昨日はブログでバイオのオフ会。幹事をやってくれたバイオクオリの水野社長、お疲れ様でした。また、参加していただいた皆さん、ありがとうございました。知らない人が沢山いたので、もともと面識がある人たちとはほとんど話ができませんでしたが、みんな普通に元気そうだったので、つもる話はまた次回に。
さて、昨日の感想なんですが、「仕事がなくて困ってます」というポスドクが何人くるのかなー、と思って、仕事とかまで用意してあったんですが、一人も来ませんでした。みんなそれなりに頑張っている人ばかりで、ちょっと拍子抜け。なぁんだ、ポスドク問題が深刻、とか言ってるけど、困っている人なんか全然いないんじゃん」と即決してしまうのはそれはそれで危険だけれど、「頑張ろうとしているのに、色々ハードルがあって難しい」という人のハードルを下げてあげることはできても、何もせずに呆然としている人を頑張るようにエンカレッジするところから始めるほど暇人ではないわけで。ま、平日の夜ということで飲み会どころではなかったのかも知れないけれど、本当に困っているなら、出てくるよなぁ、と思わないでもないわけです。そのあたり、どうなんでしょうね?
僕以外の参加者の皆さんは凄く親切なので、「どうしてだろうねぇ」と議論していましたが、僕とかは目の前にある事実だけで十分で、いないならいないでいっかなー、と思っていました。
バイオの研究はとにかくマンパワーが必要で、しかも、その多くは時間の経過とともにどんどん機械化されます。ちょっと前、僕がピペットマンを持って実験していた頃は、シーケンス作業は電気泳動のゲルを作るところから全部手作業でした。しばらくして自動的に読み取る機械が出来たけれど、最初のうちはそういう機械も「でも、まだちょっと読み間違いとかあるよね。ペーパーにするなら、きちんと手作業でやらないと」なんていうレベルだったわけですが、そこらへん、技術の進歩は素晴らしいわけで、あっという間に「人間が手作業なんてありえねぇ」みたいな状態になったわけです。じゃぁ、それまで手作業で頑張ってきた人たちはどうなるの、って、基本的には使い捨てですよね。これはもうバイオの構造的な性質。たんぱく質の立体構造を調べましょう、みたいな話だって一緒だし、病気の遺伝子を見つけましょう、みたいな話だって一緒だし、iPS細胞を作りましょう、という話だって一緒でしょう、多分。トップに偉い人がいて、予算を取ってきて作業を割り振る。下っ端はその指示に従って土方作業をする。土方作業をやっている人たちのスキルはどんどん上がるけれど、やがてその作業自体が不要になってしまい、アップしたスキルはそのままどこかに捨て去られる。これはもう、僕が学生だった頃から全然変わってないわけで、それでもこの分野で仕事をしたい、研究をしたい、と思う人は、当然そういう「性質」を理解していなくちゃいけない。それを知らないでポスドクになって初めて「あれ?」って思うのは相当のオッチョコチョイ。今は博士余りがマスコミで報道されていてその問題を誰でも知ってますけど、今から20年近く前でも、「博士に行ったらつぶしが利かなくなるから、就職するなら修士修了のとき」という話が常識でした。
#ただ、そういう使い捨て体質の中でも作業をやらなくちゃいけない人たちはいるわけで、それはそれで大きなストレスを抱えているわけです。だから、普通に考えればこうしたテクニシャン達の待遇は、パーマネントでふんぞり返っている研究者よりも金銭的に優遇されて当たり前。ところが、そのあたりの周辺事情は全く考慮されず、「それなりにトレーニングすれば誰でもできることなんだから、給料は安くて当たり前」みたいに考えられてしまうところは問題だと思いますけどね。でも、これはこれで需要と供給の問題であって、「安くても良い」と思う人が大多数なら、テクニシャンたちの就労環境は改善されませんよね。「高学歴なんだから給料が高いのが当たり前」「研究者なんだから給料が高いのが当たり前」という、看板社会の日本ではトップダウンでの改革は難しいんでしょうね。どこかの会社が、「うちはテクニシャンを物凄く優遇しますよ。ただし、腕の良い人限定。しかもプロジェクトごとの任期制。さぁお待ちしております!」とかやり始めれば、ボトムアップで変わっていくかも。
でも、昨日、そういう話をしたら、「いや、でも、学生は惰性で大学に入って、惰性で修士に行って、惰性で博士課程に進んじゃうんですよ」なんていう意見があったわけです。この、「惰性で博士」っていうところが、相当ヤバイわけですね。学校としては定員を確保してあるし、労働力は欲しいから、進学してくれる学生は多ければ多いほど助かるわけです。奨学金をもらうことができるなら、金銭的なハードルも低い。おまけに好きな実験もできる。なるほど、そういう構図ですか。ポスドクになって仕事がない、という現実に直面するまでは皆が皆、都合良くまわっていたわけです。そして、最後の最後で、ポスドクだけ「あれ?」みたいな。そして、他の人たちは知らん顔。自分の居場所だけは確保しつつ、「国がなんとかしないと」とか言ってガス抜きするのが関の山です。
ま、何にしても、目の前に実際に困っている人がいて、個別具体的な問題を提示して貰って、「さて、どうしましょうか」という相談には乗ることができる(かもしれない)わけですが、目の前に誰もいない状態で、一般論として「こうするべきだ」みたいなつまらない議論をすることには、少なくとも僕は全く興味がなく、また、黙っていても、そんなことは暇な大学の先生とか、文科省の役人とか、そのあたりがやってくれることでしょう。そんな議論の延長線上には生産的なものは何も存在しない(単なる問題の先送りか、オッチョコチョイを益々駄目人間にしてしまうか、せいぜいその程度だと思います)と思っていますが、ま、それはそれ。やりたい人がいるんならご自由に、という感じです。
ということで、そろそろ「ポスドク問題をどうしようか」みたいな話からは卒業して、新しい方向にドリブルを始めようかなぁ、なんて思った次第です。いや、前からそう思ってるんだけど、そうするといつの間にかトラップにかかって、元に戻っていたりするんですがね(^^; どうなんでしょうね、参加者の皆さんとか、あるいはこのシリーズを読んでいる皆さん。まだやっぱりポスドク問題ですか?
あぁ、あと、やっぱり姿が見えるというのは大事だなぁ、と思った次第。普通にシリーズ化しても先細りになりそうな気がしないでもないですが、逆に上手にコントロールしていけば、このブログでバイオのオフ会もそれなりに盛り上がるかも知れないなぁ、と思った次第。次は忘年会ですかね?
第55回はこちら。バックナンバー集もあります。ありがたや、ありがたや。
【ブログでバイオ】第55回 ブログでバイオのオフ会(9/11)まだ参加枠があるそうです