2000年03月17日

分子生物学の閉塞感

ある有力科学者と飲み会。彼の考えは、「ノーベル賞を自分で取るより、自分が教えた人間がノーベル賞を取ってくれた方が嬉しい」というもの。これはなかなかに驚きな話だった。

さて、それはそれとして、僕が携わっている分子生物学の世界というのは、非常に仲の悪い世界である。これは世界的な視野で見てもそうだし、日本に限ってもそうである。では、何故、みんなの仲が悪いのか。これについて、僕の説を書きつつ(前にも書いたかもしれないけど(^^;)、分子生物学の現在からどんな印象を受けているかを書いてみよう。

1分子生物学というのは、広い土地で行う穴掘りのような作業である(左上図参照)。穴を掘りはじめる場所は、ほとんど無限のように沢山ある。例えばある人がヒトを対象としてある研究をしていたとき、別の人間はブタを対象として同じ内容の研究することによって、先人とは別の切り口で研究することができるのである。糖尿病一つ取ってみても、ヒトでやるか、サルでやるか、マウスでやるか・・・・・といった感じで、いくらでも研究ができてしまう。

このような世界なので、「人と違う研究」をするために、多くの科学者はそれぞれ別々の穴を掘り始めた。そして、その穴をどんどん深くすることによって、科学者はその先に埋まっている新事実を発見し、真理に近づいてきているのである。ところが、穴を深くするためには、徐々にその穴の面積は大きくなってきてしまう。そして、掘り始める場所は広大な土地の上に存在したが、真理は非常に狭い場所に存在する。多くの科学者があちらこちらから掘り始めた穴は、あちらこちらでぶつかり合い、なわばり争いに発展してしまったのである(左下図参照)。

2もともと、生物学というのは土木作業に喩えられるくらい、ルーチン作業の多い分野である。そして、分子生物学というのはこの最たる物である。沢山穴を掘った人の勝ち、深く穴を掘った人の勝ち、早く穴を掘った人の勝ち、である。そのためには何が必要か。「掘るための人」と、「掘るための道具」と、「掘るための資金」である。そして、それらは全て、「資金」に行き着きがちである。今の分子生物学界は、この「お金の取り合い」になっていて、研究者同士の仲が非常に悪くなっているのだ。分子生物学に対して文部省、科技庁、通産省、農水省などがばらばらに予算をつけたことも関係悪化を招いた要因だろう。現在では、日本対アメリカ、役所同士、研究者同士と、それぞれのレベルで、決して「良好な関係」とは言えない状態になってしまった。研究者同士の足の引っぱり合いなど、日常茶飯事である。

さて、この状態、決して悪いことばかりではない。競争が激化するわけで、例えばヒトゲノム計画が当初予定よりも何年も早く完了しそうな勢いなのは、日米欧の政府と、アメリカの民間企業(セレラ・ジェノミックス)の競争の結果である。しかし、その一方で、やはり弊害もあちこちで見受けられる。本来、こうした状況を打開するためには、トップダウンによる交通整理が必要なはずだが、ことがここまでこじれると、それもなかなか容易ではないだろう。

分子生物学という分野からは、こういった閉塞感を強く感じるのである。

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