野田地図の「パイパー」を観て来た。
野田地図というと最近はどうしても番外公演の小さいところの芝居を評価したくなるのだけれど、大きな箱における前作(新作という意味で)の「ロープ」が非常に良い出来だったので、どうしても期待してしまう。そういうわけで年度末かつ冬季の忙しい時期にも関わらず、3公演分のチケットを確保してあるのだけれど、その一回目の観劇。
結論から言うと、「ロープ」とはやや異なる視点からの感想ではあるものの、良い舞台だった。いや、「良い舞台」の一言で片付けて良いものなのか。凄い舞台だったと思う。
野田秀樹氏がシスカンパニーを離脱して最初の舞台ということで、演劇好きならどうしたって注目する舞台である。何が変わるんだろう、何が違うんだろう、というところにどうしてもフォーカスされてしまうところがあると思うし、僕自身、「キル」で「野田さん、劇団を解散してまでやりたかったのは、本当にこれですか?」とまで書いてしまったので、当然注目していた。野田さんの最大の特長は「出演者の良いところを極限まで引き出すことができる」というところ。この才能はほかに類を見ないと思う。しかし、その才能は再演ではどうしても発揮しにくい。それは、出演者を前提として作品を作り上げていくからだと思う。演じる人が変わってしまうとどうしてもその輝きは落ちてしまう。夜長姫は毬谷友子さんがやらなくてはだめで、農業少女で深津絵里さんがどんなに好演していたとしても、やはりフィットしないのである。だから、野田作品の新作は何をおいても観ておく必要があると思っている。
では、今日の舞台はどうだったのか。最大の見所は芝居のクライマックス。「あぁ、野田さんはこのシーンをやりたかったんだな」と思わされた。そのシーンのできは本当に素晴らしい。ロープを観たときに宮沢りえさんが実況する戦争シーンに打ちのめされたのだが、今回のシーンでは言葉の洪水の中で涙が出てきた。単純化され、かつ美しい舞台で二人のヒロインの口から出てくる絶望的な単語の数々。絶妙なふたりのタイミング、しかも一本調子ではなく緩急をつけた台詞回し、ところどころに配置された反復によるアクセント。宮沢りえさんが舞台で素晴らしい輝きを放つことは「ロープ」で観て知っていたのだけれど、いまひとつ良い印象がなかった松たか子さんも宮沢りえさんに負けず劣らず見事な演技で、「競演」という言葉がこれほどフィットする二人も滅多にいないと思った。このシーンだけで十分にチケット代の価値がある。というか、それまでのすべての時間はこのシーンへの誘導のためだけにあったのかも知れない。他にも、4歳の子供、食堂のおばちゃんと30代半ばの女性をしゃべりだけで演じ分けてみせたり、技巧のオンパレード。遠くから見るとわからないかも知れないが、松さんの表情の変化の見事さにも感心した。
物語の舞台は未来の火星。地球から移民してきた人々の1000年を語っていく。そこでベースになるのが幸せの度合いを示す数値。火星にいる人類がどの程度幸せなのか、その数値が常に表示される。その数字の上がり下がりに応じて物語が進んでいくが、実はその数値は「パイパー」という人工物によって制御されている。物語前半ではその数値は上昇し、後半では下降する。そうやって制御された「退廃」の中で、人は何を思って生きていくのか、というのを描いている。最後に提示されるのはロープでも提示されたものだが、ロープ同様、その大きさは限りなく小さい。そして、それすらも近い将来断たれてしまうことが暗示されている。それでも、それなしには生きていけない人という存在を描いていたんだと思う。
他にも、「生きている他を殺して食べること」と「死んでしまった同胞を食べること」を対比して、重い選択を迫ってみたりするあたりにストーリー上のアクセントがある。ともすると主題がどこにあるのかわかりにくくなり、何が言いたいのか良くわからなくなるのだけれど、そのあたりは「観る方で勝手に考えてちょうだい」といういつもの奴なんだと思う。
役者さんたちはどれもこれも芸達者で、ほとんど難点が見つからない。主演の女優二人はもちろん、橋爪功さん、大倉孝二さんなど、「いつものメンバー」たちがそれぞれに十分な存在感を見せていた。そんな中、今回の舞台で「あれれ?」と思ったのは二人。一人目はサトエリ。ちょっと演技力という意味ではどうなのかな、と思わないでもない。しかし、今回の芝居でサトエリに要求されたのは演技力ではなく、おっぱいの存在感である。そして、それはいかんなく発揮されていた。さすがは女好きの野田さんである。こと女性に関する限り彼の人選は間違いがなく、おかげで演技とか、歩き方とか、舌滑とか、そんなことはとりあえずどうでも良くなってしまった。「うわー、その衣装でそんなに動いたら、ポロリと行っちゃったりするんじゃないの?」と心配になってしまうと同時に、あるわけないのに「ポロリと行かないかな」と期待してしまう。完全に意識を持っていかれてしまった時点で、「やられた」ということだろう。そしてもう一人の「あれれ?」は野田さん本人である。動き自体は最初から抑えられた本になっているのだけれど、何がいただけないって、声である。もともと野田さんの声はそれほど通るものではなく、聞き取りにくいことは間違いがない。しかし、そこまでわかっていても、「あれれ?」と思ってしまうくらいの調子の悪さだった。おそらく風邪をひくとか、何らかのトラブルを抱えていたんだと思う。骨折したわけじゃないから代役を立てるほどではないにしても、やはりあれだけの調子だと「大丈夫かなぁ」と思ってしまう。もうちょっとコンディションが良ければ、もっと良かったのにと思う。
ストーリー、役者も良かったけれど、衣装や舞台芸術も相変わらず見事。パイパーの表現も素晴らしい(こちらは演出も含め)。
そうそう、毎回お楽しみの小道具。紙だったり、センスだったり、対象物が何になるのかは毎回注目されるところだけれど、今回はおはじき。なかなか面白い提案だったのだが、今回はいつもほどの存在感はなかった。ストーリー上では重要な役割を果たしているものの、その応用が少なかったと思う。ここについてはちょっと残念だった気もする。
あと一回は確実に観るので、今回はこのくらいにしておく。何しろ一回観ただけでは見落としもあるだろうし、当然のことながらすべてを語るのは無理だ。でも、評価は☆3つ。演劇が好きな人はもちろん、ちょっと興味がある、ぐらいの人でも十分に楽しめると思うし、演劇の良さも満喫できると思う(と言いつつ、だめな人にはだめなんだと思うけれど)。ただ、台詞が聞きにくいところとかは間違いなくあるので、事前に戯曲を読んで勉強しておくほうが良いと思う。「新潮」に掲載されている。
ところで、話を追いきれなかったみたいなんだけれど、ダイモスの食べ物はどこから出てきたの?