2016年10月31日

Hank’s Oyster Bar Capitol Hill店

Hank’s Oyster Barはこれまでにアレキサンドリアとデュポン・サークルの店に行ったことがあったのだが、せっかくなのでキャピトル・ヒルの店にも行ってみた。注文はいつもどおりロックフェラーと、と言いたいところだったのだが、他の二店ではメニューにあったロックフェラーがこの店では存在しなかった。残念。ということで、生牡蠣全種類とクラムチャウダー、牡蠣フライを注文。
















結論だが、牡蠣はどこで食べても、日本が一番うまい。

Hank’s Oyster Bar
633 Pennsylvania Ave SE
Washington, DC 20003
b/t S 6th St & S 7th St
Capitol Hill
(202) 733-1971  

2016年10月30日

Bjorn Okholm Skaarup : Carnival of the Animals

そうだ、こっちが主目的だったんだ。つい、ステンドグラスに注目してしまった。














  
Posted by buu2 at 23:05Comments(0)TrackBack(0)美術││編集

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Washington National Cathedralのステンドグラス Nikon D7000編

レンズはAF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G EDで、撮影データはiso6400 f/5.6 1/2000。









































































比較のために、RICOHとNikonと、レタッチなしで掲載してみた。

RICOHはこちら
Washington National Cathedralのステンドグラス RICOH GR DIGITAL IV編
http://buu.blog.jp/archives/51535460.html

ちなみに一番のお気に入りはやはり理系っぽいこれ。

  

Washington National Cathedralのステンドグラス RICOH GR DIGITAL IV編















































  

Washington National Cathedral

Carnival of the Animalsを開催中ということなので、ワシントン国立大聖堂に来てみた。ここへくるのはもう3度目だが、日曜日は館内が無料開放されているので、初めて中にも入ってみた。
















ステンドグラスのたぐいはあとで別エントリーで詳細に紹介するので、ここではざっと。






















最上階からの眺めはこんな感じ。
















東海岸は地震がないから建物でかいなぁ、と思っていたら、5年前に結構でかい地震があって、そこそこ被害が出たらしい。教会の中に色々被害に関する資料が展示されていた。  

2016年10月29日

Pleasant Pops Farmhouse Market

アダムス・モーガンというか、デュポン・サークルというか、まぁその辺に美味しいアイス屋さんがあると聞いて行ってみた。










オバマ大統領も来たらしい。




が、味の方はどうなんだろうね?僕はそんなに美味しいとは思わなかった。こっちの人の料理の評価は、単純に味だけじゃないんだよな。有機とか、天然とか、重視するんだよね。あと、「味はともかく、従業員に優しい会社だ」とか。そういう国民性。

Pleasant Pops Farmhouse Market
1781 Florida Ave NW
Ste G
Washington, DC 20009
Adams Morgan
(202) 558-5224  

風が吹けば桶屋が儲かる

ジョージタウンのエステート・セールに行ったのだが、収穫がなかった。でも、このあたりはおしゃれな家が多いので、みんなハロウィンに気合を入れている。それを見るのはなかなか楽しかった。


































それで、デュポン・サークルでタイ料理を食べて、バスで家に帰ったら、フレンドシップ・ハイツのあたりがパトカーやら消防車やらで大にぎわいである。




これは何が起きたのか、と周囲をふらふらしていたら、デパートのショウウィンドウの中に可愛いペンギンとカバを見つけた。







Bjorn Okholm Skaarupという人の作品らしい。テンレイ・タウンのでかい教会で展示をやっているようなので、明日見に行ってみよう。  
Posted by buu2 at 18:32Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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The Regent

デュポン・サークルにあるタイ料理屋さんに行ってみた。






















yelpで評価が高かったんだけど、予想通り、アメリカナイズされたタイ料理だった。辛口メニューは4段階で辛さ調節ができるのだが、二番目に辛いはずの「Hot」を注文したら「大丈夫?」と心配された。そのあと、一番辛い「Thai Hot」も注文してみたのだが、結果は惨敗。米国人はこの程度の辛さで音をあげるのだろうか。少なくとも、僕には全く物足りない。

色々と食べ歩いてみてわかったのだが、米国のグルメサイトによるタイ料理の評価は全くあてにならない。なぜなら、こちらの人はおしなべて辛い食べ物が苦手で、そのままのタイ料理は食べることができないようなのだ。

ということで、ワシントンDC周辺のナンバーワン・タイ料理屋はナバ・タイに決定であろう。

The Regent
1910 18th St NW
Washington, DC 20009
(202) 232-1781  

ホール・フーズ・マーケットのステーキ肉

WHOLE FOODS MARKETでサーロインステーキ肉を安売りしていた。一番小さいサイズでも2パウンド以上あるのだが、食べられるかなーと思いつつ購入。




焼いてみたら、こんなことに。




米国人、肉食いすぎだろ。何日分だよ、これ。  
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2016年10月28日

トレジョのおしゃれなGINJER BREW

トレーダー・ジョーズでGINJER BREWという飲み物を売っていたので買ってみた。







おしゃれなジンジャエールという感じだが、飲んでみると別に普通。僕はジャイアントで売ってるカナダドライのダイエットジンジャエールで良いや。30本で10ドル(500mlで33円ぐらい)なので。日本のデフレ感覚を米国に持ち込んで生活中。  
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2016年10月27日

NORDSTROM rack 新規開店

そこそこ良いところのデパート、NORDSTROMのアウトレット店がrackなのだが、DCにはすでに1店舗存在していた。それなのに、なぜか比較的近い場所に新店舗が開店した。その辺の事情はさっぱりわからないのだが、普段から安いrackなので、グランド・オープニングではさぞかし派手に安売りを展開するのだろうと期待していたら、さにあらず。行き交う人もあまり注目していない様子で、すでに心はブラックフライディに行ってしまったようだ。




ということで、店内を1時間ほど物色して、何も買わずに帰ってきた。  
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2016年10月26日

やっと暖房がスタート

うちのアパート(日本で言えばマンション、18階建て)は共同エアコンで、冷暖房が一斉に供給される。だいぶ寒くなってきていたのでいつから暖房が入るのかな、と思っていたら、ようやく今日になって暖房が開始された。

でもこれ、停電になったらやっぱり寒いよなぁ。止まったら、スタバに避難だな。

追記:今調べたら、今日の最低気温は8度だったらしい。そりゃ寒いよ。急激に寒くなりすぎ。  
Posted by buu2 at 17:25Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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2016年10月25日

ジェネラリスト偏重によって国際競争力を下げ続ける日本と、その対策

電通の過労死問題を機にちょっとだけ盛り上がっている労働問題だが、いつも言っているようにほとんどの人が本質に切り込めず、また分かってはいても言及できずにいる。だいたい、ちょっと思いついて語る意見、いわゆるjust ideaに傾聴する価値があるものが多いはずがない。

そんな中、以下のコンテンツは、一年前に発表されているのだが、かなり良くまとまっている。

日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2015/japanese-labor-productivity-levels/

ただ、ところどころで言葉が足りない感じがするので、「この視点が欲しかった」ということを書いておきたい。それは、社会で求められている人材の質がジェネラリストからスペシャリストへと変移しつつある中、日本は相変わらずジェネラリストの育成に終始している点である。

例えば、生物系研究者のキャリアを見てみても、若いうちはテクニカルスタッフのような働きを任され、やがて自分で研究するようになり、そしてマネージメントや教育へと立ち位置が変わっていく。研究という意味では一本軸が通っているのだが、「技術者」、「研究者」、「教育者」あるいは「管理者」と役割が変わっていき、同時にそれに求められるものは「労働力」、「思考力」、「指導力」あるいは「政治力」と変わっていく。日本ではテクニシャンの評価が非常に低いので、ほとんどの人が研究者を目指すのだが、精力的に研究できる期間は結構短くて、偉くなっても研究室のマネージメントに忙殺される、という話も珍しくない。日本が特異的なのは、このキャリアパスをほぼ全員に適用する点である。つまり、生涯テクニシャンとか、研究一本で教育にはノータッチといったスペシャリストのキャリアパスがほとんど存在しない。理研時代に榊さん、林崎さん、横山さんという三人のプロジェクトリーダーたちをそばで見てきたけれど、彼らが試験管を持つところを見たことがなかった。プロジェクトリーダーとは、お金を取ってきて、研究者たちを差配するだけの存在だった。おそらく、この先、彼らが試験管を手にすることはないだろう。

全ての研究者たちがこういったキャリアパスを希望しているなら構わないのだが、生涯技術だけに特化したいとか、教育に専念したいというタイプも当然存在するはずで、そういう人がスペシャリストに育つはずなのに、実際はジェネラリストばかりが量産されている。

実はこれは終身雇用、年功序列の日本社会にはとてもフィットした手法だった。ジェネラリストなら、いつ、どんな配置転換があっても、すぐに適応できる。誰かが死んだとか、誰かが退職したという事態に簡単に対応できる。草野球チームでみんなが全てのポジションをこなせるなら、ピッチャーが急用で参加できなくなっても、誰かが代わりにピッチャーをやれば良い。

ところが、時代は変わり、各人に要求されるスキルのレベルがアップした。草野球なら良かったけれど、プロ野球だと、付け焼き刃のピッチャーなど通用しない。どのポジションにも相応のスペシャリストが必要になってくる。そうしたとき、ジェネラリスト集団は決して一流になることができない。

では、一流のスペシャリストを揃えれば良いではないか、となるのだが、ここで障害になってくるのが「終身雇用」という制度である。よそのチームに凄く良い内野手がいるのに、自分のチームの内野手のクビを切れなければ、誰かを飼い殺しにする必要が出てくる。現実的にはそれは難しいので、優秀な選手の獲得を諦めざるを得なくなる。

あるいは、もっとドラスティックに、「野球は斜陽なので、みんなでサッカーやろうぜ」となった時にも、野球選手たちはお荷物になる。お荷物はクビにできたら良いのに、それができない。

こうした事態の具体例がカネボウである。繊維産業はすっかり斜陽で全く採算が取れなくなってしまった。せっかく化粧品部門が堅調なのに、トータルで見ると経営は悪化の一途。それでも大規模なリストラには踏み切れず、社内では対応不能に陥り、最終的には外部の協力を得て解体された。

労働者たちは、労働力の流動化そのものには反対しないのだが、それとセットで語られる解雇規制の緩和には非常にナーバスだ。そのせいで、日本の労働環境は一向に改善されず、企業の国際競争力は低下する一方である。解雇規制という目の前の毒を恐れて、結果的に自分の立っている地盤そのものが急速に弱体化していることから目を背けている。これは浸水が進んで沈没しそうな大型客船で、自分の部屋にだけは水が入ってこないように土嚢を積んでいるようなもので、事態は全く改善せず、むしろ死期を早めているだけである。そのことについてはOECDも再三勧告を出しているのだが、事態は一向に改善しない。世界経済フォーラムの2012年のリポートでは、社員の雇用・解雇のやりやすさに関するランキングでは、日本は144カ国中134位と最低レベルである。
出典:「アングル:道険しい安倍政権の雇用改革、際立つ日本の硬直性」
http://jp.reuters.com/article/l4n0fh2fk-angle-japan-employment-idJPTYE96B01G20130712?sp=true

こういうことを僕は10年ぐらいこのブログで書いてきているのだが、多分、10年後も日本は今のままの硬直した労働市場を維持しているだろう。それは、解雇規制の緩和を忌避する人たちが大勢いるのだから仕方がない。そこで、特に若い人に言っておきたいのは、職場は日本だけではないということだ。日本よりも環境の良い国は他にある。だから、「あっちの方が良いな」と思った時、それがきちんと選択肢になる必要がある。その時に要求されるのが英語力である。英語だけはちゃんと勉強しておくと良い。特に、リスニング能力は磨いておけ。英語ができないから日本を脱出できない、という事態だけは避けるべきだ。  
Posted by buu2 at 14:29Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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2016年10月24日

そろそろハロウィン

本場のハロウィンは家庭で楽しむのが中心。










日本へ導入されるとなぜか大きなお友達の楽しみになってしまうのはクリスマスと一緒?

これは街中にあった蜘蛛の巣。


  
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2016年10月23日

英語における複数形のカタカナ表記に関する雑感

語学学習は文法と語彙の2つが必要だ。

このうち、文法は、ネイティブなら自然に身につくが、非ネイティブの場合は論理的な記憶が必要になる。その例として挙げられるのが英語における複数形の発音である。英語の複数形末尾の発音には[s]、[z]、[iz]の三種類があるが、無声音(p、t、f、k)の後は[s]になる。例えばbookはbooksのとき、ブックスになる。この例を覚えておけば、他のkで終わる名詞の発音についても連想可能になる。hookや、sockや、lockなどは1つ1つ覚えなくても、book1つを記憶しておけばこと足りる。

ところが、ここで問題になるのが、身近にある間違い英語である。その代表例が大リーグのチーム名である。

インディアンス、ドジャース、ヤンキース、エンゼルス、カージナルス、カブス、ブレーブス、パドレス、タイガースは全て音をカナにあてはめていると考えれば間違いである。もちろん、日本のタイガースも、イーグルスも間違いである。インディアンズ、ドジャーズ、ヤンキーズ、エンジェルズ、カージナルズ、カブズ、ブレーブズ、パドレズ、タイガーズ、イーグルズが正しい。

文法を記憶する際、特に簡便なのが母国語化している例から類推する方法なのだが、それが間違っているのだから話にならない。これを念頭に入れて英語の文法を考えてしまうと泥沼だし、私が意地悪な入試担当なら、この手の問題をてんこ盛りにするだろう。日本のマスコミは、「外人」のようなどうでも良い表記については早々に「外国人」へ変更するくせに、なぜ、こちらは間違いを認めて早急に対応しないのか、不思議でならない。以前からアクセントは長音で表記する方が好ましいケースが多いと書いているのだが、コミューニケイトはコミュニケイトでも間違いではない(ネイティブに対してはもちろんコミューニケイトの方が通じやすい)。でも、インディアンスも、ドジャースも、明確に間違いなのである。日本語に適切な表現方法がないならまだしも、インディアンズ、ドジャーズと書けば良いだけなのだ。

日本人は英語の壁によって孤立しがちだが、ちょっとした配慮だけでその壁に小さな穴を開けることができる。マスメディアがメジャーリーグのチーム名表記方法を変更することは、簡単にして、効果が期待できる手段の1つである。

マスコミは馬鹿だから、やらないと思うけど。

もちろん、阪神や楽天が公式名称を変更するのも1つの手だが、以下略。

こういう細かいところからでも日本人の英語力は確実に向上するはずなのだが、残念でならない。  
Posted by buu2 at 12:41Comments(0)TrackBack(0)ワシントンDC││編集

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2016年10月22日

鹿に注意

こちらで普通に見かける哺乳類にはリス、ウサギなどがいるんだけど、厄介なのは鹿。こいつら、普通に道に飛び出して来るので、良く交通事故を起こすらしい。車を運転する際は人間だけでなく鹿にも注意が必要。

まぁ、最近は長野あたりでも鹿や猿がほいほい道を歩いているけどね。










そういえば、今度、ディア・ハントに行こうという企画があるんだった。  
Posted by buu2 at 17:22Comments(0)TrackBack(0)ワシントンDC││編集

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2016年10月21日

ブラック国家日本から脱出せよ

電通の過労自殺に関して
大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ

出典:長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない
http://buu.blog.jp/archives/51534531.html

と書いたけれど、若干補足しておく。

まず訴えたいのは、長時間労働は日本が抱えているたくさんの労務問題のうちのひとつだということだ。そして、その問題は単体では解決できない。

サッカーでいえば「得点力不足」という日本代表の問題点があって、じゃぁそこにメッシを連れてきたら全部解決するかといえばそんなことはない。ロナウドを連れてきたとしても、メッシを連れてきたとしても、それにあわせてチーム戦術を変えなくてはならない。それは、場合によってはゴールキーパーの選出にも影響を及ぼす。様々な要素が絡み合っていて、フォワードをひとり変更すれば万事オッケーというわけではない。

そこで、長時間労働を改善したいなら、最終型を描け、というのが先にあげたエントリーの主旨なのだが、なぜ最終的な姿をイメージしなくてはならないのかをわかっていない人が多そうだ。

ゴールセッティングが重要な理由は、おおよそ次のようなものである。

●フォーカスすべきポイントが明らかになる
●到達すべき目標が明確になる
●当事者を従事しつづけさせる
●予定よりも遅れたとしても諦めないで済む
●モチベーションが持続する


逆に、最終型が不明確だと、何をやって良いのかわからないし、目標が達成できたかどうかもわからないし、当事者も飽きてきちゃうし、予定より遅れたら諦めてしまう。目の前にある問題が独立して存在するならともかく、社会の中で必然的に生まれている状況ならば、社会全体を変えなくてはならないし、そのためには「こういう社会にしたい」という理想像の共有が必要なのである。

このゴールセッティングは社会的な問題に限らず、個人でも有効だ。たとえば「陶芸家になりたい」という目標を設定した場合、じゃぁ、何をやるべきか、と考えることができる。逆に、「陶芸が好きだ」では、何をしたら良いかさっぱりわからない。作品を見るのか、作るのか、本を読むのか、窯元を見学するのか、他の美術を学ぶのか、やれることはたくさんあるのだが、それがなんのためなのか、何を目標にしているのか、何もわからない。

先日の長谷川なんとかの炎上騒ぎにしても、彼がキチガイなのは間違いないのだが、それがなぜなのかはわかっていない人が多いと思う。

なぜダメなのか。それは、話が透析患者に限定されたものではなく、ほとんどありとあらゆる領域で、本人の不注意や不摂生で病気や怪我が発生していて、どこに線引きして良いかわからない、つまり、非常に実現性の低い話を展開していたからに他ならない。つまり、ゴールセッティングができてなくて、目の前の問題に感情的になっていたからダメだったのだ。

このブログではそこをきちんと書いたつもりなのだが、世の中の多くは「殺せ」という単語の不適切さにこだわっていたようだ。

かように、何かをやろうとするなら、ゴールのセッティングは非常に大切になってくる。全ての議論は、まずはそこからスタートなのである。ちなみに、日本の労働問題に関して僕が考えているゴールは前述のエントリーで箇条書きにしたけれど、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化


である。でも、きっとこの内容でコンセンサスを形成するのは難しいのだろう。若い人は、可能なら、さっさと日本を脱出した方が良い。会社を辞められないのも、日本から脱出できないのも、僕からみたら同じである。もらえもしない年金をチラつかせて若者からお金を搾り取るぐらいに、日本は国家としてブラックである。

関連エントリー:なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html  
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2016年10月20日

Absolute Thai Restaurant

DCの中華街のはずれにあるAbsolute Thai Restaurantに行ってみた。

食べたのはチャーハンとグリーンカレー。



















料理は若干アメリカ人向けにアレンジされている印象で、辛さが足りない。でも、全体のコーディネートは悪くないので、タイ料理は好きだけど、辛過ぎるのはちょっと、という人には悪くない選択肢のひとつになるだろう。







Absolute Thai Restaurant
521 G NW St
Washington, DC 20001
(202) 506-7272  

2016年10月19日

Thomas Bothe

Bethesda Row Art Festivalで見つけた作家さん。買ったのは次の二点。











































米国の陶芸作品を見ているとときどき見つかるのがこの手の結晶釉薬。日本だと青瓷や米色瓷などでこういう大きな結晶を見せる作品があるのだが、制作上の技術としては厚めに釉薬を掛けることが挙げられる。そのためには何度も釉掛けしなくてはならず、結果としてピンホールができやすくなるなど、難しい問題が発生する。この作家さんの場合は本体があまり重くなくて、釉掛けがすごく上手なんだと思う。あるいは、米国で独特の釉薬を使っているのかもしれない。非常に興味深い。

お気に入りだけが展示されるスペースに飾ってみた。


  
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渡米半年で感じた「英語のスピーキングのこつ」

CSIS(Center for Strategic International Studies、いわゆる戦略国際問題研究所)で福島県知事が講演をやるというので聞いてきた。タイトルはFukushima after 2047 days。何を喋るのかな、と思っていたら、通り一遍の福島の復興状況に終始していて、日本人なら普通に知っていることばかり。逆に森林の除染が進まないことや、汚染水の増加に歯止めがかからずその処理に困窮していることなど、都合の悪いことは一切喋らないポジショントークに終始していた。まぁ、福島の宣伝が主目的だろうし、時間も40分、質疑応答を含めても60分という短さだったので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。







それで、内容的には特に聞くべきところがなかったのだが、個人的に興味深かったのは内堀雅雄知事の英語である。なぜか講演は英語で、終始知事のジャパニーズ・イングリッシュが続いたのだが、これを聞いていて、なるほど、日本訛りの英語はこうなってしまうのだな、と感じた。僕は日本人なので日本訛りの英語でも全部聞き取ることができたのだが、ネイティブ達がこれを聞き取れたかどうかはちょっとわからない。日本人の僕が聞いていても、変な発音だったからである。では、それはどんなものだったのか。

まず第一に、非常にゆっくりで、文節ごとにまとまりがなかった。簡単な例だと、

I have gone Fukushima, Miyagi, and Iwate.

という文章なら、あいはふごーんふくしーま、みやーぎ、いわーてみたいな感じで各県のアクセント部分が強調されるのだが、知事の発音はあいはぶごーん、ふくしま、みやぎ、いわてみたいになっていて、全く強弱がなかった。

第二に、ほとんど全ての文節で、末尾のイントネーションが尻上がりになっていた。これは日本人の若者も日本語でときどきやらかす、

わたしはー、ふくしまとー、みやぎとー、いわてにー、いったことがあります。

みたいな奴の英語版である。英語は疑問文以外は文末は尻下がりだし、文の途中ならイントネーションは平坦になる。これが、息継ぎのたびにイントネーションが上がってしまうので、うーーーん、という感じになる。原稿がなくて即興での発言なら「あぁ、言葉を選んでいるんだな」と感じるのだろうが、ばっちり完璧な原稿があるのだから、平坦にすべきは平坦にすべきだっただろう。

第三に、単語の中でのアクセントが不明瞭で、発音が典型的なカタカナ英語になっていた。たとえば、accidentなら、アクセントが語頭にあるのはわかっているのだけれど、発音は「くしでんと」になっていた。こっちでネイティブの発音を聞いていると、こういう発音をするのは東アジア系だけで、ネイティブやヒスパニック、あるいはスラブ系なども「あーくしでんと」と発音する。単語の中でのアクセントは大きく発音するだけではなく母音を長く発音することが重要で、これがすなわち英語らしさにもつながる。日本人は英単語を覚えるとき、綴り>発音符号>アクセントの順に重要視する傾向が強いのだが、実際に会話する場合は優先順位は逆になる。こっちで普通に生活しているヒスパニックがホワイト・ボードの前に立って、pictureとか、museumといった単語すら書けずに四苦八苦している場面を見ることがあるのだが、会話にあたっては当然ながら記述能力は要求されない。

他にも、RとLの発音がなぜか全部Rになっているように聞こえたり、THの発音がSになっていたり、いくつか「これは日本人は気にならないけど、ネイティブは聞き取りにくいんじゃないかな?」と思ってしまうところがあった。

まぁ、僕自身もこっちにきてわずか半年なので、英語力は全然だし、あくまでも個人的感覚にすぎないのだが、こんなところが気になった。ということで、運良く典型的なジャパニーズイングリッシュを聞くことができたので、これを反面教師にしてよりネイティブが聞き取りやすい発音を心がけようと思った。  
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2016年10月18日

Nava Thai 再訪

二週間前に見つけたNava Thai、とても印象が良かったので、また行ってみた。






















相変わらず美味しい。ちゃんと辛くて、そして辛いだけではなく色々な旨味がある。あまりアメリカナイズされていない。日本のタイ料理屋も最初はほとんど日本風にアレンジされていて残念だったけれど、在日タイ人が増えたのか、タイ料理への理解が深まったのか、だんだんと現地の味に近づいてきたものだが、米国にも本場の味に近い料理を出す店があるのは嬉しい。

あと、僕の自宅からだとバスで一本で行くことができて、しかもそのバス、モンゴメリー・カレッジの生徒だと無料なんだよね。素晴らしい。

Nava Thai
11301 Fern St
Wheaton, MD 20902
(240) 430-0495  

2016年10月17日

渡辺公綱さんの訃報にあたり

大学時代の指導教官だった渡辺公綱さんが亡くなったという知らせをうらなり君(鈴木勉氏)からもらったので、何か書いておこうかなと思って過去のエントリーを探してみたら、渡辺さんが指導教官だった頃の話が書いてあるエントリーを見つけたので、リンクしておく。

せっかくだから、僕の学部のときについて書いておく
http://buu.blog.jp/archives/51200432.html

このエントリー、コメントにオチがあってなかなか楽しい内容になっている。もう、5年以上も前に書いたんだな。  
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2016年10月16日

長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない

件の電通社員過労死問題にあたっての反応をネットで読むにつけ、本当に日本は近視眼的だなと感心する。大勢の反応は「長時間労働けしからん」という論調だが、この調子で主張するから、いつまで経っても日本人の長時間労働はなくならないのだ。そのことに気がつかないところが残念至極なのだが、若い人たちがそれに気がつかないのはある程度仕方がないのかもしれない。なので、繰り返しだが、懲りずに書いておく。

何度も書いているのだが、カネボウやら、シャープやら、日本の古い企業が潰れている中、それでも多くの企業がなんとか踏みとどまっているのは、優秀な社員が長時間の労働に耐えているからに他ならない。ただ、その陰には、その何倍もの数の企業にとっては優秀でない社員が半強制的に働かされているのも確かだ。効率が悪いとはいえ、一定の成果を出しているのも間違いないので、今ここで一律に「全員、長時間労働禁止」としたら、多くの会社は優秀な人間のアウトプットと、それなりの人間のアウトプットの両方を失って、競争力はさらに減退するだろう。これによって、ただでさえ状態の悪い日本の景気は一層悪化するはずだ。このくらいのことは日本の大企業で管理職をやるぐらいになれば誰でもわかるので、実数としては多数派の非ホワイトカラーたちが「長時間労働反対」と主張しても、一向に事態は変化しない。もちろん、多数派の主張を盲目的に取り入れたなら、それはそれで大変な話なのだが。

では、何が悪いのか。簡単に言えば、日本の企業の生産性が低いからである。日本の企業は、その体質により、構造的に低い効率と生産性から逃れることができない。簡単に言えば、会社で能力を発揮できなくなった社員のクビを切れないので、その社員に足を引っ張られてしまう。低い生産性をリカバリーするために、長時間労働せざるを得なくなる。

だから、長時間労働の対策は、効率と生産性をアップさせれば良い。低効率・低生産性の原因はこれまた何度も書いているけれど、旧態依然とした日本の雇用習慣である。目指すべき環境ははっきりしていて、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化

などである。え?いきなり話が飛んでない?と思うかもしれないが、長時間労働とこれらの日本特有の労働環境問題は密接な関わりがある。

上述の「目指すべき環境」には異論はあるかもしれないが、日本の低成長を危惧しているOECDからも2008年に勧告がでている。

Japan could do more to help young people find stable jobs
http://www.oecd.org/japan/japancoulddomoretohelpyoungpeoplefindstablejobs.htm

この勧告ではストレートに上述の6項目を列挙しているわけではないが、勧告を実現するためには、この6項目の多くを実現する必要があると思う。この環境を実現するためには労働者サイドにも不利な話はあって、それはたとえば労働力の流動化には無期雇用者の解雇規制の緩和がセットで語られることになる。すると、「それはけしからん」みたいな話になるので、いつまで経っても、日本の労働環境は改善せず、そのしわ寄せは若い人の方に向かう。ところが残念なことに、若い人は、社会経験が少なすぎて現実的な最適解を見つけることができない。自分たちで墓穴を掘ってしまっているのだが、多分、ほとんどの人はそのことに気がついていないのだろう。とりあえず、若い人たちは上の勧告だけでも読んだ方が良い。

とりあえず、長時間労働に絞って書くと、自己の裁量で働き自己を管理できる人間と、他人に管理されて働く人間とは、全く異なる人種なので、それを同一に論じるのは無理なのだ。それゆえの「ホワイトカラー・イグゼンプション」なのだが、なぜかホワイトカラーではない人たちがこの制度の導入に反対して、労働環境の改善が遅々として進まないのが今となっては滑稽ですらある。

その原因がどこにあるのかは不明なのだが、もしかしたら、労働者を使える人間と使えない人間とに分けてしまうと受け止められているのかもしれない。つまり、非ホワイトカラーになってしまったら、一生搾取される側になる、みたいなことだ。この辺になってくると今度は年功序列と密接な話になってくるのだが、こうした「労働環境の改善に関するちょっとしたお話」ぐらいでもすでにいくつかの要素が関係してくる。上に6つの要素を列挙したのだが、実はその6つは独立に存在しているのではなく、相互に密接な関係を持っている。どれかひとつだけを実現しようとしても無理なのだ。また、逆にいうなら、この中で海外からも強く実現を要請されている「同一労働同一賃金の実現」を実現しようと思えば、他の5つも全て何らかの対応が求められる。

とはいえ、いっせいのせのかけ声のもと、全部変えてしまっては大混乱になる。大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ。

「人が死んじゃった。なんとかしなくちゃ」で済む話ではない。目先の問題を解決しようとしても、それだけでは事態は好転しないし、むしろ悪化する可能性が高い。過労死は、会社単体の問題ではないということはここに書いた通りである。

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html

かように長時間労働問題はそれだけ切り出して実現することは不可能なのだが、議論として長時間労働問題を解決する手段を考えるなら、「法律でホワイトカラーと非ホワイトカラーを明確に分離し、非ホワイトカラーについてはきちんと保護せよ」ということになる。

#長時間労働対策だけをするのであれば、これだけで可能である。しかし、非ホワイトカラーの労働時間を削減すれば企業の生産力は落ちるので、このままでは企業の競争力が落ちて、企業そのものが退場に追い込まれてしまう。焼け野原に外資系企業がやってきて、日本は外資系企業の天国になってしまうかもしれない。

それにしても、いつまで経っても日本では「総合的なパッケージで労働環境全体を変えていかなくてはダメなんですよ」という話になって来ないのが不思議で仕方ないのである。


  
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Bethesda Row Art Festival 二日目

今日はテニスがないので、朝一でテンレイタウンのヤードセールに行って、昼からベテスダのアートフェスに再訪してみた。4つのセクションに分かれていたのだが、昨日は見ずに終わったセクションがあったのだ。疲れがないせいか、明るいせいか、昨日よりも良い作品が多く感じられた。

この作家さんはアレキサンドリアのアート・フェスにも参加していた。







あとはずーっと流して行ったのだが、
















足が止まったのがこの作家さん。
















こちらでは(こちらでも?)、絵よりも焼き物の方が価格が安い。おかげで、買いやすい。この作家さんも、焼き物としてはなかなか良い価格だが、フェスティバル全体で見るとちょっと安くて手頃感がある。

こちらの作家さんもなかなか良かった。










結局、やきものを2点購入したのだけれど、その紹介はまた後日ということで。  
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2016年10月15日

Bethesda Row Art Festival

朝9時前から13時半ぐらいまでテニスをやって、みんなでランチを食べた後、テニス仲間にベテスダまで車で送ってもらってベテスダで開催中のアートフェスティバルを観てみた。

結構な人出で、出展しているアーティストたちの質もなかなかだったと思うのだが、テニスの疲れもあってか、どうも作品を見る目も疲れ気味だったのかもしれない。

思うのは、アートに出すことができるお金は個人個人で結構な差があって、その壁はなかなか超えることがない。ときどき昔から応援している作家さんが成長して壁を超えてしまうこともあるのだが、そういうケースは稀だ。

僕の場合、その壁は大体10万円ぐらいのところにある。この壁はここ数年変わることがない。例外はたとえば吉島信広さんだが、彼の作品にしても、10万円を超えると相当に吟味する。それで、今回のアートフェスでは、この壁をあっさりと超えてしまっている作家さんが多かった。確かに良い作品を作っているとは思うのだが、あっさり3000ドルとか言われると、見附ブレーキがかかる。つまり、「このお金を出すなら、この作品より見附さんの作品を買った方が良いな」という考えになる。そのおかげで、今日のところは何も買わずに帰宅した。










今日、一番面白いなと感じたのはこれ。










特に、光っている奴は良かった。でも、これ、日本に持ち帰ることができない。まぁ、安倍政権が続くなら、一生日本に戻ることはないと思うのだが、米国以外に行く可能性は大きいわけで、その時に困ってしまう。そして、それ以上に、予算オーバー。3500ドルでは・・・・。

夕方になって少し暗くなって、気温も下がってきたけれど、大勢のお客さんたちが熱心に見ていた。この辺は、やはり可処分所得が大きいからだろう。ちなみにベテスダはDC周辺ではお金持ちが多い地域である。







東洋系のアートはここでも人気なので、日本人も出展したら人気出そうなんだけど、無理なのかな?  
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Pho Nom Nom(再訪)

6月に行ったNOM NOMだが、テニスの帰りにみんなで行ってみようということになって、再訪。

もともと、良くテニスの帰りに行くのはロックビルの北にあるPHO 75なのだが、個人的にはこっちの方がずっと美味しいと思っていたので、今回の選択は大歓迎。

注文したのはいわゆる全部入り。




うん、絶対こっちの方が美味しいよ。

ちなみにこれは同行者が注文したもの。これもなかなか美味しそうなので、次回はこれを注文してみようと思う。




Pho Nom Nom
842 Rockville Pike
Rockville, MD 20852
Phone number (301) 610-0232  

コンサートプロモーターズ協会の石川篤総務委員(ディスクガレージ常務取締役)という以下略

なぜ今、「転売NO」と訴えたのか――チケット高額転売問題、音楽業界の“本音”
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1610/14/news103.html

という記事があったので、古くは中島みゆきのコンサート・夜会を全て確保、ちょっと昔だとサッカーW杯コリアジャパンで新横浜決勝戦の最前列を含め一次リーグ日本戦全試合と新潟でのイングランド戦など主要試合、日本シリーズでは中日の絡む試合の全てで確実にチケットを入手してきた実績と、チケットぴあの黎明期からチケット販売を横で見てきた俺が読んでみた。

で、コメントなんだが、ここにわざわざ書くまでもなく、「こうしたらどうよ」という話は5年以上前に書いてある。

コンサートとかのダフ屋対策について
http://buu.blog.jp/archives/51175699.html

こんな辺境のブログに書いてあっても当事者たちは全く気にもとめてないのだろう。それは仕方がない。せっかく専門家がタダでアイデア出してあげたんだけどね(笑)。

ということで、そこそこ完璧なんじゃないかと思うような対応策はすでに提示してあるので、ここでは記事を読んでのコメントを書くことにする。

あるアーティストの公演では、チケットの3分の1が転売サイトに出品された例もある。


そりゃ、販売方法に問題があるんじゃないの?

転売サイトの出品額は、売る側の言い値だ。


言い値だけど、高すぎたら売れないわけで、そこは市場原理が働いているよね。

元のチケットの10〜20倍の価格で売られてしまうと、コンサートに10〜20回行けたはずの人が1回しか行けなくなり、グッズなどの購入予算も奪われてしまう。


でも、売った側がその利益でグッズを買いまくっているかもよ?てか、自分たちの財布に入らなかったから文句を言うってどうなの?

話し合いの場が転売対策を考える場に変わった。


それは良いこと。

派手な広告はしていなかったため、音楽業界としても、それほど問題視していなかった。


アホ。広告をする、しないは関係ないだろ。

チケットキャンプは公式ではなく、チケットの高額転売には反対だと明確に示すことが必要ではないかと考えた。


反対という立場を明確にするのはもちろん勝手ですね。

チケットの転売も定価以下に収めてほしいなどの要求を出したが受け入れられず平行線にまま今日に至っている。


当たり前だろ(笑)。チケットキャンプだってシステム開発しているんだし。

チケットは一般の工業製品と異なり、メーカーであるアーティストが意思を持っている特殊な商品。


なんだこりゃ。違うっていうなら、法律で規定してもらえよ。でも、製造者が意思をもって(思い入れをもって)作っている工業製品だって山ほどあるぞ。僕が集めている美術品だって同じ。

そういう商品に対して、もう少し配慮があってもよかったのではないか。


残念ながら、バカすぎます。自分たちのサービスが特殊だから配慮してくれって、ただの甘ったれだよね。

アーティストとまったく関係ない人が、メーカーも知らないところで、専業として商品を扱い、もうけちゃうのは、ちょっと……。


こんなこと言っていたら、大黒屋も、ブックオフも、骨董屋も、商売成り立ちません。市場に商品を出した時点で、もうあなたたちの手を離れているんです。その辺をきちんと理解しないと、いつまで経っても改善しないよ。

チケットキャンプには、もう少し業界を研究していただき、音楽業界とコミュニケーションしてからビジネスを立ち上げて欲しかった。


本当にバカなんだな、こいつら(笑)。

高額転売チケットの購入でファンの財布が傷めば、音楽業界に流れるお金が減ってしまう。


お金が減ったら、頑張って働いてもっと稼いで、経済が好転するかもよ?

音楽業界を宿主とするといわば寄生虫だが、寄生虫だけが栄えると、やがては宿主を殺してしまう。


この「寄生虫」という言葉を選んじゃう時点で音楽業界は終了している感じがする。これを言うなら、あんたたちだって、自分で歌ったり踊ったりせず、アーティストに寄生して儲けている寄生虫かもよ?

最前列から最後列まで、どの席でも等しく楽しんでもらえるよう努力している。


努力していても、実際、価値は全然違うよ。たとえば東京国際フォーラムの最前列と二階40列が同じになるわけがない。

お金がない学生などからは、前方の席で見られたかもしれないチャンスを奪うことになる


その理念は立派だけど、それを実現するための努力を怠っているから今があるんでしょ。そんなに学生を優遇したいなら、最前列を学生席にすれば良いじゃん。

でもさ、学生料金で安く観てもらうなら、後ろの方や見切れ席で観てもらうのが普通じゃない?学生だって、良い席で観たいなら、バイトしてお金貯めれば良いんだよ。それが社会勉強にもなる。

前方と後方の席だけ売れ、中間の席が余るなど、席による売れ行きのばらつきが出るリスクを恐れる関係者も一部にいることも確かだ。


実際にはチケットキャンプで売れているんだから、きちんと市場を読めば売れ残らないよ。てか、売れ残ったら、チケットキャンプに出せば良いじゃん(笑)。

頭では理解していても、昔からのやり方から離れられないアーティストも多いと感じる。


そっちが悪いんじゃねーか(笑)。

チケット購入時にスマートフォンのSMSで端末を認証して本人確認し、スマホ1台あたり1回しか買えないようにする仕組みは今後、メインストリームになってくるだろう。


これは良いんじゃないの?

ネット空間も「公共の場」と認められれば、ネット上でのダフ屋行為も規制できるようになるが、判例がない。


普通に考えて無理だろ(笑)。あれは、ホール周辺にダフ屋がウロウロしているから問題なのであって。

「ネット空間を公共の場として認めてほしい」と、国会議員や都道府県、関連省庁に訴えているが、なかなか難しい。


そりゃそうだ。政治家や関連省庁も困っていると思うよ。努力もせずむやみやたらに法規制を厳しくしろと要求してくるバカがいて。


ということで、率直に言うと、コンサートプロモーターズ協会の石川篤総務委員(ディスクガレージ常務取締役)っていう人は、顔出し実名入りで堂々とバカを晒していて立派だなぁ、という感じである。こりゃダメだ。もし本当に何とかしたいなら、僕とコンサル契約結んでアドバイスしてもらえば良いんだよ。  

2016年10月14日

小原祥邨 作品名不明の版画

ヤフオクで「雪中白鶴」という名前で売っていたけど、これ、鶴じゃないんじゃないの?




フランスで額装されたらしい。それがなぜかワシントンDCへ。近所のガレージセールで購入。大量のポスターやよく分からない絵と一緒に売っていた。5ドル。え???  
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3代目長谷川貞信「金閣寺の雪」

近所で開催されていたガレージセールで発見した手刷木版画。外人観光客向けのお土産商品だろうか。


  
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2016年10月13日

三浦九段のカンニング疑惑にあたって思うこと

はじめに
将棋界が大揺れです。何しろ、最高のタイトルである竜王戦の挑戦者がカンニング疑惑で出場不可になったというのだから尋常ではありません。とてもお行儀の良い、しかもしっかりしたコメントは下記にあるので、参考にしてください。良い子のみなさんにとっては過不足ない記事なので、これを読んでおけば良いと思います。

将棋棋士の「スマホ不正」疑惑と「出場停止処分」について思うこと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161013-00000081-zdn_pc-sci

さて、以下はちょっと眉をひそめてしまうようなコメントの時間です。


三浦九段の一部プロ間での評判
まず、ご存知いただきたいのは、今回の三浦九段は一部の棋士の間では昔から非常に評判の悪い棋士だったということです。将棋界には大勢のプロ棋士が存在するので、その中には当然のようにいくつかの派閥があります。僕はそのうちのひとつに数えることができる派閥の棋士数名と直接腹を割って話したり、飲みに行ったりしたことがありますが、彼らから聞いたことで良く覚えているのは、「田中寅彦と三浦弘行は本当にクソみたいな奴だ」というものです。今回はタナトラ氏は無関係なので三浦九段に絞りますが、後輩棋士に課題となっている局面について検討させてその結果だけを電話で聞き出したり、日頃からトップ・プロとしてあの姿勢はどうかと言われ続け、とても評判の悪い棋士でした。

#もちろん全数調査ではないです。一部の棋士からは嫌われていた、ということです。


プロの感覚
次にご存知いただきたいのは、プロの感覚というものがあるということです。これは例えばプロ野球の解説は元プロ野球選手が、プロサッカーの解説は元プロサッカー選手がやっているという例がイメージしやすいかもしれませんが、プロ同士ならではの感覚というものが存在します。素人でもわかりやすい例なら、王貞治選手に対して行われた「王シフト」の妥当性などです。極端にライト寄りの守備位置が果たして妥当なのかどうか、その判断はプロ同士だからこそできたはずです。

将棋の場合も棋士の癖、筋というものがあって、それは、羽生さんならこの手を指しそうだ、渡辺さんならこの手は指さないだろう、という感覚です。これはプロならではの感覚で、私たち素人には理解不能です。こうした、外野からは理解できない感覚を以って、三浦九段の指し筋に違和感を覚えた人が複数いたと考えられます。プロ棋士の間から、「あれは三浦さんの棋風とは違う」「最近、明らかに筋が変わった」という評判があったのでしょう。たとえば、橋本 崇載八段などは今回の件について、次のようにつぶやいていました(現在は削除済み)

橋本 崇載 ‏@shogibar84
数週間か1か月ほど前に、奴と対戦した人が不正行為をやられたと憤慨していると聞いた。
恐らく、その後に決定的にクロ断定できるものを掴んで、踏み切ったのだろう。
将棋連盟はタイトル戦開催まで数日というギリギリのタイミングで
よく英断したと思う。始まってからでは、より取り返しがつかない。


橋本 崇載 ‏@shogibar84
ファンには酷な知らせと思うが、個人的にも1億%クロだと思っている。
奴が除名になるかどうかは知らないけど、俺は二度と戦う気しない。
以前からソフト指し、モラル、カンニング、再三警鐘を鳴らしてきたつもりだが、最悪の形になりただただ残念だ。
これでも潔白を信じるという人はどうぞご自由に。


この、プロならではの感覚というのはある程度信頼に足ると思います。そして、その感覚が将棋連盟の内部で共有できたからこその対応だったと考えられます。


今後の成り行き
では、今後はどうなるのでしょうか。将棋には「プロ的には一目」という手がありますが、今回の三浦九段は「プロ的には一目でクロ」だったのでしょう。でも、法律には「プロ」の視点がありません。なので、普通に裁判をやれば、三浦九段は勝訴すると思います。こうなったとき、日本将棋連盟は取り返しがつきません。将棋には手順前後というのがあって、本来先に指すべき手を後にして形勢を損ねることがあるのですが、まさにこれです。日本将棋連盟は、まず最初にスマホ厳禁、控え室は監視カメラ付き、トイレは妨害電波でネットにアクセス不能にするといった、スマホ・カンニングの防止を徹底すべきでした。三浦九段の悪評は最近に始まったものではないのです。

ただ、もしかしたら、日本将棋連盟は何らかの決定的な証拠を持っているのかもしれません。この辺は実際に裁判になってみないとわかりませんが、もしそうなら、三浦九段はこのまま将棋連盟に退会届を出して、引退となるかもしれません。

とはいえ、この日本将棋連盟という組織はびっくりするほど社会通念が通用しない組織で、将棋以外の意思決定はめちゃくちゃだったりするので侮れません。もしかしたらなんとなく「絶対クロだ。処分はこんなもんだろう」と年内の出場停止を決めたのかもしれません。


将棋の近未来
ここまでは三浦九段の将棋界での評判と、日本将棋連盟の対応について書いてきましたが、この件でわかったのは、将棋におけるソフトの人間に対する絶対的な優位性です。これまで悟空とクリリンで戦ってきた武道会に、手が4本もある生き物や、空を飛べる生き物が参戦してきた状態です。今度の叡王戦には羽生三冠が参戦ということで話題になっていましたが、「もう、誰が出ても太刀打ちできないので、羽生さんが出ても問題ないだろう」という判断だったのかもしれません。近いうちに、尻尾の生えた宇宙人のようなソフトがやってきて「私の戦闘力は530000です」とか言われちゃうのでしょう。

#羽生さんが2000とか、3000とかです。

プロの将棋は、ショウとしては今後も続いていくでしょうが、一手の価値についてはソフトに聞けば良いし、優劣判断もソフトに聞けば済んでしまいます。これが馬鹿でかいコンピューターを使わないと不可能だった時代ではなくなって、スマホでちょいちょいっと調べてしまえば用が足りてしまうというのでは、もう、そこら中にフリーザや魔人ブウがいる状態です。こんな状況で、人間同士の将棋にどの程度の面白さがあるのでしょうか。これまで、プロが何人も集まって勉強会をやって、ようやく結論らしきものにいきついて、それを実戦で試してみて、一定以上の勝率を収めると、みんながそれを真似して、やがて対策ができて、その頃にはまた別の新戦法が試される、ということを繰り返してきましたが、今後は検討の相手はソフトになってくるでしょう。ちょっとスマホをいじるだけで答え一発です。将棋は超魔術から、タネも仕掛けもある手品になってしまいました。

これでは、棋士にとっても、将棋が以前のままであるとは到底考えられません。もちろん、私たちにとっても同様だし、今後将棋のプロを目指そうと思う子供達にとっても同様でしょう。将棋の価値が急激に消失するわけではないでしょうが、その魅力は確実に減っていくはずです。

将棋は、クロスワードパズルや、数独のような、時間つぶしのための1ツールとして存在し続けるのかもしれません。

ここ数年はニコ生の将棋中継もあって、随分とプロの将棋が身近になりました。おかげで、エンターテイメントの一つとして、自宅で楽しむことができるようになりました。私たちは、幸いにして、将棋という文化がその役割を終える、最後の一瞬のきらめきを目にすることができたのかもしれません。  
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2016年10月12日

物価さえ上昇すれば良い、という思考

経済学者って、面白いなぁ。以下、日経新聞から引用。

出典:消費 統計に現れぬ実態
賃上げ不十分で防衛意識 東京大学大学院教授 渡辺努氏
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08284710S6A011C1NNS000/

アベノミクスの異次元緩和でもたらされたもので、何もしなければすぐにでも崩れやすい。


そうですね。

賃金が思ったほど増えず、消費者は値上げに悲鳴を上げたのだ。


そうですね。

商品が同質化し、価格競争に陥っている。


わかっていらっしゃる。商品の質が向上しないから、消費者は必要以上のお金を出さないのです。

これまで購入していた商品が安い時にタイミングよく買っていて


僕も、ユニクロでは割引商品しか買いません。

消費が不振な背景には賃上げが不十分なことがある。


そうですね。

政府・日銀は賃上げにもっと関与すべきだ。さらに政府がコントロールできる国立大学授業料や公共料金などサービス料金を引き上げ、物価上昇への本気度を示すことが必要だ。


は?収入が増えないのに生活に必要不可欠な公共料金が上がったら、民間企業の商品の売り上げが落ちて、給料は上がらなくなりますよ。公務員以外の生活は苦しくなるばかりで、デフレに拍車がかかりそうです。

あなたは、物価さえ上昇すれば、国民の生活はどうなっても良いのでしょうか?それで景気は良くなるんですか?  
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2016年10月11日

吉田博「梅之家」

吉田博作の木版「梅之家」をエステート・セールで購入。




本当は4倍ぐらいでかい「渓流」が欲しかったんだけど、あっという間に他の人が買って行ってしまった。チャンスはあったんだけど、ちょっと高すぎた。日本人版画家の作品が好きな人だったようで、吉田博の作品は7枚ぐらいあった。他にも河野薫の「赤いローソク」が良かったんだけど、予算オーバー。  
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2016年10月10日

Marumen

車で移動している最中に昼ご飯を食べることになって、米国人に人気というラーメン屋に連れて行ってもらうことになった。







こちらでは大抵の店で味噌、塩、醤油とスパイシー味噌(担々麺風)が用意されているのだが、まともな味噌は期待できないので、無難に醤油を注文してみた。

スープは豚骨ベースで、調味料で味を調整したタイプ。ベーススープに特段の工夫があるわけでもなく、出汁も弱めで普通のレベル。

麺は中くらいの太さの縮れ麺。明らかに茹ですぎで、全くコシがない。日本から輸入しているのか、こちらで作っているのかは不明だが、これではダメ。

チャーシューは肉質はそこそこだが、甘くて強すぎる味付けがスープと全くフィットしていない。丼の中の調和を乱すだけの存在で、これならトッピングしないほうが良い。

もともとの味はどうなのかわからないが、厨房に立っている調理人に味のセンスがないのだろう。マニュアルどおりに作ったとしても、最後に味をチェックするフェイズは必要なのだが、この店ではその機能がないようだ。

評価はCCCという感じ。

ちなみに同行者にスパイシー味噌を食べさせてもらったが、辛口な分、こちらのスープのほうがまともだった。このスープならもしかしたらCBCになるかもしれない。別の同行者が塩を頼んでいたが、こちらは未食。

ともあれ、もう行くことはないだろう。







3250 Old Pickett Rd
Fairfax, VA 22031
(703) 352-6278  

2016年10月09日

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか

電通の若手社員が過労による自殺をした件を端緒に、日本の労働環境について考えてみる。

巷には「100時間で過労死なんて情けない」という考え方もあるようだが、これは実際に過労死している現実を踏まえているとしたら、不適切な意見だろう。残業耐性には個人差があって、できる奴もいればできない奴もいる。できる奴が自分の意思で残業するのは勝手だが、そのルールを他人にも押し付けるのは迷惑な話である。僕も残業という概念でくくるなら月間200時間ぐらいの残業をしたことがあるし、知人の中には二カ月連続で400時間の残業をやった奴もいるが(参考「人はどれだけ残業できるのか」http://buu.blog.jp/archives/51435509.html)、だからといって誰でもそんな状態で耐えられるとは思っていない。嫌なのに強制されるなら、違法なものは違法であって、根性論でどうにかなるものではない。その辺は、裁判の結果を見れば明らかである。

しかし、「過労で自殺」みたいな話があるたびにすぐに飛びついて「残業規制を強化すべし!」と怒鳴り散らす社会主義者たちも迷惑である。闇雲に規制強化に走れば、ただでさえ低下している日本の競争力がさらに低下するだろう。今の日本がなんとか踏みとどまっていられるのは、少数の精鋭たちが死ぬほど働いているからでもある。たとえばサッカーの本田選手が不調に陥って、普段の倍練習したとして、「その練習は違法なのですぐにやめるように」と本田選手に主張する人がいるだろうか。宇多田ヒカルが働きすぎとか、園子温監督が働きすぎとか、羽生名人や渡辺竜王が将棋を指しすぎとか、浦沢直樹や他の超売れっ子の漫画家が描きすぎとか、超売れっ子の俳優が働きすぎとか、そういう文脈で労働時間の違法性が論じられたことを、これまで僕は寡聞にして知らない。真のプロが、自分の意思と裁量で働く限り、他者が口を出すべき話ではないと思う。

全員働け、も暴論なら、全員働くな、も暴論なのだ。農耕民族としての団体行動思考が染み付いている多くの日本人には理解できないかもしれないが、先に書いたエントリーで述べた「研究は個人的なもの」というのと同様に、労働も個人的なものであるべきだ。価値観が多様化してきた今、僕たちの労働は、もっと高い自由度が確保されているべきなのである。それは、個人の日常の働き方というレベルにおいても必要だが、職業を選ぶ際にも必要になる。過労死という視点では、個人の自由意志による「働き方」よりも、会社という共同体の中において労働を強制される可能性がある「職業」の方が深刻なので、職業選択の自由度に焦点を当てる。

職業の自由度を考える際には、どういう選択肢があるのかをまず考えなくてはならない。選択肢にはどのようなものがあるのか。定性的に大きく分けて、2つである。それは、

(1)自由度と給与が高い代わりに、リスクも高い職業
(2)自由度が低く給与も低いが、安定していて保護も手厚い職業

である。

一つ目はいわゆるホワイトカラーである。なぜかホワイトカラーを残業規制から外そう(ホワイトカラー・イグゼンプション)という動きに対して反対運動が起きるのだが、その理由の最大のものは、日本の労働環境が終身雇用前提とされているからだろう。米国なら、「嫌ならさっさとやめちゃえば良い」が成り立つが、日本ではそれが成り立つかどうか不透明なことが問題になると想像される。では、日本の労働者はなぜ会社を辞めることができないのか。これも理由は二つあって、一つは労働市場が硬直していて、転職が難しいことである。もう一つは、企業でホワイトカラーに認定されそうな、年収1000万円以上とか、自己の裁量で仕事量を調整できるとか、知的教育による高度な知識を持つはずの労働者たちの少なくない部分が、期待されているようなスキルを持ち合わせていないことである。簡単に言えば、「転職先がない」「転職するための能力がない」である。この二つの問題はどちらかを解決しても、それだけでは労働市場は流動化しない。そのせいもあってか、いつまで経っても労働市場の流動化は実現しないのだが、その根底にあるのは既得権者たちの反抗なのである。

選択肢が用意されても、労働市場が流動化していなくては意味がない。今の日本の会社は乗客が満員の飛行機みたいなもので、みんな降りようとしないし、降りても、それ以外の便が全部満席で、一度降りたら最後、どこにも空席が見当たらない状態だ。離陸前に気分が悪くなっても乗り換えできないし、途中で降りることはもちろんできない。「労働市場は流動化していた方が効率的ですよね」という意見には偉いセンセイたちはもちろん、感度の高い生活者も同意するのだが、それが解雇規制の緩和とセットになると、突然反対に回るから困る。解雇規制がガチガチの状態では、そもそも空席が生じないのだから、労働市場が流動化などするはずがないのだが、民間企業でまともに働いたことのない学者センセイたちはその辺が理解できずに机上の空論を展開するばかりである。こうした無能な研究者がいつまで経っても退場しないのも終身雇用の弊害で、三菱総研というそこそこでかい民間企業、理研という特殊法人、経済産業省、民間企業の雇われ社長、そして現職の創業社長と色々渡り歩いてきた僕から見ると、俺の方がよっぽど専門家だろ、と思ってしまうが、彼らはせっかくアカデミアの職に就いた既得権者なので、顔を真っ赤にして反論するに違いない。大丈夫ですよ、あなたたちの職を奪う気なんてさらさらないですから。

さて、まずはホワイトカラー以外の人たちについて考えてみる。ほとんど何のスキルもない人の受け皿は必要で、それは英語で言えば「JOB」である。何のスキルアップにも繋がらないし、特別なスキルも必要ないが、時間を割くことによってお金を稼ぐことができる。ここで必要になってくるのが最低賃金の引き上げで、米国の都市部だと1500円から1800円程度だ。ちょっと話がそれるのだが、米国の場合、最低賃金が高いので、人の手が必要なファストフードの価格は高い。マクドのビッグマックが一つ500円程度である。ところが、食品の原価は安いので、ビッグマック二つで520円だったりする。この手のセット売りはファストフードやスーパーでは常態化している。そして、工業製品は安く、人の手がかかっている食品は高い、となるので、低所得者たちは自分で食材を買ってきて料理したり、5枚で500円の冷凍ピザを買ってきてオーブンで焼いたりする。米国で外食するとチップ込みで2000円はほぼ最低料金なので、日本でいうファミレスのような業態は成り立たないし、コンビニの夜間営業も淘汰されるだろう。しかし、米国で暮らしてみればわかるが、コンビニの深夜営業がなくても、何も困ることはない。コンビニの深夜営業がないと困ってしまうようなライフスタイルの方が問題なのだ。こんな感じで、最低賃金を二倍にするだけで日本の特に都市部の生活は大きく様変わりするだろうが、大きな問題ではないだろう。ともあれ、JOBで稼いでいく人たちの収入源はきちんと確保しておく必要がある。

要すれば、受け皿としてそこそこの給料を貰える職場はありますよ、だから、スキルがなくても大丈夫です。その代わり、外食とか、贅沢はできないから、自分で工夫して下さいね、ということだ。こうした職場の量は米国ではかなり重視されていて、それが減少しないように、海外からの移民に対してはそれなりに厳しい姿勢でいる。日本は、弱者の労働機会を確保する、という視点がほとんど存在しないので、生活保護のような、まったく社会に貢献できない人たちが生まれてしまう。

また、こうしたスキルのない人たちでも、それなりに職業を選択する自由が保証されている必要もある。今やっている仕事に飽きたり、嫌になったなら辞めて違う職につくだけの自由度が必要なのだ。これは雇用サイドへの圧力にもなる。きちんとした労働環境を与えることができなければ、すぐに人手不足に陥る、という状況は、労働者の職場環境の向上に、直接つながる。

スキルのない人たちにはスキルアップの機会が必要で、それはそれで別途考えていく必要がある。米国ではこの役割を果たしているのがcollegeあるいはcommunity collegeで、誰でも安価にスキルを身につける事ができる。やる気さえあれば、ステップアップのチャンスは与えられているのである。一方で、日本にはこういう組織は見当たらない。金を払えば学位をくれる、名ばかり大学が大量に存在するのだが、少子化の影響もあって経営不振に陥った大学は、海外からの留学生を集めて大学の体を為すのではなく、community college化に注力すべきである。また、ここで大事なのは入学者の年齢で、やる気さえあれば年齢とは無関係に、どんどん入学して勉強できる雰囲気作りが大切になる。ここで思い出されるのが2年ぐらい前の文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」である。この会議で冨山和彦氏が提出した資料がネットで議論を呼んだのだが、要は「トップ大学以外は職業訓練学校化すべし」という内容だったからだ。実は、冨山氏の論理展開と示した事例は非常に稚拙で叩かれてしかるべし、というものだった。簡単に言えば、彼の主張は大学を、大学の名称のままで職業訓練学校化しろというものだったからだ。しかし、職業訓練を主目的にするなら、それはもはや大学ではない。大学を大学ではないものに変えてしまえ、というのは暴論であろう。しかし、大学ではない組織として、職業訓練のための組織、米国でいうcommunity collegeが存在することは絶対に必要で、経営不振でどうにもならない大学が自主的にcommunity collegeへと改組するのであれば、それは歓迎されるべき話なのである。大体、社会から見たら、機能としては本来大学よりもcommunity collegeの方が重要になりつつあるのだ。

スキルアップの機会は米国では主として社外に存在するが、日本ではOJTという名の下に企業や役所の内部で実施される。ここがまた大きな問題の温床になるのだが、それはそこで身につけたスキルが他の会社では役に立たないことがある点である。また、その会社で行われるトレーニングで生き残った人しか存在しないので、肌が合わないと悲惨なことになる。そういった事態になったとき、受け皿が用意されていないのが日本の社会である。

米国の事例を中心に、スキルが高くない労働者をどう社会に馴染ませ、場合によってはスキルアップの手助けをすることについて書いてきたのだが、次はホワイトカラーについて考えていくことにする。

ホワイトカラーの労働環境に求められるのも、流動性である。実は、日本はホワイトカラーの多くがパーマネントの地位にあることが大問題なのだ。特に、年功序列によってスキルが不十分なのに高い地位にのぼりつめ、高い給料をもらっている人たちがお荷物なのだ。野球で言えば、40歳の大ベテランで、打率が1割、本塁打は0なのに、4番から微動だにしないようなものだ。監督が「ちょっと、ベンチに下がってくれないか」と相談すると、「それは判例で違法とされている」と言い出して交代を拒否する始末である。ここをなんとかしないと、本当にどうにもならない。空席ができなければ、次の人が座る場所がないのである。給料が高いのだから、能力不足を理由に解雇されるリスクぐらいは背負って欲しいものなのだが、日本はなぜかそうならない。安定と、高給の両方を既得権者が保持し続けるのが今の日本である。

ところで、ここで件の電通の自殺社員の話になる。あの社員はホワイトカラーではないのか、ということになるのだが、もちろん違う。彼女の場合、おそらく年収1000万円にはならないだろうし、自己の裁量で仕事量を決めることも不可能だった。これではホワイトカラーとは言えない。彼女は法律で守られるべきだったし、周囲からの配慮も受けられるべきだった。

ここで、三菱総研と中央官庁で働いた経験から、電通の仕事の難しさを書いておきたい。三菱総研と電通の仕事に共通する難しさは、「100点満点が存在しない」ということだ。どんなに努力しても、さらに時間をかければアウトプットが良くなる可能性がある。野球選手にホームランや完全試合のような究極の到達点があるのと違うところが悩ましい。そして、仕事はほとんど全て委託業務なので、客が納得しないならそれまでなのである。僕は経済産業省の役人としてシンクタンクを利用する立場になったこともあるのだが、その時に同僚から聞いた言葉は、「シンクタンクは生かさず殺さずだ」というものである。死なない程度に絞りあげろ、という意味だ。僕は広告代理店を使う立場になったことがないのだが、電通にとってのクライアントもおそらくこういう姿勢で、「広告代理店は生かさず殺さずだ」と考えているのだろう。発注者とすれば、少しでも長く受注者を働かせることが、アウトプットの質の向上につながる。本来なら、仕様書によってこのあたりの仕事の量と質を明確に規定すべきなのだが、受注の成否につながるので、仕様書はいい加減に書いておくのがこれらの業界の常でもある。おかげで作業はエンドレスになることが多い。相手を内容で満足させるのではなく、努力の量で納得させるのである。シンクタンクや広告代理店というとスマートなイメージかもしれないが、実際はこんな感じの古い体育会系の仕事だ。

「次の仕事」という餌をちらつかせられて、こき使われるのがこういった会社である。だからこそ、これらの会社の管理職は自己と、部下の管理が大切になってくる。不幸な事態は、全て人災なのだ。そして、社内での「使われる側」は、上長に対して常に「ノー」という準備が必要になってくる。一番難しいのは、このホワイトカラーと非ホワイトカラーの境界領域で、この間の調整は時間をかけて落とし所を見つけていかなくてはならない。そして、運悪く、自分の上司がこの調整作業がうまくできなかった場合は、まずは直属の上司にかけあい、それでもダメなら人事部にかけあい、やっぱり無理なら、辞めてしまえば良いのである。その時に重要なのが、「会社を辞めても、すぐに次の仕事が見つかる」という環境なのだ。

「つらい。やめたい」と漏らしている人がいたとき、「何いつまでもしがみついてんだよ、馬鹿だな。さっさとやめちまえ。何だったら、うちの会社の上司を紹介してやるよ。なんか、ちょうど人探してるみたいだから」と言ってあげられる社会にしなくてはならない。今は「私だけじゃなくて、みんな頑張っているから」と、孤立感を深め、一層のどつぼにはまっていくのである。

過労による精神障害と自殺の件数は、厚労省の資料によれば2015年度の決定件数だけでそれぞれ1306件、205件となっている。その背後には、発覚に至らないケースや、ちょっと手前で踏みとどまったケースが何倍も、あるいは何十倍もあるに違いない。そろそろ真剣に、労働環境の改善を考えたほうが良い。それは、労働者サイドから一方的に規制強化を唱えるのではなく、労働市場の流動化を目指して、解雇規制の緩和を含め、様々な角度から変えていかなくてはならないというのが僕の考えである。

米国が全てではないし、米国にも改善すべきところは多々ある。しかし、それ以上に、日本が米国に学ぶべきところはたくさんある。日本の古くからの習慣を良しとして、旧態依然とした労働市場を継続していることが、そのまま日本を世界の負け組に誘っていることに気付かなくてはならない。そして、その影響は、経済指標だけではなく、「過労による自殺者数」といった数字にも現れていると思う。  
Posted by buu2 at 10:25Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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2016年10月08日

過労死した電通の高橋まつりさんのTwitterをざっと読んでみたが




と書いてあったので、証拠を色々読んでみた。

高橋まつり氏のTwitter
https://twitter.com/matsuririri

色々気の毒で悲しくなってくる内容だが、読んですぐに感じたのは、「最長月130時間」と書かれていた残業時間に対する違和感。

参考:24歳東大卒女性社員が過労死 電通勤務「1日2時間しか寝れない」 クリスマスに投身自殺 労基署が認定(産経ニュース)
http://www.sankei.com/affairs/news/161007/afr1610070012-n1.html

このスタイルだと、残業時間は200前後か、あるいはそれ以上だと思う。  

船木大輔さんの赤ずきんのカップ

okeba galleryの「ほくりく工芸展」で購入した船木大輔さんのカップ、ちゃんと紹介していなかったので、写真で紹介。







このカップ、本当にこっちに出てきそうな赤ずきんの造形がすごい。おかげで、毎日使っていても全く飽きてこない。こういう、全く飽きがこないデザインも珍しい。僕の感性にぴったりフィットしているんだろう。

これからも楽しい器を作り続けて欲しい。

ちなみにバックサイドの緑のヤツは何なんだろうとずっと不思議に思っていたのだけれど、本人に質問してみたところ、
赤ずきんは元々はブラックな大人用ストーリーだった所から、可愛い赤ずきんの皮を被った大人(化け物)の皮膚が見えているという見立てです。

とのこと。熟していないイチゴかと思ったら全然違った(笑)。  
Posted by buu2 at 08:46Comments(0)TrackBack(0)船木大輔││編集

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2016年10月07日

日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例

米国は車社会である。お金持ちでなくても、車を持っている家庭が多い。ワシントンDCのような都市部であっても、通勤を含めて移動の手段としては車を利用するのが主流派だ。ワシントンDCは全米各州の中で公共機関によって通勤する人の割合が最も多い州だが、その数は2006年で33.6%、ニューヨーク州だと25.1%である(2006 U.S. Bureau)。

そんな風に一般的な自家用車だが、もちろん、持っていない人もいる。かくいう僕も、車を持っていない。よくみんなから「なんで持ってないんだ」「不便で仕方ないだろう」と言われるが、別にそんなこともない。地下鉄やバスを乗り継げば大抵の場所へ行けてしまうし、それが無理でも、Uberを使えば何の問題もない。実は、今日もエステート・セールに行くのに、Uberを利用した。片道30分の行程で、料金は一人当たり12ドル程度である。公共交通機関を使うと片道8ドル程度、所要時間は1時間30分程度、徒歩も5分程度含まれているから、費用対効果はとても優れている。

日本ではタクシー業界のロビー活動によっていつまで経っても本格導入が実現しないUberなので、これがどんなシステムなのか、知らない人も多いかもしれない。まず、Uberについて簡単に説明しておく。

登録にあたっては、支払いの手段としてクレジットカードかpaypalの登録が必要で、実はこれが最大のミソになる。料金はルートや道の混雑具合に左右されず、事前に提示された額で一定になる。定額なのもさることながら、運転手も、利用者も、現金を扱うことがないので、強盗にあうリスクが激減する。

さて、実際に利用する際は、利用者はウェブサイトやアプリで、自分のいる場所と目的地、乗車人数を入力する。すると、候補になるUberの車種、運転手、料金の一覧、今いる場所までの所要時間が表示される。今のDCはいたるところでUberが走っているので、大抵2、3分で乗ることができる。これまでの経験では、一番待ったのが6分である。僕はいつも貧乏旅行なので、今日の場合は往路がプリウス、復路がデュークだった。なお、使ったことはないが、事前予約も可能だ。

乗車中は特にやることもなく、普通のタクシーと同じように乗っていれば良い。ときどき渋滞などがあると「渋滞がひどいので、遠回りだけど高速を降りて一般道で行ってもいいか?」などと相談されるが、「適切だと思うルートを選んでください」と任せておけば良い。

そして、目的地に到着したら、運転手に「Have a nice day」とでも声をかけて下車する。

最後に、今日の運転手について、アプリで星1つから5つまでで評価を入力して終了である。

今日はメリーランド州の最もDCよりの場所からヴァージニア州のViennaという街の住宅街まで、22キロの行程だった。

こんな便利なものはない。

このUber、日本では何度か導入が図られているのだが、その度に国土交通省からの指導やタクシー業界からの反対を受けて本格導入が実現しないでいる。安倍晋三首相も「過疎地などで」との条件付きによる導入を検討するだけで、京都での参入も山ほど制約が与えられた様子である。

ウーバー「縛りだらけ」の日本参入 タクシー業界抵抗
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ26I1Y_W6A520C1TI1000/

本格的な導入までは程遠い状況だが、その理由はこの日経新聞の記事を読めば明らかである。

本格参入されれば市場を一気に奪われる――。市議会議員への働きかけを強め、市は3月、実験予算を撤回する。


確かに、タクシー業界にとっては打撃かもしれない。しかし、運転手にとっては特に打撃でもないはずだ。自分も、Uberの運転手になれば良いだけのことである。自己紹介で「タクシー運転歴・・年」などとキャリアをアピールすれば良い。

富田昌孝全国ハイヤー・タクシー連合会会長は「白タク解禁や合法化の動きにはいかなる妥協も条件付き容認もない」と言い切る。


このコメントなんかも、既得権の主張丸出しで笑える話である。要は、「理屈なんか関係ない。誰がなんと言おうとダメだ。理由は俺たちが貧乏になるからだ」である。これがまかり通るところが日本なのである。

事業者の都合が優先されたままでは、日本の消費者の利便性は置き去りにされる。


置き去りにされているのは上にも書いたように、消費者だけでなく、労働者も、なのである。

ことほどさように、日本社会は社会主義性が非常に強い。そして、競争を導入しようとすれば、既得権者達が猛反対する。

先日、ノーベル賞の受賞が決まった大隅良典さんも、東工大での講演で

「日本の大学の基礎体力が低下しているのは深刻な問題」と指摘。研究費の多くが競争的資金になると長期的な研究が困難になるとし、今後、新しい研究分野で日本人がノーベル賞を受賞するのは「非常に難しくなっているのではないかと危惧している」

「日本人受賞で浮かれている状態でない」 大隅さん講演
http://www.asahi.com/articles/ASJB761JLJB7ULBJ019.html

と述べたようだが、これなども既得権者側のポジション・トーク色が濃いと言わざるをえない。この辺の事情については「ノーベル賞の使者」というエントリーで解説したとおり、すでに大隅良典さんもあちら側の人なのである。

総統閣下はお怒りです「ノーベル賞の使者」
http://buu.blog.jp/archives/51432975.html

こういう講演があると乞食みたいな学者やその予備軍が大絶賛するので海のこちら側から見ていると猿山の猿に餌を投げ込んだみたいな状況で失笑を禁じえないのだが、日本にいる人たちにとっては他人事ではあるまい。それどころか、多くの日本人は日本人のノーベル賞受賞というのをめでたがって、もっと研究費を増やすべきだと大隅さんの講演に同調しているかもしれない。しかし、忘れてはならないのは、世界中で最もノーベル賞を獲ってきているのは、大隅さんがまさに批判している競争的資金を広範にわたって導入している米国なのだということだ(2014年で、日本の競争的資金は3500億円、米国は2002年で300億ドル)。

競争は悪、というのは弱者の理論で、社会主義的な発想である。もちろん、競争のすべてが正しいわけではないが、先日例に挙げた敦賀市の例を見ても明らかなように、既得権者たちは大抵堕落するし、グルーバルな視点からの競争力は下落する。そして、業界は不活性化し、公的な支援が必要になっていく。公的支援の主たる原資はもちろん税金である。

敦賀の住民のマインド
http://buu.blog.jp/archives/51531979.html

国に支援を要求する人たちが既得権者の場合は、納税者はきちんと厳しい目で精査する必要がある。役人任せではダメなのだ。たとえばタクシー業界と国土交通省はグルだし、ノーベル賞受賞者の多くと文科省はグルなのである。こうした癒着も、日本をダメにした大きな要因であることを知っておく必要がある。

参考:今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について
http://buu.blog.jp/archives/50339835.html
(日本における大型予算の決まり方について記述)  
Posted by buu2 at 18:41Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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2016年10月05日

(若手)研究者が研究を続けたいなら、やるべきたった一つのこと

●研究者の運、不運
日本人がノーベル賞を獲るたびに、「科学系の予算が減っていて困っている」という日本人研究者たちの嘆きが聞こえてくるのだが、「お前ら、そろそろ気がつかないと馬鹿のレベルだぞ」と思う。君たちのためのお金は、もう日本にはほとんど残っていない。よっぽどの馬鹿が財務省の主計官にならない限り、大幅な予算増は望めない。また、仮に増額されたとしても、君たちの懐は全然暖かくならないだろう。それでも文句を言うことしかできないって、本当に気の毒だ。気の毒って、置かれた状況が、ではなく、頭の中身が少なくて気の毒なのである。

今、ノーベル賞を獲っている人たちは、実力だけでなく、運も良い人たちだ。

山中さんでも、利根川さんでも、大隅さんでも、第二次世界大戦の時代なら、どんなに能力が高くても、まともな研究はできなかっただろう。多分、これは誰もが同意できるのではないか。戦争で国が貧乏なら、科学どころではない。科学には金が必要だ。つまり、国に余裕が必要なのだ。良く「人材育成が必要で、貧乏だからこそ基礎科学が必要だ」という趣旨の能書きを目にするのだが、これまで大学はそういう活動をほとんどしてこなかったし、人材を輩出してこなかったのではないか。だからこその、今の日本経済の低迷なのだ。

山中さんについては例外だが、ほとんどの研究者のノーベル賞に至るまでの業績は、海外での研究か、バブルがはじける前の予算によるものだ。その頃と今とでは、状況が大きく異なっている。今は戦時とは異なるが、高度成長期やバブルの時代とも明らかに異なる。残念なことに今の研究者は運の悪い人たちだが、その運が今後良くなる可能性はかなり低い。

国に金がない、というのは科学に十分な(?)予算が配分されない理由の一つだが、他にも二つ要因があって、それは、「科学にはこれからもどんどん金がかかり続ける」ということと、「科学の価値が下落している」ということだ。

科学に金がかかる、というのはもうだいぶ前からで、僕が理研のゲノム科学総合研究センターの事務方をやっていたときから、すでにヒトゲノム計画とか、タンパク3000とかで膨大なお金を使っていた。DNAシークェンサーなどの技術開発スピードがすごいのは喜ばしいことだが、それに合わせて必要な投資額もどんどん増えている。米国が潤沢な資金で研究を推進する以上、それに対抗するためには同じか、それ以上の投資が必要になってくる。アイデアがほとんどで、お金は全然要らない、という研究は数学ぐらいに限定されていて、残念ながらノーベル数学賞は存在しない。「これからも国家としてノーベル賞を獲り続けたい。あわよくば自分の研究や、自分の後進の研究で」と思う研究者もいるかもしれないが、その可能性は日本にいる限り非常に低いだろう。

また、科学の価値の下落については、3年前に、「科学の価値は?」という記事の中で科学の価値の非普遍性について次のように書いた。

科学の価値は一定ではない。多くの人々は、その価値が不変だと思ってはいないだろうか?しかし、そんなことはない。科学は生活を豊かにする手段である。その価値が過去において高かったとしても、今も高いとは限らない。そして、その価値が大きく下がっていく局面に、僕たちはそろそろさしかかっているんじゃないだろうか?

ブログでバイオ 第82回 「科学の価値は?」
http://buu.blog.jp/archives/51415573.html(註釈1)

僕はこの仮説にかなりの自信を持っているのだが、これが正しいとすれば、科学へ投資することに対する日本人の意欲は、今後も減衰していくだろう。

この他にも、少子高齢化が進んで、社会保障に必要なお金が増え続けているといった社会環境もある。米国の都市部を歩いていると頻繁に妊婦と出会うのだが、日本ではそういうことがない。日本社会には、明るい兆しが何一つ見当たらない。そして、それはそのまま日本の科学に対する逆風でもある。ところが不思議なことに、自分たちの研究費が削られていくことと、日本の経済状態をリンクして考えることができる研究者は非常に少ないようだ。自分の専門領域のことにしか興味がない人種を専門馬鹿という。

●研究の個人性と公益性
また、研究者たちが理解すべきことに、研究は極度に個人的なもので、公益性が低いということがある。要は、研究なんてプラモデルを作ったり、麻雀したり、野球をしたり、釣りをしたりしているのと大差ないということだ。この認識を共有することがまずスタートで、その上で、なぜ研究に税金を投入しなくてはいけないかを考えなくてはならない。

「いや、科学は公共の利益に資する」というのなら、それを提示する必要がある。しかし、残念ながら公共の利益につながった研究は、最近ほとんど目にすることがない。僕が専門のバイオ・ベンチャーだけを見ても、古くはアンジェスMGに始まって、オンコセラピー、さらには最近株式公開に至った会社まで含めても、創薬に成功した会社は一つもない。公開後の初値や、直後に記録した最高値を維持することも困難な会社ばかりである。本庶佑さんなど、いくつか期待が持てる研究者はいるものの、これまで投資してきた金額を考えると砂漠に水を撒いていたようなものだ。

前項で書いたように、今、ノーベル賞を獲っている日本人研究者のほとんどは、1990年代のバブル経済によって好き勝手に実験できた人たちだ。その研究者たちと、今の研究者が置かれている状況は全く異なっている。また、実験にかかる費用も異なっている。実験機器は大型化し、導入コストも、ランニングコストも高騰している。大量のデータをアウトプットしなくてはならず、労働力も必要だ。つまり、国の金はなくなってきているのに、実験にはどんどん金がかかるようになってきている。

ガソリン代が高くなってきているのに収入は減ってきて、おまけに車が古くなってきて燃費が悪くなってきているような状態だ。これでは、車でどこかへ遊びに行くなどはもってのほかである。

それでも、研究者たちは馬鹿の一つ覚えで「金をくれ」と言い続けている。やれやれ。貧すれば鈍するの言葉通りである。君たちの研究資金のほとんどは税金が原資なんだよ。君たちは国に向かって「金をくれ」と言っているつもりかもしれないけれど、実際は国民に向かって言ってるんだよ。

プラモデル作りにも、麻雀にも、野球にも、釣りにも、一定の必要性は存在する。同様に、研究にも必要性は存在するだろう。しかし、大金をつぎ込むほどの必要性があるのか、という、プライオリティの問題になってくると、話はいきなり不透明になってくる。電車のホームに柵を作って自殺者を減らしたほうが良いのではないか、国民みんなが等しく健康的な暮らしを続けていくための出資のほうが重要なのではないか、リニアモーターカーを作って東京名古屋間を40分で結ぶほうが重要なのではないか、国立競技場を作って東京五輪に備えたほうが良いのではないか。比較すべき話は山ほどある。そして、こうした山ほどの案件を精査して優先順位をつけているのが財務省だ。色々な考え方はあるだろうが、僕は近年の財務省の科学に対する姿勢はそれほど冷淡だとは思わない。科学の予算が今すぐなくなっても人の命が短くなることはないが(註釈2)、社会保障費が減額されたら、これまでなら生きていられた人が死ななくてはならない可能性も少なからずある。そうした状況にあっても、科学技術振興だけで1兆3千億円も出しているのである。

研究者たちは何か特別なことをやっているつもりなのかもしれないが、個人的な好奇心を満たすために、税金を使って研究しているに過ぎない。そりゃぁ、他人のお金を使って、自分の好きな研究ができればこんな幸せなことはないだろう。

●ある家族の状況
ある家族を想定してみよう。3世代家族で、50歳前後の夫婦と寝たきりの祖父、20代前半の子供の4人家族だ。夫婦の所得はそれほど多くなく、祖父の面倒を見なくてはならず、生活は苦しい。それなのに、20代の子供は全く働こうとせず、競輪競馬と宝くじの購入にせいを出していて、良い加減にしろとしかると「これで1億円が当たれば、家族みんなで楽ができる」と言うばかりである。バイトをして金を稼げと言えば、「そんなくだらないことで貴重な時間を浪費したくない」と言い、もっと可能性の高いことをやれと言えば、「俺は競馬が好きなんだ」と言って聞き入れない。そして、小学校時代の同級生で大金持ちの息子を例に出して、「俺もあいつの家に生まれれば良かった。好きなことをやっても誰にも文句を言われずに済んだのに」と嘆いている。

これが、そのまま、日本の研究者の状態である。もちろん、研究者は、20代の子供だ。金になるかどうか全くわからない遊びが、研究である。バイトは大学における事務仕事だ。大金持ちの幼馴染は米国の研究者である。

今はこれでも生活が成り立っているが、50代の夫婦もいつまで働けるかはわからない。今後の見通しは全く立たない。

この家族の例で、子供がギャンブル生活を継続するためにはどうしたら良いのだろう。一番簡単なのは、幼馴染の家の養子になることだ。それが無理なら、乞食になって、お金を恵んでもらう手もあるだろう。大金持ちに上手に取り入って、お小遣いをもらうという手もありそうだ。しかし、どれもこれもまっとうに自分の力で生きていくわけではない。科学者とは、そういう人種なのだ。

この中で他人に迷惑をかけずに安定した生活が続けられるのは、金持ちの養子になることである。すなわち、米国の研究機関で研究を続けることだ。なぜ、多くの研究者がそういう手段に出ず、貧乏な日本という国で乞食みたいに「金をくれ」と言い続けているのか、僕にはさっぱり理解ができない。打ち出の小槌がどこかにあると思っているのだろうか。

もちろん、理想的な最善策は、この家族の収入が安定して増え続けることなのだが、今の安倍晋三自民党の経済政策、アベノミクスでは無理である。そのあたりはこちらに書いてあるので、興味があればこちらを読んで欲しい。

日本の向かう先
http://buu.blog.jp/archives/51522712.html

日本の成長力が低い理由
http://buu.blog.jp/archives/51522713.html

贈る言葉
http://buu.blog.jp/archives/51522714.html

また、「俺たちがやっているのは、本当に社会貢献なんだ」と強弁したい人は、こちらでもどうぞ。

明日はどっちだ?(引き続きの現実逃避)
http://buu.blog.jp/archives/51099611.html

●まとめ
(1)日本は貧乏
(2)科学は金がかかる一方で、そこに投資する余裕が日本にはない
(3)科学は以前のような価値が失われつつある
(4)そもそも、研究なんて所詮は個人の道楽
(5)道楽に「金をくれ」というのは貧乏人のいうことではない
(6)好きなことをやりたいなら、日本の外へ行け

●NIHなら
ここからは、僕の専門のバイオ分野に限った話になるのだが、医薬系バイオに限定すれば、NIHは世界でも有数の予算規模を誇っている。医薬系の研究を続けたいなら、NIHは有力な就職先である。だから、「研究費が減額される一方だし、研究環境は悪化の一途である。ノーベル賞研究者たちも改善を主張しているのだからなんとかして欲しい」と乞食の真似事をしている暇があったら、NIHへ行くべきだ。

もちろん、海外の脱出先はNIHの他にもいくつか候補があるのだが、残念ながら、NIH以外の場合は、僕は協力できない。あくまでも、NIHに限定した話だが、もしNIHのポストを確保できたなら、僕に相談すれば良い。どこに住んで、どうやって暮らしていけば良いか、これは研究とは別の話だから、研究者にとっては荷が重いかもしれない。そこは、僕がアドバイスするし、NIH周辺の日本人コミュニティを紹介することもできる。家族がいるなら、家族の英語力をどうやってアップさせるのかといった内容でも相談に乗ることができる。研究以外の場面では、可能な限り支援しようと思う。

米国にも差別はあるし、米国においては日本人は差別される側である。他にも、日本とは違う生活習慣がたくさんあって、誰でもそれなりにストレスは抱えるだろう。それでも、好きな研究を思う存分できるなら、文句はないのではないか?

沈んでいく船にしがみついていても良いことは何もない。溺れる前に、さっさと船を降りたら良い。自由と可能性を求めて外に出るか、乞食のままで溺れるか、あるいは研究を諦めて別の仕事に就くか、なのだ。

生物以外の領域については僕は良く知らないのだが、研究費が必要な分野なら、日本以外で研究できる場所があるはずだ。日本の歴史や文化を研究するとか、東日本大震災の影響を研究するといった例外を除けば、おおよそどの分野でも、日本を脱出するのが最善策だろう。自分の能力に自信があるのなら、生産的なことに時間を使った方が良い。金くれー、金くれーとTwitterでつぶやき続けているのはみっともないだけだ。

#ちなみに、NIHは博士取得から5年以内の制限がある。ということで、一応タイトルには(若手)と括弧書きしておいた。

(註釈1)科学の価値の下落について疑問を呈しているはてブがあったのだが、ここでリンクしている記事を読んでいないのだろう。

(註釈2)はてブを見ていたらここの文脈を読み切れない読者が数名いたようなので、ちょっと修正した。元は「科学がなくても人の命が短くなることはないが」だった。  
Posted by buu2 at 01:45Comments(0)バイオ││編集

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2016年10月04日

長谷川豊をキチガイと書いたところ

「キチガイって放送禁止用語ですよ」とアドバイスをいただいたのですが、もちろん確信的発言(信念に照らして間違いないと確信しての発言)、かつ、長谷川豊というマスコミ人に対する皮肉ですので、念のため。確信の内容については下記参照願います。

テレビや新聞などのご立派なメディアが自己規制するのは勝手なのだけれど、その基準に合わせる気は全然なくて、僕はこのブログでも普通に「キチガイ」という言葉を使っている。

出典:ブログでバイオ 第65回「博士の就職難に関する今の個人的かつ現実論的考え」
http://buu.blog.jp/archives/50890422.html

簡単に言えば、「これは放送じゃねぇよ」ということですが。  
Posted by buu2 at 22:24Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

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2016年10月03日

国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館が大人気

新しくスミソニアンに加わったThe National Museum of African American History and Culture(国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館)の人気がすごい。オープンが当初の予定より1年遅れて期待が高まっていたこともあるのかもしれないが、オープン直後の9月末の時点で年内のチケットは完売だった。チケット?スミソニアンは無料なんじゃないの?と思う人もいるかもしれないが、国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館は入場にあたってTimed Entry Passという、いわば入場整理券のようなものが必要で、このエントリーパスの配布が終了しているのである。そして、来年1月以降の分のエントリーパスが3日に配布開始されたのだが、こちらもアクセスがすごく、ほとんどアクセス不能な状態が続いていた。

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加えて、サイトのシステムに異常があって、なぜか9月分のチケットが申し込める状態になっていて、大混乱となっていた。

最初のうちは、ちょっとおかしいから少し待っててね、ぐらいのメッセージだったのだが、今は

Advanced Timed Passes for January - March 2017 temporarily not available due to technical difficulties. Please check our homepage frequently for updates.


と、まめにチェックしてくれよな、ぐらいのトーンに変わっている。公式にリリースはされていないようだが、非公式な情報によれば少なくとも火曜日中には改修されないようだ。

ということで、年内に国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館に行ってみたいと思っている人は要注意だし、来年前半に行ってみたいと思っている人は、こちらの時間で水曜日以降、国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館のサイトへ行ってみる必要がある。

あ、僕は来年はじめのチケットを無事入手しました。この辺は、2002のW杯の時のチケットゲット術が役に立っている感じ。  
Posted by buu2 at 15:11Comments(0)TrackBack(0)美術││編集

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2016年10月02日

Nava Thai

日本のタイ料理屋さんのメニューは大抵日本人の舌に合うようにアレンジされているのだが、それは米国でも同じで、たいていの店が日本における日本風よりもずっと米国風にアレンジされている。やっぱ、本場の味じゃやっていけないのかな、と思っていたのだが、今日見つけた店は非常にちゃんとしたタイ料理で驚いた。食べたのはソフトシェルクラブのイエローカレー、パパイヤのサラダ、カントリーカレー、ココナッツのアイスといったメニューだったのだが、特に激辛表示になっていたパパイヤのサラダとカントリーカレーが本気で辛くてとても良かった。イエローカレーも美味しかったし、デザートメニューが存在しない店が多い中、ココナッツのアイスを提供していたのもナイス。あと、フロアー係りの接客も非常に良くて、思わずチップをはずんでしまった。






















今のところ、ベテスダのKadhai、アダムスモーガンのKeren、そしてウィートンのNavaがDC周辺のベスト3レストランといえる。

Nava Thai
11301 Fern St
Wheaton, MD 20902
(240) 430-0495  

ワシントン日本商工会テニス

商工会がテニスのイベントをやるというので参加してきた。すると、本当のテニス大会で、即席パートナーと組んでダブルスを2試合やって、そのあとは24時まで各自練習というスパルタぶり。家に帰ったのは夜中の1時過ぎである。

この調子でスキー大会とか、カーリング大会とかやってくれないかな。

ちなみに、ポットラック形式のパーティも含まれていたので、ピザを3枚焼いていった。このうちの1枚が僕の秘密兵器、オリーブオイルの代わりに自家製ラー油を使ったピザだったのだが、なかなか評判が良かったので満足である。








  
Posted by buu2 at 01:00Comments(0)TrackBack(0)スポーツ││編集

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2016年10月01日

Taste of Bethesda

ベテスダでTaste of Bethesdaというイベントをやっていたので見てきた。

http://www.bethesda.org/bethesda/taste-bethesda

5ドルで4枚綴りのチケットを購入し、お店のテントで指定された枚数のチケットで食べものを購入するというスタイル。たいていの店は4枚で提供しているので、気に入った店で5ドルを払って食べ歩く、という志向だ。結局、3つぐらいのお店で食べてみたけれど、正直割高だと思う。せっかくのイベントなんだから、安く提供しておいて、平時にも店に来てもらおう、というマインドではないらしい。馬鹿でかいフライパンで馬鹿でかいパエーリアを焼くのはそれなりに見ごたえがあったのだが、茶碗に半膳分ぐらいで具も見当たらないパエーリアが5ドルじゃぁねぇ。
































  
Posted by buu2 at 15:30Comments(0)TrackBack(0)ワシントンDC││編集

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