2017年10月30日

ワシントンDCならそんなに悪くない「アメリカの嫌いなところ」

ちょっと古いんだけど、米国生活の悪いところを列挙した記事を見つけたので読んでみた。

勘弁してほしい〜!私が選ぶ「アメリカの嫌いなところ」TOP10はコレ!
http://daysintheusa.com/unfavorite_things_about_america/

ざっと読んでみて、米国ではなく、著者の住んでいるノースキャロライナ限定の内容が少なくないのでコメントしておく。

まず、記事で書いてある悪い点は次の10個。

1. いい加減すぎる郵便・宅急便事情
2. 医療費が高い!しかも意味不明!
3. 何かと劣るクオリティ & 仕様の違い
4. 残業ナシの裏事情とは…実はブラック!?なアメリカの労働環境
5. 生鮮食品・日本食材がなかなか手に入らない
6. どこに行くにも「車」が必須!広けりゃいいってわけじゃないぞ
7. 「歩行者」に優しくない交通ルール&マナー
8. 「電話」しまくる人々&待たされまくるアメリカのカスタマーサービス
9. 泣けてくる「100円ショップ」と「コンビニ」のレベルの低さ
10. クレジットヒストリーの恐ろしさと厄介なプロセス


順番にコメントしていく。まず、宅配便がいい加減なところはその通り。以前、ニューヨークから浮世絵を送ってもらったところ、中身だけが抜き取られていたことがある。当然お金は保障されたんだけど、欲しかった浮世絵は手に入らずじまい。

医療費が高いのもその通りなんだけれど、これは加入している保険によって随分変わってくる。僕が加入しているNIHの保険だと、どんな医療でも歯医者以外は一回あたり1000円で済む。この辺はどこで働いているかによるのだろう。医者はなかなか質が高いと思うのだが、受付などは病院によってはかなりいい加減。あと、歯医者だけは保険外なので高額。知人が神経を抜いたら1700ドルだったらしい。ウォシュレットは確かに見かけない。理由は不明。

製品仕様についてはものによるだろう。こちらで購入した製品で、日本に比べて明らかに質が低いと感じたものはほとんどない。掃除機も、小さいのを入手できた。なお、買ったのはamazon。

労働環境については会社によってそれぞれだと思うのでノーコメント。ただ、身の回りを見ている限りでは、それほど就業時間が長い感じではない。小売業や飲食業は知らないけど。

日本食材が入手困難ということは、ワシントンDC界隈では特にない。白菜や大根、かぼちゃ、大葉あたりはホールフーズやHマートで普通に売っているし、長ネギはリークという類似の野菜がある。青ネギは滅多に使わないけれど、やはり類似の野菜があった。水菜、カブは確かに見たことがないのだが、死ぬほど困るものではない。特筆すべきはセロリの美味しさ。日本のセロリはあまり好きじゃなかったけれど、こっちのセロリは野菜スープに入れても美味しいし、ローストビーフを作るときに利用したりする。山芋や長ネギも日本食材屋さんに行けば普通に売っている。薄切り肉は確かに店頭に並んでいないけれど、ホールフーズのお兄さんに頼めば薄切りにしてくれる。Hマートでは薄切りの切り落としも売っている。「都会だと入手しやすいのかも」と書いてあるけれど、その通り。

車社会というのも田舎ならではだろう。僕は自家用車を持っていないけれど、公共交通機関だけでどうにでもなる。地下鉄やバスで行けないところはUberで行けばいい。

歩行者に優しくない、というのはこの記事でもっとも僕の環境に該当しない点で、僕が住んでいるワシントンDC界隈では人間が一番えらい。横断歩道の数メートル手前にいても、車は止まっている。交差点で対角線へ渡りたいときなど、全部をわたり終えるまで待っていてくれる。これがニューヨークとなるとちょっと話は変わってくるようだが、少なくともワシントンDC周辺では、歩行していて恐怖を感じることはまずない。

電話が大好き、というのはその通りで、ヘッドセットをつけて歩きながら通話している人を良く見かける。カスタマーサービスにつながるまで待たされるのもその通りだけど、これは日本でも同じだよね。

コンビニや100円ショップの質の低さはその通りで、そもそもコンビニなんてほとんど存在しないけど、最低賃金が時給15ドルとか、18ドルだったらなかなか経営が成り立たないから、仕方ないよね。日本も最低賃金をアップしたら、コンビニは激減すると思う。じゃぁ、ちょっとした小物はどうするの?ということになるのだけれど、困った時はamazon頼み。amazon超便利。

クレジットカードって、作るの大変なの?僕はANAカードの米国バージョンをすぐに作ってもらえたけど。これはカードの利用状況にも寄るんだと思う。

移民ばかりの街なので、暮らしていて疎外感を感じることもないし、ニューヨークみたいなせわしなさもない。ゆったりしていて、自然が豊かで、リスや鹿がウロウロしている。ホワイトハウスまで30分で行けちゃうし、銃のオープンキャリーも許されてない。ワシントンDCは、僕にとっては本当にストレスフリーだよ。唯一、あちこちから人が来ているので、英語になまりが多くて、スーパーのレジの人とかが何言っているかわからないことが良くあるのがストレスかな。これは僕の能力の問題だけど。

(昼ご飯前に読み返してみて思い出した)あ、ごめん、もう一つあった。単位。パウンドとか、オンスとか、インチとか、華氏とか、これは超面倒。  

Posted by buu2 at 04:09Comments(0)ワシントンDC

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2017年10月23日

「日本の経済再建に必要なこと」〜2017年衆議院選挙の後で〜

経団連の会長がさっそくバカを晒している。曰く、

「国民の痛みを伴う思い切った改革は、安定的な政権基盤がないとできない。消費税は増税しないと財政を再建できないので、勇気を持ってやって頂きたい」

出典:経団連会長「痛み伴う改革を」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171023/k10011194661000.html

だそうだ。こういうバカは、世の中が自分たちのような裕福な人間だけで構成されていると勘違いしているのだろう。此の期に及んで、「国民」全般に痛みを強要する感覚が理解不能である。ワシントンDCに住んで1年半。見えてくるのは日本人の貧乏さばかりである。その原因は単純ではないが、少なくともアベノミクスの推進では解決しないし、国民に痛みを強いても、そのやり方が間違っていれば弱者から脱落していく。

僕は理系の人間で、ライフサイエンスの国家予算に深く関わっていたので、ときどきこのブログでノーベル賞受賞者を含め、理系研究者の研究費乞食っぷりを批判しているのだが、その批判を1行でまとめれば、「金のない親方に金をくれといっても無駄なので、親方に金を稼ぐように言え」ということだ。お金のない親方に向かって、ただただ金をくれと言い続けても、誰も幸せにはならない。その程度のことすらわからない研究者が、日本には山ほどいる。ここで「金を稼ぐ」といったけれど、国が稼ぐ方法は、「税額を増やせ、ただし、税率をあげるのではなく、収入を増やせ」ということである。税率を上げたり、費目を増やしたりするのは簡単だが、それは本質ではない。

理系の思考法のひとつに、ものすごく極端な状態をイメージして、そのスモール・スケールの影響を推測するというものがある。たとえば消費税率を10%ではなく、300%にしたらどうなるか。単純計算で物価は4倍になる。今まで150円で買えたものが、600円になる。これでは生活は立ち行かない。立ち行かなければ、消費を抑える。日本中の非富裕層が消費を控えれば、景気は冷え込む。景気が冷え込めば、税率をあげても税収は減る。税率をいじるのは簡単だが、税率をいじることによって税収を増やすのはとても難しい。

では、税収を増やすにはどうしたら良いのか。そのためには、確かに大きな改革が必要だ。痛みも伴うだろう。ただ、その痛みを国民に一様に求めるのは間違っていると思う。日本人は公平が大好きだが、全てにおいて公平を求める必要はない。例外もある。

つい先日、浜崎あゆみが、公演が台風で中止になった際にとても良いファン対応をしたという記事があったのだが、

神戸公演中止の浜崎あゆみ“神対応”グッズ売り場に姿現し“ファンサービス”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171022-00000147-spnannex-ent

この記事の中で公平大好きな日本人の一端が垣間見える。それは

「(9月16日に台風18号の影響のため公演中止になった)徳島と対応が違う」


という、浜崎あゆみの対応に対する批判である。確かに、公平、不公平という視点では、神戸ばかりずるい、ということになるのかもしれない。しかし、浜崎あゆみは、その場面で最善の努力をしたに過ぎず、徳島のファンを軽視したからではないだろう。じゃぁ、徳島ではできなかったので、神戸でもやらない方が良かったのか、ということになる。

かように、平等であること、公平であることが常に正しいわけではない。でも、日本人はときどき、平等、公平にこだわって、みんなで不幸になって喜ぶことがある。みんなで同じように幸福になれないのなら、部分的にでも幸福になってもらった方が良いのではないだろうか。

さて、僕が過去数年にわたってこのブログで言い続けているのは、「最大にして、唯一の税収増額策は、労働力の流動化である。これなしに、日本の経済の再生はありえない」ということだ。その思いは、米国社会を目の前で見ることによって、一層確固たる確信になっている。

では、労働力の流動化には何が必要か。解雇規制の緩和は絶対に必要だ。しかし、ここでも、すべての労働者に解雇規制の緩和を適用することについては慎重であるべきだ。そこで登場するのが、かねてから書いているジョブ職とキャリア職の分離である。詳細はこちらを読んでもらうとして、

参考:ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度
http://buu.blog.jp/archives/51550477.html

内容をまとめてしまうと、「仕事には、時間で労働力を切り売りするジョブ職と、自身のスキルアップにつながるキャリア職があるので、それを分離する必要がある」ということだ。ここを分離しないでいると、労働者の「保護」に、本来は必要のないキャリア職の人間までが保護されてしまい、結果的にキャリア職が待遇も、保護も得て、一人勝ちする。

これまたちょっと日本人を象徴しているな、と感じたのが先日のほりえもんの炎上ネタである。

ホリエモン「保育士の給与が低いのは誰にでもできる仕事だから」発言で物議 「保育士馬鹿にしてる」「言っていることは正しい」
http://blogos.com/article/252701/

堀江貴文氏は「保育士は誰でもできる仕事だから給与が低い」と述べて、炎上した。しかし、ほりえもんが書いていることは基本的に正しい。育児などというものは、本来、親がやることで、ほぼすべての親がやってやれないことではない。つまり、潜在能力的には「誰でもできる」ことなのだ。この点について、「じゃぁ、やってみろ」とか、「資格が必要」とか言うのは、堀江氏が言う通り、論点がずれている。

土木作業員は体力が必要だし、タクシーの運転手は運転技術が必要だし、コンビニのレジ打ちは就業中ずっと立ち続けである。体力がなかったり、運転免許がなかったり、脚が不自由だったりと、例外はあるだろう。でも、こういった仕事は誰でもできる仕事と言って差し支えない。そして、これこそがジョブ職なのである。ジョブ職がダメ、ということではない。誰かがやらなくてはならない仕事である。そして、みんながやりたくないといえば、社会は回らなくなる。だからこそ、ジョブ職の人たちは、いろいろな点で守られる必要がある。それは、簡単な例で言えば「安易に解雇されない」とか、「給与面で優遇される」とか、「残業0」といったことである。日本はジョブとキャリアを分離していないので、主にキャリアが、この保護の対象となっている。本来守る必要のない人たちを守っていては、キャリアとジョブの格差は一向に縮まらない。

「ハイリスク、ハイリターン」と「ローリスク、ローリターン」が普通なのに、日本ではキャリアたちがローリスク(安定)、ハイリターン(高収入)の立場にいる。そして、キャリアたちはほとんど声を上げない。なぜなら、ジョブの人たちが自分の代わりに大声で叫んでくれるからだ。その上で、ジョブ職に従事している人たちに、「あなたたちも努力していればこちら側にくることができますよ」とちらつかせる。この、ほとんど存在しない希望をちらつかせる技術が、日本ではすごく発達している。

でも、考えてみてほしい。コンビニのレジ打ちがどんなに上手でも、職位が上がる可能性などないのだ。先日、「月曜から夜更かし」で抜群に速いパン屋のレジ打ちのお姉さんが取り上げられていたけれど、彼女も、「なんの役にも立たない」と言っていたのではないか。

では、ジョブの人たちはどうやって待遇改善を目指したらいいのか。定時に帰って、自分で勉強するしかない。そのための残業0なのだ。

#もちろん、ステップアップの必要がなければ、空いた時間を自分なりに好きなように使っても良い。

まとめると、

(1)日本は多額の借金を抱えている。それを少しでも改善するためには、税収を増やす必要がある。
(2)そのためには、税率のアップではなく、経済の活性化が不可欠である。
(3)経済の活性化はアベノミクスでは不可能。必要なのは労働力の流動化。
(4)流動化にあたっては、キャリアとジョブの分離が必要。
(5)キャリアは規制を緩和し、ジョブは待遇改善を進める。

ということになる。

堀江氏の炎上を見ていると、ジョブ職の人たちから、自分たちの仕事をキャリア職として扱って欲しいという希望というか、プライドのようなものを感じるのだが、その感覚こそが、キャリアたちに洗脳された間違った認識だと思う。ジョブはどこまでいってもジョブだ。そして、だからこそ、保護される必要がある。ジョブ職の人たちは、まず自分たちの仕事がジョブであると認める必要がある。

この主張は、今の日本では、右にも左にも理解されない。何人かの政治家や政党にも提示してみたのだが、理解できないのか、興味がないのか、まともな反応をする人間が一人もいない。それはつまり、日本人のほとんどが興味がないということだろう。日本の経済が停滞したままで、世界の中で徐々に存在感を失いつつあるのも道理である。

ところで最後に一点追記しておきたいのだが、ジョブ職の待遇改善には最低賃金のアップというものが必ず含まれる。今でも、「米国に倣って、最低賃金1500円とか、1800円」という数字を耳にする。僕は最低賃金のアップについては特に反論はないのだが、1つ多くの日本人が気付いていないことがあるので、ここで書いておく。最低賃金が上がるなら、それはすべてのジョブ職に当てはめられる。結果として、人件費は大きく上昇するので、ジョブの雇用は激減する。そして、ジョブ職が関係する商品、サービスの価格も上昇する。おそらく、24時間営業のコンビニは次々と営業時間を短縮するだろうし、ファストフードの価格は大幅に上昇するだろう。米国で言えば、コンビニはあまりないし、24時間営業もまれ、ビッグマックは550−600円、ラーメンは一杯1800円程度である。また、保育費用はこども一人当たり月額20万円程度になる。学校の課外授業は全部有料で、夏休みには金持ちの子供はリゾートの林間学校へ、貧乏人の子供は自宅近くでサッカーやバスケをやっている。低所得者たちは、夜は家で家族との時間を楽しみ、食事は自宅で自炊して、子供は自分で育てるのだ。自分一人の給与がアップするならそれは幸せなことだが、社会全体となると、その社会サービスから最初にこぼれ落ちるのは多分低所得者たちである。この点については、最低賃金の大幅アップを主張している人たちはきちんと覚えておく必要がある。どうも、自分の給料だけ高くなるという幻想を抱いている感じがするんだけど、もちろんそんなことはない。そして、誰でもできることは、低所得者は自分でやることになる。食事を作るとか、育児をするとか。

#僕は、コンビニがなくても全然平気だし、家で家族との時間を楽しむ生活も良いと思うけどね。

##何はともあれ、僕は安倍晋三が嫌いで日本を脱出した。今回の選挙を受けて、これでまた当分、日本へ戻ることはなくなった。一時的に遊びに行くことはあるけれど。  
Posted by buu2 at 11:57Comments(0)日記

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2017年07月23日

ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度

先日、「ジョブなのか、キャリアなのか、それが問題だ」というエントリーの中で、ジョブとキャリアを明確に分けないから、日本人はホワイトカラー・イグゼンプションを理解できないと書いたのだが、ちょうど今日、こんな記事を見かけた。

<労働時間実態調査>時間減らしたくても仕事が終わらず
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170722-00000086-mai-soci

これは、ジョブとキャリアを分けて考えていないから出てくるひどい考え方の典型である。日本で言われている「高度プロフェッショナル」(高プロ)というのは、キャリア職の中で、さらに自分の裁量で業務量を調節できる立場の人間である。そして、その高プロ制度の導入に対して、ジョブ職の人間たちが反対を唱えているのである。おかげで、高プロの待遇も、その他のキャリアの待遇も、もちろんジョブの待遇も、ほとんど変わらない。

終身雇用と年功序列ゆえ、日本ではジョブ職として入社して、ジョブ職を続けていても、給料はアップしていく。しかも、クビにもならない。コピーを取り続けるしかできない人材でも、定年まで働き続け、勤続年数に応じて高い給料をもらうことが可能だ。実際にはこんなことを全員がやっていては会社は倒産してしまうので、多くのジョブ人材は、徐々にキャリアカラーの濃い仕事を担当するようになっていく。そのためには長い残業が必要だったり、社内研修が必要になったりする。

日本ではキャリア人材とジョブ人材を十把一絡げにして扱う。終身雇用と年功序列の中で、少しずつその配分が変わっていくようなキャリア・パスを用意する。仕事の性格(ジョブなのか、キャリアなのか)と、それを担当する人間の権利をそれぞれに分けて考えないから、日本の労働環境は全く改善されない。

それでもなお、日本でキャリアとジョブをわけて考えないのはなぜか。それはおそらく労働者サイドの事情による。「あなたは、ジョブを続けている限り、収入は増えません」とされてしまっては、困るのは労働者だ。終身雇用と年功序列は会社にとってよりもむしろ労働者にメリットが大きい。能力が低くても、勤勉な姿勢であればそこそこの人生を送れることは、農耕民族として一億総中流社会を構築してきた日本人にはとても都合が良かったのである。日本が、国内だけで完結していられるならこれでも良かった。しかし、今の世界は鎖国が可能な状態ではない。そうして、年功序列と終身雇用、換言すればキャリアとジョブの明確な分離をしないことによって、さまざまな部分で軋轢を生みつつある。

その最大のものが、同一労働同一賃金が実現しないことだ。ここまで書いてきて初めてこの言葉が登場したのだが、今の日本が絶対に実現しなくてはならないのが、この同一労働同一賃金である。

しかし、同一労働同一賃金は、単独で実現できることではない。終身雇用の解消も、年功序列の解消も、キャリアとジョブの明確な分離も、労働力の流動化も、全てが協調して作用しなくては実現しない。これは非常に簡単な話で、たとえば同一労働同一賃金の会社では、コピーしか取ることのできない社員は、賃金がアップする理由がない。これは、同一労働同一賃金と年功序列が共存し得ないことを意味する。安倍晋三は政府の方針として同一労働同一賃金の実現を単独で掲げているようだが、これは彼が馬鹿であることの証左である。彼は、ことの困難さをさっぱり理解していない。特に、この問題を正規、非正規の問題に落としているところが馬鹿である。(正規、非正規という言葉も法律的にはかなり疑問がある表現で、無期雇用、有期雇用で考えるべきだが)両者は第一にでてくるのではなく、キャリアとジョブの権利を考えるフェイズで登場するべきである。

ここで話を戻すが、日本社会の労働環境は、多岐にわたり、かつ複雑に相関している問題を抱えている。この中でもっとも簡単に実現できそうなのが、ジョブとキャリアの分離である。これは、実は労働者にとってもメリットが大きいし、単独でも考えやすい。

まず、ジョブとキャリアを分離しないことの問題点をはっきりさせておきたいのだが、それは、労働者が、両者を一体化して、その権利を主張してしまうことに尽きる。キャリア人材とジョブ人材は置かれている立場が全く異なるので、求めるものも異なってくるはずだ。ところが、ジョブ人材が求めている権利を、キャリア人材までが享受してしまうから、おかしなことになってくる。

たとえば、ジョブ人材はそのままでは自身のスキルがアップしないので、給料は据え置きになる。その給与で一生を終える可能性もあるので、給与水準は一定の高さが要求されるし、雇用もなるべくたくさん確保される必要がある。つまり、最低賃金のアップや、雇用の維持が、もっとも大切になってくる。場合によってはキャリアアップにつながる勉強も必要になってくるが、それは業務外の時間を当てなくてはならないから、残業もほぼない状態にすべきだ。そもそも、ジョブ職は自身の時間を提供する職なので、残業は時間の不当な搾取となる。かように、ジョブ職は就業環境面で十分に配慮される必要がある。また、仕事の安定性も重要なので、無期雇用についても検討される必要がある。ジョブ職の人間が勉強して他の仕事にキャリア・アップすると、自主的に退職することになるから、ジョブ職に長い雇用期間が割り当てられたとしても、労働市場の硬直化にストレートにつながるわけではない。米国では最低賃金が15〜18ドル(約1650〜2000円程度)と、日本の倍程度だが、それでも労働力が流動的なのは、こういった事情がある。

一方で、キャリア職は、仕事を通じて自身のスキルがアップするので、スキルが低いうちは給料が低くて当たり前だ。勉強する時間もジョブ職ほど必要とされないので、残業があっても大きな問題とはならない。それ以前に、多くの場合、キャリア職は時間で仕事をしないので、時間給という考え方が適用困難で、能力給となる。ただし、初期のキャリア職は、自分の裁量で仕事を調節できることは稀なので、冒頭で紹介した高プロにはほとんどの場合で該当しない。初期のキャリア人材については、残業量などについてきちんと守られる必要はあるだろう。このように、高プロについては、その中で別途いくつかの詳しい条件設定が必要になってくるはずだ。

ともあれ、キャリアとジョブを分割してしまえば、キャリアの待遇を規定する「高度プロフェッショナル制度」について、ジョブ人材が口を出してくることはなくなるだろう。ジョブ人材は、高プロなどよりも最低賃金のアップに向けて権利主張した方が、ずっと生産的だ。

現在は、ジョブ職の人間が賃金アップや雇用の安定といった権利を主張し、その成果をキャリアまでもが享受している。結局、一番得をしているのがキャリア職なのだ。こうした背景から、日本では良い大学に行って、良い会社に入ることが最大のステータスとなっている。そして、そういう立場の人間が、職業の安定と、高賃金という、二兎を得ているのである。社会はハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンとなるべきところ、日本社会はローリスクハイリターンのキャリア職と、ハイリスク・ローリターンのジョブ職に分離している。これがいわゆる「格差拡大」や「格差の固定化」の実態である。

実数的にはおそらくキャリア職の方がジョブ職より少ないので、普通の民主主義なら、人数が多いジョブ職が自身の権利を主張し、社会が変わっていくはずだ。ところが、日本社会はそうならない。どういうカラクリがあるのか。狡猾なキャリアたちは、「頑張れば、あなたたちも勝ち組になれるかもしれませんよ」と、ジョブ人材に対してキャリア職の待遇というニンジンをちらつかせるのである。すなわち、「非正規社員の正規化」である。こうした、勝ち組が負け組に対してニンジンを見せるやり方は、ポスドクが大量に余った時にも顕在化した。

しかし、ジョブ人材は、仕事内容が変化しないなら、スキルアップが難しい。単に有期雇用を無期雇用に変更しただけなら、よっぽどのことがない限り、描いた将来像はどこかで破綻する。今、高プロのような制度が社会から要請されていることからも、それは明らかだ。

#なお、高プロ制度とは、突き詰めれば「あなたの仕事は時間ではなく内容で評価するので、良い成果を出せるよう、自己の裁量で好き勝手にやってください。そのかわり、成果が出なければクビですよ」ということであるべきだ。

ここまで、高プロ制度とジョブ・キャリアの分離について、その関係について書いてきた。かなり長くなってしまったが、要すれば、「高プロ制度はキャリア人材のための制度なので、ジョブ人材が口出ししても何も良いことがない。まず、キャリアとジョブを明確に分割し、それぞれに必要な権利を主張しろ」ということである。この二つを分割して考えないということは、ラーメン屋と寿司屋で同じように経営を考えるような無理がある。やってできないことはないが、手間がかかるし、100点の回答も得られない。そして、この分割ができないなら、つまり、労働者の意識改革と、それに派生する労働市場の流動化を実現できないなら、日本はいつまで経っても再浮上のきっかけをつかめないだろう。これは、僕が当初からアベノミクスに対して否定的な理由である。  
Posted by buu2 at 13:58Comments(0)ニュース

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2016年10月09日

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか

電通の若手社員が過労による自殺をした件を端緒に、日本の労働環境について考えてみる。

巷には「100時間で過労死なんて情けない」という考え方もあるようだが、これは実際に過労死している現実を踏まえているとしたら、不適切な意見だろう。残業耐性には個人差があって、できる奴もいればできない奴もいる。できる奴が自分の意思で残業するのは勝手だが、そのルールを他人にも押し付けるのは迷惑な話である。僕も残業という概念でくくるなら月間200時間ぐらいの残業をしたことがあるし、知人の中には二カ月連続で400時間の残業をやった奴もいるが(参考「人はどれだけ残業できるのか」http://buu.blog.jp/archives/51435509.html)、だからといって誰でもそんな状態で耐えられるとは思っていない。嫌なのに強制されるなら、違法なものは違法であって、根性論でどうにかなるものではない。その辺は、裁判の結果を見れば明らかである。

しかし、「過労で自殺」みたいな話があるたびにすぐに飛びついて「残業規制を強化すべし!」と怒鳴り散らす社会主義者たちも迷惑である。闇雲に規制強化に走れば、ただでさえ低下している日本の競争力がさらに低下するだろう。今の日本がなんとか踏みとどまっていられるのは、少数の精鋭たちが死ぬほど働いているからでもある。たとえばサッカーの本田選手が不調に陥って、普段の倍練習したとして、「その練習は違法なのですぐにやめるように」と本田選手に主張する人がいるだろうか。宇多田ヒカルが働きすぎとか、園子温監督が働きすぎとか、羽生名人や渡辺竜王が将棋を指しすぎとか、浦沢直樹や他の超売れっ子の漫画家が描きすぎとか、超売れっ子の俳優が働きすぎとか、そういう文脈で労働時間の違法性が論じられたことを、これまで僕は寡聞にして知らない。真のプロが、自分の意思と裁量で働く限り、他者が口を出すべき話ではないと思う。

全員働け、も暴論なら、全員働くな、も暴論なのだ。農耕民族としての団体行動思考が染み付いている多くの日本人には理解できないかもしれないが、先に書いたエントリーで述べた「研究は個人的なもの」というのと同様に、労働も個人的なものであるべきだ。価値観が多様化してきた今、僕たちの労働は、もっと高い自由度が確保されているべきなのである。それは、個人の日常の働き方というレベルにおいても必要だが、職業を選ぶ際にも必要になる。過労死という視点では、個人の自由意志による「働き方」よりも、会社という共同体の中において労働を強制される可能性がある「職業」の方が深刻なので、職業選択の自由度に焦点を当てる。

職業の自由度を考える際には、どういう選択肢があるのかをまず考えなくてはならない。選択肢にはどのようなものがあるのか。定性的に大きく分けて、2つである。それは、

(1)自由度と給与が高い代わりに、リスクも高い職業
(2)自由度が低く給与も低いが、安定していて保護も手厚い職業

である。

一つ目はいわゆるホワイトカラーである。なぜかホワイトカラーを残業規制から外そう(ホワイトカラー・イグゼンプション)という動きに対して反対運動が起きるのだが、その理由の最大のものは、日本の労働環境が終身雇用前提とされているからだろう。米国なら、「嫌ならさっさとやめちゃえば良い」が成り立つが、日本ではそれが成り立つかどうか不透明なことが問題になると想像される。では、日本の労働者はなぜ会社を辞めることができないのか。これも理由は二つあって、一つは労働市場が硬直していて、転職が難しいことである。もう一つは、企業でホワイトカラーに認定されそうな、年収1000万円以上とか、自己の裁量で仕事量を調整できるとか、知的教育による高度な知識を持つはずの労働者たちの少なくない部分が、期待されているようなスキルを持ち合わせていないことである。簡単に言えば、「転職先がない」「転職するための能力がない」である。この二つの問題はどちらかを解決しても、それだけでは労働市場は流動化しない。そのせいもあってか、いつまで経っても労働市場の流動化は実現しないのだが、その根底にあるのは既得権者たちの反抗なのである。

選択肢が用意されても、労働市場が流動化していなくては意味がない。今の日本の会社は乗客が満員の飛行機みたいなもので、みんな降りようとしないし、降りても、それ以外の便が全部満席で、一度降りたら最後、どこにも空席が見当たらない状態だ。離陸前に気分が悪くなっても乗り換えできないし、途中で降りることはもちろんできない。「労働市場は流動化していた方が効率的ですよね」という意見には偉いセンセイたちはもちろん、感度の高い生活者も同意するのだが、それが解雇規制の緩和とセットになると、突然反対に回るから困る。解雇規制がガチガチの状態では、そもそも空席が生じないのだから、労働市場が流動化などするはずがないのだが、民間企業でまともに働いたことのない学者センセイたちはその辺が理解できずに机上の空論を展開するばかりである。こうした無能な研究者がいつまで経っても退場しないのも終身雇用の弊害で、三菱総研というそこそこでかい民間企業、理研という特殊法人、経済産業省、民間企業の雇われ社長、そして現職の創業社長と色々渡り歩いてきた僕から見ると、俺の方がよっぽど専門家だろ、と思ってしまうが、彼らはせっかくアカデミアの職に就いた既得権者なので、顔を真っ赤にして反論するに違いない。大丈夫ですよ、あなたたちの職を奪う気なんてさらさらないですから。

さて、まずはホワイトカラー以外の人たちについて考えてみる。ほとんど何のスキルもない人の受け皿は必要で、それは英語で言えば「JOB」である。何のスキルアップにも繋がらないし、特別なスキルも必要ないが、時間を割くことによってお金を稼ぐことができる。ここで必要になってくるのが最低賃金の引き上げで、米国の都市部だと1500円から1800円程度だ。ちょっと話がそれるのだが、米国の場合、最低賃金が高いので、人の手が必要なファストフードの価格は高い。マクドのビッグマックが一つ500円程度である。ところが、食品の原価は安いので、ビッグマック二つで520円だったりする。この手のセット売りはファストフードやスーパーでは常態化している。そして、工業製品は安く、人の手がかかっている食品は高い、となるので、低所得者たちは自分で食材を買ってきて料理したり、5枚で500円の冷凍ピザを買ってきてオーブンで焼いたりする。米国で外食するとチップ込みで2000円はほぼ最低料金なので、日本でいうファミレスのような業態は成り立たないし、コンビニの夜間営業も淘汰されるだろう。しかし、米国で暮らしてみればわかるが、コンビニの深夜営業がなくても、何も困ることはない。コンビニの深夜営業がないと困ってしまうようなライフスタイルの方が問題なのだ。こんな感じで、最低賃金を二倍にするだけで日本の特に都市部の生活は大きく様変わりするだろうが、大きな問題ではないだろう。ともあれ、JOBで稼いでいく人たちの収入源はきちんと確保しておく必要がある。

要すれば、受け皿としてそこそこの給料を貰える職場はありますよ、だから、スキルがなくても大丈夫です。その代わり、外食とか、贅沢はできないから、自分で工夫して下さいね、ということだ。こうした職場の量は米国ではかなり重視されていて、それが減少しないように、海外からの移民に対してはそれなりに厳しい姿勢でいる。日本は、弱者の労働機会を確保する、という視点がほとんど存在しないので、生活保護のような、まったく社会に貢献できない人たちが生まれてしまう。

また、こうしたスキルのない人たちでも、それなりに職業を選択する自由が保証されている必要もある。今やっている仕事に飽きたり、嫌になったなら辞めて違う職につくだけの自由度が必要なのだ。これは雇用サイドへの圧力にもなる。きちんとした労働環境を与えることができなければ、すぐに人手不足に陥る、という状況は、労働者の職場環境の向上に、直接つながる。

スキルのない人たちにはスキルアップの機会が必要で、それはそれで別途考えていく必要がある。米国ではこの役割を果たしているのがcollegeあるいはcommunity collegeで、誰でも安価にスキルを身につける事ができる。やる気さえあれば、ステップアップのチャンスは与えられているのである。一方で、日本にはこういう組織は見当たらない。金を払えば学位をくれる、名ばかり大学が大量に存在するのだが、少子化の影響もあって経営不振に陥った大学は、海外からの留学生を集めて大学の体を為すのではなく、community college化に注力すべきである。また、ここで大事なのは入学者の年齢で、やる気さえあれば年齢とは無関係に、どんどん入学して勉強できる雰囲気作りが大切になる。ここで思い出されるのが2年ぐらい前の文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」である。この会議で冨山和彦氏が提出した資料がネットで議論を呼んだのだが、要は「トップ大学以外は職業訓練学校化すべし」という内容だったからだ。実は、冨山氏の論理展開と示した事例は非常に稚拙で叩かれてしかるべし、というものだった。簡単に言えば、彼の主張は大学を、大学の名称のままで職業訓練学校化しろというものだったからだ。しかし、職業訓練を主目的にするなら、それはもはや大学ではない。大学を大学ではないものに変えてしまえ、というのは暴論であろう。しかし、大学ではない組織として、職業訓練のための組織、米国でいうcommunity collegeが存在することは絶対に必要で、経営不振でどうにもならない大学が自主的にcommunity collegeへと改組するのであれば、それは歓迎されるべき話なのである。大体、社会から見たら、機能としては本来大学よりもcommunity collegeの方が重要になりつつあるのだ。

スキルアップの機会は米国では主として社外に存在するが、日本ではOJTという名の下に企業や役所の内部で実施される。ここがまた大きな問題の温床になるのだが、それはそこで身につけたスキルが他の会社では役に立たないことがある点である。また、その会社で行われるトレーニングで生き残った人しか存在しないので、肌が合わないと悲惨なことになる。そういった事態になったとき、受け皿が用意されていないのが日本の社会である。

米国の事例を中心に、スキルが高くない労働者をどう社会に馴染ませ、場合によってはスキルアップの手助けをすることについて書いてきたのだが、次はホワイトカラーについて考えていくことにする。

ホワイトカラーの労働環境に求められるのも、流動性である。実は、日本はホワイトカラーの多くがパーマネントの地位にあることが大問題なのだ。特に、年功序列によってスキルが不十分なのに高い地位にのぼりつめ、高い給料をもらっている人たちがお荷物なのだ。野球で言えば、40歳の大ベテランで、打率が1割、本塁打は0なのに、4番から微動だにしないようなものだ。監督が「ちょっと、ベンチに下がってくれないか」と相談すると、「それは判例で違法とされている」と言い出して交代を拒否する始末である。ここをなんとかしないと、本当にどうにもならない。空席ができなければ、次の人が座る場所がないのである。給料が高いのだから、能力不足を理由に解雇されるリスクぐらいは背負って欲しいものなのだが、日本はなぜかそうならない。安定と、高給の両方を既得権者が保持し続けるのが今の日本である。

ところで、ここで件の電通の自殺社員の話になる。あの社員はホワイトカラーではないのか、ということになるのだが、もちろん違う。彼女の場合、おそらく年収1000万円にはならないだろうし、自己の裁量で仕事量を決めることも不可能だった。これではホワイトカラーとは言えない。彼女は法律で守られるべきだったし、周囲からの配慮も受けられるべきだった。

ここで、三菱総研と中央官庁で働いた経験から、電通の仕事の難しさを書いておきたい。三菱総研と電通の仕事に共通する難しさは、「100点満点が存在しない」ということだ。どんなに努力しても、さらに時間をかければアウトプットが良くなる可能性がある。野球選手にホームランや完全試合のような究極の到達点があるのと違うところが悩ましい。そして、仕事はほとんど全て委託業務なので、客が納得しないならそれまでなのである。僕は経済産業省の役人としてシンクタンクを利用する立場になったこともあるのだが、その時に同僚から聞いた言葉は、「シンクタンクは生かさず殺さずだ」というものである。死なない程度に絞りあげろ、という意味だ。僕は広告代理店を使う立場になったことがないのだが、電通にとってのクライアントもおそらくこういう姿勢で、「広告代理店は生かさず殺さずだ」と考えているのだろう。発注者とすれば、少しでも長く受注者を働かせることが、アウトプットの質の向上につながる。本来なら、仕様書によってこのあたりの仕事の量と質を明確に規定すべきなのだが、受注の成否につながるので、仕様書はいい加減に書いておくのがこれらの業界の常でもある。おかげで作業はエンドレスになることが多い。相手を内容で満足させるのではなく、努力の量で納得させるのである。シンクタンクや広告代理店というとスマートなイメージかもしれないが、実際はこんな感じの古い体育会系の仕事だ。

「次の仕事」という餌をちらつかせられて、こき使われるのがこういった会社である。だからこそ、これらの会社の管理職は自己と、部下の管理が大切になってくる。不幸な事態は、全て人災なのだ。そして、社内での「使われる側」は、上長に対して常に「ノー」という準備が必要になってくる。一番難しいのは、このホワイトカラーと非ホワイトカラーの境界領域で、この間の調整は時間をかけて落とし所を見つけていかなくてはならない。そして、運悪く、自分の上司がこの調整作業がうまくできなかった場合は、まずは直属の上司にかけあい、それでもダメなら人事部にかけあい、やっぱり無理なら、辞めてしまえば良いのである。その時に重要なのが、「会社を辞めても、すぐに次の仕事が見つかる」という環境なのだ。

「つらい。やめたい」と漏らしている人がいたとき、「何いつまでもしがみついてんだよ、馬鹿だな。さっさとやめちまえ。何だったら、うちの会社の上司を紹介してやるよ。なんか、ちょうど人探してるみたいだから」と言ってあげられる社会にしなくてはならない。今は「私だけじゃなくて、みんな頑張っているから」と、孤立感を深め、一層のどつぼにはまっていくのである。

過労による精神障害と自殺の件数は、厚労省の資料によれば2015年度の決定件数だけでそれぞれ1306件、205件となっている。その背後には、発覚に至らないケースや、ちょっと手前で踏みとどまったケースが何倍も、あるいは何十倍もあるに違いない。そろそろ真剣に、労働環境の改善を考えたほうが良い。それは、労働者サイドから一方的に規制強化を唱えるのではなく、労働市場の流動化を目指して、解雇規制の緩和を含め、様々な角度から変えていかなくてはならないというのが僕の考えである。

米国が全てではないし、米国にも改善すべきところは多々ある。しかし、それ以上に、日本が米国に学ぶべきところはたくさんある。日本の古くからの習慣を良しとして、旧態依然とした労働市場を継続していることが、そのまま日本を世界の負け組に誘っていることに気付かなくてはならない。そして、その影響は、経済指標だけではなく、「過労による自殺者数」といった数字にも現れていると思う。  
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2016年10月08日

過労死した電通の高橋まつりさんのTwitterをざっと読んでみたが




と書いてあったので、証拠を色々読んでみた。

高橋まつり氏のTwitter
https://twitter.com/matsuririri

色々気の毒で悲しくなってくる内容だが、読んですぐに感じたのは、「最長月130時間」と書かれていた残業時間に対する違和感。

参考:24歳東大卒女性社員が過労死 電通勤務「1日2時間しか寝れない」 クリスマスに投身自殺 労基署が認定(産経ニュース)
http://www.sankei.com/affairs/news/161007/afr1610070012-n1.html

このスタイルだと、残業時間は200前後か、あるいはそれ以上だと思う。  

2016年04月29日

僕が日本から逃げ出した理由(5)

(5)日本の成長力が低い理由
僕はこれまでずっと反アベノミクスを主張してきた。なぜなら、アベノミクスには根本的な解決策が含まれていないからだ。では、解決策とは何か。政策としての手法は、(4)に書いたように、労働市場の流動化である。しかし、これすら、根本的な解決策ではない。なぜなら、「年功序列と終身雇用をやめます」としたところで、「ふざけんな」とストライキを実施する労働者が量産されてしまうなら、やはり日本の状況は変わらないのだ。アベノミクスが多くの日本人に支持されているからこそ、今の安倍政権が成り立っていることを忘れてはならない。つまり、日本人がそれぞれマインドを変えなくてはならないのである。それは、すなわち既存の価値観の破壊である。

既存の価値観とは、例えば「みんなが働いているから自分も会社に残る」とか、「一度会社に入ったら、会社の言いなりになっておくのが一番得」とか、「大企業や公務員が人生の勝ち組」とか、「東大を出て官僚になるのが最高の人生」とか、「出る杭は打つ」とか、あらゆる次元に存在するのだが、ひとくくりにするなら「官僚主義」からの離脱である。「論語」に「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」とあるけれど、日本ではこれを「人民には法律の意味など理解させることはない、従わせておけば良い」という間違った意味で使っている。この間違った解釈こそが、日本人の体質で、今の教育方針はこういう人間を量産している。

一番大切なのは「自分の頭で考えること」だが、残念ながら「上から言われたことに素直にしたがう」人間ばかりが出世する社会だ。出世する人間がこういうタイプだから、それに倣う人間と、あとは諦めてしたがう人間が大半になる。

「みんなが残業しているから、自分も残業する」

これが、代表的な日本人労働者像である。

日本人が、日本の国内で競争している間は良かった。お互いに切磋琢磨しつつ、敗者が現れても、日本的護送船団方式でその敗者をすくい上げ、社会全体が前に進むことができた。しかし、ボーダレスの時代になって状況は変化した。

ここで、次の二つの野球チームAとBで、どちらが強そうか考えてみて欲しい。

A:定期的にポジションをローテーションする。去年はピッチャーだったが、今年はキャッチャーである。
B:能力と希望にあったポジションに固定する。この選手は遠投ができて左利きなので、ライトを守らせる。

A:体力的に無理な年齢になってきているが、本人が現役を希望しているので契約を継続する。おかげで、新しい選手を雇用することができない。
B:高齢からくる体力の衰えから、トップチームでの戦力外となった。ちょうど他国のリーグで投手を欲しがっている球団があったので、自由契約になって移籍した。チームは登録選手に空きができたので、新戦力を雇用した。

A:入団選手は高卒のみに限定する。
B:高卒、大卒、社会人と、あらゆる経路からの入団を妨げない。大学の中途学年からでも入団を許可する。

A:選手の調子や体調には無関係に、毎日決まった時間に練習する。
B:それぞれの選手がコーチと相談しながら自分に必要な練習をする。

A:打順は入団時期の古い人間からとする。
B:選手の特徴(足の速さや長打力、選球眼など)を考えて、適性の高い打順に配置する。

A:選手はチームの方針には一切口出しさせない。
B:監督、コーチ、選手の風通しを良くし、きちんと選手の意見を吸い上げる。

A:現時点の能力とは無関係に、出身大学で入団を決める。
B:新入団選手は、選手の能力で決める。

米国がBでやってくる中、日本がAでやっていて、勝負になるだろうか。上の項目の中には、一つか二つぐらいはAの方が好ましいというものがあるかも知れないが、全部揃ってしまえば、全く相手にならないのではないか。

しかし、今の日本は「Aの方が自分で考える必要がなくて楽」と考えている節がある。「いやいや、俺はプロ野球選手じゃなくて、草野球レベルなので」のように。だから、大学生に就職希望のアンケートを取ると「公務員」なんて選択肢が上位に来てしまうのだ。こんな社会に競争力がつくとは思えない。そうして負け癖がついてしまい、国内での競争すら不活発化してしまったのではないか。日本は、低成長であるべくして低成長なのだ。

(1)最低賃金のアップが招くもの
http://buu.blog.jp/archives/51522709.html

(2)大学の運営費交付金の減額
http://buu.blog.jp/archives/51522710.html

(3)彼岸と此岸
http://buu.blog.jp/archives/51522711.html

(4)日本の向かう先
http://buu.blog.jp/archives/51522712.html

(5)日本の成長力が低い理由
http://buu.blog.jp/archives/51522713.html

(6)贈る言葉
http://buu.blog.jp/archives/51522714.html  
Posted by buu2 at 00:58Comments(0)TrackBack(0)日記

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2015年12月29日

なぜ長時間労働がなくせないのか

朝日新聞デジタルにこんな記事が載ったけど、

仕事のために生きる? 長時間労働はなくせないのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151228-00000006-asahi-soci

長時間労働の良し悪しは別にして、もし本気で行政が長時間労働を禁止しようと思うなら、話はかなり簡単である。「長時間労働を行わせていることが判明した会社と、その関連企業に対しては、判明後5年間、公的補助金や委託金、公的発注を出さない」としてしまえば良い。ただ、いきなりこれをやると、日本中の会社が「仕方ないけど、もう助成金は諦める」となって、長時間労働はなくならず、補助金の行き先がなくなり、政府のバラマキが難しくなる(笑)。なので、1年ぐらいの猶予期間は必要だろう。これをやれば、長時間労働に依存している会社は、抜本的な体質改善を行うか、潰れるかしかなくなる。

駐車違反の取り締まりは、首都圏においては警察がかなり本気になったので、違法駐車は激減して、環八や環七は凄く走りやすくなった。おかげでそういった道路の沿道にあったラーメン屋などは駐車場の確保などで負担増になったはずだが、それらは圧力にならなかったのだろう。

一方で、路上喫煙はまだまだ取り締まりが甘いので、歩きタバコをする人間は相変わらず歩きタバコを吸っている。

結局、規制する側のやる気の問題で、長時間労働については行政も、政治家も、本腰を入れてやろうと思っていないだけだ。

もちろん、会社を潰す目的でわざと長時間労働して告発するといった不届きものが現れる可能性もあるし、一度摘発されて(例えば)5年間の補助金凍結の対象となってしまったら、開き直って高残業体質のブラック企業まっしぐら、という可能性もあるのだが、それはそれで対策を講じれば良い。

企業とか役所とかの本音は「有能な奴がたくさん働いてくれるのが一番効率的」だし、「転職先のない奴はサービス残業させて搾り取れば良い」だし、「若手は修行と称してこき使うのが良い」だし、「ボランティアとか、インターンシップとか、便利だよね」ということだ。昔、僕がキャスターをやっていた自民党神奈川県関連のテレビ局「日の出テレビ」でも、僕以外の自民党員たちはボランティアと称してサブキャスターたちをタダ働きさせていた。「タダでもやりたいっていうんだから、良いんだよ」というのがふくだ峰之氏(現自民党衆議院議員神奈川県第8選挙区)の理屈だった。

長時間労働の背景には色々な事情があるだろうが、基本的に働く側の意識改革では改善が難しい。変えるなら、管理する側が変わる必要がある。そして、そのためには行政か、株主からの圧力が必要だ。しかし、長い目で見れば利益が出るとしても、短期的にはほぼ間違いなく損失が生じるので、株主からの圧力は難しい。行政からの圧力に頼らざるを得ない。行政から管理する側への圧力も色々あるのだが、最初に書いた補助金や公的発注などのバラマキを絡めるのは非常に有効なはずだ。

#三菱総研とか、潰れるんじゃないの(笑)?

あるいは、軽減税率とかも、食品をどうする、新聞をどうすると詰めているくらいなら、「脱・長時間労働の会社は法人税5%軽減」などとしたら良い。手段は色々あるのだ。なぜやらないかって、「そんなことされたら、会社が成り立たない」という無言の圧力があるからだ。「長時間労働はけしからん」と言っている厚労省官僚たちだって高残業体質なのだ。

なぜ長時間労働がなくならないかって、簡単に言えば、行政になくす気がないからである。

ちなみにこのブログでは三菱総研や経産省といった高残業体質の組織で働いてきた経験をもとに「残業」について色々考察しているので、興味がある人はこちらをどうぞ。このエントリーとは焦点が違う記事がほとんどだけど。

このブログの中を「残業」で検索した結果  
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2015年02月16日

日本社会を変えていく必要性と方法について、プロ野球でたとえて説明してみる

東京新聞は読売や毎日と異なる視点の記事が多く興味深いのだが、この記事はいただけない。

残業代ゼロ法案 働くルールを壊すな
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015021402000145.html

まず私たちが考えなくてはならないのは、「日本企業は今のままで大丈夫なのか」ということだ。日本の経済成長率はこんな感じで、

index

世界経済のネタ帳を利用して作成

GDPデフレーターも1992年以降ずっと減少傾向にある。2014年に約20年ぶりに上昇に転じたのだが、数値自体は低いままで、日本製品の付加価値は小さいままである。

こうした日本社会の停滞が何に起因しているかを真摯に考えて、対策しない限り、日本社会の停滞は止まらない。前掲の記事は、「日本社会は何も変える必要がない」という特異な視点に立脚していて、首肯できるところがない。あるいは変える必要はあると思っているのかも知れないが、問題点とその解決方法の提案がなく、いかにも評論家然とした書きぶりである。

では、日本社会の停滞の原因はどこにあるのか。私の考えは、「企業から「不要な人材」を排除する手段がない」というものだ。「不要」とは、能力の有無とは関係ない。ここではプロ野球のチームでたとえて説明してみる。

現在、読売ジャイアンツが強大なチーム力を有していることは多くの人が同意すると思うのだが、読売はなぜそのようなチーム力を有しているかと言えば、資本力を背景に、FAなどで優秀な人材をかき集めたからだ。もちろん生え抜きも存在していて、両者を上手に融合させることによって強いチームを作り上げた。

読売にFA移籍した選手
1993 落合博満(中日)
1994 川口和久(広島) 広沢克己(ヤクルト)
1995 河野博文(日本ハム) 
1996 清原和博(西武)
1999 江藤智(広島) 工藤公康(ダイエー)
2001 前田幸長(中日)
2005 野口茂樹(中日)  豊田清(西武)
2006 小笠原道大(日本ハム) 門倉健(横浜)
2009 藤井秀悟(日本ハム)
2011 村田修一(横浜) 杉内俊哉(ソフトバンク)
2013 大竹寛(広島) 片岡治大(西武) 井端弘和(中日)
2014 金城龍彦(横浜DeNA) 相川亮二(ヤクルト)

活躍することができなかった選手も散見されるのだが、中心となってチームを牽引した選手も少なくない。つまり、移籍による戦力補強が、読売のチーム力向上に大きく貢献しているのである。当然、その裏では読売から放出されたり、移籍して出て行く選手もあるのだが、それは「清原が来るなら、出場機会が減少するから出て行く」(落合)といったもので、その選手の能力そのものが低かったわけではない。より活躍できる場所を求めて、そとに出て行ったわけだ。私は投入する資金に何の制限もない(サラリーキャップ制度がない)日本プロ野球機構の運営には否定的な立場だが、読売の球団運営はなかなか見事だと思っている。競争力を常に高めるためには、必要な戦力を導入し、同時に不要な戦力を排除していく必要がある。これこそが、日本の企業に求められているスタイルだと思う。

高い専門性を持っている人材でも、それが恒久的に機能するかどうかは甚だ疑問である。たとえば私が三菱総研に在籍していた時代、花形部門は航空機、住宅、軍事、環境などだった。しかし、今では航空機や住宅はそれほど仕事がなく、医療や福祉といった部門に押しやられていると想像できる。そうやって「かつて花形だった人たち」が生まれた時、彼らをどうやって処遇するのか考えなくてはならない。日本的な考え方では、「間接部門に行ってもらおう」「子会社に送り込もう」などが一般的なのだろうが、それは三菱総研を含めた企業各社、および公的機関、大学などの労働力が硬直化しているからだ。出て行く人がいないので、入ってくる人のためのポストがない。

これをプロ野球でたとえるなら、読売以外の11球団が「うちは純血主義なので他球団からの移籍は不要だ」と表明している状態である。よその球団に行けばまだまだ一線で活躍できるのに、受け入れを拒否されてしまえば、行き先がなくなる。その結果、海外の球団に出ていくか、低い給料で引き続き読売に籍だけおくか、あるいは引退せざるを得なくなる。本当に何の選択肢もないと、打者として優秀だった落合をピッチャーとして起用しなくてはならない、といった事態も想定されるようになってくる。これでは、デメリットこそあれ、メリットは何もない。選手も、球団も、ファンも、関係者全てが不幸になる。そして、移籍に対する自由度が上昇し、人材の流動性が高まれば、ほぼ全ての球団と選手にメリットが生じる。ただし、プロ野球の場合、相手があって成立するものだし、特別な数球団だけが抜群に強力な戦力を保有してしまうと、興味が薄れてしまう可能性もある。スペインサッカーなどはまさにこんな状態で、バルサとレアルに戦力が集中している状態で、これが良いのか、悪いのかは別途検証する必要があるだろう。だから「ほぼ全て」と但し書きがついている。

本当に必要とされている人材は、きちんと活躍できる場所に相応の処遇で所属できて、そうでない人は、それはそれで相応の待遇で処遇される、というのが、社会の活性化には必要なのである。高度成長期時代はほとんど全ての業種が好景気だったので、こういった人材配置の最適化は必要がなかったのだろうが、今はそうではない。

さて、ここまでは一般論だが、前掲の東京新聞の記事を読みながら、記事のどこがおかしいのかを検証していく。

企業にとって都合がいいが、働く人の命や健康を脅かすものだ

企業にとって一方的に都合が良い制度などは、常識的には存在し得ない。フラットで平等な社会であればなおさらである。仮に企業だけが利益を得るとすれば、それは制度の問題ではなく、それをとりまく社会環境のせいだ。日本の場合、労働市場の硬直化が一番の原因と考えられる。労働市場が十分に流動化しているなら、待遇に不満のある人材は、よそに活躍の場を求めて出て行けば良いだけのことである。一方で、会社が出て行かれては困るなら、処遇を改めて引き止めれば良い。旧態依然とした状況が頭打ちなら、何かを変えなくてはならない。その副作用がやはり旧態依然とした状況によって生じるなら、そちらを変えるべきであって、副作用があるから今のままで、というのでは何の解決にもつながらない。

日本の労働者は著しく立場が弱いので、成果を求められれば際限なく働かざるを得なくなる

日本の労働者の立場が著しく弱いとは初耳である。窓際族をリストラするのに多大な労力を割かなくてはならないのがこの国で、労働者の立場は強いことはあっても、弱いことはない。正確には、無期雇用(いわゆる「正社員」)の立場は異常に強い。ただ、そうした中においても、サービス残業を強要される可能性は確かに存在するし、実際にサービス残業を強いられている人も少なくないはずだ。

#私自身、経産省においてはサービス残業を行っていた。ただ、これはちょっと事情が特別で、「残業代がそもそも予算化されていないので、ないものはない」という状態だった。

では、なぜサービス残業を強いられるのか。これも前述のとおりである。日本の労働市場に柔軟性が欠落しているからだ。一度レールから外れると、もとに戻ることはなかなか難しい。なので、なるべくそのレールから外れないようにして努力することになる。ここでも、硬直化した労働市場が、日本人の「働き方」に大きな悪影響を及ぼしている。「お前なんか、他球団はどこも獲ってくれないぞ。だから、中二日で先発しろ」と命じられているようなものである。本当に他球団に移籍できないのなら、こういった処遇も考えられる。しかし、それによってそのピッチャーが肩を壊してしまったら球団としても損失である。あるいは、壊れて引退してくれた方が助かる、といった状況も考えられなくはないのだが、わざわざ壊して引退に追い込むくらいなら、他のチームに移籍してくれたほうがみんなハッピーだろう。

生身の人間を守るための規制

生身の人間を本気で守りたいなら、「残業代を支払え」ではなく、「残業は禁止」とすべきである。

アリの一穴がごとく、日本型の労働慣行は崩壊の縁にある

私は、むしろ積極的に壊していくべきだと思う。そのためのアリの一穴である。ただし、今のままでも構わない労働も存在する。たとえばスーパーのレジ打ちや、ごみ収集、その他もろもろの「労働時間数がそのまま成果量にリンクする」ような仕事である。プロ野球で言えば、球拾いなどだ。そういった仕事は確実に必要で誰かがやらなくてはならない。こうした労働力に対してはきちんと憲法で保障されるような賃金が支払われるべきで、サービス残業などはもっての他である。

商社やIT企業の中には早朝出勤への切り替えなどで残業をなくし生産性向上も実現している企業が少なくない

早朝出勤であっても、総労働時間が長くなるなら残業であって、本質的な提案ではない。

露骨に大企業の利益に便宜を図るのは倫理的に疑問

サービス残業が問題になりうるのは大企業の高度人材ではなく、むしろ中小企業で労働集約型の勤務をしている労働者たちではないのか。私の周りには超一流企業の管理職がたくさんいるのだが、彼らがサービス残業に文句を言ってきた場面を見たことがない。

労働問題を議論するのに労働界代表を排除している

ほとんど違和感しかない記事だが、ここだけは正論だと思う。

行き着く先は国民の多くが不幸になるブラック国家

では、今のままで良いのか、ということになる。このエントリーではここまで言及していないのだが、もうひとつの大きな問題として、同一労働同一賃金が実現しない状況もある。日本は国際労働機関(ILO)の理事国だが、ILO憲章(フィラデルフィア宣言)に明記されている「同一労働同一賃金」を実現しようとする気配すら感じられない。

1日及び1週の最長労働時間の設定を含む労働時間の規制、労働力供給の調整、失業の防止、妥当な生活賃金の支給、雇用から生ずる疾病・疾患・負傷に対する労働者の保護、児童・年少者・婦人の保護、老年及び廃疾に対する給付、自国以外の国において使用される場合における労働者の利益の保護、同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認、結社の自由の原則の承認、職業的及び技術的教育の組織並びに他の措置によって改善することが急務である
(フィラデルフィア宣言から抜粋)


日本社会を変えていく必要があると考えるのなら、やるべきことは「労働力の流動化」と「同一労働同一賃金の原則化」の二つである。その実現の過程で憲法で保障されている基本的人権がないがしろにされるのは論外だが、そうしたことがないように配慮しながら行動に移すべきだし、マスコミは弱者にしわ寄せがいっていないか監視していく必要があるはずだ。

東京新聞が「いやいや、今の日本社会がベストだから、何も変える必要はない」と考えるのであれば、それはそれでひとつの見識ではあるのだが、新卒の時期がたまたま不況だったおかげで常に弱者の立場に追いやられてしまったり、せっかく能力を身につけても安い給料で雇用され、その背後で生産性の低い労働者が高給で処遇されていたりするのが正しい状況とは、到底思えないのである。

日本社会でやっていることは、

ドラフトで獲った選手はどんな能力・成績でも一生面倒をみる

一度入団したら、成績とは無関係に、年齢に応じた給料を支払う

他の球団への移籍は悪

チームの指示があればピッチャーだろうが遊撃手だろうが何でもやらなくてはならない

必要に応じて球拾いもする

でも、クビにはならない

優秀な若手が入団を希望していても、退団する選手がいないので採用できない

といった、数々の理不尽なことである。これらは、会社にとっても、普通の労働者にとっても、さらには応援するファンにとってもメリットがない。唯一メリットを得られるのは、「運良く入団できて、その後ほとんど努力をせず、試合に出場することもないのだけれど、クビになる心配がない選手」だけである。

プロ野球では、ドラフトで上位指名されても、その後全く伸びず、若くして引退というケースも少なくない。20代前半の能力等はそんなものである。適性についても、本人も周囲も、必ずしも適切に判断できるわけではない。社会環境の変化にともなって人間も、所属する組織も、柔軟に変えていく必要があるのではないか。その際、成果主義を導入することはひとつの有効な手段と考えられるし、これを足がかりにして、労働市場の流動化を推進していくべきだと考える。

#こういう記事を書くと、一番デリケートに反応する人が非正規雇用の人たちなんだけれど、彼らに対して「頑張れば、正規雇用してもらえて、勝ち組になることができるかも知れませんよ」という、ありもしない人参をぶら下げるのが一番の社会悪だと思うのです。今の社会状況では、正規雇用の枠はほとんど広がりません。やるべきは、正規雇用という既得権者の数をちょっとだけ増やすことではなく、正規雇用という既得権者の権利を小さくすることなのです。なぜかって、既得権者の数は、増えたとしても、ほんのわずかなのですから。  
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2014年08月08日

総統閣下はお怒りです「人間牧場」

ヒロッコ;ゼンショーが「第三者委員会からの調査報告書受領に関するお知らせ」を発表しましたね。

https://www.release.tdnet.info/inbs/140120140731024283.pdf

閣下:どれどれ・・・って、ファイルが重すぎて全然閲覧できないじゃないか!

ヒロッコ:そんなこともあろうかと、すでにプリントアウトしてあります。

閣下:さすがだな!

モリタック:どんなことが書いてあるのですか?

閣下:俺もこれから見るんだから、せかすな。順番に見ていこう。

すき家の非管理監督者社員の平均月間残業時間は多いときで約80時間、少ないときでも40時間を超えており、月間残業時間が100時間以上の社員がしばしば100名を超え、また、同100時間以上のクルーも常に数百名いる状況であった(P16)


閣下:ここでは「非管理監督者」と書いてあるのだが、実際には複数の店舗をマネージしているAMなども含んでいるので、どこが非管理監督者なのか良くわからないのだが、この数字は、俺が経験してきた三菱総研や経済産業省と比較して多いとは言えないな。ただ、問題は仕事の質で、それほどのスキルが要求されず、誰でもできることなら話は別だ。例えばレジ打ちの仕事は大したスキルは要求されないが、店を開店している以上は誰かしらが配置されている必要がある。24時間営業なら3人(一人8時間/日)は絶対に必要で、そこを残業前提で2人しか配置しないといったことなら問題だろう。

ヒロッコ:仕事の質次第ということですね。

閣下:単に歯車として動いているなら高残業は大問題だ。一方で、様々なトラブルがひっきりなしに発生して、その場その場で高度な判断力が必要とされるとか、常に新しい企画を考えだす必要があるとか、そういう業務内容なら、この程度の残業は普通だろう。そのあたりの検討は先でなされるかも知れないから、もうちょっと読み進めよう。

恒常的に月500時間以上働いていた者や、すき家店舗における業務が多忙で2週間家に帰れないという経験をしている者も見られた(P17)

2012年度においては、居眠り運転を原因とするすき家社員による交通事故が少なくとも7件も発生している。しかも、Z社幹部職員は、過重労働が社員の交通事故の発生要因となっていることを認識していた。(P18)


閣下:ここまでくるとさすがに酷いな。要すれば、社員は使い捨てで、強靭な精神力と体力を併せ持つ人間だけが出世できる、というスタイルなんだろう。なぜこんな会社で働き続けるのだろう?

ヒロッコ:給料が素晴らしく高いのかも知れません。

モリタック:年収1,000万円でも嫌ですよう・・・

クルーに対しても実際の労働時間をデイリー勤怠報告書に記録しないよう求める実態が認められる(P19)


閣下:時間給のバイトにサービス残業強要って、これでバイトが確保できるのか(笑)?

ヒロッコ:インターネットの時代ですから、こういうブラック情報は学生の間であっという間に共有されますよね。

24時間営業で深夜にも電話があることが精神的に辛いし、やっていく自身[ママ]がない(P20)


閣下:これはある意味当たり前。自分が責任を持つ店舗が24時間営業なら、24時間対応が求められる。当たり前ではあるけれど、それが正常かといえば、別の話だ。牛丼屋以外にも、コンビニみたいに24時間営業の店はたくさんあるのだが、その背後には24時間体制で対応する責任者が必ずいることを考える必要がある。これは国が考えるべきことだな。つまり、24時間営業を許可するのか、禁止するのか、ということだ。日本は現在規制がないのだが、ドイツのように「閉店法」で規制している国もある。とはいえ、ドイツの閉店法も緩和の方向で、平日は24時間営業の店も少なくない。

ヒロッコ:ジェトロのこんな資料が参考になりますね。

ドイツにおける「閉店法」の歴史と緩和の動き
https://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200802/1-3.pdf

同マニュアルは、標準時間として最速時間が記載されるなど、最も能力の高い従業員を基準に作成されている。この結果、すき家におけるワンオペ時の労働環境は、過酷なものとなる。(P21)


閣下:全ての選手はネイマールのごとくシュートを決めろ、みたいなマニュアルだな(笑)

モリタック:「標準」という言葉が空々しく聞こえます(汗)

アンケート(アルバイト)においては、ワンオペにより店舗の清掃作業が疎かになっており、店舗が不衛生になっている旨の回答が見られた。また、状況によっては顧客を待たせることになり、顧客からクレーム又は暴言を言われることがある旨の回答もあった。(P21)


閣下:つまり、ワンオペ(一人勤務体制)じゃ、無理ってことだろ。

ノブポン:ワンオベは無理ということで2名配置にすると、深夜帯の人件費は倍増となりますから、その分のコストは価格に上乗せせざるを得ず、これまでのような価格競争は困難になるわけですね。

閣下:デフレのしわ寄せはこういう弱者のところにいっているわけだ。

ヒロッコ:色々なものが安い理由をきちんと考えたほうが良いということですね。

売上が落ちる日に、労時アップの手段としてクルーの休憩時間が利用されることがある。(P22)


ヒロッコ:こんな手があるのか!と笑ってしまうような話ですね。

閣下:笑い事ではないけれどなぁ。

自らの希望に基づいてはいるものの、1ヶ月間休みなく稼働し続ける者も複数見られた。


ノブポン:お金が欲しくて身を粉にする方々もいるのですね・・・

閣下:しかし、それを標準にしてもらっては困る。

高校生クルーの午後9時30分以降の勤務禁止の指示は、現場では高校生クルーに対する当該時間以降の労働についての賃金不払いに繋がった例もみられる。


ノブポン:「夜間も働け、ただし、違法だから、記録には残すな、記録にないから賃金は支払わない」ということですね。

モリタック:うーーーーん。

ZHDグループ人事・総務本部では、上記手続によって確認された退職理由を一覧表にまとめていたところ、当該一覧表には、2013年、2014年の退職者について、以下のような退職理由が記載されている(P25)


閣下:ここではいちいち引用しないけれど、こういうのを読むと、逆にこの会社には一体どんな人が残っているんだろう、と思ってしまうな。

ヒロッコ:辞めないほうが不思議ですね。

閣下:とりあえず、俺はだいぶ前からすき家で食べるのをやめているよ。

ヒロッコ:閣下はもともとファストフードではほとんど食べないじゃないですか。

閣下:昔は食べていたぞ。でも、特に地震以後は全く食べてないな。何はともあれ、ブラックな会社が存続できるのは、ブラックでも働く人間がいて、その会社のサービスを受ける顧客がいるからだ。消費者も片棒を担いでいるという認識を持つ必要がある。

ヒロッコ:そして、一昨日、こんなニュースがあったわけですが。

き家 運営会社赤字見通し 深夜2人以上に
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140806/t10013597721000.html

閣下:ワンオペ廃止、深夜営業の再検討、値上げ、か。どれもこれも当たり前の話だな。

モリタック:すき家が牛丼を値上げするのは平成16年9月以来、10年ぶりだそうですよ!

閣下:安倍首相あたりは「これもアベノミクスの成果」とか言い出しそうだな(笑)  

2014年06月28日

残業代ゼロ(ホワイトカラー・エグゼンプション)に関する整理

残業代ゼロ(ホワイトカラー・エグゼンプション)法案が閣議決定したわけだが、こんな記事があって、あんた、ばかぁ?という感じである。

残業代ゼロ 反対53% 長時間労働拡大に不安
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2014062902000116.html

新聞記者はわかって書いているんだろうが、一応、整理だけしておく。

まず、現在の法制度では、自律的な働き方を支援するための労働時間制度として、フレックスタイム制(労働基準法第32条の3)と裁量労働制(労働基準法第38条の3及び第38条の4)が存在する。

この2つのうち、より柔軟性に富む裁量労働制は、"実際の労働時間の多寡にかかわらず当初に労使で決めていた時間を労働したとみなす制度(みなし残業時間)"だが、労働時間規制そのものの適用を除外するものではない。また、導入する際にはかなり面倒な導入要件がある(法律を骨抜きにするために山ほど)。

ホワイトカラー・エグゼンプションは、現行法でいう「管理監督者」(労基法41条2号、いわゆる管理職とは異なり、会社の経営方針の決定に参画し経営者と一体とみなされる立場の者)のように、労働時間規制そのものの適用が除外される制度で、管理監督者に該当しなくとも、一定の要件を満たす労働者や、これまで管理職というだけで労基法上の管理監督者扱いをされてきた労働者にも適用可能である。

一方、今回閣議決定されたホワイトカラー・エグゼンプションには、裁量労働制のような対象業務の限定や厳格な導入要件がない。労使委員会の決議と本人同意があれば、管理監督者の対象になる手前の労働者にも労働時間規制の適用を除外できる。

国会審議段階での基本事項は次の3点となっている。

1.希望しない人には適用しない
2.職務の範囲が明確で高い職業能力を持つ人材に対象を絞り込む
3.働き方の選択によって賃金が減ることの無いように適正な処遇を確保する

この3要件は非常に重要で、例えばスーパーのレジ打ち係とか、コンビニの店員といった人たちには適用されない。なぜなら、そういう業務には高い職業能力が要求されないからだ。

その後、さらに検討を進めた結果、「年収1,000万円以上」という別の指標も追加された。

時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き手のニーズに応えるため、一定の年収要件(例えば少なくとも年収1000万円以上)を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象

出典:日本再興戦略 改訂 2014 22ページ
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/honbun2JP.pdf

つまり、この制度の是非についてアンケートを取るなら、この法案で対象となっている人、および、なりそうな人を対象にして調査する必要がある。コンビニのバイトに聞いてもしかたがないのだ。例えば、東大文一の4年生を対象としてアンケートを取るなら話はわかるのだが、日本国民を対象に実施しても意味はない。

それにしても不思議なのは、全然関係ないはずの人たちがなぜここまでホワイトカラー・エグゼンプションに反対するのか、である。たとえば、「年収1,000万円以上の人たちの所得税率を10%アップします」と言ったところで、大抵の人は「ふーーーーん」でオシマイだろう。関係ないのだから。なぜかな、と思って数日考えてみて、2つの仮説にだどりついた。ひとつは、ちゃんと法案の中身を読んでいなかったり、国会の審議内容をみていないということだ。もうひとつはさらに突っ込んだ、意地の悪い仮説だけど、全部わかった上で、自分が「高度な職業能力を持っていない」人間だと、自分で認めるのが嫌、というものだ。どちらにしても、そのせいで日本経済が停滞したままでは困ってしまう。安倍政権の成長戦略にはほとんどみるべきものがなく、唯一評価できるのがこの残業代ゼロ法案なのだから、政府はきちんと国民に説明すべきである。

もうちょっとわかりやすく言えば、本田や長友や香川がもっと自由に好きなときに練習できるようにしようと、「勝手に考えて良いよ。やりたければいくらでも練習していいし、休みたければ勝手に休みなさい。そのかわり、自分の体調管理はきちんとやってね。パフォーマンスが落ちたら試合では使わないよ」と言ったら、高校生たちが「そんなんじゃ、夜遅くまで練習になっちゃう。勉強だってしなくちゃいけないし、塾にも行きたいから、練習は曜日と時間をちゃんと決めてくれ」と苦情を言ってきたようなもの。君たちは関係ないんだよ(^^; ちゃんと自分で管理する能力がある、トップレベルの人たちの話なんだから。

参考:
日本の労働環境のためにやらなくてはならないたった1つのこと
http://buu.blog.jp/archives/51412624.html

総統閣下はお怒りです「残業代0指令」
http://buu.blog.jp/archives/51435072.html
  
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2014年04月28日

人はどれだけ残業できるのか 

人はどの程度残業できるのでしょうか。私が20年ほど前に在籍していた三菱総研は高残業体質で有名な会社でしたが、この会社で「凄いね」と言われるためには最低でも200時間の残業が必要でした。ケースバイケースですが、100時間程度の残業は、実はそれほど難しくありません。なぜなら、休日出勤して作業すれば、一日あたり10時間は軽く稼げてしまうからです。10日間休日出勤すれば(全ての土日と祝祭日を出勤)、平日はほとんど定時退社でも、100時間残業を達成することができます。

ということで、100時間や200時間の残業では全く驚かない私ですが、さすがにびっくりした話があります。私の知人で、二ヶ月連続で月間残業400時間を達成した人がいるのです。彼は経済産業省時代の同僚で、私が人生で一緒に仕事をしたり、あるいは仕事として関係を持った人間の中で、最も優秀だと思っている人です。彼は、3.11の際に不幸にも、経産省の危機管理部門の責任者でした。地震の前に会った時も、「2時間以上連絡が取れない立場になることができないので、海外にも行けない、映画もコンサートも無理」と言っていましたが、地震直後はさらに過酷な状況に追い込まれたようです。それでは、彼の事例を参考にしつつ、人間はどの程度残業ができるのか、考えてみます。

単純化の目的で、ここでは月間30日、労働日20日、規定労働時間は1日あたり8時間(9時〜17時)、休日10日としてみます。その上で、まず全日16時間労働したとしましょう。平日分の残業が20日*8時間で160時間、休日分の残業が10日*16時間で160時間。これだけで合計320時間になります。ここからさらに80時間を上積みする必要があるのですが、これがなかなか困難です。彼の場合、通勤時間は1時間以上だったようですが、ここでも単純化の目的で、片道1時間の通勤とすれば、これで全ての日で、18時間が費やされてしまいます。つまり、残された時間は、30日*6時間で、180時間しかありません。この中で、食事の時間や、睡眠の時間を確保する必要があります。ピンクレディーが全盛期、一日睡眠4時間と言われていたような気がするので、睡眠時間は4時間にしてみましょう(厳密には、通勤時間に寝ることも可能ですが、ここではそれは算入しないでおきます)。30日*4時間で120時間が消費されてしまうので、残りはたったの60時間です。あれ?もうすでに、最大で380時間ですから、400時間残業は不可能となってしまいます。やはり、通勤中は睡眠に充てる必要があるのでしょう。前言撤回、通勤時間プラス睡眠時間で一日合計4時間とします。つまり、一日の睡眠時間は2時間(実質4時間)、一ヶ月では30日*2時間で60時間を消費しますから、残りは120時間です。あ、これなら最大で440時間まで残業できます。この中には食事の時間、お風呂の時間、トイレの時間などは含まれていませんが、仕事をしながらやることができないのは入浴ぐらいなので、1日に一度、10分間シャワーを浴びるとしたら、5時間の消費になります。

結果、人間が残業できる最大は、435時間のようです。ただし、目に見えない前提条件があって、それは一ヶ月間、全く問題なく健康に過ごすということです。間違っても、風邪など引いてはいけません。その上で、土日・祝祭日関係なしに全日勤務し、勤務は一日約20時間になります。家での睡眠は2時間、加えて往復の通勤途中で睡眠(さすがに、件の知人はタクシー通勤だったようです)です。これだけ頑張って、435時間残業です。

あくまでも机上の計算ですが、件の知人は実際に400時間残業を達成したわけで、上述の家で2時間、通勤で2時間の睡眠以外で、自由になる時間はたったの40時間です。この中で食事をし、風呂に入り、不足した睡眠を補うことによって、健康を維持したことになります。人間、やればできる、ということでしょうか。やりたくないけど。

その後、彼はNEDOに出向という形をとって、インドに行きました。しばらくはこんな記事を書いていましたが、今も元気でやっているようです。

日本からみたインド インドからみた日本
http://dndi.jp/26-miyamoto/miyamoto_Top.php
  
Posted by buu2 at 16:19Comments(0)TrackBack(0)日記

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2014年04月24日

総統閣下はお怒りです「残業代0指令」

モリタック:大変です!残業代がゼロになってしまうそうですよ!!??

ヒロッコ:あんた、残業しているの?

モリタック:してますよ!昨日も、夜中の3時まで・・・

ヒロッコ:ただ作戦室にいただけでしょう?

モリタック:作戦室の警備も重要な任務です!

ヒロッコ:あんたはゲームしていただけじゃない。それに、あなた程度の警備ならバイトでも十分できちゃうわよ。

モリタック:それを言われると二の句が継げないのですが・・・

ヒロッコ:それはさておき、残業代ゼロ案というのは、これね。

「残業代ゼロ」一般社員に拡大を提言 産業競争力会議
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140422-00000180-fnn-bus_all

閣下:良い話じゃないか。

モリタック:ええっ!?横暴ですよ!!

ノブポン:モリタック先輩が閣下に楯突くとは珍しいこともあるような、ないような、とりあえず、直ちに処刑されるようなことはないと思いますが、大丈夫でしょうか。

閣下:モリタックはちゃんとこの記事を読んだのか?対象になっているのは、「年収がおおむね1,000万円以上で、高度な職業能力を持ち、自律的、創造的に働きたい一般社員」だぞ?

ヒロッコ:モリタックには全く関係ない話よね。

モリタック:それはそうですが・・・

閣下:今の日本がなぜ斜陽国家となっているのか、例えば、海外からまでも、低い経済成長率を懸念されたりしているような悲惨な状態なのか、わかるか?

モリタック:もちろんわかりません。

ヒロッコ:閣下、モリタックにもわかるように説明してやってください。

モリタック:ガンダムでお願いします!

閣下:たとえば、ガルマはなぜシャアよりも階級が上だったのか、考えてみろ。

モリタック:それは、血筋じゃないでしょうか?

閣下:血筋が良いからといって、軍人としての能力が高いとはいえないよな?

モリタック:はい。

閣下:では、諸君の愛してくれたガルマはなぜ死んだのだ?

モリタック:坊やだからですか?

閣下:能力が低かったからだな。ガルマは自業自得かも知れないが、ガルマの下で働いていた下級兵にとってはとんだとばっちりだ。上官がガルマだったばっかりに、わずか第十話で戦死するはめになったのだから。

モリタック:私は良い指揮官の下で最終話まで働きたいです。

閣下:つまり、血筋などではなく、能力で評価された上官の下で働きたいのだろう?

モリタック:もちろんです。

閣下:逆に言えば、能力がないのに、上官になられては迷惑なわけだ。

モリタック:その通りです。

閣下:そういう、能力以外のところで評価され、偉くなってしまうのが日本社会なんだよ。

ヒロッコ:モリタックがこの作戦室にいることを考えれば、すぐにわかるわよね(笑)

閣下:もちろん、全部が全部というわけではないし、むしろちゃんと能力のある人間の方が多いだろう。しかし、そういう中に、能力以上の給料をもらっている人間も少なからず含まれている。

モリタック:私の能力が低いことは認めますが、それにしても、残業代がゼロなのは酷いです。それに、いつの間にか、テーマが残業から能力の話に変わっていますよ!

ヒロッコ:残業代をゼロにしようというのは、働き方を変えましょう、何時間働いたかじゃなくて、どのくらい成果を出したかで評価しましょう、ということなのよ。一口に言えば「成果主義」への変換なの。そして、それは年功序列から能力主義への変換でもあるのよ。

モリタック:ええっ!?

閣下:要は、能力の高い人は、それにあった環境で切磋琢磨し、高くない人は、それなりの環境で働け、ということだ。

ヒロッコ:大事な点は、「能力の高い人」ということよ。自分の裁量で業務をコントロールできないような人は最初から対象にはなっていないの。

モリタック:私たち、下々の者は今までどおりなのですか?

ヒロッコ:そんな甘い話があるわけないじゃない。

モリタック:やはり。どんな裏があるのですか?

閣下:これまでは、年功序列という形で、能力が高くない人間でも偉くなって、それなりの給料をもらうことができた。しかし、これからは、ただずっと会社にいたという実績だけでは、良い待遇にはならなくなるはずだ。間違っても、年収1,000万円を超えることはないだろう。

モリタック:それは困ります。

ヒロッコ:困るなら、頑張って働いて、実績を積めば良いのよ。

モリタック:でも、その実績を正当に評価してくれなかったら、どうしたら良いのですか?

閣下:本当に実力があるなら、その実力を正当に評価してくれる会社に転職すれば良い。

モリタック:自信がないのですが・・・

閣下:つまり、お前みたいに、大して努力もしていない癖に、自分の能力については漠然とした自信を持っていて、それでいて、誰かに評価してもらうだけの根拠は持ち合わせていない奴らが、山ほどいるのがこの国なんだよ。

モリタック:はぁ・・・・

閣下:でも、大丈夫だから心配するな。お前みたいな奴でも引き続き雇ってくれるような良い組織が日本にはまだまだたくさんある。

モリタック:そうなんですか!?

ヒロッコ:たとえば、地方公務員とか。

閣下:年功序列、終身雇用型の組織の代表例だな。

モリタック:良かった!!

ヒロッコ:あるいは、単純作業のような業務に従事している場合は、労働時間に見合った賃金が支払われるはずよ。

モリタック:良かった!!!

ノブポン:とはいえ、最近は地方自治体も青息吐息のところが散見されますし、旧態依然型の大企業も業績が悪化し、経営が破たん寸前というケースもあるようです。

モリタック:じゃじゃじゃ、どうしたら良いんですか?

閣下:でもまぁ、まだまだ多くの地方自治体は大丈夫なんじゃないか?

モリタック:では、公務員を目指しますっ!!

ヒロッコ:ただ、そういう組織の待遇、特に給料は、今よりも悪くなっていくんじゃないかしら?

モリタック:どうしたら良いんですか!?

ヒロッコ:努力して技能を身につけ、頑張って成果を出すしかないんじゃないの?

モリタック:それが無理なら?

ヒロッコ:だから、それなら、安い給料で、つまらない仕事をするしかないわよ。

モリタック:お先真っ暗です(;_;)

ヒロッコ:職業に貴賎なし、よ。つまらない仕事でも誰かがやらなくちゃならないのだし。

閣下:今や、モリタックのような「楽して偉くなりたい」という人間の逃げ道は、世界中探してもほとんど見当たらない。あったとしても、自国民の面倒を見るので手一杯で、受け入れている余裕などない。

モリタック:なんということでしょう・・・

閣下:とはいえ、日本も民主国家だから、大勢の生活者が「経済成長なんてしなくて良い。貧乏に耐えて、老衰のように、国家が衰えていくのもやむなし」という考え方なら、今の状況を維持することになる。

モリタック:それはそれで困るんですが・・・

ヒロッコ:あんたのような考え方の人がこの国には多すぎるのかもね(苦笑)。

ノブポン:財政破綻は目前ですし、高齢化には歯止めをかけようがありません。せめて優秀な人材ややる気のある人材がきちんと評価される社会だけでも作っておきたいものです。

閣下:優秀な若い人は、もうすでにこの国を見捨てて、外に出ていきつつあるけれどな。

ヒロッコ:結局、こういうニュースに目くじらを立てているのは、実際には年収1,000万円なんて夢のまた夢のような人たちで、そのせいで社会が停滞したら、困るのはその人たち自身なのよね。

閣下:年収1,000万円以上なら、もう残業とか、正規・非正規なんて関係ない働き方をしている人間がほとんどだから、こんなニュースを聞いても基本スルーだ。そのせいもあって、無関係な奴らが騒いでいるのだけが目立つんだろうな。

ヒロッコ:ほら、モリタックのことよ。

モリタック:やっぱり、楽して稼ぐのは無理なんですね・・・

ヒロッコ:”高度な職業能力を持ち、自律的、創造的に働きたい”人たちは残業がどうのこうのなどと言わずに頑張って働いてガンガン稼いでいただく。モリタックのように、人に言われたことを確実にやっていくのが良い人は、それなりの待遇で、身の丈にあった暮らしをしていけば良いのよ。別に、何も恥ずかしいことじゃない。

閣下:大体、最低でもこれくらいやらなくちゃ、経済再生に向けた三本目の矢なんて、ひとつもないようなものだ。

ヒロッコ:ほんとに、この提案にまでも反対するような人には、ぜひ有効な経済政策を提案して欲しいものですよ。

ノブポン:そこで国土強靭化計画のようなバラマキ政策が登場するわけですが、もちろんそういう政策の効果はただちに現れるわけでもなく、実際には財政が破綻してもまだ現れないでしょうね(笑)。

閣下:年収1,000万円を超えている奴は俺の周りにゴロゴロしているが、サービス残業がどうのこうのと言っている奴は見たことがない。

ヒロッコ:残業代などは飾りです。稼いだことがない奴にはそれがわからんのですよ。

モリタック:わかりません・・・

閣下:旧態依然とした体質の大企業が、年功序列で偉くなってしまった不良債権を内部に抱えて青息吐息という現状がある。こういう会社が傾くと、どうしたって役所が敗戦処理に動かざるをえない。それはそれで面倒くさいので、今のうちになんとかなる会社だけでも、自力で再生して欲しいわけだ。一方で、企業の側から「使えない」と不良債権の烙印を押された社員でも、他に活躍の場はあるかも知れない。それなら、終身雇用という縛りで会社につなぎとめておくのも合理性がない。日本の経済再生に向けたロードマップは、労働市場の流動化が一丁目一番地なんだ。

モリタック:でも、日本は、終身雇用と年功序列によって、高度経済成長を成し遂げたのではないですか?

閣下:お前は、世界が変わったのに過去の成功にしがみついている奴の典型だな(笑)

ヒロッコ:もはや、日本は一人負けという状態になりつつあるのに、ですね。それに、雇用の流動化の本当のターゲットは若者じゃないのに、なぜか若者がデリケートに反応するのが不思議です。

閣下:若者も、二十年経てば中年になるからな。

ヒロッコ:でも、さすがに二十年後は、今のような社会ではなくなっていますよね?

閣下:財政破綻国の仲間入りしているかもしれないな(笑)

追記:参考になるエントリー
残業チキンレースにそろそろサヨナラしよう!
http://jyoshige.livedoor.biz/archives/7225088.html

残業代0の世界
http://anond.hatelabo.jp/20140424223012

日本の労働環境のためにやらなくてはならないたった1つのこと
http://buu.blog.jp/archives/51412624.html

  

2013年06月18日

残業まみれの組織を回ってきた僕が脱高残業体質への処方箋の一例を書いてみる

日経ビジネスにこんな記事が掲載された。

「人命よりも企業?!」 過労がなくならない日本の歪んだ価値観
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130616/249728/

読めばわかるけれど、なんか、評論ばかりで実のない記事である。こういう記事は「ダメだなぁ、じゃぁ、できる範囲で僕が書いてあげるよ」というトリガー程度にしか貢献しない。これで誰も何も書かないとゴミ記事になってしまうので、ちょっとだけ書いて、記事の顔を立ててあげようと思う。

僕は残業が多い、いわゆるブラックを渡り歩いてきたのだが、「なぜ高残業なのか」はそれぞれの組織によって違った。それぞれ、僕が見てきた時代における状況を中心に分析し、残業体質の改善についてアイデアを出してみる。

三菱総合研究所(1992〜1998)
この会社の体質は「実績主義」である。受注が多い人間の意見は何でも通ったので、成績が良い社員が禁煙スペースである就業室内での喫煙を主張すれば、喫煙室が存在するにも関わらずその主張を突っぱねることができず、嫌煙者である僕に空気清浄機を買い与えるような会社だった。つまり、「俺は稼いでいるから喫煙しても良いんだ」と、ドヤ顔でそっくり返って喫煙することが許されるような会社だった(今はどうなのか不明)。そんな実績主義の会社だが、上長から強制的に長時間労働を迫られることはあまりなかった。むしろ、残業が増えたのは、クライアントからの要求によるところが大きかった。

日本ではこの会社の業務内容を知らない人が多いのだが、要は中央官僚や地方公務員の雑用係である。官僚が財務省に予算要求する際の資料を作成し、官僚がその資料を財務省の主計官に見せて「民間シンクタンクの調査によれば、こんな状況なんです」と説明する。あるいは、官僚が有識者会議の事務局を命じて、議事録作成や必要な資料の作成、日程調整、最終報告書の作成、および効果測定などをやらせたりする。こんなのが日本におけるシンクタンクの使い方である。肝心要の「シンク」の部分はキャリア官僚が担当する。シンクタンクと言いながら、実情は官僚の手足である。当然のことながら、発注者の意向通りの資料を作成するので、入り口と出口が決まっているブラックボックスの中身を創作するのが仕事だったりする。簡単にいえば、「各省の考えた施策はこれ」という入り口と、「2010年のバイオ市場規模は25兆円」という出口が決まっている時に、どういう理屈でバイオ市場が25兆円になるのかを考えるのである。だから、色々な有識者会議の末席にシンクタンクの研究員の名前が良くある。

さて、この会社がなぜ高残業なのかといえば、最大のものは「報告書に満点がない」ということである。作業は「より満点に近くなるように努力すること」になる。実質上のゴールがないので、最終的には顧客の「満足」ではなく、「妥協」を得ることが重要だ。つまり、「これだけやらせたのだから、そろそろ我慢してやろう」と思ってもらうことが大事なのである。多くの場合、発注者も高残業なので、電話したのに不在、などは非常にイメージが悪い。イメージが悪いと、リピートオーダーが取れなくなる。また、相手が官僚だと、突然「国会の質問が当たったので、至急対応して欲しい」といった電話がかかってきたりする。クライアントの要望に的確に応えるためには、いつも会社にいることが重要だ。

では、なぜこんなにまでして仕事を取らなくてはならないのか。それは、やりたい仕事をやるためである。やりたい仕事を確保できない場合、この会社ではやりたくない仕事の手伝いをやらされることになる。給料をもらっている以上、これは当たり前だ。三菱総研の場合、所員は小規模事業者的な色彩が濃く、できる奴は頑張れ、できない奴は手伝え、会社は知らん、という感じだった。

#僕は、この姿勢は良いと思っている。不幸にして僕の専門であるバイオは政策課題の表舞台に出てくることがなかったので、ほとんど何もできずに退職した。それまでに担当したことは、環境アセスのマニュアル作り、大深度地下駅におけるごみ処理システムの提案、空港の付帯設備の検討、水産業振興プラン、高速道路の割引制度設計、高速道路の補修技術の調査とまとめなどで、バイオ関連の仕事は一つもなかった。

そして、この会社が取ってくることができる仕事の「柱」は、中期的に変わってくる。1990年頃は防衛庁の仕事が花形だったし、そのあとは環境や住宅、そしてITと変わってきた。今はどのあたりが花形なのかわからないが、以前飛ぶ鳥を落とす勢いだった管理職が窓際に追いやられているとかの噂は頻繁に耳にする。社会情勢はコロコロ変わるけれど、自分の専門性は簡単に変わらない。とすれば、少しでも長く、役所にぶら下がって仕事を確保することが大事で、そのためにはクライアントのご機嫌取りが欠かせない。これが高残業体質の理由である。

では、どうしたらこの会社の高残業体質は改善できるのか。結局、問題は「専門に流行り廃りがある」ことで、こればっかりはどうしようもない。仕事内容に対策がないのだから、考えるべきは人事である。つまり、もっと人間の出入りを頻繁にすれば良いのである。仕事が増えてきたら人材を増やし、減ってきたらクビにする。こんなにも終身雇用が似合わない会社も珍しいのだ。30代前半でも1000万円以上の年俸を稼ぐ人材なら、すぐに次の仕事ぐらい見つからなくてどうする(もちろん、日本のような硬直した労働市場では、実際には難しかったりする(笑))。

#実際、総研を辞めて独立し、総研の外注先として頑張っている人も数名知っている。仕事があるときは発注できて、ないときは発注しなくて良いのだから、総研としてもありがたいはずである。

理化学研究所(1998〜2001)
この組織は三菱総研以上にクライアントがはっきりしてる。言うまでもなく、文科省である。完全に文科省の下請け組織、予算消化組織だが、この組織の面白いところは高残業と低残業の所員がくっきりとわかれていることである。高残業なのは企画担当者で、研究所の研究員の意向と文科省の意向をすり合わせ、一所懸命調整を続ける。特に予算の時期は大変で、文科省の担当補佐のオーダーにあわせて各種資料を作成している。ここで文科省に対して「今日は定時で帰りました。明日対応します」といった返答をしたらどうなるのかは非常に興味深いのだが、その影響は文科省にとどまらず、財務省や政治家にも及ぶ可能性があって、「どうなるか」は空論に過ぎない。このあたりを理研の人事部も良くわかっているので、そもそも「もう帰りました」などという事態になりそうな人間をこうした要職に配置することはない。

そうやってボロボロになるまで働く人材は、異動のたびに忙しい部署にまわされ、あっという間に出世する。このあたりの人事制度はそこそこ良くできていると思う。

理研の場合、こういった優秀な人材の他に役に立たない人材も山ほどいるのが特徴で、彼らは同僚が残業していると、お付き合いのように会社に残ってゲームをしていたりする。僕などは全く気にしないタイプなので「お先にー」と言って帰っていたのだが、「同僚が頑張っているので帰りにくい」という意識と、「でも、手伝う能力はないし、やることがない」という現実と、「とりあえず残っていたら残業代が貰える」という打算から導き出される結論がゲームだったようだ。

この組織の場合、意識の高い少数の人間に仕事が集中する仕組みになっている。平準化しようにも、意識が低い人間はそもそも能力が低いので、対応できない。じゃぁ、どんどんクビにして、新しい血を導入したらどうか、というのも正論ではあるけれど、所詮、主役は研究者だし、組織は文科省の予算消化が主業務で別に面白い仕事でもないし、優秀な人材はそうそう集まるものでもない。実際、天下り以外の、プロパーの所員で東大卒とか、全然いないんじゃないだろうか。

公務員の正しいあり方とは、それほど能力が高いわけでもなく、野望もなく、ただ性格はそこそこ良くて、普通に結婚してマイホームを築き、子どもを育てて幸せに生きて行きたいだけの人に仕事を与えることだと思っているので、ある意味、理想的な組織だと思う(ただ、給料はもうちょっと安くても良いと思うけれど(笑)。ノーリスクなんだし。あと、厳密にはここは公務員ではなく準公務員)。そういう理想的な組織を支えているのが、高い意識のもとに働き続けている少数の優秀な人材、というのが実情だった。

この組織の一部の人材の高残業体質を改善することは、組織の存亡に関わるので、非常に難しい。おそらく、唯一の解決策は企画担当者の給与をアップすることである。これによって、有能な人材を少しでも増やす。今は優秀な人間が少ないのが最大の問題点であって、でも、給料は安い、仕事はつまらない、周囲には役に立たない給料泥棒が溢れている、では優秀な人間は見向きもしないだろう。同時に、能力が低い所員の給料は下げる必要がある。安定して給料がもらえるだけでもありがたい話なのだ。

経済産業省(2001〜2003)
この組織は前述の2組織と比較して、人材の能力という点では頭ひとつ(いや、ふたつ)抜けていて、とにかく優秀な人間が多かった。中にはこれまでの一生で見たことがないほどに優秀な人材もいた。

ここでは役割分担がはっきりしていて、各人が求められている能力を提供していた。残業の理由は主として政治家対応と財務省対応があって、根が深いのは政治家対応の方だった。「政治主導」と言えば聞こえは良いけれど、実際には政治家の能力はほとんどのケースで官僚よりも下(それも、はるかに)なので、放っておくととんでもない方へ行ってしまう。問題は先送りすればするほど悪影響が大きくなるので、なるべく早いうちに修正しておく必要がある。つまり、将来の泥沼を避けるために、今の残業があるのである。特に筋が悪いのが議員立法で、法律の初心者が法律を作ろうとするのだからうまくいくわけがない。官僚の仕事を増やすのは、多くの場合で政治家である。政治家が「役所とは敵対するのではなく、使いこなさなくてはならない」と言っているのを耳にすることがあるがとんでもない。使いこなされているのは政治家の方である。能力が低い側が、能力の高い側を使いこなせるわけがない。もし本気で使いこなそうと思うなら、相当真剣に勉強し直す必要があるだろう。

この組織の面白いところはそこそこに勢力争いがあることで、一つの課の中でも「◯◯派と☓☓派の対立」などが存在する。課長が敵対している派だったりすると、部下の課長補佐は全く動かなくなったり、指示を無視して勝手に動いたりする。こういう事態になっても、誰かが仕事をしなくてはならず、結果として課長派の補佐と、派閥争いとは無関係に処理能力を発揮するノンキャリがとばっちりを食うことになる。彼らは彼らで意識が非常に高いので、文句をいう事もあまりなく、黙々と仕事を続ける。こうして、役所はより一層高残業体質になっていく。

中央官庁の残業体質の改善は非常に簡単で、1つ目に国会待機をなくすこと、2つ目に財務省待機をなくすことである。さらに理想を追求するなら、政治家には出馬前に資格試験を受験させ、一定の知性と知識を持ち合わせていない人の議員立法は禁止する、といった手段もありうるだろう。とにかく、この国の政治家の能力は低すぎる。では、政治家の能力をアップさせる近道は何か。僕は政党が自分のシンクタンクを作って、所員として中央官庁の課長や課長補佐を引き抜くのが近道だと思っている。もちろん、彼らは有期雇用だ。

まとめ
理研はともかく、三菱総研と経産省はエリート組織なんだから、そろそろ有期雇用に切り替えて、人材の流動化を図るべきだろう。

三菱総研ははっきり言えば「辞めることができない人」ばかりが残っている会社なので、将来性が感じられない。本当なら、むしろステップアップとして利用されるべき会社である。そもそも、この会社には人材を育成する能力などこれっぽっちもないのである。この会社で優秀な社員は、最初から優秀なのだ。

経産省も、もっと外部人材を取り入れたら良いと思う。僕は任期付きで転職したけれど、入省してすぐの段階でたった一人で外部の委員会に出席させられて、意見を言わされてびっくりしたことを覚えている。何にびっくりしたかって、好き勝手に自分の意見を言って良かったからだ。喋った内容は議事録に残るけれど、事前にストップがかかることはなかった。こうした体質は素晴らしいと思うし、より多くの人が経験すべきだと思う。日本では、役所の内部のことなど何も知らないくせに、新聞やテレビのコメンテーターの無責任な発言をそのままに「だから官僚は」と発言する奴が多すぎる。何か気の利いたことを言いたいなら、まずは2年ぐらい、現場でやってみろ、と思う。でも、今はまだその機会が十分に与えられていない。役所への理解を深める意味も含め、さらに人材交流を深めるべきだろう。それも、企業からの出向という形ではなく、有期雇用で、である。

僕は、全部の人間を有期雇用にしろ、とは考えていない。できる人は有期、できない人は無期、そのかわり、有期雇用は相対的に高給で処遇、ということから始めて、徐々に有期の割合を増やしていけば良いと考えている。少なくとも、東大を出ているぐらいの人材なら、有期雇用で良いでしょ、と思うのだが。

おまけ
冒頭の記事では、人命と企業を天秤にかけている。どちらが大事かって、それは人命だろう。しかし、人を大事にしていたら、企業そのものが潰れかねないという現実もある。企業と労働者の闘争を見ていると、労働者が「会社は潰れない」という前提に立っている気がしてくるのだ。会社の役割は雇用を創出することで、そこに「絶対的安定」までを求めてしまえば、会社そのものがなくなってしまう可能性もある。山一證券、カネボウ、サンヨー・・・と、色々な事例を見てきているのだから、そろそろ会社は潰れるもの、という現実を直視すべきだ。労働者は、もう少し会社から距離をおくべきで、それができないからこそ、会社はブラック化するのである。  
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2013年06月15日

左翼のクズ発言を調べてみたら子ども・被災者支援法を巡る政争に行き着いた

復興庁を更迭された水野氏のツブヤキがまとめられていたので、読んでみた。

復興庁 水野靖久参事官の主なツイート
http://togetter.com/li/516870

ざっと読んでみての感想は、「水野氏はいたってまともな人だ」というものだ。大臣をはじめとして、筋の悪い政治家たちに振り回されている様子が良くわかる。僕自身、経産省で課長補佐をやっていたとき、背後に一般生活者がいることを盾にとって、無理難題を突きつけてくる政治家を目にしたのは一度や二度ではない。

このネタについてネットの反応を見てみると、公務員を叩きたくて仕方のない人がチラホラ見つかる。こういう人たちは自分の生活が公務員によって支えられていることを全く理解していないのだろう。もちろん、良い公務員もいれば悪い公務員もいるのだが、悪い公務員を見つける度に「だから公務員は」と十把一絡げに言ってしまうのは問題が多い。公務員ではなく、個別の人間で評価すべきである。

ちなみに邪悪な官僚の例はこちら

参考資料>御用学者の明けない夜(このブログの過去記事)

#でも、だからといって、邪悪な官僚ばかりじゃないよ。てか、大半は頑張ってる。特に若手。

水野氏の発言をTogetterで見る限り、問題となりそうなのは「左翼のクソども」というものだけだ。他についてはむしろ中央官僚の現状や問題点を「愚痴」という形で間接的にあぶりだしていて、僕たち生活者からすれば「窓」の役割を果たしていたと評価できる。彼がTwitterをやめてしまうのは、実は僕たちにとって損失が大きい。ちょっといくつか取り上げてみよう。

労働者の党が通告を出さないため、多数の労働者が深夜残業なう。


労働者の党というのがどこなのかは良くわからないけれど、ホント、こういう嫌がらせなのか、無能なのかわからない対応によって待機がかかることは良くある。待機をかけさせることによって、公務員を調教している気になっているのかも知れないけれど。

今日は、田舎の町議会をじっくり見て、余りのアレ具合に吹き出しそうになりつつも我慢w


これだって、本音だろう。このコメントが不適切かどうかは、町議会の内容をチェックしてみることから始めなくてはならないはずだ。表現に品があるかないか、ではない。中央官僚の目から見て「吹き出しそう」な議論がどんなものだったのか、その検証の方が大事だと思う。

大臣室、副大臣室にもう胡蝶蘭がたくさん届いてる。誰になるかまだ分からないのにw


こういう、政治家とべったりというか、大臣とべったりなのが誰なのか興味深い。

明らかに政治主導が定着しているのに、なぜ官僚主導と言われ続けるのか理解不能。


政治家と官僚の現在が垣間見える貴重な発言である。

官僚組織は、大臣が無能であれば徹底的に指示を骨抜きにするが、有能であれば盛り立てる。政治主導が実現できるか否かは実は大臣の資質次第。


僕は下っ端の補佐だったから大臣が有能なのか無能なのかはわからなかった。でも、すぐ上の課長に対しては確かにこういう姿勢だった。気持ちは良くわかる。問題なのは「有能か無能か」で判断できていれば良いのだけれど、「都合が良いか、悪いか」で判断していると困ったことになる、ということ。そのあたりを含めると、本音ではあるものの、問題のある発言である。ただ、問題があるのは水野氏ではなく、政治家と公務員の関係性における「距離感」である。発言自体は、これまた「こういう問題が存在する」ということをあぶりだしていて価値が高いと思う。

日本の官僚組織の最大の長所かつ欠点は、何事も徹底に「詰める」文化。上質な政策が出来上がる反面、時間がかかりすぎ、職員の負担が大きすぎる面も。個人的には何事もエイヤーと決めてた市役所時代が懐かしいけど。


的を射ている。

総理の国会答弁には、答弁作成責任者(課長クラス)の自宅、役所、携帯の電話番号を書かされて、実際、総理秘書官から、夜中、早朝でも容赦無く問い合わせの電話がかかってくることもあるという恐ろしいシステム.....


政治家の官僚依存っぷりが良く分かる。こういうのを以って「官僚を使いこなす」と発言してしまうのが日本の政治家である。

公務員の給与を引き下げろと主張する某党の代表が本会議の通告を出さないため、退庁できない職員多数。今日だけで数千万円の残業代が浪費されたものと推測。


これはみんなの党かな?ちなみに経産省の場合は残業代も予算化されていたので、残業させても支払われる額は一定だった(^^; 要はサービス残業。だって、残業代の予算額は増額されないから仕方ないよね。多分、復興庁も同じなんじゃないかなぁ(笑)

今さら被弾なう。20分の質問時間しかないのに29問も通告してくる某党代表の見識を問う。


これは我らがみずぽんかな(笑)?

参考資料>福島瑞穂のガイドライン

我が社の大臣の功績を平然と「自分の手柄」としてしまう某大臣の虚言癖に頭がクラクラ。


これが本当なのか、きちんと調べるべき。

左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。不思議と反発は感じない。感じるのは相手の知性の欠除に対する哀れみのみ。


この「左翼のクソども」というのだけは、問題だろう。ただ、これだけで処分されるべきかどうかは難しいところだ。あと、不特定の人物について書いたものではなく、多分所属がわかっている人物たちを指してのことだと思われるので、その人物たちが本当に左翼のクソである可能性もある。まずは誰たちを指してのことなのか、調べてみる必要があるかも知れない。

ドラえもん似の議員のレクがまだ始まらない。


高橋千鶴子氏(共産党)は確かに顔が丸い。

国会答弁など一問15分あれば書けるのに、朝まで無駄に時間をかけて書く連中が多いのも事実。


これも良い指摘。

と、いくつかのツブヤキについて論じてみたけれど、一般の生活者にとっては有益なものがある。

さて、Twitterの書き込みだけを読んでいるとこんな感想になるのだけれど、復興庁が良い仕事をしているかどうかとか、水野氏の能力がどうだったのかは、これらの発言からは全く見えてこない。じゃぁ、水野氏はどんなことをやっていたのかな、と思って、このまとめを作ったPurPlanet-TVの記事を読んでみた。

被災者や議員へ中傷ツイート連発〜復興庁「支援法」担当
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1598

この記事の中で興味深いのは子ども・被災者支援法に関するくだりである。見えてくるのは、民主党と自民党が、この法律を巡って暗躍していることだ。このサイトでは水野氏を叩いているけれど、水野氏の姿勢が、政権与党が交代したことによって変わってしまうのはある意味仕方がない。要は社長が交代してしまったのだから。社長の方針がガラッと変わってしまえば、自分の姿勢も変わってしまうのが当たり前である。ところで、このサイトはサイトで、何か怪しい感じがある。ちょっと調べてみたら、今度はこんな記事が見つかった。

経産省前ひろば・脱原発テントの600日
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1588

あー、こっち方面か。ということは、このサイトも中立ではない。なので、このサイトが提示している事実関係は参考にするものの、サイトの主義主張については参考にならないと思う。これ以上は、かなり突っ込んだ調査が必要そうなので、専門外の僕はこの辺で一旦手を引くことにした。以下、ここまでの個人的中間まとめである。

1.Twitterの件だけで水野氏を更迭したことは、総合的には損失が大きい
2.背後には子ども・被災者支援法を巡る政治的な動きがある
3.水野氏は、その動きに巻き込まれた可能性が高い
  
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2012年06月10日

育休問題の本質を考えてみる

こんな記事を教えてもらった。

「女性は育休取らずに会社辞めて」 調査結果に波紋広がる
http://www.j-cast.com/kaisha/s/2012/06/08135021.html?p=all

「出産するなら辞めてよ」という会社が25%にのぼる、という内容だ。でもさ、これって、全然普通の話なんだよね。って書くと、主として女性陣から「えーーーっ!?」って言われそうだけど。その主旨は多分、「出産で会社に来ることができない女性だけが一方的に不利益を被るじゃん!」っていうことだと思うのだけれど、実際にはその不利益で失うことになりかねない、「(出産しなければ失わずに済んだはずの)クビにならない権利」の方が問題なんだよなー、と思う。

本当なら、男性も、出産しない女性も、出産する女性と同様にいつでもクビになる状態であるべきでしょ。出産した女性が会社に戻ろうと思った時、その女性がちゃんとした能力を持っているのなら、彼女の復職を妨害するのは、子供を産まない人たちの存在でしょ。平等に評価して、「こっちの方が能力が高い」ってことなら、今いる社員をクビにして、出産してきた女性を雇用すれば良いはず。

あなたが辞めても代わりはいるから、ってね。

クビを切りたいのに切れないでいる会社が、「出産」という女性特有のイベントを口実にしてクビを切るから問題になる。本質は「クビを切りたいのに切れない」という状況なんじゃないの?

子供を産んだ時、「子持ちだから早退とかしたり、残業も無理がきかないでしょ」ということで差別されてしまうとすればそれは社会システムの問題で、そういうことが起きないようにきちんと社会資本を整備していく必要はあると思うけれど、その前段階として、会社組織は能力のある人材にどんどん代謝していくべきなんだよ。

要は、「出産する女性が不利益」なんじゃなくて、「出産しない男女が利益を得ている」っていうこと。

僕が昔勤務していた三菱総研は、三菱系各社のお偉いさんのお嬢様たちを事務系で縁故採用して、社員の嫁さん候補にしていた。バブルがはじけてから、そういう女性社員が辞めなくなってしまった。おかげで若い女性を雇用する枠がなくなってしまい、長い間事務系女性の採用がストップし、女性社員の高齢化が進んでしまった。三菱系ということで産休とかも充実しているから、みんなどんどんそういう休みを取る。結果として、世代間格差はもちろん(多分、若い女性事務系社員はほとんどが派遣社員)、未婚女性と既婚女性の間の亀裂も発生しているんじゃないかな、と想像している(最近内部の話を聞かないから正確なところは知らないけれど)。

日本の場合、40代以上の既得権者層が分厚いし、加えて少子化の影響もあって、若い女性の発言力は凄く小さい。加えて、彼女たちも「運が良ければ私も勝ち組に入れるかも」と思っているから、なかなか「労働市場の流動性をもっとアップさせましょう」とは言い難い。こうしたことも日本社会がデッドロックに陥っている理由なんだと思う。

今の日本は年金問題という本家本元の世代間格差問題があって、少子化対策のような「どうしようもない問題」までもが絡んでくる。先進国ではどこでも少子化なんだから人口が減るのは当たり前で、それを前提とした社会システムを構築しなくちゃならないのに、いつまで経っても「どうやったら子供が増えるか」なんて不毛な議論を続けている。そういったことも、この産休問題の本質を見えにくくしていると思う。

どこまで行っても、多くの雇用関連問題は「年功序列」と「終身雇用」という旧態依然とした社会慣習に帰着するんだよね。みんな、わかっていると思うけれど。  

2010年10月23日

不景気も、悪いことばかりではないのかも?

何度か似たようなことを書いているとは思うけれど。

僕は三菱総研にいたとき、そこそこまじめに組合活動をやった人間である。そのあと経営の側になって、あのときの活動ってちょっと違っていたんじゃないかなぁ、と思う次第。会社の経営というものについて、きちんと見ることができていなかったと思う。

会社でも、店でも、経営者と労働者の関係は、「経営者は労働者が働く場所を作る。労働者は、経営者が作った場で働いて賃金を得る」というものだ。先日、新宿の会員制のクラブのママと話をしながらつらつら考えを整理してみたのだけれど、ママは身銭を切ってその店を切り盛りしている。そこでは複数の女の子達が働いているわけだけれど、僕がその中の誰かを気に入ったとして、「じゃぁ、次からはこの店じゃなくて、別のところでデートしよう」と誘い、相手の女の子が「わかった!」と了解してしまうと、ママにはお金が全く入らない状態になってしまう。これでは、リスクを背負って店を経営しているママは困ってしまう。ママが困って店を閉めてしまうと、そこで働いていた女の子の仕事がなくなる。その場所が働きやすい場所であればあるほど、お店の女の子はそういう店外活動を控える必要が出てくる。ただ単に客という視点から見ると「どうせお金を払うなら、お店でお金を使うよりも美味しいものでも食べようよ」ということになるし、それが理由で僕は自腹でキャバクラに行ったことは一度もないのだけれど、話が経営の視点、労働の場所の確保という視点になれば、「お金はお店で使って」ということになる。本来、労働者も「労働の場所を確保する」という意味で、経営のことをきちんと考える必要があるわけだ。それを無視して労働者の権利だけを強硬に主張すれば、会社の経営は傾くことになる。そして、会社の経営が傾いたとき、日本のように労働市場が硬直している国では、一番困るのは労働者自身でもある。株主、経営者、労働者を一行で書けばこんな感じだ。

株主:リスクマネーを払っている、会社の持ち主
経営者:株主から任されて会社を運営している人たち
労働者:会社で働いて賃金をもらっている人たち(=会社がなくなったら困る人たち)

時々「会社は社員のもの」とか言っている馬鹿を見かけるけれど、とんでもない。会社は株主のものだし、経営をコントロールするのも株主だ。そして、会社の方針がイヤなら、労働者は他所に行けば良いだけのことである。そういう流動的な労働市場が形成されていないのがそもそもの間違いだけれど、例えば僕の場合は三菱総研→理研→経産省→株式会社アドバンジェン→株式会社ライブログと、会社を転々としているわけで、やってやれないことはない。今の日本は残念ながら誰でも能力さえあれば好き勝手に転職できるような環境ではなさそうだけれど、それにしても「会社は社員のもの」というのはかっとびすぎ(森永卓郎氏なら平気で言いそうだけれど)。社員は必要要素だけれど、それと所有者は全く別の概念だ。例えば読売ジャイアンツの坂本が「ジャイアンツは俺のものだ」とか、サッカー日本代表の長友が「日本代表は俺のものだ」とか言ったら「はぁ?」って感じなのと一緒である(もちろん彼らがそんなことを言ったわけじゃないですよ。分かりやすいように誰でも知っていそうな事例を出しただけ)。必要要素のひとつであることと、「誰のものか」という議論は全く次元が違う話である。

さて、つい先日、ソフトバンクの孫さんが

会社で買った武器(ここではiPhone、iPad)を個人使用するな、というケチな会社があります。僕に言わせればとんでもない。


と語ったらしい。

会社購入のiPadを個人利用するな、なんてとんでもない---ソフトバンク孫社長

ここで書かれていることには僕はほぼ全面的に賛成である。でも、

移動時や在宅時にも利用できるため、時間も有効に使えるようになった。


などという部分を見ると、「労働の場所を確保する」という視点が欠落している人間はすぐに「労働強化だ」とか、「時間外労働の隠蔽だ」などと言うに違いない。実際、労働の強化だし、時間外労働の隠蔽でもあるのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど、そういう制度にならざるを得ない賃金制度こそが問題でもある。例えばコンビニやファストフードの店員は、店にいるときだけ働けば良い。厳密には接客について色々考えたりもするだろうが、基本的には店にいるときだけ労働力を提供すれば良い。だから、時間当たりいくら、という「時給」の考え方が成立する。しかし、多くの仕事では、これは成立しない。何時間働いたか、ではなく、どの程度稼いだか、である。その点、給料とは税金の考え方に近くてしかるべきで、「あなたは私の作った労働の場所で1000万円の利益を生み出しました。だから、私はあなたに500万円の給料をお支払いします。残りの500万円で、私は引き続きあなたが働きやすい場所を提供します」というのが経営者の考えである。例えば三菱総研の場合、1998年当時で僕のノルマは5000万円、僕の給料は年俸で1000万円程度だったけれど、会社の維持費(看板代も含む)としての差額4000万円というのが正当かどうか、というのが、本来経営者と労働者が調整すべきものだったはずだ。でも、今から振り返ってみると、少なくとも僕にはそういう考え方はなかった。僕の場合は「もっと働きやすい環境を作れ」というもので、もっと具体的に言えば「バイオ関連の仕事がとってこられるような環境を整備しろ」というものだったのだけれど、それが三菱総研で実現できないと経営、および人事から提示されたので、僕は理研への出向を経て経産省に転職した。それが間違いだったとはこれっぽっちも思っていないし、そうやって転職するのに大きな困難が生じない、踏み台として利用したときに大きな効果を発揮する会社だったのだから、三菱総研というのは良い会社だったとも思う。それでちょっと話がずれたけれど、要は、三菱総研は「あなたの稼ぎから4000万円いただいても、あなたが働きやすい職場は作れません」と言ってきただけのことで、僕は僕で、「今の環境では5000万円稼ぐのは無理なので、転職します」と答えただけのことである。他の分野では可能でも、バイオでは無理だった、と、それだけのことだ。では、仮にそれが可能だった場合、どうなるのか。大事なのは、5000万円稼いで、4000万円を会社に納めて、残りの1000万円を自分のものとする、ということで、労働時間が何時間だとか、残業がどうとか、そんなことは一切関係ないはずである。これは三菱総研という勤労の場がそういう性質だったことによるのだけれど、でも、一方で多くの勤労の場でも大なり小なり、似たような状況にあるとも思う。

孫さんが言及したソフトバンク各社も同じだろう。三菱総研のように小さな個人事業主の集合体という場ではないと思うけれど、それでもファストフードの店員のように、店にいる間だけ言われたことをやっていれば良い、という部分は少なそうだ。だから、賃金と言うのは、その働いている状況にあわせて、能力主義・成果主義にするか、労働時間に合わせるかを考える必要がある。ところが、日本では能力主義・成果主義が嫌われる傾向にある。それは、成果主義導入のきっかけがバブルがはじけたことで、経営コストを低減するために、経営者の視点中心で導入が図られてきたからである。しかし、上にも書いてきたように、能力主義・成果主義は、労働者の視点からも歓迎されるべきだし、それによってくだらない「残業」などという概念も不要になる(ケースもある)。

経営者と労働者は一方的な関係ではない。労働者がいるおかげで経営者は会社を維持できるし、経営者が場を提供しているから労働者は日々を暮らしていくためのお金を得ることができる。15年ほど前までは大企業を中心として「会社は未来永劫存続して当たり前」だったわけだけれど、山一證券の廃業あたりから少し風向きが変わってきた。でも、山一證券のときはまだ、「あの会社は儲けすぎていたから」みたいな雰囲気があって、まだ多くの会社員が「やばい」と感じるまではいかなかったんだと思う。でも、日本航空の話などもあって、そろそろみんな「やっぱり、やばいのかも?」と感じるようになってきたようだ。おかげで公務員になりたい、などと考える大学生が増えてきているようだけれど、そんな学生ばかりだとすれば、日本の経済の回復はもうありえず、ただただ衰弱していくだけだろう。

必要なのは、リスクを背負いつつ、経営者と労働者が相互に理解しあい、会社を成長させていくことで、そのためには「iPadぐらい買ってあげますよ。家に持ち帰っても構いません。家ではゲームとか、好きに使って良いですよ」ぐらいは当たり前の話だし、一方で、「成果をあげるためには会社だけじゃなく、家からもネットに接続できて、お客様にメール連絡できるほうがありがたい」と考えるのも当たり前の話。こんなの、宣言するような話でもないのだけれど、それをソフトバンクみたいな会社の社長がわざわざ確認しなくちゃならないところに日本のお先真っ暗感が見て取れる。

こういう話を読んですぐに「労働強化じゃん」とか考える人はきっと社民党支持者とかなんだろうな、などと思うし、そういう人がいても構わないけれど、少なくともうちの会社では絶対にやっていけないだろうな、と思う。また、そういう人は公務員とか、年功序列・終身雇用の衰退大企業が向いているし、そういう組織では「家で遊ぶかも知れないからiPadを全員に支給するなんてとんでもない」と考えるだろう。どちらを選ぶかは本人次第なので、大事なのはそういう情報、会社がどういうスタンスなのかをきちんと発信することなんだと思う。孫さんのソフトバンクは、こうだ、と。

ライブログは完全に成果主義です。もうちょっと稼げたら社員全員にiPadも支給したいですが、まだそこまでは稼げていません。社長も自腹で買ってます。「ヘアカット.jp」で頑張りたいものです。

冒頭で事例をあげたクラブ、少し前に行ったとき、「今日は入店希望者のテストなの」っていう女性がいた。次に行ってみたらいないので、どうしたのかな、と思ったら、落としたと。ママ曰く、「シングルマザーで仕事がなくて困っていたみたいだけれど、うちでは無理だと思ったから」とのこと。大学生の就職難という話ももう何年も続いている。働く場所があるということは凄くありがたいことだってことをそろそろ労働者は理解すべきだ。誰でも仕事がある時代じゃぁなくなったということ。「そんなことなら労働者でいるのはイヤだ」ってことなら、経営者になって、自分で労働する場所を作ればいいだけの話。会社法の改正で一円会社が可能になったのは非常に良いことだ。誰でも労働する場所を自分の思い通りに設計して、作ることができる。

会社って誰のものなの?なんていう幼稚な議論が成立してしまう日本だけれど、今の不景気を機に、みんながきちんと「会社とは何か」を考えるのであれば、不景気も悪いことばかりではないのかも知れない。

#全然話は違うけれど、現状のシンクタンクって、協同組合(中間法人)がフィットすると思う。シンクタンクのOBを集めて共同組合を作ってみようかな・・・・・。でも、そういうのがないってことは無理なのかなぁ。少なくとも関連システム会社を上場廃止にして子会社化、そこに三菱総研の看板をつけて再上場、なんていうのよりはずっと良いと思うのだけれど。  

2009年11月04日

綾波システム

僕は今のところ、365日、ほぼ24時間、お客様から緊急の連絡があれば対応できる状態を作っている。ただ、僕はマナーとか法律とかにも比較的センシティブな人間なので、電車の中で電話に出ることとか、自動車を運転しているときに電話に出ることとかはしない。また、移動は地下鉄が多く、携帯が圏外にあることも少なくない。当然のことながら打ち合わせしている時間もかなりの部分を占めるので、そのときも電話、メールに対応することはできない。だから、必ずしも即時対応ということではない。クライアントとのコンサル契約とかでは「24時間以内の対応」を約束している。

と、いうことで、僕には「これは休日」なんていう日は存在しないのだけれど、ベンチャーとかやっていれば当たり前の話で、僕の会社だけじゃなくて、僕の周辺の会社の奴らも似たような状態。少なくとも、日本にいるのに24時間連絡がつかない、なんてことはまずない。でも、別にそういう状態であることがストレスでもないし、逆に金曜日の夜にクライアントから連絡があったのに、月曜の朝までそれに気がつかなかった、なんてことになってしまうことの方がよっぽどストレスだ。

でも、この間、ある会社の社長と、現在進行形の仕事の打ち合わせをしていたとき、「担当の○○さんは凄く有能だけれど、土日はしっかり休む人なので、連絡は平日の昼間にお願いします」と言われた。ベンチャーと言っても、これはこれで当たり前で、そういう勤務スタイルはそれはそれで尊重されるべきだし、そのことを理解しつつ、ビジネスパートナーにそれを説明する社長(ちなみに社長は365日対応)は、それはそれで偉いと思う。

また、その会社の役員と打ち合わせをしていたとき、こちらが金曜日に急ぎのオーダーを出したら、「日曜日に対応します」との返事。「いや、急ぎは急ぎだけれど、土日に出勤する必要はないです。月曜日で構いません」と言ったら、「ちょうど日曜日に出勤する用事があるので、大丈夫です」とのことだったのでお任せしてしまった。彼と僕との関係を考えれば、嘘をついてまで休日出勤するとは思えないので、本当に日曜日に出勤する仕事があったんだと思うのだけれど、こちらとしては非常に助かった。

またこれは別の話なんだけれど、ある親方の話。彼は職人を複数抱えている親方なんだけれど、クライアントのオーダーに対して職人を派遣している。契約は時間で決まっていて、時間内に一定の作業を終了しないと、残業になってしまう。そんな状況で、彼の愚痴を聞いた。いわく、抱えている職人のひとりの評判が芳しくなくて困っているとのこと。どうしたのかと思って突っ込んで聞いてみると、その職人は就業時間中に手を抜いて、残業を増やし、それによって給料を多くもらおうとするらしい。その結果、派遣先の評判が悪くなってしまい「彼以外の人を頼む」と言われてしまっているそうだ。一定の時間の中で想定される量の仕事をきちんとこなす。こういうことが要求される場面も間違いなく存在する。そして、それができなければ、名指しで起用を拒否されてしまう。

こうして考えてみると、就業時間と非就業時間をどう考えるか、というのはそれぞれのライフスタイルによって選択できることが重要だと思うのだけれど、一方で、会社側が従業員に対して要求するのはあくまでも「成果」であって、「時間」ではないと思う。「中には時間が重要な仕事もあるんです」という考え方もあるのかも知れないが、時間を成果に変換できないような仕事を僕はあまり思いつかない。

それなのに、なぜ成果主義は嫌われるのか。あるいは、機能しないのか。

僕が上に挙げた事例で登場したのは、僕だったり、社長だったり、役員だったり、親方だったり、要は、人事権を持っている人間である。結局のところ、成果主義というのは人事権とセットなのである。

人事権(というか、解雇権)の話になると、今度は「上司に人事権を握られていたら、何の反論もできなくなる」なんていう話が出てくるのだけれど、上司が人事権を濫用して次々に従業員を解雇すれば、上司が責任を持たなければならない部署の成績が落ちて、その人の評価そのものが低下することになる。上司の評価が落ちれば上司の給料は下がるし、場合によっては解雇されるわけだから、自分の権利を濫用するということは合理的な行動ではない。逆に言えば、解雇されるリスクが小さいから濫用などということが起きるわけだ。

成果主義というのはあくまでも組織の効率化を進め、組織の充実と拡大を目的としているはずなのだけれど、責任の所在が不明確、かつ十分な権力を行使できず、しかも社会全体にそれを許容するだけの包容力もないというのだから、うまくまわるはずがない。

しかし、そんな状況にあっても、「なんとか成果主義をうまくまわしていきましょう」という人たちは少なからずいるし、「ただ座っているだけで何もせず給料をもらうなんておかしい」という考え方は徐々に浸透しつつある。問題は、「これまでただ座っている人たちのために苦労して、ようやくただ座っているだけで給料をもらえる立場になった人たち」と、「「将来はただ座っているだけで給料がもらえるのが良いなぁ」と思っている人たち」の力が意外と強いということで、この手の話は自民党も民主党も言い出さない。それで、僕としても、「成果主義以外はタコ。廃止!」「ただ座っているだけの奴は退席!」などと言うつもりはない。せめて、成果主義も選択できるような社会環境になれば良いのにな、と思う。

でも、社会環境が変わるのをじっと待っていたら、多分老衰で死んじゃう。だから、今は厳しくても、なんとかやっていかなくちゃならない。ひとりじゃ難しいけれど、意外と仲間はいたりする。僕は「綾波システム」などと茶化して笑いながら話しているけれど、雇う側も、雇われる側も、全ての階層で「代わりはいるもの」ということを意識しつつ働くのも決して悪くはない。

「君に求められていることはわかっているはずなのに、なんでちゃんとやれないの?できない、やれない、あきらめる、というのならそれでも構わないんだよ?別に君の代わりはいくらでもいるんだから」

「僕は社長なんてやっているけれど、社員たちはいつでも僕に辞任勧告できる。社員のために働けない社長だと判断されたら、それはそれで仕方がない。社長だって、代わりはいくらでもいるんだから」

明文化こそしていないものの、実際にその考え方で動かしていて、それがきちんとワークしていて、学生たちの支持を得ている会社もあるのだ。「あそこでやれれば一人前」という、ふた昔前ならニッポン放送、一昔前ならリクルートみたいな会社が。今、ニッポン放送のOBやリクルートのOBが色々な場所で活躍しているのと同様、そういう会社を巣立った人間が活躍してくれる社会になればと思う。

注釈:綾波システムの対語は「せかばなシステム」で、正式名称は「世界に一つだけの花システム」。この間、上に書いた会社の役員と徹夜でカラオケしたときに彼がこの歌を歌ったので、「お前、それは違うだろ(笑)」と思ったけれど、黙っておいた(笑)。  
Posted by buu2 at 12:22Comments(0)TrackBack(0)社長

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2008年06月07日

タクシーでビールもらうとそんなにマズイんですかね?

最近の報道ステーションを観ていて、「ようやく多少はマトモになってきたかなぁ」と思っていたんだけれど、そんなことはなかったような。

今日は中央官僚がタクシーでビールをもらったということを物凄い勢いで「けしからん」と報道していたのだけれど、お前ら、本当にそれがそんなにけしからんのか、と言いたい。別にタクシーに乗ってビールを飲むために残業してるんじゃないと思うぞ。

そもそも、中央官僚がどういう理由で残業するのか、良く考えた方が良い。タクシーに乗りたいからなんかじゃなくて(もちろん、こういう奴もいるかもしれないけれど)、大抵の場合は「待機」がかかるから。安易に「待機してくれ」とか言ってくる奴がいるから帰れなくなる。

ちなみに僕はタクシー帰りが嫌いな人間だったので、タクシー券もほとんど利用したことがないのだけれど、それでも数回タクシーで帰っている。で、タクシーで帰るときは必ず個人タクシーを選んでいたんだけど、それは何故かって、ドアの上に小さなライトがあって、それで読書ができるから。これって、サービスだよね?で、そうやって個人タクシーを選ぶと、3時過ぎとかだと新聞を読ませてくれたりする。これも結構ありがたい。これって、サービスだよね?で、一度だけ、「大変ですねぇ」って言われて、リポビタンDか何かの栄養ドリンクをもらったことがある。これってまずかったの?そうですか、ごめんなさい。今日のどこかのテレビの資料で経済産業省でタクシー接待を受けた人の人数が公表されていましたが、僕は一本飲んだことがあります。なので、なんなら数字を一つ増やしておいてください。

あ、経済産業省では当時、10時過ぎになると守衛さんが回ってきて、「今日は終電までに帰れますか?」と質問していた。そのときに残業が決まっていないと、基本的にタクシー帰りは不可。そのあと仕事の都合でタクシー帰りになったりすると結構手続きが面倒くさかった。少なくとも、残業に対してルーズだった印象はない。

正直、こんなつまんねぇことで目をむいて文句を言ってる古館と横に座ってるおっさんの方がなんかちょっと違うんじゃねぇの?って思う。まぁ、飲まない方が良いから、今後は注意しろよ、でオシマイでしょ。

とりあえず公務員を叩いておけば視聴者の賛同が得られるとか思ってんじゃないのかなぁ。

それで、公務員はどこまでオッケーなんですかね?デパートの地下で試食品を食べるのはどうですか?飲み屋で「これ、次回一杯ただのチケットです」っていうのをもらうのはどうですか?ビックカメラのポイントはどうですか?ラーメン屋で「味玉ひとつオマケしておきます」はどうですか?

まぁ、もう公務員じゃないから正直、どうでも良いんですが。あまりにも馬鹿らしい話題なので書いてみた。  
Posted by buu2 at 00:58Comments(3)TrackBack(0)ニュース

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2008年04月27日

今、そこにある格差(メモ書き)

野党の主張と言うのはちょっと油断すると単なる人気取りに走りがちだ。今、気になるのは「格差社会を是正しよう」という主張である。野党は「格差」「格差」と連呼するが、では、今日本に存在する格差とはなんなのか。もちろん、野党が主張しているところの所得格差も確かに存在する。しかし、所得格差、特に上方向の所得が多すぎるからこれを是正せよ、という主張は全く的が外れている。例えばイチローや松井のように、自分の能力だけを頼りに米国に出て行き、そこで年間億単位のお金を稼いでいる人のことを悪く言う人間がいるだろうか。彼らは多くの日本人にとってあこがれであり、目標であるはずだ。上方向の正当な格差を否定することは、日本に古くから見られる「妬み」感情に他ならない。これは決して否定されるべき格差ではないし、考えるべき格差でもない。所得の格差とは、他の格差から生じる二次的な格差である。では、今考えるべき格差とはなんなのか。

日本人が考えなくてはいけない格差には大きく二つある。それは「権利の格差」と、「能力の格差」である。前者は解消すべき格差であり、後者は存在を認めなくてはならない格差である。これらは所得とも密接に関係しているが、所得の格差は表面的なものであって、それに対して「権利」「能力」の二つはより根源的なものである。

まず、権利の格差である。権利と言うと色々なものが含まれてくるが、今回言及したい「権利」をわかりやすいところで例示すれば「正社員」(厳密には正社員と言う言葉は正しくないのだが、一般論としてその言葉が社会的に認知されているのであえてこのエントリーでは使用する)という権利である。正社員と非正社員の間には大きな格差があって、これがさまざまな弊害を生んでいる。非正社員が正社員に対して不利だということは誰でもすぐにイメージできるが、正社員側からしても、一度正社員になってしまうとそこから飛び出すことが非常に難しいという状況が生まれている。そして、その延長線上にはいくつかの「顕在化しない不利益」が存在する。たとえば、会社の待遇に不満があっても、正社員という既得権を手放したときに状況が悪化するのが見えているので、泣き寝入りせざるを得なくなる。これがサービス残業などの就業環境の悪化につながるのだ。「正社員」という権利が固定化しつつ存在することによって、非正社員のみならず、正社員までもが不利益を被っているのである。

労働力の流動化を阻んでいるのは間違いなく労働基準法および労働契約法であり、そしてそれを良しとする国民性であり、さらにはその上に胡坐をかいている既得権者達である。それらによって日本の権利の格差は固定化している。僕は「現在の労働基準法は労働者を保護しすぎである」というスタンスで(実際には文面上は保護していないにも関わらず、運用によって保護しているケースもある)、その内容は下記のエントリーで詳細に述べているのでそちらを参照してほしい。

「安心」は向上へのモチベーションではない

この手の、「権利の格差」が顕在化した事例としてはポスドクの余剰問題、各種談合に関するもの、年金問題、街中の書店の閉鎖、学歴社会、女性差別、教育問題など、大小含め枚挙に暇がない。そして、この格差は是正されてしかるべきである。逆に言えば、これらが解消されていかない限り、日本の国家としての競争力は回復しない。なぜなら、日本のライバル達は、日本以上に成功の機会を持てるような社会に変革しつつあるからである。

ちなみに、日本にいる労働者の中でも、本当に能力の高い人間達はこうした既得権に対して全く無頓着である。実際、大企業の要職で働いている人間や、あるいは中央省庁の官僚の中でも特に優秀な人材と話をしていても、「クビになっても別に全然困らない」という話をする。それは強がりでもなんでもないし、実際、彼らはどこに出て行っても大丈夫だろう。問題はそういう自信のない、「その他大勢」が、手にしている既得権を手放そうとしないということである。これは、年功序列の中でヒエラルキーの上位に位置している「働かない既得権者」と、その予備軍である。実際、多くの人が僕の文章を読んで、「そりゃ、有能な人は良いでしょうよ。でも、有能な人ばかりじゃないでしょ?」「でも、いつまでも第一線で働き続ける自信がないんですけど」と言いたいんだと思う。そして、その意見が通ってきたのがこれまでの日本である。しかし、そういう時代はそろそろ終わりにしなくてはならない。終わりにしないと、本当に日本は世界の中で一人負けになる。人間はほとんど場合、そこに存在し続けるだけで価値など発生しはしない。価値を生み出したければ、努力が必要なのである。その努力を否定するような「権利の格差」(=権利の固定化)は社会から排除されなくてはいけない。

次に能力の格差である。先日、IT業界にいる人間としては興味深いデータが公表された。

第2回 インターネット関連業界の職種別給与調査

調査母数がかなり少ないので、このデータの信憑性と言うのはある程度割引いて考える必要があるのだが、それでも利用方法によっては参考になるデータである。

プログラマの平均年収は約400万円で、この額は私が25歳程度のときにもらっていた給与とほぼ同一である。端的に言ってしまえば、「安すぎるんじゃない?」ということになり、ではなぜそういった状況が一般化しているのかと言えば、「権利が固定化しているから」となる。「会社を辞めたら仕事がないかもしれない」という深層心理につけこまれて、安い給料で「正社員」として働かされているプログラマが沢山いるのだろう。

ただ、考えるべきは果たしてそれだけなのか。「プログラマは気の毒ですね」というのは一般論ではあるが、必ずしも正しい認識ではない。

プログラマと一口に言っても能力は千差万別である。デキる奴もいればデキない奴もいるのだ。そうした「能力」の格差は、こうした統計結果からは読み取ることができない。では、なぜこういったデータを我々が参考にするのかと言えば、「おおよそ能力と言うのは平均的なものだ」という根拠のない前提を無条件に受け入れているからに過ぎない。しかし、現実は違う。平均とひとくくりにしてしまえば一般論として「安い」「高い」を論じることができるが、成果物と照らし合わせて「それが給与に見合っているかどうか」を検討しなければ本来の意味はないのである。能力があって、成果物も優秀なのに年収400万なら「それは安すぎる」と判断されるし、成果物がろくでもないのに年収400万円なら、「正社員になっておいて良かったね」となる。ところが、現在は能力一定の建前があるからこうした正しい判断がなされない。「まぁ、色々いるけれど、総じて言えば妥当な額なんじゃないの?」みたいな曖昧模糊とした結論にならざるを得ないのである。結果としてどうなるかといえば、一部の有能な人材に業務が集中し、そして有能な人材が疲弊していくのである。

「正社員」という権利によって「非正社員」から分離された層は、能力によってさらに二つに分けられる。平均的能力より上の人間と、平均的能力より下の人間である。僕のこれまでの経験からすると、これらの絶対数は平均以下の方が数は多く、できる人間は少数だが物凄くできる。したがって、「能力主義にしましょうよ」という話をすると、それでは困る人間の数の方が多いので、いつまで経っても「いや、年功序列で良いんじゃない?」ということになる。しかし、私見ながら、そういう「能力の格差」から目をそらし続けていることは近い将来できなくなってくると思う。実際、いくつかの会社ではすでにかなり厳格な能力主義が導入されつつある。

目の前に存在しているのに既得権者が手放さない「権利の格差」と、目の前に存在しているのにそれを認めたくない人たちが目をそらし続けている「能力の格差」は、認識すること自体は決して難しくない。なぜなら、目の前にあるからである。しかし、前者を解消することも大変だし、後者を受け入れさせることも大変だ。そしてこの二つの格差が日本社会の根底に横たわり続けているおかげで、いつまで経っても日本の社会は沈滞ムードを払拭できないでいる。

個人的に身近な例としてポスドクの余剰問題を挙げてみる。簡単に言ってしまえば、「これからの日本には科学技術を牽引するエリートたる科学者達が必要だ」という理念の下、大量に博士を生産したところ、ポスドク(=博士号を取得した後、無期雇用の職についていない人)が余ってしまって行き場がない、という問題だ。実際、かなりの数の博士号取得者が行き先がなくなって困っている。この問題を見ていると、ときどき「全てのポスドクが就職できるまで問題は解決しない」などと頓珍漢な意見にぶつかることがある。この意見が全く傾聴するに値しない理由は、ポスドクの質についての検討が全く為されていないということである。一口にポスドクと言っても、その質はさまざまだろう。一所懸命努力していて、評価されるべき能力を保有している人もいるだろうが、全てのポスドクがそういう人間であるとは限らない。そこでは必ず評価のフェイズが存在するはずで、それを放棄してしまっては話にならない。実際のところ、人を評価するというのは日本人が最も苦手とする行為なのだが、市場が商品を評価するのと同様、企業は人を評価しなくてはならない。目の前にある「能力の格差」をどう顕在化し、それを評価につなげるかと言うことが、これからの社会では大きな課題になってくる。

日本の社会といえども徐々に年功序列から能力主義にシフトしつつある。なぜなら、年功序列のシステムでは能力主義のライバル国に太刀打ちできないことがはっきりしてきたからである。そうした意識が高い企業から、徐々に地殻変動は始まってきている。能力主義社会にシフトしたとき、一番困るのは誰なのか。もちろん、能力がないのに年功序列によって上位に位置している既得権者達である。彼らは、能力主義になったときに一番割りを食う人たちだから、当然のことながら既存の体制を維持することに全力を注ぐ。いわゆる「抵抗勢力」である。そして、日本においてはこの抵抗勢力は決して無視できない規模の勢力である。

「努力した人が報われる社会にしましょう」という標語があった。なぜこういう標語が出来たかといえば、努力しているのに報われていない人が多いからである。実際、今の日本社会は努力しても報われないことが多い。いや、これは正確ではない。努力する時期を間違えなければ、努力は報われる可能性が高くなる。問題は、その時期と言うのが人生のかなり早い段階に設置されていて、その時点では当人の家庭環境の影響が物凄く大きいという点である。大学に在学している頃になってしまうと大抵の場合はもう手遅れであって、「なんでこんなことに」と思ってももう遅いのである。そうした閉塞感にある多くの日本人労働者に対しての「報われる社会」だったのだが、この言葉は、裏を返せば「努力しなかった人は報われなくても仕方がない社会」でもある。そのことが徐々に明らかになるにつれ、政治家はこの言葉をあまり使わなくなった。なぜなら、能力のない人(自分の能力に自信のない人を含む)、努力をしない人(自分の努力が他者に比較して十分でないと考えている人を含む)が日本には相当数存在していて、しかも、少なくない数の人が既得権者として要職についていたり、その予備軍であったりして、それらを否定することになりかねなかったからである。政治家は基本的に「過去に票を投じてくれた人のために働く人」ではなく、「将来票を投じてくれる人のために働く人」であるから、有権者の認識が変わってくれば対応も変わる。

今の日本はこうした抵抗勢力(=既得権者)と新興勢力の綱引きの場となっている。

世の中は、間違いなく能力主義にシフトする。問題は、その時期だ。そして、そのパラダイムシフトが起きたとき、もっとも大きな被害を受けるのは「既存の価値観の中で何の疑いもなく育ってしまった競争能力のない人たち」である。その立場にならないためには、能力の格差を認識し、能力の格差を受け入れ、そして何をすべきかを考えることが必要だ。世の中には実力主義の社会が沢山存在する。先日メジャーを首になった野茂投手などは直近の良い例である。そうした実力主義社会の流れは、もうすでにすぐそこまで来ている。この事実から目をそらしている人たちは、波に飲み込まれたら最後、もう助からない。権利の格差を認識しそれを解消するために努力することと、能力の格差を認識しそれを受け入れそして自分の人生における戦略を立てること。この二つが、今そこにある格差への対応策だと思う。

ちょっと踏み絵を用意してみよう。次の7つのうち、「そう思う」という項目はいくつあるだろうか。

「安定した生活を送りたいから大企業に就職したい」
「年功序列は良い仕組みだ」
「終身雇用はありがたい」
「会社は従業員のためにある」
「ホワイトカラーイグゼンプションの導入は労働強化につながるから反対だ」
「みんなやっているし、サービス残業は仕方がない」
「最低賃金はもっと高くするべきだ」

ひとつでも「そうだ」と思う項目がある人は、基本的に古いタイプの人間、競争社会では生きて行けない可能性が高い。4つあったら、競争社会ではほぼアウツだろう。しかし、そうした人たちに対して積極的なセーフティネットを用意する余裕は今の日本にはない。そもそも、大多数はまだ非競争社会が持続可能なのではないかという幻想を抱いているのだ。ただ、今アウツでも、将来的に助からないわけではない。早い段階でそれに気付き、対応していけば助かる可能性は高くなる。

では、そうした能力主義社会とはどういう形態になるのか。少なくとも、日本人の思想は根本的なところから変わらざるを得ない。これまでの日本人は隣の人を見て、一緒であることを良しとしてきた。ムラ社会の中で個性を殺し、人と同じことをやっていくことを美徳としてきた。目立つことをすれば「出る杭は打たれる」のことわざよろしく、仲間はずれにされ、コミュニティは均質化を目指してきた。実は、現在もこうした均質化を目指すコミュニティは脈々と存在している。例えばミクシィのコミュニティなどは顕著で、映画愛好家のコミュニティで「○○はつまらない」などと否定的な意見を述べると叩かれる。コンピューター系のコミュニティにおいても、ちょっと普通ではない応答をする人がいると「アクセスブロックをすべきである」などという意見が出てくる。異端の存在が疎ましくて仕方がないのである。しかし、こうした均質化された状況は能力主義、競争社会にはフィットしない。なぜフィットしないか、ということになるのだが、ここでまた別の事例を取り上げてみる。

先日、銀座の旭屋書店が閉店するというニュースがあった。街中の本屋は今、物凄い勢いで淘汰されつつある。僕が子どものころから通っていた地元の本屋も先日閉店した。恐らく30年以上営業していた本屋が、である。なぜ本屋の経営が難しくなってきているのかといえば、amazonの台頭が原因だと思う。目的の本を本屋で探したり、あるいは目的もなく本屋の棚を色々とチェックする楽しみと言うものも存在するのだが、一方で「目的の本をすぐに入手したい」というニーズも間違いなく存在し、そしてそのニーズは拡大しつつある。「無駄」は必ずしも排除すべきものではないが、現代人の生き方には無駄のスペースがなくなりつつある。そうした合理主義思想からは、ネットで検索して希望の書籍を見つけ、ネット上で注文し、宅配便で数日のうちに届けられるというシステムは非常に魅力的だ。そして、その他にもう一つ大きな問題が存在する。それは、再販売価格維持制度である。日本では書籍、雑誌、新聞、音楽に関して割引が認められていない。割引できないということは、店舗間での価格競争がないということだ。本屋の場合、競争するポイントは立地、規模、品揃えといったところに限られる。変わったところでは「閲覧用の椅子を用意」といったサービスを提供している店も存在するが、こうしたサービスによって差別化を図っている店舗はマイノリティである。立地、規模は店を開店した時点で決まってしまうし、品揃えもある程度は店舗の規模にリンクしてしまう。したがって、本屋は開店した時点でほとんどその性格付けが終了してしまうのである。こうした非競争環境におかれていた業界はどうしても新興勢力に対する抵抗力が落ちてしまう。amazonという新しいライバルによって、いともあっさりと土俵の外へ押し出されてしまったと考えられる。均質化された既存書店には競争がなかった。そして、そこに異端が入ってきたことによって、あっさりと既存書店が退場に追い込まれてしまったわけだ。均質化された社会は新しい価値の台頭に対して非常に免疫力が弱い。

「その後の世界」の新しいルールはここに暗示されている。つまり、能力主義の競争社会においては、人と同じでは駄目なのである。人と一緒であることがアピールポイントだった世の中から、人といかに異なるかをアピールする世の中へ、すなわち、「能力の格差」をアピールする世の中へと変わっていくのである。競争社会には当然厳しさも存在する。他者との差別化は、自らの能力と努力によって為されるからである。そして、その、各自の少しずつの日々の努力が国の競争力につながっていく。そうした競争を続けていけない人は、大企業や公務員といった、競争の少ない低成長組織に属することになる。

そして、もう一つ、会社の従業員管理手法も大きく変わるだろう。これまでの会社は経営サイドからの命令、そして従業員のモラルと横並び体質によって動いてきた。経営からの指示は引き続き出されるだろうが、従業員サイドの目安、モチベーションとなるものはモラルや横並び体質といった曖昧なものではなく、あくまでも評価がベースになる。従業員は常に「会社に何を提供しているか」を意識させられるし、同時に「社会全体で自分の能力がどの程度評価されるのか」を意識して生きることになる。この、「評価」の視点の導入も日本社会にとっては非常に高いハードルになると思う。それは、評価する側、評価される側の双方にとって、である。もともと十七条の憲法による「和を以て貴しとし」を金言とし、農耕民族として共同作業を続けてきた日本人には競争も評価も体質的に合わない。そして、人より優れることを目指すよりも、人より劣ることを恐れる。だから、「評価しますよ」となれば、「×をつけられたらかなわないから反対」となるし、「×をつけたらうらまれるから反対」となる。しかし、この体質も、やはり国際的競争による外力によって変わらざるを得ない状況になりつつある。

つい先日、「休みたいなら辞めればいい」と発言して物議をかもした社長がいたのだけれど、このケースは二つの意味で非競争社会の典型的な遺物である。一つは「非競争社会の典型的な社長」であり、もう一つは「非競争社会の典型的な社員」である。他者と能力で差別化できないから「休日も働く」という努力で他者と差別化しなくてはならない。いや、他の人が休日も働いているから自分も働かなくてはならないのである。こうした発言は一般論としては暴言であるけれども、「会社」というローカルルールの中では十分に正論である。社長がそういうスタンスなのはわかっているのであって、そういう会社を自由意志で選んだのが社員である。もちろん労働基準法を盾にとって戦うという手段もあるのだが、そんな手間をかけるくらいならさっさと辞めてしまえば良いというのは確かに一理ある。実際、僕のように転職を繰り返している人間から見れば、「いやならさっさと辞めちゃえば良いのに」と思う。

#ただし、厳密に言えば、この社長と僕の意見は表現は同じだけれど、内容は全く違う。この社長の発言は「嫌なら辞めれば良いでしょ。でも、辞められないでしょ?だから従いなさい」というトーンだが、僕の意見は「本当に辞めちゃえば?」である。また、僕の「辞めちゃえば?」は誰に対してでも適用できる言葉ではない。辞めても次の仕事をきちんと見つけてくることができる人、あるいは起業してしまって好きなようにやっていく能力がある人に対してだけの言葉である。その会社を辞めたら次がない、という人は、石にしがみついてでもその会社に残るべきだとは思う。そして、いやいやながらもそこで働きつつ、次を見つけることができるような能力の開発に努めるべきだろう。

結局のところ、その会社は少々変わった価値観の経営者と、それを受け入れている従業員で形成されているということだ。そして、この会社社長の発言は会社ではそれほどネガティブには受け取られていないのではないかと思う。つまり、多くの社員はそのスタンスを良しとして、その環境を受け入れつつ働いているのではないかと思う。この社長の考え方が社会全体のスタンダードになってしまうのはいかがなものかと思うのだが、一方でそのことについて外野がとやかく言うのもいかがなものかと思う。

仮に、この会社の社員の多くが現状に対して大きな不満を抱えているというのであれば、悪いのは社長でも、そしてもちろんそれを受け入れざるを得ない社員の存在そのものでもない。問題は、自由意志で辞めるに辞められない、「正社員でなくなってしまうことに多大な恐怖心がある日本社会」にこそ、ある。本来、社会の活力と言うものは個人の個別の努力の集合によって為されるべきだと思うのだが、日本においてはその原動力は「正社員」という権利とバーターになって存在する「我慢」であることが非常に多いと感じる。少なくとも僕がこれまでに見てきた多くの大企業の若手のマインドは「仕方がないから働く」「みんながやっているから働く」「上司に言われたから働く」である。なぜそんな状態になっているのかと言えば、今の若い人が悪いのではなく、会社側が「正社員」という、日本においては非常に大きいと考えられている権利をかなりの自由裁量で配布できるからである。この状況を修正するのに必要なのは、「従業員がもっと強い権利を持つこと」ではない(社民党などはこれを声高に主張しているが、それは米ソで繰り広げられた核開発競争と変わりがない。強すぎる武力は冷戦(=不活性化)を生み出すだけだ)。「正社員」という権利の弱体化である。これによって、「いつでも辞められる」状況が実現し、会社のスタンスは「働かせてやる」から「働いてもらう」に変わるはずだ。なお、能力重視の競争社会とセットで語るべきは「いつでも嫌ならやめられる」という雇用の流動化なのだが、それは以前下記のエントリーで述べているので、そちらを参考にしてもらいたい。

有期雇用と無期雇用

今の日本は成長が見込めない大企業や公務員が多くの既得権を握っている。しかし、その形は理想ではない。不安定で将来が見えにくい企業は有能で高給の社員を抱え、常に成長を目指す。そうした環境に適合できない人は大企業や役所で流れ作業をこなす。こうした形に変わっていかざるを得ない。そもそも、国の今後を決める最も重要な役割を、「評価」とは最も距離のある「公務員」が担当している時点で、この国はどうかしているのである。

こうした変革は、技術シーズに会社の命運を握られてしまう製薬業界などから始まっていくだろう。上で取り上げたプログラマの給与などというのを見ると、IT業界もすでにこうした変革の中にあるのかな、とも思う。優秀なプログラマが起業したりベンチャーの中で高給を取り、優秀ではないプログラマは大きな組織の中で、安定と引き換えに安い給料で働いているのであれば、それはまさしく「その後の世界」のありようである。また、身のまわりを見ていても、IT業界というのは、「能力ある奴」は出世が早いし、若いうちから高給取りになるケースも少なくない。これはトヨタや公務員ではあり得ない話である。あるいはポスドク問題も同じかもしれない。ポスドク問題については、アカデミックポストが既得権者によって占められているという特殊事情はあるのだが(ポスドク問題を論じている人間のうち、少なくない人間が実はこうした「加害者」の立場に居続けているわけだが)、それでも、本当に優秀な人間はちゃんと行き先があるのが現実だ。たまたま中間層部分を既得権者に奪われてしまっているから二層分化がはっきりしてしまい、事態が顕在化しているに過ぎないのかも知れない。

雇用の流動化とは、本来「自由に出て行ける会社」、「自由に入って行ける会社」の両方が必要だ。しかし、今の日本には残念ながら後者が完全に不足している。その影響で前者がないわけだ。後者がなぜ不足しているかといえばもちろん既得権者がいるからである。けれども、もちろん既得権者がいない会社も存在する。たとえば僕の会社には既得権者がいない。厳密には、僕も含めて「株主」という既得権者は存在するが、それは株式会社だから当たり前だ。株主と言う立場を取り除いた場合、僕の会社は、代表取締役から平社員まで、待遇は全くフラットである。何かの作業をやったときの取り分などを決めたルールは厳密に全員に対して平等に割り当てられている。本人に能力があれば社長よりも稼ぐことだってもちろん可能だし、逆に是非そうやって稼いで貰いたいと思っている。残念ながらうちの会社などはまだまだ弱小会社でなかなか社員も増えてこないのだけれど、実力主義の中で能力を発揮したいと思っている人に対してはいつでも門戸を開いている。このように、「社会に見当たらないなら、作ってしまえ」というのも一つの手である。例えば株式会社リバネスという会社は、社長である丸氏が「やりたい研究があるのに、それが大学や大企業では思うようにできない。できるようになった頃にはもう管理職である。それでは面白くないから、自分で会社を作ってしまえ」と考えて作ってしまった会社である。

社会が変わっていく方向は既に明確になっている。そのスピードを決めるのは日本の労働者自身であり、そういう場を作っていきたいと考えている起業家でもある。


*注意 本エントリーは最終稿ではありません。引用等は自由にしていただいて構いませんが、内容が保持される保証はありませんので、その点ご了承願います。

追記:
2008/6/30
池田信夫blogさんが「ノンワーキング・リッチ」というエントリーをアップしてます。「ノンワーキング・リッチを早期退職させろ」という部分は非常に強く共感するので紹介しておきます。

#ただし、その人たちに「起業させる」というのはどうかと思います。多分、池田さん自身も本気でそんなことは考えていないんじゃないかな、とも思います。行き先ナシに「退場させろ」では誰も退場しないですからね(笑)。方便みたいな感じで書いているんじゃないかな、と。こういう大人の姿勢は見習いたいですね。  
Posted by buu2 at 22:26Comments(0)TrackBack(0)社長

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2007年05月14日

ニュース斜め読み

2千円札、なぜ使われない?…日銀に8割の7億枚眠る

なぜ使われないって、不便だからだよ。発行される前からわかっていたじゃん。「保管場所に困っているわけではないが、なぜこれほどまで使われないのか、正直なところわからない」って、こいつ、馬鹿だな。わかんないお前は2千円札だけ使ってろ!そもそも必要ないんだよ、こんなもの。当時の与党が選挙対策的に必要だったから作ったんだろ。

それはそうと、2千円札の発行によって無駄遣いされた税金の額はどのくらいなんだろうね?ちゃんと責任を追及して欲しいよな。そういうことをやらずになぁなぁで済ませるから、無責任な政策がてんこ盛りなんじゃん。ほら、野党、何やってんだよ。

理研に労基法違反で是正勧告、時間外賃金200万円未払い

研究職に残業代っていうのもなぁ。反応待ちで研究室で寝ていることもあるだろうし。さっさとホワイトカラー・イグゼンプション導入しろ。

差し押さえた魚の化石公売に…大阪国税局

ほ、欲しい。しかし、化石って骨董品なんだね。

サッカーくじ「BIG」1等当せん無し…繰越金15億円に

12回連続で1等なしかぁ。難しすぎ?ってか、6億円当たっても割高ってことだよね。これだけ当たらないなら一口200円に値下げしてくれ!

医学部に地域勤務枠、卒業後へき地で10年…政府・与党

医者になったら全員一定期間僻地に行け。

医師証明で「実父の子」、300日問題で法務省が特例通達

まだちんたらやってるのか、これ。「誰の子供か」なんて、今は科学的にほぼ100%診断可能なんだから(相手が一卵性双生児の兄弟とかだったら難しいかも知れないけれど)、お金払って診断したら、それを認めれば良いだけじゃん。「不倫の子を認めることになる」とか言って、社会側の都合を子どもに押し付けてるんじゃねぇよ。そんなに不倫が問題だっていうなら不倫を厳罰化しろ。

メタボと寿命、薄い関係?自治医大が2000人追跡調査

要は、メタボで死亡率はアップするけれど、それよりたくさんががんで死んでるっちゅうことですか?メタボを気にするよりも禁煙しろと、まぁ、そういうことでしょうね。

喫煙、40歳男性で寿命3・5年縮める…厚労省研究班調査

3・5年とかいうと「それほどでもないかな」と思うけど、比率で言うと8.3%減。消費税より割高だなぁ。まぁ、それでも吸う人は吸うんでしょうね。どうぞ、ご自由に。もちろん僕に迷惑がかからない場所でお願いします。

BSE検査 国際基準に合わせる時が来た(5月11日付・読売社説)

読売新聞って、どうしてこうやって日本人にBSEの感染牛を食べさせたいのかね?そんなに安全だっていうなら、この感染牛を使って、読売新聞の皆さんで牛の丸焼きパーティでもやってみてくださいよ。それで、皆さんが20年経っても元気でいたら、輸入解禁でも良いかも。あ、もちろんその感染牛の危険部位もお召し上がりください。

「ふるさと納税」導入へ 骨太方針に盛る方向

ふるさと納税云々にはあんまり興味がないんだけど、これって骨太な話?

高野連会長と文科相が面会、特待生問題で

高校野球ってさー、結局大人が子どもを利用して商売しているだけの話でしょ。で、高野連なんていうわけわかんな組織が教育を振りかざして偉そうなことを言うから全体の整合性が取れなくなっちゃう。もう、商売で良いじゃん。野球がうまい奴は偉いんだよ。学費が安くすんでも別に問題ない。頭が良い奴が学費が安くすむんだから、スポーツができる子どもが優待されたって当たり前じゃん。

ただし、プロ野球に入るときは完全ウェーバー。グーグルとか、金があるんだからアンチ高野連の野球大会を開催したらどうなんだろうね。もう、高野連にそっぽ向いてさ。ま、なんでも良いけど。


国民投票法案、14日成立へ 首相、改憲へ意欲


国民投票の制度そのものは整備すべきだと思うのだが、
選挙権年齢も18歳以上に引き下げる法整備も検討する。

これってどうなのかな。教育を手抜きしているんだから、単純に年齢で選挙権を与えるんじゃなくて、試験を受けて合格した人に選挙権を与えれば良いのに。

問題の例
以下の文章(数式)で間違っているもの全てに×をつけなさい。
1.通常国会は4月中に召集され、会期は150日である。
2.放射能に汚染された物質は100℃、10気圧の条件下で5時間消毒しなければならない。
3.1/2+1/3=2/5
4.「こんにちは」「こんにちわ」は両方とも文法的に正しい。

全問正解者以外は選挙権なし。

  
Posted by buu2 at 11:56Comments(1)TrackBack(1)ニュース

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2007年03月13日

新潟屋が役人に大人気

このブログには忍者ツールが添付してあるので、アクセスについては色々な情報が入手できる。で、ブログを通じて役所批判とか色々やっているので、ときどき「どの役所からアクセスしてきているのかなー」とチェックするわけです。ちゃんと統計を取ったわけじゃないけれど、多いのは特許庁、厚生労働省、文科省、総務省あたり。会計検査院とか、衆議院とかからも時々アクセスがあるわけですが、今日は「よーーーし、おじさん、もうちょっと調べちゃうぞー」と思って、アクセス元を調べてみました。そうしたら、この3つが全て同じルートからのアクセス。

3

env.go.jpというのはココです。夜遅くまでサービス残業ご苦労様です。

2

mhlw.go.jpというのはココです。花金で忘年度会の相談でしょうか?まだ10時過ぎですが(笑)。

1

mof.go.jpというのはもちろんココです。今晩、繰り出しますか(^^?

じゃぁ、この人たちは一体どこから来たのかなー、というとコレです(笑)。  

2007年01月04日

ホワイトカラー・イグゼンプションに関するメモ

まぁ雑談レベルなんですが、ちょっと仕事に出かける前にメモ書き。

今の労働関係の法律というのは多くの企業で有名無実化しているわけで、サービス残業とかは全然普通に行われていて、それは労働組合が強くてもなくならないわけです。ある電気系大企業とか、毎月200時間の残業なんて普通にやっているらしい。僕が三菱総研にいたときも周りでは毎月200時間残業の人とかいたけど、彼らは一応楽しくてやっていたわけで、しかも多くの人はちゃんと残業代をもらっていた。まぁ、サービス残業を選択している人ももちろんいましたけど。

今、大企業で残業している人たちは「やりたくないけど仕方なく」みたいな色が濃いみたい。なんでサービス残業がなくならないかって、それは雇用者と労働者のパワーバランスがどうしても雇用者寄りで、ひとことで言えば雇用者の方が強者だからでしょう。

今も昔も労働者は自分たちの力を強化する方向でこれまで頑張っていると思うんだけど、おかげで、自己を主張できる人間にとっては雇用環境だけは理想的なものを目指すことができるようになったわけですが、それが理想的な労働環境かと言えばそうでもないわけです。自己主張・自己実現できる人間であっても、上司との軋轢とか、自己を主張できない人間との軋轢とか、色々あるわけですね。

それから、一部の人間の権利は労働者の強権化によって担保されているわけですが、そのデメリットというのは実はその他の人間に対して発生しているわけです。どういうことかというと、労働者の権利が強すぎるがために雇用者側は雇用に対してものすごく慎重になる。おかげで正社員はどんどん減ってきて、派遣社員とかを利用するケースが増えてきているわけです。労働者の権利が強くなることがすなわち万人にとって好環境につながる、というわけではないんですね。

今の労使関係というのは、レベルは違うかもしれないけれど、「そっちが核武装(労働者の権力強化)するならこっちは経済封鎖(雇用の制限)」みたいなのと似た様なものかな、と。

「ルールがあるのにそれを守らない奴がいるというのなら、それを守らせるべきだ(=サービス残業根絶)」というのは正論なんですが、正論であると同時にこれは強者の理論で、ルールは弱者に対しては得てして適用されないものだと思います。で、こうした状況というのはもう何十年も続いていて、全く改善される様子がない。また、変に労働者の権利が強くなってしまっていて、逆に雇用環境が硬直化してしまい、転職もし難いし、失業したときのリスクも高いという社会になってしまってもいる。結果として、弱気な労働者にとってはどんどん働きにくい世の中になってきているんじゃないかな、と思います。もうそろそろ、「ルールを守らせること」を諦めちゃっても良いんじゃないかなぁ、と思うわけです。

経営サイドは「雇用するかどうか」の意思決定権を持っていて、これは最後(最初?)の切り札でもあるわけです。これに対応して労働者はどんどん権利を強めているわけですが、結果として一部の大企業社員や公務員と、それ以外の人たちとの格差は拡大する一方。だから、正社員になるハードルはどんどん高くなっています。僕とかも今は経営者ですが、労働者の権利があまりにも強いので、どうしたって採用に当たっては慎重になります。

もうそろそろ、終身雇用も、年功序列も、全部やめちゃいましょうよ、という社会になっても良いんじゃないかなぁと思うわけで、そういう意味ではホワイトカラー・イグゼンプションというのは是非導入した方が良いと思うわけですね。退職金制度とかも要らないよなぁ。

「え?経営者さん、そんなこと言っちゃって良いんですか?辞めちゃいますよ?」と言える様な状況こそが労働者にとっては理想的な社会だと思うのだけれど、そうではないのかなぁ。

ただね、こういう変革を進めたときにとばっちりがどこに行くかと言うと、能力のない人なんですね。今までの社会はとりあえず大企業に入って、あとは言われるがままに働いていればそれなり偉くなれて、それなりに給料をもらえちゃった。だから、大企業に入りやすい良い大学に入るのが一番、みたいな世の中だったわけですが、そうじゃなくなったとき、折角良い大学に入ったのにそこがゴールだと思って遊んでいたら「えぇ!こんなはずじゃなかったのに」みたいなことになりかねない。まぁ、こっちの方が正常だとは思うんだけど(笑)。

僕が役人やっていたときも、大企業のバカ課長とかが「これまで日本は役所と大企業の護送船団でやってきてうまくいったんだから、これからもよろしくお願いします」と恥ずかしいとも思わずに喋っていたわけですが、いい加減そういう社会を改めていかないと、米国だけじゃなくて東アジアからも属国扱いされちゃう世の中になっちゃうんじゃないかな。ホワイトカラー・イグゼンプションは日本という島国の内部的な問題として捉えると「やめておいたほうが良い」となるのは明白で、グローバリゼーションの中で日本の立ち位置をどこに定めるのか、ということを考えなくちゃならないと思ってます。

野球やサッカーで日本のチームが欧米のチームの下部組織となっている現状をビジネスでも展開するんですか?というだけのこと。「有能な人間に日本を引っ張ってもらい、有能ではない人間は有能な人間のサポートをする世の中」を目指すのか、「有能な人間は十分な評価をしてもらえず、どんどん海外に流出していってしまう世の中」を目指すのか、「もうわが道を行く、で海外の動向など無視して今までの社会主義国家を継続する」のか、という分かれ道にいるわけで、僕はビジネスに関しては1番最初の奴が良いんじゃないかなぁと思うんですけどね。

#この点、米国は便利ですよね。宗教が国家のバックボーンにあるので。「貧乏ではあっても、きちんと仕事があって、毎日ご飯が食べられて、神様に感謝できる。あなたはなんて幸せなんでしょうね」と言われれば、「そうなのかぁ」と納得できるので。日本にはそれがないから、「あなたは有能ではないので、有能な人の手足となって頑張ってください」と言われちゃうと「ええええぇぇぇぇ!!」みたいなことになっちゃう。

ただ、ホワイトカラー・イグゼンプションが「???」と思うことは、対象者を年収で決めていること。ホワイトカラーは、年収で○か×かが決まることじゃないよなぁ。仕事に対する裁量があるかないか、でしょ。

あ、このブログをずーーっと読んでいる人はもちろんわかっていると思いますが、僕は格差拡大上等、という立場ですので、念のため。

#不人気の安部に代わって小泉氏に再登板していただき、「ホワイトカラー・イグゼンプションをどうするか」で解散・総選挙やってくれないかな(笑)。  
Posted by buu2 at 15:38Comments(5)TrackBack(0)社長

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2006年12月12日

天下りあっ旋全廃ですか・・・・

ここ数日、官僚の天下りに関する意見がネットの中に大量に発生しているようだ。

基本的に「天下りはけしからん」ということなのだが、なんというか、「まず、ちゃんと現状を把握しましょう」というのが第一印象。皆さん、今の状況がどうなっているのかを知らず、新聞やテレビのワイドショウを見ただけのいい加減な知識で感想を垂れ流しているだけに見える。そして、そういう行動の延長線上にあるのは「衆愚」なんじゃないのかなぁ、と思わないでもない。

発端はここなのかな?

「「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」バトン」

トラックバックまで含めて一々チェックを入れていると時間がなくなるのだけれど、

この閣僚の発言は、「官僚は給料が安くても、不夜城と呼ばれる霞ヶ関でサービス残業で死にそうになっても、最後には天下りして甘い汁が吸えるからがんばっている」と言っているに等しい。
全然等しくないし。

優秀な人に、国民のために霞ヶ関で長時間働いて欲しいのであれば、その働きに見合うだけの民間並みの給料を払うべきだし、残業手当も出せば良い。税金をそういうことに使うのはごく当たり前のことで、ちゃんと説明すれば国民を納得させることは可能なはずだ。
全くその通りだけど、典型的な机上の空論。で、本気でこれができると思っているのであれば、まずはこちらを実現するための旗を振り回したらどうかなぁ、と思う次第。いや、「いくつか問題点がある中で諸悪の根源は天下りだからプライオリティが最大」とか、あるいは「複数の同一プライオリティの問題の中で天下りが一番簡単だから、できることからやりましょう」というのなら「なるほど」と思うのですが、天下り問題って、公務員問題の中でそんなにプライオリティが高いんですかね?ただ単に良く目にするから、ってだけじゃない?

そういうオープンなアプローチを取らずに、「天下り先をちらつかせることにより官僚をこき使う」ことが、いかに間違ったインセンティブの与え方であるか、そして、それが決して日本の経済に、つまりは「国力」に悪影響を与えているか、まともな頭を持っていればどんな政治家にも分かるはずだ。
オープン←→クローズという対比なのかも微妙だが、そもそもこの文章は日本語になっていない。

日本中のブログで「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」という声が上がれば、さすがの自民党も無視できないはずだ。
うーーーん、頭の悪い日本人がこんなにいたのかぁ、と晒してしまうだけのような気がする。いや、もちろんきちんと考えた上で「天下り問題はプライオリティ高し!だから自民党は支持しない!」ということが読み取れるならそんなこともないんですが、「なんか面白そうだからバトン〜♪」とか、凄く多そうじゃないですか?


さて、「官僚の社会をきちんと見てみたい」と思って実際に霞ヶ関で課長補佐をやってきた人間からちょっと簡単に。

公務員制度に対して感じるのは「公務員が公務員であるための制度が公務員自身を縛り、ダメにしている」ということ。たとえば以前朝日新聞に投稿した「異動」の問題がわかりやすいと思うのだが、「業者と癒着すると困るからひとつのポストは通常2年、長くても3年」という奴である。「公共の利益」を形から優先したために、結果的に公務員個人、さらには官僚組織全体に大きな悪影響を及ぼしている。こんなものは「癒着したらどうするか」という罰則からアプローチすべき問題なのだが、癒着→罰という形で被害者(?)が出る前に防止しておこうと言う事なんだろう。同じように、「天下りすると業者と癒着するので天下りは禁止」などとやりだすと、今のままでは公務員の質の低下に直結すると思う。

まず僕達が直視しなくてはならない現実は、「公務員の能力は全く均質ではない」ということである。僕は経済産業省の本省に2年間いたが、その間に大勢のキャリア・ノンキャリを見てきた。彼らの能力は当然のごとくさまざまである。そこには三菱総研時代には見たこともないような素晴らしい人材もいたし、また同時に「これでお金をもらっちゃってるの?」と感じる人も少なからずいた。そして、彼らの金銭的評価はそれほど大きく変わることはない。そうした環境の中で僕が最も高く評価した人の意見は「ダメな奴はダメだから仕方ない。もう入省してしまったらクビにはできないので、邪魔をしないでくれ、というだけ。彼らが戦力外なのは仕方ないので、彼らの分まで自分が働かなくてはならないが、役所とはそういうものだ」といったもの。彼の意見の根底には「能力主義が存在しない」ということと、「基本的に終身雇用」ということの二つの前提への諦めがある。そういう意味では、12月7日に発表された「公務員制度改革について」(PDF)という伊藤隆敏、丹羽宇一郎、御手洗冨士夫、八代尚宏の四氏がリリースしたペーパーは注目に値する。

ただ、ここでちょっと考えなくてはいけないことがいくつかある。

まず忘れてはならないこととして、日本の立法機能のほとんどは霞ヶ関が持っている、ということである。それはなぜかと言うと、議員などがおいそれと作れるものではないからである。議員が建築現場に行けばビルを建設できるかと言えばできなし、議員が作ったマンションなどには住みたくないのと同様、議員が作った法律というのもぞっとしない。なぜかって、官僚出身の議員以外は法律を作ることの素人だからである。議員がたたき台を作った法律に修正に修正を重ねていくと大抵ろくでもないものになってしまうので、「それなら最初からこちらに任せてくれ」という官僚の意見は至極もっとも。現状ではその機能をどこかに移転することは考えにくい。

ちなみに法律を作るということにしても、どの程度の負荷がかかるのか、普通の人達は知らない。1人の人間がそこに張り付いて1ヶ月で出来るのかといえば全然違うのである。僕自身はタコ部屋(法律を作るために作る専用の室)に入ったことはないのだけれど、法律を一つ作るのがどの程度大変なのかはこのあたりを見てもらえばわかると思う。
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/official/law1.htm

同時に政策立案機能も官僚が持っているというのも見逃せない。野村総研やら、三菱総研といった民間シンクタンクは所詮官僚の下働きに過ぎず、なんだかんだ言っても中枢にあるのは官僚組織である。この日本にとって重要な機能を霞ヶ関が担っているということは、紛れもない事実である。

もうひとつ、最近の役所の動きとして見落としてはならないのは、キャリア人材がものすごい勢いで民間に流れ出ていることである。僕が直接一緒に仕事をした官僚は全部で30人ほどだと思うが、課長補佐以下の若手ですでに役所をやめてしまった人間が4人もいる。このうちキャリア官僚が3人である。

官僚組織の現在をまとめると、大体次のようになる。日本の基本的機能の中枢を担っているのは間違いなく官僚であるが、官民の癒着を恐れて「強制的に異動させられる」ことから高度な専門性は持つことができず、結果的に高度なジェネラリストばかりとなり、「能力は一定という建前がある」ために高い能力を発揮する人材であっても金銭面から厚遇を受けることもなく、結果的には「配属」という形で処遇され、「能力がなくてもクビにはならない」ことと、近年顕在化してきている「有能な人材の民間への転出」によって徐々にその基礎体力が失われつつある。

すでに官僚組織の弱体化は進み始めている。そして、このシステムを一気に破壊すれば、間違いなく日本は傾く。その中で、「天下り」という一つの現象は、現在のシステムの「そこそこに主要な要素」の一つであることを忘れてはならないはずである。「公務員は退職しても厚遇されて良いなぁ」ぐらいの嫉妬心から足を引っ張ると、自らの地盤を揺るがせかねないのである。なぜそういうシステムが今存在しているのか。そこには当然原因があるはずで、同時にそれを崩せない理由もある。もちろん、天下りに問題がないと言いたいのではない。もし天下りという制度を全否定するのであれば、それは日本の官僚システムの破壊そのものにつながりかねないわけで、「じゃぁ官僚なんかになるのはやーめた」とみんながそっぽを向いてしまったら、誰が日本の舵を取るんですか?誰が日本の法律を作るんですか?ということになる。「政策立案は完全民営化」「法律作成は完全民営化」という手もあるとは思うけど、「天下り全廃」という人達は本当にそこまでやる覚悟があるのかなぁ、という点についてはかなり疑問なんですよね。  

2005年02月20日

チャラスキー初日

チャラスキーとは、遊びのスキーのこと。完全に競技スキーから切り離されたスキーに出かけたのは10年ぶりぐらいだろうか。  続きを読む
Posted by buu2 at 00:14Comments(0)TrackBack(0)スキー

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