ANAで鳥取に向かう際、機内のオリジナル番組で「中島みゆきSpecial」を聴いていたら、解説の田家秀樹さんが「島より」という曲について次のようにコメントしていた。
(以下、ANAの機内番組よりコメントをそのまま引用)
「一緒に暮らした相手が遠いところに行ってしまった、ま、海外の島でしょうね、その人から島よりと書いた文、手紙を受け取ったという歌」
「別れた相手から『島より』とだけ書いた手紙をもらったという女性の歌」
(引用ここまで)
あれ?僕の知っている「島より」は全然違う曲なのだが。まず歌詞を転載する。今回は逐語解説が必要なので全詞を引用する。
私たちが暮らした あの窓からは
見えなかった 星の渦が 騒いでいます
浴びるような星の中 心細さも
戻りたさも涙も 溶けてゆきます
私じゃ なかった だけのことね
初めての国で 習わしを覚え
たぶん忙しく 生きてゆけるでしょう
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
なるようになるものね 恋人たちは
遠回りしてもなお 宿命ならば
私じゃ なかっただけのことね
島では誰でも 子供に戻れる
夢を持つ前の 子供に戻れる
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
誰にでも優しいのは およしなさいと
伝えてよ南風 はるかな人へ
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
出典 中島みゆき「島より」(アルバム「世界が違って見える日」(2023年)より引用)
曲の登場人物は二人。そして、島にいる誰かから島にいない誰かへ「島より」とだけしか明かさぬ手紙が届けられた。ここまでは確実なのだが、田家さんの解説は島にいる相手から島にいない女性への手紙が届いたということ。僕の見立ては全く逆で、島にいる女性が島にいない男性に手紙を出したということ。
さて、ここで中島みゆきを知らない人には予備知識を書いておくと、中島さんは自身の曲についてほとんど解説をしない。「書いて歌ってしまったのだから、どう受け取ろうと受けての自由」というスタンスである。なので、どういう解釈が正解ということはない。しかし、それを承知の上で、やはり理詰めで考えていきたい。
まず、最初のパート。
私たちが暮らした あの窓からは
見えなかった 星の渦が 騒いでいます
浴びるような星の中 心細さも
戻りたさも涙も 溶けてゆきます
まず「私たち」が暮らしたのは多くの星が見えなかったところである。たとえば東京とかの大都市だろう。そして、「私」は、今は星がいっぱい見える田舎町にいる。ここで一つの予想が必要になってくるのだが、「私」は男性なのか女性なのかということである。これまで中島さんが書いた曲の第一人称が「私」だった曲は何曲もあるのだが、それが男性と想像できる曲は僕が知る限り一曲もない。なので、普通に考えれば「星がいっぱい見える田舎町にいる」のは女性であると想像できる。
続いて次のパート。
私じゃ なかった だけのことね
初めての国で 習わしを覚え
たぶん忙しく 生きてゆけるでしょう
彼は私を選ばなかった。そして「私」は彼の元を離れ、今は星がいっぱい見える田舎町にいて、そこは日本以外の初めての国である。そこに移住してきてまだ時間が経っておらず、これから習わしを覚えていく必要がある。
#もちろん最初に住んでいた国が日本である必然性はない。
さて、次のパートを見てみる。
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
「島より」とだけしか明かさぬ手紙はどこからどこへ送られたのか。可能性は二つで、島から島以外のどこかか、島以外のどこかから島へである。このパートだけ読んだ場合はどちらなのかはっきりしないのだが、前の2パートを読めば、田舎町=島と考えるのが妥当だろう。とすると、手紙は島より届いたのだから、海外の島国に転居してまもない女性が、祖国に住んでいる過去の男性に宛てて手紙を書いたことになる。
また、その手紙は「島より」とだけしか明かしていないので、「まだ愛しているけれど、もう諦めたので探さないでください」という複雑で入り組んだ心境を表していると想像できる。
続いて、次とその次のパート。
なるようになるものね 恋人たちは
遠回りしてもなお 宿命ならば
私じゃ なかっただけのことね
島では誰でも 子供に戻れる
夢を持つ前の 子供に戻れる
島よりとだけしか 明かさぬ文は
それゆえ明かすでしょう 心の綾を
中島さんは過去に「縁」という曲で
縁ある人 万里の道を越えて
引き合うもの 縁なき人 顔をあわせ
すべもなくすれ違う
出典 中島みゆき「縁」(アルバム「予感」(1983年)より引用)
と歌っているのだが、これと同じで、宿命ではなかったので別れることになって、「一緒になりたい」という夢が叶わず、それで島に移住することで夢を持つ前の子供に戻ろうとしている。
ここまででわかるのは「振った男」と「振られた女」がいて、振られた女はまだ愛情を持っているのだが、男はもう戻る気がなく、だから振られた側が男を忘れるために島に来た、ということだ。
そして、次。
誰にでも優しいのは およしなさいと
伝えてよ南風 はるかな人へ
ここは過去の中島さんの曲の「捨てるほどの愛でいいから」に似た歌詞がある。
誰にでも やさしくし過ぎるのは
あなたの 軽い癖でも
わたしみたいな者には心にしみる
出典 中島みゆき「捨てるほどの愛でいいから」(アルバム「寒水魚」(1982年)より引用)
この歌詞と同じで、「島より」の「誰にでも優しいのはおよしなさい」は彼に優しくしてもらい、その優しさを特別と勘違いした女性から男性への言葉である。そして、これは「南風」によって伝えられる。南風は当然南から北へ向けて吹く風である。したがって、南にいる女性からはるか北にいる男性への言葉だとわかる。
最後のパートは繰り返しなので考察はなし。
ということで、この歌は
女性から男性への手紙である。
女性は南の異国の島にいる。たとえばインドネシアとかフィリピンなどの国の島と考えられる。
女性はまだ男性のことが好きだが、もう諦めている。
と読み取ることができる。
では、田家さんのような「海外の島に行ってしまった男性からの手紙を日本で受け取った女性の曲」と解釈できるだろうか。
まず、「私(=俺)たちが暮らしたあの窓からは見えなかった星の渦が騒いでいる」とは、振った男の心情としてはかなり情緒的すぎる。心細さや戻りたさも身勝手すぎる。
「私(=俺)じゃなかっただけ」も意味不明だし、このパートが女性の側の心情とすればあとに続く「初めての国で習わしを覚えたぶん忙しく生きていけるでしょう」も意味不明だ。
振った男の側に「振りたくなかった」という複雑な事情があった可能性はあるけれど、それでも身勝手なのは違いない。
「島よりとだけしか 明かさぬ文はそれゆえ明かすでしょう 心の綾を」も、受け取った女性の側から推測するのはおかしい。受け取ったなら、心の綾を感じました、だろう。
振った女性に向けて「誰にでも優しいのはおよしなさい」も、なんともよくわからないメッセージである。頑張って譲っても、あちこちに齟齬が生じてしまい、それなら最初から素直に「島に行った女性からの手紙」と考えたらどうなのかと思う。
ということで、ANAの機内番組における田家秀樹さんの「島より」(中島みゆき)の解説は歌詞の誤読なんじゃないかと思う。