注釈 本コンテンツは近日中に出版予定の本に掲載を予定しています。したがって、普段ブログで使っている一人称や口調が異なりますが、ご了承ください(笑)。内容も、かなり一般書籍を意識したものになっています。
面白い試写会に当たったので、喜んで行ってきました。それは、「つぶやける試写会」です。企画を読んだ段階で企画倒れの臭いがプンプンしていたのですが、何しろ新しいことですから、何が起こるか分かりません。色々考えるよりも実験の現場に参加するのが一番ですから、当選のはがきが届いたときは素直に喜びました。
このイベントは、月末に公開が予定されている「RAILWAYS」という映画を観ながら、好き勝手にTwitterでつぶやくというものでした。つぶやきについてはハッシュタグを使うこと、写真撮影、動画撮影は控えること、電話・メールは控えることといった当たり前のものだけで、内容については一切の指示がありませんでした。そういう意味で非常にフェアな試写会でした。
さて、ここでは映画の内容は完全にスルーして、イベントの成否についてのみ分析したいと思います。総合評価を最初に言ってしまえば、完全に失敗だったと言えるでしょう。恐らく、このような試写会は二度と実施されないと思います。では、順に、そういう評価になる理由を説明したいと思います。
まず、イベントがもともと内包している問題点について指摘します。
非常に当たり前の話ですが、このスタイルでは映画に集中できません。携帯の入力画面を観ている最中は画面を観ていないのですから、当たり前です。重要なシーンで画面から目を離すことはあり得ませんが、映画の製作者にとっては1分たりとも無駄なシーンはないはずで、本来は「間」として存在すべき時間に携帯で文字を打っているのは、映画製作サイドに対してどうなのかな、と感じてしまいます。
また、これもそもそも論なのですが、映画を観ながらリアルタイムでつぶやく必然性が感じられません。テレビで「天空の城ラピュタ」が放送されるのに合わせてTwitterで「バルス!」とつぶやくのとはワケが違うのです。一体感のようなものは必要とされていませんし、また即時性も必要とは思えません。逆にネタバレなどのリスクは無視できないわけで、かなりのリスクと、それによって生じるメリットを比較すると、割に合わない印象を受けます。
今回の映画のテーマも、このイベントには不似合いだったと思います。RAILWAYSは感動を誘う内容となっていましたが、「みんなで感動を分かち合って欲しい」という趣旨であれば、映画鑑賞においては余計な配慮は不要です。横の人が鼻をすすって泣いている気配があれば、それなりに気分が盛り上がってしまったりするものです。もしこういったイベントをまたやるのであれば、内容はB級ホラーやコメディで実施するのが良いと思います。
次に、システム面での問題点について指摘します。
今回はハッシュタグをつけた書き込みが画面の両サイドに表示される形式でした。字幕の映画を観慣れている人間であれば、これを読みながらの鑑賞はそれほど難しくありません。しかし、その内容をいちいち観ていると映画の画面から目を離す事になりますし、他人の感想を読むことによって自分オリジナルの感想というのが不明確になってしまいます。これは集合知を形成する上での要件のひとつ、独立性を損なうことになります。恐らく「次」はないと思われますが、もしあるとしたら、サイドのモニターははずすべきでしょう。私は途中からサイドのモニターは読まないことにしました。
もうひとつ、大きな問題が電池切れです。私の場合、イベントに備えて充電を完璧にしておきましたが、それでも終盤に電池が切れてしまいました。私がつぶやき過ぎたのかも知れませんが、もしまたやるのであれば、ACアダプターを各座席に配置するといった配慮が必要でしょう。
また、雑音も無視できないかも知れません。今回はそういうものと思って観たので、私の場合はキータッチ音は全く気になりませんでした。しかし、普通に試写したい人にとってはかなりイライラするものだった可能性がありますし、今回のようにつぶやくのが前提と共通理解がある状態でも、「うるさい」と感じた人はいたのかも知れません。
最後に、総合的にどう考えられるのかについて書きます。
まず、このイベントは基本的に面白いのは参加者だけです。他人が映画を観てダラダラと感想を書いているのを読んでも、第三者は別に面白くもなんともないはずです。もしTwitterで映画の宣伝をやりたいと思うなら、「感想をつぶやく試写会」として、観終わった直後に感想をつぶやいてもらえばいいだけのことです。
Twitterライクなシステムを利用して、映画館という閉鎖空間を共有している人だけで楽しむという利用法はあるかも知れませんが、その場合は何か新しいシステムを開発する必要があります。そして、そこまでするだけの価値があることなのか、ニーズがあるのかと言われれば「それほどのニーズはなさそう」というのが私の見解です。中にいる人は一種の優越感にも浸れるのかも知れませんが、外の人は置いてきぼりです。
Twitterというプッシュメディァでここまで感想を、それも公開前の映画の感想を押し付けて良いものかという部分にも議論の余地があるはずです。私はそれなりに茶化しつつも、一定の歯止めをかけつつつぶやいていましたが、それが誰もが可能なのかもわかりませんし、私のつぶやきが第三者的に見て許容範囲だったのかどうかもわかりません。もし本気で今後もこのような試写会を実施するのであれば、誰でもオッケーというのではなく、それなりにトレーニングを積んだ人間にやってもらう必要があるのかも知れません。
また、自分で観ていて困ったのは、どこからがラストシーン、すなわち、ネタばれしてはいけない処なのかがわからなかったことです。幸いにして、私は携帯の電池が切れてしまいましたので、余計なネタバレをつぶやくことはありませんでしたが、運用上はラスト近くでは「ここからはつぶやき禁止」といった告知が必要だと思います。
以上のような考察から、私はこのイベント自体は失敗だったと評価します。「史上初」ということを主催者の方は強調していましたが、恐らくは同時にこれが最後のつぶやける試写会になるのではないかと思います。そう考える最大の理由は、試写会に参加している人のつぶやきを読んだ第三者が、映画を観たくなるような仕掛けには思えないというものです。
では、もしまたこういった機会があったらどうするか、ですが、多分私は応募しないと思います。この鑑賞方法は、映画製作者が期待したものとは到底思えないからです。どんな駄目な映画であっても、製作サイドにはそれなりの思いがあるはずですし、現実問題としてお金もかけているはずです。そうした人に対しての配慮に欠けると思いますし、また、こういう集中していない鑑賞方法で観ておいて、「この映画はつまらなかった」と評価してしまうのは気がひけるのです。私は、批判する場合こそ、きちんと観ておきたいと思います。
#映画評はあとでまた別途投稿します。
#何でもTwitterを使えば良いんだよ、ってわけではないことを示した好例として歴史に残るでしょう。