2009年08月23日

世代別投票率を見ての雑感

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今日の朝日新聞朝刊に「若者発 投票行こう作戦」という記事があって、その中に世代別の投票率のグラフが掲載されていた。

ま、こんなものだろうな、と思うのだけれど、こういう客観的データを目にすると、文部科学省のゆとり作戦(=馬鹿量産作戦)は非常にうまく行っているんだなぁと思う。要するに、選挙の大切さと言う民主主義の根幹についてきちんと教育しないことによって、世代間格差を温存する作戦が見事に成功しているわけだ。その作戦は高齢者によって支持されているので、既得権者によって作られた土俵で既得権者が相撲を取り、そしてルールを維持する権利を確保し、自分達の権利を磐石なものとしている。

もちろん、普通の人たちは別に若者を陥れてやろうなどとは思っていないと思うのだけれど、実現できる個人の要望というのには総量に上限があって、自分達の要望を通そうと思えば、どこかで通らない要望が発生してしまう。政治においては要望を実現する手段は基本的に選挙で投票することだけになってしまうので、投票率が高い高齢者は当然のことながら投票率の低い若者達の要望を吸い上げていることになる。

このあたりについてはもう随分前から気がついている人は気がついているのだけれど、そうこうしているうちに社会の高齢化が進んでしまい、結果として実数的にも、投票数的にも、高齢者有利な社会になってきてしまった。このままでは若者は一生幸せになれない。というか、自分が老人になるまで我慢しなくてはならない。いつかは自分も高齢者になるので、要は既得権者になるまでの我慢ということになる。

僕は以前から「ちゃんと投票に行け」ということはブログを通じて言ってきているのだけれど、このグラフを見るにつけ、40ポイント近い差を埋めるというのはほぼ絶望的に感じる。何しろ、土俵もルールも全て握られてしまっているのだ。その結果、世代間格差はいつまでも埋まらないことになる。

このブログで散々書いてきている世代間格差というのは、最近だと池田信夫さんとか、城繁幸さんとかが色々書いてくれているのですっかり認識されつつあるんだと思う。問題は、それを解決するための手段がなかなか見当たらないということだ。何しろ投票率がこの有様。これも何度も言ってきているけれど、政治家と言うのは「次に当選するため」に行動する人たちだ。票につながらないことは一切やらない。これは制度に欠陥があるのじゃなくて、投票者の意向がきちんと政治に反映されるようになっているのだから当たり前だ。選挙のときは、政治家はきちんと有権者の方を向いている。以前はともかく今はマニフェストという形で選挙の際の公約の言質を取られているので、有権者の意向は以前に比較して格段に反映されやすくなっているはずだ。そして、若者のための政策をやるよりも老人のための政策をやった方が得票が望めるのだから、当然のことながら老人のための政策に比重がかかる。とすると、この状況を改善するためにはもはや選挙制度に手をつけるしかないということになる。

実は、若者の投票率が低くても、一定の割合でその意見が反映されるような選挙制度がないわけではない。たとえば、もう5年以上前になるが、こんな提言がされたことがある。

タイトル:抜本的な選挙制度改革を実施すべき

地域格差と世代間格差のどちらを重視すべきか、というところは議論のあるところだとは思うのだけれど、現状、地域格差を解消するための手法は選挙制度に盛り込まれている(ある意味で必要以上に盛り込まれていて、それはそれで問題だと思うが)のだが、世代間格差を解消するための手法は全く盛り込まれていない。もちろん、この選挙制度についても結局は既得権者が決めたルールのもと、既得権者有利の土俵で戦って勝ち取る必要があるので、実現は絶望的にも見えてくるのだけれど、知らず知らずのうちに不本意ながら若者の要望を踏み台にして自分達の要望を通してきた高齢者も少なからずいるだろうから、もしかしたら多少は可能性があるのかも知れない。

とにかく、年金問題とか、就業問題とか、近年クローズアップされている問題の多くは地域格差要素よりも世代間格差の要素が大きい。こうした問題を適切に解決していくためには、どうしても選挙制度の変更が必要になってくると思う。今、経済関係の有識者で「年功序列は継続すべき」とか、「終身雇用を維持すべき」などという人はほとんど見たことがない。この二つが日本の経済を停滞させている元凶であることは間違いがないところだと思うのだけれど、テレビで土日にやっている党首討論とかを見ているとそこに触れる人はほとんどいない。つまり、客観的には終身雇用も年功序列も好ましくないが、既得権者がその維持を主張していて、しかもその意向が反映されやすい選挙制度である以上、触れるわけにはいかないのである。若い、若い、と言っていた人間も20年も経てばいつの間にか年功序列社会では既得権者の側に回ってしまう(ただし、大企業の話)わけで、「ま、搾取される時期より搾取する時期の方が長いから、それでもいっか」と思うということもあるだろう。あとはそれを維持するために社内のライバルが自然減していってくれるのを願うだけ、みたいな。

先日家で仕事をしていたら、自民党の選挙カーが近所を通っていった。いわく、「政党がどうとか、政権がどうとかではありません。この地域のために頑張ってきた○○をよろしくお願いします」とのこと。あぁ、もう選挙で自民党が負けることも、自民党と言う看板では戦えないことも、折込済みなんですね、と思わず笑ってしまったのだけれど、そういう看板がなくなったときに「地域の代表として○○を国政に送り出してください」としか言えないのは選挙活動としてどうなのかなぁ、と思う。いや、選挙活動が悪いのではない。そういう活動にならざるを得ない選挙制度がおかしい。

社会の問題点が地域格差よりも世代間格差へとシフトしている以上、それに適切、かつ柔軟に対応できる選挙制度に変わっていく必要がある。そのためには電子投票の導入にもっと積極的になるべきだし、国民総背番号制の導入も検討すべきだろう。投票の厳密性がどうとか、プライバシーがどうとか、そういう枝葉末節にこだわって、本当の目的のところから目を逸らそうとしているのもなんだか気持ちの悪い情報操作に見える。電子投票とか、国民総背番号制とかの利は非常に大きいはずだ。そして、それらによって、公平な投票を実現するための柔軟性のある制度が導入され、そして既得権者が胡坐をかいている社会から脱却が速やかに行われる必要がある。

まぁ、10年後にも大企業のほとんどが年功序列・終身雇用だったらそれはそれで驚きなんだけれどね(笑)もしそうなっていたら、日本はアジアの小国になっているだろうなぁ。

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