2006年10月29日

日本シリーズとは旅であり、旅とは日本シリーズである

〜1974年10月 - 2006年10月〜

僕が「日本シリーズ」というたびに出てからおよそ24年の月日が経った。
8歳の10月、秋空のもととあるダブルヘッダーの第二試合からその旅は始まった。

あの頃は白球を追うことに夢中になり
必死でホームランボールをキャッチすることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
応援メガホンは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは僕自身思いも寄らなかった。
1982年の近藤野武士軍団、1988年の星野竜独走優勝、1999年神宮での二度目の星野胴上げ、2004年のオレ流監督胴上げ。そして今年、東京ドームでの宿敵読売の眼前での胴上げ。
そのたびに、自分の野球観戦人生の大半を占める日本シリーズを観戦した。

ナゴヤドーム、西武ドーム、札幌ドームにも行き
日本中のあらゆる場所でいくつもの試合を観戦した。

日本シリーズはどんなときも僕の心の中心にあった。
日本シリーズは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが僕にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長 させてくれた。

半年ほど前から今回の日本シリーズで中日が優勝したら
25年以上続けてきた中日の日本シリーズ観戦から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、日本シリーズ観戦という旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

日本シリーズは日本野球界の最高峰を決める試合。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

球場で全試合を観戦するようになって以来、「日本シリーズ、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
球場に来ることのできないファンの気持ちまでを背負って応援することの尊さに、大きな感動を覚えながらも
いつまで応援しても日本一にならないドラゴンズに対する苛立ちが生まれていた。

けれど、今年の最後のゲームになった10月26日の日本ハム戦の後
日本シリーズを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきた中日優勝への思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、僕の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

日本ハム戦の後、最後のスタンドの感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドにいた知人の日ハムファンに挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの都道府県のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
日本中のどのピッチにいても聞こえてきた「燃えよ!ドラゴンズ」の歌声――。
本当にみんながいたからこそ、20年以上もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

日本シリーズ観戦という旅のなかでも「札幌ドーム」は、僕にとって特別な場所だった。

今年最後となる26日の戦いの中では、選手たち、スタッフ、そして大多数を占める日ハムファンに
「僕は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えて応援してきた。

僕は今回の日本シリーズ、中日ドラゴンズ日本一の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今のドラゴンズ選手個人の技術レベルは本当に高く、その上経験もある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと僕なりに応援してきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には選手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

日本シリーズがこのような結果に終わってしまい、残念な気持ちでいっぱいだった。
僕がこれまで日本シリーズを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、札幌でラーメンを食べながらいろいろと考えた。
正直、僕が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれど千歳空港で色々飲み食いしてみて、
僕が伝えたかった何か、日本シリーズに必要だと思った何か、
それをたくさんの人にまだ伝えていないことを知った。
それが分かった今、ブロガーたる僕の“姿勢”は
「さっさと今回の旅行記をまとめることだ」と自信を持って言える。

何も伝えられないまま日本シリーズから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。僕のブログを読んでくれている“みんな”が
きっと川上、井端、福留、そして岩瀬の将来を支えてくれると信じている。

だから今、僕は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも僕の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“アクセス”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなのアクセスを胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、応援団として日本シリーズのスタンドに行くかどうかはわからないけれど
中日の応援をやめることは絶対にないだろう。
旅先のスタンドで、カラオケボックスで、運転中の車で、誰かと言葉を交わす代わりに
燃えよ!ドラゴンズを歌うだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで応援してきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じアクセスし続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“また来年”


関連エントリー
旅とはブログであり、ブログとは旅である

この記事へのトラックバックURL