前にもこんな話を書いたと思うけれど、もう一度確認の意味も含めて書いてみる。
一ヶ月ほど前に、「
四万十鰻の偽装から見えてくるもの」というエントリーを書いた。
これまた今北産業で説明すると、
「お前ら、鰻食べてないで、ラベル見て喜んでるんだろ。でもまぁ、そんな社会でラベルを偽装するのは罪が重いよな」
ということ。ラベルの意味は日本では凄く大きいわけだけど、別にそれを肯定しているわけじゃない。で、そんなラベル重視の社会だからこそ発生するのがポスドク問題だったりもする。
世の中、人間につけるラベルは色々あるのだけれど、それはあくまでも最低限のレベルを保証するもので、「優れている」ことを保証するケースと言うのは実はあんまりなかったりする。ラベルというのは多くの場合、「資格」と翻訳して間違いがないのだけれど、国家資格にしても、民間資格にしても、ある程度の知識、技能を持っていることを認めるようなもの。わかりやすいところで言えば医者とか弁護士とかがこのラベルの一種だけれど、じゃぁ、そのラベルがあるからって良い医者なのか、良い弁護士なのか、ということになれば話は別。「まぁ迷惑かけない程度にできるはずです」ぐらいの意味しかないわけだ。大体、医者なんて医学部に行けば普通になれるものだし、じゃぁ医学部は難しいんですか?って、これまたそんなことはない。国立大学や一部の有名私立医学部に行くのはそれなりに大変だけど、三流私立大学経由で医者になることはお金さえあればそんなに難しくない。これに比べると弁護士はある程度ハードルが高いと思うのだけれど、弁護士の知り合いと言うのがあまりいないので、弁護士のクオリティがどの程度コントロールされているのかはさっぱりわからない。ただ、司法試験の合格者を増やすということに対してあちこちの弁護士会が反対意見を表明しているのを見ると「大したことねぇなぁ」と思ってしまう。ま、幸いにして僕は医者にしても弁護士にしても信用がおける人を見つけているので全然困ることはないのだけれど、少なくとも医者だから、とか、弁護士だから、とか、ラベルだけで人を評価することは危険なんじゃないの?と思っている。
で、医者とか弁護士とかは、そういうラベルの中では実は比較的筋が良い部類のもので、アタリの頻度はわりと高いものだと思っている。
さて、そこで博士ですよ。博士って、なるの難しいと思いますか?全然難しくないですよ。博士になるためにはまず大学に受かる必要があります。大学は、難しい大学に受かるのはそこそこ大変なんだと思います。でも、難しくない大学だって山ほどあります。大学入学のハードルをクリアしたら次は大学院ですが、こちらも別にそれほど難しくないです。僕は修士課程に進学するとき、試験を受けました。でも、勉強らしい勉強は全然しませんでした。普通に実験して、普通に輪講出て、普通に遊んでいるだけで問題なく合格です。大体、研究室に配属されるのが大学4年。それで、その年の夏休み明けに大学院の試験があるんだから、大した勉強ができるわけがない。うちの大学の場合、理科大とかから大量に大学院受験生が来ていて、彼らはかなりまじめに勉強していたようですが、少なくとも東工大の人間が東工大の大学院を受験するのに、そんなにまじめに勉強しているのをみたことがないです。まぁ、確かに落ちた奴もいましたけど、それはレアケース。で、修士課程の途中で今度は博士課程に進む試験・・・・って、試験なんかあるの?記憶にありません。研究室の先生に気に入られていて、修士論文が普通に認められて修士課程を修了していれば、誰でもいけるんじゃないのかなぁ。まぁ、博士課程に進学するための試験みたいなのがあっても不思議じゃないけれど、博士課程に行けなくて浪人、なんて話は聞いたことがありません。それで、博士課程ですが、これはもう教授の手下として実験に励むわけですが、僕が自分の研究室の先輩達を思い返してみると、彼らは別に決して悲惨な状況ではありませんでした。だって、ちょこっとお金を払って、あとは教授や助手の言いなりになっていれば、好きなときに人のお金で実験して、暇なときはテニスや水泳、あとは麻雀。研究室に外研に来た女子大の女の子と遊びに行ったりもするし、まぁ僕が学生のときはインターネットなんかなかったからネットサーフしている人は皆無だったけれど、マックでお絵かきして遊んだりというのは良く見かけたし、それで本を書いてバイトしている人もいました。基本的にほとんど好き勝手。好きな実験をやって、それなりに結果が出ていればもう何も問題はないわけです。こりゃ楽しいですよね。修士課程修了後に僕は普通に就職しましたけど、そのあとにやってきた色々な仕事の中で、博士課程の学生よりも楽だったのは9ヶ月ほどやった無職(って、これは仕事じゃないけど(笑))のときぐらいですよ。もちろん、博士については横で見ていただけですけどね。基本的に修士課程と何ら変わりはないというのが僕の認識。ま、それが全てではないでしょうけど。
「じゃぁ、そんな楽しい博士をお前はなぜやらなかったんだ」ということになるわけですが、僕はそういう博士達を見ていて、「これは僕がやりたいことじゃないな」と思ったわけです。だって、教授、助手の言いなりになって、彼らのための成果をあげていくだけのポジションなんだもの。たまたま自分がやりたいことと、上司が要求している成果とが一致しているだけのこと。じゃぁ、その3年間が果たして自分にとって有意義なのかといえば、それはまた別問題。まぁ、じっと三年間我慢して、博士になって、そのあと成果を出して助手になって、運が良ければ准教授になって、というパスだってもちろんあるし、実際僕の高校の同級生は東大で准教授、大学のクラブの同期は東工大で准教授やってるし、研究室の後輩はやっぱり東大で准教授といった具合で事例もたくさんある。ただ、僕の場合は研究室で研究するよりも、社会に出た方が自分のスキルがアップすると思ったから、さっさと出て行った。
って、ちょっと話がそれましたね。とにかく、僕から見ると、博士って言うのはまず「大した生産もせずに(というか、どちらかというと研究費の消費をしている)好きな研究をやっている人たち」って感じなんですね。だから、博士だからなんなの?という感じになる。当然「博士」というラベルには特別な意味を見出せない。いや、厳密には、「3年間教授や助手の言いなりになっても我慢した偉い人たち」という切り口はある。でも、それだけ。なぜそんな博士が成立するかって、保有する側(大学研究室)からすれば貴重な労働力を確保できる。保有される側からすれば、比較的自由な環境で好きな研究を続けられるわけです。相互のメリットが成立しているんだから、誰もストップをかける理由はないですよね。
でも、考えてみてくださいよ。「○○さん、どうも優秀だと思ったら、博士らしいよ」なんてこと、実生活でないでしょ? つまり、「四万十産」とか、「医者」とか、「弁護士」とかのラベルにはそれなりの意味があるんだけれど、「博士」っていうラベルには全然意味がないわけです。そんな、全く意味のないものを掲げて、「博士が余っている」という話をされても、生活者レベルではまったくピンとこないわけです。だって、「博士」というラベルにそもそも何の意味もないんだもの。それをカテゴライズして論じることにも意味がない。「就職に困っている人」というクラスターにはもちろん含まれるわけですが、そのクラスターは今の日本では非常に大きいので、「だから何?」ってことになっちゃう。そういう状況においては、「博士」っていうラベルを強調することには意味がないのはもちろん、逆効果かもしれない。失業者が一杯いる中においては、優秀であるはずの博士は後回しで、みたいな。結局、「ポスドク余り問題」なんて、「ポスドク」を強調するから「はぁ?」ってことになっちゃうわけです。ときどき、「折角高度な教育を受けているのに」とか書かれていたりするけど、ホントに(笑)? 「優秀な人材を有効利用しないのは社会にとってマイナス」って、誰が「優秀」って評価したの(笑)? 優秀な人間を放っておくほど、今の日本は人材が余っていたりはしませんよ。優秀じゃないから余ってるんじゃん。
博士っていうラベルには価値も意味もない、ということになれば、そこに存在するのは「後期博士課程で3年間好きな研究をやっただけ」の人ってことになる。一般企業が「その3年をうちでトレーニングしていればねぇ」って思っても全然不思議じゃない。結局そこに存在している人間が何ができるのかが問題なのであって、もし片方が24歳で、もう片方が27歳で、能力的に大した差がないなら、そりゃほとんどの企業が24歳を採用しますよね。
「博士をもっと採用してください」とか言っている人には逆に質問したい。「博士になるために何をしたんですか。何を身に付けたんですか。修士とは具体的に何が違うんですか。それは会社の3年間では身に付けられないものなんですか。博士であるというだけで何か会社の役に立つんですか。」
僕の考えでは、「博士」になるのは全然大変じゃない。「博士」だからって優秀とは限らない。「博士」なんていうラベルには全然意味がない。この考え方は、世間の考え方とそれほどずれてないと思う。だから、まずはこのあたりを共通認識として持たなくちゃいけないんじゃないだろうか。これができないなら、いつまで経っても博士と社会との間の溝は埋まらないと思う。もしポスドク問題を考えている人が、「博士の有用性を社会に理解してもらう必要がある」なんて考えているとしたら、未来永劫解決しないんじゃないだろうか(笑)。博士が余っているのは社会のせいじゃない。「博士」というラベルを使って社会から離れたところに立ってしまっている博士自身のせいだと思う。以前、「修士」という肩書きを書いた名刺をよこした公認会計士がいて大笑いしたけれど、それと一緒。「博士」なんて肩書きを忘れた方がずっと解決に近づけると思う。
#いやね、もちろん、「博士になれば将来はばら色ですよ。就職は引く手あまた。売り手市場で困っちゃいます。だから是非博士後期課程へ進学してください。将来は保証します」みたいなことを大学から説明されていたんなら話は別ですよ。責任者出て来い、という話です。でも、そんな話はあんまり聞いたことがないんですが、どうなんでしょうね?
##博士の中にはもちろん優秀な人がたくさんいますよ。でも、そういう人のほとんどは博士というラベルがあることに意味があるんじゃない。そういう人たちは、ラベルがなくても優秀なんです。
###優秀な人がプラスアルファの価値を求めて博士というラベルを手にするのは決して筋悪じゃないです。