2009年01月21日

ライブログで何をするのか(草稿)

最近、会社の理念や僕のスタンスを説明する機会が徐々に増えてきたので、ブログにも書いておくことにする。例によって「草稿」と書いてあるのは、あとで手を加える可能性がある、という程度の意味なので、ご理解のほどよろしく。


僕はかねてから「無期雇用社員(=正社員)の解雇規制を撤廃しないと日本の社会は変わらない」とブログで散々主張しているわけだが、そういう主張をどんなに繰り広げても無期雇用社員が山ほどいる日本ではいつまで経っても変わらないこともわかっている。それで、僕が何をしてきたかというと、自分の会社において解雇規制を個人的に撤廃したわけだ。こう書くのは正確ではないのだけれど、結果的にそういう状態になっている。

ところどころで書いていると思うけれど、僕が役員をやっている会社は基本的に能力主義(正確には「やる気主義」)で、給与のかなりの部分を成果報酬にしている。入社する人の希望によっては固定給部分を厚くすることも可能だし、いつのフェイズでもそういう給与体系に移ることを否定しないが、セーフティを確保する場合はリスクを背負わない分、給料を安くするというやり方にしている。有期雇用と無期雇用なら有期雇用の社員の給料が高くなるようにするし(ただし、実際は無期雇用しかいない)、能力給と固定給の割合で前者が高い社員は後者が高い社員より給料が高くなるように考えている。なぜって、それが理想だと思っているからだ。本当ならこれがオールジャパンで採用されるべきだと個人的には思うけれど、実際にはそうなることは難しいこともわかっているし、色々なバリエーションがある中で労働者が好きな形態を選べるというのが健全だから、他社がどうだって別に構わない。

何しろ成果主義というやり方だと、会社を辞めることになる可能性が高い。能力が低ければ食べていけなくなってしまうのだから。実際、僕は社員を強制的に解雇した経験は一度もないのだけれど、辞表を受け取った経験は何度もある(ただし、ライブログで辞表を受け取ったことはまだない)。能力の高い人にとっては居心地が良い世界だが、能力の低い人にとってはすこぶる居心地の悪い世界だ。だから、僕が首を切っているわけではないけれど、結果としてやっていけなくなってしまう人は発生してしまう。僕たちの会社では、過去にいくら稼いでいてもまったく評価しないし、年齢を功績に換算することもしないので、若い人に手厚く、高齢者に冷たいと考えることもできる。そうした方針で会社を経営してみたところ、実質的に解雇規制を撤廃したような状況になってしまったわけだ。

今の日本では、会社を首になった場合(あるいは辞めた場合)、次が見つからない可能性が少なからずあるので、能力不足によって会社を辞めなくてはならなくなる可能性があるという状況は、社員に対してかなりの負荷が発生するわけだが(社会全体が正社員を保護する現在の法体系を前提に出来上がっている中で、勝手に正社員を保護しないやり方で会社を運営しているわけだから、当たり前だ)、その分、給料では相当優遇していると思うし(会社の給与体系は年功序列、終身雇用を一切考慮しておらず、社長以下末端の社員まですべて同じ方法を適用して給与を決めている)、それが嫌なら最初から入社しないでくれ、と口を酸っぱくして説明している。

#もちろん、ここには書けない方法でいくつかのセーフティネットは考えているのだけれど。

ただ、誤解して欲しくないのは、僕たちの会社は「とにかくどろどろになるまで働け」という会社ではない、ということだ。どうしても、ということならそういう働き方をしてもらっても構わないのだけれど(もちろん、健康に悪影響が出ない範囲での話だが)、「適度な給料をもらって、自分の時間をきちんと確保して、人間らしい働き方をしたい」ということであればそれはそれで構わないというスタンスだということ。僕のブログを読んでいればわかると思うのだが、僕は映画を見たり、スポーツを見たり、演劇を見たり、スキーをしたり、こうやってブログを書いたり、本を読んだり、かなり好き勝手にやっている。それは自分の時間があるからだ。そして、現在は「ものすごい勢い」で働いていないから、実は給与の面では全然大したことがない。本当はこれは株主的には問題視されるべきところだし、僕自身ももうちょっと仕事ベースにしていかないととは思っている。特に最近は社員が増えてきて、社長としてもうちょっと社員が働きやすい環境を整備していかなくてはいけないな、と考えつつあるのだけれど、それはそれとして、今後も自分の時間はある程度確保していくつもりでいる。「自分の時間があってこそ自分の人生」だし、そうした時間があって、色々なものを吸収しているからこそ、幅広い視野からものごとを判断できていると思っている。

そして、そのスタンス、すなわち、個人の時間を大事にするべきだ、という考え方は、社員に対しても一緒である。モーレツ社員ばかりを求めているわけではなく、「これまで大企業で一所懸命働いてきて、その働き方に疑問がある」という人に対しても門戸は常に開いている。というか、むしろそちらを歓迎している。

ちなみに、上のほうで「やる気主義」という注釈を書いたが、これは「頑張る気があっても、不幸にして成果が上がらない場合」については配慮する、という意味だ。能力主義、成果主義ではあるけれど、ある程度の部分は努力もきちんと認める、ということ。ただ、たとえばライブログは資本金103万円、バイオクオリは資本金250万円の小さな会社だから、セーフティネットはそれほど大きくない。なるべく早い段階で自立してもらう必要は当然ある。

という感じで、完全能力主義、完全やる気主義、完全成果主義でやっているわけだが、これをやっているとどういうことになるのか、会社を運営して4年弱で随分見えてきた。

景気が悪い、雇用が厳しい、という状況にあっても、うちの会社のようなところは傍から見ると相当厳しく見えるのか、そもそも入社希望者というのはあまりいない。おかげで僕たちの会社は慢性的な人材不足である。うちの会社は年齢とか経歴とかも一切無視なので、入社試験(面接のみ)にあたっても履歴書などはまったく要求しないし、もちろん「博士は駄目」とか、そんなことも言わないのだけれど、まぁとにかく応募は少ない(笑)。でも、そんな中でも「厳しい環境で自分を試したい」とか、「自分の時間を確保しつつ、自分のやり方で働きたい」という人はちらほらいるわけで、人材がまったく供給されないわけでもない。それで、会社のメンバーはどうなっていくか、というと、残る人は残るけれど、残れない人は残れない、という当たり前の結果になる。個人攻撃をする気はさらさらないし、入社に当たってはこちらから勧誘した部分もあるので、あまり詳細には書かないが、社長のポストを任せていたにもかかわらず、突然「もう無理です」とか、「元木さんのやり方ではうまくいくと思えません」などと言い出して会社を去っていった人もいる。そのたびに「僕は人を見る目がないなぁ」と思うわけだが(個人の処理能力という意味ではなく、厳しい環境の中でも頑張っていける能力を見る目がない)、社長という立場からですら逃げ出していく人がいるのを目の当たりにして、「無理な人には無理なんだな」と再認識した。結果、今会社に残っている人は関連会社も含め、本当に能力の高い人ばかりだ。社会的にセーフティネットが用意されていないというマイナス要因の影響も非常に強いと思うのだが、そうしたバイアスもあって、完全な少数精鋭になってしまっている。

日本の大企業においては、無期雇用社員の解雇は法律と判例で事実上非常に厳しく規制されてしまっているが、僕の会社以外でも、ベンチャーや外資系企業などはかなり簡単に解雇している例があると思う。要は、社員と経営サイドの両者が合意していれば、かなりのところまで自由に解雇できると考えて良いはずだ。この「合意」の形成フェイズが非常に大事で、日本に存在する古い企業の多くでは、今となってはこれが不可能に近い状態だ。

たとえば池田信夫さんの雇用に対する考え方に対して僕は非常に共感するところがあるし(参考:正社員はなぜ保護されるのか)、それを実現していかないと日本の世界に対する競争力は低下する一方だとも思うのだけれど、日本社会自体が世界に対する競争力よりも自分の立場の維持を重視する以上、どうしようもない。僕は政治家ではないし、政治家気質でもないので、政治的手法によって世の中を変えていくことは多分できない(田舎の地方自治体を解雇規制撤廃特区にすることを目指す、なんていう手もあると思うし、実は某所でそれを提案したりもしているのだけれど、おそらくは実現しないだろう。夕張、赤平、歌志内あたりでこれをやったらどうかと真剣に考えるのだけれど)。発言に影響力もないので、実際に理想とする体制の会社を運営するぐらいしか手がないのである。上に長々と書いたことの要点は、「終身雇用と年功序列をセットで導入すると雇用が流動化しなくなる。年功給だけでも廃止すると実質的に終身雇用も不要になる」ということだが、給与はそのまま生活に直結するだけに、こちら側(年功給の廃止)に足を踏み出すにはそれなりの勇気が必要だろう。

僕たちと一緒にやっていくということは、ある意味、非常に厳しい立場におかれてしまうという現実はある。しかし、「自分の能力を試したい」「自分の好きな生き方をしたい」という人は存在するはずで、彼らに対してはこれからも場を提供していきたいと思っている。

上にも書いたけれど、うちの会社への応募は決して多くはない。たぶん、能力を試したい人、好きなように生きたい人というのは思いのほか多くはなく、ほとんどは日本の既存システムの枠組みの中で生きていくことを選択したいのだと思う。そのことはポスドク剰余問題などからも垣間見ることができる。

僕はこのブログでポスドク問題について言及していることもあり、仕事に困っているポスドク達に活躍の場を与えられたら、仕事を与えられたら、と思い、いくつかの提案を行ってきている。また、「いつでも相談に乗ります」という姿勢を明示していることもあって、時々「家族を抱え、仕事がなくて困っている」という相談者が連絡を取ってくる。彼らに対しては個別に相談に乗っているわけだが、僕は誰彼差別なく相談に乗るわけではない。僕も時間に限りがあるし、無駄なことに時間を割くほどお人よしでもない。なので、「本当にやる気がある人」以外は相手にしないことにしている。「じゃぁ、元木さんは「こいつはやる気がないな」と思ったら、門前払いなんですか?」ということになるのだけれど、実際はそもそもやる気がない人はほとんど門戸を叩いてこない。僕はあちらこちらに「やる気がない人は相手にしません」と明記しているので、自分の気持ちに自信がない人は最初から相談を持ちかけてきたりはしないようだ。

博士取得者などは日本の教育システムにおいてはハイエンドの教育を受けてきた種類の人間で、最も能力主義の評価システムにフィットしなくてはならない人種だと思う。彼らが年功序列、終身雇用の従来型評価システムにフィットしないのは当たり前なので、日本型の企業から嫌われ、そのレールに乗りにくいのもこれまた当然至極な話なのだけれど、その有能であるべき博士たち自身が年功序列、終身雇用を求めているのだから困ったものだ。プロ野球選手が「どこかの実業団でやらせて欲しい。野球ができなくなったら親会社で雇って欲しい」と言っているようなものである。

だから、僕はそういう考え方の選手の中から、本当に能力がある選手を見つけてきて、プロフェッショナルの考え方を提示し、そしてその資質にあった生き方を提言している。逆に言えば、能力がない選手や、プロフェッショナルの生き方に頭をシフトできない人にはどうしようもない。しかし、プロフェッショナルであることはそれほど難しいことではない。僕は6歳のときに父親を亡くし、母子家庭で育った。母親は仕事を持っていたので、僕は商店街の中で商店街の人々によって育てられた。そこには、八百屋、カメラ屋、文房具屋、床屋、町工場の社長といった人々がいたが、それらの人たち全員が僕の親であり、そしてプロフェッショナルたちだった。プロフェッショナルに求められるのは特別な才能ではない。「自分の力で生きていく」という覚悟。それだけである。ただ、今の日本では、この覚悟を持つこと自体が難しいのかもしれない。

上で逃げ出してしまった社長のことを書いたけれど、ある共通の知り合いからその元社長のその後を聞いてみたら、「彼は社長としてではなく、やはり従来型のシステムの中で生きていきたいんだと思うよ」という主旨のことを言われた。僕はこちらの世界で生きていける人材だと思っていたし、元社長自身も生きていけると思っていた節があるのだが、両者ともにその点を誤解していたということだろう。どちらか片方でもそのことに気がついていれば社長がすべてを放っぽりだして逃げ出すなどという事態には至らないと思うのだが、結果として非常に不幸なことになってしまい、以後、僕はさらに慎重になっている。誰もが生きていける世界ではないし、無理にそこに引き込めば当然不幸な結果になる。また、本人が自覚していないケースもあるのだから、いっそう慎重にならざるを得ない。

しかし、である。今は大きなチャンスでもある。自分で新しい世界を作っていけるかも知れないのだ。サイエンスにおいてはそういう時代はほとんどない。バイオで言えば、二重らせんが発見されてから、PCRが発明されるぐらいまでの間が最もエキサイティングな時代だったと思う。物理は良くわからないが、おそらくはアインシュタイン、シュレーディンガーあたりまでがそういう期間だったのではないか。そして、日本のビジネス界は、今がそういう時代の初期なのではないかと思う。日本という社会の終末期なのか、それとも新しく生まれ変わる最初なのか、どちらになるのかは自分たち次第。

まずは、そうした中で一緒に頑張っていける仲間を探していきたいと思っている。最近僕はブログで頻繁に人材募集に関する記事を書いている。それは、景気がどんどん悪くなってきているからだ。景気が悪ければ今まで取れなかった人も取りやすくなる。企業は簡単に固定費削減を考えて人材を放出するし、新卒の就職は難しくなる。当たり前だし、簡単なことだけれど、今の社会状態はうちみたいな会社にとっては千載一遇のチャンスなのだ。

余談だが、僕のブログを読んで「元木は新自由主義者だから時代遅れだ」と論じる人が時々いる。実際、僕の考え方は一般に新自由主義といわれる考え方を取り入れているところがあると思う。規制は緩和すべきだと思うし、政府が介入しないで済むところには介入すべきではないと思っている。また、ライブログの取締役に薦められて読んだフリードマンの「資本主義と自由」は名著だと思う。しかし、別に自分が新自由主義者だとは思っていない。僕は「資本主義と自由」が名著だと思うと同時に、「ムハマド・ユヌス自伝」も名著だと思っている。フリードマンとユヌスの考え方は全く違うという人がいるのだが、両者のコンセプトを同時に満たすような世界も当然存在すると思っている。ユヌスの考え方について、僕はまったく否定する部分がないし、彼が展開しているような活動を僕なりにやって行きたいと思っているのだが、特に素晴らしいと感じる点は「社会貢献に関心のある人は、NGOより事業活動に関心を持ってほしい」としているところだ。社会貢献と事業活動は両立するものだと思うし、資本主義社会に生きている限り、その構成員は可能な限り事業活動に参画すべきだと思う。

競争し、お金を稼ぐと同時に社会に貢献する。会社の仕事をしながら、自分の生活も大事にし、潤いのある人生を過ごす。そんな共通の目標を実現するための場としていきたいと思っている。

参考:ライブログの理念

ムハマド・ユヌス自伝―貧困なき世界をめざす銀行家

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)


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この記事へのコメント
拝見しました^^

>そこには、八百屋、カメラ屋、文房具屋、床屋、町工場の社長といった
>人々がいたが、それらの人たち全員が僕の親であり、そしてプロフェッシ
>ョナルたちだった。プロフェッショナルに求められるのは特別な才能では
>ない。「自分の力で生きていく」という覚悟。

全てに言及すると大変なので上記に着目

要するに今は〜の所為にする無責任な人が増えてしまったんですよね。
そのくせ身の丈に合わないことをしようとする。
身の丈は何時でも努力すれば高くすることができるのに。
「自分の力で生きていく」ために必要なスキルを身に付けるだけのこと。


でも、人間って生きている限り運もあると思う。
どんなに頑張っても努力しても日の目を見ない報われない人も多くいます。
その努力に対しての対価がきちんと付与されるような世の中になって欲しいと私も思います。

私は大田区の唯一無二の技術を持つ町工場の社長さんが断腸の思いで次々と工場を閉鎖している現状を非常に憂いてます。
そして日本にドイツのようなマイスター制度を導入できないのかと日々思案しています。いずれ余裕ができたら、そのための活動も視野に入れながら。

「ハゲタカ」映画を観るのであれば、是非ドラマを観てからにして欲しいですね。このエントリーを読まさせて頂き、ますますその意を強くしました。
NHKのあの手のドラマは下手な映画を観るより遥かに価値がある。
「大地の子」もそんな作品でした。






Posted by ライトユーザー at 2009年06月13日 01:52
> でも、人間って生きている限り運もあると思う。

そうですね。運の良しあしがあるのは仕方ないです。でも、機会はなるべく均等な方が良いですね。

> 「ハゲタカ」映画を観るのであれば、是非ドラマを観てからにして欲しいですね。

ドラマかー。ツタヤにあるかなぁ。
Posted by buu* at 2009年06月15日 00:06
>ツタヤにあるかなぁ。

私の近所のツタヤには在庫ありましたが、案の定というべきか貸し出し中でしたw

Posted by ライトユーザー at 2009年06月15日 07:41
> 私の近所のツタヤには在庫ありましたが、案の定というべきか貸し出し中でしたw

なるほど。準新作とかだと良いなぁ。水曜日に探してみます。
Posted by buu* at 2009年06月16日 00:20
はじめてコメントします。
ご近所の皆が『親』として協力して下さる事、
中欧諸国では良く見受けらたなと思い出しまして、同感です。
母からもそんな話を聞いた事もありますし。

私は今まで、
好きな仕事をして、
その縁で更に良いお仕事のお話を頂けたり、
沢山の人に恵まれたことに感謝しながら、
趣味の時間に打ち込める体力を付けるために、働いています。
多分、このスタンスは、ずっと変わらないと思います。
なんか、的外れなコメントかもしれません、すみません。
ただ、buuさんの記事に共感出来た、という事をご理解くださいませ。
Posted by motoko at 2009年09月14日 02:12
> 中欧諸国では良く見受けらたなと思い出しまして、同感です。

中欧、良い所ですよねぇ。アテネ五輪が価格暴騰で実現しなくなってしまい、かわりに中欧に行ったんですが、とても印象が良いです。もちろん、社会がわかるほどじっくり見てきたわけではないのですが。

ここにまとめてあります(^^ →中欧日記
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/6360458.html
Posted by buu* at 2009年09月14日 08:08