会社から情報が発信されなくなるときは、非常に良い状態か、非常に悪い状態か、どちらかであることが多い。それまで定常的に発信されていた情報が発信されなくなるのであれば、当然背後に何らかの事情があるはずである。
さて、未公開のバイオベンチャーの大御所にオキシジェニクスという会社がある。バイオ関係者であれば誰でも知っている会社で、人工赤血球の開発を目指している。
2006年10月現在の従業員数は68名と、規模から言っても公開ベンチャーと遜色がない。資本金は当時で約21億であるから、準備金とあわせれば40億程度の資金を集めているはずである。
この会社が情報を発信しなくなってから、かれこれ9ヶ月である。良い状態なのか、悪い状態なのか、これは周辺状況から判断するしかないのだけれど、恐らくは間違いなく後者である。なぜそういう判断ができるのか。最近、僕の周りでオキシから転職を企てている人の話をちらほら耳にするからである。もうすでに退職した人の話もある。人材が流出する場合、それ以上のペースで採用を進めていない限りは間違いなくリストラであって、会社の状況は決して良くないはずだ。
オキシジェニクスはちょうど僕が虎ノ門パストラルに出入りしていた頃に創業した会社で、早稲田、慶應両大学の技術シーズを基にした大学発ベンチャーである。その開発の中心は人工赤血球で、世界的に見ても潜在ニーズは大きい。
さて、この会社について僕が知っていることを、想像や状況判断を交えて書いてみる。
まず、人工赤血球の開発がどの程度困難なのか、ということだが、素人目に見て一番ネックになりそうなのが臨床試験である。血液というものは人間個体の最もベースとなる物質で、これがなくては人間は1分たりとも生きていることができない。それほど重要なものを人工的に制作し、その安全性を検証し、さらに有効性を実証すること。これが非常に困難であることは想像に難くない。
人工赤血球が献血などによって集められた赤血球に比較して有利な点は、保存期間が長いこと、人工的に大量生産が可能なこと、ウイルスなどのコンタミ(混入)のリスクが低いことなどが挙げられるが、では「なぜ献血ではなく人工である必要があるのか」という問いに対してはなかなか明確な回答がない。たとえば今僕が交通事故にあって大量の出血をしたとする。医者が僕のところにやってきて、「あなたは今失血死しそうな状態です。なんらかの形で輸血の必要があります。さて、そこで問題です。ここには二つの血液があります。一つは献血によって集められたものです。実は今、非常に緊急の事態なので、この血液はもしかしたら肝炎やHIVなどの病原ウイルスが混入している可能性があります。ただし、輸血の有効性はこれまでの経験から担保されています。もう一つは最近開発された人工赤血球です。こちらは輸血することによって肝炎やエイズになることはありません。多分実効はあると思いますが、まだ臨床例が少ないので確実ではありません。健康な人に注射した実績はありますが、それが注射後どう代謝され、どうやって体外に放出されるかなどはまだ良くわかっていません。どちらが良いか、10分以内に決めてください」と語ったとする。僕は恐らく、人工血液を選ぶことはないと思う。
献血による赤血球が十分に足りていないのは街角で一所懸命献血を呼びかけている姿をみれば簡単に想像がつくのだが、だからといって法律で献血を義務付けたり、あるいは売血を再び合法化するといった行動に出ない以上、決定的に危機的状態でもないこともわかる。つまり、十分ではないけれど、危機的でもない状態において、なぜ新しい人工物を開発する必要があるのか、このあたりにまず最初の問題がある。実際、人工血液のプロトタイプが完成したとしても、その臨床試験を実施するのは非常に難しいと思う。少なくとも日本でこういう試験ができるとは思えず、戦争下の中東諸国、あるいは貧困で悩んでいるアフリカなどでの実施が想定されるのだろう。ニーズが合致すればもちろん問題ないと思うのだが、果たしてそれがうまくまわっていくのかはわからない。
さて、こうした制度上の問題に加え、もう一つ大きな問題があると考えられる。オキシジェニクスは2002年に設立され、実働期間は約5年である。この間、第三者割当増資を繰り返し、調達した資金が40億である。必要のないお金を増資によって集めるとも思えず、かなりの研究開発費が必要とされていることが予想される。現在の従業員数は不明だが、設立当初7、8人だったことを考えると、この時点での人件費は1.5億円程度、一番人数が増えた時点で60人として、年間人件費は6億程度と予想される。これまでの5年間で費やした資金のうち、人件費分はせいぜい20億程度だと考えられる。設備投資なども含め、約20億円を開発費として投入したこととなり、これはバイオ系ということを考えてもかなりの額である。では、なぜこういうことになったのか。想像するに、人工赤血球の原材料費が非常に高額なんだと思う。体内に注射する物質の安全性、安定性、代謝調査などは相当な量の試薬が必要なはずで、これが会社にとって大きな負担になったのではないか。もちろん負担になったのは原材料費だけではなく、実験施設や生産施設の規制対応もあるはずなので、あくまでも推測の域を出ないのだが、仮にこういった要因が会社の足を引っ張ったということであれば、そもそものビジネスモデルに問題があったということになる。
このエントリーのそもそもの出発点、「オキシジェニクスって、そろそろヤバイんじゃないの?」というのが完全に状況証拠による推測なわけだが、それに派生して書いた二つの事項もあくまでも推測ではある。これが的を射ていたか、それとも外していたかは数ヶ月以内に明らかになると思う。
仮にオキシがキャッシュアウトという事態になるとすれば、ワイズセラ ピューティックスに続いての実質的大型倒産(実際には会社は整理せず、リストラして開発段階を技術シーズレベルに戻す、という判断をすることになると思うが)となる。オキシに大金を投じているベンチャーキャピタルなどは苦渋の選択をしたということになるし、VC以外でも総計で100人以上が苦境に立たされることになると思うのだが、一方で、日本のバイオ界としては決して悪いことばかりでもない。ビジネスフェイズのシーズ化(後戻り)によって人材が飛び散るケースは大きいところではワイズセラピューティックス、小さいところでは進化創薬の際も見られたが、他産業で見れば山一證券の倒産などが「倒産してみればポジティブに評価できる部分も少なくなかった」ケースの代表である。間近で会社が潰れていくところを見るという経験は誰にでもできることではなく、そしてその経験はうまく利用すれば必ず次のステップに役立つ。
ネガティブな事態(=倒産)を期待するわけではもちろんないが、仮にそういう事態になった場合には、それを単にネガティブな事象として捉えるのではなく、「この経験をどうやって次につなげるか」を考えなくてはいけないと思う。