こういうニュースを見ると世の中には本当にアタマが悪い人っていうのがいるんだなぁ、と思う。
飲酒運転:福岡市職員がまた事故…バイクではねる
市長の沈痛な面持ちの写真入りだけれど、もういい加減組織の責任でもないような気もする。日本が国をあげて「人を殺すのはとてもいけないことですよ。一人殺しても重罪、二人殺せばまず間違いなく死刑ですよ」とアピールしても殺人事件はなくならないわけで、どんなに教育しても飲酒運転をする馬鹿はいるんだろう。職員の数がある程度になればそういう奴が存在する確率も当然高くなる。
では、なぜ馬鹿が存在するのか。
まず一つ目に、これまでの「ぬるい罰則」の弊害が挙げられる。社会全体が飲酒運転に甘かった歴史があり、今でも特に高齢の人間との会合では「今日は車なので」と言っているにも関わらず、「乾杯だけなら良いでしょう」とか「一杯だけなら良いでしょう」と言いながら酒を勧める馬鹿がいる。この手の馬鹿はそれでも断ると不満そうな表情を浮かべるわけだが、何十年もの間、それでやってきた人には、もうそういう感覚が刷り込まれてしまっていて、「飲酒運転は社会的に全く許容されない」という現実を理解できないのだろう。こうした人たちの目を覚まさせるのは容易ではない。
二つ目に罰則が軽すぎることが挙げられる。飲酒運転の罰則は以前に比べれば重くなったが、それでも飲酒運転が根絶されない以上、まだ軽いと考えざるを得ない。他の法律とのバランス・整合性という観点も当然あるのだろうが、もっと思い切った厳罰化があっても良いと思う。飲酒運転が重罰に適する最大の要因は「やむにやまれず」という情状酌量の余地がほとんど想定できないことにある。唯一想定できるのは「みんなで飲み会をやっている最中に友達が心臓発作で倒れた。呼吸が停止しており、脈もないため、救急車を待たずに手近にあった車で病院まで運んだ」ぐらいのことだと思う。もちろん、世の中で摘発される飲酒運転にここまでの背景がほとんど見当たらないのは言わずもがなである。
そして三つ目。これが実は一番大きいと思うのだけれど、「運転しても良い基準」が不明確であること。僕に関して言えば、例えば「次の日の朝、6時に起きて車でスキーに行く」という状況において、「では、前日は何時まで、どの程度の酒を飲んで良いのか」ということがわからない。僕は万一のことを考え、次の日にスキーに行くときは前日から飲み会を断ることにしているし、どうしても参加しなくてはならない食事会や宴会では酒を飲まないことにしているが、酒席で「出発が明日なら、別に大丈夫でしょう?」などとお酒を勧められると「果たしてどの程度までが大丈夫なんだろうか」と考えてしまう。今回の件でも、「この量(ビール中ビン2本)でこれだけ時間(2時間)を置いたから大丈夫だろう」という(甘い)判断があったことは想像に難くない。呼気アルコール濃度という客観的かつ定量的な判断項目があるのだから、たとえばこんな商品を入手しておけば、ひとつの判断基準としては役に立ちそうだ(これで計測してオッケーだったからって、運転しても絶対に大丈夫ということではないと思うが)。
今回の事件では摘発された職員は59歳。クビになったおかげで支払わずに済む退職金の金額は2500〜3500万円だろう。仮に3000万円とすれば、この検出器は12000個ぐらい買える計算になる。福岡市の全職員数は約1万人なので、ほぼ全ての職員に配布できるのではないか。ここまですればさすがに「市長というよりは、職員個人の資質の問題だろう」と考えてもらえると思う。
面白そうだから僕も買ってみようかな。