仮に、Aさんが次のようなことを語ったとする。
1.私はモスバーガーの社員だ。
2.モスバーガーのテリヤキバーガーは美味しい。
3.フレッシュネスバーガーでも食べたことがある。
4.フレッシュネスバーガーのテリヤキバーガーは美味しいと思う。
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
6.ところで、ファストフードとは別に、ハンバーガーを提供する店がある。
7.たとえば、本郷のFIRE HOUSEみたいな店だ。
8.私はFIRE HOUSEのハンバーガーを食べたことがある。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。
これを聞いたBさんが、この発言を作為的に次のように編集したとする。
1.私はモスバーガーの社員だ。
4.フレッシュネスバーガーのテリヤキバーガーは美味しいと思う。
8.私はFIRE HOUSEのハンバーガーを食べたことがある。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
とすると、「こいつはモスの社員のくせになんだ」ということになる。重要なのは
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。
といった情報なのだが、これを削除してしまうと受ける印象はまったく別のものになる。つまりは、事実というのは全てが正確に伝えられて初めて当初の意味を持つ、ということだ。逆に言えば、事実は都合の良いようにトリミングされた場合、いくらでも操作できてしまうということである。
ただし、次のような例もある。Cさんが次のように編集した場合だ。
2.モスバーガーのテリヤキバーガーは美味しい。
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。
この場合、Aさんが語った内容に対して、大きな乖離がない。むしろ、余計な情報が削除され、わかりやすくなった。しかし、厳密に言えば、ややフェアではない。削除すべきではない情報が削除されたおかげで、情報を正確に判断できなくなっている。
一番理想的なトリミングは次の、Dさんが編集した例だろう。
1.私はモスバーガーの社員だ。
2.モスバーガーのテリヤキバーガーは美味しい。
5.フレッシュネスバーガーより、モスバーガーの方が美味しい。
6.ところで、ファストフードとは別に、ハンバーガーを提供する店がある。
9.FIRE HOUSEのハンバーガーは、非常に美味しいと思う。
10.ただし、価格などは全然異なるので、モスバーガーと同じ土俵では論じることができない。
これなら、Aさんの立場を含め、Aさんの考えを把握することができる。読者は、Aさんがモスバーガーの社員であることを考慮することが可能になる。
一つの事象について、編集する人はたくさんいる。逆に、全てを正確に伝えることができる人の方が少数だろう。編集者が意図的に事実を捻じ曲げるBさんなのか、重要な情報を意図的に、あるいは無意識のうちに欠落させてしまうCさんなのか、正確性を重視し、必要最低限のトリミングで済ませようとするDさんなのか、このあたりをきちんと考える必要がある。しかし、当然のことながら、1〜10までの全てを俯瞰していなければ、その編集スタンスがBからDのどれにあたるのかはわからない。必然的に、過去にどういうトリミングをしてきたかを検証し、そのスタンスを推測するしかなくなる。しかし、過去にDタイプだったからといって、将来もずっとDタイプである保証はもちろんない。結局のところ、事実というのはなかなか正確には伝わらないのである。
また、さらに言えば、もともとのAさんの意見も、次のようなものが隠されている可能性がある。
11.とはいえ、FIRE HOUSEのハンバーガーはモスバーガーより美味しいと思う。
12.ただし、それは立場上表明できない。
つまり、最初から情報がトリミングされているケースである。
どのケースでも、そこに「嘘」はない。しかし、結果として、事実は捻じ曲げられてしまう。「嘘」があっては困る。これは大前提だ。しかし、嘘がなければ何でも良いのかと言えば、それも違う。事実が正確に共有されていることこそが大事なのである。ところが、意図してか、意図せずにか、どちらにせよ、事実が捻じ曲げられている事例が山ほどあるのだから、世の中というのは非常に難しい。
少なくとも、僕の会社においては、なるべく隠し事がないように、なるべく正確な事実が全社員で共有できるようにしたいと思っている。そういう会社にとっては、たとえばSNSというのは非常に強力な武器になる。
重要なことは、「目の前にある事実はたった一つである」ということだ。