基本的にどちらに肩入れするわけでもないのだが、ここ数日思うことを二つほど。
まず、日枝会長がフジテレビの人間として不快感を示していることについて。そもそもの問題はフジテレビがニッポン放送に株を持たれていることが原因であって、livedoorがちょっかいを出す前からアキレス腱は存在していたわけである。そこがどうして今まで放置されていたのか。日枝会長の言を借りれば、「普通、提携するならまず話し合いだ」あたりに放置されていた原因が見て取れる。つまりは、日本的な経営環境の中でのんびり好きなようにやっていただけの話だろう。いざちょっかいを出されてみたら「それは日本の習慣に反している」といって慌てふためいているわけで、第三者としてみていると滑稽なだけだ。株式を公開している以上、誰がちょっかいを出しても構わない状況にあったわけで、ちょっかいを出したことについて過去の習慣を持ち出して非難するのはプロ野球問題の時に話題になった読売のドンと似ている。ニッポン放送の株式が公開されたのと、フジテレビがニッポン放送に株を持たれたのと、どっちが先なのかは知らないのだが、とにかく公開企業に株を持たれていた以上、その公開企業(ニッポン放送)の筆頭株主に自分の意図しない会社がなったとしても、文句は言えないはずである。
もう一つは株の取引が時間外に行われたことについて、金融庁が「投資家への透明性を高めるために導入した市場外での株式公開買い付け(TOB)が骨抜きにされかねない」(幹部)と発言し(出典:Yomiuri On-Line「株時間外取引見直し ニッポン放送株で金融庁検討」)、言外にlivedoorが悪者のように論じられていることである。制度上の不備があったのであれば、やるべきことは不備のある制度を放置したことに対する謝罪と責任の追及、そして改善である。
ほりえもんは既存のシステムの弱点を的確についている。もちろん彼一人の能力ではなく、これまで「日本的なやり方」に疑問を持っていた、しかし自分では動くのが嫌だった人間達が裏についているのだろう。「たまった圧力」を開放する「穴」(ほりえもん)ができたので、多くの人がそこに集中しているようだ。こうした人たちは恐らくいつまでもはしごを支える気はない。新しい秩序が形成されるのが先か、支えている人間達がはしごをはずすのが先か。それはそれで見ているのは面白いのだが、どうも日本的な価値観のもとにほりえもん批判に安直に流れていきがちな政財界のトップの人たちの意見には同意できない。
今のほりえもん人気って、既存システムをぶっ壊すといって壊せなかった小泉総理大臣に集まっていた人気が転換したものなのかも。