくまでも組織の効率化を進め、組織の充実と拡大を目的としているはずなのだけれど、責任の所在が不明確、かつ十分な権力を行使できず、しかも社会全体にそれを許容するだけの包容力もないというのだから、うまくまわるはずがない。

しかし、そんな状況にあっても、「なんとか成果主義をうまくまわしていきましょう」という人たちは少なからずいるし、「ただ座っているだけで何もせず給料をもらうなんておかしい」という考え方は徐々に浸透しつつある。問題は、「これまでただ座っている人たちのために苦労して、ようやくただ座っているだけで給料をもらえる立場になった人たち」と、「「将来はただ座っているだけで給料がもらえるのが良いなぁ」と思っている人たち」の力が意外と強いということで、この手の話は自民党も民主党も言い出さない。それで、僕としても、「成果主義以外はタコ。廃止!」「ただ座っているだけの奴は退席!」などと言うつもりはない。せめて、成果主義も選択できるような社会環境になれば良いのにな、と思う。

でも、社会環境が変わるのをじっと待っていたら、多分老衰で死んじゃう。だから、今は厳しくても、なんとかやっていかなくちゃならない。ひとりじゃ難しいけれど、意外と仲間はいたりする。僕は「綾波システム」などと茶化して笑いながら話しているけれど、雇う側も、雇われる側も、全ての階層で「代わりはいるもの」ということを意識しつつ働くのも決して悪くはない。

「君に求められていることはわかっているはずなのに、なんでちゃんとやれないの?できない、やれない、あきらめる、というのならそれでも構わないんだよ?別に君の代わりはいくらでもいるんだから」

「僕は社長なんてやっているけれど、社員たちはいつでも僕に辞任勧告できる。社員のために働けない社長だと判断されたら、それはそれで仕方がない。社長だって、代わりはいくらでもいるんだから」

明文化こそしていないものの、実際にその考え方で動かしていて、それがきちんとワークしていて、学生たちの支持を得ている会社もあるのだ。「あそこでやれれば一人前」という、ふた昔前ならニッポン放送、一昔前ならリクルートみたいな会社が。今、ニッポン放送のOBやリクルートのOBが色々な場所で活躍しているのと同様、そういう会社を巣立った人間が活躍してくれる社会になればと思う。

注釈:綾波システムの対語は「せかばなシステム」で、正式名称は「世界に一つだけの花システム」。この間、上に書いた会社の役員と徹夜でカラオケしたときに彼がこの歌を歌ったので、「お前、それは違うだろ(笑)」と思ったけれど、黙っておいた(笑)。  
Posted by buu2 at 12:22Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年10月24日

e-Taxの稼働時間

月曜日〜金曜日の午前8時30分から午後9時(祝日等を除きます)


なぜ24時間365日じゃないのか不思議。  
Posted by buu2 at 15:33Comments(0)TrackBack(0)社長

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ベーシックインカムなぁ

昨日の朝生では、ベーシックインカムについての議論(というか、意見表明)が少しあったようだ(眠かったので、いい加減に見ていた)。僕はベーシックインカムについては今のところ懐疑的なスタンス。でも、世の中のネット住民の中では結構好意的に受け入れられているようだ。どうして受けが良いのか、そのあたりがちょっとわからないのだけれど、一応自分の頭の整理だけやっておく。

ベーシックインカムに対する個人的認識
基本的人権の保障のようなものとして、社会の構成員全員に定期的に一定額を供給する(例えば、日本国民に一律に月額5〜8万円を支給する)システム。所得の再分配制度のひとつ。

ベーシックインカムのメリット
企業の福祉負担軽減
生活保護のように資格をチェックするフェイズがない(社会保障制度の単純化)
被雇用者(公務員を含む)を保護しなくて済む
解雇に対する負担(金銭的、心理的)の軽減
個人で完結する(世帯単位ではない)
働かない自由が発生する
支給金額を増減することによって、制度導入インパクトを調整できる

ベーシックインカムのデメリット
お金がかかる(100兆円程度?消費税率20%にしてもカヴァーできない)
勤労意欲が低下するかも知れない
国家の国際的競争力が低下するかも知れない

想定される新しいライフスタイル
気候の良い南国に在住、基本働かない。貸し与えられた土地で野菜などを栽培しつつ、子供をどんどんつくる。

疑問
日本は国家としてベーシックインカムを制度として採用できるほどの生産をしているのか
また、今後、生産し続けることができるのか
制度によって生産性がさらに低下するのではないか
途中でやめるのは非常に難しいのではないか
働かない自由がすべての人に存在すべきか
結局新しい保障が必要になるのではないか(もらったお金をパチンコで消費してしまったらどうするのか、借金して先に消費してしまったらどうするのか)
国際競争力の低下を招かないか
不労層が定着、固定化するのではないか
不労層からの脱出が困難になるのではないか
導入後、財源が確保できなくなったら国家が破綻するのではないか

思考実験1
夕張市をベーシックインカム特区とする
働きたくない人が引っ越してくる
財源確保のため、所得税、消費税、相続税などの税率がアップする
企業は逃げ出す
高所得層も逃げ出す
財源が確保できなくなる
制度破綻

思考実験2
日本でベーシックインカムを実施する
海外から貧困層が流入してくる
財源確保のため、所得税、消費税、相続税などの税率がアップする
企業は海外に移転
高所得層も海外に流出
財源が確保できなくなる
制度破綻

考察
制度導入に当たっては、外部からの構成要素(ひと、もの、かね)流出入を制限する必要がある
海外の経済状況からの影響を極力軽減する必要がある
肥沃な土地、豊富な日照量など、国土そのものの生産性が求められる
 >国土に付帯した生産以外は海外に流出する
 >北海道のような季節による生産性の差が大きな地域は安定的運用が困難  
Posted by buu2 at 11:42Comments(6)TrackBack(0)社長

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2009年10月16日

千葉県中央博物館

c1d9efc2.jpg仕事はドタキャン(泣) 千葉まで来たのに。
  
Posted by buu2 at 11:51Comments(0)TrackBack(0)社長

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iPhoneのシャア専用はいつ発売されるのだ?

95285c14.gifいや、ちょっと疑問に思っただけです。

touchユーザーなので、買い替えはありだと思うのですが、やっぱり赤くないとね・・・・・。  
Posted by buu2 at 00:46Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年09月28日

開国博Y150が大失敗に終わった10の理由

開港博だか、開国博だか忘れてしまったけれど(途中で名前が変わった?)、Y150が今日で閉幕。関係者の皆さん、お疲れ様でした。

僕の周りにはこのイベントに非常に深く関わった人が複数いるし、実は僕自身も一時期足を突っ込みかけたので、あんまり悪く言うのも気が引けるのだけれど、失敗するべくして失敗した、典型的なだめイベントだった。なんで失敗したのか、比較的近いところで見てきた立場から考えてみる。

1.開国150周年という設定に無理がある
そもそも、「開国」とか言っても、え?それって、日米修好通商条約締結から150年?あれ?でも、それは1858だよね?えーと、あぁ、その条約で決めて、開港した年か。1859年。あれ?でも、同じ日に長崎も開港したよね?あ、ちょっと早かったの?知らなかったよ!!っていうか、ずいぶん重箱の隅をつついたようなお祝いだね!みたいなイベント。しかも、150という数字がまた微妙。あんまり聞かない、150周年。なんでそんなことをやることになったのかって、それは中田市長が自分の任期切れの前に一旗あげておきたいと思って、ぶち上げただけのことなんだろう(と、予想みたいに書いているけれど、一応複数ルートで裏は取ってあります(笑)公開はできないけれど)。中田さんはイベント大好きだから、「なんかないのかなー」と探して、無理やり見つけてきたネタなんだと思うのだけれど、やっぱ、無理がありすぎる。つまり、まず最初の「開国150」というところが筋が悪い。

2.弱い協賛各社
次に、バックについた企業。日産のサポーター(父親も含め、親戚には日産関係者が山ほどいる。僕も車は日産だけ)である僕がこういうことを認めなくちゃならないのは非常に残念なんだけれど、愛・地球博をプライドをかけて成功させたトヨタとの差が出てしまった。他にも、協賛企業には新日本石油、日本ビクターなど、本業がちょっと怪しい感じのところが多く、彼らにしても「市長が言うから仕方なく」という感じでの協賛。お金をかけないし、やる気もないから、アトラクションもひどいものばかり。ハードとしてもひどいけれど、そこで展開しているものはほとんどすべて「横浜らしさ」が微塵もなく、「横浜」という看板がなければ「未来博」でも、「アニメ博」でも、「環境博」でも、どれでもわかりゃしない、というもの。巨大なクモのロボットも、でかいのは確かだけれど、動いている状態で乗れるわけでもなく、「なんでクモ?」みたいな疑問しか残らない。まぁ、最初はクモじゃなかったんだけれど、大人の事情でクモに変更したみたいですけどね(どうでも良いけど、このクモロボも、自力で動き回るんじゃなくて、台車に乗っかっていて、宙に浮いた手足が動くだけ)。日産のハイビジョンも、これ、どこかから借りてきただけですよね?映像も別に横浜っぽくないし。っていうか、ねぶたとかやってなかった?電気自動車だって、小さいのが一台あるだけ。しかも、博覧会の前にモーターショウなどで披露目しちゃっていたし。こんなことならガンダムの一台も置いておけば良かったのに(横浜には関係ないけれど、それはクモも一緒)。

3.実はあまり特徴のない横浜
そもそも、横浜らしさって、何よ、ということにもなってくる。浜っことして言わせてもらえば、横浜らしさっていえば、そりゃマリンタワーであり、氷川丸であり、大桟橋であり、港の見える丘公園であり、外人墓地であり、最近ならみなとみらいであり、ベイブリッジであり、それから中華街、シウマイ弁当なんかがあって、でも、その程度。外から見ると横浜っていうのはおしゃれなのかも知れないけれど、関内のあたりはすっかり寂れてきているし、本牧もアウツな感じ。元町とかも、知り合いたくさんお店やっているからあんまり悪く書きたくないけれど、ちょっともう終わりつつある感じの町だったりする。もちろん、僕たちはそこで育っているから、ノスタルジーもあり、今行っても普通に楽しめるけれど、外から来たお客さんが楽しめるという感じではない。このあたりのお店のうち、繁盛しているところはどこもデパートに支店を出しちゃっているしね。結局のところ、昔も今も、横浜は東京の衛星都市でしかない。

4.折からの不景気でチケットの引き取り手がいない
チケットの引き取り手がいなかったのも痛かったみたい。景気がぱっとせず、トヨタが地球博でやったみたいな、「よし、全社員に半強制的に買わせます」みたいなこともなかなか難しかったんだろう。そもそも、景気を良くするためのイベントだったはずなのだが、そのあたりがダメダメのスパイラルに入ってしまったんだと思う。

5.税金泥棒の暗躍
それから、「イベントやるぜ」ということで、無駄に公的なお金がばら撒かれたのもイベントを寂れさせた感じ。不景気な中、ばら撒かれた税金によってたかってそれを取っていく組織がいくつも現れたんだろう。そういう組織は、基本的に上ばかりを見ていてマーケットを見ない。「仕事はボランティアを使いましょう」などとして市民参加を主張し、草の根レベルの盛り上がりを強調しつつ、補助金を拾っていく。3年ぐらい前、僕も横浜のITベンチャーということで、そういう公的なイベントに顔を出したりしていた。僕が元中央の役人ということもあって、市の関係者とかも色々僕にアクセスしてきたし、中には能力もないくせにうちの会社の役員にしろと言ってくるような勘違いNPO理事などもいた。この手の人たちの特徴は、イベントの全体像がぼんやりしているうちは威勢が良いのだけれど、だんだんアウトラインがはっきりしてくると尻すぼみになり、最終的にはどこかへ消えてしまうこと。イベントでお金をばら撒くことは必ずしも否定しないのだけれど、それはあくまでも起爆剤、今後の発展のきっかけとして使われるべき。ところが、お金だけどこかに消えてしまい、何も残らないのでは話にならない。

6.分離した会場
港地域のほかにわざわざ内陸部に別会場を設置しているのも意味不明。これまた大人の事情なんだろうか。開国博なのに、なんで内陸?って、集客が見込めるズーラシアがあるから?

7.さめてる市民
浜っこの心っていうのは、基本的に横浜に向いてない。僕が小さい子供のころは確かに遊ぶといえば横浜、桜木町、関内界隈だったけれど、ある程度大きくなってからは横浜で遊ぶことはほとんどなかった。まぁ、県外の彼女がいたりするとちょっと案内してみたりはするものの、何度も遊びに行くようなところじゃない。内陸の人たちは町田、新宿あたり、海沿いの人たちは自由が丘、渋谷に遊びに行って、あんまり横浜には遊びに行かないし、ちょっと観光、とか思えば湘南方面に出かけるのが常。横浜の汚い海を見たいという人はあまりいない。中華街で何か食べよう、なんていうことも滅多にない。浜っこは外部に対して「俺って浜っこ」とアピールはするけれど、別に横浜で遊んだりはしないのだ。それに、横浜に外部から大勢の人が来ても、大した関心もない。ホスピタリティの意識が希薄なのだ。自分では横浜に行かないし、人が横浜に来てももてなすわけでもない。それが浜っこ気質である。横浜市だけで人口350万人いるわけだが、そのうちどの程度が博覧会に行ったのか。

8.呼んでくる有名人が全然横浜にゆかりがない
Y150でやるイベントも意味不明。芸能人や有名人が盛り上げるのは一向に構わないのだけれど、そういう人たちが横浜とどういう関係があるのかわからない。たとえば日比野克彦さんとか、かなり早い時期から赤レンガ横の事務局で打ち合わせしていたのを見ていたけれど、どういう理由で日比野さん(岐阜県出身、多摩美から芸大)なんだろう。ドイツのW杯で一緒になったりして、好きなアーティストだけれど。他にも、色々なパフォーマンスを披露した人たちがどうしてそこにいるのか、その理由が良くわからない。

9.高い入場料
この手のイベントは、リピーターの確保が非常に重要になる。そのあたりを見込んでの映画の3分割(全部観ようと思ったら最低でも2回行く必要がある)とかを仕掛けたんだと思うのだけれど、では、20分の映画を観るために2400円のチケットを2回買うのか、ということである。内容がグダグダでも、入場料金が安ければ「もう一度行ってみようか」ということになるのだが、映画の料金の2倍とかだと、「あんなの見るくらいなら、映画に行こうよ」ということになってしまう。もうちょっと安い価格設定にして、リピーターをそこそこ確保できる形にして、「つまらなそうなんだけれど、人だけは入っているよね」みたいなお祭りの雰囲気を作れればもう少しまともな「失敗」で済んだかも知れない。中で提供されている料理もコストパフォーマンスが悪く、割高感を煽る。来た人たちが「高い」「まずい」「つまらない」を連発するから、一層盛り上がらない。せめてもの救いは「混んでる」という不満が出なかったこと。

10.大人無視
少なくないアトラクションが、「子供だけ」となっていた。お金を払うのは大人である。「大人はスポンサー。子供が楽しんでください」ということだと、大人はそっぽを向く。大人も子供も楽しめる、というコンセプトにしなかったのは決定的なミス。ディズニーランドで「大人はご遠慮ください」というアトラクションがどれだけあるというのか。

まぁ、失敗の原因はこんなところだと思うのだけれど、僕の周りにいる関係者たちも全員、開幕前から「失敗する」と言っていたわけで、中田市長が任期途中ですべて投げ出して逃げ出したくなる気持ちもわからないではない。このところの中田市長はすっかり橋下大阪府知事の金魚の糞みたいな感じで、ダサい格好でふらふらしているだけだったからねぇ。しかし、責任を取らずになりふり構わず逃げ出したのは本当に格好悪い。選挙がどうとか、色々後付で理由を述べているけれど、ただただみっともないだけである。何しろ、Y150は終了したので、これから民事訴訟とか色々あるのかも知れず、中田前市長が逃げ切れるのかどうかというのは、今後の、横浜市民のちょっとした興味ではある。横浜銀行とつるんで「こんなに大勢来ますよ」と大風呂敷を広げ、地元企業から協賛金を集めたわけだから、500万人だと思ったら124万人でした、というのでは、「はいそうですか」ということにはならない。

前原さんが今日のサンデープロジェクトで、田原さんに「JALとか空港とかが大変なことになっているのは、全部役人が悪いんでしょう?」というようなことを言われて、「いや、最終的に責任を取るべきなのは政治家なんです」と断言していたのは対照的。そうなんだよ、責任を取るべきなのは政治家なんだよ。その覚悟が中田前市長からは全然感じられない。期待された行動はトンズラすることではなく、「このイベントが失敗した責任は、突き詰めれば行政にも、民間企業にもなく、全て私にある。これを取り返すべく、もう一期私にやらせてくれ。必ず市民の期待にこたえる」として粉骨砕身横浜市のために働くことだったはず。

#市の責任という意見もあるけれど、この手のイベントは大体市長の鶴の一声で決まる。「俺は市民から信任を受けている」と言われたら、行政官は反対できない。

##浜銀総研の予測はきちんと読んでないけれど、この手の予測はある程度の前提、但し書きがあるもの。それがどういう内容だったかをチェックする必要はある。しかしまぁ、大抵の場合はクライアント側(横浜市)から、「これは地域活性化のイベントなので、大きい数字が必要です。このくらいが欲しいところ」という提示があって、シンクタンクはそれにあわせて作文する。

  
Posted by buu2 at 02:38Comments(4)社長

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2009年09月25日

肝心なときにぶっ壊れるIME

今日は資料の締め切りがたくさんある上に外での打ち合わせもあって、大忙しの一日。ところが、午前中にメインPCがぶっ壊れた(涙)。パワポで作業していたらワンフレーズぐらいを入力したところでフリーズ。何度やってもだめ。パワポが壊れるとも思えないので、最初に疑ったのがIME。ということで、今度はワードを立ち上げてチェックしてみたら、案の定フリーズ。IMEがぶっ壊れたとなると、再インストールかなぁ、と思っているところで時間切れ。新宿三丁目まででかけて打ち合わせ、そのあと目白にまわってこちらでも打ち合わせ。暗くなってから会社に戻って、壊れたPCの修復作業。さて、何をしようかな、と思ったのだけれど、まぁ、困ったときはグーグル様だよね、と思い、サブのパソコンで調べたら、親切なサイト発見。

Wordで日本語を入力した途端フリーズする。ワードで文字を入力するとCPUの使用率が100%になる

何事も先達はあらまほしきことなり。

無事回復して、仕事続行。まだやってる。まぁ、何とか間に合うだろう。  
Posted by buu2 at 21:53Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年09月24日

中立的シンクタンクなど必要ない

政権交代が起きたおかげで、色々とパラダイムシフトが誘発されて、第三者的に見ていて面白い。

そんな中、時々目にするのが「こんなときこそシンクタンクが必要だ」という意見。それはそれで間違いないのだが、ここで少なくない人が誤解しているのは、「シンクタンクというものは中立的に正しいことを主張するんじゃないか」ということ。三菱総研にいた僕が言うのだから、少なくとも三菱総研については間違いがないが、政治的にも、思想的にも、完全に中立な主張などは三菱総研の中には存在しない。これは当たり前と言えば当たり前で、別に三菱がどうとかじゃなくて、シンクタンクならどこだって偏りがある。また、顧客とか、その担当者に都合の良いように報告書をまとめるのも日常茶飯事。特に三菱総研はついこの間株式公開したわけで、一層中立性は担保されにくくなったはずだ。

ただ、政治的、思想的に偏っていたからといって、そこが発信する情報に価値がないわけではない。要は、その情報や判断をどう利用するか、利用者サイドの問題になってくるわけである。

つい昨日も現役のシンクタンク研究員(50代前半の、最も発言力がある人種)と、シンクタンク就職希望者とのディスカッションを聞く機会があった。そこで研究員氏が言ったことは「クライアント(顧客)は、『どうしたら良いのか、○なのか×なのか、右なのか左なのか』を聞いてくるが、我々は情報を整理して、おススメのプランを提示するだけ。最終的な判断はクライアント自身がやらなくてはならないし、その判断に対する責任もクライアント自身が取らなくてはならない。その点で、我々がやっていることはあくまでもアドバイザーである」ということ。もう、これ以上でもないし、これ以下でもなくて、シンクタンクの現状がこれによって完全に語りつくされている。僕が三菱総研に在籍していたときには「成功報酬のような形態はあり得ないのか?」という議論もあったのだが、クライアントサイドからも、三菱総研サイドからも、都合が悪かったり、リスクがあったりで、結局現実的ではない、ということになった。成功報酬云々はまたちょっと論点がずれるが、何しろ今のシンクタンクという組織は基本的にそのアウトプットについてなんら責任を取らない立場である。だから、役に立たない。

ちょっと、政党、シンクタンク(政策志向の場合)、官僚、生活者の関係について整理してみる。

本来、シンクタンクとは政策提言をすべき組織であって、政策について民意を問うのは政党の役割だから、政党の頭脳がシンクタンクで、手足となるのが官僚でなくては困る。生活者は政策の内容を見て、政策を支持する。駄目な政策を立案していれば、結果的に政権を取れなくなり、シンクタンクの職員の給料は安くなる。下野したら下野したで、きちんと給料をもらうために真剣に「生活者に支持されるための政策を考える」ことになるわけだ。これが、政党、シンクタンク、有権者のあるべき関係であって、シンクタンクの職員の給与というのは間接的に生活者の評価を受ける必要がある。そして、手足は頭脳が変わったらそれにあわせて動けば良いだけ。「テニスをやるぞ」と思えばそれに合わせた動きをするのが手足の役割だし、「水泳をやるぞ」と思えばそれに合わせた動きをするのが手足の役割。じゃぁ、今日はテニスをするべきなのか、水泳をするべきなのか、それを考えるのは頭脳の役割だが、頭脳はどうしたって偏りがあるので、「テニス大好き」という頭脳なら基本的にテニスをやりたがるし、暑いのが嫌いな頭脳なら、当日の気温にあわせて、「今日は暑いから水泳」とか考えることになる。生活者は、そういう動きを見ていて、「僕は水泳が好きだから、こっちの頭脳を選ぼう」とか考えれば良い。

ところが、今はなぜかシンクタンク機能を官僚が果たしている。手足が勝手に「テニスをやろう」と言い出してしまう。しかも、手足は一つしかない。二大政党制よろしく、選挙によって「今回は手足をこちらに変えましょう」というわけにはいかないのだ。生活者は手足に対して文句を言うことができないので、「本当は水泳をしたいのに」と思っていても、なぜかテニスをやる羽目になってしまい、「どうも納得いかない」ということになる。

ということで、「こんなときこそ民間シンクタンクの出番」という意見は、適正でもあるし、間違いでもある。求められているのは、「どこの誰のためともわからず、その判断が間違ったとしても何の責任も取らない」シンクタンクではない。政権与党、あるいは政権を取ろうとしている野党のために、生活をかけて、最終的には生活者に評価を受ける立場のシンクタンクである。日本にそういうシンクタンクがあるのか、ないのか、良くわからないのだけれど、少なくとも野村や三菱がそういうシンクタンクでないことは間違いがない。

では、なぜそういう「政党の頭脳」たるシンクタンクが日本に存在しないのかと言えば、話は簡単で、官僚がいるからである。

ようやく二大政党制が機能し始めて、政権交代が起きうる体制になった。社会主義からの脱却の小さな一歩ではあるけれど、日本の民主主義にとっては大きな一歩でもある。次に求められるのは、おそらくは脱官僚。別に官僚が無能だと言っているわけではない。というか、僕は日本人の中でも、官僚の能力を非常に高く評価している人間の一人だと思う。そして、僕が思うのは、「官僚を上手に使いこなす」などという腰の引けた姿勢ではなく、官僚組織を解体して3分割することが必要ということ。

3つとは、民主党か、自民党か、どちらかのシンクタンクを形成すること。残りは、政権与党の言いなりになって、機械的に作業をするだけのクラスター。第3のクラスターももちろん必要だ。

「国民のために考え、常に正しい判断を下すシンクタンク」などは幻想である。最低でも二通りの選択肢を用意し、それについてきちんと国民の評価を受ける。何か失敗をしたら、その責任を取る。重要なのは、中立であることではなく、責任を負いつつ判断をすることのはずだ。

では、それをどうやって実現したら良いのか。これも、実はそれほど難しくない。「中央官庁の方々は、今後、何も考えなくて結構です。政権与党と、そのシンクタンクが命ずるままに手足となって動き、国民のために働いてください」ということを表明すれば良いだけ。「えーーー、そんなんじゃつまらないじゃん。俺は政策を立案していきたいんだよ。財務省から予算を取って来るのが面白いんじゃん」という人は、勝手に辞めてもらって、民主党なり、自民党なりのシンクタンクに転職すれば良い。そうすると、多分中央官庁の人手は足りなくなるだろうけれど、幸いにして世の中には高学歴ワーキングプアと呼ばれている人たちがたくさんいるので、そういう人たちをどんどん採用すれば良い(ただし、任期付きで、是非。能力があれば延長可能で)。政党付属のシンクタンクという受け皿を用意しつつ、官僚組織の大幅な改革を実現すれば、黙っていても収まるところに収まるはずだと思うのだけれど。

って、書くのは簡単なんだがなぁ(笑)

ちなみに、中立的なシンクタンクは存在し得ないけれど、中立的な情報バンクは存在し得る。そちらはそちらで価値があるはず。たとえば、八ツ場ダムについてはこんな資料が存在する。

みんなの八ッ場パーフェクトガイド

これとか、凄く面白い資料なんだけれど、ちょっと「大丈夫かな?」と感じるのは、この資料をまとめたのが八ッ場ダム建設中止派だということ。情報というのは基本的に多ければ多いほど良いのだけれど、その中から自分達に都合の良いところだけを集めて提示するというのは誰でもやること。この資料も、中止派がまとめているだけに、どういうバイアスがかかっているかはきちんと考える必要がある。僕みたいに慎重な人間からすると、「とりあえず、どちらに与するというわけでもなく、情報だけをひたすら集めるような組織があればなぁ」と思うわけだ。あ、そういうことも、公務員の皆さんがやってくれれば良いんですね!

20100412追記 関係ある記事を見つけたのでリンク。
政権交代と回転ドアの「ブレーン」  
Posted by buu2 at 12:52Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年09月22日

自民党の失業政策秘書を使って「予算を節約しま省」を作ったらいかが?

○主な仕事
入札がちゃんと行われているかチェック
獲得した予算をきちんと余らせているか(もちろん余ったら返却)チェック
不要な人員がいないかチェック(余っていたら即クビ、ただし再雇用あり、紹介はなし)

○給与
成功報酬(節約したお金から20%を給与として分配。完全能力給)  
Posted by buu2 at 12:06Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年08月27日

幼稚園でどうぶつしょうぎ

幼稚園児への知的教育のツールとして、どうぶつしょうぎを導入する実証プロジェクトを実施することになりました。時期は9月上旬、対象は約90名の園児になる予定です。

ライブログは教育業務をメインにする会社ではないので、今回はシンクタンク業務の一環として、フィージビリティ・スタディをやる形になります。その後については未定ですが、興味を示している会社があるので、事業性が評価されれば一般事業として広く展開していくことになると思います。

#なお、本案件につきましてはライブログに依頼があった時点でLPSAに対して共同での事業化を打診しましたが、期日までに返答をいただけなかった都合上、LPSAとの共同事業という形を取れませんでした。講師、アシスタント等については相手方幼稚園の意向を踏まえ、他の専門家へ打診、調整中です。

実証プロジェクトについては事後に実施概要と、その後の反響などについてお知らせしたいと思います。

なお、「うちでもやってみたい!」という方がいらっしゃいましたら、motoki@liblog.co.jpまでお問い合わせください。  
Posted by buu2 at 13:01Comments(0)TrackBack(0)将棋

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2009年08月13日

この忙しいときに

世の中はお盆ですか?良く知らないのですが。

で、お盆だろうが何だろうが、忙しいことには変わりがなく、今日も埼玉と横浜をいったりきたりして、最後は新宿で打ち合わせだったわけですが、その直前、ちょっと時間があったので、「よし、明日の資料を作っちゃおう」と思い、新宿三丁目のあるコーヒー屋さんへ行って、コンセントのある椅子をキープして、飲み物を頼んで、「さぁ、やるぞ。時間は30分!」とか思ったのだけれど、パソコンのスイッチを入れても画面が真っ黒のまま。あれー?起動してファンクション8を連打しても駄目。ファンクションキーを押しながら起動してもだめ。ついでにファンクションキーとファンクション4を押してみても反応なし。

これは駄目だ。ということで、パソコン、ぶっ壊れた(涙)。ノートPCが故障しちゃうと結構痛いんだよなぁ。っていうか、激痛。このノート、かれこれ3年経っているんだけれど、いくつかのトラブルを乗り越え、なんとかここまで頑張ってきた。もうちょっとだ(本当か?)、もうちょっと頑張れば、何かいいことがあるはずだ(本当か?)、と言い聞かせてきたのだがなぁ。

ということで、デルに電話したら、24時間サービスのお兄さんが丁寧に対応してくれた。本当にデルのカスセンは出来が良いんだよなぁ。いつも感心する。で、土曜日に回収に来てくれるらしい。簡単に直ってくれますように。安価で直ってくれますように。

さて、PC代を頑張って稼がなくちゃだな!  
Posted by buu2 at 23:47Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年07月21日

一年放置してあったTwitterを再開してみる

なんか、ようやくTwitterが面白くなってきたみたいなので、再開してみることにした。ということで、削除しちゃってあったブログパーツを再登場させた。

さて、何をしようかなぁ、と思い、まずはお勉強。以下、個人的お勉強リンク集。

フォローすべきTwitterアカウント一覧

Twitter関連ツール・まとめ

Twitterで使えるbot50徹底レビュー!

ふぁぼったー

Twitterを楽しむ10の方法 (my ver)

キャズムを超えそうなTwitterについて色々

しかし、どうも使いにくいサービスだよなぁ。パスワードの変更が受け付けられない。っていうか、表面上は受け付けているのに、あとになって新しいパスワードで入ろうとすると入れない。どうなっているのか。うーーーむ。ま、いっか。  
Posted by buu2 at 13:46Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年06月26日

株主総会

今日はライブログの株主総会。

数字は創業以来最悪。でも、創業以来最も期待が膨らむ総会だった。これから数ヶ月、勝負が続きそう。まず最初は、今月末か、来月か。

レバ刺しでも食べて頑張らないと。  
Posted by buu2 at 22:09Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年06月18日

正確な事実を共有することの大切さ

仮に、Aさんが次のようなことを語ったとする。

1.私はモスバーガーの社員だ。
2.モスバーガーのテリヤキバーガーは美味しい。
3.フレッシュネスバーガーでも食べたことがある。
4.フレッシュネスバーガーのテリヤキバーガーは美味しいと思う。
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
6.ところで、ファストフードとは別に、ハンバーガーを提供する店がある。
7.たとえば、本郷のFIRE HOUSEみたいな店だ。
8.私はFIRE HOUSEのハンバーガーを食べたことがある。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。

これを聞いたBさんが、この発言を作為的に次のように編集したとする。

1.私はモスバーガーの社員だ。
4.フレッシュネスバーガーのテリヤキバーガーは美味しいと思う。
8.私はFIRE HOUSEのハンバーガーを食べたことがある。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。

とすると、「こいつはモスの社員のくせになんだ」ということになる。重要なのは

5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。

といった情報なのだが、これを削除してしまうと受ける印象はまったく別のものになる。つまりは、事実というのは全てが正確に伝えられて初めて当初の意味を持つ、ということだ。逆に言えば、事実は都合の良いようにトリミングされた場合、いくらでも操作できてしまうということである。

ただし、次のような例もある。Cさんが次のように編集した場合だ。

2.モスバーガーのテリヤキバーガーは美味しい。
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。

この場合、Aさんが語った内容に対して、大きな乖離がない。むしろ、余計な情報が削除され、わかりやすくなった。しかし、厳密に言えば、ややフェアではない。削除すべきではない情報が削除されたおかげで、情報を正確に判断できなくなっている。

一番理想的なトリミングは次の、Dさんが編集した例だろう。

1.私はモスバーガーの社員だ。
2.モスバーガーのテリヤキバーガーは美味しい。
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
6.ところで、ファストフードとは別に、ハンバーガーを提供する店がある。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。

これなら、Aさんの立場を含め、Aさんの考えを把握することができる。読者は、Aさんがモスバーガーの社員であることを考慮することが可能になる。

一つの事象について、編集する人はたくさんいる。逆に、全てを正確に伝えることができる人の方が少数だろう。編集者が意図的に事実を捻じ曲げるBさんなのか、重要な情報を意図的に、あるいは無意識のうちに欠落させてしまうCさんなのか、正確性を重視し、必要最低限のトリミングで済ませようとするDさんなのか、このあたりをきちんと考える必要がある。しかし、当然のことながら、1〜10までの全てを俯瞰していなければ、その編集スタンスがBからDのどれにあたるのかはわからない。必然的に、過去にどういうトリミングをしてきたかを検証し、そのスタンスを推測するしかなくなる。しかし、過去にDタイプだったからといって、将来もずっとDタイプである保証はもちろんない。結局のところ、事実というのはなかなか正確には伝わらないのである。

また、さらに言えば、もともとのAさんの意見も、次のようなものが隠されている可能性がある。

11.とはいえ、FIRE HOUSEのハンバーガーはモスバーガーより美味しいと思う。
12.ただし、それは立場上表明できない。

つまり、最初から情報がトリミングされているケースである。

どのケースでも、そこに「嘘」はない。しかし、結果として、事実は捻じ曲げられてしまう。「嘘」があっては困る。これは大前提だ。しかし、嘘がなければ何でも良いのかと言えば、それも違う。事実が正確に共有されていることこそが大事なのである。ところが、意図してか、意図せずにか、どちらにせよ、事実が捻じ曲げられている事例が山ほどあるのだから、世の中というのは非常に難しい。

少なくとも、僕の会社においては、なるべく隠し事がないように、なるべく正確な事実が全社員で共有できるようにしたいと思っている。そういう会社にとっては、たとえばSNSというのは非常に強力な武器になる。

重要なことは、「目の前にある事実はたった一つである」ということだ。  
Posted by buu2 at 02:31Comments(2)TrackBack(0)社長

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2009年05月29日

イータックスが駄目な理由がわかった

いや、毎年この時期と、源泉徴収のときに、e-Taxに文句言ってるんですけどね、明確にわかりました。で、どうすれば良いかもわかった。

でも、ただで教えるのは嫌なんだよなぁ。国税庁も、ベンチャー企業を育てると思って、僕にコンサルティングを頼まないかなぁ。年額1000万円ぐらいで良いんだけれど。あ、補正予算!  
Posted by buu2 at 13:22Comments(2)TrackBack(0)社長

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2009年05月21日

夢はウインタースポーツのレーザー・レーサー

先ほど、リリースを一本流しました。

会社のサイトを見てもらうのがいいかな。

新コンセプトのスキーワックス(補助剤)開発に着手

すでにかなりの人にテストしてもらって、良い結果を出してます(あくまでも定性的な評価だけど)。タイムテストも実施して、これまた良い結果を出してます。今後も条件検討とか、進めていかなくてはならないんですが、高価でなかなか気軽に使えなかったフッ素ワックスの利用状況を一変させられるんじゃないかと思っています。だって、量が少なくて済むし、長持ちするんだから。

要は、板にフッ素ワックスを定着させる接着剤みたいなもの。これまでは、フッ素ワックスを大量に板にふりかけて、それをコルクで押し付けて圧着させていたんだけど、これは科学の力で固着しちゃう。

夏の間にニュージーランドやヨーロッパでテストを継続し、次の冬には商品化したい。  
Posted by buu2 at 22:42Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年05月12日

常識の壊し方

舞台「パイパー」では、ものごとを点数評価することに対して疑問が投げかけられた。幸せ指数「パイパー値」を増大させることに一所懸命になる火星移民地球人たちの数百年にわたる歴史を一気に見せる、という非常に刺激的な舞台で、僕のように数値化至上主義の人間にとっては耳の痛い舞台でもあった。

しかし、それでも人間は数値化が好きだ。どういうときにそれが必要かと言えば、一つには、これからやろうとしていること(映画を観る、本を読む、ご飯を食べるなど)について情報的裏づけが欲しい場合。それから、すでにやったこと(同上)に関する自分の感想にその他大勢の裏づけが欲しい場合。

さて、僕の会社では映画、書籍、グルメといったジャンルを対象に、評価サイトを立ち上げることをずっと検討してきている。すでに大枠は決まっていて、社内のコンセンサスは取れている。あとはそれをどうやって具体的な形にしていくか、という段階なのだが、そこは小さい会社。コンセプトワークは簡単に済んでしまうのだけれど、それを形にするのにはどうしても時間がかかる。じゃぁ、どんなことが決まっているのかって、もちろんそれは今の段階ではオープンに出来ないのだけれど、僕は自己顕示欲が強い人間なので、ついつい情報を出してしまいたくなる。だから、役員の了解などは得ていないのだけれど、勝手にここでさわりだけ書いてみようと思う。

そもそものスタートは「ターゲットはどこなのか」ということだった。ターゲットは大きく分けて、「これからする人」と、「もうしちゃった人」である。レビューを書くのはもちろん「もうしちゃった人」なわけだけれど、でも、それって本当にそうなの?と考えたところが一つのスタート。

たとえば、である。山ほどあるレビューを読むことによって情報を仕入れ、実際には映画を観ずに、その映画のレビューを書くことは可能なんじゃないか、ということを考えてみた。そして、実際にそれを試してみたのである。

僕の映画のレビューはブログにアップされているが、同時にYahoo!映画にも掲載している。


魔人ブウ*の映画レビュー


基本的にはブログにアップしたものとほぼ同じ情報をほぼ同じ時間にアップしているし、情報が違っている場合はブログの方が濃い内容になっているから、僕のブログを読んでいる人ならこちらを読む必要はほぼないのだけれど、「魔人ブウ*の映画評にしか興味がない」という人ならこちらを読むのが手っ取り早い。何しろノイズが何もないのだから。さて、そんな僕の「映画レビュー倉庫」だが、もちろん僕が何の理由もなくてこんなところに自分のコンテンツを流出させるわけがない。なぜYahoo!に情報を提供しているかといえば、それはあくまでもビジネスの種をどう蒔くか、検討するためだ。ここにレビューを書くことによって得た情報は決して少なくないし、またいくつかの実験もやってみたのだが、その最大のものが、「映画を観ずにレビューを書いた」というものである。どの映画とは言わないが、本数は一本だけ。そして、もし不適切なレビューになっていたら申し訳がないので、レビューを書いた後にきちんとその映画を観て、その上で内容的に間違いがないかはチェックした。だから、本来はやってはいけない実験だけれど、後始末のことを考えて行動し、きちんとフォローもやったつもりである。もちろんこれから同様のことをやる必要はないし、やる予定もないので、そのあたりは大目に見てほしいところなのだが、問題はその実験の成果である。

Yahoo!映画はレビューに対して「参考になった」と参考票を投じることができる。僕の場合、現在の平均役立ち度は13.7になっている(皆さん、どんどん投票してください。って、投票が増えたところで僕のメリットはほとんど何もないのですが)。そして、他人のレビューのみを参考にして書いたレビューは、この平均値を大きく上回る参考票を得てしまった。

#まぁ、こう言ってはナンだけれど、今から読んでもそのレビューは良く書けている(笑)

つまり、レビューを読む人は、既存のレビューの総和と、その周辺にあるいくつかの情報をまとめたようなレビューで十分に満足できてしまうということだ。だから、映画のレビューは「すでに観た人」ではない僕でも書くことができて、しかも相当数の支持票を集めてしまったのである。

とすると、最初のターゲッティングで行った「ターゲットは大きく分けて、「これからする人」と、「もうしちゃった人」である」という分類そのものが意味がないことになる。別に、映画を観ていようが、観ていまいが、関係ないのだ。つまり、読み手はフィクションでもノンフィクションでも構わないということになる。「レビュー」とは事実の記録と、事実に対する感想である、というのが一般的コンセンサスだと思うのだが、ちょっとした実験によってその土台が崩れてしまった。

こうなると、話がとたんに面白くなる。僕は常識を常に疑ってかかる人間だが、常識と思っていたことが常識ではなかった瞬間を見つけることほど面白いことはないし、その視点からビジネスを考えることは非常に刺激的だ。

映画に限って言えば、レビューを読む人の視点は「観たか」「観ていないか」ではない。もちろん彼らの潜在意識の中には「当然観ているはず」という大前提があるのだが、その合意事項はそれほど重要ではないのだ。では、何が重要なのか。僕たちはそれを明らかにした。これが、今、僕たちが作ろうとしているレビューサイトの肝である。その肝は、映画でも、本でも、グルメでも、全てに共通する。

食べログはすっかり駄目サイトになってしまった。素晴らしい技術力に支えられた理想的なグルメサイトだったのに、なぜあっさりと駄目なサイトになってしまったのか。その答えも上の検討から明らかになった。

あぁ、早くきちんとした形でサービスを開始したい。お金と時間があればなぁ。うーーーーむ。

まぁ、いつになるかわからないし、もしかしたら永遠に日の目を見ないかもしれないけれど、とにかく頑張るので気長に期待していてください(笑)。  
Posted by buu2 at 10:24Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年04月13日

景気は回復しないほうが良い

政府の追加経済対策というものが発表されたようで。

<追加経済対策>政府が決定 過去最大規模でGDP2%上げ

この政策でGDPを2%引き上げたいという希望らしい。まぁ、希望を持つのは悪くないし、実際、ある程度の効果は期待できると思うのだけれど、ではそれがどの程度日本の経済回復に寄与するのか、となるとはなはだ不透明である。この記事では経済対策の中身についてもざっとサーベイしてくれているが、

【自動車・家電】
【住宅】
【雇用】
【子育て支援】
【企業の資金繰り支援】
【株価対策】

というところに絞られていて、ぱっと見ると「どうやってこの分野に決め打ちしたんだろうなぁ」という、この対策の成り立ち側の方にまず興味がいってしまう。たとえば経済産業省で予算についてどうしましょう、ということになると、まず最初にやることは各担当者レベルがそれぞれの問題意識を持ち寄って、「これが必要ですよ」というのを片っ端からあげていくこと。次に、それを各課でまとめて、省内での全体調整を図る。これによって「これが経済産業省のアイデア」というのをまとめ、たとえば「うちに1兆円ください」と、それを財務省に提出する。財務省は各省から出てきたそれぞれの案を俯瞰した上で、「経済産業省のお金は5000億円ぐらい」と返事をする。経済産業省はその数字を省内に持ち帰り、「1兆円って言ったけど、5000億円だってさ。じゃぁ、省内で調整しましょう」ということになって、最初の案から重要性の低いものを削除していく。この、「重要性の低いもの」をどうやって選んでいくか、このプロセスによって予算の内容は決まってきてしまうわけで、力関係的に自動車、家電、住宅、福祉あたりが優位にあったのか、ということなんだろう。これは別に省内の力関係がそのまま顕在化するというわけでもなく、たとえば先日の高速道路一律1000円みたいな話でもそうだと思うのだけれど、政治家の力というのも決して小さくないはず。

そういう、裏の力関係が色々あって「ここに決め打ち」ってなったんだろうから、僕たち一般国民としては「はい、そうですか」でおしまいなんだけれど、問題はその効果がきちんと見込めるかどうか、ということ。

いや、僕は先日の高速道路1000円もちゃんと効果はあると思っている。実際、3月末はそれほどでもなかったけれど、次の週とかは高速道路は凄く混雑していた。あぁ、みんな安いからって遠出しているんだなぁ、と感じた。僕とかはスキーの関係でほぼ毎週高速道路を使っているので、そのあたりは非常に良くわかる。が、である。その効果というのがどの程度景気に反映されるのか、特に、長期的な景気回復にどこまで寄与するのか、ということになると、かなり不透明だと思う。もっとわかりやすい例なら、定額給付金がある。僕はこれも景気刺激策としては、特に短期的な策としてはそれなりに効果があると思う。だから、こういう策は否定しないし、余力があるなら色々やれば良いと思う。が、である。では、それは長期的に効果がありますか、と問われれば、その継続性には非常に大きな疑問が残る。先日のF-1のカーズシステムみたいなもので、その一瞬は非常に効果があるんだけれど、継続的な効果は微妙だ。カーズシステムは毎周6.7秒ずつ使うことができるが、定額給付金は毎年ということにはなりにくい。スイッチ、オーン、までは良いけれど、すぐにまた元に戻ってしまうのでは話にならない。

では、なぜ「その場限りになってしまわないか」と危惧するのか。それは、日本の経済対策が本質的なところにタッチしていないからである。

今の日本の景気悪化は、一般的には「米国のサブプライム問題」が発端とされている。実際、そこを契機に物凄く悪化したのは間違いがない。では、「米国が風邪を引いたから、日本も風邪を引いた」という感じなのか、とういことなのだが、実際に症状だけを見ていると「米国が風邪を引いたら日本が肺炎になった」という印象がある。米国の風邪はなんだかんだ言ってそれなりに回復しそうな雰囲気というか、期待感があるのだけれど、日本の景気にはそういった期待感が全くない。じゃぁ、全然駄目なのかといえばそんなこともないのだが、ではその期待感はどこに起因するかといえば、「米国の景気が回復すれば」ということになる。この手の、根拠が希薄で、しかも他人頼みの「雰囲気」というのは、たとえば株価なんかを見ているとある程度皮膚感覚として認識できる。そういうわけで、今、日本の製造業の株価というのは徐々に上がってきつつある。そもそも「これは駄目だ」という雰囲気によって大きく下げてしまった部分があるので、「雰囲気に呑まれて下げすぎた」と反省したという見方もあるのだけれど、「米国だっていつまでも駄目じゃないでしょう」という期待感の総合体が雰囲気として形成され、株価が上がってきているような気がする。まぁ、それはそれで良い話なのだけれど、雰囲気には根拠がないので、何か困ったことがあるとあっという間に崩壊してしまう。つまり、今の景気回復感にはしっかりとした土台がないのである。土台がないところに持ってきてその場しのぎと言っては何だけれど、カーズみたいな景気刺激策しかやらないから、「運が良ければ景気回復」ということになって、「運が悪けりゃこのまんま」ということになってしまう。このブログに時々コメントしてくれるe-さんのミクシィの日記に一ヶ月ほど前、

なんだかんだ言っても、定額給付金も高速道路値下げも、景気対策にはなると思う。

ただ、社会全体が何も変わらないのに景気が良くなるとしたら、それはそれでどうかと思う。せっかくの良い機会なのだから、もっと色々構造改革してくれれば良いのに。


と書いたのだけれど、その考えはもちろん今も変わっていない。米国には「今は駄目だけど、米国だから数年できちんと回復する」という自律回復への期待感があって、日本にはそれがない。その理由は両者が立っている社会基盤そのものにある、というのが僕の考え方だ。

では、日本が抱えている社会基盤の問題点はどこにあるのか。それは自由競争社会ではないこと、株式投資に対する考え方、硬直した労働市場、ゆとり教育、閉鎖的国内市場などなどである。このブログでも労働市場問題などについては何度も言及してきているのだけれど、これらが改善されない限り、日本の本質的な経済回復は期待できない。そして、そこに焦点を当てたのが「構造改革」だったはずだ。小泉さんのやろうとしたことが全部正しいとは思わないのだけれど、大事なのは「小泉さんが正しかったかどうか」ではなく、「構造改革が正しかったかどうか」である。そして、僕は構造改革は正しかったと思うし、これからも進めて行く必要があると思っている。

昨年後半から、もしかしたら今現在も、「米国型資本主義経済は破綻した」という考え方が出てきたけれど、僕自身は最初から、そして今もその考え方には否定的なスタンスでいる。確かに間違った方向に進み、その結果、世界の経済に大きな影響を与えたのは間違いないのだけれど、それは米国型資本主義経済の考え方の中で十分に修正が可能だ。だからこそ、ほとんど全ての人が「米国の経済は必ず回復する」と考えているはずである。口では「破綻した」とか言っている人たちも、その一方で米国の経済基盤に対しては絶対的な信頼を寄せている。では、その根拠は何なのか、ということである。

米国が風邪を引いた。おかげで日本も風邪を引いた。米国はどうも治りそうだ。日本はなぜか治りそうな感じがないし、今も当の米国より重症に見える。

この事象だけを見てひとつ比喩を考えると、日本という国はHIVに感染しているような状態だと言える。普通の状態なら大きな病気にならない、あるいは症状が出ても回復するような病気なのに、なぜか大事になってしまう。そして、回復の予兆が見えない。今はそんな状態の中で、「おなかが痛いんですね。では、整腸剤を出しましょう」「頭痛がするんですね。では、頭痛薬を出しましょう」「熱が出ているんですか?解熱剤を出しましょう」といったことをやっているに過ぎない。もちろんそれらの薬はそれなりに役に立つはずだが、切れてしまえばそれまで。ずっとその薬を服用していればそれらの症状はある程度改善するだろうけれど、そのうち効き目が弱くなってくるかも知れないし、そもそも顕在化している不具合にしか効き目がない。気が付かないうちに重度の感染症になってしまい、取り返しがつかないことになっても不思議ではないのである。ではどうしたら良いかって、もちろん根本を治療する必要があるわけだ。ところが不思議なことに、世の中はなかなかそういう論調になってこない。最初にも書いたとおり、個別の経済対策が全く役に立たないとは思わない。また、それらの効果をきちんと検証していきましょう、という意見にも別に反対する気はない。しかし、どちらも本質的な問題解決にはつながらないと思う。せいぜい、「イマイチ効果がありませんでしたね」という結論を導くだけだ。あるいは、運良く米国の景気が回復し、運良く日本は大きな失政をせず、運良く日本の景気が回復し、結果として「あのときの追加経済対策は効果があった」という非常に運の悪い結末に至るのかも知れない。

ただ、本当に正直なところを言えば、これらの景気刺激策が本質的なものではないということに国民が気が付かないのであれば、景気は回復しないほうが良いと思う。  
Posted by buu2 at 09:17Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年04月08日

社員募集中、ただし、能力のある人だけ

社長をやっていると駄目な奴を目にする機会が物凄く増える。

たとえばうちの会社とか、入社にあたっては、「能力主義ですよ。能力のない人には凄く厳しい世界ですよ。それでも大丈夫ですか?」と物凄く念を押す。だって、本当に、能力のない人はついて来れないんだもの。それで辞めていく人が何人もいる。ぱっと指を折っても、ここ1年ぐらいで東大大学院2人、東工大大学院1人が逃げ出すようにして辞めていっている。まぁ、大学とかの看板は全く信用がならないけれど、日本人には看板を提示してあげたほうがわかりやすいようなので、参考までに書いてみるとこんな状態。

一度会社に入ってしまえば、こちらも時間を割いて、その人の活動を支援しなくちゃならない。入り口から出口まで全てをやれる人なんていないから、新しい人が入ってくれば、それにあわせてフォローする体制も作らなくちゃならない。そんなこんなで、物凄く時間と労働力を投入しなくちゃならない。お互い、無駄なことはしたくないわけで、入社の段階で「本当に大丈夫?」というところは物凄く慎重に質問することになる。ということで、今年になってからもすでに面接を3人ほどやっているのだけれど、3人ともあちらから「ちょっと無理っぽいので辞めておきます」と、お断りの連絡が来た。でも、それは非常に正しいこと。自分の能力をきちんと客観的に分析して、「これは無理だな」と判断しているのだから。

しかし、それでも、である。間違って入ってきちゃうんだよね(^^; おかげで、社内は大混乱する。ところが本人にはその自覚が全然ない。辞めるにあたって、「元木さんたちが優秀すぎてついていけませんでした」って、お前は馬鹿かと。一番最初に言ってるんだよ、うちの会社は厳しい、って。イマイチ能力のない人は公務員になるとか、あるいは大企業にでも行って、終身雇用の年功序列でのんびり人生を過ごせば良い。でも、うちの会社はそういう会社じゃない。

僕は色々なところで言っているけれど、ベンチャーというのは一番優秀な人間が来るところであって、能力のない人間には絶対につとまらない。そのあたりがどうにもこうにも、日本人には理解できないんだよなぁ、多分。

僕たちの会社はやる気のある人なら誰でも歓迎するんだけど、能力がないと非常に辛いのも間違いがない。途中でやめちゃうくらいなら、最初から来ないほうが良い。それはお互いにとって。だから、本当に自信のある人だけ、応募してきてください。ということで、新入社員は常時募集中です。色々なプロジェクトがどんどん進行しているので、人が足りなくて足りなくてどうしようもありません。

「大企業なんて馬鹿らしくて行ってられるか」という方がいたら是非どうぞ。  
Posted by buu2 at 21:14Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年04月01日

個人的新規事業

ライブログはウェブサイト構築・運営サポートがメイン業務なんだけれど、ここ一年ぐらいでやってきたこと、これからやろうとしていることを列挙すると、

ウェブサイト構築・運営
ポスドク就職支援
バイオベンチャー起業支援
バイオベンチャー支援
横浜地域SNS運営
埼玉県地域SNS運営
将棋SNS運営
ウィンタースポーツSNS運営
スキー関連グッズ販売
スキーワックス定着剤開発
映画評価サイト構築
携帯ゲーム開発
ブログコミュニケーションツール開発
ビジネスマン教育ツール開発
フードビジネス起業サポート
公益法人立ち上げサポート
社会人学校カリキュラム策定
各種コンサルティング
その他、いくつか

なんて感じになっていて、そのいくつかはすでにオープンになっているし、まだオープンになっていないものも順次オープンになっていくはず。あぁ、あのとき書いていたこれがあれかー、なんてことになるのだと思うのだけれど、ま、駄目そうなことからは撤退し、いけそうなところはどんどん攻めて行きたいところではあるのだけれど、これはあくまでも会社としてのアクティビティ。

個人的には、スキー、イラスト描き、ゲーム、サッカー観戦、野球観戦、映画鑑賞、演劇鑑賞、B級を中心とした食べ歩き、カーリング、読書あたりが主たるアクティビティなんだと思うのだけれど、今年は新しく何をやろうかな、と考えているところ。

一番最初にぱっと思いつくのが「割引制度」に関する書籍の執筆。普通に暮らしていればあらゆるところで目にする割引制度なんだけれど、それを系統立てて考察して、ふさわしい場面でふさわしく投入しているケースっていうのは稀。なんとなく、「これ、余っているから安くしちゃおう」とか、考えているケースがほとんどなんですね。でも、それじゃぁ、駄目。利益を最大化することを考えないと。ここで言う「利益」っていうのは、売る側と、買う側の両方。双方がハッピーではじめて成熟した商取引になる。そのための割引制度というのは、どう考えたら良いのか。このあたり、僕が持っている知識を総動員して一冊の本にしてみたい。もうひとつが、「四月馬鹿コンサルティング」。四月馬鹿って、最近はみんなこぞって「何かできないか」って考えているわけだけど、これがなかなか難しい。誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけず、でも気が付いたときには「えーーー、そうだったんだ!」と思わず膝を叩いてしまうような、気の利いた嘘。これがことのほか難しい。

たとえば僕の場合、去年はこんな嘘を書いたわけだけど、

グラデーションメッシュを勉強中 その5
グラデーションメッシュを勉強中 その6

これなんかは四月馬鹿の当日より前から、細工をしていたわけです。

グラデーションメッシュを勉強中 その4

いや、堀北の似顔絵は本当に僕が描いたイラストなんだけど、そのあとの山とクリスマスの夜景はただの写真。で、いかにもそれっぽいグラデーションメッシュの下絵を作っておいて、そのあと、「こんなになりました」って公開してみた。じゃぁ、これが本当にプラクティカルジョークなのか、誰にも迷惑をかけていないのか、ということになると正直微妙なところであって、たとえばこの嘘を見て、「そうか!イラストレーターを使うとこんな絵が描けるんだ!」と信じちゃった人がいたとしたら、それはそれで迷惑と言えなくもない(実際はイラストレーターでこの絵を描くことは、技術的にはできるはずですが(笑))。

それに比較すると、おととしのこちらなんかはかなり罪のないほうだけど、

「誤植学」単行本キタコレ!

それにしたって、「よーし、初版本を買っちゃうぞ。お小遣いためておくぞ」とか思っている良い子がいたとしたらやっぱり迷惑をかけちゃっているわけで、「誰にも迷惑をかけない」っていうのは非常に難しい。そんな中において、四月馬鹿のねたを提供したり、あるいはその嘘の迷惑度合いを判定してあげたり、さらには後日何か問題が生じてしまったときにその収拾について相談に乗ってあげる、みたいな。いや、まじでみんな頭を悩ませていると思うんですよ。でも、もう大丈夫。僕が色々相談に乗ります。もちろんただじゃないですけど(笑)。この業務はライブログの定款を見てみるとちょっと難しそうなので、個人として展開しようと思います。もし「今年の四月馬鹿はどうしよう!!」と考えちゃう人がいたら、まずはメール、お願いします。あるいはこのエントリーのコメント欄を使ってもらっても構いません。

肩書きは・・・・・・「四月馬鹿主席研究員」ぐらいで。あ、多分3月末になると忙しくなると思うので、相談はなるべく早めにお願いします。  
Posted by buu2 at 23:45Comments(6)TrackBack(0)日記

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2009年03月20日

仕様書を満たしています

先日、共同で事業を展開しているある会社と仕事の相談をしていて、気が付いたことがひとつ。

僕たちが複数の会社で共同で開発しつつあるウェブサービスの仕事の中で、その会社にはデザインを担当してもらうことになっていた。ところが、なかなか思ったようなものになってこない。デザインとしては何の問題もないのだけれど、それが機能的になってこないのだ。

色々やってみてわかったのは、その会社が見ているのはうちの会社の、もっと言えば、僕だということ。僕から色々なオーダーとか、商品の説明とかをしているので、確かに一義的には彼らが見る対象は僕にならざるを得ない。でも、僕が期待しているのは、僕の背後にいる、僕たちの会社の商品を使うお客様たちである。その、マーケットを見て動けない会社なんだな、ということに気が付いた。

その視点からちょっと考えてみると、会社と会社の関係のみならず、会社と従業員の関係というのも大きく分けて二通りに考えられるのだろう。わかりやすく会社と従業員に絞ってみると、それは、

従業員が会社のために働く会社
従業員が会社のお客様のために働く会社

の二つである。

#ひとつの会社の中でも、従業員の考え方次第で両方のスタンスがありうるし、職務内容によっても変わってくるとは思う。例えば事務系の職員は基本的に前者になるはずだ。

思い返してみると、僕のこれまでの職歴では、ほとんどが後者だった。そうなったのは、多分一番最初に入社した三菱総研が後者だったからなんだと思う。当時の三菱総研は小規模事業者の事業協同組合みたいな会社で、それぞれの従業員(ただし、研究職のみ)がそれぞれに顧客を抱え、三菱総研という看板を利用して仕事をしていた。当然、従業員達は顧客を見て、顧客の満足度を考え、働いていた。売り上げさえクリアしていれば、上司の顔色を見て働く必要がなかった。

次に働いた理化学研究所では、僕は事務方だったので、僕の仕事は主として前者だった。理化学研究所がうまくワークしていくために何をしたら良いか、を考えて働いたし、「誰のため」という部分では8割方、研究所の研究員達が良い環境で良い研究ができるように、というのがメインテーマだった。ただ、僕自身は広報をかなりの部分担当していたので、理化学研究所に興味を持ってもらえるように、あるいは理化学研究所の研究内容がみんなに少しでも理解されるように、というスタンスを持って働くケースもあった。この仕事をやっている時間は、後者の色彩が濃い働き方だったんだと思う。

理研のあと、僕は経済産業省に行ったのだけれど、ここでの仕事はほぼ100%、国民のため、というものだった。僕がいたのは「生物化学産業課」という部署だったので、ほぼ完全にバイオの領域だけを扱っていたのだけれど、少なくとも僕が動いた範囲では、仕事の色彩は後者だった。公務員が「国民のために働く」のだから、当たり前と言えば当たり前の話である。

その次のアドバンジェンという会社は、正直に言って、微妙な位置づけになると思う。僕はこの会社では社長として働いたので、当然のことながら僕の仕事は会社のためであり、株主のためだった。育毛剤の研究開発と事業化がメインのミッションだったので、「どうやって製品化するのか」がメインテーマで、当時僕が見ていたのはハゲに悩む人々ではなく、テストを繰り返すためのネズミ達だったと思う。ただ、社長に就任して一年経ったところで、株主のために動くべきか、従業員のために動くべきか、お客様のために動くべきかの決断を迫られ、僕はお客様のために動くという姿勢を打ち出し、そして株主の理解が得られず、会社を辞めた。このあたりの詳細についてはそのうち書けるときがくると思うけれど、まだその時機ではないと思う。一つだけ情報を提供しておくとしたら、僕が会社を辞めて数年後にこんなことが起きている、ということぐらいだろう。

アドバンジェン 薬用育毛ローションの回収の概要

ちなみにクラスIIIとはこの製品によってもたらされる健康被害が「その製品の使用等が、健康被害の原因となるとはまず考えられない」と分類されるものである。

そして、アドバンジェンをやめた後、今の会社を創業したのだけれど、ライブログで見ているのは100%お客様だし、あるいはライブログのお客様のその先にいるお客様たちである。これは、普通のメーカーなどでも一緒だと思う。凄く分かりやすいところでは、自動車の販売。トヨタや日産は自動車販売店に自動車を卸すんだろうけれど、そのときに考えることは、「販売店の皆さんが売りやすい自動車」であり、それはすなわち「お客様に喜んでいただける自動車」であるはずだ。

色々なところを見てきたけれど、やはりうちの会社はエンドユーザーの方々が喜ぶことをイメージして動きたいし、それができる人としかうまくやっていけないと思う。「仕様書を満たしています」というせりふが出てくる人たちとは難しい。すくなくとも、共同事業者としては。  
Posted by buu2 at 00:09Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年03月13日

イータックス、少しわかってきた(笑)

相変わらず使いにくいイータックス。何が悪いんだろうなー、と思ったのだけれど、今日わかったのは、マニュアルが駄目ってこと。もうちょっとなんとかしろよ、という感じ。

いや、最終的にはわかったんだけどね。わかるまでの道のりが遠くて、イライラする。死ね、とか思っちゃう。もっと、検索性の高い、初心者にわかりやすいマニュアルにしないと。

1000万円ぐらいくれれば作ってあげるけどね。

きっと、国税庁はもっと大金を払ってこの役に立たないマニュアルを作っていると思うけどね。

で、その受注先はどこだか知らないけれど、きっとでかい会社なのです(笑)。  
Posted by buu2 at 21:10Comments(0)TrackBack(0)社長

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2009年01月21日

ライブログで何をするのか(草稿)

最近、会社の理念や僕のスタンスを説明する機会が徐々に増えてきたので、ブログにも書いておくことにする。例によって「草稿」と書いてあるのは、あとで手を加える可能性がある、という程度の意味なので、ご理解のほどよろしく。


僕はかねてから「無期雇用社員(=正社員)の解雇規制を撤廃しないと日本の社会は変わらない」とブログで散々主張しているわけだが、そういう主張をどんなに繰り広げても無期雇用社員が山ほどいる日本ではいつまで経っても変わらないこともわかっている。それで、僕が何をしてきたかというと、自分の会社において解雇規制を個人的に撤廃したわけだ。こう書くのは正確ではないのだけれど、結果的にそういう状態になっている。

ところどころで書いていると思うけれど、僕が役員をやっている会社は基本的に能力主義(正確には「やる気主義」)で、給与のかなりの部分を成果報酬にしている。入社する人の希望によっては固定給部分を厚くすることも可能だし、いつのフェイズでもそういう給与体系に移ることを否定しないが、セーフティを確保する場合はリスクを背負わない分、給料を安くするというやり方にしている。有期雇用と無期雇用なら有期雇用の社員の給料が高くなるようにするし(ただし、実際は無期雇用しかいない)、能力給と固定給の割合で前者が高い社員は後者が高い社員より給料が高くなるように考えている。なぜって、それが理想だと思っているからだ。本当ならこれがオールジャパンで採用されるべきだと個人的には思うけれど、実際にはそうなることは難しいこともわかっているし、色々なバリエーションがある中で労働者が好きな形態を選べるというのが健全だから、他社がどうだって別に構わない。

何しろ成果主義というやり方だと、会社を辞めることになる可能性が高い。能力が低ければ食べていけなくなってしまうのだから。実際、僕は社員を強制的に解雇した経験は一度もないのだけれど、辞表を受け取った経験は何度もある(ただし、ライブログで辞表を受け取ったことはまだない)。能力の高い人にとっては居心地が良い世界だが、能力の低い人にとってはすこぶる居心地の悪い世界だ。だから、僕が首を切っているわけではないけれど、結果としてやっていけなくなってしまう人は発生してしまう。僕たちの会社では、過去にいくら稼いでいてもまったく評価しないし、年齢を功績に換算することもしないので、若い人に手厚く、高齢者に冷たいと考えることもできる。そうした方針で会社を経営してみたところ、実質的に解雇規制を撤廃したような状況になってしまったわけだ。

今の日本では、会社を首になった場合(あるいは辞めた場合)、次が見つからない可能性が少なからずあるので、能力不足によって会社を辞めなくてはならなくなる可能性があるという状況は、社員に対してかなりの負荷が発生するわけだが(社会全体が正社員を保護する現在の法体系を前提に出来上がっている中で、勝手に正社員を保護しないやり方で会社を運営しているわけだから、当たり前だ)、その分、給料では相当優遇していると思うし(会社の給与体系は年功序列、終身雇用を一切考慮しておらず、社長以下末端の社員まですべて同じ方法を適用して給与を決めている)、それが嫌なら最初から入社しないでくれ、と口を酸っぱくして説明している。

#もちろん、ここには書けない方法でいくつかのセーフティネットは考えているのだけれど。

ただ、誤解して欲しくないのは、僕たちの会社は「とにかくどろどろになるまで働け」という会社ではない、ということだ。どうしても、ということならそういう働き方をしてもらっても構わないのだけれど(もちろん、健康に悪影響が出ない範囲での話だが)、「適度な給料をもらって、自分の時間をきちんと確保して、人間らしい働き方をしたい」ということであればそれはそれで構わないというスタンスだということ。僕のブログを読んでいればわかると思うのだが、僕は映画を見たり、スポーツを見たり、演劇を見たり、スキーをしたり、こうやってブログを書いたり、本を読んだり、かなり好き勝手にやっている。それは自分の時間があるからだ。そして、現在は「ものすごい勢い」で働いていないから、実は給与の面では全然大したことがない。本当はこれは株主的には問題視されるべきところだし、僕自身ももうちょっと仕事ベースにしていかないととは思っている。特に最近は社員が増えてきて、社長としてもうちょっと社員が働きやすい環境を整備していかなくてはいけないな、と考えつつあるのだけれど、それはそれとして、今後も自分の時間はある程度確保していくつもりでいる。「自分の時間があってこそ自分の人生」だし、そうした時間があって、色々なものを吸収しているからこそ、幅広い視野からものごとを判断できていると思っている。

そして、そのスタンス、すなわち、個人の時間を大事にするべきだ、という考え方は、社員に対しても一緒である。モーレツ社員ばかりを求めているわけではなく、「これまで大企業で一所懸命働いてきて、その働き方に疑問がある」という人に対しても門戸は常に開いている。というか、むしろそちらを歓迎している。

ちなみに、上のほうで「やる気主義」という注釈を書いたが、これは「頑張る気があっても、不幸にして成果が上がらない場合」については配慮する、という意味だ。能力主義、成果主義ではあるけれど、ある程度の部分は努力もきちんと認める、ということ。ただ、たとえばライブログは資本金103万円、バイオクオリは資本金250万円の小さな会社だから、セーフティネットはそれほど大きくない。なるべく早い段階で自立してもらう必要は当然ある。

という感じで、完全能力主義、完全やる気主義、完全成果主義でやっているわけだが、これをやっているとどういうことになるのか、会社を運営して4年弱で随分見えてきた。

景気が悪い、雇用が厳しい、という状況にあっても、うちの会社のようなところは傍から見ると相当厳しく見えるのか、そもそも入社希望者というのはあまりいない。おかげで僕たちの会社は慢性的な人材不足である。うちの会社は年齢とか経歴とかも一切無視なので、入社試験(面接のみ)にあたっても履歴書などはまったく要求しないし、もちろん「博士は駄目」とか、そんなことも言わないのだけれど、まぁとにかく応募は少ない(笑)。でも、そんな中でも「厳しい環境で自分を試したい」とか、「自分の時間を確保しつつ、自分のやり方で働きたい」という人はちらほらいるわけで、人材がまったく供給されないわけでもない。それで、会社のメンバーはどうなっていくか、というと、残る人は残るけれど、残れない人は残れない、という当たり前の結果になる。個人攻撃をする気はさらさらないし、入社に当たってはこちらから勧誘した部分もあるので、あまり詳細には書かないが、社長のポストを任せていたにもかかわらず、突然「もう無理です」とか、「元木さんのやり方ではうまくいくと思えません」などと言い出して会社を去っていった人もいる。そのたびに「僕は人を見る目がないなぁ」と思うわけだが(個人の処理能力という意味ではなく、厳しい環境の中でも頑張っていける能力を見る目がない)、社長という立場からですら逃げ出していく人がいるのを目の当たりにして、「無理な人には無理なんだな」と再認識した。結果、今会社に残っている人は関連会社も含め、本当に能力の高い人ばかりだ。社会的にセーフティネットが用意されていないというマイナス要因の影響も非常に強いと思うのだが、そうしたバイアスもあって、完全な少数精鋭になってしまっている。

日本の大企業においては、無期雇用社員の解雇は法律と判例で事実上非常に厳しく規制されてしまっているが、僕の会社以外でも、ベンチャーや外資系企業などはかなり簡単に解雇している例があると思う。要は、社員と経営サイドの両者が合意していれば、かなりのところまで自由に解雇できると考えて良いはずだ。この「合意」の形成フェイズが非常に大事で、日本に存在する古い企業の多くでは、今となってはこれが不可能に近い状態だ。

たとえば池田信夫さんの雇用に対する考え方に対して僕は非常に共感するところがあるし(参考:正社員はなぜ保護されるのか)、それを実現していかないと日本の世界に対する競争力は低下する一方だとも思うのだけれど、日本社会自体が世界に対する競争力よりも自分の立場の維持を重視する以上、どうしようもない。僕は政治家ではないし、政治家気質でもないので、政治的手法によって世の中を変えていくことは多分できない(田舎の地方自治体を解雇規制撤廃特区にすることを目指す、なんていう手もあると思うし、実は某所でそれを提案したりもしているのだけれど、おそらくは実現しないだろう。夕張、赤平、歌志内あたりでこれをやったらどうかと真剣に考えるのだけれど)。発言に影響力もないので、実際に理想とする体制の会社を運営するぐらいしか手がないのである。上に長々と書いたことの要点は、「終身雇用と年功序列をセットで導入すると雇用が流動化しなくなる。年功給だけでも廃止すると実質的に終身雇用も不要になる」ということだが、給与はそのまま生活に直結するだけに、こちら側(年功給の廃止)に足を踏み出すにはそれなりの勇気が必要だろう。

僕たちと一緒にやっていくということは、ある意味、非常に厳しい立場におかれてしまうという現実はある。しかし、「自分の能力を試したい」「自分の好きな生き方をしたい」という人は存在するはずで、彼らに対してはこれからも場を提供していきたいと思っている。

上にも書いたけれど、うちの会社への応募は決して多くはない。たぶん、能力を試したい人、好きなように生きたい人というのは思いのほか多くはなく、ほとんどは日本の既存システムの枠組みの中で生きていくことを選択したいのだと思う。そのことはポスドク剰余問題などからも垣間見ることができる。

僕はこのブログでポスドク問題について言及していることもあり、仕事に困っているポスドク達に活躍の場を与えられたら、仕事を与えられたら、と思い、いくつかの提案を行ってきている。また、「いつでも相談に乗ります」という姿勢を明示していることもあって、時々「家族を抱え、仕事がなくて困っている」という相談者が連絡を取ってくる。彼らに対しては個別に相談に乗っているわけだが、僕は誰彼差別なく相談に乗るわけではない。僕も時間に限りがあるし、無駄なことに時間を割くほどお人よしでもない。なので、「本当にやる気がある人」以外は相手にしないことにしている。「じゃぁ、元木さんは「こいつはやる気がないな」と思ったら、門前払いなんですか?」ということになるのだけれど、実際はそもそもやる気がない人はほとんど門戸を叩いてこない。僕はあちらこちらに「やる気がない人は相手にしません」と明記しているので、自分の気持ちに自信がない人は最初から相談を持ちかけてきたりはしないようだ。

博士取得者などは日本の教育システムにおいてはハイエンドの教育を受けてきた種類の人間で、最も能力主義の評価システムにフィットしなくてはならない人種だと思う。彼らが年功序列、終身雇用の従来型評価システムにフィットしないのは当たり前なので、日本型の企業から嫌われ、そのレールに乗りにくいのもこれまた当然至極な話なのだけれど、その有能であるべき博士たち自身が年功序列、終身雇用を求めているのだから困ったものだ。プロ野球選手が「どこかの実業団でやらせて欲しい。野球ができなくなったら親会社で雇って欲しい」と言っているようなものである。

だから、僕はそういう考え方の選手の中から、本当に能力がある選手を見つけてきて、プロフェッショナルの考え方を提示し、そしてその資質にあった生き方を提言している。逆に言えば、能力がない選手や、プロフェッショナルの生き方に頭をシフトできない人にはどうしようもない。しかし、プロフェッショナルであることはそれほど難しいことではない。僕は6歳のときに父親を亡くし、母子家庭で育った。母親は仕事を持っていたので、僕は商店街の中で商店街の人々によって育てられた。そこには、八百屋、カメラ屋、文房具屋、床屋、町工場の社長といった人々がいたが、それらの人たち全員が僕の親であり、そしてプロフェッショナルたちだった。プロフェッショナルに求められるのは特別な才能ではない。「自分の力で生きていく」という覚悟。それだけである。ただ、今の日本では、この覚悟を持つこと自体が難しいのかもしれない。

上で逃げ出してしまった社長のことを書いたけれど、ある共通の知り合いからその元社長のその後を聞いてみたら、「彼は社長としてではなく、やはり従来型のシステムの中で生きていきたいんだと思うよ」という主旨のことを言われた。僕はこちらの世界で生きていける人材だと思っていたし、元社長自身も生きていけると思っていた節があるのだが、両者ともにその点を誤解していたということだろう。どちらか片方でもそのことに気がついていれば社長がすべてを放っぽりだして逃げ出すなどという事態には至らないと思うのだが、結果として非常に不幸なことになってしまい、以後、僕はさらに慎重になっている。誰もが生きていける世界ではないし、無理にそこに引き込めば当然不幸な結果になる。また、本人が自覚していないケースもあるのだから、いっそう慎重にならざるを得ない。

しかし、である。今は大きなチャンスでもある。自分で新しい世界を作っていけるかも知れないのだ。サイエンスにおいてはそういう時代はほとんどない。バイオで言えば、二重らせんが発見されてから、PCRが発明されるぐらいまでの間が最もエキサイティングな時代だったと思う。物理は良くわからないが、おそらくはアインシュタイン、シュレーディンガーあたりまでがそういう期間だったのではないか。そして、日本のビジネス界は、今がそういう時代の初期なのではないかと思う。日本という社会の終末期なのか、それとも新しく生まれ変わる最初なのか、どちらになるのかは自分たち次第。

まずは、そうした中で一緒に頑張っていける仲間を探していきたいと思っている。最近僕はブログで頻繁に人材募集に関する記事を書いている。それは、景気がどんどん悪くなってきているからだ。景気が悪ければ今まで取れなかった人も取りやすくなる。企業は簡単に固定費削減を考えて人材を放出するし、新卒の就職は難しくなる。当たり前だし、簡単なことだけれど、今の社会状態はうちみたいな会社にとっては千載一遇のチャンスなのだ。

余談だが、僕のブログを読んで「元木は新自由主義者だから時代遅れだ」と論じる人が時々いる。実際、僕の考え方は一般に新自由主義といわれる考え方を取り入れているところがあると思う。規制は緩和すべきだと思うし、政府が介入しないで済むところには介入すべきではないと思っている。また、ライブログの取締役に薦められて読んだフリードマンの「資本主義と自由」は名著だと思う。しかし、別に自分が新自由主義者だとは思っていない。僕は「資本主義と自由」が名著だと思うと同時に、「ムハマド・ユヌス自伝」も名著だと思っている。フリードマンとユヌスの考え方は全く違うという人がいるのだが、両者のコンセプトを同時に満たすような世界も当然存在すると思っている。ユヌスの考え方について、僕はまったく否定する部分がないし、彼が展開しているような活動を僕なりにやって行きたいと思っているのだが、特に素晴らしいと感じる点は「社会貢献に関心のある人は、NGOより事業活動に関心を持ってほしい」としているところだ。社会貢献と事業活動は両立するものだと思うし、資本主義社会に生きている限り、その構成員は可能な限り事業活動に参画すべきだと思う。

競争し、お金を稼ぐと同時に社会に貢献する。会社の仕事をしながら、自分の生活も大事にし、潤いのある人生を過ごす。そんな共通の目標を実現するための場としていきたいと思っている。

参考:ライブログの理念

ムハマド・ユヌス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)
  
Posted by buu2 at 17:40Comments(6)TrackBack(0)社長

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2009年01月10日

口コミ論(草稿)

僕自身こうしてブログをやっていて、ブログの中では時々お店や商品の紹介をやっている。自分でSNSを運用して、そこで口コミを集めることもある。また、近い将来、その延長線上にある評価システムを開発、発表する予定もあって、すでにプログラムを開発中でもある。このように自分で情報発信をして、自分で仕事として利用している一方で、こんなエントリーをあげていたりもする。

結局は個人に帰着するネット情報

↑(注意)古いエントリーなので、テクノラティの検索結果などは一部閲覧できなくなっています。

詳細に僕の発言を追っている人なら「お前の行動と発言は矛盾しているんじゃないか?」という意見も出てきそうである。僕の中では整合性はわりと取れているのだけれど、折角なので一度ここでまとめておこうかな、と思う。なぜなら、もう少し立つと僕のポジションは完全に「事業者」としてのものになって、これらの事象をより主観的に見るようになるからである。そのとき僕の意見がどう変わるかはわからないが、少しでも客観性が高いうちに考えておくほうがフェアなような気がする。正直なところ僕の中でも考えはまとまっていないので、以後の文章はかなり散文調になると思うのだけれど、その点ご容赦願いたい。何しろ今思っている考えを書いておいて、後々、これをベースにきちんとした「口コミ論」に仕上げてみたい。

そもそも、口コミというものが成立する背景には、「バイアスがかかった広告宣伝なんかよりも、自分が知っている、信用している人からの情報の方が信頼がおける」というものがある。口コミというのは「知人からの情報」というのが大前提で、知人からの情報だからこそ信頼できる、ということだったはずなのだけれど、インターネットの普及によって口コミの性質が変わってしまった。性質が変わったにも関わらず、その新しい「口コミ」を古い口コミと同じ言葉でくくっているために、それを使っている人間の感性がごまかされてしまっている気配がある。

端的に言ってしまえば、「どこの誰かもわからない人間がネット上で発信している情報などは古い定義における『口コミ』ではない」ということだ。

以前は口コミではなかったものがネットの普及によって口コミになってしまい、その性質が変わったにもかかわらずそれを称する言葉が相変わらず口コミであるために、今の口コミが古くから存在する口コミと同様に信頼がおけると勘違いしているわけだ。その流れを簡単にまとめると次のようになる。

1.口コミとは信頼のおける知人からの情報(→信頼度が高い)
2.ネットで個人が情報発信できるようになった
3.「個人が発信する情報」という点に着目して、これを広義の「口コミ」と定義した
4.口コミの性格は大きく変わり、結果として口コミの信頼性は低下した
5.口コミの質の変化に大衆は気づいておらず、引き続き信頼性は高いと勘違いしている

では、口コミは本当に役に立たないのかといえば、そんなことはない。「信頼のおける人物が発信している情報」だけを集めているのなら、それは間違いなく役に立つ。では、信頼がおける人間が発信する信頼のおける情報をどうやって集約するのか、ということになってくるわけだが、これを機械的に実施することはなかなか難しい。もちろんその解法が全くないわけではなく、実際に今ライブログで開発中のシステムはここにフォーカスしている。しかし、何しろ現時点ではまともに動いている評価システムがほとんどない、というのが実情である。個人的にはGoogleのPageRankなどは比較的うまくまわっているシステムだと思っているのだけれど、それにしてもSEOなどという商売が成り立ってしまう程度のものであって、完璧でもなければ完璧に近いわけでもない。

僕が上の文章で「機械的に」と書いたのはもちろん理由があって、実は「機械的」でなければ、かなりの程度まで口コミ情報を信頼性の高いものに変えていくことができる。簡単に思いつくのはブックマークの利用で、例えば僕が「このラーメン評価は参考になる」と思ったエントリーだけをどんどんブックマークしていくのであれば、僕という個人のフィルターを通した「魔人ブウ*によるラーメン評価エントリー集」ができあがるわけで、非機械的な手法によって優良(とは限らないが、魔人ブウ*の主観としては優良)情報の集約が可能になる。もちろん、僕はそんなことをやる気はさらさらないのだけれど、技術的には可能だし、もしある程度の熱意を以ってやるのであれば、それなりのアクセスも稼げるはずだ。

では、そういう口コミ情報を上手に利用してマーケティングに利用できるのだろうか。こちらに「クチコミマーケティング勉強会」なるもののブログがあるのだけれど、

口コミマーケティング勉強会

この「WOM勉強会の今後(転載)」という文章はなかなか面白い。僕などは「口コミマーケティング」なる名称を聞いただけで、「マーケティングに利用されている時点で口コミは口コミにあらず」などとすぐにはんこを押したくなるのだけれど、きちんと読んでみれば書いてあることはまっとうである。そして、その中で僕が一番注目したところは下記の部分。

ぱっと思うのは、ブログ+動画+イベント、みたいな組み合わせで、これからの企業コミュニケーションは作られていくのかなあと。
まだぼくも具体的なところまで詰め切れてないのですが、そういう活動を通じて本当に「ブランディング」をやっていかないといけないんじゃないかと思ってます。


我田引水だけれど、これこそ、今ライブログがあちらこちらの営業で喋っていることである。厳密に言えば、「ブログと画像とイベントを組み合わせましょう。将来的には画像は動画に変えていきましょう。そして、新しい形のブランディングをしましょう」ということで、動画ではないのだけれど、一方で動画の導入も検討中であり、基本的なところで大きく違っているわけではない。

こうしたブランディングの事例として僕が紹介してきているのは、横浜市の東戸塚にある「Blooom」という中古車屋さんである。この中古屋さんの最大の特色は扱っているのが日産のラシーンのみ、つまりラシーンの専門店であるということだ。

日産RASHEENラシーン専門店BLOOOMブルーム

このサイトは立ち上げからすでに数年経っているのだけれど、現在はGoogleで「ラシーン」と入れればWikipediaの次に表示されるまでになっている。「ラシーンのことならここに聞け」という状態が出来上がっていて、ネット内においては完全にブランディングに成功しているのである。このサイトのポイントは「車を買ったお客様の顔が見える」ということ。実際に買った人の、買った瞬間の顔が見えて、そして彼らの声が聞けるのである。また、ラシーンオーナーによるバーベキュー大会などのイベントも徐々に増やして行っている様子だ。車業界は今非常に厳しい環境にあるわけだが、こういう状況になってはじめて動き出してもなかなか効果はあげられない。長い時間をかけて、徐々に作ってきたコミュニティでなければ評価されないのである。もちろんBlooomも今は厳しい状況だとは思う。しかし、ブランディングで成功しているというアドバンテージは大きいはずで、傷は業界内では浅いはずだし、回復したときの立ち上がりも早いと確信している。当初はもっと口コミ色が前面に出ていたのだけれど、今は口コミも利用した一般サイトに成長し、さらに新しい展開を模索中である。この事例のような「企業と顧客のネットによるコミュニケーション」というのは、企業規模が大きくなるにしたがって困難になるわけだが、逆に小さな会社であればあるほどやりやすいし、効果も期待できる。

いつの間にか口コミに関する記述がブログを利用したブランディングへと変わってしまったのだけれど、上で紹介したBlooomのサイトの場合、中核になっているのがBlooom自体なので、厳密な意味では「バイアスのかかっていない情報」とは言いがたい。口コミ的性質を利用しつつブランディングしていった成功事例である。企業が主体となって口コミを利用していく形態としては、これが典型的なものになるだろう。

(注意:きちんと書いておきますが、Blooomを成功事例として紹介したのはもちろんライブログの顧客だからです。でも、成功してないのに成功と宣伝しているわけではありません。理想的な事例なので紹介しています。「うちの会社でもネットを使ったブランディングをしたい」という人は遠慮なくご連絡ください)

では、「純粋な」口コミマーケティングって何よ、ということになるのだけれど、やはり広告する側、特に代理店などが旗を振って「口コミを利用しましょう」となった時点でその性格は本来の意味での口コミカラーを失ってしまうわけで、消費者が期待する意味での口コミマーケティングなどというものが本当に存在するのかすら疑問に思ってしまうのである。

そんなことを思っていたら、「なぎのねどこ」さんが「もう、昨日の広告かも」というエントリーで

クチコミマーケティング業界の健全な発展を目指して、「WOMマーケティング協議会設立準備会」発足

なんていうのを紹介していて、これについては口コミマーケティング勉強会をやっていた河野さんも「WOMマーケティング協議会」というエントリーで紹介しているわけだが、

そもそも、広告代理店が注目するような口コミというのは消費者にとってそれほど魅力的ではないし、もし口コミをきちんとマーケに利用しようと思うのであれば、そこで着目される口コミは商業主義となるべく独立している必要があるわけで、結果として「マーケに主体的に利用できるような口コミは存在しない」ということになってしまう。しかし、そんな状況にあっても口コミマーケティングが注目され、存在価値を議論される理由は何なのか。

つまるところ、消費者の製品に対する要求レベルというのはそれほど高くなくて、最近は商品そのものに「情報」を付加することによって満足を得ている節が強いんじゃないかと想像するのである。それは僕の領域であるラーメンで言えば「有名なあの人が常連らしい」とか、「テレビで紹介されていた」とか、「評論家のだれそれが勧めている」みたいな情報なわけで、そういった付加情報を得る仕組みとして、最近認識されている意味での口コミというものの役割がクローズアップされているのではないかと思うのである。だから、それほど信頼性の高くない、あるいはバイアスがかかっている口コミであっても、消費者はそれなりに満足してしまう。だからこその口コミマーケティングではないか、ということである。現状はこの程度の背景で口コミマーケティングが成立しているというのは間違いないだろう。作為的にネットの中に雰囲気を作ってしまうと、その口コミが新しい口コミを生成し、やがて全体の雰囲気が構築される。さて、「←今ココ」という状態だが、ではこの状況が続くのかといえば、決してそんなことはないと思う。色々な口コミ情報の裏がわかってくるにつれて、「口コミ情報はあまり信頼できない」という合意が形成されてくるはずだ。

結局消費者の意識は「その情報は本当なのか」という点に集約されてくるのだが、「これを書いてくれたら1000円払いますよ」みたいなサービス(「結局は個人に帰着するネット情報」で紹介している奴です)によって人工的に生み出された情報が役に立たないのは自明であって、では、そうじゃない情報をどうやって情報過多の状況においてスクリーニングするのですか、ということになるはずである。

こうした混沌とした状況というのはもちろんネットだけではなく、非常にわかりやすい例を挙げれば僕が去年の年末にこれでもかというくらいに叩いたマクドナルドネタがあるわけで、

最近のマクドナルドネタはここのカテゴリの12月分あたりをどうぞ

なぜ僕が去年あのねたをあそこまで叩いたかといえば、それはあの手を使ったマクドナルドに嫌悪感を持ったからではなく、ああいう手を使ってでも広告宣伝費を取ろうとした代理店側に嫌悪感を持ったからである。本当に良いものをみんなに使ってもらいたいと思って、そのための手段として広告を行うのは非常に当たり前のことだし、むしろ必要なことだと思うのだけれど、クォーターパウンダーの場合、食べてみて全然美味しくない(ただし僕の主観ですよ)わけで、それをあの手この手で売ろうとするそのやり方、それも有名人を使うならともかく、全くニュートラルに見えてしまうような一般人を使うという手法に対して生理的に嫌悪感を持ったのである。行列というわかりやすい事象をあたかも自然発生的に生じたように見せた、という点がどうにも気に入らない。もちろんそういう手法はビジネスとしてありだと思うし、それに騙されてしまうほうも騙されてしまうほうなのだけれど、広告のプロがそういう手法を提案したというところがどうも納得がいかない。それで、この事例は天下のマクドナルドがやったから、あちらこちらで大々的に批判されることになったわけだけれど、現時点での「口コミマーケティング」といわれる領域の広告手法は実際のところこのマクドナルドの手法となんら変わるところがないわけで、そのあたり、皆さんはちゃんとご理解していらっしゃいますか?と聞いてみたいところである。しかし、何にしても、人の心は弱いものだから、目の前に餌があればついつい心を動かされてしまう。

僕とかはアルファどころかベータにもガンマにもならないような弱小ブロガーで、世の中に対する影響力などもないし、このブログで「この本が良いですよ」などと推薦してもアフィリエイト収入はたかが知れている。たいした利益も生じないので、馬鹿正直に「この本はつまらない」などと色々な本、映画、演劇、グルメ情報などについてネガティブ情報を交えて書き散らしているわけだけれど、もしポジティブな情報を書くことによってアフィリエイト収入がばーんと上がるというのなら、小市民である僕などは平気で「この本お勧め!」「この本、役に立つ!」などと書いてしまいそうである。そうした人の心の弱いところを利用しているところがどうにも嫌な感じなのだ。放っておいてもそちらに流れていきそうになる(小遣いが稼げる方向)ところを、さらに商業的に誘導していくところが気持ち悪い。そして、その結果、ネット内にはわんさとバイアスのかかった情報があふれているわけだ。口コミ情報の価値をあげるためには、どうやって恣意的バイアスを削除していくのか、という課題を避けて通れない。

またラーメンの話を例にしてみる。調布と代々木にある「たけちゃんにぼしラーメン」というお店のマスターが「にぼしブログ」というブログで評論家批判を展開していて、これがなかなか面白いのだけれど、

にぼしブログ

お店をやっている側からすれば無責任に評価する評論家などは話もしなくない一方で、もし高く評価してくれるなら仲良くしたいわけで、「どうやって利用したら良いんだろう」という、頭痛の種のはずである。このブログでは、そういう微妙な立場からの意見をストレートに書いている。このブログは口コミとの付き合い方の難しさ、あるいは自らを「普通の口コミとは一味違いますぜ」と一段上に位置づけた「評論家」との付き合い方の難しさを提示した例なのだけれど、たけちゃんのマスターの主張を2行で説明すれば、「評論家などといっても、基本的には何らかのバイアスがかかっている。そんな情報を鵜呑みにしていてどうする」というものである。

正直に書くけれど、僕がラーメン評論家をしていたとき、僕は一切ラーメン店から便宜を図ってもらったことはなかった。だから、僕が書いたラーメン評論は全てニュートラルである。その後のことを考えても、ごく一部のお店で「今日はチャーシューの切れ端が余っちゃったから、どうぞ」などとお土産をもらうことはあるものの、ほとんど全ての店で何の便宜も図ってもらっていない。当時一緒にやっていた石神氏、大崎氏、北島氏、大村氏あたりがどうだったのかは良くわからないけれど、コレクタータイプの石神氏、大崎氏あたりは別に何もなかったんじゃないかな、と思う。しかし、今はどうなんだろう、ということになるとこちらもかなり疑問がある。半年ほど前に日本ラーメン協会の記事を書いたけれど、

こうした活動に踏み込んでいくと、ラーメン評論をニュートラルに展開するのは限りなく困難だと思う。ただ、評論ではなく応援団という立場ならありなのかな、とも思う。つまり、スポーツにおける松岡修造氏みたいな感じである。松岡氏は別に全てのアスリートを取り上げて応援しているわけではない。バリューのありそうなところを選んで応援しているわけだ。その背後には色々な関係者が絡んでいるはずで、テレビの画面で見ることができるだけのお気楽極楽で済んでいる話ではないと予想する。この松岡氏のように、関わりのある仲の良いラーメン店を応援する、ということなら「なるほど」という気がしてくる。ところが、応援団という立ち位置ではなく、「(一見フェアに見える)評論家」としての立ち位置から商業的バイアスのかかった情報を発信していると、たけちゃんのマスターのように感じる人もでてきちゃうだろうな、と思うのである。それで、理想的なのはこうした状況を全部ウォッチしておくことなのだけれど、そんなのは現在の情報過剰時代には無理、ということになる。お金はないけれど情報だけはおぼれるほどある、というのが今の日本なのだ。以前石神氏原作の漫画で「ラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」という名言があったけれど、今はラーメンに限らず、多くの場面で消費者は情報を食っている。問題は、その食っている情報にさまざまなバイアスがかかっているということだ。

そもそものところとして、日本人は情報ソースとして新聞を過大評価している節があるのだけれど、もちろん新聞の立ち位置はニュートラルではない。たとえば先日、朝日新聞にムハマド・ユヌス氏へのインタビュー記事が掲載された。

彼については僕は下記のエントリーで言及しているのだけれど、

ブログでバイオ 第51回「オフ会に向けて

ユヌス氏というのは貧乏人にただただお金をばらまいて有名になった人ではない。彼のスタンスは誰も彼も助けるというものでもない。ところが、朝日新聞の記事を読んでいるとそんな印象を受けてしまう。別に朝日新聞が捏造しているわけではなく、そういう方向に、自分達が意図している方向に読者がミスリードされるような書き方をしているのである。朝日新聞が左よりなのは日本人なら誰でも知っていることなので、そういうバイアスがかかっていると思いながら読むのであれば記事としては問題ないのだけれど、ユヌス氏の活動がこれによって誤解されてしまうのであれば、それはユヌス氏にとって迷惑な話だし、彼の活動を支持している僕にとってもありがたい話ではない。大新聞であってもこの状況なのだから、個人のブログなどから思想的バイアスを削除することは至難の業であると言わざるを得ない。というか、そんなのは無理だ。

結局のところ、情報そのものの質を考えるならば、情報を発信している個人・組織のキャラクターをどう評価するのか、というフェイズが必要不可欠になる。日本の場合、そのキャラクター決定要因として主たるものが「有名人」だったり、「テレビ局」だったり、「新聞社」だったりするわけで、おかげで有名人ブログなどは情報的には全くたいしたものではないのに、アクセスを稼げたりする。しかし、いつまでもこうした状況が続く保証は何もない。

情報の質が変わりつつある中で、今はそれを取り巻く環境が混沌とした状態である。こうした中で明確な方向性を打ち出すのは困難だし、意味を成さないケースがほとんどだろう(折角打ち出しても、その基盤が軟弱だから、全部おじゃんになってしまう可能性が高い)。ただ、10年後に「あれが正しかった」と評価されるような方向性を現時点で打ち出すことに成功すれば、ほぼ間違いなく勝ち組となると思う。バイアスのかかりやすい、あるいは作為的にバイアスをかけやすい「個人が発信する情報」をどうやって「価値のある情報」に変換するのか。これから数年は非常にエキサイティングな時代になると思う。

うーーーーん、このネタだと本当なら本が一冊書けそうなくらいに言いたいことが山ほどあるのだけれど、それを思いつくままにだらだらと書いてきたらこんな散文になってしまった。とりあえずこの文章は草稿ということにしておいて、あとできちんと推敲しようと思う。  
Posted by buu2 at 13:26Comments(2)TrackBack(1)社長

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2009年01月07日

相談に対する返信(抜粋)

年末からネットを利用してある人の相談に乗っているのだけれど、こちらから書いていることは別に内々に話すことでもないので、一般化できる部分についてオープンにしておく。以下、自分が書いたメールから抜粋。ご参考まで。

#もちろん全文ではないですよ。個別具体的な部分も原文にはありますが、それらは全部削除してあります。


経営である以上「どうやって会社を運営していくのか」の部分が必要不可欠です。つまりは日銭を稼ぐ部分です。ベンチャーとして経営するなら日銭を稼ぐ部分と夢を語る部分の両輪が必要ですし、中小企業としてやっていくのなら日銭を稼ぐ部分が大部分となるわけですが、何しろ食べていかなくてはならないので、「どうやってコツコツと稼いで行くのか」が非常に重要になってきます。それと、会社の経営には「理念」が必要です。これは判断に迷ったときに立ち返る基本で、これがない会社は迷走して、危機に陥ったときにあっという間につぶれてしまいます。

会社の経営はギャンブルではありません。

中小企業の場合、まず重要なのは営業力です。きちんとしたビジネスプランがあった上で、求められてくるのがコレです。そして、大抵の起業家がつまずくのもコレです。ビジネスプランまでは極端な話誰でも作れるのですが、営業力は誰でもあるわけではありません。ここをクリアできるかどうかも考えてみてください。

僕は大手コンサル(三菱総研)出身ですが、コンサル会社の何が大変って、1に営業、2に人件費がかかるということです。また、2は、裏を返せば人件費でしか儲からないということです。もうちょっと噛み砕いて言うと、日本人で、人件費ベースで一番稼いでいるのがイチロー、松井です。ところが、こうやって能力と時間を切り売りしている人に対して、ものを大量生産して販売している人で、彼ら以上に儲けている人はたくさんいます。つまり、コンサルというのは爆発的に儲かるものではない、ということです。僕の場合、コンサル料は一時間2万円ですが、これで年間2000時間働いても、4000万円にしかなりません。わりと低いところに限界があるわけで、伸びしろの少ない商売と言えます。

ボランティア精神というのが日本では尊重されますが、それをやっていると責任の所在が不明確になりますし、また、「稼いで生活していく」という部分が見えてこなくなります。

起業に一番重要なのは「理念」です。これは何か迷ったときに立ち戻るべき基本になります。これがない会社はまず間違いなく失敗します。

「理念」は理想とか、夢に非常に近いものになってきます。ですから、ビジネスプランを考えるときは、まずここを考えるのが良いと思います。

「売れる」のと「良い」のは異なります。この点、ビジネスをやったことがない人はなかなか理解が出来ないのですが、良いものを出せば売れるというものではありません。そして、これをきちんと認識していないと、「良いものを作っているのになぜ売れないのだ」と行き詰ります。また、世の中というのはなかなか簡単には動きません。なので、「良いから売れるはず」とは考えないようにしてください。

食べていくためには稼がなくてはならないし、稼ぐということはキレイごとでは無理です。どちらかというと泥臭い作業ばかりになります。

ある程度考えがまとまったら、さっさと動いてしまっても良いかも知れません。思考実験だけしていても物事は進みませんから。ただ、闇雲に突っ込んで行ってもがけから落っこちるだけなので、計画は必要です。また、必要に応じて支援者、協力者も探しておく必要があります。
  
Posted by buu2 at 20:27Comments(0)TrackBack(0)社長

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2008年12月31日

[お知らせ]ライブログ・スキーからのお知らせ

ski
ライブログ・スキーは、今シーズンからサンアルピナ鹿島槍スキー場にリアルショップをオープンすることになりました。プレスリリースはこちら↓

サンアルピナ鹿島槍スキー場 スキー場に本格プロショップを今冬オープン!

ということで、スキー場で実際に履いてみて、気に入ったら買っちゃう、なんてことも可能になります。現地でテストできる板は、今のところフィッシャー、オガサカ、フォルクル(旧モデル)の3社。現地で購入するとお得なサービスも受けられます。

ちなみにネットショップはこちら↓

ライブログ・スキー

こちらで購入したお客様にはもれなくサンアルピナ鹿島槍スキー場の一日券をプレゼント。

また、これまでのラインナップは競技専門でしたが、新しく基礎モデルの取り扱いも開始しました。取り扱いメーカーの製品であれば、ショップ上に掲載されていない商品でも販売可能な場合がありますので、お気軽にご相談ください。

なお、ライブログ・スキーの最新情報はSkix SNSで発信していく予定です。Skix SNSはミクシィのOpenIDにも対応しておりますので、ミクシィの会員の方はワンクリックで入会可能です。

Skix SNS
Skix SNSのOpenID入り口
Skix SNS内ライブログ・スキーコミュニティ  
Posted by buu2 at 18:06Comments(2)TrackBack(0)社長

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2008年12月18日

派遣社員の敵は会社ではないのに

「正社員と同じ仕事してきた」派遣社員、契約打ち切り猛抗議

このブログでは散々書いてきているので、このブログの読者は言わなくてももちろんわかっていると思うけれど、派遣社員の敵は会社ではないのだよ。派遣社員の敵はもちろん正社員。

戦う相手を間違っている。

いや、もちろん正社員を叩けというのではない。正社員になることを主張しろというのでもない。過剰に守られている正社員という既得権者から権利を奪わない限り、変わらないということ。

「守られている奴らがうらやましいから、俺達も守ってくれ」って、これはナンセンス。共産主義じゃないんだから、全員が助けてもらえるわけがない。「俺だけ助けてくれ」というのもナンセンス。そもそも、守られていることが正しいんじゃない。守られていないことが正しい。守ってもらうことはそろそろ諦めて、不当に守られている人間を守られていない土俵に乗せなくちゃ。そのためには、正社員を守っている法律や判例を否定する必要がある。

生まれた時代によって正社員になりやすかったり、なりにくかったりして、その影響が一生続くなんておかしいと思わないのかなぁ。思わないんだろうなぁ、日本人は。ま別に良いんですが、うちの会社は有期雇用とか無期雇用みたいな考え方、全然ありません。そういう存在をスルーしてくれれば、別に構わない。

ということで、うちの会社は相変わらず新入社員募集中です。世の中は世の中、うちの会社はうちの会社。詳細はこちらをどうぞ。

新入社員募集  
Posted by buu2 at 13:20Comments(0)TrackBack(1)ニュース

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2008年12月01日

Skix-SNSがミクシィのOpenIDに対応

当社運用のウインタースポーツ専門SNS「Skix SNS」がmixiのOpenIDに対応しました。

mixi
mixi OpenID
Skix SNS
Skix SNSのOpenID入り口

これにより、mixiのIDをお持ちの方なら誰でも面倒な登録手続きなしでSkix SNSをご利用いただけます。

なお、OpenIDを利用して登録された方については、以下の機能がご利用できませんのでご注意ください。

・PCメールアドレス、パスワードの変更
・PCメールアドレスによる各種メール通知サービス

携帯アドレスにつきましては登録可能ですので、メール通知サービスは携帯アドレスをご利用ください。このほかの機能につきましては全て一般会員と同等のサービスを利用することができます。

なお、すでにSkix SNSをご利用中の方につきましては、ミクシィのOpenIDと現在のSkix SNSのIDとの紐付けはできません。  
Posted by buu2 at 03:06Comments(0)TrackBack(0)社長

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