と言っても、このブログを読んでいる人のほとんどは興味がないネタであって、そもそも将棋には名人以外にどんなタイトルがあるのかも知らない人がほとんどだと思う。で、親切な運営者なら「そもそも将棋には7つのタイトルがあって、そのランクは・・・」と説明するのだろうが、僕は別に将棋の宣伝マンをやる気はないし、親切でもないので、「そんなの、興味があるならwikipediaでも調べてください」ってな感じでスルーである。
で、その棋聖戦は、僕が応援している数少ない棋士のうちの一人である木村八段(ちなみに他に応援しているのは森内、渡辺、片上、山崎といったところ)が挑戦者ということもあって、横目でちらちらと状況を見ていようとは思っているのだけれど、もちろん今日も会議が目白押しで、PCに張り付いてなんていうことはできない。ということで、朝一でちょこっと中継サイトを見てみたら、このところ何を思ったのか(多分、「意外と将棋って儲かるね。しかも手付かず。これは美味しい」ぐらいだと思うのだけれど)、すっかり将棋の広報マンとなっている梅田望夫さんがわざわざシリコンバレー(笑)からやってきて中継ブログを書いている。彼の文章の特徴はとにかく無駄に長いことで、まじめに読んでいると凄く時間がかかる。でも、そのあたりのさじ加減は一度本を読んでみればすぐに理解できるので、2冊目以降は物凄いスピードで読み終わってしまうのが特徴だ。ウェブ進化論は確かに良い本だったし、僕もレビューで☆3つを進呈しているのだけれど、それにしても「特に40代以上の人達は必ず読んでおく必要があると思う。でも、一方でネットにどっぷりとつかっている20代、30代の人が読んでも「何を今更」と思うんじゃないかなぁ。」という本であって、あぁ、なるほど、この人は高齢化社会の中にあって、置いてきぼりになりつつある40代以上の人たちをメインターゲットにした情報発信をしていきたいんだな、だから将棋なんだな、などと思い当たりつつも、もうちょっと簡潔にならないものでしょうか、とも思いつつ、でもまぁ、ウェブ進化論に続くたくさんのカーボンコピー本で大儲けして、それを通じて身につけた「あぁ、こうやって少しずつ新しいコンテンツを付け加えて、分量を増量して書籍化していけば良いんだな」という錬金スキルが隠そうにも隠し切れない能ある鷹のつめの如し、であって、まぁ、頑張って欲しいと思う次第である。
さて、この観戦記のその1だけを読んでみたのだけれど、さすがは将棋界の広報マン。明るい将棋界のパースペクティブを描いていて素晴らしい。いわく、「将棋界は「これからの10年」抜群に面白くなる」だって。
うーーん、どうなんですかね。僕は「将棋界はこのままではあと10年で非常につまらなくなる」と思っているんですが。折角なので梅田氏の主張にあわせて反論してみよう(反論って、楽なんだよね(笑))。
そんなわけで、こんな朝早くから起きて、パソコンに向かっているのである。
時差ぼけの中ご苦労様です。
第一の理由は、棋士同士の戦いが間違いなく「戦国時代」に入るということである。
戦国時代になるのかどうかもわからないが、戦国時代になったから面白いかというと、正直それも疑問である。そもそも、一般の人たちにとっては戦国時代というのはわかりにくい。たとえばここ数年のF-1なんかが代表例だが、セナとか、シューマッハーとか、絶対的な強者がいる時の方がわかりやすいし、レースを見ていてもセナ対プロストとか、シューマッハー対ハッキネン(ヒル、ビルヌーブ)とか、対立軸がはっきりしている方が面白い。これが、戦国時代になってくると、レース結果が全く予想できないから単発では面白いけれど、長期的な視野では、語りにくくもなるし、また、素人には一層わかりにくく、とっつきにくいものになる。「木村?誰それ。渡辺?誰それ。将棋はほら、あの、めがねかけた、「マ、」「マ、」が口癖の、寝癖の、羽生さん?その人しか知らない」っていうのが世の中のマジョリティであって、これが戦国時代になるとすれば、「うーーーん?将棋?ずっと昔の、羽生さんとか、大山さんは知っているけれど、今は誰が強いの?」みたいなことになるし、たとえそこで「今は木村さんと渡辺さんと山崎さんと阿久津さんと行方さんの戦国時代なんですよ」とか言われても、そんな固有名詞は全部脳みそスルーで記憶になんか残らない。将棋というのはその程度のコンテンツなので、もし戦国時代になってしまうとすれば、玄人的には面白いかも知れないけれど、日本人の99%ぐらいにとっては一層魅力のないものになると思う。
多くの棋士にチャンスがあるのは良いけれど、求められているのは最強のスターなんだと思う。それが現れないのなら、将棋界は面白くならない。
で、読み進めていくと(読み飛ばしていくと)、この一つ目の話が延々と続いて絶望的になる。この調子でいくと、これだけで本が一冊書けてしまいそうな勢いだ。って、それを念頭に入れての観戦ブログなのかも知れないけれど、もうちょっと簡潔にお願いできたらなぁ、と思わないでもなく、でもまぁ、人の勝手ですね。
さて、やっと第二の理由に行き着いたのだけれど、
第二の理由は、現代将棋の進化のスピードがますます上がり、将棋とは何ぞやということについての研究がものすごい勢いで加速していること
研究が加速していることと、将棋界が面白いということが僕の頭の中ではなかなか線形につながらないのだけれど、どうなんだろう。確かに、研究が進んでいる最中は面白いかも知れない。だけれども、研究が進みきってしまったら、その先には凄くつまらない時代があるのかも知れないし、その時代は10年といわず、ほんの数年先かも知れない。特に最近の研究はデータベースが不可欠で、その構築によって人間の研究が進むのと同時にPCソフトの強化が進んでいる。データベースの強化は人間だけではなく、近い将来最大のライバルとなるPCソフトの強化にも寄与しているのだ。PCは弱くならない、衰えないというのが最大の特徴で、とにかく進歩する一方だ。ところが人間はそうは行かない。両者の進歩のスピードも格段に異なる。以前にもこのブログで「その後の世界」を論じたことがあるけれど、PCが人間より強くなってしまったら、少なくともプロの将棋指しを目指す人間は激減すると思う。そして、その世界は、5年後かも知れないのだ。だから、「そのとき」までは、この視点からは確かに「面白い」と思うのだが、では、それって10年後ですか?と問われると、正直微妙なところ。僕の根拠のない主観では、それは10年より短い将来だと思う。
ところで私は、自分が書いた本のウェブ上での感想をすべて読んでいる
爆笑。シリコンバレーでそんなことをやっていたんだ。「はてな」の株主とか、良く黙っているなぁと思わないでもないけれど、ま、公開企業じゃないし、どうでも良いか。何にしても「感想をすべて読んでいる」と言い切るのは並大抵のことではないわけで、さすがだなぁ、と思った次第。
あ、油断していて第三を読み飛ばしちゃった。戻ります。っていうか、第二、凄く短い。このバランス感覚のなさがシリコンバレー的なのかなぁ。ま、別に良いんですが。
第三の理由は、コンピュータ将棋がとにかく強くなってきたこと
すいません、第二があまりにも短く、しかも第三とはなかなか切り離せない話なので、一緒に論じちゃいました。ということで、第四に行きましょう。
そういう諸々のプロセスが、ネットをフル活用して、将棋ファンの誰もが、観戦・観察・鑑賞できる時代になったということ
そんなの前からじゃん、と思ったら、その直後にちゃんと梅田氏自身が書いていた。
技術的にはもう何年も前からできるようにはなっていたが、将棋連盟、主催者の理解が進んだことが大きい。
あはは、ここでちゃんとヨイショしているところが抜け目なくて良いですね。で、その理解が進んでいるはずの連盟の最大のコンテンツ、名人戦って有料中継ですよ。それに連盟は棋譜の著作権が認められるよう頑張る、などと言っているわけで、ネット文化への理解が進んでいるとは到底思えないのですが。
参考資料:ミクシィ将棋コミュニティ「将棋の棋譜に著作権は存在するか」トピック 投稿番号202番すぎ様の記事から引用。日本将棋連盟に対して棋譜の著作権の有無について問い合わせた際の日本将棋連盟の回答(ほぼ全文、固有名詞は伏字)。
お問い合わせいただきました
「将棋の棋譜に著作権はあるのか」
については、以前より議論されていますが、はっきりとした結論が出ていないの
が現状です。
しかし、○○様のご指摘のとおり、インターネット中継の棋譜が流失する事も危
惧しなくてはいけないと思います。
今後、日本将棋連盟といたしましては、
弁護士などと相談しながら、「棋譜には著作権が存在する」との明文化をしたい
とも考えております。
ネット中継への理解と、著作権とは、微妙に距離があるものの、非常に密接に関わっていることでもあり、著作権に関する理解がこの程度ということであれば、ネット中継への理解も大したことはないんだろうなぁ、と推測する次第。
特に今日の僕の仕事は、解説役の深浦さんの将棋知性を、広く一般にわかる形で何とかまとめていく努力をすること
できれば短い文章でひとつよろしくお願いいたします。
もっともっと広く普及できる
何しろこういう熱心なサポーターを得ることができたのは将棋界にとってとても望ましいことです。はてなの株主だったら、「もうちょっと会社のことをやってよ」ってことになりそうですが(笑)。
と、いうことで、「将棋界は「これからの10年」抜群に面白くなる」という表明に対して一見真正面に見えつつ、実のところやや斜めから反論してみた。もし真正面から反論するなら、「将棋界は「これからの10年」非常につまらなくなる」となるわけで、それを「このままでは」としたのは、文字通り「今のままでは」ということだし、あと10年で、としたのはその課程ではなく、10年後の一点について論じているからだ。やりようによっては10年後も面白いコンテンツかも知れないし(僕自身は可能性はあまり高くないと思っているけれど)、場合によってはこれからの数年は特に努力ナシでも面白いかも知れない。あー、でも、「抜群に面白くなる」とは思わないかな。
それにしても、早朝の眠いときに書いたんだと思います。あちらこちらに日本語としておかしいところがあるので、あとで頭がクリアなときに推敲したほうが良いと思います。
ということで一通り反論だけしてみたわけですが、冒頭にも書いたとおり、反論というのは楽なんですね。で、これだけで終わると、「ライブログの社長、梅田の劣化コピーの癖に梅田に反論w」とか2ちゃんに書かれちゃうので、僕なりの提案をちょこっと。
これからの10年、将棋界を面白くする最大のものは、先日のターミネーター4じゃないけれど、「人間対コンピューターの戦い」。この対立軸が将棋界に与えられた最大にして最後のコンテンツなんですよ。それなのに、将棋界は「棋士が勝手に公式の場で対戦するのを禁止」とか言っている。あほちゃうか、と。もうね、バンバン公式の場で対局すれば良いんですよ。負けたらその人の棋士人生は半分ぐらい終了かもしれない。でも、みんなうすうす感じているわけです、「もう、奨励会ぐらいだったら良い勝負だろう」「女流だと半分以上は結構厳しいんじゃないか」「持ち時間が短ければ6段ぐらいでもコロコロ負けるんじゃないか」って。そろそろ開き直っても良い頃だと思います。そうかぁ、まずはフリーの立場になった北尾女流とか、そのあたりがこのコンテンツに手を付けたら良いのかな?時速300キロの球を投げるピッチングマシーンを使えば人間が打てるわけがない。将棋だってそういう時代が来ちゃう。そして、今はちょうどその過渡期。この美味しい時期を黙ってスルーしちゃうのは物凄くもったいないですよね(市販ソフトなら、事前にリハーサルもできるしね(笑))。って、あー、書いちゃった。内緒のアイデアだったんだけれど(笑)。ま、何にしろ、僕は「このままでも明るい未来」なんていうお気楽極楽なパースなんて全く描けないわけで、まず連盟は棋士がどうやって生活するのかとか、棋譜の著作権だとか、下らないことに汲々としていないで、どうやって将棋を面白いコンテンツとして維持していくのかを考えるべきだと思うのです。コンピューターと対戦したからって、明るい10年がある保証なんてないけれど、少なくとも、そういう姿勢がなければ駄目だろうな、と思う次第。
さて、仕事、仕事。午後一の会議はそれこそ「どうやって将棋の普及を進めるか」ということなんですが、梅田氏とは異なる、僕なりのアプローチでやっていきたいと思う次第。