2011年05月31日

夜の上海

夜の上海 [DVD]

邦画では良く見かけるタイプの駄目映画。

何と言っても脚本が酷い。車ではねた被害者を病院に連れていくわけでもなければ警察に通報するでもなく、自分のタクシーに乗せて観光案内して、挙句にタクシー料金を取るとか、上海ってそういうところなの?軒先で雨宿りしているシーンの仕上げも変。そこでどんなトラブルが起きているかもわからないのにいきなり車のドアを開けて「乗って!」も何もあったもんじゃない。

音楽の使い方も非常に違和感がある。特に竹中直人絡みの場面。

タクシーの中での日本語の勉強シーンもなんか凄く変。

落書きにもリアリティがない(あんなに書けないでしょ)。

演出も変。本木雅弘がマトモな演技ができるのはみんな知っているわけで、その彼にあんな演技をさせるセンスが理解不能。

時間経過的にもどうなんだろう。こんだけいろいろあったらもうとっくに夜明けだろうよ、という感じだ。あれだけ大量の落書きをしていたら、それだけでもう朝だ。

上海の観光映画的な部分も多分にあって、そこも目障り。そっち方面からの売り込みもあった映画なんだろう。

ただし、ヴィッキー・チャオのプロモーションビデオとしては悪くない。でも、それだけ。何を考えてこんな駄目な映画を撮っちゃったんだろう?

評価は☆ゼロ。ヴィッキー・チャオがどんなに可愛くてもこれじゃぁ無理。  

Posted by buu2 at 13:59Comments(2)TrackBack(0)映画2007││編集

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不動産屋のオトリ物件対策

こういうこともあるのか。勉強になる。忘れないようにメモ。

不動産屋のオトリ物件に騙された  

2011年05月30日

放射能の基準値の国際比較

放射能の基準値の国際比較とのこと。

hosyanokokusaihikaku


出典はこちら。
世界もおどろく日本の基準値2000ベクレル(放射能について正しく学ぼう)

「これで安全ですか?」はちょっと不適切かな。データが足りなくて判断ができない状態だから、「安全」とは言えない。他国の数値も科学的な根拠があるわけではない。「これで安心ですか?」なら正しい。

僕は日本の基準は全く信用していない。でも、日本は「基準値以下だから大丈夫」と言って市場に流通させちゃっている。仕方が無いので、福島、茨城、千葉、埼玉、東京、栃木あたりの農水畜産物は牛乳以外全部シャットアウト(牛乳は茨城、福島、千葉を避ければ大丈夫そう)。昨日、ネギを買おうとしたら茨城と千葉しかなくて、遠くの店まで買いに行かなくちゃならなかった。

ま、こういう国際情勢を踏まえた上で、大丈夫だと思うなら食べれば良い。安心だと思うなら食べれば良い。国が信用できると思うなら、信用すれば良い。  
Posted by buu2 at 14:31Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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マジですか?

<節電>「県立校は冷房止めよ」 知事指示に愛知県教委困惑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110530-00000002-mai-soci

イマドキって、教室に冷房があるの?

僕の時はストーブだけだったよ。扇風機すらなかった。その代わりに夏休みがあった。  
Posted by buu2 at 13:35Comments(2)TrackBack(0)ニュース││編集

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原発そばの耳なしウサギ

噂になっていた耳なしウサギちゃんの動画です。



真偽の程はわかりませんし、原発との因果関係も不明ですが、こういう情報もある、ということで、ご参考まで。  

2011年05月29日

人間失格

人間失格 [DVD]

太宰治が主人公の心の動きをじっくりと書き込んだ小説を2時間の映画に押し込むのは凄く難しい。悲しみとか、怒りとか、そういう分かりやすい心の動きはともかく、ちょっとした動揺とか、ふとしたきっかけによる絶望感とか、こうしたものを映像で表現するのは凄く難しい。だから、その世界観をどこまでスクリーンに押し込むことができたかが勝負。そして、この監督は勝利したと思う。

ひとつのクライマックスである良子との関係の描写で顕著なのだけれど、観る側にはどうしてそうなったのか、ほとんど情報が与えられない。原作でもこのあたりはかなり曖昧だけれど、映画ではそれ以上である。ただ、どうしてそうなったのかはそれほど問題ではなくて、葉蔵がそれを受けて何を感じ、どう反応したかで十分ということなんだろう。「映画だから、そこを丁寧に描く」という手法もありだったと思うけれど、この映画はそのあたり、原作に忠実だったと思う。

普通に考えれば、太宰治の代表作を読んでいないなど、日本人としては考えられないことだ。しかし、この映画は、原作を読んでいることを前提に、その世界をスクリーンに押し込んだという感じではない。逆に、太宰を読んだことのない無教養な人間に対して、「きちんと理解したければ、映画を観てから小説を読め」というメッセージに見える。ただ、それだけで映画を作ってしまうと、あまりにも救いがない。没落していく中で、酒に溺れ、常に現実から逃げ、やがて薬に頼り、最後はキチガイ扱いされて田舎に送り込まれる。親戚からは体よく厄介払いされ・・・・という感じで進んでいくのだから。そんな中に、中原中也を入れたのはなかなかに面白いアイデアだったと思う。彼を物語から退場させるやり方はちょっとどうかと思ったけれど。映画単独できちんと完結しているし、小説を「また読んでみよう」という気にもさせる。内容をぼんやり憶えている状態で映画を観て、もう一度読書をしてみて、そして仕上げでもう一度映画を観る。これがおすすめ。

出てくる女優たちがなかなか好演している(それにしても小池栄子は大きな目をキョロキョロさせる役が多いよね)し、主演もジャニーズ系とは思えない健闘ぶり。音楽もしっとりしていて雰囲気が良いし、画面もクリアである。映画としては非常にクオリティが高かったと思う。人間失格は凄く読点の多い文体で書かれているけれど、その読点の雰囲気までもが感じられてくるような気がした。

ちょっと甘いかも知れないけれど、☆3つ。  
Posted by buu2 at 14:23Comments(0)映画2010││編集

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2011年05月28日

Twitter後のネット社会 番外編 その6 芦田さんのツイッター微分論について その2

なんと、芦田さんから直々に教えを受けております。

このエントリーは「Twitter後のネット社会 番外編 その6 芦田さんのツイッター微分論について その1」の続きです。

芦田さんより「次の二つの文書を読め」ということでしたので、読ませていただきました。最初はこちらです。

【第二版・PDF版】twitterとは何か(中級) ― 「タイムライン」とは何か(twitter=「タイムライン」は何が新しいのか)

以下、まとめと感想となります。なお、感想、意見は一番最後のセンテンスに対してのものになります。

タイムラインは、一個の人間を付帯情報(肩書きとか、実績とか、学歴とか、職歴とか、家柄とか、国籍とか)から分離する。
タイムラインから「現在」だけを切り取ると、全ての発言者は平等になる。
誰の意見に対しても、誰もが発言できる。
より平等性を高めるためには、フォロー数が必要である。
フォロー数が増えれば、発言対象となりうる発言が増える。発言機会が増大する。
フォロー数を増やすことによって、情報はより一層付帯情報と分離される。

→11「フォロー数を増やして微分化すればするほど、関心は連続する。つまり情報選択の主体(特には「検索」の主体)はここでは不要になる。」についてはちょっと疑問です。本当でしょうか?例えば、ランダムにつぶやきを選択したらどうなるのでしょうか。ランダムな選択は機能的ではないということかも知れません。無意識のうちに、自分に都合の良いつぶやきが選択される、ということかも知れません。それを称して、「情報選択の主体は不要」ということでしょうか。

これまでのネット情報は有効利用にスキルが要求された。
それを少し容易にしたのがSNSとRSS。しかし、スィートスポットが狭かった。
タイムラインの情報量が、自動的な(能力的ではなく)スルーを可能にした。
同時に機会を増大もしている。
スキルが低くても、自分に適合した情報に行き着くことができる。(18について。例えばあずまんとかは逆の状態)

→全般的に、異論はありません。その通りだと思います。


続きまして、こちらの文章です。

機能主義とメディアの現在−情報社会とデータベースと人間の死と(講演) ※補論:土井隆義の『個性を煽られる若者たち』における個性論

以下、まとめと感想になります。

機能主義の「機能」とは、原因と結果を外観上直結するもの。中間の動作をブラックボックス化する。

サイバネティクスの思想は、まず「制御できるもの」と「制御できないもの」の二つで世界をみる。そして、制御できないものを、制御できるものを使って相対的に制御する。メルトダウンした原発を注水によって冷却、安定化するとか。ウィナーはこれを全ての事象に応用できると考えた。

機能主義的な動き、すなわち機械的な動きは、動いたところで完了する。
サイバネティックスでは、必要に応じて動く。自動。

→機械的と自動的は違うのでしょうか。踏んだら開く、そこでおしまいなのが機能的で、開いたものが閉じて、また次に踏まれるのを待つのが自動的、ということでしょうか。

動いたことを検証し、その原因について検証する場合、その存在は人と区別がつかない。

行動主義とは、外観(外部から観測可能な事象)が全てを規定するという考え方。外から見た行動が同じなら、中身が生身の人間であろうが、アンドロイドだろうが、無関係、ということ。

賢い奴がいたので、東大卒だと思ったら実は中卒だった。でも、外観が賢いのであれば、そいつは東大卒と同等に評価されるべき。

人間は関係のあるものと関係の無いものを分類し、重要度の低いものを無視できる。

人工知能だと、環境要因について、あらかじめ関係のあるもの、関係のないものを分類しておく必要がある。電話をする、という目的に対して、部屋の電気、そとの天気、ファックスの調子、パソコンの調子・・・と、色々存在するものについて、これは関係がある、と定義する必要がある。関係ないものを定義して外さない限り、それは関係のあるもの。

関係ないとした部分でアクシデントが起きたときに人間は驚く。人工知能は全てを関係があると思っているので、驚くことができない。全て想定の範囲内。

現在について評価できるのは未来でしかない。現時点において、現在の評価はできない。

→多分、このあたりが芦田さんと私の立ち位置の違いなんだと思うのです。現時点で「正しい可能性の高い選択肢」を選ぼうとするか、最初から諦めるか、です。でも、芦田さんも別にそれを諦めてはいないはず。それをツイッターに求めるかどうか、ということでしょうか。

過去の悪さを人前で公言できる人間は自分の現在を肯定しているだけ。

データベース主義は、とにかくデータを集める。何が必要になるかは将来しかわからないから、今のところはデータを集めておく。

データは入力段階で差別してはならない。

大量のデータを差別(選別)するシステムが「検索」である。

検索には情報量と抽出スピードが要求される。

膨大な情報をベースにして最適化された行動を選び出せることが最も幸せなこと。

→データベースを共有化でき、検索システムが共有化されれば、「判断」は不要になるわけですね。個性がなくなり、全ての人間(とロボット)が機能的に同一になると理解しました。未完成で、理解不能な事象の前でオロオロし、R2-D2に愚痴をこぼすのがより人間的なC-3POであり、その愚痴の中で不要なものをスルーし、重要なものにだけ対応する能力を持つのがR2-D2である、と理解しました。

機能主義的に言えば、人間は実力のみで評価されるべき。そのひとつが学歴主義。これに対立する概念は階級主義、家族主義。

マークシート試験は非差別主義のシステム。

一人の人間の中から受験日の一日を切り取って、評価する。より自由であり、平等である。

ツイッターは、それをさらに140文字まで縮めたもの。データベース主義をやめようというメディア。

→なるほど。私の場合、ツイッターを見て、「?」と感じると、その人の背後のデータベースを見てしまいます。それは過去の発言であったり、プロフィールだったりします。そして、それを見た上で、「あぁ、こいつは馬鹿なのか。じゃぁ、納得」として、私のデータベースにそれを入れなかったりします。つまり、入力段階でデータを選別、差別していることになります。この行動について、「データはほとんど無限に蓄積できるんだし、その情報の良し悪しは現段階では評価できないんだから、とりあえず放りこんでおけよ」というのが芦田さん的な考え方ということでしょうか。

短い時間で切り取ると、人間は誰でも同じ。

→本当にそうなのでしょうか?例えば昨晩、私が

すげぇ、ツイッターっていつの間にか、フォローしておいてタイムラインに出さないっていうのができるようになったんだ(笑)。お付き合いでフォローしておいて、でも目障りだからタイムラインに出さない(笑) 非常に日本人的な機能だな、おい。米国人もこのような日本的なもののあはれを解するようになったとはいとをかし


と書いたら、

「いとをかし」は「とても趣がある」ということですが・・・趣?


と書いてきた馬鹿がいて、想像するに、この方は私に対して「あんた、「をかし」の意味を勘違いしているんじゃないの?」と思っているわけですが、私は当然「をかし」の意味を理解した上で、「米国人ですらこんな風に他人の目を気にするようになってしまったのねぇ。感慨深いですねぇ」と書いています。そして、そのことぐらいは普通の常識的な日本人なら簡単に理解するわけです。140文字まで切り取っても、その文字はやっぱり大量の「付帯情報」を背負っていて、そこを切り離すのは難しいのではないか、と私は思います。

単に、私がそういう使い方をしている、ということかも知れませんが。

ツイッターによって人間を小さく切り取る(→これを芦田さんは「微分」と表現)ことによって、賢い人も馬鹿も一緒になってコミュニケーションができるようになる。交流が活発化する。

→なるほど。私のように、「あぁ、こいつ馬鹿だな。さようなら」というのは、芦田さん的には間違った使い方になるのかも知れません。前提には、現時点で情報の良し悪しは評価できない、というのがあるのでしょうか。あるいは人間の良し悪しも評価できない、と。私は明確に評価しています(できる、できない、あるいはその評価が正しい、正しくない、に関わらず)。そういう意味では、私は物凄く評価が好きですし(ラーメン評論家だし、なんちゃって映画評論家だし)、差別的な人間でもあるんだと思います。「こいつとのコミュニケーションは時間の無駄だから、辞めておこう」と考えるような人間です。

インターネット利用の活性化の鍵は検索能力の向上と思われていた。

→今も私はそうだと思っています。

情報検索の問題点は情報の時間軸が見えにくいこと。抽出結果が古くて役に立たない可能性が否定出来ない。検索が役に立つのは、検索者に時間差を埋める能力がある場合。データ識別能力(評価能力)がある場合。

専門家は安易に発言しない。馬鹿はインプットとアウトプットの間に時間がない。土日に読んだドラッカーの話を月曜日の朝礼で話す。

専門性とは、時間による蓄積と評価がなされること。

ミクシィにしろ、ブログにしろ、その場の発言ではない。時間をおいている間に、書き手は情報を評価している。ツイッターはその評価の場面が存在しない。

ツイッターには、「現在」が内包する迫力が存在する。

→確かに、総統閣下動画が一晩で10万ヒットしたときのツイッターは凄いものがありました。

ツイッターは、利用主体の意欲と選択なしにネット情報を活用できるメディア。

ツイッターのつぶやきは「現在」の共有である。

→ここも私とは違うところです。私にとってのツイッターは、あるデータベースへのトリガーでしかありません。ただ、ツイッターをどういうツールとして捉えるかはそれぞれで、芦田さんが主張するような使い方が「最も効率的かつ本質的な使い方」である可能性は否定しません。私はあまりそういう使い方をしていない、ということです。その上で、一般の人にどういう利用方法をオススメするのか、という問題は引き続き存在します。このあたりが、「ツイッターの利用法」につながりそうです。

テーマ主義はストックの文化で、専門家が必ず勝つ。

→そうですね。だから、専門家である私は安心なのです(笑)。

ツイッターは人間を細かく切り取ることによって平等性を増大させるツール。これによって多様な交流を実現する。

社会のサービス産業化が進み、営業マンニーズが高まっている。「売る人間」が必要。

営業マンに必要なのは体系的な知識ではなく、空気を読む力。コミュニケーション能力。

人間は他者に敏感になることを要求されている。人が来たらドアを開く自動ドアと一緒。いつ誰が来ても大丈夫なように構えている。

今の若者は24時間コミュニケーションに縛られ、疲弊している。
→このあたりは「情報病」と同一の考察で、言葉が変わっているだけです。おそらく三浦展さんとの情報交換はなされていないと思うのですが(勝手な推測ですが)、結論が非常に似通っていることは興味深いです。

友人関係が密になり、コミュニケーションを継続していることが大事になる。内部に物凄く巨大な他者を抱えている。

ツイッターはそうした拘束感がない。

ツイッターは、ストックのない人間でもある種の社会性を構築できる。
→ストックのある人間も、それとは別の社会性を構築できるはずです。

牛丼をトリガーにして哲学に踏み込んでくる人がいる。これが「ソーシャル」。

→これはそのとおりだと思います。

大量にツイートするとフォローを外す奴がいる。こういう奴らは元々のフォロー数が少ないから。これではツイッターならではの有効利用は難しい。

→昨日、「あなたの窓」機能を使ってのぞき見したら、その人のタイムラインが私のつぶやきでいっぱいだった、ということがありました。確かにこれでは困ってしまいます。つまり、ゴミ情報が大量に流れていて、自分に都合の悪いものは機能的に意識の外に排除されていくのがツイッターだ、と理解しました。

「時間を忘れること」と「死を忘れること」

→残念ながら、このパートは私に哲学に関する基礎的な知識がなさすぎて読解不能です(汗)。しっかりと理解するためには相応の勉強が必須です。


芦田さんと私の違いは、まず、芦田さんがツイッターを「教育する場」としている一方で、私は「情報を発信する場」としている点にあると感じました。ここに、ツイッターに対する認識の違いが生じているような気がしました。

そして、芦田さんは、生徒を前にして、勉強したがっている人にどうやったら機能的に勉強できるかを説いていると感じました。一方で私は、一定のスキルを持った人を対象として、情報を効率的に集めていく方法について論じています。両者の違いは、芦田さんはツイッターによってコミュニケーションを発生させ、その先に学びの機会を設定していることに対し、私はツイッターをトリガーとしてデータベースへのアクセスする手順について考えています。

芦田さんの手法は、コミュニケーション能力を必要とし、私の手法はデータ抽出能力を要求します。その上で、芦田さんの主張は、ツイッターで要求されるコミュニケーション能力は、ツイッターが持つシステム上のメリットによって、かなりの部分まで低減されている、ということなんだと思います。問題は、そうしたクラスターからのアクセスに対して、「なんだよ、お前は」とブロックする有識者の存在ということなのかも知れません。相手が大量のフォロワーを持つ場合、パンピーからのアクセスも大量となりますから、相手が反応してくれる可能性はどうしても低くなります。  

御用学者の明けない夜

昔、ある国で歌留多下手議定書(仮名)という国際条約の担保法律を作ったことがあります。この法律は環境に関連するお役所、農業や水産業に関連するお役所、経済や産業に関連するお役所などが相談して一緒に作ったものです。今回は、その時のお話です。

その年の12月、法律を作っている最中に「骨太」案と「骨抜き」案の二種類が役所から立案されました。どこのお役所の人達も、みんな「骨太」案を支持しました。ところが、何故かひとつの省(以後「どこで省」と表記します)だけが「骨抜き」案を支持しました。みんな、何故「骨抜き」案が良いのかわかりませんでした。実は、どこで省は、「法律を出来る限り骨抜きにしたい」と考えていたのです。もっと言えば、どこで省の担当課の課長が、骨抜きにしたかったのです。課長がなぜ骨抜きにしたかったのか。それは今となっても誰にもわかりません。

さて、どこで省はなんとしても骨抜きにしたかったのですが、この意見は本来ならずっと前の、8月に出すべきものでした。それなのに12月になってから突然骨抜き意見を述べ始めたため、他のお役所からの賛同は全く得られませんでした。でも、課長はどうしても「骨抜き」案を支持して引き下がりませんでした。

みんなから反対されてしまい、課長はどうしたら良いのかを考え、自分の課員に言いました。

「他府省のみんなが「骨抜き」案を支持してくれないのはおまえらのやり方がまずいからだ。御用先生(仮名)を担ぎだそう。そして、アカデミックな立場から「骨抜き」案を支持して貰おう。ただし、御用先生には無理強いするなよ。まずはあくまでフラットに、御用先生の意見を聞いてこい!」

もうクリスマスも終わった頃、課員は専門家の御用先生の所に資料を持っていきました。そして、

「御用先生、サイエンスベースに立った見解を伺いたいのですが、どちらが良いでしょうか?」

と、フラットに聞きました。御用先生は応えました。

「私は「骨太」案が良いと思うよ」

課員はみんな「やっぱりな」と思いました。誰がどう見ても、「骨太」案のほうが良いのです。課長以外は。みんなは課長の反応を想像して困ってしまいましたが、フラットに聞いた結果、先生がそういうのだから仕方ありません。役所にもどって課長に説明しました。すると課長は

「お前ら何やっているんだ!説明の仕方が悪いんだ。それじゃぁ何しに行ったんだかわからないじゃないか。ちゃんと採ってこい。」

怒鳴ったのは良いのですが、時間がありません。課長は「このままじゃ「骨太」案になってしまう。課員には任せておけないので、資料だけでも自分で作り直そう」と考えました。その夜、課長は自分で資料を一生懸命詰めて、資料を作り直しました。そして、次の日の朝、その資料を課員に持たせました。「お前ら、これを持って行け」。課員が御用先生の所に行くと、御用先生は話をする前からもうすでに不愉快そうです。当たり前です、年末の忙しい時ですから。

「君たちは一体何をしに来たんだ。昨日、私の意見は言ったはずだ。「骨抜き」案の問題点は昨日述べたとおりだよ。君たちの説明が変わってもやはり「骨太」案が優れていると思うよ。」

課員達は途方に暮れました。でも、仕方がありません。フラットに聞くのは課長の指示ですし、持っていった資料は課長の渾身の作です。そして、課員は誰も骨抜きにする意義がわかっていないのです。これではやりようがありません。みんなはすごすごと引き下がり、役所に戻ってことの次第を課長に説明しました。予想通り、課長は激怒しました。

「年内に御用先生にもう一度説明しろ!」

課長は御用先生が「骨抜き」案を支持してくれるまで引き下がらない勢いです。

課長に言われた翌日の12月28日は土曜日でした。もちろん御用納めの後でしたが、御用先生を土曜日に役所に呼び出すことになりました。年末のお休みの最中だというのに役所に呼び出された御用先生は

「これは困ったことになった。このままでは無事に正月を迎えられないかもしれない」

と考えました。

御用先生は、なぜどこで省がそこまで「骨抜き」案にこだわるのかはさっぱり判りませんでした。でも、こうやって正月が迎えられないかもしれないという状態に追い込まれてみると、自分がそうまでして「骨太」案にこだわる必要もないのではないかと思えてきました。ここでちょっと宗旨替えするだけで、御用先生は平和なお正月を迎えることができるのです。

「うーーーーーん、なんか、「骨抜き」案は筋が悪いので通らないと思うが、まーいいか」

と答えてしまいました。課員は大喜びで自宅にいる課長に報告しました。

年が明けて、各省間での調整が始まりました。しかし、相変わらずどこで省を除く府省は「骨太」案が良いと言って譲りません。このままでは「骨太」案になってしまいます。そこでどこで省の課長は考えました。

「よし、委員会を開こう。各省にも委員会を開かせ、委員会対決に持ち込もう。我々の委員会では、御用先生からアカデミックな視点で「骨抜き」案が良いということを力説して貰おう」

御用先生はすでに「骨抜き」案を支持しています。他の役人がどう言おうとも、やはり所詮は大勢の素人。それよりも一人の専門家の意見の方が重いはず、と課長は考えたのです。課長に委員会の開催を指示された課員は1月22日に委員会を設定しました。

そんな状況の中で、22日の前に各省の担当課長による会議がもたれました。その会議にはどこで省の課長も自ら出席しました。そして、その場で「骨太」案、「骨抜き」案の評価となり、いつも通り白熱した議論が繰り広げられました。このとき、どこで省の課員は全員、課長が「骨抜き」案支持でどこまでも頑張るつもりだろうと思っていました。ところが、他の府省の説明を聞いたあと、課長は何故か「骨太」案支持ということで納得してしまったのです。

「じゃぁ、「骨太」案で」

こうなると、困ったのは課員です。そもそも、何のために委員会を開くのか、その意味がわかりません。意味がわかりませんが、役所ではこういう委員会をキャンセルすることは絶対にありません。仕方がないので、何も決めることがないのに「現状報告」と称してどこで省の委員会が開かれました。年末ののんびりしていたい時に何度も訪問されたり、呼び出されたりして無理矢理梯子を登らされたあげくに梯子をはずされ、おまけに放火までされてしまったような御用先生は本当にお気の毒でした。

そのあと、どこで省の課員が御用先生のご機嫌を取るのに四苦八苦したのは言うまでもありません。

めでたくない、めでたくない・・・・


教訓:明けない夜はない。迎えられない正月もない。  
Posted by buu2 at 02:10Comments(4)TrackBack(0)日記││編集

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2011年05月27日

文科省は巨人のために放射能を測定しているらしい

東日本大震災:共産党都議団、放射線量公表 葛飾・水元公園が最高 /東京
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20110526ddlk13040285000c.html

もう本当に、次から次へと、良くもまぁこうやって出てくるよな、と感心しますね(笑)。

百葉箱も地上18メートルなら理解可能ですが。

葛飾区の水元公園内草地は年間5.4mSvの被曝?もうヨウ素は落ちているから、ほぼセシウム由来のはず。こちらはずっと安定するだろうから、2年で10mSvの被曝かぁ。都内の公園はヤバいですな。そういえば、中央区の保育園が砂場の放射能を測定させてくれない、というツブヤキがあったけれど、そりゃぁ、測定させられないよね。保育園、閉園させられちゃうかも知れないもの。

酷い国だよなぁ、日本って。情報隠蔽、情報操作の宝庫。  

情報発信における大事なこと2つ

いつも書いているけれど、まとめておく。

「こうすればうまく行く」は参考にならない。成功は運。
「こうやったら失敗した」は参考になる。失敗は必然。

「あのラーメンはまずい」は簡単。専門家なら、否定は楽。
「あのラーメンはうまい」は困難。専門家には、肯定は挑戦。  
Posted by buu2 at 22:51Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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名人房

名称:名人房
種類:横浜
場所:関内
評価:1/ACC
2011.5.27

DSCN3807


コメント:店の能書きを読む限り東京西部系なのかな、と思ったらさにあらず。質の悪い横浜ラーメンだった(笑)。

麺は中くらいの太さの縮れ麺。スープの絡み、コシともに良好。

スープは豚骨ベースの醤油味。かなり臭みの強いスープで、豚骨の下処理がいい加減な感じ。だしよりも醤油の塩気が強烈で、塩水を飲んでいるような気分になる。簡単に言えば、不味い。

チャーシューは肉質が悪く、トッピングするような代物ではない。どちらかと言えば最初から載せないでくれた方がありがたい。

またつまらないものを食ってしまった。

店名 麺匠 名人房
TEL 045-641-7732
住所 神奈川県横浜市中区真砂町3-28
営業時間 11:00〜23:30(LO)
定休日 日曜日  

由丸

名称:由丸
種類:福岡
場所:品川
評価:1/BCC
2011.5.27

DSCN3823


コメント:品川は西側に良い店がたくさんできちゃったので、海側はどうなんだろうねぇ、と思い、駅から近いこの店に行ってみた。

麺は細めのストレート。麺硬めで注文したけれど、湯切りが悪いのか、熟成が足りないのか、臭みが残っているのが気になる。スープの絡みやコシは問題ない。最近はコシはどこもちゃんとしているし、麺が細いからスープは当然のように絡む。評価のポイントは臭みぐらいしかないのが福岡系のラーメン屋の麺だ。

スープはとんこつベースの白湯塩味。いわゆる豚骨ライトで、豚骨の臭みが気になる向きには悪くないんだと思うけれど、この方向でいくならもっときちんとダシを取って欲しい。適当にとんこつを煮詰めて調味料で味を整えました、という感じのスープだと、もはや首都圏では通用しない。

チャーシューはまずい。九州系ラーメンのとんこつとしては標準的かも知れないけれど、半分以上残してしまった。だって、体に悪そうなんだもの、脂ばかりで。

またつまらないものを食ってしまった。

店名 由丸 品川港南店 (ヨシマル)
TEL 03-5783-4070
住所 東京都港区港南2-2-6 長山ビル 2F
営業時間 [月〜金]11:00〜23:00[土]11:00〜22:00[日]11:00〜16:00
定休日 祝日  

着られないスーツ、いよいよリーチ

スキーをやっていると、スーツの消費が半端じゃない。なんか、物凄い勢いで償却していく。今日もまた一着、駄目になった。

DSCN3827


股ずれで。

これまでだましだまし履いてきたけれど、さすがにもう無理だ。廃棄処分。これで、礼服以外で着ることができるスラックスは残り一本。

今までの人生で、股ずれにならなかったズボンはユニクロのチノパンとアルマーニのスーツだけだ。もう、スーツを買うのは馬鹿らしい。誰か、股ずれにならないスラックスを開発してくれ。もったいなくて仕方がない。これで、僕は本当に年に数えるくらいしか着ないんだよ?酷いスーツだと、3日で穴があくんだよ(笑)。  
Posted by buu2 at 16:54Comments(4)TrackBack(0)日記││編集

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海水注入をめぐるどたばたのまとめ

ことの推移↓

東電、水素爆発を起こした初号機に海水注入を検討(3/12)
東電、海水注入の準備を開始(3/12 12:00ごろ)
東電、海水注入を決定(3/12 14:50ごろ)
真水停止(3/12 14:53)
東電、海水注入を原子力安全・保安院にファックスで連絡(3/12 15:20)
 →首相官邸には連絡なし(首相、国会で答弁)
首相ら、海水注入を検討開始(3/12 18:00)
海水を注入開始(3/12 19:04)
20分後に注入を中止
 →「班目から「海水の注入は再臨界の危険性がある」という意見が出されたから」(5/21 細野補佐官)
  →「そんなことは言ってない」(デタラメ斑目)
   →「臨界の危険性がある」ではなく、「再臨界の可能性はゼロではない」に訂正
 →「海水注入は中断してなかったんだよーん」(5/26 東電)
  →「俺はなんだったの?」(デタラメ斑目)
東電、原子力安全・保安委員会へ海水注入中止について連絡
 →保安院「連絡を受けた記憶のある者はいない」
首相官邸、海水注入中止について知らなかったと説明


感想
要するに、「海水注入を中止しました」と言った東電の馬鹿がいたおかげで、政府は「いや、御用学者が臨界の危険性があるって言ったから、止めさせたんですよ!」(責任逃れ)と言い、御用学者は「俺は臨界の危険性があるなんて言ってない!危険性がないとは言えないと言ったんだ」(責任逃れ)と言ったわけだ。
それで、首相官邸は「大体、そんな連絡受けてないぞ」(責任逃れ)と言い、保安院も「聞いてねぇ」(責任逃れ)と言い、「おい、馬鹿東電、お前ら、誰に連絡を入れたんだよ!」(責任逃れ)とはしごを外された東電がオロオロしていたところ、IAEAの圧力に耐え切れなくなった原発所長が「いや、そもそも止めていませんでした」と。

一見すると「止めました」っていう情報が独り歩きしただけとすれば丸くおさまるのですが(笑)、それはあくまでも結果論。実際には全部本当で、海水注入の継続すら嘘なんじゃないの?ということですが、わかったことは首相官邸も保安院も東電も全部信用できないということ。この人達が「ただちに影響が出るものではない」と言っている福島や茨城の農水畜産物をパクパク食べている人たちはおめでたいなぁ、と思います。

あと、「俺はなんだったの?」って、御用学者とはそんなモノ。行政の都合によってはしごを外されるのは良くあることです。あとで「カルタヘナ物語」をご紹介しましょう。多分。  

えん寺

つけ麺専門店でラーメンのメニューがなかったけれど、一応評価。

名称:えん寺
種類:つけ麺
場所:吉祥寺
評価:6/ABB
2011.5.26

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麺は3タイプあったけれど、お店のおすすめを頼んでみた。太め(つけ麺としては標準的)でちゃんとコシがあるもの。ただ、最近はつけ麺ならこの程度のレベルは全く標準的。驚くほどのことではない。

タレはとんこつベースのかなりこってりしたもの。これまたつけ麺屋さんには良くあるタイプで、魚介系のダシがやや強め。「またこれか」と思わないでもないけれど、普通に美味しい。こってりタイプなのでタレが薄くなってしまうということはなく、最後まで美味しくいただけるところはナイス。

チャーシューは普通に美味しい。無駄な味付けはなく、肉質もまぁまぁ。トッピングしても後悔はしない。

店名 つけ麺 えん寺 吉祥寺店 (つけめんえんじ)
TEL 0422-44-5303
住所 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-1-1 南陽ビル 1F
営業時間 [月・火・木・金] 11:00〜16:00 17:30〜22:00<ラストオーダー>[土・日・祝] 11:00〜22:00<ラストオーダー>
定休日 無休  

でたらめのそば

ブログを長いことやっているので、その間に友達になったブログ友達もいて、あざらしサラダさんとかもその一人。

でも、今日の話はあざらしサラダさんは全然関係ない(笑)。あざらしサラダさんと同じように古いブログ友だちのまーどんなさん。さて、リンクを・・・と思ったら、別のタイトルになっている。

anonymous

しかも、もう一年近く更新されていない(笑)。で、そんなまーどんなさんですが、ツイッターをやられております。なので、時々連絡をいただける(ちなみにまーどんなさんとは合コンもやったことがあります!)。

それで、先日吉祥寺に行ったとき、ツイッターで「前進座の近くにはおつな蕎麦屋がありますよ」と教えていただいたんです。でも、この間は夜だったし、前進座の場所がわからなくて、うろうろしているうちに食事をする時間がなくなってしまった。あらら、と思っていたんだけれど、今日、もう一度芝居を観ることにしたので、よーし、今日こそ!と思ってちょっと早めに会社を出た。そして、蕎麦屋を探したんだけれど、見つからない。斜め向かいとのことだったんだけれど、斜め向かいには寿司屋と、焼肉屋と、喫茶店と、古物商と・・・・ない、ない、ない!それで、ツイッターで「ないよー」とつぶやきながらちょっと吉祥寺の駅方面に歩いたらこんな光景が。

DSCN3811


DSCN3813


あー、みんな飛び出すんだね、ここ。そして、そのうちの一枚がこんなことに。

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ウケる。

そして、ふと左を見たら、そこに蕎麦屋がありました(笑)。  
Posted by buu2 at 01:03Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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2011年05月26日

劇団「秦組」 vol.4 『らん―2011New version!!―』二回目

ちょっとモヤモヤがあったので、仕事を夜中にやってしまって無理やり時間を作り、もう一度観てきた。その前に原作(?)も読んでおいた。



さて、二度目。さすがに一度観ているから全体の流れがわかっているし、登場人物も主要な人たちは全部わかっている。「後日」のシーンで顔を隠していても、それが誰だかわかる。ということで、すっきり、さっぱり。

その上で評価してみると、やはりこの芝居の一番のポイントは殺陣。役者の体の切れ。このあたりを重視して役者を決めているんだと思う。二番目のポイントは津軽三味線を前面に出した音楽。そして多分、三番目のポイントは主役の矢島舞美さんの可愛さなんだろう。確かに可愛いし、体も切れるんだけど、演技と声量がイマイチで、僕にはちょっとピンと来なかった。ついでにいうと、主演男優も同じ。ただ、声量がないといっても座席後方(今日は11だったか、12列で鑑賞)まで届かないわけではなく、芝居を壊してしまうようなものではない。好みの部分が大きいかも知れない。役者の好みを言えば、石影、カブトと、もちろん月影。芝居慣れしていて客をいじれる元村長も良い感じでアクセントになっていた。この人がいれば日本語版総統閣下シリーズが作れそうだ。

一方で、マイナスポイント。大きなマイナスポイントって見当たらないけれど、細かいところはポツポツある。

まず、いくつか時間が前後に動くのだけれど、そのうちの一部に必然性が感じられず、単に分かりにくくしているだけの印象がある。もうちょっと効果的なやり方があったかも知れない。

それから、オープニング。一度目に観たときは誰の出産シーンなのかさっぱりわからなかったのだけれど(笑)、今回はさすがにわかった。わかったのは良いのだが、それが冒頭に来る必然性はわからなかった。というか、なくても良いシーンとすら思ってしまった。やはり、芝居は主人公のセリフで始まって欲しい。普通に子供時代のシーンで始まるんじゃだめだったのだろうか。あ、ラストも。最後も主人公のセリフで終わって欲しい。それも、凄くカッコイイセリフで。例えば「少年はいつも動かない。世界ばかりが沈んでいくんだ」。そして暗転。僕にとっての演劇はこれなんだよなぁ(笑)。

また、登場人物の紹介パートで無関係の人物が大量に配置されていて、これが観客に不親切だったと思う。どこを観たら良いのか、わからない(笑)。そのおかげで、最初に観たときは誰が誰なのか、良くわからなくなってしまった。

最後に、現代っ子っぽい言い回しが再三出てくる(「はぁ?」「は?」「ってゆーか」を連発)。これが、おじさんの耳には凄く耳障りだった(笑)。僕は美しい日本語が好きなので、「ってゆーかぁ」みたいなのはかなり気になってしまう。

あぁ、もうひとつ。改めて月影中心に(笑)観てみると、最初から最後まで、月影はほとんど笑わない。段差の上で兄の石影が活躍しているのを見ているシーンと、あとはカーテンコールのときだけ(笑)。あとはずーーーっと眉間にしわが寄っている。そういう役どころだから仕方ないけれど、月影を観に行った人間としてはこれがちょっと残念だったりする。ただ、今日も花道のすぐ横だったのだけれど、冒頭のシーンで僕のすぐ横に月影が立ったので、「おお、右足にテーピングしている!!アキレス腱に張りがあるのか?」みたいなのをチェックできて少し得をした気分だった。

初日に比べると、随分と熟成した感じがする。この熟成要因のひとつは多分「演技力がちょっと下の人達がこなれてきて、レベルが均一になってきた」ということ。90点の人を95点にするのは難しいが、70点を90点にするのは比較的容易だ。本番を重ねることによって、そうやってちょっと下の方にいた人たちが、レベルアップしてきたんじゃないだろうか。あと、酔っ払った赤谷達のシーンとか、いくつか細かく手を加えているような。良くはわからないけれど。今日のソワレを含めて残り5公演。作り手たちが常に向上心を持っているので、少しずつ良いものにしていけるんじゃないか。と言っているうちに楽日になるんだけどね(笑)。

役者の体のキレを前面に押し出して、花道のある難しい舞台を走りまわって迫力を出しているのが印象的。今日は月影へのおまけなしで、評価は☆2つ半(満点は☆3つ)。やや荒削りではあるけれど、基本的なところをしっかりと押さえつつ、勢い良く見せていて、しかも生の声で頑張っている。なかなか良い舞台だったと思う。

#ところで、初日にピンタ3発もやってたっけ?あと、月影が三影を切るとき、刀背打ちじゃなかった(笑)。
#個人的には杉本有美という可愛い子を見つけたのが最大の収穫。  
Posted by buu2 at 18:45Comments(2)TrackBack(0)演劇││編集

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人間失格

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))

言うまでもなく、太宰治の代表作。これ、読んだのは多分30年振りぐらい。だから、読後感とか全然違うんだと思う。今回は、可哀想、でもないし、あるある、でもないし、へぇ・・・でもないし、表現が難しい気持ちになった。こういう人生もあるんだなぁ、というか。だからどう、でもないし、本当に難しい。もちろん、何も残っていないわけじゃない。というか、むしろ、非常に面白かったし、色々とひっかかるところもある。

ただ、そうだな、KYみたいな言葉がある今、こうやって周りの空気を読んで、その中に自分を合わせようとして、その中で徐々に疲弊していってしまう人間は結構いるんだろうなぁ、と思った。

この本が傑作なのは、多分、読者が100人いたら、100個の感想が出てくるところ、一つとして同じものが出てこない所なんじゃないかな。それぞれがみんな自分のそれまでの人生と照らし合わせて、そして何がしかの感想を持つところなんじゃないかと。物凄く丁寧に書き込んであって、展開される物語の自由度は低いのだけれど、読む人の感想の自由度が物凄く高いんじゃないかと思う。それは、ひとりの同じ人間であっても一緒で、だから人生のどの時期に読むかによって、それぞれ別の感想を持つんじゃないかなと思う。

うーーーん、だから、どこに感動したとか、こういうところが好きだったとか、そういうんじゃなくて、「とりあえず、10年に一度ぐらい読んでみたらどう?」という感じ?決して損はないと思う。短くて、すぐに読み終わる本だし。読んで、そして少し考えてみれば良いと思う。

主人公の性格設定が綿密で、用意周到というか、凄い。それから読点が物凄く短いインターバルで打たれる。文体が面白い。

評価は☆3つ。  
Posted by buu2 at 03:10Comments(0)TrackBack(0)読書││編集

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麺僧

名称:麺僧
種類:東京とんこつ
場所:吉祥寺
評価:4/BBB
2011.5.22

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麺はやや細めの縮れ麺。適度なコシがあり、標準的なスープの絡み。素晴らしいという感じはないけれど、無難に美味しいと思う。

スープは豚骨ベースの醤油味。背脂の浮いた東京とんこつタイプ。これも決して悪くない。ただ、個性的かと言われればそんなこともなく、これまた無難に美味しい、という評価にとどまる。

また、チャーシューも標準的なもの。わざわざトッピングするほどのものでもないけれど、お腹がすいていて、動物性のタンパク質を摂取したいなら悪くない選択肢ではある。  

2011年05月25日

Twitter後のネット社会 番外編 その6 芦田さんのツイッター微分論について その1

芦田宏直さんに「Twitter後のネット社会」を献本させていただいたところ、アホか、馬鹿か、くだらん、と酷評されるかと思いきやさにあらず。大変好評だったのでびっくりしました(ただ、芦田さんはとてもシャイな方なので、「素晴らしい」とか、「お前ら全員買って勉強しろ」などという言葉は一切ありませんでした)。なお、蛇足のような形で、下記のコメントをいただきました。

@jai_an 芦田宏直
微分論を取り上げないで、信者論に徹するのはずるいなぁ。しかもこの「信者」論、間違ってるし(笑)。 そもそも1万人程度のフォロワーで信者も何もないよ。

http://twitter.com/#!/jai_an/status/72554947383803905


なるほど。実は、「Twitter後のネット社会」の大部分を書き上げたのは2010年のゴールデンウィーク前で、大変恐縮ではあるのですが、その時点では芦田さんの「Twitter微分論」は私のタイムライン上で微分化されてしまい、その内容についてきちんと勉強しておりませんでした。それで本を書いてしまうとは大変お恥ずかしい話です。その後、Ustreamで一度流し観をしたのですが、結局結論が良くわからず(というか、だからどうなの?と思ってしまいました)、まぁ良いや、とスルーしておりました。しかし、「アホか」でもなければ「馬鹿か」でもなく、「ずるい」と、日頃の芦田さんのボキャブラリーには登場しない単語を引き出した(女性に言われてこんなに自惚れてしまう単語もありません、個人的に。究極の褒め言葉でもあります)ことに気を良くしまして、まずはTwitter微分論について再度勉強してみました。今回は、そのレポートです。まずは微分論の要約です。

ブログ→読み手が見えない。更新していくのにはスキルが必要。
SNS→誰が読んでいるか見える。反応を獲得しやすい。
これらのメディアは利用主体の能力格差が出てくる。能力を要求する。
ツイッターはそうじゃない。
誰でも楽しめる。
ツイッターでリストを使うのは、積分世界で生きてきた人間が微分世界のツイッターを無理やり積分化しようとしているケース
古い考え方の奴はフォロー数とフォロワー数のギャップにプレゼンスがあると思っている。つまり、フォロー数が少なくて、フォロワーが多いと偉い、みたいな。
そんなの関係ない。
いろんな付属品をそぎ落として、コメントだけがそこに存在しているのがツイッターの存在意義。
例えば「ミトコンドリアでそいつを判断する」ということ。そのミトコンドリアがだれのものかなんて考えない。これが「微分」の意味。
じゃぁ、何をするの?>楽しむもの。勉強できるわけがない。商売できるわけがない。


なるほど。このサマリーが正しいかどうかについて絶対の自信はないのですが、おおよそのところはあっているのではないかと思います。私は以前この微分論を見たときに、これをスルーしました。なぜかというと、最後の部分が私にとって面白くなかったからです。「色々とそぎ落として、140文字のデータだけがある」までは良いのですが、「データ」そのものが私にとっては面白いものではなく、それならツイッターは要らない、ということになってしまったのです。「ツイッターをどう利用するのか」ではなく、「ツイッターはあなたにとって無用のシステム」という結論になってしまい、これでは元も子もないな、と考えたわけです。

さて、ここでちょっと話を変えてみます。私は、芦田さんはツイッターを芦田さん流にとても有意義に利用していると見ています。それはどういう理由なのかをちょっと述べてみます。私の理解は、芦田さんは教育に関する教師、つまり、教師に教育を教える立場の方というものです。そして、馬鹿な教育論(これを展開するのは主として教師ですが、微分論的に言っても、発言者の肩書きは関係ありません)を見つけたら「馬鹿だ」「アホだ」と述べて、芦田さんの考える教育論を提示することを楽しみとしています。また、そのやりとりを周囲に見せることによって、当事者以外をも教育することを目論んでいます。つまり、芦田さんは頭の悪い教育論を常に探しているのです。そして、ツイッターの中にはそれがたくさん溢れています。だから、芦田さんはツイッターを馬鹿発見器(あるいは馬鹿な教育論発見器)として利用しているわけです。こうしたスタンスの芦田さんにとっては、次から次へと湯水のごとく馬鹿が供給されるツイッターはまさに天国。水を得た魚のごとく、また、モグラたたきよろしく、馬鹿を見つけては叩いて楽しんでいるわけです。

つまり、芦田さんの「楽しみ」とツイッターの微分的性格が物凄くフィットしたわけです。また、これを逆に言うなら、微分化されればされるほど、芦田さんの楽しみは増えることになります。なぜなら、芦田さんはひたすら馬鹿を探しているからです。そして、馬鹿には、付帯情報が必要ありません。今そこにある文字データが馬鹿であるかどうかだけが重要です。そして何より、芦田さんは自分の中にしっかりとした「正解」を持っている方です。その正解に照らすことによって、馬鹿はすぐに見つけることができます。おそらくは「教育」とか、「キャリア」とか、芦田さんにとって餌場になりそうな単語で検索をかけて(これは、魚群探知機のようなものです)、その結果から馬鹿を見つけてきているのではないかと推測します。満員の海水浴場に放たれた人食いザメのようなものです。

さて、話を自分のところに戻します。私の場合、ツイッターには馬鹿を求めていません。多くの場合、私の中に確固たる正解もありません。自分の中の正解を見つけるための情報や判断材料を求めています。その場合、ある情報について、それが信用に足るものかどうかの判断材料、つまりはその人の過去の発言が重要になります。ですから、ツイッターでも、私は「おや?」と思うと、その人の過去の発言を遡ってチェックします。ブログがあればそれを観に行くこともあります。ところが、これは芦田さんの微分論によれば、これはナンセンスです。まさに、「アホか」という奴です。芦田さんは、「そもそもツイッターには有益な情報なんてないんだから、それをツイッターに求めるのはナンセンスだ。有益な情報は140文字で収まるわけがないんだから、ブログでも、ウェブでも、SNSでも、他のところをあたるべきだ」と言うと思います。

実際のところ、私はデータオタク的な部分があり、だからこそ三菱総合研究所とか、経済産業省とか、データが集まるところで働いてきたんだと思います。芦田さんの微分論からすれば、ツイッターには最もフィットしないタイプの人間ということになります。

以上、芦田さんのツイッター微分論を見させていただいた上で、芦田さんの立ち位置と私の立ち位置を分析してみました。その上で、次回以降は「私はどうあるべきか」つまり、「積分型の人間はどうあるべきか」や、芦田さんに唯一間違っていると指摘されました「信者論」について、考えてみたいと思います。

#間違った認識があると以後の考察は意味をなさなくなりますので、まずはここまでをブログに記載し、皆さんのご意見を(もし得られるなら、ですが)聞いてみたいと思います。  

2011年05月24日

アメブロでアイドルのブログを見ていると

物凄い勢いで改行を入れるのと、記事一つで次のページに誘導されちゃうのが二大特徴なんですが、これはやっぱり広告が沢山表示されるように、というビジネス上の都合なんですかね?  

2011年05月23日

北海道新聞にうそつき社長の会社、リバネスが掲載されたので

北海道新聞に問い合せてみた。

元木と申します。

下記の記事に掲載されたリバネスですが、

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/294136.html

こんな会社だとはご存知ですか?(私のブログです)

http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51255578.html


返事が来たら、こちらに全文掲載します。

ちなみに「リバネス」でググるとこのページ、トップに掲載されるようになりましたね。一番上は難しいかな・・・・。

経済産業省、文部科学省にも近いうちにまたアクションを起こします。沖縄は自治体だから難しいかな。沖縄県民が立ち上がらないとね。  
Posted by buu2 at 20:09Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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Twitter後のネット社会 番外編 その5 自分にとってのカリスマ

先日、Yahoo!映画のレビューにナタリー・ポートマン主演の新作「ブラック・スワン」のレビューをアップしました。私はこの手のレビュー活動をラーメン、外食グルメ、映画、演劇、書籍などで行っていますが、映画についてはかなり書きこんだレビューを書くことが多いです。大体1000〜1500文字程度で、あらすじや俳優など基礎データを書くことはあまりないので、映画のレビューとしては長い部類だと思います(もちろん、本職の映画評論家の方々はもっと長い文章を書いています)。さて、そんな私が書いた内容は、こんな感じのものでした。500文字弱です。

え?これがアカデミー賞、主演女優賞しか獲れなかったの?
信じらんない。
これから大事なことをいくつか書きます。まずその1。レビューは読んじゃダメ。このレビューを最後にしましょう。
その2。ナタリー・ポートマンのファンなら文句なくおすすめ。
その3。必ず大きな画面の、音響がしっかりした映画館で観ること。しょぼいテレビとしょぼい音響施設じゃダメです。
その4。怖いのが苦手ならやめておいた方が良いかも。
その5。「白鳥の湖」のストーリーは勉強しておいた方が良いかも。「どこで勉強するのさ」という人はウィキペディアでもどうぞ。
ウィキペディア「白鳥の湖」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%B9%96
ここ1年ぐらいでは一番の衝撃だった。総じて音響がイマイチの試写会が当たらなくて、今となっては逆にラッキー。
ということで、もう一度書いておくけれどこれ以上レビューは読まないほうが良い。さっさと映画館へどうぞ。
怖かった。

http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id337733/rid194/p3/s2/c21/

このレビューを掲載して12時間ほどで、「参考になった」という役立ち票が16票になりました。それよりも一日ほど前に掲載した「奇跡」は、その時点で14票しか投票されていなかったので、ブラック・スワンのレビューは奇跡よりもずっと好意的に受け入れられたようです(ただ、映画自体の注目度がこれを書いている時点では全く異なるのですが)。

レビューの内容を一読してもらえばわかることですが、このレビューにはほとんど感想らしきものが書いてありません。書いてあることは「予備知識なしで、映画館で観てきて」ということだけです。僕のブログの読者であれば、「普段、たっぷりとネタばれする人がどうしたんだろう?」と思うような内容ですが、Yahoo!映画の場合は、そのレビュアーが普段どんなレビューを書いているかなどには無頓着だと思いますから、多くの人にとっては、個人の主観的な感想よりも、「ネタバレなしで楽しめ」という情報の方が価値があったということでしょう。

また、ブラック・スワンよりも少し前に、「トゥルー・グリット」という映画のレビューを書いたのですが、このレビューも比較的多くの「参考になった」票を集めました。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id338090/rid128/p0/s0/c0/

このレビューの特徴は、「良くわかんなかったけれど、こちらで物凄く丁寧に説明してくれている動画があるから、そちらを見てね」という、素人評論家ならではの丸投げレビューという点です。僕には理解不能だったけれど、町山さんという、もっと詳しい人がこちらで説明してくれています、などとは、プロだったら口が裂けても言えないセリフですが、それをやってみたところ、これも好意的に受け取られたようです。僕の役割は、役に立つ情報の発信ではなく、役に立つ情報へのガイドでした。

「Twitter後のネット社会」では、1-3章で「情報の信頼性というのは「みんなが言っている」のではなく、「誰がその情報を発信しているのか」ということに帰属することになります。信頼すべきは、「大勢の意見」ではなく、「信頼に足る特定の個人が発信する情報」に帰着すると考えられるのです」と書きました。トゥルー・グリットの事例では、僕が果たした役割は「信頼に足る特定の個人への水先案内」だったわけです。

つい先日、ZAPAnet総合情報局のzapaさんがツイッターでこのように書いていました(部分引用)。

実は、カリスマの主観的レビューが一番参考になる。

http://twitter.com/#!/zapa/status/72236498493255682

私も全くこの通りだと思います。自分にとってのカリスマをどうやって見つけてくるかが大事だということです。

なお、映画関係で私が参考にしている(自分でレビューを書く前に読むことはほとんどありませんが、書いた後に読んで、なるほどなぁ、と感じることが多々あります)、私にとってのカリスマを開示しておきます。このリスト自体はそのまま真似をしても意味がありません。それぞれが自分のリストを作っていく必要があって、そのための参考資料です。

破壊屋さん
http://hakaiya.com/

町山智浩さん
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/

つぶあんこさん
http://blog.livedoor.jp/tsubuanco/  

劇団「秦組」 vol.4 『らん―2011New version!!―』

初めて観る演出家、1人も知らない役者、初めて行く箱、と、予備知識ゼロでの観劇。こういうことって実は滅多にない。大抵の場合、一人ぐらいは贔屓の役者さんがいたりするものなのだ。なんか、サイスタのレッズ戦の完全アウェイ状態にも似ている。

吉祥寺ですら行ったのは10年ぶり以上だと思う。とにかく滅多にいかない場所である。いい加減な目星をつけて歩いていたら、井の頭公園に着いてしまった。やばい、ご飯を食べている時間すらない。軌道修正して、なんとか前進座に到着したのは開演の7分前。劇場の前ではオタクっぽい男子が「チケットあります」のダンボールを手にしていてちょっと微笑ましい。ダンボールじゃなくて、せめてiPadにすれば良かったのに、と思う。

前進座の中に入ってみると歌舞伎座のような花道があって、うわー、こんな難しい箱でやっちゃうんだ、すげえなぁ、というのが開演前の感想。この手の、客の視線が安定しない箱の演出は凄く難しそうに見える。僕の座席は前から3列目で、花道のすぐ横。こ、これは・・・なんか、怖い。客席は演劇に似合わず男性客が結構多く、かわい子ちゃん目当ての人も結構いる様子。一方で僕のような一見さんはあんまりいないんだと思う。

#そういえば、お約束の笑いがあったようで、僕は笑えないのにみんなが爆笑、というのが何度かあった(笑)。

さて、開演。いきなり大量の役者さんが山ほどいて、その向こう側でなにやらゴソゴソとやっている。どうやら出産シーンのようだ。が、花道にいる役者さん越しなので良く見えないのと、セリフが聞き取りにくいことがあって、良くわからない。えっと、誰が生まれたんですか?男の子だって言っていたから、主人公かな?そのあとも、大量の役者さんたちが出て来たり、花道後方で重要なシーンがあったりで、「うわ、役者さんたち、覚えきれるかな?」と心配になった。ところがなぜかそんなこともなく、次々と役者さん達の顔と役名が頭に入ってきた、などということはもちろんなくて、案の定、結構苦労した。この辺りはビジターはちょっと不利。知っている役者さんが数名でもいてくれると随分と違うんだけど。

しかしそれでもなんとか、開幕30分ぐらいでおおよその勢力分布と配役が把握できて、それからは物語に入っていけた。入っていけたのは良いんだけれど、僕が気に入ったのは月影というお姉さんで、この子はちょっと脇役。声量もそれほどないんだけれど、金属質の声質が僕の好みにぴったりで、混沌としたカオスの中でこの子を気に入ってしまったものだから、「あ、でも、この子は主役じゃないんだよなぁ」と修正する間もなく、僕にとっては「らん」ではなく「つきかげ」になってしまった。

他にも、らんのお父さん替わりの男優さんとか、月影のお兄さんの男優さんとか、頑張っている人はいたけれど、まぁ男優だからとりあえず僕のメインディッシュにはならない。そういうわけで全てのシーンを月影中心で観ることになってしまった。してみると、主役の女の子はそうだなぁ、もうちょっと髪の毛が短いほうが良かった。細かい演技はうーーーん。それよりも体のキレが良くてびっくりした。志穂美悦子か、みたいな。主役の男の子はちょっと声量とか滑舌に難有り?格好良いし、動きにはキレがあるんだけれど、舞台よりも映像で映えるタイプ。でも、箱が極端に馬鹿でかいわけじゃないし、ストーリーもわかりやすいので、多少セリフが聞き取れなくても問題なかったりはする。あと、殿様はガクトにやって欲しかったかなぁ。

えっと、まだ今日が初日の舞台なので、ネタバレしないように、ネタバレ部分は追記に書きます。それで、ネタバレなしの感想。

プラス評価部分は1.月影の子がナイス、2.舞台を上手に使っていた、3.音楽もナイス、4.殺陣の迫力は申し分なし、の4つ。マイナス部分は1.人数多すぎ(できればペラ一でも良いので、役者と配役の一覧が欲しかった)、2.ちょっと親切すぎ、3.月影が主役じゃないこと、かな。評価は☆2つのところ、月影ちゃんにおまけして☆2つ半。(満点は☆3つです)

やっぱり、完全ビジターって楽しいよね。

【出演】矢島舞美(℃-ute)、中村誠治郎、丸尾丸一郎(劇団 鹿殺し)、
    根本正勝、藤沢大悟、杉本有美、工藤里紗、清水宏、ほか
【日時】2011年5月22日(日)〜29日(日)
【劇場】前進座劇場(吉祥寺駅より徒歩12分)
【チケット】全席指定 前売5,500円 当日6,000円 未就学不可


ということで、バレが嫌な方はここでさようなら。詳細は追記に書きます。  続きを読む
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2011年05月22日

政治主導と官僚主義と世代間格差と

色々と研究者と話す機会は多いのだけれど、ほとんど全員と言っても良いくらいの彼らから感じるのは「トップダウン思想」だ。いわゆる官僚主義と言っても良い。ただ、官僚主義と言ってしまうと色々な意味を含んでしまう。官僚主義に含まれる、減点主義とか、前例主義といった意味ではない。要は、個人でも組織でも良いのだけれど、「偉い人が決める」という思想である。

日本の学者の場合、下っ端が手にするお金はほとんどが文科省からのものなんだと思う。「外部資金の調達」と言っても、その元をたどっていくと結局のところ公的なお金に落ち着くことが多い。僕が学生の頃は企業との連携(癒着とも言う)が密だったので、税金依存率という面で今よりもまだマシだったのかも知れない。今は大学が知的財産戦略を明確に打ち出してしまったために、大学は大学、企業は企業、という形になって、両者の対話は「特許を中心とした知的財産権」を共通言語としてのものになってしまったようである。

結果として、大学研究室は「独立性」を高めたように見えるけれど、その実、文科省依存体質を強めてしまった。これは、官僚様が指示してくれることが全てということを意味する。お願いする先も、出してくれるのも官僚様だ。こうなってしまうと、税金を恵んでもらうしか生きていく手段がない。生きていく手段がない以上、お役所の奴隷である。今、東大を中心とする原子力関係の学者たちを原子力村の御用学者として批判する場面を良く目にするのだが、御用学者は生まれるべくして生まれているのである。そして、これは構造的な問題でもあるから、「あいつらは御用学者だからよ」と文句を言ってみても、当事者からすればどうしようもないのである。ご飯を食べていくためには、基本的に御用学者であるしかない。そして、学者たちが文科省の悪口を言えるわけがない。彼らは文科省の先兵として財務省に乗り込んだり、「二番ではダメなんですかとは馬鹿か?」などとノーベル賞を看板にしつつ圧力をかけたりするのである。日本の大学で研究をしている限り、文科省にそっぽを向くことは無理なのだろう。

先日もあるポスドクが、「東大以外にも優秀な人材を配置するシステムが必要」と書いていたのを目にしたけれど、これはつまりは「偉い誰かが差配してくれる」ということを意味している。もう、根っこから官僚崇拝なのである。

国家、あるいは官僚組織を人と考えれば、官僚主義のいきつくところは一種の専制君主制なのだけれど、銀河英雄伝説のラインハルトみたいに、非常に優秀で理想的な君主がいた場合、専制君主制は国民にとって最も優秀な統治システム、幸福な統治システムになる。こういったシステムは動物社会では普通に見られるもので、サル山などは典型的な例である。

サル山ではきちんと機能しているシステムが人間社会ではなんでダメなのか、ということになるのだが、答えはそれほど難しくない。官僚主義、あるいは専制君主制は意思決定システムが属人的になるので、意思決定部門を外部から狙われたときに収拾がつかなくなる。この一番簡単な事例が「暗殺」である。官僚システムの場合は「賄賂」などがこれにあたる。中には「専制君主の暴走」を思い浮かべる人がいるかも知れないが、実際にはそうした内部崩壊よりも、外部からの干渉事例の方が多いのではないかと思う。ただ、多くの国民は役所の中を見たことがないので、そうした不透明なやりとりを近場でみる機会がない。逆に専制君主の暴走は他国の事例で色々と見る機会があるし、その多くが悲劇的な結末を迎えていることから、そちらを危惧するのかも知れない。実際には、顕在化しないだけで、多くの問題を抱えているのはやはり外部からの攻撃だと思う。サル山は基本的に力が全ての社会で、お金も学閥も宗教も関係がない。だから、サルの社会は専制君主制でも安定する。しかし、人間社会においてはウィークポイントを多く抱えてしまい、問題が多くなる。

そのウィークポイントはどうやって克服されるのか。官僚制を維持する前提に経てば、パイプラインの複数化と情報の透明化のふたつである。ところが、ウィークポイントは官僚にとっての最大のメリット(つまり、権力だから)でもある。この対立は物凄く明確で、だからこそ官僚組織はパイプラインの複数可(地方分権)とか、情報の透明化に本能的に反対する。情報を自分で保有して、自分で判断して、それを実行するのが官僚の醍醐味なのだ。それが面白いから、少なくない数の東大のエリートたちはキャリア官僚を目指す。以前、経産省の飲み会で同僚たちに、「役所の究極的な役割は統計の整備で、シンクタンク機能は民間に任せてもいいはずだよね」ということを言ったところ、「それはそうだけれど、そうしたら誰も役人をやりたがらないよ」という返事が来た。つまり、中央官庁で役人をやっている以上、みんな大なり小なり、それぞれのレベルで専制君主になりたいのだ。かくいう僕も色々な会議で、自分の責任において、自分の判断で「経産省としての意見」を表明したし、そこまで権限を与えてもらって嬉しかった。だから、官僚組織がパイプラインの複数化や情報の公開に消極的なことはよくわかる。

しかし、である。やはり限定されたパイプラインは攻撃を受けやすい。官僚組織がピンポイントで攻撃されたもっとも顕著な例はオウムのサリン事件だったのだけれど、実はもっと身近に攻撃事例がある。深刻なのは日常的に行われている「組織によるパイプライン攻撃」なのだ。この組織には色々なパターンがあるのだが、その一つが今注目を集めている「電力村」である。例えば、電力会社から大量の資金が流れている(そういえば、この分野は公的なお金ではない)原子炉系の大学研究室であれば、当然のことながらそこに人間関係が発生している。先輩、後輩の関係もあるし、できの良い人間を教授が役所に送り出せば、そこにもパイプができあがる。中央官庁にこういうパイプがあれば、何か困ったときにそのパイプを利用して、官僚組織に圧力をかけることができる。

実際に僕は官僚機構の中にざっくりと根を下ろして、不透明、かつ不適切な意思決定をしているケースを目の当たりにしているのだけれど、これほど始末におえないものはない。

ひとつ、具体的な例を書いてみる。ある補助金の配布にあたり、対象事業者を選ぶことになった。現在はこの手の選択でも透明性が重視されるので、官僚が勝手に選ぶといったことはない。その時も、委員会が開催され、そこで配布先を決めることになった。メンバーは課長が選んだ外部有識者4名と課長の5名である。課長は委員会の冒頭で、「事業者選択の方法について提案します。それぞれが一社、自分の推薦したい会社を挙げましょう。各自が1社提案するので、最大で5社になりますが、これはその時点で決定としましょう。お金はまだ残るはずなので、残りについてはまた皆さんで候補を挙げて、どの事業者が良いのか議論しましょう。これでいかがですか?」と発言した。この手法は全会一致で決まり、それぞれが候補を出したのである。その候補をそれぞれがどういうやり方で選んだのかは不明だけれど、この決定手法を採用した時点で、誰もがひとつ、自分の好きな事業者に対して補助金をつけることができるようになったのである。さて、仮にこの決定方法が事前に根回しされていたらどうだろう。その可能性は否定出来ないし、逆に根回しがあったと考えるほうが普通だ。そして、その委員が特定の事業者団体、学閥、宗教などに属していたらどうなるのか、と想像してみて欲しい。

これは仮想事例でも何でもなく、実際に経済産業省のある委員会で行われたやりとりだ。そして、その課長は僕達が全く理解出来ない組織を推薦し、採択された。

ここでは固有名詞を出さないけれど、官僚組織というのはこういった目に見えない組織に非常に弱い。これが政治家であればずっとクリアになるのだ。「あの人は族議員だから」とか、「あの人は公明党だから」という形で、かなりのところまで透明性が確保できる。ところが、官僚になるとこのあたりが全く見えてこない。官僚組織の危険性はこの点にある。まず、日本の国民はこういったリスクを認識するべきだ。官僚組織は非常に不透明で、官僚に依存するということは相応のリスクを持っているのである。

そうした官僚主義に対して国民は何も出来ないのか。実際には、徐々に状況は変わりつつある。特に「情報」の透明化は徐々に広がりつつある。しかし、そのスピードは決して早いとは言えないし、社会は変わる気配がない。今、官僚組織を大改革しようと思えば「みんなの党」に頑張ってもらうしかないが、「みんなの党」の方針で日本が立ち行くかと問われると、それもまた疑問なのである。なぜなら、官僚は官僚で、間違いなく優秀なのだ。官僚組織と真正面から喧嘩をすることは、メリットよりもデメリットの方が大きい。では、民主党や自民党ならどうか。民主党と官僚との関係は良く見えないが、中途半端に「政治主導」を打ち出し、そのおかげでドツボにハマっている印象がある。何もできないことを見透かされ、逆に手玉に取られている印象すら受ける。これが自民党になると、今度は癒着が気になる。何しろ、自民党と官僚組織は半世紀にわたって蜜月関係を維持してきたのだ。適度な距離感を期待するほうが難しい。

「適度な距離感を持ちつつ、上手に官僚を使っていくこと」を考えなくてはならず、その場合、自民党とも、民主党とも、もちろんみんなの党とも違う政党が台頭してくる必要がある。その勢力は、

透明性の高い意思決定手法を持つ
情報の透明性を維持できる
官僚のモチベーションを維持する

といった、非常に同時存在が難しいいくつかの項目を共存させなくてはならない。これだけでも容易ではないのだが、ここでもうひとつ、大きな問題があるのだ。それが明らかになったのが先日の都知事選挙である。明らかになった大きな問題とは、「少子高齢化社会」である。「そんなの前から明らかじゃん」と思うだろうが、多くの人はこの問題を年金問題とか、社会の継続性とかの視点で捉えている。しかし、今回明らかになったのはこの二つではない。世代間格差に対する絶望的な壁の存在である。

20年経とうが若者の投票率がアップしようが状況は変わらない、というのは先日ブログで書いたとおり。なぜそうなるかと言えば、今の40代以上にとって都合の良い社会システムだから。20、30、40、50、60、70代がそれぞれ均等に存在するなら、人数比は1:2である。その過半数を占める人たちにとって都合の良いシステムに付属する形で「官僚システム」が存在する場合、世の中は「多少のデメリットには目をつぶろう。それより今の社会システムを継続しよう」となる。そういう現実を東京という場を使って見せつけた意味で、先日の都知事選は非常に興味深かった。今の日本は、「若者たちの労働力を利用して、今まで築きあげてきた日本社会の衰退スピードを鈍化させよう」という社会だ。その「日本社会」とは、官僚支配、年功序列、終身雇用、既得権者が権利を確保する社会である。

以前であれば、こういう状況において一番最初に反発するのは学生たちだった。ところが、その学生たちも、文科省によって飼いならされているのである。

都知事選の結果を分析してみて、「あぁ、こうやって日本という国は衰退していくのだな。この流れから抜け出すことは、並大抵のことではないな」と思った。遅ればせながら、「少子高齢化」という津波の本当の正体がようやく見えてきたわけだ。でも、残念ながら避難すべき高台が見当たらない。「若」対「老」の対立構造において、戦力差が圧倒的なのだ。

理想的な民主主義の構築は、理想的な専制君主制の構築と同じように難しい。  
Posted by buu2 at 14:42Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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大臣 宇田川町店

最近はなんか面白いラーメンってあんまりなくて、だから新規開拓もあんまりないんだけれど、渋谷をふらふらしていたら龍の髭の向こう側に知らない店があったのでちょっと入ってみた。以下、評価。

名称:大臣
種類:東京
場所:渋谷
評価:1/BCC
2011.5.20

11_05_20_205


コメント:
麺はやや細めで弱く縮れたもの。スープの絡みは標準的。コシはもう一つ。熟成が甘いのか、ちょっと麺の臭いが気になる。

スープは鶏ベースで、貝や野菜からと思われる甘みが前面に出ている。脂が強めな分味が濃いが、おかげで喉が渇く。丁寧にだしをとったというよりは無理やり整えたような味。正直なところ美味しいとは思えない。

チャーシューはささみ肉で、味は薄い。味付けも薄い。あごが退化した日本の若者向けということなのかも知れないけれど、美味しいとは言えない。

全体として作りが甘く、質の悪いチェーン店で食べているような感じ。それでいてお店は結構繁盛していて、僕が食べ終わる頃には店の外に5、6人待っている人がいる状態。この店に行列する感覚はさっぱり理解不能。今なら松屋の牛丼が安いよ、と言ってあげたい。この店が繁盛するってことは、ラーメン店も所詮味よりも立地なんだろうなぁ、と思う。何しろ、僕のブログを読んでいる人はこの店でラーメンを食べるのはやめたほうが良い。やや不調な渋谷でも、この店よりも美味しいお店はいくつもあります。

店名 つけ麺 大臣 宇田川町店 (つけめん だいじん)
TEL 03-6914-8766
住所 東京都渋谷区宇田川町31-9 近藤ビル 1F
営業時間 月〜土 11:00〜24:00LO 日 11:00〜23:00LO  

ウツボカズラが口を開けた

いつの間にか「カパっ」って口をあけているウツボカズラくんたちですが、昨日写真を撮っておいたら、今日口を開けていて、おかげで使用前、使用後を比較できることに。

使用前
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使用後
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いや、別にだから何だって、何でもないんですが。可愛いな、と。それだけです(笑)。  
Posted by buu2 at 02:43Comments(4)TrackBack(0)日記││編集

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フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展

11_05_20_207


地理学者を持ってくるなら、ついでに天文学者も借りてこいよなぁ、と思いつつ、Bunkamuraへ。フェルメールの絵の中では比較的好きな部類ではあったけれど、実物を見たら思ったよりもさらに良かった。本やウェブで見るよりもずっとシャープだった。

それにしても、ドイツとフランスの二国に地理学者と天文学者が分離して保有されているのは非常に残念だ。隔年で、どちらかの美術館に二枚揃えて置いておくとか、そういうことはできないんですかね?まぁ、盗まれたら困るか・・・・・。

もうちょっと早めに行ったほうが良かったんだけれど、時間がなくて終了間際の金曜日に観てきた。17時頃入館したんだけれど、その時点でも結構混んでいたので、フェルメールだけ先に観て、あとはスタートに戻って順番に観てきた。オランダ絵画は結構好きなので、色々楽しめた。屠殺された豚の絵がレンブラントかと思ったら違った。レンブラントは牛だったっけ。屠殺、解体中の家畜って、ありがちなモチーフなんだね。

日曜日までです。って、もう今日だね(笑)。きっと凄い混雑だと思います。ドイツで観たほうが良いかも。ほんとに、日本は近くで観ることができないし、混雑酷いし、「もうーー」という感じ。もっとさ、弘前とか、田舎でやれば良いんだよね、人気のある絵は。  
Posted by buu2 at 02:35Comments(0)TrackBack(0)美術││編集

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2011年05月21日

ケララカレーで学んだ面白いこと

なんか久しぶりに「カレーでも食べようか」という気分になって、ケララカレーを作ってみた。

それで、今日は、「もうちょっとさらさらのカレーにしてみようかな」と思って、レシピでは水を750と書いてあるところ、1200ぐらい入れてみた。

するとびっくり。人参とか、りんごとか、セロリとかの、ケララカレーのザラザラ感を演出する食材たちが全部溶けちゃって、普通のチキンカレーになってしまいました。

この写真は以前に作った奴ですが、

DSCN2915


何度作っても、こんな感じのザラザラ感があって、それが好きだったのに。普通のカレーになってしまうと、なんかがっかりだったりします。要は、失敗。やっぱり、レシピを守るのは重要です。

でも、「こうやったらどうなるのかなー」というのを試してみるのも結構楽しいんですよね。そうかー、水を増やすと、こんな風に全然違う料理になっちゃうのかー、と、そういう楽しみもあったりして。

いつもとは違うケララカレーを食べております。  
Posted by buu2 at 20:56Comments(0)TrackBack(0)料理││編集

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今日の朝日

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ガスっているところが朝日っぽい。  

チャンス到来

こんな記事が掲載されていました。

「直ちに」は「今の状況が続けば」の意味 枝野長官が苦しい釈明
http://www.j-cast.com/2011/05/20096160.html

枝野長官、面白い釈明をしていますが、ここは「はぁ?」とか、「広辞苑だとさ・・・」とかいって、その対応の稚拙さに突っ込む場面ではありません。こういう解釈の問題というのは自衛隊と憲法9条についてを例示するまでもなく、色々な考え方があるのでどうしようもありません。それよりもずっと重要なのは、今回枝野長官が示した解釈に沿って、政府に対してきちんとした要求を突きつけることです。では、どんな要求を突きつけるかですが、今一度、枝野長官の解釈を見てみます。

「『直ちに影響を及ぼすものではない』という表現を使っていたのは、原発の状況が流動的であったということ。つまり、さらに状況が悪化する可能性が高い、あるいは、その可能性が十分にある状況のもとで、したがって、原発の状況が現状であるならば、直ちには、影響するものではない」


つまり、当時の現状が悪化しなかった現在においては、「影響は出ない」と断言しているわけです。今後、また原発が爆発して大気中に大量の放射能がばらまかれたりしない限り、健康に影響は出ないわけです。

今、僕達が危惧しているのは、東北や関東に降り注いだ放射能による健康被害です。ところがこの健康被害は、「これは放射能の影響です」と断定できないものです。例えば10万人あたり、もともと50人のがん患者が存在するところで、そのがん患者数が51人になったところで、影響はあるわけですが、誰が放射線による増加分の「1」なのかがわかりません。しかし、枝野長官は「影響はない」と断言しているわけですから、仮に1人でも増えたのであれば、政府あるいは東電はその責任を負うべきです。じゃぁ、誰に?ということは現在の科学技術では決めることができませんから、ア.がん患者全員に対して補償を行う、イ.がん患者増加分の補償を、がん患者全員で頭割りする、ウ.がん患者増加分プラスアルファをがん患者全員で頭割りする、ぐらいが考えられます。

会見で枝野長官に質問できる立場の方、一番適任なのは岩上安身氏だと思いますが、会見におきまして、是非、この点について、1.影響はないと断言しているのだから、仮に1人でも統計学上有意な影響が見られた場合には、全員に補償を行うことと、2.その場合は前述のア〜ウの、どの対応をするつもりなのかの2点について確認していただきたいと思います。

ここは冷静に突っ込むと同時に、被害が統計でしか論じることのできない状況下において、万一被害が発生した場合にどう補償を行うのかを明確にしてもらう絶好のチャンスです。

どうやったら岩上氏に伝えられますかね。タイトルにとりあえず岩上氏のツイッターアカウントを追加しておきます。  

2011年05月20日

わかったのは九州大学がバカだってこと

九州大:入試の女性枠を断念 「憲法違反」と批判相次ぎ
http://mainichi.jp/life/edu/news/20110520ddm041100109000c.html

普通だと、責任者は引責辞任ですけれど、九州大学の場合は「やめましたーごめんなさいー」でオシマイですかね(笑)?

結果として、「九州大学はバカばかり」(運営だよ、学生じゃなくて)っていう評価だけが残りましたね。やっぱ、九州って男尊女卑なんですかね?年寄りばかりで決めたのかな。

関連記事:九州大学の女性蔑視が物凄くて笑える  

就職活動もそろそろ終了のようですが

そろそろ就職活動も佳境のようで、ツイッターとかでも「全滅です」とか、「終了です」とかの文字がちらほら見受けられる。まだ地方公務員の試験とかは実施されていないと思うので、完全終了ということではないと思うけれど、就職戦線が厳しかったのは間違いがないと思う。そして、それは多分今年だけじゃなくて、来年も、再来年も、当分の間、就職活動は凄く大変だろう。なぜって、地震で日本の経済状況が悪化したから。

東電がどう処理されるとしても、多分電気代は高くなる。電気代は企業にとってバカにならないコストで、それが高くなるんだから、代わりに人件費を削りたい、と考えるのがまず一つ目の理屈。もう、こんな国でやってられるかー、と製造業が生産拠点をアジアに移してしまう、というのがもう一つの理屈。そして、地震うんぬんの前から景気は悪い。これが三つ目の理屈。この三つの理由によって、日本での就職の難しさはほとんど良くならないと思う。

社会環境が厳しくなったとき、終身雇用によって既存社員のクビを切れない日本の企業は、必然的に新規雇用を絞る必要がある。クビを切れない社員は年功序列によってどんどん偉くなり、コスト高になる。終身雇用と年功序列のコンボが続く限り、状況は悪化していきそうだ。

ただ、そんな状況でも、僕の周りの知り合い達は特に就職に困ったフシがない。何故かって、僕の知り合いは東大、東工大、一橋がほとんどだから。別に僕が学歴を重視して付き合う相手を決めているわけじゃないけれど、なんだかんだで大学のスキー部人脈というのは強いというのがひとつ。あと、僕が通りすぎてきた会社や役所がこのあたりの人間が多かった、というのもある。僕の周りの学生は結果的にほとんどがこういう人たちだ(ちなみに会社は履歴書取らないので、そもそも社員の学歴を知らない)。早慶にはあいにくこの瞬間知り合いがいないけれど、先に挙げた3大学ほどではないものの、そんな悲惨な状況ではないんじゃないかな、と勝手に想像している。はっきり書けば、これまでの数年、そして多分これからも、「就職活動」という切り口では、日本には一流大学と二流大学とその他の大学しか存在しない。一流大学は東大と京大のふたつ。二流大学は東北、阪大、一橋大、東工大、早慶ぐらい。あとはもう全部一緒だ。時々、明大の奴が「俺たちは青学よりは上」とかしゃべっていたり、お茶大の子が「奈良女と一緒にされちゃァ困る」などとしゃべっていたりするのを小耳に挟むけれど、ぶっちゃけ、「就職活動」において三流大学に上下はない。この間も東大の博士課程の人とそういう話をしたけれど、理科大と上智とどっちが上かとか、そんなことには大企業の採用担当の人間はもう全く興味がないし、どうだって良い話なのだ。

少なくとも、大企業に就職することを考えたときに、大学の看板が役に立つのは二流大学までだ。だから、そういう会社に就きたいと思うなら、大学受験の時にちゃんと考える必要がある。あと、いわゆる学歴ロンダリングは使えない。履歴書には基本的にきちんと出身大学も明記されるからだ。そして、大学院からなら一流、二流大学に入るのが凄く簡単なことを、企業の採用担当者はもちろん知っている。日本における就職活動で大事なのは最終学歴ではない。大学の入試でどういう成績を取ったか、つまり、どこの大学に入学したか、である。なぜなら、大学での教育などに企業は何の期待もしていないからである。勉強の内容よりも、どんなバイトをしたかとか、どんな部活をして、そのクラブの中でどういう役割を果たしたのかに興味がある。

さて、ここからは理系限定。理系の場合、就職の手立ては2種類あった。ひとつは教授の口利き。もうひとつは自分の努力(就職活動という努力)。理系の大学院まで行った場合、「どこでも良いから」ということなら、就職は必ずできた。なぜなら、それが教授の価値だったからである。ただ、教授が押し込める企業は限られている。そこが気に入らないなら、自分で何とかする。以前はこれが当たり前だった。僕の場合も、「こことここなら入れてあげる」というオファーがあった。でも、僕はメーカーに行く気がなかったので、自分で勝手に就職活動をして、勝手に就職を決めた。これなんかはちょっと変わっている部類だった。基本的には、教授のつてか、あるいは研究室に残るか、だった。でも、最近はどうやら違うらしい。行き先がなくて困ってしまう学生が少なくないようだ。二流大学以上なら大学の看板でいくらでもなんとでもなるが(もちろん、間違って合格した馬鹿は就職できないけれど、これは例外)、三流以下の大学では教授の力しか依存するものがない。だから、研究室を選ぶ際は、その研究室の就職状況をきちんとチェックしておく必要がある。民間企業に就職したいなら教授の政治力は非常に重要だ。

本来、就職先が見つからないような大学はそれだけで敬遠されるべきだし、企業に学生を押し込めないような教授の研究室に人が集まるほうがおかしい。ただ、数年前までは、何とか全員を押し込むことができたんだと思う。残念ながら、そういう状況はもう終了したみたいだ。だから、就職活動で楽をしたいなら、二流以上の大学に行くか、三流以下なら良い先生(=政治力がある先生)を選ぶことが大切である(いや、二流以上でも大事だけど)。

ま、そうやって頑張って入るだけの価値が会社にあるか、とか、いつまでも既得権者としてやっていけるか、とか、不確定要素は山ほどあるんだけれどね。

#ちなみにうちの会社は365日、24時間人材募集をしております。
#なんども書いているけれど、履歴書は不要です。
#ただ、途中で「やっぱ、やめた」っていうのは会社にとっても物凄く負荷が高いので、覚悟のない人には無理です。
#以前、「不採用連敗記録」を自慢している人がうちの会社の面接に来ました。もちろん「採用」でしたが、「やっぱり自信がない」とご辞退されました(笑)。
#今の募集は主に「ヘアカットJP」とスキー用品の営業要員!!!
#「ヘアカットJP」については宮城県界隈、特に歓迎。
#だけど、「これをやりたい!」っていうのがあるなら、それはそれでオッケー。
#ただし、国の補助とか、委託金とかを目当てにするのは無理。うちは税金には基本的に手をつけません。
#学歴主義には是非あると思うけれど、僕は確率論としては意味があると思っている。確率論とは、一流大学の人材の方が三流大学よりも使える人材である可能性が高い、ということ。「細かいことまでチェックしていられない」という採用担当者が学歴でスクリーニングするのは普通のことだと思うし、「どっちにしようかなぁ」と迷った時も、学歴を参考にするのはそれほど突飛な話ではないと思う。  
Posted by buu2 at 08:37Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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放射能ふりかけの状況5/20版

放射能ふりかけの状況4/17版のアップデート版です。シートがでかすぎるので、GoogleDOCSで直接見てください。

シート

#突然新しく「お茶」が出てきてしまったので、無理やり野菜に入れてしまいました。おかげで神奈川の野菜の成績が突然悪化します(涙)。


以下、雑感

なんでお茶で騒いでいるんだろうと思っていたら、なるほど、物凄く汚染されている。これは多分、お茶が洗うことができないから。他の野菜は全部よーーーく洗ってから検査しているけれど、お茶は洗っちゃうと風味が飛んじゃうんじゃないだろうか。とにかく、他の野菜と比較して段違いにセシウムの汚染が大きい。神奈川県のお茶は飲めないね。茨城のお茶も無理。山梨も怪しい。気にする人は静岡も駄目だと思う。僕は飲まない。元データでは、お茶が登場するのは130ページくらいからなので、生データを当たってみることをお勧めします。

生データはこちら(厚労省のサイト、PDF)

逆に言ってしまえば、洗えない野菜の類はみんな結構汚染しているってことだよなぁ。カリフラワーとか?なんか洗えなさそう。

その他だと、福島は野菜、水産物は終了。頻繁に基準値をオーバーします。汚染されていないものはないと言っても良いくらい。肉は、気にしない人なら大丈夫。僕は食べない。牛乳については僕は飲まないけれど、飲みたい人はどうぞ、という感じ。茨城も野菜と水産物は汚染しまくっているので避けたほうが無難。牛乳も軽く汚染している。肉についてはデータ不足で判断できない。

千葉、埼玉、東京、神奈川といったところは神経質な人は野菜を避けたほうが無難。あと、千葉と神奈川の水産物も微妙。特に千葉はときどき高め。4月までは群馬の野菜も嫌な感じだったけれど、5月に入って落ち着いた印象がある。

あと、意外なところでは北海道の魚が微妙に汚染気味。

神奈川のあさりがやられていたのもちょっと意外。これは海流じゃなくて、陸に降った線源が雨で流されて、川から沿岸部にたどり着いたのかな、と想像。

ま、「私は政府を信じるよ」という人なら、福島、茨城の農水産物と神奈川のお茶を避けておけば大丈夫っぽい。あー、あと、千葉のデータが非常に少ない。新潟と対照的。僕はこういうスタンスは信用しないので、千葉も避ける。

間違いがあったらごめんなさい。そんなに酷いミスはないと思うけれど、何しろひとりでチクチクやっているので、ちょこちょこやらかしている可能性はあります。

そして、このアップデート作業で朝になってしまった。ちょっと、この更新作業は負担が大きすぎるので、継続できるかどうか微妙。あまり期待しないでください(笑)。肩がこった・・・・。

まとめ:
福島、茨城は何も食べない方が良い。
千葉は信用できない。
新潟は逆に信用できる。
お茶がヤバい。


#他にも思いつくところがあったような気もするけれど、ちょっと疲れたので休みます。ほな、ごきげんよう。  
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前方確認、左右確認、仲間割れ?

菅首相視察前、官邸に予測図=放射性物質の流れ確認?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110519-00000166-jij-pol

えーーーーと、全文載せちゃいますが、
 東京電力福島第1原発事故の発生直後の3月12日未明、放射性物質が原発の海側に向かうことを示す「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)の予測図が首相官邸に届けられていたことが19日、分かった。民主党の川内博史衆院科学技術特別委員長や政府関係者が明らかにした。
 川内氏らによると、予測図は3月12日午前1時12分、経済産業省原子力安全・保安院からファクスで送信された。第1原発1号機で格納容器の蒸気を外部に放出する「ベント」を行った場合、同3時から同6時までの間、放射性物質が全て海に向かうことを示す内容だった。
 3月12日朝に首相は第1原発を視察。SPEEDIの予測図は住民には長く公表されなかったものの、首相の視察前に放射性物質の流れを知るため利用されたのではないかとの疑念の声もある。川内氏は「首相はSPEEDIを自分のために使い、住民のためには使わなかったのではないか」と話している。
 

あれ?えーーーと、川内さんは民主党ですね?それで、菅直人さんも民主党ですよね???


えーーーーーーーーっと、これは、あの・・・・・仲間割れ????

いや、歓迎は歓迎なんですが、思いも寄らないところから火があがったというか。えーーっと、突然泊原発(北海道)が吹っ飛びましたとか、AKBに福山雅治が参加とか、宇宙人が南極基地を攻撃とか、なんかそんな感じです(笑)。  

2011年05月19日

大声で小言を叫ぶ前に調べておきたいこと

ネットをふらふらしているとときどき、とても勉強になるサイトにぶち当たることがありますよね!

長谷川亜由美さんという方の「表現力向上委員会」というサイトの、

レストラン検索サイトに足りないもの

という記事をご紹介させていただきます。この中で長谷川様は


なんで、ぐるなびやグルメウォーカーには
日曜日営業しているお店
という検索項目がないのだ!


と申しております。

駐車場があるのか
バリアフリーの店内なのか
車いす用トイレがあるのか
そういった設備面からも検索したいんですけど!


なるほど。

まったく使えないよな、大手グルメサイトは。
クチコミサイトもしかり。


ほほう。

世の中に、ゴミサイトを増やすなと、強く言いたい。


いや、まったくです。ゴミサイトは迷惑だと、私も思います。

ちなみに、私が知っている限りでは、アライクには、設備検索がありました。
http://alike.jp/


あぁ、アライクの宣伝をしたかったのですね。

誰もやらないなら、自分で探してきて、一覧つくっちゃおう。


ほほう。是非頑張っていただきたいです。ただ、業界最大手の、食べログには日曜営業検索機能があります。↓

tabelog


他に、ライブドアグルメでも日曜営業検索機能はあります。面倒くさいので、ここには画面キャプチャーはしませんが。

あと、車椅子の設備情報はないですけれど、キーワードで「車椅子」と入れれば、キーワードにあるお店はちゃんと引っかかってきます。

私は食べログは大嫌い(以前はベスト10に入るトップレビュアーでしたが、現在は全てのレビューにアクセスできなくなっております)なので別に宣伝してあげる義理はないというか、むしろタッチしたくないのですが、念のためお知らせさせていただきました。

今後のご活躍を期待しております。

あ、格好良いので、全部キャプっておきました。

alike


老婆心ながら、レストラン検索サイトに足りないものを指摘する前には最大手の動向ぐらい調査しておいた方が良いかも知れません。世の中には「本当の専門家」もおりまして、食べ歩きグルメサイトの専門家というのも存在します。ちなみに私は以前オールアバウトをやっておりました。  

放射能汚染農作物に対する行動指針 5月19日版

放射線の健康被害についてはまだ結論が出ていません。10年も前にはなりますが、例えば英国BBCラジオで討論の番組があったようです。

放射線のしきい値なし直線仮説の是非が討論される

放射線に対するスタンスはしきい値なし直線仮説(以下、LNT仮説)を支持するかしないかで変わってきます。ある人に言わせれば「この考え方が合理的」だし、またある人に言わせれば「ほぼ否定されている」となるのですが、結論は出ていません。例えば保守的な立場を取る小出裕章さん(京都大学)はLNT仮説を支持していますし(悲惨を極める原子力発電所事故―終焉に向かう原子力(第11 回)講演、http://chikyuza.net/n/archives/9063)、電中研原子力技術研究所はLNT仮説に懐疑的なスタンスです(LNT(しきい値なし直線)仮説について、http://criepi.denken.or.jp/jp/ldrc/study/topics/lnt.html)。

「LNT仮説とか、わけわかんねぇ」という人も多いと思いますから簡単にその考え方を書くと、

LNT仮説支持派
どんなに少量であったとしても放射線を被曝するのは良くない

LNT仮説否定派
ちょっとぐらいの放射線なら浴びても大丈夫

になります。LNT仮説の支持、不支持については、背後に色々とお金やら何やらが動いているフシがあって、有識者と言われる人たちの中でも中立な意見というのが見当たりません。というか、これに結論を出すにはデータが不足しているということのようです。そんな中で、無理矢理にでも「どっちにするのか」を決めることが非常に重要です。ところが多くの人が、このスタンスをきちんと決められないでいるようです。それは個人だけでなく、国も、です。

例えば、LNT仮説を支持しないと決めるのであれば、現在の生産地規制のようなものはあまり意味がありません。例えば牛乳の規制値が300ベクレル/キログラムで、目の前に500ベクレル/キログラムの放射能であれば、どこかよそから別の牛乳を等量だけ持ってきて2倍に希釈してしまえば、250ベクレル/キログラムになります。これはお米でも一緒だし、水でも一緒です。大事なのはどれだけの放射能なのか、ということで、目の前にある食べ物の放射能が基準値を超えているのであれば、基準値以下になるまで薄めてしまえば良いだけのことです。ですから、このスタンスに立つなら、きちんと生産物の放射能を測定し、基準以下になるように調整すれば良いのです。

一方で、LNT仮説を支持するのであれば、放射能に汚染されているものは一切食べるべきではありません。ただ、そうは言っても今関東のスーパーにあるものはほとんどが汚染地域からの農産物です。先ほどスーパーに行って見てみましたが、売っているネギは埼玉産と千葉産でした。これらは放射能に汚染されている可能性が高いと言わざるを得ません。もし、どうしても嫌だというのであれば、関東ではネギを食べることは非常に難しくなります。「それなら、ある程度のリスクには目をつぶります」ということになると、その際に重要なことは、そのネギがどの程度汚染されているのか、ということになります。

現在、国が見せている方針は、LNT仮説を支持している部分と、支持していない部分が混在しています。もし支持しないなら、上に書いたように、キャベツやほうれん草のような、大きくて、あまり加工せずに食用にする食べ物以外は、混ぜたり、希釈したりすることによって食用に適したものにすることができます。牛乳も、米も、よそのものを混ぜてしまえば良いだけですし、肉ならハンバーグとか、餃子とかに加工し、その際に非汚染の食材をブレンドすれば作為的に基準値以下にすることができます。

しかし、現状、国は一定量以上放射能に汚染したものは市場に出回らないようにしています。これは取りも直さず、国がLNT仮説に基づいて政策決定していることを示しているに他なりません。その場合は、農作物がどの程度汚染されているのかが重要になるはずなのに、それがなされていません。今、スーパーで農作物を見ても、その商品が何ベクレルなのかについては一切の表示がありません。わかるのは、「政府の基準を満たしている」ということだけです。LNT仮説を支持しないのであれば、「一定の基準以下の汚染にとどまっている」ということを以て市場に出ていることは構わないのですが、国はLNT仮説を支持しているではないのか、ということになります。

要すれば、国は基本的にLNT仮説を採用しておきながら、都合の悪いところだけLNT仮説を無視しているのです。こういうことを日本では「いきあたりばったり」とか、「いい加減」とか、「非論理的」などと言うのですが、民主党がそういう体質なので仕方がありません。

さて、国がこういういきあたりばったりな姿勢の場合、国民はどうしたら良いのでしょうか。指針は簡単です。まずは、LNT仮説を支持するのか、しないのかを決めましょう。「えええ、そんな難しいことを?」という人にはヒントを差し上げます。健康を重視するなら支持、経済性や利便性を重視するなら不支持です。ちなみに僕は支持します。

LNT仮説を支持しない場合
もう、怖いものは何もありません。厳密には、「支持するにしても、ラインをどこに引くかという問題がある」という意見もありうるのですが、幸いにして今市場に並んでいるものはかなり厳しめの基準に基づいているようです(ただし、主観)。それに、データがないんだから見分けもつきません。国が大丈夫と言っていることですし、もう福島産だろうが、茨城産だろうが、もりもり食っちゃいましょう。「これ、大丈夫なのかな?」などと一々気にすることは間違いです。ただちに健康に影響が出ることはありません。将来、「これは○○ベクレルです」と記載されるようになったら、そこでもう一度、「これはどうなんだろう」と考える必要が出てきますが、それまでは目をつぶって全部食べちゃうしかありません。

LNT仮説を支持する場合
福島県産、茨城県産はもちろん、千葉県や埼玉県の野菜も危険です。東京都、神奈川県、群馬県もダメです。宮城県もダメっぽいです。このあたりの野菜は食べないほうが身のためです。汚染状況はさっぱりわかりませんので、農作物の産地をチェックして、これらの地域のものだったら全部購入を見合わせましょう。「これ、大丈夫なのかな?」などと考えるのは意味がありません。全部ダメなんですから。将来、「これは○○ベクレルです」と記載されるようになったら、そこでもう一度、「これはどうなんだろう」と考える必要が出てきますが、それまでは全部購入を控えましょう。もちろん僕はこれらの地域の食べ物は一切購入していません。
  
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ウツボカズラが可愛いワケ

別にウツボカズラさんから口利きをお願いされたわけではないのですが、ウツボカズラさんが超絶的に可愛い理由を書きたいと思います。ウツボカズラさんはこのように、捕虫器をつけるわけですが、

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見ればわかりますけれど、この捕虫器には上下があります。上の方に虫の入り口があって、水の溜まっているツボの中に虫を誘い込みます。この、捕虫器のでき方が超絶的に可愛いのです。この捕虫器、どうやって出来上がるのかというと、葉っぱの先にツルが伸びてきて、それがクルクルっと丸くなります。

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そして、このクルクルっが、「どっちが上かなーー−」としばらく考えるんですね。それで、「よーーーし、こっちが上だっ!!」って決めると、そこから捕虫器のもとになる部分が出来てきて、膨らんでくるわけです。

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清少納言もこんな風に言ってます。

うえものはうつぼかづら。つほをつけるころいとをかし。蔓のくるくると丸まる頃はさらなり。やうやう膨らみゆく蔓の端のさまもはた言ふべきにあらず。


現代語訳
植物はウツボカズラが良いよね!ツボをつける頃が凄く良いっ!ツルがクルクルっと丸まる頃はサイコー。ツルの端っこがだんだん膨らんでいく様子ももちろん可愛いっ!



いや、嘘ですけど。可愛いのはホントです。  
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2011年05月18日

九州大学の女性蔑視が物凄くて笑える

<九州大学>入試「女性枠」見直し 「男子差別だ」苦情相次ぎ 来年度導入
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110518-00000009-maiall-soci

そもそもこんな枠がある事自体知らなかったんだけど、要は「女は馬鹿だから男と一緒の土俵で試験やらせると受からない。そうすると男ばかりになって見た目が悪いから、女性枠を作って無理やり押し込もう」っていうことでしょ?良く女性研究者たちが黙ってるね、これ。

将来的に「理系女子」の研究者を増やすのが狙いだったが、平等性への疑問の前に再考を迫られた。


なんで女性研究者が少ないの?女性が研究を続けるためのサポートが少ないだけでしょ。あと、女性は一般的に理科に興味がないんじゃないの?そういう性差はあるんじゃないのかなぁ。

例えば、「プラモデルを作るのが趣味です」という女子はあんまりいないし、「釣りが趣味です」という女子もあんまりいない。逆に「裁縫が趣味です」という男子もあんまりいないし、「お化粧大好き」という男子もあんまりいない。そんなのと一緒なんじゃないのかなぁ。

九大によると、女性枠導入の背景には、学内全体で8・7%という女性教員の少なさがある。中でも数学科の教員が所属する数理学研究院の教員66人のうち女性はわずか2人(09年5月時点)で九大の主要な研究院の中で最少。数学科の女子学生も254人中26人と約1割しかいない。


数学科に女子が少ないのは、数学が女子にとって魅力がないからでしょ?つまんないからでしょ?だって、薬学部とか、女子が多いよね。

あと、この調査の数字はあくまでも事実として、

九大は「女性研究者増は喫緊の課題。


これだけじゃ、なんで喫緊の課題になるのか、さっぱりわからない(笑)。でもまぁ、一応喫緊の課題って言うのも理解してみたとする。

まず入学者を増やすことが必要」として女性枠導入を決め、数学科の12年度後期入試で募集人員9人のうち5人を女性に割り当てることにし、昨年3月に公表した。


ひでぇ(笑)。女子5人よりも成績が良かったのに落とされちゃう男子は気の毒だし、同時に「あいつらバカのくせにお情けで入れてもらったんだぜ」と後ろ指を指され続けることになる女子学生も気の毒だ。

大体、僕が学生の時だって、東工大理学部の学生は154人で、女子は4人(笑)。その4人も化学科1、応物1、情報科学1、物理1とかで、数学科はひとりもいなかったんじゃないかなぁ。でも、そんなもんだよ。だけど、女性が数学が全然できないかといえばそんなこともなく、僕が高校の時、一番数学ができた奴は女子だった。平均点20点とかの試験ですげぇ点を取って、偏差値が100を超えちゃうようなバケモノみたいな子だった。人生においては、「偏差値って、100を超えることってあるんだ」っていうのを知ったのは「pHってマイナスや14より上もあるんだ」っていうのを知ったのと同じくらいに有益だったけれど、閑話休題。

九大入試課は「女性枠を目指して勉強している受験生もいると思う


いるのかよ!今の段階から「優遇してもらえる5人枠を目指すぞっ!」って?ありえない(笑)。予算を要求済みで廃止できないだけなんじゃないの?マジで格好悪いったらありゃしない。

同様の制度を導入した大学の中


もうあるのかっ!!

金沢工業大は08年度入試で女性限定の「女子特別選抜」を始めた


こんな大学知りません。私大でしょ?

内閣府によると、国内の女性研究者の比率は13%(09年時点)で米国より約20ポイントも低い。昨年12月に閣議決定した第3次男女共同参画基本計画では、15年までに女性研究者の採用比率30%を目標に掲げている。


研究者が少ないのは様々な理由があるはず。その中で問題なのは「やりたいし、能力もあるのに、環境が整備されていないおかげでやれない」というケース。そして、そういう部分も色々とあると思う。育児施設が大学のそばにないとか、あっても夜遅くまで預かってくれないとか。だから、そこをサポートするのは必要だと思うよ。だけど、国立大学が入学試験で女子を優遇するっていうのはひどい話だよ。

そんなに女性の研究者を増やしたいなら、お茶大と奈良女の理系定員を増やせば良いじゃない。

大体、日本の大学入試の良いところは、身分とか、育ちとか、貧富とか、ほとんど関係なしに平等の試験で差別なく受験できること。家がどんなに貧乏だろうが、勉強すれば大学に行って勉強できる。そういう機会の平等があるから良いんじゃん。

とりあえず九州大学が馬鹿なのはわかった。九州大学の卒業生たちが可哀想だ。

#ちなみに僕の時代は「数学科は全くつぶしがきかないし、変人が多いから人間関係も大変。やめておけ」というのが常識だったけど、今はどうなの?  

今日の夕景

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科学と気分とものの価格と

昨日の深夜、静岡県と神奈川県が「荒茶の放射能測定みたいな、余計なことはするな!」と国に要望書を出したというニュースがあって、こりゃぁ酷いと思って総統閣下動画を作ったわけですが、「これはひどい」となる理由は単純で、都合が悪いからといってそこにあるデータを隠すというのは国がとるべき姿勢ではないからです。データを取ったら最後、情報開示を迫られたり、漏洩したりする危険性もあるので、「そもそも検査するな」というのが神奈川や静岡の言い分なんでしょう。

ただ、これはビデオでも指摘しましたが、ひとつ重要な示唆があります。それは実際問題、汚染のない作物と混ぜてしまえば、科学的には問題が軽減される、ということです。

例えば、レタスとか、キャベツといった大きな固体の作物で、しかも日持ちがしないものは厳しいのですが、分かりやすいのは米です。ここに基準値の1.5倍の放射線を出す汚染米が10キロあったとします。そこに魚沼産コシヒカリを10キロ持ってきて、混ぜてしまう。きちんと均等に混ぜれば、基準値の0.75しかない、基準適合の魚沼産コシヒカリが20キロ出来てしまいます。政府の基準値を信用するのであれば、これで何の問題もありません。科学的には。ただ、気分の問題は残ります。「なぁんだ、気持ちの問題かよ」というなかれ。気持ちの問題はことのほか重要です。AKB48にうじゃうじゃいる女の子の中で誰が好きか、みたいなのも、映画「ブラックスワン」が日本で大ヒット!も、科学は二番じゃだめなのかどうかも、全部気持ちの問題です。どちらかと言えば、世の中は科学よりも気持ちで動いています。

お茶の葉問題でも明らかになりましたが、洗ったり、加工したりできるものについてはかなりの確率で、汚染生産物の放射能を人工的に基準値より下げることが可能です。その上で、混ぜることができるなら無敵ですね。福島産だろうが、茨城産だろうが、頑張れば、ほとんどのものが基準値以下に抑えることができるはずです。日本酒とか、味噌とか、こんなのは材料を混ぜてしまえばさっぱり分からなくなります。政府の基準値を信じる、市場に出回っているものは安心して口にする、というクラスターにとっては、怖いものは何もありません。もう、福島でも茨城でもどこでも構わないので、どんどん生産して、どんどん他県の生産物と混合してしまえば良いのです。サイズ的には・・・個人的にはイチゴぐらいだとダメですが、米なら大丈夫、ぐらいのサイズ感です。おそらく、「数が数えられるかどうか」が分水嶺になるのではないでしょうか。「少量なら問題ない」というスタンスに立てる人なら、これで問題は解決します。これは、皮肉でも何でもなく、事実として、です。一時期水道水のヨウ素が問題になっていましたが、これだってミネラルウォーターと一定割合以上で混ぜてしまえば、科学的には問題がなかったはずです。

だけど、「放射能は嫌だ、食べたくない」というクラスターももちろん存在します。目の前に、基準値(例えば10ベクレルとする)以上の放射能汚染作物A(例えば15ベクレル)、基準値内の放射能汚染作物B(例えば8ベクレル)、作物Bの半分だけ放射能汚染されている作物C(例えば4ベクレル)、全く汚染されていない作物D(0ベクレル)が存在したとき、あなたはどう考えますか?僕の場合は、まずDを買います。Dがない場合はAもBもCも買いませんが、どうしても食べたいものであれば、この3つの中であればCを買います。「全部基準値以下なんだから、BもCもDも一緒だよ!」という人もいると思います。そういう人は何の問題もありません。でも、僕の場合は、BとCとDの作物には明確な差異があります。ところが、今の行政はBとCとDを全部一緒にして市場に流通させています。

放射能は薄めることについては非常に柔軟ですが、その一方で物凄く少量でも検出が可能という欠点もあります。薄めても、薄めても、どんだけ薄めても検出されてしまいます。ただちに健康に影響がでないとしても、放射線は検出されます。そして、その放射線が嫌いな人も存在するわけです。誰かが「総量20ミリシーベルトまでは影響がない」と言ってくれても、1μシーベルトでさえ被曝したくない人も存在します。今の国の姿勢はこの気持ちを無視しています。データがないのであれば仕方がないのですが、税金を使って数値を調べておいて、彼らの給料という、首根っこを押さえた学者たちを集めて話し合いで決めた暫定基準に照らし、それ以下であれば市場に出してしまいます。スーパーに買い物に行った消費者がわかるのはその商品の産地だけです。ですから、「放射能は嫌だ」という人たちは、これらの商品の汚染度にかかわらず、これらの商品を忌避します。少なくとも僕は、もうすでに茨城、埼玉、千葉あたりの野菜は買わないことにしています。

残念ながら現状においては放射線はどんな人でもいつでもどこでもきちんと計測できるわけではありません。誰か、偉い人が計測してあげる必要があります。そして、計測してくれる人がいなかった場合、一般の人達は、目の前にある商品がどの位放射能汚染されているか、判断ができません。放射能の汚染度がわからないのであれば、汚染されている可能性のあるものを買わなくなります。

静岡県と神奈川県が生産者保護の視点から「荒茶の放射能測定をやめてくれ」と言いたくなる気持ちもわからないではありません。しかし、それは「みんなに飲ませてしまえば別にどうってことないでしょ」というもので、国民の気持ちを全く無視しています。簡単にいえば、自分勝手、です。では、なぜそうやって自分勝手になってしまうのでしょうか。静岡県や神奈川県の政治家の質が低い、というのも間違いなくあります。ただ、彼らは「次の選挙で当選するため」に働いている人たちで、選挙で投票券を持っていない、県外の人たちの意向などはどうでも良いのです。重要なのは県民なのであって、これは全く普通の感覚です。だから、彼らが国民の気持ちを犠牲にして、県内の有権者の便宜をはかろうとするのは当たり前です。しかし、ここでも忘れてはならないことがあります。それは、静岡県にしても、神奈川県にしても、犠牲を国民に求めることだけが手段ではないはず、ということです。仮に、荒茶段階で放射能測定を実施し、それによって静岡県や神奈川県のお茶の価格が下がったのであれば、それは原発の爆発によって生じた「被害」です。だから、それを東電に支払わせれば良いだけのことです。両県は、「検査するな」ではなく、「検査によって出た損害は原発の爆発によって生じた被害であると認めろ」と迫ることもできるはずです。僕はむしろ、こちらをやるべきだと思っています。

ものの価格は、科学だけで決まるわけではありません。科学があって、それを気持ちが評価して決まります。そのためには、「この商品は○○ベクレルです」といった数値の提示が必須になります。放射能活性を測定するところが「科学」、その数値に対して妥当な金額を決めるのが「気持ち」です。こういう体制がきちんと構築されれば、今回のようなお茶の話も別に問題にはならなくなるはずです。単に「このお茶は荒茶段階で○○ベクレル/キログラム、お茶っ葉段階で○○ベクレル/キログラム、そして××県産の被曝なしのお茶っ葉とブレンドすることによって、最終的には○○ベクレル/キログラムになっています」と表示すれば良いだけのことです。

僕たちは多分、首都圏に住んでいる限りは一生(多分、50年とか、100年とかのオーダーで。福島ならもっと長いオーダーで)放射能と付き合っていかなくてはならなくなりました。今、この瞬間に「○○シーベルトまでの被曝なら安心」という結論が出せない以上、その状況は50年後ぐらいまでかわりません。なぜなら、これから数十年かけて、日本人の体を利用した生体実験が実施されて、初めて結論が出せるからです。そうした状況においては、大事なのは御用学者が集まって決めた基準値ではなく、目の前にある商品が何ベクレルなのか、何シーベルトなのか、です。

福島、あるいは関東に住み続けるのも、茨城産や埼玉産の野菜を食べるのも、全ては自己責任です。ただ、自己責任に帰着させるためには、情報の提供が必須です。農水省などは調子こいて「風評被害」という言葉を振りかざしていますが、原発問題に関しては基本的に「風評被害」は存在しません。あるとすれば、原発事故以前に収穫された農産物が市場で忌避されることぐらいです。そして、これすらも、その原因は行政がきちんと情報公開しないからに他なりません。

行政はなるべく責任を回避し、放射線被曝や金銭的損失といった「被害」をなるべく広く薄く、国民に押し付けようとしています。僕たちはそのことをきちんと指摘して、そういう姿勢を崩さない現在の政府を厳しく糾弾していくべきだと思います。

関連エントリー
放射能 薄めてしまえば 怖くない?
静岡県と神奈川県のお茶は放射能汚染されているという結果が出ると困るので、検査をやめて欲しいらしい  

放射能 薄めてしまえば 怖くない?



参考資料1
放射性物質:「荒茶」検査に静岡県が反発 要望書を提出
http://mainichi.jp/select/science/news/20110518k0000m040096000c.html

参考資料2
茶葉などから通常を上回る放射性物質 静岡
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110511/szk11051118450013-n1.htm

関連エントリー
科学と気分とものの価格と


本動画は「ヒトラー 〜最期の12日間〜」(2004年、ドイツ/イタリア)の1シーンを転用しております。「ヒトラー 〜最期の12日間〜」につきましてはこちらにレビューを載せました。

ヒトラー 〜最期の12日間〜

この映画はTSUTAYAでも置いてあると思いますが、もし「欲しい!」という方がいたら、こちらでどうぞ。

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静岡県と神奈川県のお茶は放射能汚染されているという結果が出ると困るので、検査をやめて欲しいらしい

国が隠蔽体質なんだから、自治体が真似したくなる気持ちはわかる。

放射性物質:「荒茶」検査に静岡県が反発 要望書を提出
http://mainichi.jp/select/science/news/20110518k0000m040096000c.html

でも、僕はもう静岡のお茶は飲まないよ。僕の中では静岡は終了。少なくとも、今の知事(要望書を出したのは副知事でも、副知事の独断ということはないはず)が辞めるまでは。

だって、これ、どういう意味だかわかる?お茶を飲むのは国民。静岡県の知事の評価を行うのは国民じゃなくて静岡県民。その中には当然お茶の生産者がいる。これは、自分に投票してくれる人たち。政治家は基本的に「次も当選するために頑張る」というのが行動原理。日本の国民に迷惑をかけたとしても、それは票につながらない。一方で、お茶の生産者は票を持っている。だから、生産者の便宜を図る。

当たり前といえば当たり前かも知れないけれど、さて、そのおかげでお茶の消費量はどうなるんですかね?

国がやっていることがあべこべなんだよ。放射能ふりかけをかぶったら全部被害なんだから、東電に補償させれば良いだけのこと。何故か国が東電の肩を持って、補償額を少しでも減額させようとするからおかしなことになる。悪いのは政府。悪いのは民主党。

だって、お茶の生産者だって被害者だからね?

#でも、こういう愚策に出た静岡と神奈川の知事はさっさと辞めてもらったほうが良い。だって、放射能ふりかけのかかったお茶を国民に飲ませることによって再選を狙っているんだもの。  

実名であることの意味に関する2題

昨日、ホリエモンがツイッター上で新橋雅美というお姉さんに絡まれていた。現場はこちら。

プライベートのホリエモンを取材したTBS記者を援護する人

要は、プライベートな場にいたホリエモンに対して取材したTBSの白畑氏をホリエモンが非難したら、白畑氏の奥さんの友達と称する新橋雅美さんが出てきて、一般人なんだから実名で批判するのはおかしいとか、小さい子供がいるのに家族がかわいそうとか、部署と実名を出すのは失礼だとか、顔写真で名前が出てしまいまるで犯罪者扱いだとか、色々書いていたわけです。

これ、ホリエモンが独自に調査して、秘匿されていた個人情報(でも、名前は個人情報じゃないと思うけれど)を暴露したというのならともかく、名刺を出して「取材させてくれ」としたのであれば、それに対してホリエモンがどう対応しようと勝手である。つまり、名前を出すということはそういうリスクを負う、ということなのだから。

名刺は出しましたけれど、リスクは負いたくありません、全てナイショでお願いします、というのなら警察手帳みたいなものを見せれば良いだけのこと。実名を出すことに重みがあるのは、そういうリスクを負う、ということ以外に特段の理由がない。この新橋雅美さんも、自分のつぶやきはソッコーで削除した様子だけれど、もちろんこうやってtogetterに残っているし、「shimbashimasami」で検索すればRTされた文面が山ほど引っかかってくる。

検索結果

名前を出すことは、リスクを負っているからこそ重みがあるのだ。


続いて、「生化学若い研究者の会」というサイトがある。ここで、5月16日付で「お知らせ : 第2回東北地方太平洋沖地震に関する生命科学系学生へのアンケート」という記事がアップされた。

第2回東北地方太平洋沖地震に関する生命科学系学生へのアンケート

それで、アンケートはどういう内容なのかな、と思ってたどってみると、不具合があるようで「開始する」から先に進むことができない。丸一日、ずっとこのままである。このサイトを教えてくれた知り合いに、僕はフェイスブックで次のように書いた。

その1
一週間放置って、どうなってるのですかね(笑)。まぁ、ゆとりじゃ仕方ないか。


↑注釈:「一週間」というのはブログの日付を参照すると違うかも知れない。中のお願いの文書に「5月10日」と書いてあったので、5月10日に載せたのかな、と考えた次第。でも、ブログの日付は16日なので、16日にアップされたのかも。だから、一週間放置ではないかも知れません。

その2
ウェブ会社をやっていると、こういう「ちょっとしたミス」が避けられないのはわかるんです。これは仕方ない。それがずっと放置されているというのは理解不能。フェイスブックだってツイッターだってミクシィだって良いんですが、情報共有のプラットフォームはいくらでもあるはず。「これだから学生はダメだっちゅうの」という感じ。僕なら、これに名前を連ねている奴は全員採用しません。能力ないのが明白。


まぁ、そのまんま。それで、載っている名前はこの人達。

被災地調査のメンバー
山元孝佳(東京大学、リーダー)
飯島玲生(大阪大学、センター事務局長)
梅澤雅和(東京理科大学)
小林晃大(東京工業大学)
鉞陽介(東北大学卒業)
松浦まりこ(首都大学東京卒業)


わざわざ実名を載せいているんだから、別にここに転載しても構いませんよね。じゃなければ、載せる意味がないし。「アンケートをお願いします」と、お願いしている(←これ、大事)にも関わらず、不備があって、しかも丸一日以上放置されている。

さて、いつになったら修正されますかね(笑)?


ちょっと前まで、日本においてはネットは匿名主義が普通で、あまり実名っていなかった。でも、最近はそうでもない。多分、実名のほうが重みがあるからだと思う。だけど、重みがあるということは、負っているものも大きいということ。「そんな風に利用されると思わなかった」というのは通用しない。ポイントを上げるも下げるも、行動次第。

もう、10年以上も前から実名でネットを利用してきている僕からのワンポイントアドバイスでした。  

2011年05月17日

Amazonの著者ページ

なんか、Amazonに著者ページとかいうものができたらしいので、登録してみた。

略歴のところに何を書いたら良いのかわからず、ウィキペディアを見に行った。

適当に切り貼りして掲載した。

のは良いのだが、ウィキの記述。

ウィキの元木

一番下の方。

東北大震災にあたり、仙台の被災者からの要望に答え、いわゆる総統閣下シリーズのMAD動画「買い占めするならカネ送れ」を制作。一晩で10万回以上再生されたが、2日後に削除された。以後、「シーベルトについて」「ベクレルとシーベルトについて」と啓蒙ビデオを連発し、「おっぱいぷるんぷるん社長」と呼ばれるようになった。


素晴らしいです。ありがとうございます。そして、ふと気が付きました。こ、これは・・・・、と。

「おっぱいぷるんぷるん 社長」でググると・・・・

検索結果

はい、そうですよね。ありがとうございます!!!こんな注意書きも意味がなくなりました(笑)

言っているそばから面白半分でクリックするから・・・  

2011年05月16日

言ってるそばから

d36352b9.jpg切るバカもいる
  
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被災から二ヶ月以上経つけれど

今日になってもまだこんなに大きなガラスの破片が台所から出てくる。踏まないように気を付けないとなぁ。

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ウツボカズラは面白い

以前は研究会に入るくらい食虫植物を集めていたのだけれど、ベランダの温室が風で倒れて壊滅して以来、栽培はこじんまりとやっている。食虫植物というとみんな大抵ハエトリソウを思い浮かべるけれど、実はあれはわりとすぐに飽きると思う。次に簡単なのがモウセンゴケなんだけれど、これは栽培してみると結構小さくて、ダイナミックじゃない。そこから先は色々なんだけれど、結局のところウツボカズラ(ネペンテス)に行き着く人が多いんだと思う。こいつはとにかく可愛い奴だ。

最初、葉っぱの先からつるのようなものがくるくるっと伸びてくる。

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ちょっと油断しているとこれが膨らんできて、いつの間にか、つぼみたいになってくる。

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だんだん大きくなってきて、「そろそろ蓋が開くかなぁ」というのがこれ。

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それで、ある日、ぱかっと開くわけだ。

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同じところから生えているのに、こちらはこんな色だったりして。

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日当たりの都合だろうか。訳分かんない。でも、そこが良い(笑)。

来月になったら、伸び過ぎた茎を切って、挿し穂にしようかな。  
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2011年05月15日

うそつき東電、隠蔽東電

津波前に重要設備損傷か 福島第1原発1号機、地震の揺れで 建屋で高線量蒸気 耐震指針、再検討も
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110515/dst11051502000005-n1.htm

あれ?津波が来る前に壊れていたの?原子炉は揺れに耐えたんじゃなかったの?  

今日の朝日

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