2009年01月20日

新しい時代の仲間

僕はかねてから「正社員の解雇規制を撤廃しないと日本の社会は変わらない」とブログで散々主張しているわけだが、そういう主張をどんなに繰り広げても正社員が山ほどいる日本ではいつまで経っても変わらないこともわかっている。それで、僕が何をしてきたかというと、自分の会社において解雇規制を個人的に撤廃したわけだ。

ところどころで書いていると思うけれど、僕が役員をやっている会社は基本的に能力主義(正確には「やる気主義」)で、給与のかなりの部分を成果報酬にしている。入社する人の希望によっては固定給部分を厚くすることも可能だし、いつのフェイズでもそういう給与体系に移ることを否定しないが、セーフティを確保する場合はリスクを背負わない分、給料を安くするというやり方にしている。有期雇用と無期雇用なら有期雇用の社員の給料が高くなるようにするし、能力給と固定給の割合で前者が高い社員は後者が高い社員より給料が高くなるように考えている。なぜって、それが理想だと思っているからだ。本当ならこれがオールジャパンで採用されるべきだと思うけれど、実際にはそうなることは難しいこともわかっているので、仕方なく自分たちだけでやっている。このやり方だと、会社を辞めることになったとき、次が見つからない可能性が大きいので、社員にとってはかなりの負荷が発生するわけだが(社会全体が正社員を保護する現在の法体系を前提に出来上がっている中で、勝手に正社員を保護しないやり方で会社を運営しているわけだから、当たり前だ)、その分、給料では優遇していると思うし(会社の給与体系は年功序列、終身雇用を一切考慮しておらず、社長以下末端の社員まですべて同じ方法を適用して給与を決めている)、それが嫌なら最初から入社しないでくれ、と口を酸っぱくして説明している。ただ、誤解して欲しくないのは、「とにかくどろどろになるまで働け」などという気はさらさらなく、「適度な給料をもらって、自分の時間をきちんと確保して、人間らしい働き方をしたい」ということであればそれはそれで構わないというスタンスだということ。僕のブログを読んでいればわかると思うのだが、僕は映画を見たり、スポーツを見たり、演劇を見たり、スキーをしたり、こうやってブログを書いたり、本を読んだり、かなり好き勝手にやっている。それは自分の時間があるからだ。ものすごい勢いで働いていないから、実は給与の面では全然大したことがない。本当はこれは株主的には問題視されるべきところだし、僕自身ももうちょっと仕事ベースにしていかないととは思っている。特に最近は社員が増えてきて、社長としてもうちょっと社員が働きやすい環境を整備していかなくてはいけないな、と考えつつあるのだけれど、それはそれとして、今後も自分の時間はある程度確保していくつもりでいる。そして、そのスタンスは社員に対しても一緒である。「これまで大企業で一所懸命働いてきて、その働き方に疑問がある」という人に対しても門戸は常に開いている。ちなみに、上のほうで「やる気主義」という注釈を書いたが、これは「頑張る気があっても、不幸にして成果が上がらない場合」については配慮する、という意味だ。能力主義、成果主義ではあるけれど、ある程度の部分は努力もきちんと認める、ということ。ただ、たとえばライブログは資本金103万円、バイオクオリは資本金250万円の小さな会社だから、セーフティネットはそれほど大きくない。なるべく早い段階で自立してもらう必要は当然ある。

という感じで、完全能力主義、完全やる気主義、完全成果主義でやっているわけだが、これをやっているとどういうことになるのか、会社を運営して4年弱で随分見えてきた。

景気が悪い、雇用が厳しい、という状況にあっても、うちの会社のようなところは傍から見ると相当厳しく見えるのか、そもそも入社希望者というのはあまりいない。おかげで僕たちの会社は慢性的な人材不足である。うちの会社は年齢とか経歴とかも一切無視なので、入社試験(面接のみ)にあたっても履歴書などはまったく要求しないし、もちろん「博士は駄目」とか、そんなことも言わないのだけれど、まぁとにかく応募は少ない(笑)。でも、そんな中でも「厳しい環境で自分を試したい」とか、「自分の時間を確保しつつ、自分のやり方で働きたい」という人はちらほらいるわけで、人材がまったく供給されないわけでもない。それで、会社のメンバーはどうなっていくか、というと、残る人は残るけれど、残れない人は残れない、という当たり前の結果になる。個人攻撃をする気はさらさらないし、入社に当たってはこちらから勧誘した部分もあるので、あまり詳細には書かないが、突然「もう無理です」とか、「元木さんのやり方ではうまくいくと思えません」などと言い出して会社を去っていった人たちもいる。そのたびに「僕は人を見る目がないなぁ」と思うわけだが(個人の処理能力という意味ではなく、厳しい環境の中でも頑張っていける能力を見る目がない)、社長という立場にいるにも関わらず逃げ出していく人がいるのを目の当たりにして、「無理な人には無理なんだな」と再認識した。結果、今会社に残っている人は本当に能力の高い人ばかりだ。社会的にセーフティネットが用意されていないというマイナス要因の影響も非常に強いと思うのだが、そうしたバイアスもあって、完全な少数精鋭になってしまっている。

正社員(無期雇用社員)の解雇は、法律と判例で非常に厳しく規制されてしまっているが、僕の会社以外でも、外資系などはかなり自由度が高い状況で運営されている例があると思う。要は、社員と経営サイドの両者が合意していれば、かなりのところまで自由に解雇できると考えて良いはずだ。この「合意」の形成フェイズが非常に大事で、日本に存在する古い企業の多くでは、今となってはこれが不可能に近い状態だ。

たとえば池田信夫さんの雇用に対する考え方に対して僕は非常に共感するところがあるし、それを実現していかないと日本の世界に対する競争力は低下する一方だとも思うのだけれど、日本社会自体が世界に対する競争力よりも自分の立場の維持を重視する以上、どうしようもない。それであるなら、ある意味、非常に厳しい立場におかれてしまうという現実はあるものの、「自分の能力を試したい」「自分の好きな生き方をしたい」という人に対しては場を提供していく必要があると思っている。

上にも書いたけれど、うちの会社への応募は決して多くはない。たぶん、能力を試したい人、好きなように生きたい人というのは思いのほか多くはなく、ほとんどは日本の既存システムの枠組みの中で生きていくことを選択したいのだと思う。そのことはポスドク剰余問題などからも垣間見ることができる。

僕はこのブログでポスドク問題について言及していることもあり、仕事に困っているポスドク達に活躍の場を与えられたら、仕事を与えられたら、と思い、いくつかの提案を行ってきている。また、「いつでも相談に乗ります」という姿勢を明示していることもあって、時々「家族を抱え、仕事がなくて困っている」という相談者が連絡を取ってくる。彼らに対しては個別に相談に乗っているわけだが、僕は誰彼差別なく相談に乗るわけではない。僕も時間に限りがあるし、無駄なことに時間を割くほどお人よしでもない。なので、「本当にやる気がある人」以外は相手にしないことにしている。「じゃぁ、元木さんは「こいつはやる気がないな」と思ったら、門前払いなんですか?」ということになるのだけれど、実際はそもそもやる気がない人はほとんど門戸を叩いてこない。僕はあちらこちらに「やる気がない人は相手にしません」と明記しているので、自分の気持ちに自信がない人は最初から相談を持ちかけてきたりはしないようだ。

博士取得者などは日本の教育システムにおいてはハイエンドの教育を受けてきた種類の人間で、最も能力主義の評価システムにフィットしなくてはならない人種だと思う。彼らが年功序列、終身雇用の従来型評価システムにフィットしないのは当たり前なので、日本型の企業から嫌われ、そのレールに乗りにくいのもこれまた当然至極な話なのだけれど、その有能であるべき博士たち自身が年功序列、終身雇用を求めているのだから困ったものだ。プロ野球選手が「どこかの実業団でやらせて欲しい。野球ができなくなったら親会社で雇って欲しい」と言っているようなものである。

だから、僕はそういう考え方の選手の中から、本当に能力がある選手を見つけてきて、プロフェッショナルの考え方を提示し、そしてその資質にあった生き方を提言している。逆に言えば、能力がない選手や、プロフェッショナルの生き方に頭をシフトできない人にはどうしようもない。

上で逃げ出してしまった社長のことを書いたけれど、ある共通の知り合いからその元社長のその後を聞いてみたら、「彼は社長としてではなく、やはり従来型のシステムの中で生きていきたいんだと思うよ」という主旨のことを言われた。僕はこちらの世界で生きていける人材だと思っていたし、元社長自身も生きていけると思っていた節があるのだが、両者ともにその点を誤解していたということだろう。どちらか片方でもそのことに気がついていれば社長がすべてを放っぽりだして逃げ出すなどという事態には至らないと思うのだが、結果として非常に不幸なことになってしまい、以後、僕はさらに慎重になっている。誰もが生きていける世界ではないし、無理にそこに引き込めば当然不幸な結果になる。また、本人が自覚していないケースもあるのだから、いっそう慎重にならざるを得ない。

しかし、である。今は大きなチャンスでもある。自分で新しい世界を作っていけるかも知れないのだ。サイエンスにおいてはそういう時代はほとんどない。バイオで言えば、二重らせんが発見されてから、PCRが発明されるぐらいまでの間が最もエキサイティングな時代だったと思う。物理は良くわからないが、おそらくはアインシュタイン、シュレーディンガーあたりまでがそういう期間だったのではないか。そして、日本のビジネス界は、今がそういう時代の初期なのではないかと思う。日本という社会の終末期なのか、それとも新しく生まれ変わる最初なのか、どちらになるのかは自分たち次第。

まずは、そうした中で一緒に頑張っていける仲間を探していきたいと思っている。