例えば僕だって、大学院出て、それなりのキャリアを積んで、現在にいたるわけだけど、別に今良い暮らしをしているわけじゃありません。だからって、「独立させた社会が悪いんだから、何とかしてください」なんて言いません。全部自己責任ですから。
僕の周りには同じように安定を捨てて苦労している人が山ほどいます。みんな生活がかかっているから、「お上が何とかしてくれるまで待ってます」なんて絶対に言いません。
で、「それはお前の周りにいる奴がデキる奴らばかりだから」と言われてしまったら、もうそこで議論は終了です。僕の周りにいるのはデキる奴らばかりで、それ以外のところにはデキない奴らが沢山いるのかもしれません。でも、そのデキない奴らが何をしているのか、残念ながら僕には見えてこないんですね。だって、デキる奴らはどんどん自分で動くから、目に入ってくるんです。結局のところ、デキるかデキないかは、自分で動けるのか動けないのか、ということではないですか?
5号館のつぶやきさんが「労働問題としてのポスドク問題」というエントリーにおいて次のようなことを書かれていますが、
博士・ポスドク全員が就職するまで、この問題は終わらないと思っています。
これを実現するための一番手っ取り早い方法は、社民党か共産党に票を入れて、日本を名実共に社会主義国家にすることだと思います。そして、かなりの確度で、そんな日本はやってこないと思います。もし職にあぶれているポスドク達が、「もしかしたら国が助けてくれるかもしれない」と思っているとしたら、まずその望みを捨てた方が良いと思います。仮に国がある程度の援助をしたとしても、それは当然ながら、デキない人たちの中にあってもデキる部類の人たちからです。
ストレートに言ってしまうと、博士である以外に何もない、ただ修士課程を修了し、後期博士課程の面接試験に受かっただけの人間かもしれない人の就職の面倒をなぜ公的に見なくてはならないのかがわかりません。もちろん博士課程に進学する際に、「就職は絶対に保障します」という約束が国との間にあったのなら話は別ですが。確かに、「博士になってもろくなことがない」ということが周知され、博士課程に進む人が少なくなる可能性は少なからずあると思います。しかし、その原因はどこにあるかって、役に立たない博士しか作ってこなかった大学に問題があるわけで、そういうところに追い込まれて初めて大学は「役に立つ博士を育成しよう」ということになるはずです。そういった、「正常かつ安定した状態」を生み出すための、今は過渡期にあるのではないですか?
現状の打破のために博士・ポスドクが認識しなくてはいけない点は次の二つだと思います。
1.博士という看板は何の役にも立たない(少なくとも運転免許ほども役には立たない)
2.国は面倒を見てくれない
その上で、自分で何とかしなくてはならないと覚悟を決めないと駄目だと思います。
国が援助すべきかどうか、という部分については、議論しても結論が出ないというか、「援助すべき」という人は一般人にそれを主張しても仕方なくて、文科省や財務省、あるいは政治家に主張すべきだよな、とも思います。もちろん、なんらかの制度的な支援はありだと思いますし(例えば、数ヶ月のインターンシップとか。これも、すでにリバネスなどではやっているわけですが)、すでに文科省は今年度の予算要求でこの手のことを計画しているようです(この手の話はかなり厚労省寄りの話で、文科省としては力を入れたいところでもあるわけです。要は予算の取り合いなので、他省庁の縄張りに入っていくような予算は大好きです。僕は経産省時代、人材育成の予算を取ってきたわけですが、これも厚労省分野の話だったので、経産省は力を入れていました)。
すでにアカデミアにいる人たちは、今の人たちが過去の自分達と同じようなことをやっているにも関わらず、自分達は普通に食べていけているのに、今の人たちは食べていけないということで、後ろめたさがあるのかもしれませんが、こういうのは時代の流れで仕方のない話です。一昔前には炭鉱夫は日本で一番お金を持っている部類の人たちでしたが、今は一番お金に困っている部類の人たちです。他にも繊維産業など、斜陽産業は枚挙に暇がありません。どうしても助けたいと思うなら、自分のポストをポスドクに明け渡せば良いわけですが、もちろん自分が可愛いでしょうからそんなことをする気もないでしょうし、別にそうすべきだとも思いません。
結局のところ、研究の場も競争の場となったわけで、しかもそれは意図的に競争原理を導入したはずです。競争によって、研究の質が高まるという判断ですね。なので、競争に負けた人は、負けたなりの生き方を見つけなくては仕方ないというのが僕の考えです。競争がイヤだ、という人ももちろんいると思いますが、残念ながら中国やロシアも含め、世界中ほとんどの国では競争を肯定する社会になっています。と、突き詰めていくと、小学校の運動会で順位をつけるのは良くないとか言い出すわけのわからない平等主義、平和主義に行き着いてしまうわけですが、残念ながら、競争を否定する考え方は、もう古い、ということだと思います。負けた人にはセーフティネット、ということでしょう。
基本的に産業界は産業界で市場原理のもと、構造改革が進むはずです。意図的に変わらなくてはならないのは、大学と、学生でしょう。