「コミックサイエンス撲滅委員会」を立ち上げたら、はてブがたくさんついて委員会のサイトにもアクセスが集中。瞬間最大風速では10000ヒット/日を超えたみたいで、本家のこのブログですら5000がやっとなのに、という状態だった。ま、そういうアクセスのうちのほとんどはネガティブなものか、あるいはただの野次馬なので、それがコミックサイエンス撲滅委員会のアクティビティにポジティブな影響を出すのかどうかという点については正直微妙なのだけれど、知名度が上がったことは間違いがなく、漫画好きで言葉狩りが好きなクラスターにとっては不本意かも知れないけれど、コミックサイエンスという言葉の認知度は予想以上にアップしたに違いない。
それで、今回僕に「コミックサイエンス撲滅委員会はけしからん」と言ってきた人たちは大きく分けて二つにわけられる。一つは漫画好きな人たちで、ネガティブなキーワードの一部としてコミックという漫画を連想させる言葉を使われるのは迷惑だから「コミックサイエンス」という表現をやめて欲しい、というもの。僕自身漫画は相当量読んでいる人間で、今もちゃんと2誌を定期購読しているわけだから、漫画が嫌いというわけではないのだが、面白いなーと思ったのは「この人は漫画が嫌いに違いない」などといった感想を見かけたことで、あぁ、はてブ文化というのは集合知形成の前提条件だった「独立性」を失わせる可能性が高いアイテムなんだなぁ、と思った。はてブの最大の特徴は対象について他者がどう思っているのかを見ることができるという点で、「人と一緒」であることを求めるクラスターにとっては非常に都合が良い。そして、自分と違った価値観、理解不能な価値観を見かけると、その対象を自分とは違うクラスターに置くための理論を考えるのだろう。もちろん理解不能な対象をどうやって理解したら良いのかを考えることは至って普通のことで、今僕が書いているこの文章もそういう性質のものだから、それが悪いという話ではない。で、自分の考えがはてブの中ではマジョリティであることを確認すること、その上で自分の意見を書くこと、同時に理解不能な考え方を自分たちのクラスターの外に置くこと、ここまでは全然問題ないのだけれど、「だから考え方を変えろ」となるととたんに「はぁ?」ということになる。今回、僕に対して一番最初にTwitterで文句を言ってきた場面はこんな感じだった。
内容:一般的には「コミック=漫画」という認識なので、このネーミングはやめていただきたい。 #comicscience 科学漫画を撲滅か?と思う人続出。余計な反感持たれないようにやめて下さい。
記入者:book_f
タイムスタンプ:8:46am, Jan 10 from movatwitter
もう、この文章を読んだ時点で「はぁ・・・・(苦笑)」という感じ(笑)。いきなりこういう低レベルな意見が直接僕の端末に届いてしまうところがTwitterというメディアの不便なところでもあるのだけれど、このデメリットに目をつぶるだけのメリットがあるかどうかというのがTwitterというメディアの今後を占うことになるんだろう。って、閑話休題。
まず大した検証もせずに「コミック=漫画」という認識が一般的であると断じているところがいきなり「はぁ」。で、それを前提として「このネーミングはやめていただきたい」だそうで、これでは中国のアバターに対する扱いとほとんど一緒である。
参考:
大ヒット映画「アバター」に中国批判のメタファー=ネットユーザーは削除求める―中国
「科学漫画を撲滅か?」と思う人が続出したとしても、コミックサイエンスのサイトは厳然として存在するわけで、そのサイト上にコミックサイエンスの定義がきちんと書いてあれば全く問題がない。そうしたセーフティネットをすぐに用意できることがネットの長所であって、「そんなところを確認する暇はない」などという意見には耳を貸す必要がないのはもちろんである。「この言葉は何なんだろう」と思ったら調べれば良いだけのことだ。それこそ、漫画好きの人が軒並み「科学漫画を撲滅ってこと?本当に?」と思ってコミックサイエンスをぐぐってくれるなら、こんな良いネーミングはない。
#このクレームが来た時点では定義がきちんと書いてなかったので、誤解を招かないようにその後速やかに対応済み(2:35am, Jan 11にはTwitter上で報告)。
余計な反感を持たれないように、などというのはそれこそ大きなお世話であって、あぁ、そうですか、でスルーである。
そもそも、「名前を変えろ」などと言ってくる種類の人間は、先人がネットの中での自由な発言をどうやって確保してきたのか、そのあたりのことを全く理解していないのだと思う。が、その一方で、そういう人たちが「削除しろ」「変更しろ」と発言する自由もあるわけで、それを封鎖するつもりはない。ただ、スルーするだけだ。
Twitterの文化はまだ未成熟なので、利用者の中にひとつの誤解が形成されつつあると思うのだけれど、それは「意見は聞いてもらえる」というものだ。一般社会と同じく、ネット社会にも傾聴すべき価値のない意見というものは存在するわけで、それらは当然のことながら無視される。ところが、Twitterというシステムは比較的意見が無視されにくい性質があるので、「返事がもらえる」「対応してもらえる」と思ってしまう傾向が強いようだ。このあたりは徐々に修正されて行くのだろうが、僕はそういう修正をのんびり待っているタイプの人間ではないから、「あぁ、こいつは駄目だ」と思ったら無視するし、それでも食い下がってくるなら目障りだからブロックする。ということで、今回のゴタゴタでブロックした人間は3人ほどいる。僕としてもできればブロックなどという機能は使いたくはないが、あまりにもレベルが低い場合は付き合いきれない。
中には、「活動内容には賛同するものの、名称が気に入らないから協力しない」という意見まであるのだが、ここまで来ると自意識過剰も甚だしいという感じになってくる。別に名称が気に入らないからという理由で協力しないような人たちの協力など、最初から期待などしていないのだ。別に良いですよ、ありがとうございました、では、でオシマイである。
でね、「この言葉が気に入らない」という人がいるのはわかりましたが、その上で、「コミックサイエンス」という言葉を変更する気は全くありません。「言葉として間違っていようが、放送禁止用語だろうが、誤植だろうが、不愉快に思う人がいようが、類似の言葉や同義の言葉があろうが、もう決めたんだ。名前が嫌ならコミックサイエンス撲滅委員会には入ってくれなくて良い」という簡単な話。
余談ながら、個人的な「?」を一つ書いておく。漫画というのも一つの文化であって、それを愛している人間というのは表現の自由に対しても高い問題意識を持っているものだと思っていた。ところが、漫画愛好家を自認する人たちが「表現が不適切だから変更すべし」と言ってくるのは何なんだろう?まぁ、漫画は好きだけれど、表現の自由は制限されるべき、という考え方なのかな。
さて、表現の自由に密接な部分でのクレームが一つのクラスターだったわけだが、もう一つのクラスターは科学者サイドからのクレーム。「科学者なんだから、科学的根拠に基づいて客観的に話すべきでは」という内容に関するもの。こちらは僕も想定していた反論で、「あぁ、やっぱり来たか」という感じ。そういう意味では、言葉狩りよりは少しだけ筋が良い。で、少しだけ筋は良いけれど、やっぱりポイントがずれている。
以前、僕は
ブログでバイオ 第64回「マスクは文化だ」
というエントリーで高城剛氏について
「人が言えないことを言う」というこのスタンス。ロックだね。こういう賛否両論を巻き起こすような発言をすることが一億総ブロガー時代には重要。
と評価しているけれど、これは嫌味でもなんでもない。ロックかポップスか、という二分化理論は物事を簡単にするとは限らないのだけれど、それを承知の上で書いてしまえば、「コラーゲンももしかしたら効くかも知れませんよね。現時点で「効かない」と断言できませんよね?」という考え方はポップスの考え方。世の中は基本的にポップスで形成されている。別にそれはそれで構わないけれど、中には「そんなの、別に良いじゃねぇか。将来「やっぱり効きます」ってことならそれはそれ。現状では効かないと思うんだから、効かないんだよ!」というスタンスがあっても良い。すなわち、ロック。でね、僕はコミックサイエンス撲滅委員会ではロックの活動をやりたいと思っている。ポップスが好きな人には無理なんだから、やんなくて良いんです。ずっとその調子でポップスをやっていてくれれば良い。それ自体も別に否定していない。僕はポップスをやらない、それだけのこと。でね、ロックをやろうとしている人間に、「いや、みんな、名称が嫌いみたいですよ?」とか言っても、全然意味ないわけです(笑)。これまで人がやってこなかったことをやるのがロックなわけであって、そういう活動にとって一番無縁なのが「みんなが」ということ。
そうか、もしかして、世の中のポップス愛好家は、僕がポップスの枠組みの中で、ポップスの言語でコミックサイエンス批判を繰り広げることを期待していたのかな?全然違いますから。だって、このブログを見ていればそんなことわかるじゃん。あぁ、そこまで見てないんだろうね。ちょっと通りすがって、はてブしてみた、と、その程度のものなんでしょう。
「科学的根拠に基づいて客観的に話す」のは、科学の中のポップス。で、僕がやりたいのは、「科学的なセンスを持った人間が感覚的に語る」という、科学の中のロック。まぁ、科学者の中にも血液型を盲信している人がいて、血液型によって研究室内の人員配置を決めてしまう教授なども見てきているので、ただただ無分別に感覚で語れ、というわけではない。
例えば、コラーゲンだったら、「体の中に沢山存在するタンパク質ですよね。人間に限らず、普通に食べているものの中にもたくさん存在しますよね。確かに口から入った場合、ペプチドになって、小腸から吸収され、それがシグナルになって体内でのコラーゲン製造を誘発するかも知れないけれど、じゃぁ、普通に食事して吸収しているコラーゲンじゃ不足なんですか?普通に食事している人に対して、どの程度のコラーゲンを食べさせたら効果が出るの?っていうか、コラーゲンってカロリーゼロじゃないんだから、効果が出るほど食べたら、肌がプリプリになる前にデブデブになっちゃいますよね?あ、デブって、肌がパンパンになっちゃうことを称して「プリプリ」ってこと?それは違うんじゃないかなー。あと、体内のコラーゲンだって分解されますよね。それがペプチドとして体内のシグナルにも成り得ますよね。そんなことないの?でもさ、細かいことはともかくとして、やっぱ、効かないでしょ、コラーゲン」という考え方があったって良いわけです。科学的なセンスを持ち合わせた上で、それらをベースにしつつ、あえて感覚、直感で語るわけ。
ポップス領域の科学者は、「いや、でも効果があるかも知れないんだから」というところでストップしてしまって、そこから足を踏み出すことができない。それはそれで良いんです。全然否定する気はありません。科学者の領域で、科学者の言葉で、科学者同士で会話していれば良い。でも、コミックサイエンス撲滅委員会でやりたいのはそういうポップスじゃない。もっと感覚的に、科学者のセンスの範囲で語っちゃいましょう、ということ。それが、科学者じゃない人たちにとってファミリアで、わかりやすくて、そして実用的な情報発信になるんじゃないか、ということ。そういう領域で語ってこそ、一般の人に伝わる科学者の言葉もあるんじゃないの?ってことです。
繰り返しになるけれど、誰でもロックができるわけじゃない。というか、できる人のほうが少ないのが普通。だから、コミックサイエンスが蔓延しているわけです。そういう、ポップスしかできない人を批判しているわけでもないし、排除したいわけでもない。ポップスをやっていたい人は引き続き頑張ってポップスをやれば良いじゃないですか。それが間違いなく本流でもあるわけだし。その上で、撲滅委員会はロックをやる。やりたい人は参加すれば良い。それだけのこと。ところが、そこに対してわざわざ「こんなのおかしい」とか、またレベルの低い奴らが首を突っ込んでくるわけです。お前ら、暇だなー、お前らがやりたいのはポップスなんだから、ロックに首を突っ込んでないで一所懸命練習(というか、実験)をやっておけよ、と老婆心ながら思うわけですが、まぁ、三流のポップスなのかも知れません(笑)僕自身はポップス活動にはあんまり興味がないので、文句を言ってくる人たちが一流なのか三流なのかは調べる気もないのですが。
「ロックやります」という宣言に対して、「大衆が受け入れません」とか、「あくまでもポップスの文法で語るべき」とか、「ポップス愛好家にもわかるように説明してください」って言いたくなっちゃう一部のポップス愛好家の人たちというのは、実は難儀なものかも知れませんね。「別に無理して賛同してくれなくて構わないんです」「人は人、自分は自分」って考え方を理解できなくて、「私の考え方に賛同してください」「大衆の嗜好に従わないのはけしからん」って言わずにはいられないんだから。まぁ、宗教を広めたい人たちと一緒か。
追伸:上で紹介したブログでバイオ64回を再チェックしてみたら、コメント欄もなかなか参考になるね。あと、マスクで予防っていうのもコミックサイエンスかもなー。あとで追加しておこう。あのエントリーの時点ではみんなマスクしていたので社会実験になると思っていたんだけど、途中でみんな馬鹿らしくなってマスクしなくなっちゃったよね(笑)。今もちょうど国会やっているけれど、国会中継見ても誰一人マスクなんかしてないし。おかげで、マスクが役に立つかどうか、さっぱりわからなくなってしまった。