2009年09月15日

「匿名性」の文化から演劇を取り戻してください

昨日、遊眠社関係の本を読んだ。制作者という立場から時々垣間見ることができる若き日の野田秀樹氏を見て、なんとなくテーブルの上にあった「2009年夏、野田秀樹、池袋、東京芸術劇場、芸術監督就任」というリーフレットを手にしてみた。あれ?これ、三つ折だったのね。表と裏しか見てなかった。で、中に「「匿名性」の文化から演劇を取り戻したい」という挨拶が載っていた。全然気がつかなかった(笑)気がついたのかも知れないけれど、忘れていた。非常に示唆に富む文章なので、許可を得ずに全文を転載します。いや、どこかにないかなーと思って、芸術劇場のサイトとか、色々探してみたんだけれど、見当たらない。著作権上問題があることはわかっているのですが、なんとももったいないので、悪いことを承知で全文載せちゃいます。

「匿名性」の文化から演劇を取り戻したい
芸術監督 野田秀樹

インターネットとやらが、流行りだした頃から、文化というものが怪しくなっているのを感じていた。
それは、「匿名性」が生み出す文化の怪しさであり危うさである。
ネット上に飛び交う、情報まがいの批評、或いは批評まがいの情報を見ると、一体、誰が、何の根拠を持って、何を良いとか悪いとか言っているのか、ちっともわからないのである。
例えば、ウィキぺディアとかいう百科事典など、格好の例である。「誰もが書き込み自由」という一見、偏狭な知識を自由の世界へ解放したかのような、まるで、匿名性で何かを創造しているかのような魔法の世界。だが、自由であるかのように見えて、実は、嘘八百を少ない労力で世に流布してしまう、もっとも安易な手段である。
今、演劇の世界といえども、こうした「匿名文化」と無縁ではない。一体誰が、こんな芝居を面白いことにしてしまったのか、なんで、こんなひどい芝居に客があふれかえり、これほどいい芝居なのに、客席がまばらであったりするのか。その責任の一端は、「らしいよ」という、誰が言ったか分からない、無責任な噂のような批評、批評のような噂。これが流布しているからである。
つまり、発信地がはっきりしないのである。これは恐ろしいことである。「らしいよ」というのは、言ったもの勝ちであるし、言われたもの負けなのである。
私が、「劇場」の芸術監督になることに決めたのは、その言葉を発信する場所、その言葉を発信する人間が誰であるかを、明確にしたいからである。私は、「東京芸術劇場」という場所から、創作者として、(自分の芝居だけでなく)こういう芝居が「いい芝居」だと思うのです、と発信をしたい。
「匿名」ではなく、「実名」である。作品によっては失敗もある。その批判は、「実名」で発信すれば「実名」に帰って来る。
「匿名性」を使って、あやふやなものを、いつまでも創っている、この日本の文化状況から、演劇の現場を取り戻したい。「実名」で発信する世界に戻したい。
演劇は、昔、「演劇の現場」だけから生まれていたのだ。こんな当たり前のことを、わざわざ声高にしゃべらなくてはいけない所に、今の文化の危うさがある。
こんな私の思いに応えてくださったからかどうかはわかりませんが、たくさんの皆様よりこの劇場に芸術監督が誕生したことを祝福して下さるメッセージを頂戴いたしました。心より感謝いたします。
問題山積みの劇場ではありますが、長い目で見てやってください。こちらも頑張れるだけ頑張ってみます。


こうやってべた打ちしてみると、野田さんの文章は意外と読点が多いのね。って、それはさておき、僕のようにネットを自分の情報発信のメインツールとして利用している人間には耳が痛いことがたくさん。ラーメン、映画、食べ歩きグルメ、演劇、本、新聞記事、誰かの発言、その他と、僕は色々なコンテンツについてブログを使って批評してきている。僕なりのこだわりというのはそれら全てについて「元木一朗」という実名でやっている、ということなのだけれど、「じゃぁ、元木一朗って、誰よ?」ということになると、多分ほとんど誰も知らない。別にテレビに出るわけじゃない、ラジオにでるわけじゃない、最近は雑誌にも出ない、本の出版もしばらくやってない、講演でも見かけない、なんだ、「元木一朗」って言ったって、ただの記号じゃん、みたいな。だから、実名であっても、実際のところ、匿名となんら変わりがないのである。それで、そういう実質匿名のポジションから情報まがいの批評を発信し続けているわけで、野田秀樹氏から見ると、僕なんかは野田氏から演劇を取り上げた典型的な人間なんだろうなぁ、と思う。別に、取り上げたつもりはないんだけれど。でも、このブログだって、多いときには3000を超えるアクセスがあるわけで、嘘八百を少ない労力で世に流布しているわけだ。

それで、演劇である。僕は正直、演劇の良し悪しはさっぱりわからない。好き嫌いはあるけれど、それは演劇の良し悪しとは別のものだ。それに、以前は色々観ていたけれど、最近はケラとキャラメルボックスと野田地図関連ばかり。ここ2年ぐらいはキャラメルボックスもすっかり飽きてしまい、多分もう観ることはないと思う。すっかり観劇頻度が落ちてしまっているわけだけれど、何でかなー、と言うと、やっぱりそれは一つには贔屓の俳優さんがあんまりいなくなってしまったこと。それから、チケットの価格。そして、チケットを取ることが面倒くさいということ。どうにも気軽に楽しむ、という感じにならない。しかもね、まじめに取ったチケットじゃないと、演劇を満喫できないってことを知っちゃってる。ときどき、「そういえば、世田谷で蒼井優さんが出ている奴をやっているはず」とか思い出すんだけれど、そのときにはもう良い座席がなかったり。

でも、この文を読んで、芸術劇場で芝居を観ようかな、という気になった。まずは、2月の農業少女かなぁ。って、これはこれでチケット入手困難っぽいんだけれど(笑)。

何しろ、野田氏が「こういう芝居が「良い芝居」だ」というのを色々観ておこうと思う。こういう思いはすぐに忘れるので、ちゃんと文章にしておく。これは決意表明です(笑)。

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