ここ数日、官僚の天下りに関する意見がネットの中に大量に発生しているようだ。
基本的に「天下りはけしからん」ということなのだが、なんというか、「まず、ちゃんと現状を把握しましょう」というのが第一印象。皆さん、今の状況がどうなっているのかを知らず、新聞やテレビのワイドショウを見ただけのいい加減な知識で感想を垂れ流しているだけに見える。そして、そういう行動の延長線上にあるのは「衆愚」なんじゃないのかなぁ、と思わないでもない。
発端はここなのかな?
「「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」バトン」
トラックバックまで含めて一々チェックを入れていると時間がなくなるのだけれど、
この閣僚の発言は、「官僚は給料が安くても、不夜城と呼ばれる霞ヶ関でサービス残業で死にそうになっても、最後には天下りして甘い汁が吸えるからがんばっている」と言っているに等しい。
全然等しくないし。
優秀な人に、国民のために霞ヶ関で長時間働いて欲しいのであれば、その働きに見合うだけの民間並みの給料を払うべきだし、残業手当も出せば良い。税金をそういうことに使うのはごく当たり前のことで、ちゃんと説明すれば国民を納得させることは可能なはずだ。
全くその通りだけど、典型的な机上の空論。で、本気でこれができると思っているのであれば、まずはこちらを実現するための旗を振り回したらどうかなぁ、と思う次第。いや、「いくつか問題点がある中で諸悪の根源は天下りだからプライオリティが最大」とか、あるいは「複数の同一プライオリティの問題の中で天下りが一番簡単だから、できることからやりましょう」というのなら「なるほど」と思うのですが、天下り問題って、公務員問題の中でそんなにプライオリティが高いんですかね?ただ単に良く目にするから、ってだけじゃない?
そういうオープンなアプローチを取らずに、「天下り先をちらつかせることにより官僚をこき使う」ことが、いかに間違ったインセンティブの与え方であるか、そして、それが決して日本の経済に、つまりは「国力」に悪影響を与えているか、まともな頭を持っていればどんな政治家にも分かるはずだ。
オープン←→クローズという対比なのかも微妙だが、そもそもこの文章は日本語になっていない。
日本中のブログで「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」という声が上がれば、さすがの自民党も無視できないはずだ。
うーーーん、頭の悪い日本人がこんなにいたのかぁ、と晒してしまうだけのような気がする。いや、もちろんきちんと考えた上で「天下り問題はプライオリティ高し!だから自民党は支持しない!」ということが読み取れるならそんなこともないんですが、「なんか面白そうだからバトン〜♪」とか、凄く多そうじゃないですか?
さて、「官僚の社会をきちんと見てみたい」と思って実際に霞ヶ関で課長補佐をやってきた人間からちょっと簡単に。
公務員制度に対して感じるのは「公務員が公務員であるための制度が公務員自身を縛り、ダメにしている」ということ。たとえば以前朝日新聞に投稿した「異動」の問題がわかりやすいと思うのだが、「業者と癒着すると困るからひとつのポストは通常2年、長くても3年」という奴である。「公共の利益」を形から優先したために、結果的に公務員個人、さらには官僚組織全体に大きな悪影響を及ぼしている。こんなものは「癒着したらどうするか」という罰則からアプローチすべき問題なのだが、癒着→罰という形で被害者(?)が出る前に防止しておこうと言う事なんだろう。同じように、「天下りすると業者と癒着するので天下りは禁止」などとやりだすと、今のままでは公務員の質の低下に直結すると思う。
まず僕達が直視しなくてはならない現実は、「公務員の能力は全く均質ではない」ということである。僕は経済産業省の本省に2年間いたが、その間に大勢のキャリア・ノンキャリを見てきた。彼らの能力は当然のごとくさまざまである。そこには三菱総研時代には見たこともないような素晴らしい人材もいたし、また同時に「これでお金をもらっちゃってるの?」と感じる人も少なからずいた。そして、彼らの金銭的評価はそれほど大きく変わることはない。そうした環境の中で僕が最も高く評価した人の意見は「ダメな奴はダメだから仕方ない。もう入省してしまったらクビにはできないので、邪魔をしないでくれ、というだけ。彼らが戦力外なのは仕方ないので、彼らの分まで自分が働かなくてはならないが、役所とはそういうものだ」といったもの。彼の意見の根底には「能力主義が存在しない」ということと、「基本的に終身雇用」ということの二つの前提への諦めがある。そういう意味では、12月7日に発表された
「公務員制度改革について」(PDF)という伊藤隆敏、丹羽宇一郎、御手洗冨士夫、八代尚宏の四氏がリリースしたペーパーは注目に値する。
ただ、ここでちょっと考えなくてはいけないことがいくつかある。
まず忘れてはならないこととして、日本の立法機能のほとんどは霞ヶ関が持っている、ということである。それはなぜかと言うと、議員などがおいそれと作れるものではないからである。議員が建築現場に行けばビルを建設できるかと言えばできなし、議員が作ったマンションなどには住みたくないのと同様、議員が作った法律というのもぞっとしない。なぜかって、官僚出身の議員以外は法律を作ることの素人だからである。議員がたたき台を作った法律に修正に修正を重ねていくと大抵ろくでもないものになってしまうので、「それなら最初からこちらに任せてくれ」という官僚の意見は至極もっとも。現状ではその機能をどこかに移転することは考えにくい。
ちなみに法律を作るということにしても、どの程度の負荷がかかるのか、普通の人達は知らない。1人の人間がそこに張り付いて1ヶ月で出来るのかといえば全然違うのである。僕自身はタコ部屋(法律を作るために作る専用の室)に入ったことはないのだけれど、法律を一つ作るのがどの程度大変なのかはこのあたりを見てもらえばわかると思う。
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/official/law1.htm
同時に政策立案機能も官僚が持っているというのも見逃せない。野村総研やら、三菱総研といった民間シンクタンクは所詮官僚の下働きに過ぎず、なんだかんだ言っても中枢にあるのは官僚組織である。この日本にとって重要な機能を霞ヶ関が担っているということは、紛れもない事実である。
もうひとつ、最近の役所の動きとして見落としてはならないのは、キャリア人材がものすごい勢いで民間に流れ出ていることである。僕が直接一緒に仕事をした官僚は全部で30人ほどだと思うが、課長補佐以下の若手ですでに役所をやめてしまった人間が4人もいる。このうちキャリア官僚が3人である。
官僚組織の現在をまとめると、大体次のようになる。日本の基本的機能の中枢を担っているのは間違いなく官僚であるが、官民の癒着を恐れて「強制的に異動させられる」ことから高度な専門性は持つことができず、結果的に高度なジェネラリストばかりとなり、「能力は一定という建前がある」ために高い能力を発揮する人材であっても金銭面から厚遇を受けることもなく、結果的には「配属」という形で処遇され、「能力がなくてもクビにはならない」ことと、近年顕在化してきている「有能な人材の民間への転出」によって徐々にその基礎体力が失われつつある。
すでに官僚組織の弱体化は進み始めている。そして、このシステムを一気に破壊すれば、間違いなく日本は傾く。その中で、「天下り」という一つの現象は、現在のシステムの「そこそこに主要な要素」の一つであることを忘れてはならないはずである。「公務員は退職しても厚遇されて良いなぁ」ぐらいの嫉妬心から足を引っ張ると、自らの地盤を揺るがせかねないのである。なぜそういうシステムが今存在しているのか。そこには当然原因があるはずで、同時にそれを崩せない理由もある。もちろん、天下りに問題がないと言いたいのではない。もし天下りという制度を全否定するのであれば、それは日本の官僚システムの破壊そのものにつながりかねないわけで、「じゃぁ官僚なんかになるのはやーめた」とみんながそっぽを向いてしまったら、誰が日本の舵を取るんですか?誰が日本の法律を作るんですか?ということになる。「政策立案は完全民営化」「法律作成は完全民営化」という手もあるとは思うけど、「天下り全廃」という人達は本当にそこまでやる覚悟があるのかなぁ、という点についてはかなり疑問なんですよね。