2020年08月31日

三浦瑠麗による辛口採点を評価のプロの視点で辛口採点

ご存知のように、僕は三菱総研と経産省で色々な評価を重ねてきたプロである。加えて、ラーメンやとんかつといった客観的評価が難しい対象について趣味で評価を続けてきている。人生の半分ぐらいを評価で費やしてきた。そういう人間から、三浦瑠麗という素人が披露した辛口採点がどうしてダメなのか書いておく。

出典はこちら。

【ポスト安倍を辛口採点 三浦瑠麗】“哲学者”岸田3.0、“一匹狼”河野2.5に対し、菅、石破が3.5の理由は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/646e35ee47eef2f21b34f3584acdb33b572938e2

評価をわかりやすく簡単にするのは、指標を選んで、その客観的数値で比較することだ。最近で言えば、新型コロナのPCR検査などは、サービスを提供している会社ごとに特異度や感度で比較すれば良い。なお、こういう客観的指標で比較する場合も、指標間でどういう重み付けにするかなど、検討が必要になる場合もある。

評価は客観的指標が多いほど簡単で、主観的指標に頼らざるを得ない場合は難しくなる。また、主観に頼る場合は、なるべく客観的に見えるような工夫と、指標間の調整が必要になる。

例えば僕はラーメンを麺、スープ、チャーシューの完成度で、主観で三段階に分類し、それぞれの要素に1〜3の素点を与え、

(麺)×(スープ)+(チャーシュー)ー2

によって点数を算出して、その点数で比較している。
詳細はこちら
http://www.netlaputa.ne.jp/~buu/hyoukahouhou.html

あるいは、最近だと宇都宮の餃子について似たような評価をしたことがある。

ラーメンととんかつの評論家が宇都宮の餃子専門店7軒を食べ歩いた結果
http://buu.blog.jp/archives/51589783.html

ポイントは、どうやって指標を選び、どう処理するかである。また、個人の主観に頼る場合は、その主観の確からしさを主張すると同時に、他の個人が同じ手法で評価できるように、その手法を詳にする必要がある。つまり、どこかの誰かが「お前の主観的評価は納得がいかない。俺が評価するならこうだ」と指摘できる必要がある。評価を参考にする第三者は、どちらの主観がより確からしいかを判断すれば良い。

では、今回の三浦瑠麗の評価はどうか。

数値を出してきて、一見客観的だが、内容を読むと全て個人の主観である。また、評価の指標も、世論調査の結果(これは主観の集合値で、客観的)、人脈、党内統治力、性格、話し方、バランス感覚、頑固さといった様々なものを持ち出すものの、対象によって選ぶ指標がバラバラで、指標間の重み付けなども全く不明である。あげく、最後の三人は「ただ、この3人の★はすべて2.5。茂木さんはフォロワーシップに課題があり、加藤さんも役所運営に手一杯で存在感を発揮できていません。西村さんは派閥の支持に課題があり大きな役所の大臣を務めた経験はないので、国全体をみる能力までは未知数です。」と、十把一絡げで適当に採点している。

複数の指標について主観で評価し、指標の取捨選択を主観で行い、その重み付けもちゃらんぽらんである。つまり、クソ。

ところで三浦瑠麗ってだれ?  

Posted by buu2 at 10:19Comments(0)ニュース││編集

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2020年08月25日

牟田陽日作品集 美の器



牟田さんの作品集が発売になったので、早速購入してみた。

紙質が良く、発色も良い。撮影も被写界深度を深くしていて、全体がみやすいように工夫されている。

牟田さんはこれまでに幾つかの技術的変革を迎えている。六本木のイケヤン★展(2015)あたりで始めた下絵の導入、うつわノートの展示で大々的に導入した赤絵(2016)、館・游彩で始めた油絵的表現(2016)、などがそれらの例だが、最初のうちは作品からも試行錯誤が窺われて、「これは今回は見送ろう」と思ったこともある。しかし、いつの間にか、きちんと自分のものにしている。特に下絵は非常にうまく消化したと感じる。

#私見です。「もっと前からやってたヨ」と言われるかも?

新しいことに挑戦するのと同時に引き出しに仕舞われてしまう技術もあって、「以前はこういうのも描いていたのにね」とちょっと残念に思うこともあるのだが、捨ててしまったわけではなく、突然思い出したように復活させてみたりする。それはゼットンとか、キングジョーとか、ペギラとか、過去の怪獣が良い具合に登場してくる「ウルトラマンZ」を見る楽しさみたいなものだ。

美術の世界から工芸の世界に入ってきて、工芸の枠組みから美術へ発展しつつあるところが面白く、この作品集を見ていると特に美術方面での動きが良くわかる。

おそらくこれからも一度仕舞った技術を引っ張り出してきたり、新しいことを始めたりするだろう。その気まぐれっぷりが牟田さんの魅力である。一方で、そういう牟田さんの行ったり来たりの中で、自分の好みの作品を見つけていくことも僕にとっては大切で(何しろ、牟田さんの作品は2014年ぐらいに比べてかなり高くなっているし、金銭的に購入可能であっても、抽選で当選するという別のハードルがある)、そのための貴重な資料になる。

一品物の陶芸作品は個人蔵になるとなかなか見る機会がないので、こういう書籍が販売されることは本当に嬉しい。

なお、僕が最初に牟田さんの作品を買ったのは2014年の10月。

牟田陽日さんの猪口
http://buu.blog.jp/archives/51456206.html

確か15000〜18000円ぐらいだったと思うけれど、ロクヒルと六本木の駅を二往復して散々悩んだ末に購入した。その時は、陶芸作品に1万円以上払うなんて、清水の舞台から飛び降りるような話だった。わずか7年弱で色々変化したものだが、この時までに知っていた作家さんの井上雅子さん、川合孝知さん、田畑奈央人さんはみんな今でも好きだし、実生活で使っているものも少なくない。その後に知って、今でも好きな若手は実はそれほど多くない。第一印象でビビっとくるものなんだと思う。そういう意味でも、ほとんど知識のない僕に高いハードルを越えさせた牟田さんの才能というのは凄いのだろう。

この本で、牟田さんの作品は一層入手が困難になりそうだ。今までいろいろ買っておいて良かった。  
Posted by buu2 at 15:07Comments(0)牟田陽日││編集

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2020年08月22日

牟田陽日作品集 美の器



ようやく牟田さんの作品集が送られてきた。紙質、発色が良く、被写界深度の深い撮影で、全体像を把握しやすい。牟田さんの作品は360度、ぐるっと見てみないと面白さを堪能できないのでありがたい。一通り見てみた限り、掲載された作品はアート路線の作品がほとんどで、工芸色は薄い。牟田さんはアート領域から工芸の世界に飛び込んだ人で、徐々に工芸の殻を内側から砕いて巨大化し、工芸の破片を纏った美術に進化してきた。そういう牟田さんの今を表現すると、こういう構成になるのだろう。

僕が見てきたこの5年ぐらいでの牟田さんの進化の例をいくつか挙げてみると、六本木のイケヤン★展(2015)での下絵の導入、うつわノートの個展での大々的な赤絵の導入(2016)、館・游彩のグループ展(2016)での油彩のような表現の導入などで、いつも新しいことに挑戦してきた印象がある。その挑戦の最初の段階では、「今回はまだちょっといけてないので、買わないでおこう」とペンディングにしたこともあるのだが、油断しているとあっという間に自分のものにしてしまう。特に下絵の導入は非常にうまく消化していて、以後の牟田作品に厚みを出したと思う。器用さはもちろん持ち合わせているのだが、基礎的な勉強をしっかりやっているのだろう。キュビズムの作家が普通の絵を描かせても上手なのに通じるところがあるのではないか。

今回の作品集は2015〜2016年の試行錯誤の期間から後のものが多く、時系列で並べていないので、そういう進化の過程まではなかなか読み取れない。しかし、進化の過程でこっそり引き出しに仕舞われていたはずのかつての表看板も、時々顔を覗かせている。それはゼットンとか、キングジョーとか、ペギラとか、過去の怪獣が良い具合に登場してくる「ウルトラマンZ」を見る楽しさみたいなものだ。そういうところは5年以上前からのファンには嬉しいところである。

牟田さんの器は、今や高価すぎて使い難いこともあるけれど、名称が器であっても、使うというよりは絵を描くための素材となってきている。創作の過程を見ていないので、まず描きたい絵があって、それを実現できる形を作るのか、まず形があって、それに合った絵を描くのかはわからない。ともあれ、形と絵が融合していて、用途はそれほど重視されていない印象を受ける。牟田さんは、基本的に絵と色で勝負するタイプの作家さんだと思う。だから、活躍の場を九谷にしたのかもしれない。

とはいえ、牟田さんが形状を軽視しているわけではない。牟田さんの作品は歪んでいることが少なくないのだが、蓋物の蓋はぴったりはまるので、適当に作っているのではない。牟田さんの感性ではその形が必然なのだろう。そして、その形の上に、きちんと自分の意匠を表現する技術を持っている。やってみればわかるのだが、平らではないものの表面に絵を描くのはとても難しい。形状が不規則であればなおさらである。でこぼこの面に、筆で太さが均一の線を引くのは至難のわざである。

絵でいうと、犬などの四つ脚動物を描けば応挙、龍を描けば暁斎、鯨を描けば国芳、波を描けば北斎、鶏や花を描けば若冲といったいった具合に、過去の巨匠の影響が大なり小なり見て取れる。最近の作品からは特に若冲の影響が強いと感じる。きっと、色々な名作をじっくり鑑賞しているのだろう。もちろん、作品にするときは物真似ではなく、牟田さんなりに消化して、自分の作品に昇華している。科学も、医学も、芸術も、過去に学ぶのは恥ずかしいことではない。名作の技術や表現を細かく分解し、牟田流に再構築しているのだろう。僕は具体的に何人かの巨匠の名前を挙げたけれど、見る人によれば全然違うかもしれないし、牟田さん本人から「違いますよ」と言われるかもしれない。

コレクターの好みは変わっていく。同時に、作家の作風も変わっていく。この、好みと作風が交差する瞬間に「購入」という行動が発生する。そのあと、コレクターの好みの変化と作家の作風が一致して同じ方向へ変化していく保証は何もない。僕の好みと牟田さんの作風が交差したのは約6年前だろうか。これから牟田さんがどこへ向かうのかは分からないのだが、僕が日本にいなかった3年間を中心に、牟田さんの今を知ることができて、とても良い作品集だった。最近の牟田さんの個展ではいつも開店即完売なので、牟田さんの今の作風を受け入れる人は大勢いるのだと思う。そういう人たちにとっても、コレクションの方向付けと目の保養という2つの意味で、役立つ作品集だと思う。また、一品物の陶芸作品は個人蔵になるとなかなか見る機会がないので、こういう書籍が販売されることは本当に嬉しい。

才能、技術、閃き、努力を俯瞰できる本になっていた。そして、この気まぐれな作家が、これからどんな方向へと向かうのか楽しみにさせてくれる一冊だった。

以下余談である。

僕が最初に牟田さんの作品を買ったのは2014年の10月。

牟田陽日さんの猪口
http://buu.blog.jp/archives/51456206.html

確か15000〜18000円ぐらいだったと思うけれど、ロクヒルと六本木の駅を二往復して散々悩んだ末に購入した。その時は、陶芸作品に1万円以上払うなんて、清水の舞台から飛び降りるような話だった。わずか7年弱で色々変化したものだが、この時までに知っていた若手の作家さんは吉島信広さん、井上雅子さん、川合孝知さん、田畑奈央人さんあたりで、みんな今でも好きだし、実生活で使っているものも少なくない。第一印象でピンとくるものなんだと思う。そういう意味でも、ほとんど知識のない僕に高いハードルを越えさせた牟田さんの才能というのは凄いのだろう。
  
Posted by buu2 at 15:16Comments(0)牟田陽日││編集

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