高崎のラーメン屋「こましょう」の店主小松正一さんが肺がんで亡くなった。
そんな悲しい日なのに、その知らせを聞いた時は僕は子供の学校の学園祭で子供たちのダンスを見ていて、その後子供をお絵描き教室に連れて行き、夜はマリノスのサッカーを観戦した。夜中になってようやくこのエントリーを書いている。窓の外は雨である。
今でも僕の中ではこまちゃんは役者である。夢の遊眠社は僕の青春時代そのもので、中でも大好きだったのが”贋作桜の森の満開の下”で、こまちゃんはマナコの手下だった。この事実は変えようがないので、最近でも時々「役者をやらないのかな」と考えてしまうことがあった。でも、ほとんど全てのこましょうのお客さんにとってこまちゃんはラーメン店の店主である。なので、僕とこまちゃんの間にだけ、他の人とは違う空気が存在していた。
昔、こまちゃんに「なんで役者を辞めちゃったんですか?」と訊いたら、「役者をやりたいんじゃなくて、遊眠社で芝居をやりたかったんです」と言っていた。僕が遊眠社を愛している以上に、こまちゃんは遊眠社を愛していた。
ラーメン店「こましょう」の思い出といえば、最初期に食べに行った時「ちょっと上品過ぎて味が足りない気がする」と感想を述べたら、「でも、化学調味料は使い方がわからないんです」と言っていた。同じ頃には遊眠社の女優さんたちがお手伝いに来ていて、タケちゃん(竹下明子さん)に注文を取ってもらったことがある。サインは貰わなかった。あと、野田秀樹さんが一番奥で食べていて「大将が来てるんです」と言っていたことが一度だけあった。サインは貰わなかった。駐車場が奥の停めにくいところにあって、毎回苦労した。開店直後に知り合いのラーメン仲間に紹介したこともあって、佐野実さんなどのラーメン評論家が食べに行くこともあったのだが、後で「きーーーたーーーよーーーーと思っていた」と語っていた。佐野さんは雑誌の記事で「もっと堂々としていて良い。今のままでは”困ったしょうちゃん”だぞ」という主旨のことを書いていた。味は高く評価していた。
祖師ヶ谷大蔵から高崎に引っ越した理由は正確には知らない。祖師ヶ谷大蔵の店を閉じる際にどんぶりを全て誰かにあげてしまったそうで、修行先と同じデザインのラーメン丼は二度と目にすることがなかった。高崎店の丼のデザインは祖師ヶ谷大蔵とは違っていて、引っ越したというよりは生まれ変わった気がした。店には芸能人のサインがいっぱい貼ってあった。
今年の2月に、Holtby隊員(当時6歳)を連れてこましょうへ食べに行った。食べ終えて店の前でHoltby隊員の感想を訊いてみると、「今まで食べたラーメンの中で一番美味しかった」と答えた。録画しておいたので、こまちゃんに送ると、「6歳のラーメンマニア凄いです!また食べに来てください」とのことだった。Holtby隊員はヴィランの言い分が大好きで、八嶋智人さんのサインにも反応していた。
こまちゃんは同じく遊眠社のOBである段田安則さんの野球チームの一員で、昔、メンバーが足りないので一緒にやらないかと誘われて、試合を見に行ったことがある。僕はスキーしか能がない人間なので応援だけにしたのだが、こまちゃんは楽しそうに野球をやっていた。でも、最近は試合が減っていたようである。
2005年に川越に一緒にラーメンを食べに行ったこともあって、近喜家という店だったのだが、この店は2018年ごろに閉店したようだ。店はなくなって、僕たちは店のことを忘れて、別の新しい店に食べに行く。・・・・あれ?そんなことはない。ちゃんと覚えている。
最近だと、インスタで横山めぐみさんが来店したことを書いていた。僕にとっては横山めぐみさんといえば「大里んちのれい」以外にあり得ないのだが、こまちゃんも「北の国からのれいちゃんが会いに来てくれました」と写真を載せていて、えーーー、オバチャン保険調査員???何にしても呼んでよ!と思った。
こまちゃんの体調が思わしくないことを知ったのはインスタだか、Facebookだかで、臨時休業を続けていたからだ。9月4日に「体調、大丈夫ですか?」と書くと、「暑さにやられたようで少し体調が悪いです」と返事があったので、「ただの夏バテなら良いのですが、症状が長引くならちゃんと検査受けてくださいね」と書いておいた。こまちゃんは「ありがとうございます」とだけ返事をくれた。
9月17日に共通の知り合いからこまちゃんの体調がかなり悪いということを教えてもらった。8月18日までは普通に営業していて、展開が早過ぎる。そして、20日の昼に訃報である。
こまちゃんは亡くなって、こましょうはどうなるかわからない。でも、こまちゃんがいたことも、こましょうという店があったことも、消え去ることはない。またいつか、どこかで、誰かと、こまちゃんとこましょうについて話したいと思う。
小松正一さんとこましょうは永久欠番である。