2008年08月31日

LPSA全棋士扇子が新調

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新しく船戸陽子さんがLPSAに移籍・加入したため、全棋士扇子が新しくなった。まだ出来立てほやほやとのこと。扇子コレクターというわけでもないのだけれど、なぜか手元に扇子が集まってくる(笑)。まぁ、何本あっても困るものじゃないから良いんだけれど、使うのがもったいない扇子はたまる一方だったりして、ちょっと悩んでしまう。使うべきか、使わざるべきか。

ところで、LPSAの事務所に出かけたのはちょっと久しぶりだったんだけれど、最初に行ったのは「ライブログカップ」のお手伝いのとき。LPSAのワンデイトーナメントの第二回をうちの会社でスポンサーしたので、そのお手伝いに出かけたのである。

そのとき、僕はパソコンでネット対局の準備をLPSAの事務局でやっていたのだけれど、当然そこで交わされる会話なども耳に入ってくる。それで、印象に残っているのが、ある女流棋士が感情をぶつけるようにして発した言葉。そっくりそのまま覚えているけれど、さすがにここにそれを全部書いてしまうわけにはいかない。また、その意図するところを正確に把握している自信もない。まぁ、何しろ大変なんだな、という印象を持ったわけだ。

今回移籍した船戸陽子さんは、僕は直接会ったことは一度きりしかない。なので、どんな人なのかも良くわからないのだけれど、ブログとかで彼女が書いているのを見ると、最もLPSA的な考えをしそうな人という印象だった。彼女は土壇場まで連盟に残るか、LPSAとして独立するかを悩んでいたようだが、意外なことに、彼女の出した結論は残留だった。どこかで、「家族ですら独立すると思っていたようだ」と書いているのを見た記憶があるのだけれど、恐らくは周囲にいるほとんどの人が意外に感じるような結論だったんだと思う。

もちろん、LPSAの人にとっても同じだったはずで、今回の移籍と言うのは、ようやくあるべきところに収まった、ぐらいのことだったのかもしれない。ただ、女流棋士会は二つの団体にわかれ、状況はある程度固定化していた。当分はこのままなんだろうな、と思っていた矢先での移籍で、事態はこれからまた流動化するのかも知れない。

少なくとも「移籍ができるんだ」ということを将棋界に見せつけ、関係者に「流動化の可能性」を提示したという意味では、LPSAにとっては非常に大きな「移籍」だったと思う。結果論ではあるが、最初から合流しているよりも、こうして移籍して加わってくれた方が、LPSAとしては遥かにポジティブな効果があったと思う。

全棋士扇子はそろそろ文字が一杯である。数人の移籍なら吸収することもできるだろうが、「もう一本の扇子には収まらない」という事態になってくるのかもしれない。

ま、色々なバージョンができちゃうと大変なので、できれば移籍はある程度まとまってやって欲しい、と勝手なことを思うばかりである。