「事業仕分け」という作業がオープンにされたことによって、今まで財務省で行われていたことが外部にある程度公開されることになった。実際のところ、財務省としても面倒くさいことを外注できることになったわけで、大喜びだと思うのだが、「結局財務省の手のひらの上」などと言う意見ももっともである一方、少しではあっても、あるいは財務省の都合の良い部分だけではあっても、情報が公開されつつあるのは非常に高く評価されるべきであって、政権交代の大きな成果でもあると思う。こうした活動を国民が評価するのであれば、自民党も導入を表明すれば良いだけのこと。今、国民が何を求めているのかは、こうした試行錯誤によってしか知ることができない。今事業仕分けで展開されていることが民主主義の姿であり、また二大政党制が求めていたものでもあるはず。ポピュリズムだ、という批判もあるけれど、何しろ一足飛びに理想にたどり着けるわけもなく、少しずつ、しかし確実に理想的な社会に向けて歩いていくしかない。
そんな中で、ちょっと雑感を書いたのが先日の
事業仕分けが見せる最初の一歩
というエントリーなんだけれど、その中で僕は
攻める側の常套句は「私は素人なので良くわかりません。わかるように説明してください」。ところが、守備側は、「必要なんですよ。海外もやってますよ。前年度と同じくらいの額ですよ。お願いしますよ」みたいな感じ。どうして素人にもわかるように説明しないんだろう。やっぱ、やったことがないのかな。「素人なら勉強してから質問しろ」は、これまでは通用しても、今回からは通用しないんだよね。
と書いた。これについて、事業仕分けの現場以外のところから典型的な事例があったので、紹介しておきたい。
最悪、乱暴な民主党の科学技術政策、明治以来のわれわれの先輩に申しひらきがたちません(生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ)
要すれば、「事業仕分けふざけんな」という内容なのだが、これでは関係者のガス抜きにしかなりませんよ、という典型事例である(誤字脱字重複表現が散見され、怒り心頭なのだろうなぁ、ということはわかる)。以下、引用しつつ意見を書いてみる。
特に先端研究への配慮の無さは信じがたいほどで、こういう研究費予算への、無知蒙昧をさらけ出しています。
これはおっしゃる通り。僕自身、理研や経産省で研究開発・技術開発の予算を色々と見てきたこともあり、「もうちょっときちんと評価すべきところがある」とは思う。しかし、である。上のエントリーに書いたことの重複ではあるけれど、「素人は引っ込んでろ」では話にならないのだ。なぜ素人にもわかるように、素人が納得するように情報を伝えないのか。「お前らは無知だから引っ込んでろ」は、官僚主導の政治ならオッケーだったけれど、先の選挙で示された民意は「官僚主導の政治をやめましょう、国民の手に政治を取り戻しましょう」ではなかったのか(少なくとも僕はそう解釈している)。それに対してこの意見表明では、「国民の手に政治を取り戻したら、馬鹿ばっかりで話にならない。やっぱり官僚と御用学者によって楽しくやっていきましょうよ」という意見に見えてきてしまう。
我田引水だけれど、僕は「科学はきちんと生活者に理解してもらう必要がある」と考えて、理研にいたときにもそういう活動をしてきた。幸い、理解者がいて、そこでの活動は「親と子のゲノム教室」という「形」になって、日本と韓国で出版もされた。これはもう10年も前のことだけれど、その前の、三菱総研にいたときも、「科学技術が誤解されている。このまま国民理解が進まなければ、科学技術自体が立脚する地盤を失う」ということを情報発信した(三菱総研の所報にペーパーが掲載されているはず)。そういう問題意識を持っている人は今でも少なからず存在するし、その重要性もアピールされてはいるものの、例えばBT戦略大綱などで「国民理解の増進」が三本柱のひとつになりつつも、具体的な予算化、数値目標の設定などがあまり見えてこなかったことなどを見ると、「まぁ、専門家が判断して、生活者はそれに従っていれば良いんですよ」という考えが透けて見える。いや、もちろん、何もやっていないとはいわない。でも、結果的に、その成果がなくて、国民の理解がなくて、そして国民の手に政治が少しわたったとたんにそのしっぺ返しを受けているというのが僕の認識だ。国民が無知なのはその通りだが、「無知」な国民が悪いのではないと思う。無知なままで放置して、理解してもらう努力をしてこなかった科学者サイドが悪いのではないか、と思う。
たぶんボトムアップの良さもトップダウンのうさんくさも知らないでしょう。本当の基礎研究のほとんどは文科省がやっているもので、他省庁の大型研究費の多くが非常に業界的な応用研究だということも知らないでしょう。経産省などでおりおりに見かける、とんでもない基礎研究軽視をする官僚を一段と駄目にしたのが民主党のこの関係者たちとおもえます。
この記述も同じ。書いてあることはその通りかも知れない。でも、その状態を作ったのは、ほかならぬ研究者たち。社会は変わって、「俺達は正しい。正しさを理解しない奴が悪い」と主張するだけではだめになったってことなのだ。そして、手遅れになってしまって、慌てふためいている。なんか、この間観た「2012」という映画の中で逃げ惑っている人たちを見る思いだ。
科学研究者とくに先端研究、フロンティアで働く日本のすべての研究者は立ち上がらないと大変なことになるのではないか、とわたくしは思います。どこかの誰かが反対してくくれるなどと思っていたら、そのうち自分の首をしめられてしまうでしょう。じぶんたちに対する「弾圧者」の出現と感じるのが正常でしょう。
今まで立ち上がらなかったことが間抜け。だから、どんどん立ち上がれば良い。しかし、その立ち上がる方向は、多分柳田さんと僕の考えは正反対だ。柳田さんは政府に向けて。僕は、国民に向けて。ただ、政府に向けてというのは僕が個人的に興味がないだけなので、柳田さんをはじめ、必要と思う人たちが上に向けて行動することを否定するわけではない。必要と思うならどんどんやれば良い。ただ、その効果がでなかったとしても、それは上が悪いのではない。効果を出せない側が悪いのだ。
それから、この文章の中で「弾圧者」というのはどうかと思う。「ロケット開発なんか要らない」というのは直接的には仕分け人の判断ではあるけれど、間接的には国民の判断だ。科学者に求められているのは、極端に言えば「このロケットを開発するためには消費税を0.1%アップさせる必要があります。それでも、これこれこういう理由で日本にとって必要なんです」ということを納得させること(数字はいい加減です)。国民の過半数が「そうだな、日本にとってロケットは必要だな」と納得するなら、そのお金は確保できる。スパコンだって同じだ。どうして必要なのか、そのために必要なお金はどのくらいなのか、このことについて、高級官僚や学者が判断し、その結果について誰も責任を取らないというのはダメですよ、ということ。このことを「弾圧」と呼ぶのはいささか言いすぎだと思う。
日本が戦前から戦後今日までえいえいと築いてきた先端研究のすばらしい伝統と財産を民主党が根っこから枯らすという大罪を犯しつつあるのです。枯れた樹木は二度と戻らないのと同様に、このような政策がまかり通れば日本の先端研究の多くは枯れてしまうでしょう。ここでの樹木はひとりひとりの研究者たちなのです。
これは、部分的には正しくもあり、部分的には正しくない。日本の先端技術の伝統が手放しで素晴らしいと評価できるのか、ということ。僕は必ずしも評価することは出来ないと思っている。問題点は、情報がきちんとディスクローズされていないとか、評価がきちんと行われていないとか、責任の所在が不明確だとか、そういうことだ。無駄がないのかといえば、そんなこともないはず。「科学技術にお金を投下することは必要だ」という点についてはおそらく国民的合意が得られるはず。「じゃぁ、今のままで良いんですか?」ということで、目的は手段を正当化しないという典型例でもある。柳田さんが目指す最終ゴールについてはわかるけど、やり方に問題があると思うのですか?という意思表示に対して、柳田さんのエントリーは何も答えていない。
日本の貢献は他国からの貢献としっかりと結びつき合っているのです。
そういう点を、きちんと国民や今回なら仕分け人が理解できるような形でなぜアピールしてこなかったのか、ということ。「いや、ちゃんとやってきた」と言うかもしれないけれど、もしちゃんとやっていたのなら、予算も確保できたはずだ。
先端研究こそが、その国のプライドをかけて、国力の総力と努力を結集してやる人類活動の一つなのです。科学研究の粋の精神はそういうことなのです。スポーツの祭典であるオリンピックを考えたらすぐ分かることです。新しい記録を見て人類全体が喜ぶそういうことなのです。
先端研究は日本人だけのためにやるのでないのです、世界中の人のために、人類の福祉と安寧のためにやるのが原則です。
スポーツに投下している予算と先端研究に投下している予算、スポーツが国民に与えている影響と先端研究が国民に与えている影響、このあたりの費用対効果をきちんと考えてみる必要がある。オリンピックを考えたらすぐわかる、というのは、先端科学について考えたときにはなかなかわからない、ということの裏返しである。なぜわからないのか、そこに反省があってしかるべきだ。
それがまったく分からない連中のしたり顔はそれこそ吐き気がします。
この、被害者意識一辺倒のあたりがどうにも受け入れられないところ。なぜまったく分からない連中にしたり顔をされてしまうのか、そこをきちんと考え、反省すべきことを反省すべきだと思う。Twitterにも書いたけれど、今回の仕分けについて、今だけを切り取ってその是非に言及するのは無意味である。今は過去の積み重ねでしかない。もし今回の仕分けによって日本の科学が死んだのなら、それは長い時間をかけてゆっくり死んだに過ぎない。そして、その原因の少なくない部分は、科学者自身にあると思う。
わたくしたちは打倒民主党のために立ち上がらなければならないでしょう。
柳田さんはこんな意見まで表明しているわけだが、「民主党になったらとんでもないことになった。また自民党に投票しよう」なんていうすげ替え論は無意味だと思うし、それ以前に、「文科省が」とか、「仕分け人が」とか、「財務省が」とか、「政府が」とか、上ばかり見ているのもどうかと思う。行政は、これからどんどん国民の手にゆだねられることになる。向くべき方向はあくまでも国民の側なのである。この柳田さんのエントリーは、国民の一部である研究者には受け入れられるかもしれないが、国民全般に受け入れられるかといえばかなり疑問だ。「わたくしたち」とは、予算を削られて困る研究者がほとんどだろう。
そういえば、文科省が大慌てで「皆さんの意見を募集します」とか始めているようだ。
行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください
これなども、今更感が強いものの、多少は体質が変わってきたのかなとも思う。ただ、この意見募集に意見を投稿する人たちは多分ほとんどが予算を削られて直接的に困る人たち。まだまだ、国民全般に向けて、という感じではない。なぜなら、こうやって予算が削られることに対して、おそらく大多数の国民は危機感を持っていないし、興味もないし、意見もないからだ。そういう国民になってしまったことにこそ、文科省の責任はある。衆愚というならその通り。ではどうしたら良いのか。必要なことは国民の知的レベルを向上させることだと思う。
さて、評論はここまで。
こんな感じで科学者達は大慌てなんだろうが、何か、方策はないのかな、と考えるのが僕達の仕事。たとえばこんなビジネスモデルを考えてみた。
1.質問フェイズ
一般市民から日常の「なぜ」を募集。教えてgooとかのイメージ。ネット利用。もちろん「○○研究の有用性」とか、「GXロケットが描く将来」だって、「裁判員になったら何をやるの?」でも構わない。
2.フィルタリング
その中で研究者(理系、文系問わず)による調査で解決・説明可能なテーマを抽出。
3.スポンサー探し
その疑問を解決することによって利益を得る組織・団体にスポンサーになってもらう。ネットで公募。
4.疑問の解決
一般市民でもきちんと理解できるような解説を書く。内容やスペックは得られたスポンサー料次第。解説を書くのは契約している研究者。
5.公開
ウェブで公開する。
ポイントになるのは3のスポンサー探し。でも、例えば「遺伝子組換え作物って、本当に体に悪いの?」みたいな質問に対して、モンサントあたりはさっくりとスポンサーになってくれそうな気もする。問題は、スポンサーと完全に独立した形で中立な意見表明ができるのか、というところなのだが、そのあたりはきちんと契約で考えていく必要があるだろう。スポンサーは民間企業に限定する必要はなくて、文科省だって良いし、個人研究者だって良い。とにかく、その技術や制度の有用性が国民に周知されないと困る人たちがスポンサーになれば良いわけだ。
個人的には、このビジネスモデルを成立させるのはちょっと厳しいかな、と思うのだが、一つの案ではある。また、こういった活動をやりたい人がいるなら、その人のために提供できる組織(株式会社の一部門を提供)もある。
誰か、やる?