2009年04月13日

景気は回復しないほうが良い

政府の追加経済対策というものが発表されたようで。

<追加経済対策>政府が決定 過去最大規模でGDP2%上げ

この政策でGDPを2%引き上げたいという希望らしい。まぁ、希望を持つのは悪くないし、実際、ある程度の効果は期待できると思うのだけれど、ではそれがどの程度日本の経済回復に寄与するのか、となるとはなはだ不透明である。この記事では経済対策の中身についてもざっとサーベイしてくれているが、

【自動車・家電】
【住宅】
【雇用】
【子育て支援】
【企業の資金繰り支援】
【株価対策】

というところに絞られていて、ぱっと見ると「どうやってこの分野に決め打ちしたんだろうなぁ」という、この対策の成り立ち側の方にまず興味がいってしまう。たとえば経済産業省で予算についてどうしましょう、ということになると、まず最初にやることは各担当者レベルがそれぞれの問題意識を持ち寄って、「これが必要ですよ」というのを片っ端からあげていくこと。次に、それを各課でまとめて、省内での全体調整を図る。これによって「これが経済産業省のアイデア」というのをまとめ、たとえば「うちに1兆円ください」と、それを財務省に提出する。財務省は各省から出てきたそれぞれの案を俯瞰した上で、「経済産業省のお金は5000億円ぐらい」と返事をする。経済産業省はその数字を省内に持ち帰り、「1兆円って言ったけど、5000億円だってさ。じゃぁ、省内で調整しましょう」ということになって、最初の案から重要性の低いものを削除していく。この、「重要性の低いもの」をどうやって選んでいくか、このプロセスによって予算の内容は決まってきてしまうわけで、力関係的に自動車、家電、住宅、福祉あたりが優位にあったのか、ということなんだろう。これは別に省内の力関係がそのまま顕在化するというわけでもなく、たとえば先日の高速道路一律1000円みたいな話でもそうだと思うのだけれど、政治家の力というのも決して小さくないはず。

そういう、裏の力関係が色々あって「ここに決め打ち」ってなったんだろうから、僕たち一般国民としては「はい、そうですか」でおしまいなんだけれど、問題はその効果がきちんと見込めるかどうか、ということ。

いや、僕は先日の高速道路1000円もちゃんと効果はあると思っている。実際、3月末はそれほどでもなかったけれど、次の週とかは高速道路は凄く混雑していた。あぁ、みんな安いからって遠出しているんだなぁ、と感じた。僕とかはスキーの関係でほぼ毎週高速道路を使っているので、そのあたりは非常に良くわかる。が、である。その効果というのがどの程度景気に反映されるのか、特に、長期的な景気回復にどこまで寄与するのか、ということになると、かなり不透明だと思う。もっとわかりやすい例なら、定額給付金がある。僕はこれも景気刺激策としては、特に短期的な策としてはそれなりに効果があると思う。だから、こういう策は否定しないし、余力があるなら色々やれば良いと思う。が、である。では、それは長期的に効果がありますか、と問われれば、その継続性には非常に大きな疑問が残る。先日のF-1のカーズシステムみたいなもので、その一瞬は非常に効果があるんだけれど、継続的な効果は微妙だ。カーズシステムは毎周6.7秒ずつ使うことができるが、定額給付金は毎年ということにはなりにくい。スイッチ、オーン、までは良いけれど、すぐにまた元に戻ってしまうのでは話にならない。

では、なぜ「その場限りになってしまわないか」と危惧するのか。それは、日本の経済対策が本質的なところにタッチしていないからである。

今の日本の景気悪化は、一般的には「米国のサブプライム問題」が発端とされている。実際、そこを契機に物凄く悪化したのは間違いがない。では、「米国が風邪を引いたから、日本も風邪を引いた」という感じなのか、とういことなのだが、実際に症状だけを見ていると「米国が風邪を引いたら日本が肺炎になった」という印象がある。米国の風邪はなんだかんだ言ってそれなりに回復しそうな雰囲気というか、期待感があるのだけれど、日本の景気にはそういった期待感が全くない。じゃぁ、全然駄目なのかといえばそんなこともないのだが、ではその期待感はどこに起因するかといえば、「米国の景気が回復すれば」ということになる。この手の、根拠が希薄で、しかも他人頼みの「雰囲気」というのは、たとえば株価なんかを見ているとある程度皮膚感覚として認識できる。そういうわけで、今、日本の製造業の株価というのは徐々に上がってきつつある。そもそも「これは駄目だ」という雰囲気によって大きく下げてしまった部分があるので、「雰囲気に呑まれて下げすぎた」と反省したという見方もあるのだけれど、「米国だっていつまでも駄目じゃないでしょう」という期待感の総合体が雰囲気として形成され、株価が上がってきているような気がする。まぁ、それはそれで良い話なのだけれど、雰囲気には根拠がないので、何か困ったことがあるとあっという間に崩壊してしまう。つまり、今の景気回復感にはしっかりとした土台がないのである。土台がないところに持ってきてその場しのぎと言っては何だけれど、カーズみたいな景気刺激策しかやらないから、「運が良ければ景気回復」ということになって、「運が悪けりゃこのまんま」ということになってしまう。このブログに時々コメントしてくれるe-さんのミクシィの日記に一ヶ月ほど前、

なんだかんだ言っても、定額給付金も高速道路値下げも、景気対策にはなると思う。

ただ、社会全体が何も変わらないのに景気が良くなるとしたら、それはそれでどうかと思う。せっかくの良い機会なのだから、もっと色々構造改革してくれれば良いのに。


と書いたのだけれど、その考えはもちろん今も変わっていない。米国には「今は駄目だけど、米国だから数年できちんと回復する」という自律回復への期待感があって、日本にはそれがない。その理由は両者が立っている社会基盤そのものにある、というのが僕の考え方だ。

では、日本が抱えている社会基盤の問題点はどこにあるのか。それは自由競争社会ではないこと、株式投資に対する考え方、硬直した労働市場、ゆとり教育、閉鎖的国内市場などなどである。このブログでも労働市場問題などについては何度も言及してきているのだけれど、これらが改善されない限り、日本の本質的な経済回復は期待できない。そして、そこに焦点を当てたのが「構造改革」だったはずだ。小泉さんのやろうとしたことが全部正しいとは思わないのだけれど、大事なのは「小泉さんが正しかったかどうか」ではなく、「構造改革が正しかったかどうか」である。そして、僕は構造改革は正しかったと思うし、これからも進めて行く必要があると思っている。

昨年後半から、もしかしたら今現在も、「米国型資本主義経済は破綻した」という考え方が出てきたけれど、僕自身は最初から、そして今もその考え方には否定的なスタンスでいる。確かに間違った方向に進み、その結果、世界の経済に大きな影響を与えたのは間違いないのだけれど、それは米国型資本主義経済の考え方の中で十分に修正が可能だ。だからこそ、ほとんど全ての人が「米国の経済は必ず回復する」と考えているはずである。口では「破綻した」とか言っている人たちも、その一方で米国の経済基盤に対しては絶対的な信頼を寄せている。では、その根拠は何なのか、ということである。

米国が風邪を引いた。おかげで日本も風邪を引いた。米国はどうも治りそうだ。日本はなぜか治りそうな感じがないし、今も当の米国より重症に見える。

この事象だけを見てひとつ比喩を考えると、日本という国はHIVに感染しているような状態だと言える。普通の状態なら大きな病気にならない、あるいは症状が出ても回復するような病気なのに、なぜか大事になってしまう。そして、回復の予兆が見えない。今はそんな状態の中で、「おなかが痛いんですね。では、整腸剤を出しましょう」「頭痛がするんですね。では、頭痛薬を出しましょう」「熱が出ているんですか?解熱剤を出しましょう」といったことをやっているに過ぎない。もちろんそれらの薬はそれなりに役に立つはずだが、切れてしまえばそれまで。ずっとその薬を服用していればそれらの症状はある程度改善するだろうけれど、そのうち効き目が弱くなってくるかも知れないし、そもそも顕在化している不具合にしか効き目がない。気が付かないうちに重度の感染症になってしまい、取り返しがつかないことになっても不思議ではないのである。ではどうしたら良いかって、もちろん根本を治療する必要があるわけだ。ところが不思議なことに、世の中はなかなかそういう論調になってこない。最初にも書いたとおり、個別の経済対策が全く役に立たないとは思わない。また、それらの効果をきちんと検証していきましょう、という意見にも別に反対する気はない。しかし、どちらも本質的な問題解決にはつながらないと思う。せいぜい、「イマイチ効果がありませんでしたね」という結論を導くだけだ。あるいは、運良く米国の景気が回復し、運良く日本は大きな失政をせず、運良く日本の景気が回復し、結果として「あのときの追加経済対策は効果があった」という非常に運の悪い結末に至るのかも知れない。

ただ、本当に正直なところを言えば、これらの景気刺激策が本質的なものではないということに国民が気が付かないのであれば、景気は回復しないほうが良いと思う。

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