開港博だか、開国博だか忘れてしまったけれど(途中で名前が変わった?)、Y150が今日で閉幕。関係者の皆さん、お疲れ様でした。
僕の周りにはこのイベントに非常に深く関わった人が複数いるし、実は僕自身も一時期足を突っ込みかけたので、あんまり悪く言うのも気が引けるのだけれど、失敗するべくして失敗した、典型的なだめイベントだった。なんで失敗したのか、比較的近いところで見てきた立場から考えてみる。
1.開国150周年という設定に無理がある
そもそも、「開国」とか言っても、え?それって、日米修好通商条約締結から150年?あれ?でも、それは1858だよね?えーと、あぁ、その条約で決めて、開港した年か。1859年。あれ?でも、同じ日に長崎も開港したよね?あ、ちょっと早かったの?知らなかったよ!!っていうか、ずいぶん重箱の隅をつついたようなお祝いだね!みたいなイベント。しかも、150という数字がまた微妙。あんまり聞かない、150周年。なんでそんなことをやることになったのかって、それは中田市長が自分の任期切れの前に一旗あげておきたいと思って、ぶち上げただけのことなんだろう(と、予想みたいに書いているけれど、一応複数ルートで裏は取ってあります(笑)公開はできないけれど)。中田さんはイベント大好きだから、「なんかないのかなー」と探して、無理やり見つけてきたネタなんだと思うのだけれど、やっぱ、無理がありすぎる。つまり、まず最初の「開国150」というところが筋が悪い。
2.弱い協賛各社
次に、バックについた企業。日産のサポーター(父親も含め、親戚には日産関係者が山ほどいる。僕も車は日産だけ)である僕がこういうことを認めなくちゃならないのは非常に残念なんだけれど、愛・地球博をプライドをかけて成功させたトヨタとの差が出てしまった。他にも、協賛企業には新日本石油、日本ビクターなど、本業がちょっと怪しい感じのところが多く、彼らにしても「市長が言うから仕方なく」という感じでの協賛。お金をかけないし、やる気もないから、アトラクションもひどいものばかり。ハードとしてもひどいけれど、そこで展開しているものはほとんどすべて「横浜らしさ」が微塵もなく、「横浜」という看板がなければ「未来博」でも、「アニメ博」でも、「環境博」でも、どれでもわかりゃしない、というもの。巨大なクモのロボットも、でかいのは確かだけれど、動いている状態で乗れるわけでもなく、「なんでクモ?」みたいな疑問しか残らない。まぁ、最初はクモじゃなかったんだけれど、大人の事情でクモに変更したみたいですけどね(どうでも良いけど、このクモロボも、自力で動き回るんじゃなくて、台車に乗っかっていて、宙に浮いた手足が動くだけ)。日産のハイビジョンも、これ、どこかから借りてきただけですよね?映像も別に横浜っぽくないし。っていうか、ねぶたとかやってなかった?電気自動車だって、小さいのが一台あるだけ。しかも、博覧会の前にモーターショウなどで披露目しちゃっていたし。こんなことならガンダムの一台も置いておけば良かったのに(横浜には関係ないけれど、それはクモも一緒)。
3.実はあまり特徴のない横浜
そもそも、横浜らしさって、何よ、ということにもなってくる。浜っことして言わせてもらえば、横浜らしさっていえば、そりゃマリンタワーであり、氷川丸であり、大桟橋であり、港の見える丘公園であり、外人墓地であり、最近ならみなとみらいであり、ベイブリッジであり、それから中華街、シウマイ弁当なんかがあって、でも、その程度。外から見ると横浜っていうのはおしゃれなのかも知れないけれど、関内のあたりはすっかり寂れてきているし、本牧もアウツな感じ。元町とかも、知り合いたくさんお店やっているからあんまり悪く書きたくないけれど、ちょっともう終わりつつある感じの町だったりする。もちろん、僕たちはそこで育っているから、ノスタルジーもあり、今行っても普通に楽しめるけれど、外から来たお客さんが楽しめるという感じではない。このあたりのお店のうち、繁盛しているところはどこもデパートに支店を出しちゃっているしね。結局のところ、昔も今も、横浜は東京の衛星都市でしかない。
4.折からの不景気でチケットの引き取り手がいない
チケットの引き取り手がいなかったのも痛かったみたい。景気がぱっとせず、トヨタが地球博でやったみたいな、「よし、全社員に半強制的に買わせます」みたいなこともなかなか難しかったんだろう。そもそも、景気を良くするためのイベントだったはずなのだが、そのあたりがダメダメのスパイラルに入ってしまったんだと思う。
5.税金泥棒の暗躍
それから、「イベントやるぜ」ということで、無駄に公的なお金がばら撒かれたのもイベントを寂れさせた感じ。不景気な中、ばら撒かれた税金によってたかってそれを取っていく組織がいくつも現れたんだろう。そういう組織は、基本的に上ばかりを見ていてマーケットを見ない。「仕事はボランティアを使いましょう」などとして市民参加を主張し、草の根レベルの盛り上がりを強調しつつ、補助金を拾っていく。3年ぐらい前、僕も横浜のITベンチャーということで、そういう公的なイベントに顔を出したりしていた。僕が元中央の役人ということもあって、市の関係者とかも色々僕にアクセスしてきたし、中には能力もないくせにうちの会社の役員にしろと言ってくるような勘違いNPO理事などもいた。この手の人たちの特徴は、イベントの全体像がぼんやりしているうちは威勢が良いのだけれど、だんだんアウトラインがはっきりしてくると尻すぼみになり、最終的にはどこかへ消えてしまうこと。イベントでお金をばら撒くことは必ずしも否定しないのだけれど、それはあくまでも起爆剤、今後の発展のきっかけとして使われるべき。ところが、お金だけどこかに消えてしまい、何も残らないのでは話にならない。
6.分離した会場
港地域のほかにわざわざ内陸部に別会場を設置しているのも意味不明。これまた大人の事情なんだろうか。開国博なのに、なんで内陸?って、集客が見込めるズーラシアがあるから?
7.さめてる市民
浜っこの心っていうのは、基本的に横浜に向いてない。僕が小さい子供のころは確かに遊ぶといえば横浜、桜木町、関内界隈だったけれど、ある程度大きくなってからは横浜で遊ぶことはほとんどなかった。まぁ、県外の彼女がいたりするとちょっと案内してみたりはするものの、何度も遊びに行くようなところじゃない。内陸の人たちは町田、新宿あたり、海沿いの人たちは自由が丘、渋谷に遊びに行って、あんまり横浜には遊びに行かないし、ちょっと観光、とか思えば湘南方面に出かけるのが常。横浜の汚い海を見たいという人はあまりいない。中華街で何か食べよう、なんていうことも滅多にない。浜っこは外部に対して「俺って浜っこ」とアピールはするけれど、別に横浜で遊んだりはしないのだ。それに、横浜に外部から大勢の人が来ても、大した関心もない。ホスピタリティの意識が希薄なのだ。自分では横浜に行かないし、人が横浜に来てももてなすわけでもない。それが浜っこ気質である。横浜市だけで人口350万人いるわけだが、そのうちどの程度が博覧会に行ったのか。
8.呼んでくる有名人が全然横浜にゆかりがない
Y150でやるイベントも意味不明。芸能人や有名人が盛り上げるのは一向に構わないのだけれど、そういう人たちが横浜とどういう関係があるのかわからない。たとえば日比野克彦さんとか、かなり早い時期から赤レンガ横の事務局で打ち合わせしていたのを見ていたけれど、どういう理由で日比野さん(岐阜県出身、多摩美から芸大)なんだろう。ドイツのW杯で一緒になったりして、好きなアーティストだけれど。他にも、色々なパフォーマンスを披露した人たちがどうしてそこにいるのか、その理由が良くわからない。
9.高い入場料
この手のイベントは、リピーターの確保が非常に重要になる。そのあたりを見込んでの映画の3分割(全部観ようと思ったら最低でも2回行く必要がある)とかを仕掛けたんだと思うのだけれど、では、20分の映画を観るために2400円のチケットを2回買うのか、ということである。内容がグダグダでも、入場料金が安ければ「もう一度行ってみようか」ということになるのだが、映画の料金の2倍とかだと、「あんなの見るくらいなら、映画に行こうよ」ということになってしまう。もうちょっと安い価格設定にして、リピーターをそこそこ確保できる形にして、「つまらなそうなんだけれど、人だけは入っているよね」みたいなお祭りの雰囲気を作れればもう少しまともな「失敗」で済んだかも知れない。中で提供されている料理もコストパフォーマンスが悪く、割高感を煽る。来た人たちが「高い」「まずい」「つまらない」を連発するから、一層盛り上がらない。せめてもの救いは「混んでる」という不満が出なかったこと。
10.大人無視
少なくないアトラクションが、「子供だけ」となっていた。お金を払うのは大人である。「大人はスポンサー。子供が楽しんでください」ということだと、大人はそっぽを向く。大人も子供も楽しめる、というコンセプトにしなかったのは決定的なミス。ディズニーランドで「大人はご遠慮ください」というアトラクションがどれだけあるというのか。
まぁ、失敗の原因はこんなところだと思うのだけれど、僕の周りにいる関係者たちも全員、開幕前から「失敗する」と言っていたわけで、中田市長が任期途中ですべて投げ出して逃げ出したくなる気持ちもわからないではない。このところの中田市長はすっかり橋下大阪府知事の金魚の糞みたいな感じで、ダサい格好でふらふらしているだけだったからねぇ。しかし、責任を取らずになりふり構わず逃げ出したのは本当に格好悪い。選挙がどうとか、色々後付で理由を述べているけれど、ただただみっともないだけである。何しろ、Y150は終了したので、これから民事訴訟とか色々あるのかも知れず、中田前市長が逃げ切れるのかどうかというのは、今後の、横浜市民のちょっとした興味ではある。横浜銀行とつるんで「こんなに大勢来ますよ」と大風呂敷を広げ、地元企業から協賛金を集めたわけだから、500万人だと思ったら124万人でした、というのでは、「はいそうですか」ということにはならない。
前原さんが今日のサンデープロジェクトで、田原さんに「JALとか空港とかが大変なことになっているのは、全部役人が悪いんでしょう?」というようなことを言われて、「いや、最終的に責任を取るべきなのは政治家なんです」と断言していたのは対照的。そうなんだよ、責任を取るべきなのは政治家なんだよ。その覚悟が中田前市長からは全然感じられない。期待された行動はトンズラすることではなく、「このイベントが失敗した責任は、突き詰めれば行政にも、民間企業にもなく、全て私にある。これを取り返すべく、もう一期私にやらせてくれ。必ず市民の期待にこたえる」として粉骨砕身横浜市のために働くことだったはず。
#市の責任という意見もあるけれど、この手のイベントは大体市長の鶴の一声で決まる。「俺は市民から信任を受けている」と言われたら、行政官は反対できない。
##浜銀総研の予測はきちんと読んでないけれど、この手の予測はある程度の前提、但し書きがあるもの。それがどういう内容だったかをチェックする必要はある。しかしまぁ、大抵の場合はクライアント側(横浜市)から、「これは地域活性化のイベントなので、大きい数字が必要です。このくらいが欲しいところ」という提示があって、シンクタンクはそれにあわせて作文する。