2005年02月20日

チャラスキー初日

チャラスキーとは、遊びのスキーのこと。完全に競技スキーから切り離されたスキーに出かけたのは10年ぶりぐらいだろうか。
今回の行き先は尾瀬岩鞍。このスキー場に行くのもかれこれ10年振りぐらい。前回来たのは確か、ミナミスポーツ主催の大回転のレースのとき。

今回の面子は、前の前の会社の同僚や仕事仲間。それから大学のスキー部の後輩一人。全部で7人。会社の同僚だったF氏、W氏、それから仕事仲間だったS氏とA氏は別の車。我々は大学の後輩のY氏を連れてのスキー行。

前日、「何時ごろ出ようか」という相談をしていたら、F氏を中心とする若手グループは「7時からリフトが動いているのだから、7時に行こう。道路も混むぞ。1:30に出発だぁ」とのこと。いってらっしゃい。

僕たちは一人が金曜日名古屋出張、もう一人が夜中まで残業ということで、「朝、5:30ぐらいに出よう」と相談。スカイプの導入実験やら何やらで夜中まで色々遊んでしまった。

朝、5:30ぐらいに起床。Y氏から電話があって、「今から出るから、6時ちょっと前になりそう」とのこと。暇なのでもう一度睡眠。6:00ごろにまた電話があり、「おお、到着したか」と思いきやさにあらず。「雪で車が埋もれていたので、ごたごたしてました。これから出ます」とのこと。結局、彼女が到着したのは6:45ぐらい。それから荷物をうつしかえて、ファミマでおにぎりや豆乳を購入。「よし、準備完了。行くぞ」と思ったところでF隊から電話。「もう着いたよ。先に滑ってる」だって。そうですか、頑張ってください。

夜中から雪が降っていたのだけれど、道路には雪はない。途中、嵐山のあたりと前橋のあたりでちょっと渋滞したが、10:20ごろ無事到着。適当に着替えて滑り始める。先発隊はどこで滑っているのだろう、と思い、みんなに連絡してみたのだが、ボーダフォンはまったくつながらない。留守電にもならない。auはアンテナが3本立っているのだが、同じauのW氏は「電波の届かないところにいるか、電源が入っていないためつながりません」だそうで。仕方がないので「オクタで昼ごはんを食べよう」と留守電に録音。しかし、こっちは3本立ってるのに何でつながらないんだ?雪崩にでも巻き込まれて雪の下にでもいるのだろうか。

とりあえず、リフトに乗るたびに電話していたのだが、やっぱりつながらない。こんな狭いスキー場でなぜ、と思いつつ、リフトでどんどん上の方にあがっていってびっくり。向こう側にさらにゲレンデがあったのだ。

大体、競技スキーをやる人間というのはスキー場に行っても非常に限られたところしか滑らない。せいぜい、リフトを2本か3本使う程度だ。どんなに広いスキー場に行っても、ポールの立っているところしか滑らない。このスキー場には大会と練習で3、4回来ているのだが、練習は一番下のジャンプ台の横のゲレンデだけ。試合はクワッドリフトを使ったことぐらいしか覚えてない。だから、山頂のことなんか良く知らないし、その向こうにゲレンデがあることも全く知らなかった。「よし、あっちに行ってみよう」と、西山ゲレンデとかいうところにいったらアンテナが全く立たなくなった。なるほど、ここにいるのか。しかし、こちらの電話も不通のため、連絡の手段がない。さて、どうしたものか、と思い、再び手前の山に戻ることにした。

と、そこでW氏から電話。ようやくつながった。やっぱり前山にいるとのこと。前山の山頂だけ、電話がつながるらしい。待ち合わせ場所を決め、ようやく合流。もうそのときにはお昼前だったので「ご飯を食べよう」と言ったら、「電話もつながらないので、もう食べちゃった」とのこと。まぁ、さもありなん。ということで後発隊3人でホルンというレストランに。入口には「スキー情報」というポスター。ポスターにはボードを持った3人の警官が写っていて、「盗難に注意」とのこと。全然スキー情報じゃないぞ。百歩譲ってもスノボ情報じゃないか、と思ったが、残念ながら寒いところで電話をかけ続けたためにケータイの電池がない。

ということで、カレーを食べてみたが、あんまり美味しくはなかった。でもまぁ、岩岳のホワイトプラザのカレーに比べれば大分マシだった。

食後、みんなと再合流し、チャラスキー。と、滑り始めて2時間ぐらいしたら雨が降ってきた。スキーでは絶対にやってはいけないことがある。それは雨なのに滑ること。ウェアがびしょびしょになるし、ゴーグルには雨滴がついて前が見えなくなるし、雪は重くなるし、とにかく良い大人が雨の中スキーをしてはいけない。

ということで、宿に戻り、テレビ鑑賞。ネットでマリノスの試合の結果を調べたら、あっさり負けたそうでがっかり。うとうとしていたのだが、ふと目が覚めたので風呂へ。風呂からあがったところで夕食。まぁまぁの食事を食べてから部屋へ。去年もらったお歳暮のビールを21本ほど持ち込んであったので、皆で酒盛り。しかし、女性5人、男性2人だったので、21本でも十分。

なんだかんだで強行軍だったので、23時ぐらいでお開き。部屋に戻ってすぐに意識を失った。

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