2009年07月31日

ハリー・ポッターと謎のプリンス

79c20be0.jpg予告編を観たら結構面白そうだったので、生まれて初めてこのシリーズの作品を期待して観にいった。例によって結論から書くと、このシリーズの中では出色のでき。ただし、観る前の期待には全く応えてくれなかった。別の意味で評価が高かったということ。☆2つ。

観る前の期待とは何だったのかと言えば、魔法の世界のごたごたがどうやって人間界に影響を及ぼしていくのか、そのあたりが色々描かれるんだろうな、というもの。ところが、予告編で「いよいよ人間界へ」としていたのに、そんなものはほとんどなくて、これはひどい予告編だな、ワーナーは死ね、という感じ。

しかし、そんな事前の期待(というか、予告編によってミスリードされた期待)は完全に裏切られたわけだけれど、映画としてはかなり満足度が高かった。それはなぜか。

まず、あの空中ホッケーみたいなつまらないゲームのシーンがほとんどなかったこと。結果はわかっているんだし、はらはらどきどきもない。すっかりマンネリのシーンのオンパレードなんだから、こんなシーンはどんどん削除すべき。で、その扱いが非常に少なかったのがナイス。

また、仲間がやられてハリーが活躍、あるいはハリーがやられておじいさんが活躍、といういつもの予定調和魔法戦闘が少なかったのも良い。この作品は魔法がメインディッシュのはずだけれど、魔法の登場が少なければ少ないほどまともな映画になるところが皮肉。つまりは、魔法というのはあまりにも都合が良すぎて、映画を台無しにしてしまうのだろう。インディジョーンズでも、どうやってピンチを乗り切るのかのはらはらどきどきが楽しい。飛行機から落っこちても魔法で飛んでしまうなら興ざめ。007でも、どうやってピンチを乗り切るのかのはらはらどきどきが楽しい。椅子に縛り付けられて拳銃を突きつけられても、魔法で縄抜けしてしまったら興ざめ。スターウォーズでは魔法と近いところで「フォース」なんていうのがあるけれど、フォースはイマイチ使い勝手が悪い設定だったから、映画の世界観をぶち壊したりはしなかった。でも、ハリポタの映画はちょっとご都合主義が過ぎる。だから、魔法が登場しないほうが面白い映画になる。

今回はハーマイオニーやハリーの恋愛話に比較的分量が割かれていたのも良かったと思う。これまで、このシリーズでは魔法戦やホッケーシーンなどのおかげで人物描写が希薄だった。おかげで、「なんだかんだ言っても、血筋ですか、そうですか」と貴族主義のお国柄を感じ取ってしまうような映画になっていたのだけれど、今回はそのあたり、かなり改善されていたと思う。

ただ、これはどうなんだろう、というのももちろんある。結局血筋だけのハリーなわけだけれど、そのハリーが「僕にはわかるんだ!」とか言っているものだから、「いやいやいや、ものごとはちゃんと見ないと」ってハーマイオニーが諭して、「ほらね、血筋だけじゃないのよ。やっぱり冷静に見ることも大事でしょ?」ってなるのかと思ったら、「ほらみろ、血筋だけの王子様の僕の直感が大当たりじゃん!」みたいな展開にはずっこけて椅子から落ちるかと思った。これだけで☆半分減点。

映像表現で言えば、いつかどこかで観たことがあるようなものばかりで、目新しいものはほぼなし。この作品はもともと児童文学作品。文字で読んで楽しむものを映像化しているのだから、想像の世界をびっくりするような技術で視覚化してくれたら良いのにな、と思うのだけれど、まぁ、仕方ないか。

原作を読まずに観ても、そこそこにストーリーがつながっていたのが良かった。逆に、原作を読んでいると「あれがない」「これがない」と不満に思うのかも知れない。

次作への伏線もはってあり、さぁ、次はどうなるんだ。あのときのおじいさんの発言は一体どういう意味だったんだ、と、「今」は思っているのだけれど、多分次の映画が公開される頃には忘れちゃっていると思う。とっととやってよ、と思わないでもない。

シリーズの中では一番印象が良かった。この調子でラストまで駆け抜けてほしい。

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