鳥取の旧家3代(正確には4代か?)にわたる女性を縦軸に、その時代の雰囲気を横軸にして、約50年をまとめた小説。
「このミス」で上位にランクされるなど、世の中的にはこれをミステリーに分類するようだが、実際は喪失と再生を描いた普通の文学小説で、僕が受けたイメージは「ノルウェイの森」や「錦繍」といった書籍に近い。この本をミステリーと思って手に取ると、かなりがっかりすると思う。それらしい要素は希薄で、希薄な中に配置された謎解きもそれほど深いものではない。
神話の時代の万葉。巨と虚の時代の毛毬、そして現在から未来を生きる瞳子。それぞれ全く毛色の違う時代を背景に、全く違う女性を描いてしまう筆力は大したものだと思う。
実際に毛毬と同じ時代を生きてきた人間としては、そこに記載されている時代背景と実際とが微妙にずれていたりするのが気になると言えば気になるのだが、そのあたりは「鳥取の田舎の話だから」ということで地理的な部分に起因する差なのかも知れない。というか、そもそもそうした年表のようなものは不要だとも思うのだが、この小説のメインターゲットは恐らく僕の世代ではなく、もっとずっと若い世代なので、それに対する配慮ということなのかもしれない。しかし、それならそれを年表ではなく、エピソードで表現したら良かったのになぁ、とも思う。
この内容をもし宮部みゆきが書けば恐らく分量は10倍くらいにはなっただろうと思うところで、良く言えばスピード感があるのだが、悪く言えば食べたりない部分もある。
しかし、そうした荒っぽい表現の中においてもそこに登場する人物達はどれもなかなかに魅力的で、生き生きとしている。生き生きとしているために、彼らが舞台から消えていくたびにさびしい思いになる。多くの登場人物が消えていくたびに味わう喪失感。しかし、きちんと命のバトンを受け取った次の世代の登場人物は同じように存在感を発揮する。この、喪失感と再生とが織り成す雰囲気が絶妙で心地よい。まぁ、これは読み手によるところが大きいとは思うのだけれど、僕はかなり楽しんで読むことができた。
全ての物語は現代に生きる赤朽葉瞳子の語りによって構成されている。彼女は「語るべき新しい物語は何もない。ほんとうに、なにひとつ、ない。」という凡庸な女性である。そんな凡庸な彼女が自ら自身を語る第三部は、妖しい、手の届かない世界を含めて書かれた第一部、圧倒的な存在感で一気に駆け抜けた第二部に比較して非常に静かで、パワーに欠ける。しかし、その「パワーに欠ける」という部分はそのまま今の若者達を反映したものでもあり、特に、謎解き以外の部分は、瞳子と同じ時代を同じように生きる若者達へのメッセージでもあると思う。ちょうど、僕達が「ノルウェイの森」の「僕」や「緑」からメッセージを受け取ったような。恐らくは、作者、桜庭さんの小説に対する価値観というか、「かくあるべし」という主張が反映されているのだと思う。
最後の5行は、もうちょっと僕にはそのまま受け取れるようなものではないのだけれど、こういうバトンを受け取った人が増えたら良いのになぁと思う。
#多くの人は「こんなのミステリーじゃないじゃん」で終わってしまいそうだけれど。
何しろ、女性作家らしい筆致で、登場する女性達がどれも生き生きとしているのが素晴らしい。先日、桜庭一樹さんは直木賞を受賞したが(ちなみにこの作品も直木賞候補)、今後の活躍が楽しみな作家である。
評価は☆3つ。
忘れた頃に追記(2008/7/7)
古くからのブログ読書つながりのワルツさんがこの作品の書評を書いてます。
『赤朽葉家の伝説』 桜庭一樹 著 読了
「白夜行」、「ツ、イ、ラ、ク」にちょこっと言及されていますが、後者は未読。今度読んでみようかなぁ。