19日、村上ファンド前代表の村上世彰(よしあき)被告に実刑判決が下された。この判断については取り立てて反論はないのだが、違和感があるのは裁判長の発言。東京地裁高麗邦彦裁判長は「ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売るのは当たり前と被告は言うが、このような徹底した利益至上主義には慄然とせざるを得ない」(出典:asahi.com)と発言したようだが、果たしてこの指摘が正当なのかといわれれば、明らかに不当だと思う。この発言で引用されている村上被告の『ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売るのは当たり前』という発言はどこからどうみてもまっとうであり、自由経済諸国でこの発言を正面から否定しても特に批判がでない国は、先進諸国においてはほとんど見つけることができないのではないか。ここに日本市場の特殊性が見て取れる。
庶民感覚からすると投資行動で大きな利益を出していくことは理解不能かもしれないが、それは決してノーリスクでやっていることではない。ハイリスク・ハイリターンの世界で命を削ってやっていることであり、相応の精神的、金銭的負荷がある行動である。実際にお金を持っていなければこうしたことは出来ないが、だからと言ってお金のない人間(投資できない人間)がその行動を否定してしまったらどうなるのか。
この判決が全ての原因ではもちろんないが、米国を中心とした世界の投資家達は、「日本の市場は独自の、しかも暗黙のルールがあり、そして大衆はそれを支持している」と感じ、日本への投資を減らしていくと思う。「日本ルール」というローカルルールが存在する市場は投資家にとって魅力がないし、海外の投資意欲が低下すれば、円は安くなるし、経済は停滞する。これらが何を意味するかと言えば、日本の経済的鎖国である。
ちょっと前にスティール・パートナー・ジャパンの活動が活発化したとき、「ハゲタカファンドはけしからん」みたいな動きがあったけれども、彼らがやっていることと言えば基本的には「本来の価値よりも低く評価されている会社の株を買い、価値が正当に評価されることによって株価がアップした時点で売却する」ということのはずである。
たとえて言えば、古本屋を回って珍しい古書を発掘してきて、それをネットオークションで「これはこんなに価値がある本ですよ」と宣伝して高く売る、みたいなことである。価値があるのに安く売られている古書を見つけてくるためには高度に専門的な知識が要求されるし、また実際に古本屋を探して回るという労力も要求される。また、その価値を誰でも納得できるように説明し、購買意欲を喚起することも必要だ。誰にでもできることではない。
「本来の価値よりも低く評価されている会社」を見つけてくるのも同様で、それはその会社がどういう株を持っているのかとか、どの程度の土地を持っているのかとか、どういう新規事業展開を企図しているのかとか、もちろん経営者の手腕とか、様々な情報を収集した上で総合的に判断しなくてはならない。誰にでもできることではないことは確かだが、それなりに勉強すればできないことではない。では、なぜみんながこれをやらないかと言えば、一つには「そもそもそういうことができることを知らない」(=情報弱者)のかも知れないし、あるいは「知っているけれども面倒くさい」(=努力できない人)からかも知れないし、もしかしたら「やってみたけど失敗した」(=諦めてしまった人)のかも知れない。どれなのかは分からないが、あくまでも本人の問題である。
まぁ、こういうことをやって儲けている人は別にそれをみんなに言いふらす必要はないので、表面化しないだけで、こっそり儲けている人はたくさんいると思う。当然、生半可な知識で手を出して損をしている人は儲けている人よりもたくさんいるんじゃないかと思うけど。
何にしても、安いものを買って来て高く売る、という行動が悪いはずがない。本来の価値に気がつかなかった人は能力(運を含む)がなかったのだし、本来の価値に気がついた人は能力が高かったに過ぎない。そして、能力が高い人が儲けるのは資本主義社会では非常に普通の話である。
「徹底した利益至上主義には慄然とせざるを得ない」って、この発言に違和感がない人は資本主義があってないと思うし、それが容認される日本社会は世界の中で経済的鎖国に向かうことになると思う。以前にも書いたし後日またまとめるつもりだが、日本は情報的にも鎖国方向へと進んでいる。世界は経済と情報に支配されているが、この両輪において鎖国する方向に進むとすれば、日本には明るい将来はないと思う。
日本は2年ほど前から円安局面が続いているが、「格差」という言葉がはやりだした時とシンクロしているのは気のせいだろうか。