2008年10月10日

満留賀 (まるか)

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朝霞台にある「満留賀 (まるか)」という蕎麦屋に行ってみた。このあたり、山猫軒とか、寿司屋とか、色々ある一角なんだけれど、この蕎麦屋もちょっと気になっていた。すぐそばには大勝軒朝霞店という凄いできの悪いラーメン店があるのだけれど、どうやらこの店と仲が悪いようで、この店の駐車場には凄い挑戦的なせりふが書かれていた(転載自粛(笑))。

さて、何を食べようかなーと思ったら、新そばの手打ちがあるとのことなので、鴨そばを頼んでみた。やはり、そばは鴨。

で、食べてみましたが、そばは結構良かったです。でも、鴨がちょっといまいち。うーん、これは作戦ミスだな。次は鴨以外を食べてみよう。

総合評価 3.0
料理 3.0
サービス 3.0
雰囲気 3.0  

はいはい、また馬鹿が一人

発信箱:流通していていいのか=磯崎由美

記名記事で馬鹿をさらしている点だけは評価しよう(笑)。この件、政治屋(政治家じゃないよ)とマスコミが「よーし、ここ、弱そうだから叩いちゃおう!これでポイントアップ間違いなし!存在感アップ間違いなし!」って思ってやってみたら、世論から総すかんを食ってしまって泡食ってるって感じですけど、いい加減引っ込みがつかなくなったんでしょうね。

 村田さんの長男龍之介君は7歳だった。昨年3月、学童保育所でおやつに出されたこんにゃくゼリーをのどに詰まらせ亡くなった。両親が泣き暮れる日々から立ち上がり、実名を公表し提訴したのは、12年も前から窒息死が相次いでいたと知ったからだ。法の不備で製造中止はかなわず、裁判は和解した。


あれ?保育所を提訴したんじゃないんですか?

数字は被害の一部に過ぎないだろう。実際、村田さんは龍之介君の葬儀で参列者から統計に上っていない死者がいると聞き、のち事実が確認できた例もある。


時々いますね、こういう人。「これは氷山の一角だ」って、自分では調べもせずに我田引水する。新聞記者なんだから調べて書けば良いのに。空想で書いて良いなら誰だって書けます。このあたりが馬鹿の馬鹿たるゆえん。

だが、問題は子どもや高齢者が口にすると危険な「おやつ」が流通していることだ。


違う。子供や高齢者が口にすると危険だとわかっていて、しかも周知されているものを子供や高齢者に与える人間が存在することが問題。

消費者保護の精神からはほど遠い。


アホか。そういうのは消費者保護といわない。消費者過保護という。

「餅はどうするのか」「交通事故の方が多い。車も製造中止か」。そんな批判も村田さんの耳に届く。


批判も耳に届く、で思考停止するなよ(笑)。反論できるなら、お前(磯崎由美氏)が反論しろ。人のふんどしで相撲を取って、挙句タイトルが「流通していていいのか」かっちゅうの。どういう理屈で流通してはいけないのか、餅やたばこを口に入れて死ぬ人の数と比較してどうなのか、あるいは交通事故で死ぬ人の数と比較してどうなのか、もしくは、そもそもそういう比較がナンセンスだというのならどうしてナンセンスなのか、このあたりをきちんと書いてみろ、と。

「私も龍之介を失うまで消費者被害を身近な事とは感じていなかった。どうか皆さん机の上だけで考えず、もしわが子や孫が口に入れてしまったら、と想像してください」


家族を失った人がこうやって感情論に訴えるのは理解可能。しかし、報道する側がそれを引用するだけで、自分の考えをきちんと述べないというのはいかがなものか。この記事を読んでも、磯崎由美氏独自の論理的主張というものが見えてこない。感情的なお馬鹿さんだということはなんとなくわかるのだけれど。  

ブロークバック・マウンテン

4eb39366.jpgなんともコメントが難しい。アカデミー賞の監督賞をはじめ、ヴェネチア国際映画祭などでも高く評価された本作。一言で書けば「20年以上続いた男同士の純愛」みたいな感じなんだろうか。もっとストレートに書けばホモで不倫な映画(笑)。

うーーん、しかし、男同士って、こうやってできちゃうんだー。へぇー、みたいな。二人とも普通に家庭を持って、子供も生まれるのに、でも男同士も忘れられない、というのがちょっと理解不能で。別に気持ち悪いとか、不道徳だとか、そういうことではなく、単純に理解不能。理解不能だし、共感できない。だから、コメントも難しい。

単純に、「あぁ、こういう世界もあるんだな」という感じで、淡々と進むストーリーを傍観してしまった。退屈はしないけれど、感動もしない。なんか、そんな感じ。感性が鈍いのかな?これが男と女のストーリーなら、良くあるタイプのダブル不倫。それが男と男だから、差別とか、偏見とかが含まれて、話が深くなる・・・・のかも知れない。わかりませんが。

ということで、評価は☆1つ。

ブロークバック・マウンテン プレミアム・エディション  
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2008年10月09日

茶々白雨

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今日は新宿の茶々で美女二人と飲み会。

たまにはこういうことがあっても良い。

しかし、全員が揃うまでに一時間近くかかった(笑) みんな、まじめに働きすぎ。  

リトルロック

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幕張で東京ゲームショウがあって、ちょっと来てみました。お昼、何を食べようかなぁと思って近所を探してみたのだけれど、ろくなところがない。仕方がないのでこの店に入ってみました。

ランチタイムからちょっと外れた時間に行ったんだけど、お店の前にはランチのセットがいくつか並んでいたので、何にしようかな、と考えながら席に着いたんだけど、おじさんが持ってきてくれたメニューにはランチが掲載されてない。あれ?ランチタイムは終了?まぁ、この時間なら仕方ないか(14時過ぎ)、と思って普通のハンバーグにライスを注文。あら、ランチなら1000円以下だったのに、ハンバーグにライスだと1000円オーバーですか。

で、出てきたハンバーグとライスですが・・・・・・うーーーーん、これはちょっと・・・・・いただけませんね。ハンバーグはなんかねちょねちょしていて、まぁこういうハンバーグが好きな人もいるんでしょうが、僕はもうちょっとあらびきな感じというか、肉がごつごつしているのが好き。肉のうまみがあまり感じられず、ちょっとなんだかな、と。ライスは普通に美味しくなかった。まぁ、こんなものかも知れない。

しかし、幕張って食べるところがないよなー。東京ゲームショウ、別のところでやってくれないかな。

で、店を出たら、やっぱりランチのセットが並んでる。うーーーーん。  

ふむ

75b92c42.jpg出典を書く手間がはぶけてナイス!
  
Posted by buu2 at 13:28Comments(0)TrackBack(0)モブログ││編集

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キレイな逆切れ

「逆切れ」という言葉は歯切れの良い言葉で語感が良いので、ついつい間違ったところで使ってしまう。ただ切れているだけなのにそれを「逆切れ」と言ってしまうケースが非常に多い。なので、「これは文字通り逆切れだな」という事案にめぐり合うことはめったにないのだけれど、昨日、そんな案件に出くわしたので紹介しておく。

昨日、都内のレストランである会社の打ち合わせがあった。僕はその会議にはオブザーバー的な位置づけで参加していたのだけれど、社長が召集をかけて、僕と、ある弁理士と、もうひとつ別の会社の社長(以下○社長)の合計4人が参加者だった。19時スタート予定だったのだけれど、僕は18:55に到着。他の人たちの到着を待ちながら、マンゴージュースを飲んでいた。次に待ち合わせ場所に到着したのは弁理士。19時をちょっと回ったところ。続いて会議を招集した社長が到着。3人でサラダなどを食べながら食べ物の話などをしていたのだけれど、19:30になってももうひとりが来ない。「おかしいなぁ」とは思ったけれど、僕は会議の主催者じゃないのでケータイで野球の途中経過を調べたり、パソコンでゲームをしたりして時間をつぶしていた。途中で社長が「元木さん、○さんに電話してみました?」とか聞くので「なんで僕が電話するの?」と不機嫌そうに(実際不機嫌だけどね(^^; なんで主催者の社長が自分で電話しねぇんだよ、馬鹿、とは思っていたので。依頼心が強いにも程がある(笑))答えると、ようやく自分で電話をしている。で、○さんが言うには、「もうちょっと遅れるから先にやっていてください」とのこと。じゃぁ、先にやっているのかな、と思ったのだけれど、社長はずっと黙って座っている。なんだかなー、と思いつつ、マンゴージュースをおかわりしたり、他の軽食を注文したりしていたのだけれど、19:50ぐらいに社長がすくっと立ち上がり、「今日は中止にします!」と宣言した(笑)。僕と弁理士はさすがに驚いたわけで、この忙しい人間を人を呼び出しておいて、何もせずに会議中止って、こいつ脳みそが野田聖子なんじゃないの、と思ったわけですが、そういうときってちゃぶ台をひっくり返すみたいなことは思いつかないもので、「えーーーーー、ほんとに中止にしちゃうの?」(苦笑)みたいな反応をしちゃった。弁理士もあっけに取られていたけれど、そんなこんなのうちに社長はとっとと帰っちゃった。めちゃくちゃな社長もあったものだけれど、そのちょっと後に、○社長から「もうすぐ行きます」との連絡。それで、待つこと10分程度。ようやく○社長の到着である。と、ものすごい剣幕で開口一番、「僕、電話で逆切れしちゃいましたよ」とのこと。どうしたの?と聞くと、「いや、今、電話で「中止にします」って言ってきたから。だって、僕達三人呼び出しておいて、何も話し合わずに帰っちゃったんでしょう?無責任にも程がありますよ。僕がいなくたって、話し合うことは一杯あるはずなのに。もう全然話になりませんよ!」とのこと。うむ。おっしゃるとおりではある。だから、僕や弁理士が怒るのは当たり前。

が、そもそもの原因は○社長(笑)。遅れている○社長に対して一回しか連絡を入れず、たっぷりあった時間でほとんど何も打ち合わせをせず、弁理士に対しては謝ったものの、僕に対してはほとんど何の謝罪もなしに帰ってしまったこちらの社長の対応能力、コミュニケーション能力、その他もろもろにかなりの疑問符がつくのは確かなのだけれど、でもまぁ、○社長が激怒するのは、これはキレイな逆切れというのにふさわしい(笑)。

#いや、キレイな逆切れだろうと何だろうと、最終的に責任を取るのは社長ですから、逆切れさせた社長に最終的な非があるのは間違いないのですが。社長はつらいですからね(笑)。  
Posted by buu2 at 02:24Comments(2)TrackBack(0)日記││編集

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2008年10月08日

エリアの騎士

067aa61b.JPGマガジン連載のこの漫画、絵はへたくそだし、詰まんない解説・能書きが多いけど、サッカー漫画としてはすげー面白いと思う。今週号、凄い。

残念なのは、来週が休載なことorz  
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2008年10月07日

内容据え置き

03298b98.jpg価格だけアップ(泣)
  
Posted by buu2 at 16:22Comments(2)TrackBack(0)買い物││編集

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今日の予算委員会

結構面白かったけれど、今、社民党の阿部委員が出てきて、いきなり「総理、年齢はおいくつでしょうか」って、凄い情報弱者だな(笑)。さて、そろそろ出かけよう。  

後だしじゃんけん

プロ野球実行委:田沢投手問題受け人材流出歯止め策に合意

相変わらず、日本のプロ野球というのは馬鹿の集まりのようだ。何を以って馬鹿というかといえば、想像力の欠如。

この話は、有力な選手が「僕は大リーグでやりたいので、日本のプロ野球の皆さんは僕のことをドラフトで指名しないでくださいね」と言ったことに対して、「有力選手がどんどん米国に流出してしまったらたまらん。何か防止策を考えよう」ということで、最終的に「直接米国に行った奴は戻ってきても2〜3年は日本でプレーさせてやらないもんね」という結論になったということ。オフィスラブの末に振られた男が腹いせにパワハラをする、みたいな話である。いや、こう書くと良くありそうな話もであるけれど。

それにしてもアホらしい。あのさー、たとえば、メジャーに行って大活躍して、そのときに「家族の事情があって日本に帰りたい」とか言ったらどうするんだろう。ま、そういうケースは実際にはあまりないかもしれないけれど、メジャーではちょっと苦しくなったから、日本でやりたい、という選手だって間違いなくいる。選手からすれば「日本でやらせてくれないなら、韓国か台湾に行くから良いもんね」ってことになるだろうが、ファンはどうする。将来どういうケースが発生するかとか、ファンはどう思うのかとか、そのあたりのことを想像できない、あるいは想像できてもそれをきちんと結論にフィードバックできないんだから、これは間違いなく馬鹿。ま、トラとか、竜とか、ツバメとか、鯉とか、星とか、ライオンとか、波とか、鷹とか、このあたりは馬や鹿よりも頭が悪そうだから許すとして、巨人と戦士はいただけない。

読売ホーシーズと北海道日本ハムディアにしたらどうかと。あ、でも語感としては読売ディアと北海道日本ハムホーシーズの方がフィットするかな?

これだけでも筋が悪いのに、おまけに「この決定は今度直接米国行きを表明した選手にも適用されます」って後だしじゃんけんかよ。どんだけ筋が悪いのよ。  
Posted by buu2 at 10:18Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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餃子の像が・・・・

なんと、宇都宮の餃子の像が壊れてしまったらしい。

宇都宮の「餃子像」真っ二つに割れる…移転作業中に転倒

↓壊れた像(;_;)
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↓在りし日の像
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作り直すなら、次は大理石でどうかと。  
Posted by buu2 at 09:47Comments(4)TrackBack(0)ニュース││編集

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2008年10月06日

のなし あるいは のたりん

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Posted by buu2 at 15:09Comments(0)TrackBack(0)モブログ││編集

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馬鹿の申し入れ

こんにゃくゼリーの件について登場するのは本当に馬鹿ばっかりだな(笑)。

いまさらながら、福島みずほの申し入れなんていうのを見つけた。

福島みずほのときどき日記「こんにゃくゼリーの死亡事故に関し、内閣府国民生活局に申し入れ

ま、この人が馬鹿なのは前からわかっているので、別にどうでも良いっちゃどうでも良いんですが(笑)。

株式会社マンナンライフって、こんな会社ですよ。まじめにやっている零細企業が政治家とマスコミのおもちゃにされていて本当に気の毒。  
Posted by buu2 at 14:13Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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今国会で質問している人

凄いへたくそだな。どこの選出だ?山本拓委員だけど。

って、福井か・・・・  

東工大のスキー部OB会について

僕は東工大の体育会のスキー部のOBだけれど、OB会は自主的に退会している。退会しているのだけれど、その点は承認されていないようで、毎年のようにOB総会の案内がやってくる。でも、僕はもちろんOB総会に出る気はない。なぜ僕がOB会を退会したのか。

数年前まで、僕はOB会の運営の手伝いをやっていた。OB会は理事みたいなポジションを年寄りが占めていて、実務は比較的若手の人が対応していた。ここ数年は僕よりちょっとだけ上の年代の人が便利屋のように使われていた。ま、この辺はどこの体育会だって良くある風景で、何年経とうが先輩はいつまで経っても先輩。下手したら、同じ会社の部下であってもプライベートでは先輩だったりする。だから、ほとんど何もしない年寄りが上のほうにいても良いし、気の良いお人よしの先輩が彼らにあごで使われていたとしても、「けしからん」なんていうことを言う気はさらさらない。かように非常に体育会体質に対して理解を示す僕がなぜOB会を辞めたのか。僕の知る限り、OB会に対して公式に退会の意思を表明したのは長い歴史の中で僕だけだ。

きっかけは、OB会のメーリングリストである。「理科系の大学のOB会なんだし、連絡はメーリングリストでやろうぜ」みたいな話が持ち上がったのが数年前。うーーーん、6、7年前だろうか。僕がまだ理研あたりにいた頃だと思う。そのリストを作ったとき、なぜかそのMLに誰がいるのかが公開されなかったのである。閉鎖空間であるメーリングリストで、参加者が誰なのかわからない。なんだ、これは、と思って「なぜオープンにしないのですか?」と尋ねたら、「個人情報の兼ね合いで誰がいるかはオープンにできない」との答え。でも、MLの中で発言している人たちの所属などはバレバレなのである。もちろん、運営事務局も誰がいるのかは把握している。しかし、参加者には誰が参加しているのか教えてくれない。「誰が存在しているのかわからない」、そんな片手落ちのネット空間においてどんな発言をしろと言うのか。情報の発信者と受信者の立場の対等性が担保されないケースはインターネットでも多々あるが、OB会などという非常にプライベートな場においてなぜ一方的に受信者の権利だけが確保されるのかわからなかった。そこで、「こんなMLには所属していたくないので、リストから排除してくれ」と申し入れたのだが、今度はその申し入れを無視された。所属の自由すら与えられない不合理性に嫌気が差して、そんなMLを運営しているOB会そのものを辞したのである。

しかし、実は退会の理由はそれだけではない。いや、どちらかというと、それはあくまでもきっかけに過ぎない。なぜ僕がOB会の退会を決意したのか。それは、OB会の体質そのものに起因する。僕が現役のとき、OB会は非常に脆弱な組織で、僕たち現役選手はOB会から全く支援を受けていなかった。ところが、ある時期にOB会が、「OBらしく、現役部員を支援しよう」と言い出して、OB会費を徴収し、そして現役部員たちに現金を支給し始めたのである。僕はそのやり方に非常に違和感を覚えた。現役部員たちは乞食ではないのだ。「後輩である」という以外に何もない人間に対して無条件にお金を恵むことは、人間を堕落させる。そんな支援の方法しか思いつかないOB会はおかしいと思ったし、何らかのギブアンドテイクがある関係こそが望ましいと思った僕は、現役部員の合宿にときどき参加して、ポールセットを手伝ったり、ビデオを撮ってやったりといったことをした。僕はなんだかんだで現役部員の合宿に、卒業後7、8年ぐらい参加し続けた。これが僕なりの「現役部員の支援」だったわけだ。当然、僕にもメリットがある。合宿所に一緒に泊めてもらえるし(もちろんお金は払いますよ)、スキーの練習もできる。相互にメリットを持っているから、不公平感もない。おかげで僕はかなり下の代まで、スキー部員達に面識がある。しかし、お金をプレゼントするだけのOBはどうだろう。おそらく、一年に一度のOB総会ぐらいしか顔を合わせる機会はなく、もしお互いに社会人になったときに仕事で顔を合わせても、全く気がつかないだろう。僕はそんな支援をやりたくないと思った。

それで、僕はOB会の理事会みたいなもの(連絡会だったかな?とにかく役員だったので、学年代表として参加していた)で自分の意見を表明した。「現役部員を支援する方法は色々なものがあるはず。お金を出すというのもひとつの方法ではあるが、それはお互いの顔が見えない方法だ。せっかく同じ大学の先輩後輩としてスキーをやっているのだから、顔の見える支援だってあり得るはずだし、そちらの方が理想的ではないのか。ただ、そうした手段は誰にでもできることではない。だから、出来る人がやればいい。そういう、多様性を認めるようなことはできないのか。一律でお金を集めてそれを現役部員に渡すというのはあまりにも短絡過ぎるのではないか」というようなことを言ったのである。しかし、その会では特に議論もなく、そのままスルーされた。

僕は抗議の意味も含め、OB会が集めるOB会費は一切払わないことにした。また、きちんとした議論をしない会のあり方にも疑問を呈し、それ以降、会議には参加していない。

どうせ今後も「成績が良かった」と言っては喜んで寄付をするんだろうし、「成績が悪かった」と言えば「頑張れ」と口先だけで激励してお金を寄付するんだろう。そういう手段しかない人間がそういう手段でしか応援できないのは本当に気の毒な話である。

「じゃぁ、お前は具体的にどういう支援をするんだ?」

ごもっとも。僕はスキーを愛する人たちが気軽にスキーを楽しめるように、と思ってスキー屋を始めた。既存のやり方では価格に反映せざるを得なかった部分を別の形で担保して、それを消費者に負担させないように工夫した。それによって生じた利益はもちろん東工大の現役スキー部の部員に対しても同様に与えることが出来る。彼らは日本中のどのお店で購入するよりも安い価格でスキー、ブーツ、ワックスなどを購入することが出来る。もちろん、彼らが購入してくれることによって、僕にも利益がもたらされる。さらに、彼らがスキーの大会などで他大にうちのショップの宣伝をしてくれれば、売り上げも増えることになる。これは決して一方的な関係ではない。

「他に何も出来ないから金を出すだけ」のOBの存在はもちろん否定しないが、全てのOBが足並みを揃える必要はないはずだ。それなのに、無理やり低いレベルに合わせて、程度の低い支援をさせようとする。日本社会の駄目なところをそのまま引き継いでいるような組織である。こんな組織はこちらからゴメンである。

支援を通じても、先輩として後輩に何かを教えることができるはずだし、そういう機会として支援を捉えることが重要だと思う。何十人もOBがいて、誰一人としてそういう考えにならないところが東工大スキー部OB会の駄目なところだと思う。  
Posted by buu2 at 00:13Comments(0)TrackBack(0)スキー││編集

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2008年10月05日

燃費

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Posted by buu2 at 21:04Comments(0)TrackBack(0)モブログ││編集

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釣った魚をたべる(その2)

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一通りさばいてもらった魚を食べて、やー、おなか一杯だね、ということになったんだけれど、魚がまだ残っている。そこで、今度はなめろうとたたきを作ってもらった。これ、アジだけじゃなくて、イナダとヒラソウダも入っている。なめろうとかたたきって、一種類の魚で作ることを考えちゃうんだけど、こうやって混ぜちゃうのもありなんですね。で、これがまた美味しい。やっぱ、調理はプロに任せるのがいいですね。おかげで今日はぐっすり眠れそう。

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釣った魚をたべる(その1)

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大抵の場合、釣った魚は自分でおろして食べるんだけれど、今日は徹夜明けということもあってかなりへとへと。これで家に帰って夜中まで魚と格闘というのもぞっとしないので、クーラーボックスに入れたまま魚をおすし屋さんに持ち込んでさばいてもうことにした。さすがはプロ。次から次へと手際よく魚をおろして、ご覧のとおり。
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こちらはイナダ。前回食べたときはイマイチだったんだけれど、今日のは美味しい。何が違うって、ポイントはふたつ。まず、今回は釣った魚をきちんと沖でしめて、氷で冷やしておいた。それから、さばいた人がプロ。どっちのポイントも重用だったような気がする(笑)。

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完徹で佐島

9d611c07.jpg昨日はトレーニングから帰ってきて仕事をして、さて寝よう、と思ったのだけれど、どうも寝付かれない。最近は仕事が終わると大抵疲れちゃっているので、横になるとすぐに眠れちゃうんだけれど、「早めに寝よう」と思うと難しい。で、ふと気がつくともう2時過ぎ。出発は4時ごろ。「これで中途半端に寝ちゃうと朝が凄くつらくなりそうだな」と思ったので、そのまま仕事を続けることにして、徹夜で佐島に向かった。

さて、佐島に到着して、いつもの与太郎丸に乗って、沖へ。最近はそこそこ釣れているらしく、船もバラけている。魚の数が少ないと、たくさん連れる場所も限られてしまい、結果として船が一箇所に集まってしまう傾向があるようだ。

朝一のスポットでは、糸を垂らしてすぐに反応あり。こういうときはあんまりおしゃべりなどせず、どんどん釣った方が良い。サバ、アジといった美味しいところが釣れるが、中心になるのはソウダガツオ。ソウダガツオは引きが強いので、釣ること自体はそこそこ面白い、ただ、あちらこちらに走り回るので、すぐに隣の人とお祭りしちゃう。だから、最初のうちは面白いけれど、途中から飽きてくる(笑)。あまりにもソウダガツオが多いからか、場所を変更することに。

次のスポットではいくらやっても全然あたりがない。もうお魚さんたちはおなかが一杯なのかもしれない。時間は8時過ぎ。何はともあれ、こりゃ駄目だ、ということで釣り場変更。

三箇所目は、二投目ぐらいであたりがあって、「あ、ここのお魚さんたちはまだおなかがすいているみたい」という状況。で、次ぐらいからソウダガツオ、サバなどがかかり始めた。でも、しばらくすると今度は海面すぐのところにソウダガツオが集まってきてしまい、狙いのタナまで餌が落ちていかない。もう、ぽんっと針を落としたその瞬間にソウダガツオが食ってしまうのだ。ソウダガツオばかり釣っても仕方ないので、また場所を変えるかー、というところで僕の竿にあたりがあって、例によって良く走るので、またソウダガツオかなぁ、と思ってあげてみたらイナダだった。これ、今日の目標物。場所を変えようかと思ってみんな準備していたんだけれど、方針変更。ここでやるぞー、ということになった。でも、僕の竿にはサバとソウダガツオしかかからない。何人かがイナダをあげたところで、結局場所を変更することに。

四箇所目は二箇所目と一緒で、全然あたりがない。海釣りでは釣る人の腕なんかより、どこで釣るか、場所とタナがめちゃくちゃ重要。だって、僕みたいなど素人が凄い安い竿とリールを使っていても釣れちゃうんだから。ということで、再度場所を変更。

次の場所は一箇所目、三箇所目のように入れ食いという感じではない。なんというか、適度なあたり。糸をタナまでおろして、2、3分であたりが来る。そして、あげてみるとアジ。このあたりのアジは青アジというらしいのだけれど、とにかく美味しい。イナダは味はまぁまぁだけれど、とにかくでかいので、一匹いれば十分。あとは味を釣りたい。だから、このスポットはナイス。ということで、アジに狙いを定めつつ、のんびり最後の釣り。結局、釣果の方は、

ヒラソウダ 1
マルソウダ 11(そのほかにリリースしたのが3、4匹)
アジ 7
イナダ 1
サバ 7

という感じ。僕的に言うと、これは年に一度か二度の豊漁。これで二箇所目、四箇所目も釣れていたらどうなっていたことやら。でも、釣り過ぎちゃうと今度は魚の処分に困る。物事は適度なのが一番。

ということで、昼過ぎに釣りを終了して、みんなで佐島マリーナでお茶を飲んで、現地解散。僕は横浜の本社に戻って、それから実家の美容室へ。といっても、本社のある建物の一階なんだけれど。そこで釣れすぎた魚達をなじみのお客さんたちにプレゼント。マルソウダとか、生では食べれないかも知れないけれど(時々あたる人がいる)、火を通せば全然問題ない。

で、夕方になったので、残った魚を持って、勇吉さんへ(近所のおすし屋さん)。  
Posted by buu2 at 13:09Comments(2)TrackBack(0)釣り││編集

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2008年10月04日

AIWAのカスタマーセンターが全く役に立たない

スカパーのチューナーが壊れた。AIWA製。

おかげでスカパーが全然見れない。見ることができないのは良しとしても、見ることができない状態なのに課金されるのは非常に馬鹿らしいので、スカパーを解約するか、チューナーを直すか、どちらかしかない。正直、サッカーシーズンはもうそろそろ終了なので、無理に契約を継続する必要もないのだけれど、念のため、アイワのカスタマーセンターに電話してみることに。

まず、マニュアルに書いてある番号に電話。すると、「おかけになった電話番号は、番号が変わりました」だそうで、0570で始まる番号になっていた。面倒くさいなー、と思いつつそちらに電話すると、「携帯からは通話できません」だそうで、固定電話をそろそろ辞めようか思っているんだけど、辞めたらどうするつもりなんだろう、と思いつつも、固定電話から電話。すると今度は「大変混雑しております。そのままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直しください」とか言ってる。この手の電話はどうせいつかけたってダメだから、そのまま待つことに、こうやって待っている間も通話料で180秒ごとに8.5円のお金が課金されるんですかね?あまりにも長い時間待たされるので、カスセンの通話料ぐらいメーカーで持てよ、などと思ってしまう。それで、ようやくセンターが出たと思ったら、「お近くのセンターから修理員を派遣します」とのこと。そりゃ楽で良いね、配線全部はずすの面倒だものね、と思ったわけで、あとで担当から電話がくるってことだった。

それから待つこと約1時間30分。ようやく電話がかかってきたのだけれど、「修理員を派遣すると、修理代とは別に2500円と消費税がかかります」とか言ってる。フザケンナ(笑)。勝手に修理員を派遣するって言っておいて、派遣するに当たっては2500円って、そりゃ修理の押し売りじゃねーか。「じゃぁ、良いです。どこかに持ち込みたいんですが」というと、こちらの郵便番号を聞いてくる。教えてやったら、「○丁目ですか?」などとマニアックなことを聞いてくる。この近くにたくさんあるんだろうか、と思ったらさにあらず。候補として挙げられた店はどこもここから車で30分程度。しかも電車では行けないような場所ばかりである。またここでちょっと切れそうになりつつも、「じゃぁ、どこかターミナル駅にはありませんか?」と聞いてみた。すると今度は池袋とか、新宿とか、四ツ谷とかを挙げてくる。その店が一つ一つ、聞いたことがない店。仕方ないので今度は「あの、池袋とか、新宿とかのビックカメラでは修理できないんですか?」と聞いてみた。すると、「直せるかどうかわかりませんので、直接お店に聞いてみてください」だそうで(笑)。

なんだよ、このカスセン、全然役に立ってないじゃん(^^; 最初からビックカメラに電話すれば良かったよ(^^;

それにしても、もうカスタマーセンター機能しか残っていないような会社なのに、その残った機能がこれじゃぁなぁ(^^; ま、仕方なし。  
Posted by buu2 at 17:00Comments(0)TrackBack(0)電化製品││編集

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なぜこんにゃくゼリー問題が気持ち悪いのか

昨日、あるところで「元木さんはなぜこんにゃくゼリー問題にあそこまでデリケートに反応するのですか?」という質問をされた。

理由はそれほど複雑じゃない。日本の抱えている問題を顕著に表した事案であり、それに対して生理的気持ち悪さを感じたからである。この気持ち悪さは理屈ではないけれど、気持ち悪さを感じた理由は理屈なのでちょっと書いておく。

この案件は、一言で片付けてしまえば「自己責任」で終了すべき案件だと思う。

こんな細かいところまで一々行政が介入していたらどういうことになるのか。先日のエントリーでも触れたが、この製品のバックにはそれで食べている人たちがいる。そして、この人たちは、すでに目に見える形で対策をしてきている。パッケージに注意が記述されているのだから誰でも確認できるだろう。個人的にはこれでもちょっと消費者寄り過ぎなんじゃないの?と思わないでもないのだが、実際のところ、これらの商品がお年寄りや幼児をメインターゲットにしているとは思えないので、「デザイン費用、パッケージの刷りなおしぐらいで済めばまぁいっか」という経営判断があったに違いない。とにかく、メーカーの方は要求されている責任を果たしているというのが僕の考えである。その問題に対して一部のメディアが過剰に反応し、感情的な消費者をあおり、行政が圧力をかけているというのが僕の受け止め方。これによって、間違いなくメーカーは疲弊している。こうしたマスコミ主導の感情的意思決定こそが沈滞した日本経済に対する毒だと感じるのである。この毒は猛毒であるにもかかわらず、その効果はあまり目に見えないところで影響を及ぼす。だから、そのあたりの因果関係が証明しにくいし、対策も難しい。

日本人の悪いところは、目の前の事象について感情的に煽るマスコミに踊らされ、その先にある世界がどういうものなのか理解できないところだ。一言で書けば近視眼的。それはばら撒き政治が大好きなところと共通している。

あるメーカーを感情的に叩くと、その企業も、周辺の企業も、当然製造に対して慎重になる。この刷り込みは企業の姿勢そのものをコンサバティブにする。企業マインドが保守的になれば、新しい製品は生まれにくくなるし、人材を確保するモチベーションも落ちる。ひとつひとつの会社がこういった状況になっていくと、社会全体が沈滞していく。今の日本社会の雰囲気は、こうした少しずつの元気のなさの集合体でもある。

問題になるのは、「企業叩き」が理論的ではないことである。「子供がかわいそう」という感情は理屈ではないから、それに起因した企業叩きが理論的ではないことは自明だ。そして、企業は本来理屈で動くべき組織だが、それが外部の感情というある意味予測困難な事象についてリスクを持たなくてはならないとなれば、それは大きな負担である。

今回のこんにゃくゼリー問題は、その典型である。もちろん、「17人も死者が出ているのだから、理性的に判断して対応が求められる」という意見もあるだろうが、それを理性的というのであれば、再三書いているように「餅はどうなる」ということになる。中国新聞は「餅で死んでいるのは年寄りばかりだ」としてその場で思考停止しているが、これでは全然説明になっていない。まぁ、新聞などといってもただの主観の集合体であって、たとえば先日の中山大臣(当時)の失言問題のときなども、産経新聞は日教組関連に関しては完全にスルーだった。公平性などというものは新聞には存在しないし、別にそれで構わないと思うのだけれど、日本人は「新聞は公平」などと勘違いしているからおかしなことになってしまう。もちろんこれは新聞の責任というよりは日本人の問題だが、新聞社もあたかも自分たちが公平であるようなアピールをしているのであればそれはそれで問題だ。って、ちょっと話がそれたが、新聞の主張はいつでも公平というわけではないし、社説というのはそれこそ新聞社の主観を主張する場なので、「あぁ、この新聞社は馬鹿なんだな」と判断すればそれで済む。さて、話を戻して餅である。これは「死んでいるのが年寄りだから」ということでこんにゃくゼリーと別問題にしてしまうのはあまりにも乱暴である。危険な食べ物であることにはなんら変わりがない。もちろん、僕は餅を規制しろ、と言いたいのではない。餅が良いならこんにゃくゼリーだって良いじゃん、ということであり、そして最も恐れているのは、「必要以上に企業に負担を求める姿勢が蔓延すること」である。特にそれが生活者の感情に起因するようなものであった場合、近視眼的にはその感情を満足させることができたとしても、日本の経済のアクティビティには大きな影響を及ぼすようになると思う。というか、もうすでにこうした過剰反応が日本経済に対して影響を及ぼしているのではないかというのが個人的な感想である。

何でもかんでも全部自由にすべき、などとは言わない。ただし、規制にはある一定の理性的歯止めが必要だ。餅に関して言えば、長い日本の食の歴史の中で、その危険性を国民全体で共有している。そして、「これは販売停止にすべきものではない」という意識も共有している。長い歴史の中で構築されたこの判断(餅を規制すべきではないという判断)は決して間違っていないと思う。なぜその感覚を一般化して、後から出来てきた新しい製品に対処できないのか。これが不思議でならない。いや、なぜ出来ないかって、それは新聞やら、テレビやら、政治家やらが騒ぎ立て、そして近視眼的な一部の国民がそれを支持しているからに他ならない。日本はそういう社会なのである。しかし、本当にそれで良いのか。

日本の経済がいつまで経っても活性化してこない理由はいくつもある。それは単純ではないし、僕のように基本的に理系で、経済の勉強を大してやってきていない人間にはコメントしにくい部分でもある。ただ、素人の感覚として、そういう色々な要因のひとつとして、ここに書いた「感情的な企業叩き」が挙げられると思っている。

では、どうしたら良いのか。結局のところ、求められるのは情報の公開である。先のエントリーでも触れたが、「餅を喉に詰まらせて死ぬ人の数」というデータはなかなか見つからない。おそらく厚労省の白書などを調べればどこかに載っていると思うし、そういったパブリッシュされたデータがないにしても、厚労省に電話をして情報を求めればどこかには数字があるはずだ。このデータが今回の案件に対して非常に重要なデータを提供してくれることは想像に難くない。しかし、そのデータにアクセスできないのでは、理性的な判断が阻害されてしまう。

「餅ではこのくらいの人数が死んでいる。一方でこんにゃくゼリーではこのくらいの人数が死んでいる。餅とゼリーの危険性を客観的に判断すると、対策にはこんなことが求められる」

みたいな判断が必要なはずなのに、その根拠となるデータが得られないのでは、そもそも客観的な評価ができないわけだ。日本の役所は僕自身も所属していたことがあるから良くわかるけれど、とにかくデータを外に出したがらない。これは本能的に、なのかも知れないし、無自覚的になのかも知れないけれど、とにかく自分たちだけがデータを持ちたがる。学校別の成績に関するデータとか、その顕著な例で、「愚民どもは詳細は知らなくても良いんだ。俺たちだけがデータを持って、政策を考える」という姿勢。違うだろ、と。お前らだけが正しい判断ができるわけじゃないし、そもそも「正しい」なんていうのは主観的な判断なんだから、まずデータは全部開示しろ、と。その上でみんなで考えれば良い事。ところが、日本はそうならない。偉い人に任せておけば良いや、なるべく無関係でいられればそれに越したことはない、みたいな考え方がマジョリティだったりする。情報を持っている側も、情報を持っていない側も、情報が公開され共有されることに対して否定的なのだから、状況はなかなか変わってこない。しかし、この情報公開をどんどん進めていかなければ、官僚主導の政治はいつまで経っても修正されない。逆に言ってしまえば、情報が公開されるだけで社会は随分と変わるはずだ。

僕が生理的に嫌なことは日本の社会にいくつもある。被雇用者が保護されすぎていて雇用が流動化しないなんていうのもそのひとつである。一見すると今回の問題とは全く関係なさそうだが、実は根っこは同じである。

被雇用者の権利が強くなれば強くなるほど、雇用の流動性は低くなる。結果、既得権者の権利ばかりが守られてしまう。今発生しているポスドク問題の根源はここにあると言って良い。馬鹿な奴らはそこに金をばら撒けだの、適当な職を手配しろだの、大企業に引き取ってもらえなど、アホな提言を繰り広げているけれど、これは何も本質を改善しない。ただの対症療法である。金をばら撒くのをやめたら、適当な職を手配するのをやめたら、大企業に引き取ってもらうのをやめたら、それでおしまい。元に戻るだけだ。こういう対策は本質的ではない。本質的なのは、あくまでも雇用の流動化、それも、若年層だけではなく、中高年も含めた雇用の流動化である。しかし、中高年層は既得権者だから、そんなことは認めたくない。結果、「対症療法で良いじゃないか」ということになる。その結果、過剰に保護された中高年はどんどん役立たずになっていき、彼らが場所を譲らないから若い人たちの活躍の場は現れない。活躍の場がいつまで経っても現れないから、若手は若手で諦めてしまい、そちらはそちらで能力の向上が見られなくなる。この例なども「近視眼的」だからこそ、良い対策を打てない例である。目の前にいるポスドクに仕事がなくて可哀想だ、だから何とかしよう、ぐらいで思考停止するから、本質にたどり着けないし、有効な施策を講ずることもできない。

何しろ、目の前に起きている問題だけにとらわれて、その延長線上に何があるのかをしっかりと見据えていない対策を打つのは理性的な人間のやることではない。日本人が高度に教育され、高い知能レベルを持った国民だというのであれば、もうちょっと大局的な視点、長期的な視点から検討する癖をつけてほしい。これは短期間で異動してしまう官僚にとって構造的に苦手な分野でもあり、だからこそ日本の社会にはそれを見直す機運が希薄である。官僚のシステムがそのまま日本の価値観に直結している事例(こうした事例には事務官の技官に対する優位性などもあるかもしれない)だと思うが、漫然として生活していては、いつまでも変わりがない。

「子供が死んだらかわいそう」が第一歩。「それで規制したら、規制された会社はどうなる」が二歩目。「その製品はどういう背景で開発されてきているのか」あたりはちょっとした寄り道。そして「そういう規制が当たり前になった社会はどうなるのか」を考えるのが三歩目。その社会を想像した上で、「どうしたら良いでしょうか」を考えるべきだ。もちろん、そこまでを考えて、「やはり規制しましょう」という結論ならそれはそれでひとつの見識ではある。すべての規制は撤廃しましょう、すべては自己責任です、政府は何もしなくて良いです、なんていうことを言う気はもちろんないわけで、安全や安心や環境や経済のために政府がやるべきことは当然ある。しかし、やらなくても良いことも山ほどあるはずで、こんにゃくゼリーの規制なんていうのはその典型例だと思う。

「複雑じゃない」と言いつつかなり長くなったけれど、そんなこんなが「気持ち悪さを感じた理由」である。  
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ブタがいた教室

3cbd4f2a.jpgかつて宮崎監督の「紅の豚」では「食えない豚はただの豚だ」という名せりふがあったとかなかったとか。今日の映画はそんな映画だった。

子豚がヨチヨチ歩いていく。それを後ろからカメラが追う。凄く美味しそうだ。なんか、とんかつが食べたくなってくる。しかし、映画はまだ始まったばかり。

小学校のあるクラスで食べることを最終目的として豚を飼う。その豚をどうするか、というのでもめにもめる、という実話の映画化である。新任の教師がやってきて、豚を飼おうとする。当然、教頭先生は反対する。そこで登場するのが校長先生だ。水谷豊の時代から、新任の熱中先生に対して理解を示すのは必ず校長先生である。同僚たちはあまり理解を示さない。そんなときも、「北野先生!やりたいようにやりなさい。ただし、ちゃんと責任だけは取ってくださいヨ」とエンカレッジしてくれる。あれ?それはテレビのドラマの話か。いや、でも、いつの時代も、テレビでも映画でも、一緒である。教育ママがやってきて校長先生と熱血先生に文句を言うのも一緒。ま、いつの時代も学校ものというのはこういうステレオタイプになりがちである。

しかし、この映画の場合は「豚」という一味違った素材がある。だから、映画の中盤も印象がちょっと違ってくる。あっという間に大きくなった豚。その後ろ姿を例によってカメラが追う。ますます美味しそうだ。っていうか、この瞬間を逃してしまうと、ちょっと食べごろを過ぎてしまう感じ。今すぐとんかつに、と思ってしまう。いや、しかし映画はこれからが佳境である。ちょうど、教室では「豚を食肉センターに送るかどうか」で議論が白熱しているのだ。

やがて、「卒業」というタイムリミットが迫ってくる。生徒たちはどこかの国の国会のようにいつまでもくだらない議論を続けるわけにも行かないし、反対だからといって審議を拒否することもできないし、強行採決をするわけにもいかない。国会よりもよっぽど切羽詰っているわけだ。しかし、致命的な構造的弱点、いつまで経っても結論がでない状況がそこにはあった。さぁ、そのこう着状態をどうやって打開するのか、そこに物語の興味は集中するのだが、そこでまた豚のよちよち歩きである。この豚の前足は、脇を離さない意識でやや内角を狙うようにして次々と繰り出される。この歩き方がたまらない。あまりに早足なので「豚足はどんな味なんだろう」などと考えている余裕はない。というか、かなり巨大化してしまったので、「これはとんかつよりもとんこつラーメン向きかもな、あ、でもチャーシューは作りたいな」などと考えてしまう。

とにかく、「食えない豚はただの豚」なのだ。そして、ラストシーン。これ、手前の画像とバックの画像、合成ですよね?なんか、ちょっと違和感があるんですが。でも、そんなことはお構いなし。だって、豚が美味しそうだから。

さて、映画終了。思ったのは、とにかく監督の姿が見えないこと。サッカーではフォワードに「消える動き」が求められることがある。この映画での監督はそんな感じ。子供たちが勝手に議論をして、先生がそれを適当にリードしていく。その様子の中に、監督の存在感がないのだ。これはほめ言葉。子供たちはオーバーアクションがあまりなく、そして星先生もなんか良い感じ。その状況を作り出したことこそが監督の手腕ということなんだろう。ただ、残念ながら、消える動きでマークの外にいった監督は最後までバイタルエリアに現れなかった。そして、シュートを決めることもなかった。だから、最後までドキュメントタッチで、エンターテイメント色が非常に希薄。最後の最後にシュートを決めるのはあくまでも美味しそうな豚なのである。だから、映画に教育を求めるなら、この映画はあたり。エンターテイメントを求めるなら、もう一歩、という感じ。

しかし、エンドロールを見ていたら協力で「さぼてん」の文字。あぁ、やはりとんかつを食べたくなってきた。ということは、この映画は成功。でも、試写会が終わった時間に食べられるとんかつはあまりない。仕方がないので、博多長浜のとんこつラーメンを食べた。そして家に帰ってみると、ポストにはモスバーガーのチラシ。それは「黒豚のなかの黒豚」。宮崎県産霧島黒豚メンチカツバーガーらしい。あぁ、食べたい。

やはり、豚は食べてこそ豚である。

と、ちょっとエンターテイメントを意識したレビューを書いてみました。いや、やっぱ、映画って笑いも重要な要素だと思うんですよね。それがこの映画には全然なかった。最初から最後まで教科書みたいな。もちろんそんな映画があっても良いと思うし、見る前から多分そんな映画だろうな、と思ってました。だから、「びっくり」とか、「期待はずれ」みたいなことはなかった。でも、もうちょっと予想を外してくれた方が僕は嬉しかったかな。

評価は☆1つ。教科書、勉強の素材としてはもっと評価できると思うけれど。ちなみにYahoo!では☆、凄いおまけしてます(笑)。だって、監督自ら「がけのしたのPって言われていて、全然人気ないので、応援してください」って頼まれちゃったんだもん。やはり、義理は大事。それに、別に悪い映画じゃないからね。

正直なところ、この映画を見て思うのは、「そこまで教育的に良いなら、どうしてたった3年(実話では、4年生から6年生までの3年間飼育して、そして食肉センターに送っている)やっただけでやめちゃったのか」ということ。これが不思議でならない。やっぱ、過保護なんですかね?バンバンやれば良いのに。良く見ろ、日本人。これが「生きる」ってことだぞ、ってね。あと、星先生が最終的な決断をした際、生徒がそれを完全に受け入れているのもちょっと違和感あり。もちろん「議論は尽くした。あとは全てお上にお任せ」ということなのかも知れず、それは教師と生徒の間に厚い信頼関係があったということなのかも知れない。だから、教師と生徒の中での決着はついているのかも。でも、星先生と映画の観客の中での説明責任というのは全く果たされていない。目の前の事象だけにとらわれる観客ばかりならそれでも良いのかも知れないけれど、少なくとも僕は「どうして?」って思った。そこのところは、映画の結構本質的なところでもあると思うのだけれど、それがスルーされちゃっているのは残念。  
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2008年10月03日

やまちゃん

2d8fb3c4.jpg名称:やまちゃん
種類:福岡
場所:東銀座
評価:2/ACC
2008.10.4
コメント:麺は細めのストレート。麺硬めで注文したのだけれど、コシは標準的。食べ進むうちにやや物足りなく感じたけれど、許容範囲。スープの絡みは良いが、ここまで細い麺なら当たり前とも言える。

スープはとんこつベースの塩味。白湯タイプとはいえないかもしれない、微妙なもの。やや脂が多めで、味がぼけている。それでいてこってり感はない。いわゆるとんこつライト系とも言えると思うのだけれど(ほめ言葉ではないですよ)、長浜ラーメンを標榜しているのだからこれでも間違いはないと思う。ただ、その割には全然獣臭さが感じられないのは残念。塩分がそこそこ強めなので味的にはそれ程悪くない。博多天神なんかで食べるよりはこちらの方がましだと思う。でもまぁ、また行きたい感じでもない。替玉をしようかと思って150円を用意しておいたのだけれど、スープがこの調子だし、高菜もテーブルの上に見当たらないので、これは無駄なカロリーを摂らない方が良いな、と思って注文しなかった。

チャーシューは非常にまずいので、トッピングする価値はない。  

焦がし醤油ラーメン

950e5555.jpg志木のうえだで焦がし醤油ラーメンというのを食べてみた。

麺は細め。そこそこにコシがあって、悪くない。スープはとんこつベースのしょうゆ味。焦がし醤油とのことだけれど、確かにちょっと香ばしい。個人的にはちょっと脂が強すぎ。チャーシューはスパイスが効きすぎていて個人的にはあまり好きではないタイプ。

ところで、この焦がし醤油ラーメン、面妖なのは「埼玉の地ラーメン」って宣伝していること。いつから埼玉に地ラーメンなんていうのが発掘されて、それが焦がし醤油ラーメンになったんだろう。もしかしてどっかで勝手に作り上げたのかな?埼玉のラーメンもそこそこ食べていると思うけれど、焦がし醤油ラーメンねぇ・・・・・。個人的には頑者みたいな種類のつけ麺中心のお店とかを埼玉の地ラーメンっていうならなんとなく「そうかな?」って感じなんだけれど。

商業主義が感じられてちょっといやーんな感じ。いや、まぁ、実は昔からあちこちに焦がし醤油ラーメンがあるんですよ、ってことなら良いんですけどね。僕が知らないだけかな。  

20世紀少年

4a8c2665.jpg正直、最近の浦沢直樹作品は小難しくなってしまい、漫画を読んだ爽快感に欠けると思っている。モンスターあたりはまだ我慢できたのだけれど、20世紀少年ぐらいになるともう駄目だ。ストーリーは破綻なく進んでいるだろうし、結局のところ端役の中にキーになる人物が配置されているだけなので、あとから穿り返せば「なるほど!!」ってことになるのだけれど、その出し方があまりにも小出し過ぎる(たとえば、小学校の名簿を順に追っていくところなんかがその一例。あ、これは漫画の話だけれど)ので、作者に恣意的にだまされている気がしてきてしまう。

アフター・スクールみたいな作品に人気が出てしまう日本なので、こういう作品が好まれるのもわからないではないのだが、個人的にはあまり好きではないので、この作品もそれほど期待していなかった。

さて、見終わった印象は、「うーーーーーん、この調子であと2作見なくちゃならないのはつらいなぁ」というもの。だって、映画はほとんど原作どおりなんだもの。音楽とか、音声とか、漫画で表現できない部分はあって、それを上手に補完していることは認めるのだけれど、映画にした理由というか、映画ならではのものがそれ以外にほとんど感じられない。「忠実に映画化しました」という感じ。だから、原作があまり好きじゃない僕にはちょっとフィットしない。キャラクターたちは最初からある程度俳優を想定してアテガキしていたんじゃないの?と思ってしまうほどしっくりきているのだけれど、それがまたどうよ、という感じなのだ。

最近、アメコミの映画化の傑作が相次いでいるだけに、「日本の映画って言うのは漫画との力関係的にまだまだだな」と思ってしまう。

ちなみに例によって少なくない人数が、エンドロールが流れきらないうちに席を立っていた。エンドロールのあとにもちゃんと映像があったのにね(笑)。

最後まで見ていかない人たちって、本当に謎だ。暗いうちに席を立つのがステータスだと思っているんだろうか。別にどうでも良いけど。

評価は☆1つ。  
Posted by buu2 at 14:02Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

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「こんにゃくゼリー事故 表示や基準を考え直せ」という中国新聞の社説

すっかりアホネタとなりつつある「こんにゃくゼリー問題」ですけど、メディアってこういう話があるとホント、大喜びで飛びつきますね(笑)。

さて、せっかくなのでこの中国新聞の社説に突っ込んでみましょう。出典はこちら。

こんにゃくゼリー事故 表示や基準を考え直せ

度重なる悲劇をなぜ食い止められないのだろう。


食べさせる人がいるからでしょう。

国民生活センターは昨年、商品テストを行い「九〇年代半ばに比べ、弾力性や硬さが高まっている」と、行政や業界、消費者に注意を促した。しかしそれが生かされなかった。


行政、業界というよりは消費者の責任でしょうね。

「販売禁止も検討する」と話していた野田聖子消費者行政担当相はきのう、製造元に自主回収を要請した。


この人、馬鹿だから。

もちだって窒息死することがある、という意見もあろう。しかし厚生労働省の調査によれば、もちによる窒息事故は高齢者がほとんど。


なるほど、高齢者は自己責任だ、と。それなら、幼児に食べさせるのは親の責任でしょう。

こんにゃくゼリーの場合は、十七人のうち十人が七歳以下の子どもだった。幼い命を救う責務は周りの大人社会にある。


ん?残りの7人は(多分)年寄りだから自己責任ってことですよね。問題になるのは子供だけみたいだから。で、7歳以下の子供が自分の財力でこんにゃくゼリーを買うことができるんですかね?自分でお小遣いを持って、自分の判断でこんにゃくゼリーを買う?「食べたい」って思うってことは、それまでに食べた経験があるってこと?何しろ、「周りの大人の責務」というのは同意。ただし、それは「社会」ではなく、主に「親」でしょう。ま、知り合いの子供が食べようとしていれば、それを止める責務はあるかもしれませんが。

欧州連合(EU)や韓国は、既にゼリーへのこんにゃく使用を禁止している。米国やカナダなどは出回っている商品の回収を指示している。


よその国がどうとかいう話ではないですね。他の国は戦争してますけど、日本はしないんでしょう?「他の国はこうです」で思考停止しましょう、ということでしょうか。

縦割り行政が、安全のすき間を生んでいる。


これ自体は否定しないけれど、そんなもん、国に頼らなくたって自分たちの知恵でなんとかできる話では。

「役所の問題による犠牲者を、これ以上増やしてはなりません」と言って福田康夫前首相が主導した消費者庁設置法案が、今国会に提出された。


役所の問題じゃないと思うけど。どうしても役所の問題にしたいなら、「一般常識教育課」みたいなものを文科省に作ったらどうだろう。

消費者行政を一元化した組織の早急な実現が望まれる。


どんどん政府を大きくしたがるのが不思議。

子どもや高齢者が食べないようにと警告する表示は昨年まで、六割以上の商品で見られなかった。


昨年までって、対策をはじめたのは去年の11月じゃん。今について何割なのか書けよ(笑)

容器一つ一つに載せるくらい徹底してもいいのではないか。


あほらしい。パッケージに書いてあるものを見ない奴は、食べるときにも見ないよ。

誰が食べても大丈夫なようなゼリーの形状や硬さなどの基準づくり


あのさー、じゃぁ、「誰が食べても大丈夫なような食品の形状や硬さ」についての基準作りをやるの?もちを食べて死ぬ人もいるし、パンを食べて死ぬ人もいるし、ご飯を食べて死ぬ人もいるし、世の中、結構な食べ物が「誰が食べても大丈夫なような食品の形状や硬さ」を満たしてないような気がするんですが。

消費者も、心しなければなるまい。これだけ事故が報道され、心得も指摘されている。気をつけて思わぬ事故を防ぎたい。


不思議なことに、結論だけはまともだ。つまらないことをぐだぐだ書かず、社説欄にこれだけかけば目立っただろうに。主義主張は長ったらしければ良いというわけではない。ま、基準重視の社会だから、社説は何文字以上何文字以下みたいな基準を満たすことが重要なんでしょうが。そういえば、この話もそもそもは基準・規制の話。日本人は本当に「枠にはめる」ことが大好きだね。  
Posted by buu2 at 12:06Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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2008年10月02日

って言ってたら、おいおい本気かよ!

こんにゃくゼリー「ミニカップ」製造中止も マンナンライフ側

まじで?馬鹿じゃないの?

ってか、野田聖子が馬鹿なのは前からわかっていたけどさ。それにしても、これが国民の総意なの?日本国民って、過半数が馬鹿?それはさすがに知らなかったよ。

何しろ、本当に製造中止になるなら、次の選挙では自民党にだけは投票しないことに決めた。あ、もちろん公明党もね。いや、社民党にも共産党にも入れないけど。って、投票するところがないぞ(^^;

・・・・・あ、民主党を忘れてた。岡田、前原あたりなら納得なんだけれど・・・・ね。

一応、民意調査↓
  
Posted by buu2 at 23:18Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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2008年10月01日

おくりびと

1ba5fe12.jpg映画の日ということで、何を見ようかなー、あんまり客が入っていなさそうなのが良いなー、と思い、地味目のこの映画を選択。そうしたら、暇そうなおば様たちがわんさと詰め掛けていて、ほとんど満席。シネプレックスにこんなに人がいるのをはじめて見た。こういう状況を見ると、高速道路というのは無料化すると全く高速道路としての役に立たなくなる(特に首都高)んじゃないかと思うし、「おば様たちはどうせ毎週水曜日に1000円で見ることができるんだから、せめて毎月1日ぐらいは、見に来るのをやめてくださいよ」と思わないでもない。

と、暇ねたはこの辺にして、映画の評価です。例によって結論から書くと、この映画は二つの点を除いてとても良くできていたと思う。

まず一つ目はキャスティング。おおよそほとんどの部分では難はないのだけれど、唯一にして最も目立つところ、すなわち、主人公の嫁さん役の広末だけはいただけない。この役者さん、別に嫌いじゃないし、バブルへGO!!とかでは非常に良い味を出していたと思うんだけれど、何しろ根が大根だから、まじめな映画に全然フィットしない。どのシーンを見ていても「あぁ、下手だなぁ」と思ってしまう。特に、周りを固めている役者たちがどれもこれもみなそれなりに芸達者なものだから、それが凄く目立ってしまう。このキャスティング、なんとかならかったものか。残念だけど、これだけで☆がひとつ減ってしまう。

二つ目が、納棺師という仕事を映画の中の登場人物たちがものすごく忌避していること。これに違和感がある。誰かがやらなくちゃいけない仕事だし、別に後ろめたいところがあるわけでもない。誰もがやりたがる仕事ではないと思うのだけれど、あそこまで嫌がらなくても、と思う。町中でうわさになってしまったり、嫁さんが実家に帰ってしまったりするようなことだろうか。一般の認識と実際の仕事のずれ。このあたりを強調したかったのだろうけれど、ちょっと過剰だったような気がする。

と、こういったところにはちょっと違和感があって、ストレートに「凄く面白かった!」と表明できない。ほかにも、家出した嫁さんがどうして帰ってきたのかとか、嫁さんの妊娠が発覚するタイミングが遅すぎやしないかとか、山崎努は納棺師でも詐欺師の親玉でもいつも何か食ってるな、とか、失業するにしてはイヤにチェロが上手すぎやしないかとか、山形の冬ってそんなに短いのかとか、納棺するのは女性ばかりで、あんまり男が出てこないなとか、その納棺に親戚でもないお前がなぜいる!とか、細かいところで気になることは確かにある。でもまぁ、瑣末なところ。

映画のつくりからすると、まず最初の納棺シーンをきちんと描くことによって、それ以降の納棺シーンを詳細に描かずに済ませることを可能にしている。「あぁ、ここではこういうことをやっているんだな」「今はこれをやっているんだな」ということを、観る側にきちんと了解させて、以後のシーンでそれを省くことに成功している。映画としては良くある手法ではあるものの、それが功を奏していて、映画が冗長になることを防いでいる。そうした上で、あまった時間を主人公の心理描写に費やしているため、主人公の心の動きが良くわかるつくりになっている。このあたり、脚本が良くできていると思う。蛇足だが、その冒頭のシーンでも、変に暗くならないような仕掛けがあるところがまた良い。

ストーリー展開にはご都合主義なところ、強引なところも散見されるが、嫁さんが主人公の仕事を理解していくあたりも一応理屈が通っている。個人的にはラストシーンは親と子の理解みたいなところではなく、たとえばチキンを3人で頬張っているところにして欲しかった。「さぁ、いろいろあったけれど、明日からも納棺がんばるぞ!」みたいな。

評価は☆2つ。  
Posted by buu2 at 17:51Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

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こんにゃくゼリーの死亡事故について

ま、もともと僕は規制緩和を進めたいタイプの人間だから、僕の意見にはきっと偏りがあるんだろう。だから、この意見もマイノリティかもしれない。それを最初に書いておく。

さて、昨日、こんな記事が掲載された。

こんにゃくゼリー:死亡幼児は兵庫県の男児 安全性問う声

今日の新聞にも、似たような記事がいくつかあった。朝日新聞などは「メーカーは責任を回避していてけしからん。現行法では規制できない。これは縦割り行政のせいだ。早く消費者庁を作って対応すべし」みたいな論調である(読む人が違えば受ける印象は違うかもしれないけれど、僕はこう読みました)。

死亡した幼児(1歳10ヶ月)は非常に気の毒だと思うが、この事故、責任はどこにあるって、メーカーではなく、そんな小さな子供にこんにゃくゼリーを食べさせた人間にあるに決まっていると思う。わざわざご丁寧に凍らせたものを食べさせたというのだから、責任がどこにあるのかは明らかではないのか。

「こんにゃくゼリーの安全性を問う声が高まるのは必至」などと新聞は煽っているが、製品の販売停止などにつながるようなら本末転倒といわざるを得ない。

たとえば、普通に売っている包丁。これを人間に向けて刺したら、大変なことになることは一定の年齢以上になれば誰でも知っている。そして、その年齢に達していない子供には包丁を渡さないほうが良い事も知っている。だから、包丁は販売が中止されない。大事なことは、「包丁は使い方によっては危険であること」を、みんなが共有していることである。

包丁はいくらけが人が出てもニュースにもならないし、包丁を使った事件が起きても「包丁を禁止しましょう」という話にはならない。なぜかといえば、包丁は生活になくてはならないものだということをみんなが共有しているからである。ここでも「共有」がキーワードだ。

ところが、こんにゃくゼリーは生活の必需品ではない。もしこれがなくなったとしても、「残念だな」と思う人はいても、生活が一変してしまう人はそれほどいないだろう。だから、安易に「販売を禁止してしまえ」という意見が出ても不思議ではない。しかし、このゼリーを生産して食べている人間は間違いなく存在する。その人たちは、おそらく「落ち込んでいるこんにゃくの消費をどうやって増やしたら良いのか」と知恵を絞り、この商品を開発したんだと思う。僕はかつて富山県の水産業の振興策というのを受注し、コンサルテーションしたことがある。直接のクライアントは富山県だったが、その先にあるのは日々の暮らしで苦労している漁民の人たちだった。そして、彼らの生活がどうやったらもっと豊かになるのかを考えた。その中には、「新商品の開発」というものも含まれていた。生活に困っている漁民の人たちの一緒になって知恵を絞り、「これはどうだ」「あれはどうだ」などと製品の候補を考えたのである。ひとつの製品に含まれている「思い」というものが、多岐にわたっていることに一般の消費者は気がつかない。その先には色々な人たちの生活がかかっているのである。こんにゃくゼリーひとつ取っても、それで生活している人がたくさんいることは想像に難くない。つまり、「生活に必須ではないから」などと安易に考えるべきものではないのだ。目の前で死んでいった子供に同情したくなる気持ちはわかるが、きちんとした分析もなしに感情的に動くのは愚かである。

そもそも、こんにゃくゼリーの死亡事故はこれまでに17件である。17人の死者が出ていることは決して無視できない事実だが、では、毎正月、餅を喉に詰まらせて死ぬ人がどのくらいいるのか、ということになる。

#不思議なことにもちを喉に詰まらせて死んだ事故についてのデータがネット上にほとんどない。新聞記事レベルでは「○○人が救急車で運ばれ、○人死亡」ぐらいで、統計データが見当たらないのである。

何か政治的な圧力が感じられないでもないのだが、とりあえず見つけてきた古いデータによると、1996年には一ヶ月間に200人以上が餅を喉に詰まらせて死んでいるようだ。

死とシルバーデータ(1)
資料の出典は「『厚生の指標』96.12」

こんにゃくゼリーがだめなら、餅なんか即座に販売中止である。こちらの方が100倍ぐらい危険なのだから。しかし、「餅の販売を規制しよう」という議論を僕は見たことがない。「これまで長い間の歴史があって、日本人に親しみがあるから」というのが根底にあるのだろう。餅を販売中止にするなどということは最初から想定外なのだ。そして、多くの人が「餅による死亡事故」についてどう思うかといえば、「餅を喉に詰まらせるのは、食べた方に責任がある」「運が悪かった」ということである。

#正確に分析するなら、消費量と死亡事故の関係を分析し、危険度を考える必要がある。しかし、この事案はそこまでやる必要があるか疑問である。

国民生活センターがこの件について販売規制の検討を求めるのは一向に構わないし、そうやって問題提起して、それに対応して政府が検討することは合意形成の手段として必要だと思うのだが、その結論が「販売規制」などとなるのであればまったくのお門違いである。やるべきことは、「こんにゃくゼリーは幼児やお年寄りには危険である」ということを周知徹底することである(実際にはもうこうした手段は講じられているのだが)。そして、さらに重要なことは、「現状の対処でもすでに十分な可能性もあるし、また、さらに徹底した周知をしても、死亡事故は減少しない可能性がある」ということを認識し、共有することにある。なぜなら、今でも毎年正月になると餅を喉に詰まらせて死亡する事故がなくならないからだ。「注意すれば事故は完璧になくすことができる」わけではない。日本人の中には、「注意していれば事故は絶対に防げる。そうした努力をすべきだ」と考える人もいるかもしれないが、そこは費用対効果の問題もあるし、「自由」とのトレードオフの問題もある。規制というのは常に自由と緊張関係にある。

こうした中で、野田聖子消費者行政担当相はこんにゃくゼリーの販売禁止措置を働きかけるかどうか検討しているらしい。

こんにゃく入りゼリー販売禁止要請を検討…野田聖子氏

ま、検討するのは悪いことではない。ただし、結論が「販売禁止」などとなれば「お前は馬鹿か?」ということになる。言っちゃ悪いが、結論が決まっているのだから(ただし、常識的には、だが)、それについてわざわざ検討する必要もないと思うのだけれど、そこはポピュリズムが進行している日本だから、「一応検討していますよ」というポーズが「こんにゃくゼリー規制推進派」に対して必要なのかも知れない。

何しろ、規制が増えるということは役人の権限が拡大するということ。そして、一度拡大した権限を縮小するにはものすごく大きなエネルギーが必要になる。日本人は安易に「規制しろ」と言うが、それが自分たちの首を絞めていることに気がつくべきだ。朝日新聞などは「さっさと消費者庁を作ってバンバン規制しちゃおうぜ」みたいな考え方なのかも知れないけれど、そんな社会主義社会を作って嬉しいのかと疑問に思う。ま、嬉しいのかも知れませんね、朝日新聞は。僕は気持ち悪いけどね。

追記:この件について書いているブログをいくつか紹介しておく。

こんにゃくゼリーで死者
こんにゃくゼリーは危険!
こんにゃく入りゼリー販売禁止要請を検討…野田聖子氏
こんにゃくゼリー叩きは馬鹿親の八つ当たり
こんにゃくゼリーよりお餅の方が危険では

さらに余談ですけど、このブログには「馬鹿に関する備忘録」というカテゴリがあって、その中には野田聖子氏に関するエントリーもあります。  
Posted by buu2 at 12:24Comments(9)ニュース││編集

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