2010年02月01日

アナログ世代とデジタル世代の世代間闘争

iPadの利用法として、「雑誌の代替には良いのでは」という意見(マイミクの日記)を見て、なるほどと思うこと約5分。ちょっと頭を整理してみる。

書籍に対する期待というのはいくつかあると思うのだけれど、乱暴に書けばこんな感じで二分類。

1.読んだらぱっとスルーしていいもの(新聞・雑誌)
2.ある程度気合を入れて読むもの(一般書籍)

2についてはそれぞれについて、保管する人としない人がいるので、全体を4つのカテゴリに分けてみる(ちなみに検索性の向上に合わせて、新聞を保管する人は激減していくと予想)。

1a2a.新聞、雑誌は読み終わったらゴミ箱。一般書籍も読み終わったらブックオフ。
1a2b.新聞、雑誌は読み終わったらゴミ箱。一般書籍は基本的に本棚へ。
1b2a.新聞、雑誌は読み終わったらスクラップ。一般書籍は読み終わったらブックオフ。
1b2b.新聞も雑誌も一般書籍も全部保管。

1b2aというタイプはあんまりいないと思う(直感)。1b2bのタイプ(情報オタク)も、スペースの都合などがあって、潜在的には存在しても、実際に行動できる人はあんまりいないと思う。普通の消費者行動としては1a2aか1a2bで、僕の周りを見ている限りでは男性は1a2b、女性は1a2aが多い気がする。このあたりはモノに対する執着ということなんだろうけれど、コレクターと言われる人は男の方が多いというのが僕の主観。ま、それはそれとして。

さて、じゃぁ、1a2aや1a2bにとってiPadはどうなのよ、ということだけれど、言うまでもなく、1a2aに対してはフィットする(もちろん、書籍が電子販売されて、誰でも入手可能になる、という前提があってのことだけれど)。一方で1a2bに対しては微妙。電子化された情報をデータベース化して保管できるというのは非常にナイスだけれど、1a2bは情報を集めたいのか、本(モノ)を集めたいのか、ということがあって、少なくない部分が情報ではなく本という物質を集めたいと思っていそう。

しかし、iTunesなんかを見ていると、結局利便性さえ高ければ、欲しいのはあくまでも情報であって、モノとしての存在はそれほど重視されない、というのもあるんだろうな、と思う。インターフェイスさえしっかりして、実物の本と同じような感じで情報が得られるのであれば、「読みたい」と思う大多数の本については電子書籍で読んで、「持っていたい」と思う少数の本だけを本屋で購入する、ということになりそうだ。

僕とかはこれまで長い間、紙に印刷されている文字を読んで生きてきたから、「本は紙になっていてナンボのもの」とか思っている(ようなつもりでいる)けれど、そういうのは徐々に旧世代になっていくんだろう。実際、ブログの記事とか、新聞社のサイトとかでニュースを読んでいても全然違和感がないわけで、書籍というものが電子化されたとしても、実際にはそれほど大きな違和感はないんだと思う。じゃぁ、違和感ってどこにあるのかって、縦組みか横組みか、ということなのかな。横組みだったら電子化されても全然平気。縦組みだと違和感あり、みたいな?だとすると、電子ブック市場は全部横組みの欧米から進んで行くのかも知れないし、そんなことは全然関係なく、日本でも中国でもどんどん電子化されちゃうのかも知れない。

うーーん、やっぱり、近い将来、書籍はiPadとかkindleとかで読むようになるんだろうな。今、なんとなく「やっぱり、本は紙で」とか思っていても。というか、僕はそろそろ別に紙じゃなくても良い気になってきている。正直なところ。スピリッツと少年マガジンは毎週端末にデータが送られてくるっていうので良いし、新聞も配達してくれなくてもデータだけで良いし(ただ、見出しの大きさとか、記事の場所とかで記事の重要性を差別化する仕組みは重要なので、新聞は新聞として、その体裁は残して欲しい)、小説も、まぁちょっと味気なさは残るけれど、データだけで良いかな、みたいな。「いや、やっぱり本で」っていう所有欲は、新書版で持っているか、文庫版で持っているか、みたいなところに通じるところがあるわけで、「俺は世界の終わりとハードボイルドワンダーランドをピンクの本で持っている」みたいな自慢ができるかどうか、ってことなのかも知れない。

それにしても思うのは、レコードがCDになって、製造費用って凄く安価になったはずなのに、実際のCDはそれほど安くなってなくて、おかげでダウンロード販売にしてやられちゃったわけだけれど(でも、それまでの間、レコード会社はがっぽり儲けたんじゃないかとも思う)、書籍も、製本コストとかが激減するはずで、出版社が抱えるリスクも軽減されるわけだから、本の価格というのはそれなりに下がるはず。例えば、今の出版だと、1000円の本があったら、著作者の利益が多くて100円、あとは本の製造コスト、編集作業、流通コスト、初版本の製造リスク、デザイン、イラスト作成、および各パートでの利益。極論してしまえば、電子化されちゃったら、作家がいて、その取り分が一冊あたり100円、あとはダウンロードとかの運用コスト。イラストなどの意匠部分と編集作業は残るけれど、そこを上乗せしたとしても、400円ぐらいで出版できちゃうんじゃないだろうか。ってことは、新聞社も、レコード会社も厳しいけれど、これからは出版周りの会社も厳しいってことか。

ま、著作物を製品にするまでに今までは物凄いコストがかかっていたわけだけれど、その経路がデジタル化によってどんどん簡略化されてきているわけで、ふと気がつくと完全なる衰退産業なんだろうなぁ、出版とか。機能として残るのは、「良い作品を見つけてくる」という目利き機能、作品をさらに良いものにするための編集機能、そしてそれをきちんと告知して販売数を伸ばすマーケティング機能の3つぐらいなんだろうか?

しかし、長い目で見ると、みんな効率化を進めたいわけで、その時にはどうしたって衰退産業が発生する。そうしたときに困るのは終身雇用社会なんだよなぁ。社会がデジタル化したことによって、ネタの消費スピードもアップしたけれど、その他の社会システムの消費スピードもアップしたわけで、雇用とかも同じ。これからどんどんスクラップされちゃう仕事が出てくるわけで、当然のことながら、それに対応して会社も社会も変わっていかなくちゃならない。そんなときに、既得権者とのコンフリクトが発生するんだよね。あ、その既得権を守ろうっていうのが日本電子書籍出版社協会って奴だっけ?

あれ?iPadの利用方法を考えていたら日本型雇用の問題点の話になっちゃったぞ?

いや、僕も何冊かの本を書いている人間だから、著作者側からの考え方を書くと、自分としては、要は著作を読んでもらえれば良いんだよね。その結果、お金をもらえるならそれで満足。そして、一冊あたり、僕がもらえるお金は120円ぐらい。だから、電子出版でダウンロードされる金額は400円とかで、僕にそのうちの120円が支払われるなら、それでオッケー。

いや、ちょっと待てよ?そんな金額か。例えば、この「まにあな日記」の、「社長ネタ」とか、あるいは「ブログでバイオ」とか、まとめて、そのサイトへのアクセス料は120円、みたいなことでも同じだね。お金をちゃんと回収できるシステムさえ構築できれば、問題は全部解決しちゃうのかも。この、課金システムの構築って言うのが厄介なんだよなぁ。あ、でも、昔、やったな、その仕事。僕のブログの右上にある、ショコラっていうサイトの課金システム構築だけれど。やってやれないことはないのか・・・・。ふーーーむ。でも、結局はカード会社とかががっぽり儲けちゃうんだよね。安全で安価な課金システム(例えば100円を回収する手数料が10円ならオッケー。現状は100円回収するのに100円かかっちゃったりする)が構築できたら、凄い便利なんだよなぁ・・・・・。

ま、なにしろ、デジタル化というのは社会全体の構造を変えてしまう大革命であって、ようやくその全貌が見えてきたんじゃないかなーと思う次第。もっと早く見えていても不思議じゃなかったんだけれど、意外と時間がかかった。それで、見えてきた結果がすべからく皆さんにとって明るい未来だったかと言うと決してそんなこともなく、ミクロな部分ではメリットたくさんなんだけれど、デメリットもあって、それが世代間闘争の要因になっている。要は、アナログ世代とデジタル世代の戦いなんだね。もちろん、最終的な勝者は決まっている。その上で、どういう筋道でそこに至るのかを摸索しているんだろう。アナログが全然駄目ってことではないし、アナログ禁止っていうわけでもない。パンダの保護区みたいな感じでアナログはアナログとして大事にしなくちゃならないとも思う。こういう落とし所は、双方が色々意識的に工夫しないとうまくいかない。自然な流れはことごとくデジタル方向へ、水が高いところから低いところへ流れるようにして、向かっていくはず。その流れを押しとどめようとするのは労力を必要とするし、その抵抗もいつかは消滅する。だから、どこかに遊水池みたいなものを作って、そこに貯めておくとかね。

ところで僕は自分のことをアナログ世代に含まれると思っていたけれど、考えてみたら、高校生の時にはすでにCDプレイヤーを持っていたわけで、やっぱデジタル側にいるのかも知れない。

2010/2/12追記
池田信夫さんが「電子出版の経済学」というエントリーをアップしているのを発見。参考になるのでリンクしておく。

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