2007年06月29日

中村桂子さんの理研における講演会

今日、和光の理研で中村桂子さんが講演を行った。OB会員っていう肩書きで良いのかなー、と思いつつ行ってみたのだけれど、追い返されなくてラッキー。

さて、講演なんだけど、研究不正防止のための講演会という名目からするとどうか、という内容ではあったのだけれど、話自体はなかなか面白かった。いくつかのポイントを列挙すると、

「音楽」と「社会」という形で対比することがないのと同様、「科学」と「社会」を対比したり、その関係を述べたりするのは良くない。

ニーズに応え続けようとした結果が「あるある大事典」であり、ニーズに応えることが全てではない。

研究者のコミュニティ形成が重要。

競争は大事だが、コミュニティを壊してしまうような競争は良くない。

お互いに助け合わなければ、分野が育っていかない。

生命誌研究館にはサイエンティストライブラリがある。是非一度見てみて欲しい。

言葉は非常に大事なので、いい加減にしてはいけない。「科学」と「科学技術」は異なるもので、国家の戦略に登場する言葉がことごとく「科学技術」に代わってしまったことに抵抗がある。

今の状態での発展は継続性がない。どこかで転換が必要。

名詞で考えると思考停止につながる。「語る」「生きる」といった動詞で考えることが必要だと思う。

インパクトファクターとは異なる概念で、「これからはやる」という意味の「パースペクティブファクター」を研究館の人が考えた。こうした考え方もある。

先を見る必要はあるが、それは急ぐこととは違う。

日本はゲノム解析が終わったときに急ぎすぎたと思う。少し時間を停めて考えてみたらどうだったのか。

生命誌研究館では、「きちんと、誰にでもわかる」という視点で展示、ウェブ情報発信などを行っている。

わからないことはたくさんあるし、全てがわかるわけでもない。「わからない」ということを大事にすべきである。


という感じ。僕が思ったのは、

●タンパク3000などではすでに後継プロジェクトの検討が進んでいる。
●しかし、その審査過程は不透明である。
●文科省サイドには「どうせわからないから詳細は知らせなくても良い」という姿勢がある。
●生活者サイドには「どうせわからないから専門家に任せておけ」という無関心姿勢がある。
●「きちんと、誰にでもわかる」という姿勢が必要では。

ぐらい。

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魔神buu*さんがブログで書かれていた「中村桂子さんの理研における講演会」を読みました. >わからないことはたくさんあるし、全てがわかるわけでもない。 >「わからない」ということを大事にすべきである。 「わからないこと」が「わかった」ということをしっかり伝...
村松秀さんの意見とも通じる「中村桂子さんの理研における講演会」の講演内容【Science Communication Blog】at 2007年06月30日 08:45