失ったのは「カネ」ではなく、「熱意」だった
以下、引用してコメント。
科学技術は世界の課題解決を実現して人類の幸福に寄与するためのものであり、目先の成果ばかりに目を向ければ道を誤る。
まず、ここのところが正直微妙。このブログでは何度か指摘しているけれど、技術はともかくとして、科学というのは人類の幸福に寄与するため「だけ」のものではなく、どちらかと言えば人類の、その中の一部の人の知的好奇心を満たすものという性質が強い。例えば月に行ったとしても、それによって具体的に幸福になる人はそれほど多いとは思えない。例えば読売ジャイアンツが優勝することと、月に行くことの、どちらがケニアの難民の幸福に寄与するかといえば、どちらも同じくらいに寄与しないと思うし、どちらも同じくらいに寄与しそうだ。例えば月に行く技術が何らかの手法でケニアの環境改善、ひいては、それに付随してケニアの経済発展や貧困解消に役に立つかも知れず、その一方で読売が優勝したことによって日本の経済が改善し、そしてその影響でケニアに対する経済援助が増大するかも知れない。どちらも同じように「風が吹けば」の話である。つまりは、科学の発展のベースにあるのは、もっとずっと個人的な喜びだということ。いうなれば、研究者個々の個人的な趣味の話のはず。僕が多くの研究者たちと話していても頻繁に生じる齟齬なのだけれど、「あなた達は、自分たちが楽しくて研究しているんでしょう?」という立場と、「私たちは人類の幸福のために研究しています」という立場の違いだ。ただ、僕自身、今までの人生の半分以上を研究の現場においていた経験を含めて言うけれど、研究者達はほぼ100%、人類の幸福のためではなく、自分の個人的な欲求のために研究していると思う(もちろん、自分の趣味、知的好奇心の延長上に人類の幸福があるなら、それはそれでハッピーという立場でもある)。
人のためにやってんじゃない、自分のためにやってるんだ、という自覚がスタートラインだと思う。だから、「人類の幸福に居するためのもの」としている本稿は、すでに道を誤っていると思う。
つづいて、北九州市立大学の成功事例について言及しているのだけれど、
モリタは、この発泡消火剤混合装置を搭載した新型消防車を発売、全国の自治体消防からの注文が殺到している。
素晴らしいことですね。どんどん儲けていただきたい。
私は数年にわたり北九州市の産官学プロジェクトを取材してきた。2009年12月半ばに久しぶりに北九州市で上江洲教授に会っているが、「事業仕分け」から1カ月、いつものエネルギッシュさがなく気力が失せた別人のような姿で多くを語ろうとしなかったことが忘れられない。
一見悲劇の主人公みたいな感じだけれど、そうと言い切れるのかどうかは個人的に微妙。別の視点から言えば、国からのお金が打ち切られたら廃人になってしまうような人にしてしまったということもできる。
この国にはタックスイーターが山ほどいる。今求められているのは、そういうスタンスからの脱却だ。上に書かれているように、もし全国から注文が殺到しているのであれば、そこで稼いだお金でプロジェクトを進めればいいだけの話である。なぜそうならないのか、不思議でならない。消防自動車などは一定の需要があるものだし、それは世界レベルでの話である。もし画期的なイノベーションであるなら、そこには相応の経済的利益が発生するはずで、そのお金を使うことによって次のイノベーションも実現できるはずだ。また、もし現ナマがないとしても、それに投資してくれるベンチャーキャピタルは必ず存在するはずだ。もしそれができないとすれば、これからやろうとしている話が全く実現性がないか、あるいは事業としての成功が見込めない話だ、ということになる。役人が目利きをする(従来型)か、仕訳人が目利きをする(事業仕分け)か、それとも民間が目利きをする(VCなどによる目利き)か、ということの違いであって、誰が評価するにしても、きちんとしたプロジェクトなら、恐らく資金は調達できるはずである。貧乏な研究室ならともかく、すでに成功事例を保有しているなら、なんとでもなるのではないか。もしなんともならないというのなら、先の成功事例も、実は成功していないということになる(研究としては成功していても、事業としては成功していない可能性が高い)。
第3ワーキンググループの仕分け対象に含まれていた。その一部を紹介する。(長いので引用部分の引用は控えます)
つまりは、検討は全くされていないということだろうか。もしそうだとしたら、仕分けされる側はなぜこの北九州の事例を紹介しなかったのかという疑問が残る。ただ、その疑問に対して明確な事例紹介があったとしても、なお、「そんなにうまく行っているなら、民間のやり方でやれば良いんじゃないの?」ということになる。
ここで主張すべきなのは、「北九州ではうまく行った。これは今後民間主導でやって行きましょう。その上で、こういう事例をどんどん作っていくことが必要なんじゃないですか?」ということだと思う。いつまで経っても税金におんぶにだっこでは困ってしまう。つまりは、北九州の事例は、シーズ段階をインキュベートした事例としては好適だけれど、それに対して引き続き税金を、というのはちょっと違うよな、ということ。
研究現場の崩壊には至らぬまでも真摯な研究者の解雇など、民主党政権によって日本の科学技術の未来への期待が奪われたという失望感の広がりは、計りしれず大きい。
これは前にも書いたけれど、自民党政権下でやりたい放題やってきたつけがまわってきただけのこと。それにストップがかかったのは良かったと思う。
なかでも「公的機関での研究職を志望する学生(有効回答数946人)」の回答を見て慄然(りつぜん)とした。
慄然としちゃうのか(笑)。僕は駄目な大学院生、博士達を山ほど見てきているので、全然慄然としない。逆に、36.7%もの、恐らくは将来研究者になったとしても役に立たない人たちが研究者になることを諦めてくれて良かったと思う。
「事業仕分け」の廃止や縮減で捻出して得た防衛費を上回る「子ども手当」というカネをばらまいても、その子どもたちに待っている未来は日本を捨てる道しかないということになる。
これはどうなのかな(笑)。子どもたちに待っているんじゃないよね。僕たちに待っているんだよ。僕たちが優秀な奴らに見捨てられちゃう未来が。って、それは本論じゃないか。大事なのは、科学にお金をばらまいて本当に日本が良くなるのか、そのあたりを明確化することだと思う。そして、それが可能だった場合、次にやるべきは、科学者達が「税金で研究させてもらっている」ということをきちんと意識すること。少なくとも、僕が大学院で研究していたときは、そういう意識はかけらもなかった。でも、それじゃぁ、駄目だと思う。
私は、博士課程の研究者たちの乏しい研究費や生活の困窮を多く見てきた。
北九州の事例にしてもそうなんだけれど、一つの事例を切り出してきてそれを一般論化するのは無理がある。確かに北九州は成功かも知れない。でも、他はどうなの?ということ。あなたが見てきた研究者たちは確かに困窮していたかも知れない。でも、それは一般論なの?ということ。暖房のない隙間だらけの小屋に寝泊まりして、残飯をご馳走だって食べる研究者がどのくらいいるのか。まぁ、存在は否定しないんだけれど。
行政刷新会議が当初から日本が生きていく道は科学技術立国としての力をより高めていくことへの認識欠如、科学技術への知的な興味や理解、期待もなかったからではないか。
僕自身、科学技術の発展が経済の発展に直結すると考えて中央官庁で働いてきた人間だけれど、これがやっぱり疑問なんだよな。僕が役人の時に言ってきたことはもうひとつ、「日本には技術シーズはある。それを顕在化させるプラットフォームがない」ということ。でも、民間に出て色々な事例を見てきた今は、「本当に技術シーズなんてこの国にあるのかな?」という疑問を持っている。今、僕が感じているのは、
1.日本にはあまり良い人材がいない
2.日本にはあまり良い技術シーズがない
3.科学の発展は経済の発展に寄与しない可能性が高い
ということ。でも、アカデミアに近ければ近いほど、この考え方に同意してもらえない。「じゃぁ、何か反論してくださいよ」って言うと、反論はなくて、そこで話は終わっちゃうのだけれど。
さて、記事に戻るけれど、
政府が行う国の根幹を変えようという重大な議論だ。その議事録を公開しないのは、議論の中身が薄っぺらだったことを隠蔽するためと受け止められても仕方ない。早急な議事録の公開を求める。
これは全くそのとおり。
本文中に記した論議内容はその記録の引用させていただいたが、仕分け人や議事進行者、説明者の氏名や所属は確認できていない。
議事録では発言者の所属などもきちんと明記すべきですね。責任の所在は明確にしないと。
しかしまぁ、この文章を読んでの個人的な感想は「その程度でなくなっちゃうような熱意なら、辞めたら良いと思うよ」ということかなぁ。あ、冒頭に「言えてる」って思うところもあるって書いたけれど、こうやってきちんとコメントすると、ほとんどないな。議事録出せっていうところぐらいか(笑)。
いや、これも前から言っているけれど、僕は別に科学にお金を投入するなとは言ってない。一部の優秀な人には税金を投入して、ガンガン研究してもらえば良い。ただ、こういう、物凄く偏りのある書き方はどうなのかな、と、凄く違和感を持つ。僕の周りには楽しくやっている博士も、楽しく研究しているアカデミアの人も、大学中退しても実力を発揮して頑張っている社会人も、それこそ色々いる。世の中いろいろなんだから、それをちゃんと客観的に見ようよ、ということ。この記事だって一種の情報操作でしょ。情報強者が自分に都合の良いところだけかいつまんで記事にしているんだから。それはどうなのかな、と。