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【ブログでバイオ】第61回 ブログでバイオも60回:人材養成プログラムの情報はディスクローズされているか
大変便利なバックナンバー集になっているので、「ブログでバイオって何?」という人はこちらをどうぞ。
さて、第62回。
第59回で、「ポスドク問題も十分議論したので、そろそろ食の問題でも論じてみませんか?」としておいたのだけれど、その後ちょっと休憩していた。そうしたら、今日、Yahoo!でこんな記事を発見。
クローン牛が食卓へ 内閣府委「ゴーサイン」の方針
おおよそ、まともに生化学を勉強したことのある人間であれば、「何を今更こんな議論してんだ。安全に決まってるだろ。それより問題なのはどんな育て方をしているかじゃん」という感想を持つはずなのだけれど、そこはまともな教育を受けていない人間の集合体である日本社会。「クローンとGMOって何が違うの?」とか寝ぼけた話を持ち出したりするのが目に見えているわけで、「そんな人はまず
この本でも読んでみましょう」という感じである。こうした、実生活に必要なきちんとした教育がなされていないというのは、民主主義社会においては大きな損失というか、大前提を崩されているわけで、結局専門家が「これは安全ですよ」と言ってしまって全体の流れが決まってしまう社会というのはいかがなものかとも思うのだけれど、そうした状態に何の疑問も持たない社会を作り上げたところが日本の官僚の優秀なところということかも知れない。
何しろ、農薬耐性遺伝子を導入した植物に対してその安全性を懸念するのに比較したら、クローン牛の安全性を懸念するのは遥かに知識レベルが低いわけだけれど(受精卵クローンはオッケーだけど、体細胞クローンはいや、ぐらいなら「なるほど」と思う。というか、その程度の違いがわかるレベルなら、「いや」という意見にも耳を傾ける価値がある。あくまでも主観ですが)、義務教育でこのあたりをきちんと教えていないのなら仕方がない。これは無知な国民が悪いのではなく、きちんと教えないカリキュラムを組んでいる文科省の責任である。僕自身は中学生の教育プログラムの内容については全然知らないので、もしかしたらクローンとは何か、みたいなこともきちんと教えているのかも知れないのだけれど、社会全体を俯瞰してみてみると「多分教えてないんだろうなぁ」と推測するに至るわけで、学校が教えない(ただし推測)んだから、
リバネスさん、今年も頑張ってくださいね、という感じである。まぁ、もし本当に教えてないのならそのあたり、きちんと教育してくれないと農水省あたりも困るだろうし、経産省や外務省とかも困る可能性があるわけで、文科省には再考を強くお願いしたいところであるけれど、蒟蒻ゼリーを販売中止に追い込むような頭の悪い政治家が消費者行政推進担当大臣なんかをやっているくらいだから当分は無理なのかな、と思う次第。
さて、そんなこんなで国策によって勘違いさせられまくっている人が山ほどいる日本においては、「クローン生物を食べる件についてはどうしましょうか」などということについても一定の議論をしたふりをして(結論なんか決まってるじゃないか。それが否定されちゃうなら今の科学なんていうものは必要がない)、ゴーサインを出すという手順も仕方がないところだと思う。だって、国民の多数はGMOとクローンの関係もわかっていなければ、受精卵クローンと体細胞クローンの違いもわからないわけで、そういう人たちに判断しろというのも無理な話だし、勝手に決めるな、と騒ぎ立てる人たちに対して「じゃぁ、クローンについて勉強しましょう。時間を作ってください」というと今度は「私は生物のことなんて全然わからない。勉強は偉い人に任せます。嫌なものは嫌なんだし勉強は必要ない」とかトンチンカンなことを言い出す有様なので(いや、あくまでも僕の頭の中での話です。実例があるわけではありません。きっとこんな感じなんだろうな、と。ある有名な公的研究機関で広報をやっていた経験からして)、結局無知な人たちの文句を「はいはい」と受け流しながらも基本方針を決めていかなくてはならないのだろう。このあたり、意思決定のシステムとしてはBSEの問題と非常に近いように見えるのだが、実際はBSEとクローンは凄く遠くて(BSEは「危ないとわかっている飼料を使わない」という危機管理と、それを目で見て区別しようという制度運用の問題であるのに対し、クローンは科学をベースにした安全性の評価の問題。GMOも後者)、だから僕は米国産牛肉は食べないけれど、クローン牛は食べるわけである。
まぁ、何しろ、クローン牛については一応「安全」というお墨付きが付いたわけだけれど、ここで重要なのはクローン牛を食用にまわすメリットというのが生産者だけではなく、消費者にも還元されるべき、というところである。クローンという最新技術を使うことによって、生産は効率化されるわけだ。特に体細胞クローンを使うのであれば、同じ飼育方法を採用するのであればほとんど同じような肉質の牛になることが期待されるわけで、「育ってみないとどうなるかわからない」という状態が緩和されることは間違いがない。その緩和具合がどの程度なのかというのは僕は育牛の専門家ではないのでわからないけれど、とにかく効率が向上するはずだし、向上しないならクローン技術を導入する意味がない。そして、もし飼育が効率化されるのであれば、当然のことながらそのメリットは消費者にも与えられるべきである。
どんな人だろうと「私はクローン牛を食べたくありません」と考えるのは勝手なので、そこで提供されているのがクローンなのか、クローンじゃないのかというのはきちんと明示されるべきだし、明示されている上で、消費者にはなんらかのメリットが必要なはず。それは「クローンだから美味しい」でも良いし、「クローンだから安い」でも良いし、その両方でも良いし、あるいは「このクローンは病気になりにくい丈夫な牛なので、これまで抗生物質の類を全く飼料に加えていません」みたいな付加価値でも良いはずだ。とにかく、クローンを導入したことによって何らかのメリットが生じているはずで、それを消費者側に還元することが重要だと思う。この点は遺伝子組み換え作物において失敗した点でもあり、何らかの手法を考えないと、結局生産者側が損をする羽目になると思う。
一番最悪なのはクローンと非クローンがまぜこぜになった状態において、クローンを使ったメリットが一方的に生産者のみに与えられるという状態である。「遺伝子組み換えではない納豆」とか言って遺伝子組み換えの大豆が混じっている納豆が普通に売られている日本(混入率が5%未満なら表記可能)だし、遺伝子組み換えのとうもろこしやら大豆やらを使った加工品が普通にスーパーで売られていて、消費者はそのことに全然気が付いていないというような笑っちゃうような状況の日本だけれど、クローン牛については情報のディスクローズだけはきちんとやって欲しいと思う次第。
以下、余談。僕の高校のときの同級生で大学時代も結構仲良しだった山内啓太郎さんというのが東大の農学部で先生をやっているのだけれど(
スパイシーで見ても全然僕と関係が出てこないね。頑張れ!スパイシー!)、以前彼の研究室に遊びに行ったとき、「何をやっているの?」と聞いたら、サシの入った豚をつくる研究をしているってことだった。なんでも、サシの入った牛肉を作るというのは物凄いノウハウで、膨大な試行錯誤の成果だと。それで、サシの入った豚肉を生産できるようになれば大きな革新になるはず、みたいなことを言っていた。そのときは確かにサシの入った豚肉って存在していなかったわけで、その話を聞いて「へーーーー」と思ったわけだけれど、その後、どうなんでしょうね。僕はサシの入った牛肉も悪くないけど、安価な豚肉や鶏肉が好きだったりするので、まぁ豚肉にサシが入っていてもいなくてもどちらでも良いといえば良いんだけれど、面白い研究をしているんだなぁ、と感心した次第。うまくいけば儲かりそうだしね。
競馬タロー君、儲かってますか?