僕がこのブログでまじめな記事を書くときは、大抵の場合はバイオネタか、既得権者からどうやってその権利をひっぺがしたら良いのか、というのがテーマである。ときどき書いている将棋ネタは一見このふたつとは関係なさそうに見えるのだけれど、実は紛れもなく後者だったりする。そもそも、僕は将棋のファンではないし、さらに言えば日本女子プロ将棋協会(LPSA)のファンでもない。だから、もちろん、ファンクラブにも入ってない。でも、LPSAに所属する何人かの女流棋士とは仲が良いし、そのほかにも数人の将棋の関係者(棋士を含む)と飲みに行ったりすることもある。それは、将棋のプロとそのファンという関係では全くない(と、僕は思っている)。
以下、将棋の話が長く続くので、追記に書きます。興味のない人はさようなら(笑)。
僕の基本的なスタンスは、まず常識を疑ってかかること。いつも普通に繰り返している日常が、本当に理に適っているのか、というところからスタートする。社会人になったらなぜスーツにネクタイなんですか?と思うから僕は大企業にいたときも公務員をやっていたときも基本的に私服だった。大企業の会社員や公務員をやっていれば将来は安泰ですね、という考え方にも疑問があったのでさっさと辞めてみた。ぱっと目に付く大きなところはもちろん、日常の小さなことでも、「習慣になって、そこに当たり前に存在することが、本当に一番正しいことなのか」と考えるようにしている。
これまた一例を挙げれば、先日電車の中で見つけた日能研の広告である。
簡単に見えるが
ひょっとしてこの問題のどこに問題点があるのか、わからない人がいたかも知れない。少なくとも、日能研の広報スタッフや法政大学中の人はわからなかったんだろうけれど、この問題では、車のスピードについて一切触れられていないのが問題だ。太郎君と花子さんの乗っている車のスピードが同じ速さなら、答えはひとつになる。でも、そのことには全く言及がないのである。日能研の人たちとかは「いや、こういう問題なら、同じスピードなのが常識でしょう?」と考えるのかもしれない。もしかしたら、この問題を見た人のほとんどがそうなのかもしれない。でも、僕の場合は「いや、太郎君の車が凄く速くて、花子さんの車がポンコツなら、花子さんの車は南向きに走って見えるかも知れないよな」と思うわけだ。
別に僕のように考える必要はないし、むしろ世間一般的には、「南東の方向に向かっているように考えるのが普通でしょ。これを南向きと考えるなんてただの天邪鬼じゃん」という方がマジョリティのような気もする。で、別に僕自身は自分がいつも正しいとも思っていないのだけれど、何しろ「本当にそれで良いの?他の考え方ってないの?」と思うところからスタートしている。これはもう、癖としか言いようがない。合コンに行って血液型を聞かれれば面倒くさいので「B型です」と言えば、ほぼ全員が「あぁ、やっぱりね」という性格だし、今までの人生で「変わってる」と言われることはあっても、「普通だよね」と言われたことはほとんど記憶にない。
と、「ちょっと変わり者です」という部分を自己分析してみたけれど、これは本題ではない。まぁ、僕はそういう感じでちょっとひねくれた視点でものを見るので、「将棋」というものもあまりストレートに見ていないのかもしれない。いや、自分的にはストレートに見ているつもりなのだけれど、どうもその考え方は多くの人とは一致しないようだ。しかし、そういった特殊な考え方も、後から世間がついてきてくれれば立派な正論になる。「労働者の権利が大きすぎる」なんていうのも僕は随分前から書いてきているし、「ホワイトカラーイグゼンプション」についても前向きだし、その他もろもろ、「あいつは何言ってるんだ」ということを色々書いてきているけれど、「あれは間違いだった」と訂正するような事態にはまだなっていない。それで、その視点から将棋を見てみたときに、LPSAの将棋連盟からの独立というのは非常に正しい判断だったと思うし、その正しい判断をした人たちが何らかの問題を抱え、そしてその解決に多少なりとも手助けができるなら、越えられずに困っているハードルがあればそのハードルが少しでも下がるような協力をしたいと思っている。そんな視点からLPSAとの距離感を図ってきていて、そして今度の日曜日には「どうぶつしょうぎカップ」を協賛するわけだ。
さて、そんな立ち位置だから、僕は明らかにLPSA寄りのスタンスで、そのスタンスから日本将棋連盟という組織のアクティビティをなんとはなしに観察しているのだけれど、ここ数週間、日本将棋連盟周りでは色々と問題が持ち上がってきているようだ。
日本将棋連盟とは、もちろん将棋関係の組織なのだけれど、この立ち位置は非常に不明確である。一応彼らは公益法人になることを目指しているようだけれど、その前途は非常に厳しいと思う。公益法人制度改革において、今後公益法人格を取得することができるかどうかでよく議論になるのが日本相撲協会(財団法人)と日本将棋連盟(社団法人)なのだけれど、どちらも対象が伝統文化であるというところで共通している。ただ、対象が伝統文化であったとしても、やっていることが互助会だったり事業者協同組合だったりするのなら当然公益法人格は取れないだろう。
公益法人制度改革についてはこちらにポンチ絵(これって、公務員の方言ですか(笑)?)があるのだけれど、
公益法人制度改革のポイント
ま、要すれば「公益に資する法人は税制面で優遇するけれど、そういう団体はきちんと精査しますよ」ということなんだろう。で、今まで公益法人ぽいと思われていた法人も「あんたんところは公益法人として適当じゃないよ」とか言われてしまうと、税制面での優遇がなくなってしまい、お金が厳しくなってしまうらしい。ということで、日本将棋連盟の方々は「なんとしても公益法人!」と思っているかどうかは知らないけれど、いろいろと勉強しているらしい。「もっとばんばん稼いで、きちんと税金を納めれば良いだけの話じゃん」などと思うのだけれど、今まであまり払わずに済んでいたのかもしれず、その既得権を手放さないために色々考えているのかも知れない。ただ、「公益法人として適当でないもの」というものはすでに明示されていて、その記述はこんな感じになっている。
1.目的
公益法人は、積極的に不特定多数の者の利益の実現を目的とするものでなければならず、次のようなものは、公益法人として適当でない。
(1) 同窓会、同好会等構成員相互の親睦、連絡、意見交換等を主たる目的とするもの
(2) 特定団体の構成員又は特定職域の者のみを対象とする福利厚生、相互救済等を主たる目的とするもの
(3) 後援会等特定個人の精神的、経済的支援を目的とするもの
(
「公益法人の設立許可及び指導監督基準の運用指針」について)
今の将棋連盟は奨励会という下部組織を成績優秀で通過した人のみが「正会員」であって、これに議決権がない女流棋士、指導棋士を加えた形で組織されているようなのだが、お金の面から見ると、これらの会員のためにのみ存在しているような印象がある。市場からお金を集めてきて、それを会員で分配している、という感じだ。
現在の会長は米長永世棋聖だが、これまでにも著作権や国旗の問題などでときどき新聞に取り上げられてきている人物である。彼の現役時代の将棋の実績については超一流と言って間違いないのだけれど、彼が日本将棋連盟の会長になってからの将棋連盟というのは傍から見ていると完全な迷走状態である。では、どういったところが迷走状態なのか。もちろん、僕は内部の人間ではないし、得られる情報も非常に限られている。一次情報は皆無と言って良いし、持っている二次情報についてもその信憑性を確かめる術がない。しかし、それでもなお、米長体制になってからの将棋連盟はあちこちで問題を起こしているように見える。その筆頭はもちろん女流棋士の分裂であるが、それだけにとどまっていない印象が強い。最近でも、大きな棋戦においてそのネット中継で非常に貢献してきた松本氏を中継の現場からはずすように強い圧力をかけた形跡がある。その影響もあってか、ここ数ヶ月の将棋のネット中継のクオリティは物凄い勢いで上がり下がりしている。いくつかの組織が自由に競争して、その結果両者のレベルが向上するというのならそれは望ましい形なのだけれど、どうも裏から手を回すような、旧世代の感覚での手法で色々やっているようで、おかげであちらこちらに軋轢が生じているようだ。
では、そんな米長体制がなぜ維持されるのか。そこを突き詰めていくと見えてくるのが、僕がいつも書いてきている「世代間の権利闘争」だ。
将棋は、プロスポーツほどではないにしても、やはり年齢的な「衰え」というものがある。自分で将棋を指していてもわかるが、年を取るに従って記憶力も低下するし、注意力も低下する。頭を長時間にわたって働かせるには体力も必要だ。将棋の実力のピークはおそらく遅い人で40代半ばぐらいだと思うのだけれど、高齢になっても20代の実力を発揮し続けるのはほとんど不可能と言って良いはずだ。このことは、将棋連盟の中のランキングは完全に実力制なので(やろうと思えば八百長も可能だが、これまでに八百長が問題化した例を僕は知らない)、そのランキングを見れば一目瞭然である。上位に並ぶ棋士はほとんどが40代までである。将棋の棋士は勝たないと給料が増えない仕組みになっているので、高齢になってくると得られるお金が減っていくことになるのだけれど、それでも基本給のようなものは出るようだ。全ての棋士にお金を出すのだから、当然運営は苦しくなる。どこに原資を求めるのですか、ということになるが、今の将棋連盟は(傍から見ている限り)新しいスポンサーを獲得していくというよりは、今いるスポンサーからのお金をどうやって減らさずに済ませるか、ということに汲々としているようだ。
さて、大きく分けると、日本将棋連盟の棋士はこんな感じで分類できる(乱暴だけど)。
1.成績がでない高齢棋士 (約2割程度?)
2.時々上位に顔を出す中堅棋士 (約2割程度?)
3.タイトル戦に良く顔を出す棋士 (約1割程度?)
4.若手棋士 (約2割程度?)
5.その他、あまりぱっとしない棋士 (約3割程度?)
これらの全ての棋士をそれなりに食べさせていかなくてはならないのが連盟であり、その旗振り役が理事会なのだから、確かに彼らの仕事はなかなかに大変だと思う。そして、この中で特に支援がなくても食っていける人たちというのは、2や3に属する人だけなんだと思う。それでも昔はなんとか食べていけた実績があるので、ほとんど全員の棋士たちは「苦労して棋士になったんだから、年を取っても今までどおり暮らしていきたい」と考えているのではないだろうか。そして、特に1や2のような棋士にとっては、理念云々よりも、「スポンサーからお金を持ってきてくれる」という政治力の面で、米長会長を支持する部分が多いのではないのかなぁと想像する。それは、僕が見てきた他の「守り重視」の組織でも同じだからである。ちょっと強引だったり、ちょっと品がなかったり、ちょっと理念に同意できないところがあったとしても、「お金を取ってくることができる」というのは保守派にとって最重要ポイントなのだ。そうして考えれば、女流問題での対応が少しまずくても、あるいはネット事業に関する対応がちょっとまずくても、そんなことよりも大事なのは「お金を取ってきてくれて、結果として自分たちの生活が安定すること」と考える棋士がたくさんいてもなんら不思議ではない。そもそも、棋士という人種は基本的に将棋を指していたい人たちであって、政治的なことをやりたいのでもないし、他所からどう見られているのかとかもあまり気にならないのではないか。普通に食べて、将棋を指していけるならそれが一番幸せ、みたいな。となれば、世間一般から見ると「あれ?」と思われてしまうようなことも別に問題なく、多くの棋士にとって一番、かつ唯一のポイントは「将来にわたって食べていける」ということなのかも知れない。
日本将棋連盟が組織として弱点を持っていると予想されるのは、もう一つ別の構造的な問題がある。それは、知名度が高く、また将棋の実績でもトップクラスに君臨する層、現在で言えば「羽生世代」といわれる人たちの関心が、当然のことながら、将棋にあって、将棋連盟の運営にない、ということである。たとえば将棋連盟の理事になれば、当然のことながら雑事が増える。ちょっとした時間でも将棋に費やしたいのに、なぜ連盟の事務仕事に時間を取られなくてはならないのだ、という思いは当然あるはずだ。オピニオンリーダーとして、あるいは実務者として旗を振れば組織として望ましいのはもちろんだが、大事なのは連盟の組織としての健全性を維持することよりも、良い棋譜を残し、将棋の文化としてのレベルをさらにアップさせることであると考えるのは普通のことだし、その点には同意する人がほとんどなんだと思う。何しろ、将棋のレベルをアップさせることは本当に限られた人間にしかできない。一方で、適切に将棋連盟を運営することは、誰でもできるわけではないが、可能な人間はそこそこにいるはずである。こうした理由によって、日本将棋連盟という組織はおそらく、既得権者の、既得権者による、既得権者のための組織というカラーを強めてしまっているのではないか。
「お金が欲しい」と考えている棋士から見れば、米長会長という選択肢は実に正しいのだろう。そして、現状にも満足しているのかも知れない。つまりは、棋士という事業者の協同組合であるところの日本将棋連盟の会長としては非常に良くやっているのかも知れない。しかし、公益法人を目指す組織のトップとしてはどうなんだろう。
たとえば、最近ネットで話題になっているこんな問題がある。
マグロ名人戦で起こった出来事
僕自身はこの情報の信憑性について判断するための基礎知識も、人脈もない。だから、この記事を妄信するつもりはないのだが、「さもありなん」とは思う。
他にもいくつか耳にした問題があり、そしてそれは近々、明らかにされていくような気がする。あちらこちらに溜まってきた「反米長体制」のエネルギーはそろそろ水面下に収まっている状態ではなくなってきた気がするのだ。このマグロ名人の問題も、そのエネルギーが溜まりきらないうちは表面化しなかったはずで、この手の情報は一つがオープンになると堰を切ったように次々と出てくる性質がある。
そのとき、「理念」とか、「生き方」とかではなく、「金」を求心力としてきた組織は脆い。あっという間に崩壊してしまっても不思議ではない。そうならないようにするにはどうするのか。最後の悪あがきは「強権の発動」である。もしかしたら、すでにそういうフェイズに入ってきているのかも知れない。放っておいても、日本将棋連盟は「公益法人制度改革」という時限爆弾を抱えている。その上で、どういう船長を選び、どういう舵取りをするのかを迫られている。結論がすぐに出るストーリーは見ていても面白い。米長会長の終盤の数手、何が出てくるのか楽しみである。
「将棋が好きな人、将棋が強い人の集まって、将棋を普及させるために頑張る」なら立派な公益法人だと思うのだけれど、どこに出しても恥ずかしくない公益法人に、日本将棋連盟は変わることができるんだろうか。でも、そのためには受益者が半数以上(現状は100%なのかな?)の理事会で運営されていてはだめだと思うのだけれど。受益者のための組織は当然のことながら公益法人にはなり得ないだろう。また、公益法人であるなら、「既得権を手放すべし」と唱える人材がどんどん入ってきても困らないはずである。それができないというのは、やはり公益のための組織ではなく、既得権を守るための組織なのではないだろうか。
冒頭、LPSAとの関係について「将棋のプロとそのファンという関係では全くない」と書いたけれど、僕はLPSAとどういう関係でありたいと思っているか。それは、一つには「日本将棋連盟という壁に立ち向かい、割れてしまいそうな
卵の側につく会社」であり、もう一つには「新しい事業を始めていこうとしているLPSAのビジネスパートナー」である。既存の枠組みからは外れたところで、新しい価値を提案し、実現し、運営し、事業として成立させる。そういったチャレンジを一緒にしていけたらと思っている。もちろん、思っているだけではない。大きなことではないけれど、すでにそのための準備は進めている。それはこのまま日の目を見ないかも知れないし、あるいは志半ばで立ち行かなくなるかもしれないけれど、
明確な理念の下、頑張って成功させたいと思う。できれば、それが表に出てきたときは、これを読んでいる皆さんにもちょっとずつ協力してもらえたらと思う。
将棋関係の掲示板から来ました。実に愉快です。早速ブックマークします。米長氏に対するスタンスではなく(それも大いに有るのですが)あなたの考え方がです。わが意を得たりなどと言えば生意気ですが。子供の頃から、「理屈っぽい」「っしつこい」「変わってる」「協調性がない」と言われてきた身には隔世の感が有ります。もっとも還暦を越えた今では、少なくともうわべは普通の爺さんになっています。
「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑い)」はまったくもって仰せのとおり、100%支持します。お前に支持されたっては無しです。
さて。このコメントの主題に移りますが、「簡単に見えるが」の題意としてはお書きになっているように南東と答えさせたいのでしょう。おっしゃるように速度も問題になるでしょう。しかし南に進んでいるように見えるには相当の速度差が必要になります。そうすると等速度でなくとも通常考えられる速度だと言う強弁にもある程度妥当性が生じます。
この問いの誤りは(おそらく数学の問題だと思います)人間の視覚を考慮していないことに有ります。たとえ考えられないほどの速度差があっても交差する道路は常に東西方向の一直線に見えます。ここはほとんどの人が経験的に納得してくれるでしょう。ではその道路上を東へ移動する車が(仮に停止していても)南下するように見えるのでしょうか。答えは明らかだ思います。