Twitterのフラッグマンの一人に木村盛世氏がいます。木村氏は厚生労働省の現役技官で、これまで厚生労働省内の状況について反官僚組織の立場から情報発信を続けており、書籍執筆やTV出演などの効果もあって、フォロワーが7000人を超えています。木村氏のフォロワーは主として中央官僚に関する情報をトリガーとして彼女をフォローしており、彼女の発信する厚生労働省関係の情報の多くは、それを求めている人のところに届くことになります。ここまでは誰も不幸になりません。
ところが、そのバランスが崩れてしまう事態が発生しました。それが、2010年春に宮崎県で発生した口蹄疫です。口蹄疫は牛、豚などの家畜に発生するとても感染力の強いウイルス性疾患で、対応を誤れば一国の畜産業が壊滅するような非常に深刻かつデリケートな事態を招きます。この口蹄疫の流行に際して、家畜の疾病という専門外の領域に対して木村氏がTwitterを通じてコメントを繰り返したため、一部のフォロワーがそれに誘導されてしまうという事態が発生しました。
#ちなみに私も学生時代の専門はRNAであり、口蹄疫に関しては素人です。また、経済産業省で課長補佐をやっていたこともありますが、畜産業関連は素人です。
なお、木村氏の口蹄疫に関連するTwitterでの発言については下記をご参照ください。
口蹄疫をめぐる木村盛世厚生労働省検疫官の暴言
まず、口蹄疫に関して知っておくべきことを列挙しますと、
1.感染力が非常に強い
2.英国などの先行事例による対応策は感染の可能性のある家畜の迅速な殺処分
3.人間は発症しない
4.成長した家畜が感染しても、致死率はそれほど高くないが、経済的価値は減少する
5.子どもの家畜に感染した場合の致死率は高い
というものです。この方針にしたがって宮崎県でも対応が進められたのですが、その中で一部の種牛(49頭)の殺処分の妥当性について議論が発生しました。その際、木村氏が主張したことは、
1.はしかみたいなものだから、感染したからと言って殺す必要はない
2.すでに感染は広がってしまったのだから、もう殺処分しても意味がない
3.種牛49頭は殺処分する必要はない
4.感染牛を人間が食べても問題ないのだから、流通に乗せて欲しい
5.買いたくない人は買わなければ良いだけ
といったものでした。確かに人間が食べて、口蹄疫ウイルスに曝されたとしても、人間には症状が出ないかも知れません。しかし、牛を屠殺場に移送したり、食肉加工する段階で大量のウイルスがばらまかれてしまう可能性が高く、関連施設、および移送ルート周辺は口蹄疫の危険地域となってしまいます。どうして木村氏がこのような主張に行き着くかと言えば、おそらくは「口蹄疫が蔓延しても構わない」というスタンスだからです。確かに人間にとってのはしか、あるいは水疱瘡のようなものを想像するのであれば、口蹄疫が蔓延しても問題ないでしょう。しかし、実際には、家畜と口蹄疫の関係は、人間とはしかの関係には置き換えられません。水疱瘡になったことのある人、はしかになったことがある人がそれによって差別されることはありませんが、口蹄疫に感染した家畜は明確に差別されます。この差別が不適切という主張はあってしかるべきですが、現状ではその主張は国際的に受け入れられません。ひとことで言えば「非常識」ということになります。
もし日本で口蹄疫が大流行し、ほとんどの家畜が口蹄疫になったらどうなるでしょうか。まず、「口蹄疫が流行しても問題ない」という国際的な合意がなされていませんから、日本は口蹄疫未対策国として完全に孤立することになります。口蹄疫ウイルスの存在が懸念されるものは一切輸出ができなくなります。また、口蹄疫ウイルスは人間に付着して移送される可能性がありますから、日本に対する出入国も大きく制限を受けることになるでしょう。また、世界中の国々で口蹄疫が発生する度に、口蹄疫未対策国としての日本に対する疑念が生じることになります。幸いにして日本は島国なので口蹄疫未対策国としてその主張を通すことは理論的には可能ですが、それは物流および人的交流において実質的な鎖国状態を作り出すことになります。そして、日本の立場は畜産業に対するテロ国家という位置づけになってしまっても不思議ではありません。なぜなら、日本を含め、世界中のほとんどすべての国が、口蹄疫を根絶すべきものと考えているからです。
現在、世界中の多くの国々は、口蹄疫を蔓延させることが現実的施策ではないことを理解しています。ですから、口蹄疫が発生すれば、国を挙げて対策に乗り出すし、それは日本も例外ではありません。そうした中、東国原宮崎県知事が、「種牛が根絶するのは宮崎県にとって大打撃なので、49頭については特例を認め、経過を観察することにできないか」と国に提案したのは全く非常識な話で、その結果、口蹄疫が日本中に蔓延してしまったら、宮崎県だけではなく、日本中の畜産業が壊滅することになります。この49頭をすぐに殺処分しなかったときに口蹄疫がさらに拡大する可能性はそれほど大きくはないかも知れません。しかし、その可能性が1%だとしても、口蹄疫が拡大した時の被害の大きさを考慮すれば、そのリスクを取るべきではないのです。
ところが、木村氏は自分とは異なる立場からの意見に全く耳を貸そうとしませんでした。
こうした状況の中で、木村氏に対して「フォロワーがたくさんいるのだから、軽率な意見の表明は控えるべきだ」という指摘がありましたが、私はこの意見には反対の立場です。人は誰でも自由に意見を述べる権利を持っていると思います。ですから、木村氏が今回のような意見を表明することは一向に構わないと思っています。ただ、批判はあって当たり前ですし、逆になかったら大変な事になります。必要なことは、木村氏が意見を述べることも、それに反論することも、全て自由に行われ、その状況が多くの人にオープンにされているということです。その点で、現在のところTwitterはきちんと機能しています。しかし、逆にTwitterならではの問題点も存在します。それは、木村氏の「信者」層が、情報の収集と判断を放棄して、木村氏が口蹄疫対策の専門家と勘違いし、その意見に同調してしまった形跡があることです。
木村氏のフォロワー達(木村氏の信者を含む)は、木村氏の口蹄疫に関する知見や見識を根拠として木村氏をフォローしているわけではありません。にも関わらず、木村氏の発言だから、という理由で木村氏の口蹄疫に関する主張を支持することは非常に大きな危険をはらんでいます。これは、例えば郵政民営化を争点に選挙で勝った与党が、その数的有利を理由に憲法改正に乗り出すようなミスマッチです。木村氏が厚生労働行政について見識があるからといって、口蹄疫についても見識がある保証は何もないのですが、Twitterではそのあたりが見えにくくなってしまいます。
今回の事例で考えなくてはならないことは、「情報は受け手によってきちんと精査され、判断されるべき」ということです。しかし、Twitterユーザーはまだ「自分で調べる」「自分で考える」「自分で判断する」といったことに慣れていません。「専門家や有識者の意見を聞き、妄信的にそれに従うことのリスク」を理解する必要がある(今回のケースでは、木村氏は口蹄疫対策の『専門家』ですらありません)のですが、まだそうした姿勢が浸透しているとは思えません。そして、今後、そういった考え方が浸透していくかどうかも全くわからないのです。もし、そうした考え方が浸透しないのであれば、Twitterによって間違った世論が形成されてしまう可能性もあります。
現在のところ、Twitter内では木村氏の発言の問題点をきちんと指摘している方々が存在しているので、Twitter内で極端におかしな結論には行き着いていません。しかし、木村氏はそれらの指摘にはほとんど耳を貸さず、持論を展開し続けています。こうした状況において一番危惧される事態は、木村氏に反論している人たちが、「こいつは馬鹿だから放っておこう」と考えてしまうことです。また、Twitterでの情報発信は簡単、お気楽というのがメリットであり、一般的な利用者達は面倒くさい議論をするのも、読むのも嫌います。わかりやすく、感情的な情報を好みますから、「牛が可哀想」「これまで育ててきた畜産農家の人たちが可哀想」というスタンスから木村氏の意見に同調するケースも増えかねません。そうやって世論が形成されてしまうと、今度はその影響が政治的な部分で出てきてしまいます。きちんと勉強もせずに感情論に走り、署名活動などを始めてしまうのがこの国の悪いところです。
今、Twitterは、きちんとした情報がやり取りされるメディアに成長するのか、あるいは玉石混淆で信用のできない情報が行き交うメディアになるのか、その落ち着き先を探している状態なのです。Twitterは今後どうなるのか、その行方を占う上で、今回の口蹄疫関連の議論は一つの試金石となるでしょう。
蛇足その1
口蹄疫対策に関しての私の意見を書いておきます。宮崎県の関係者は、県のおかれた状況を鑑みて色々な特例措置を国にお願いしているようですが、国はこれらの要望を全て却下すべきです。その対策が正しいのか、正しくないのか、そうした検討は全て平時に実施しておくべきことで、実際に口蹄疫が発生している中で検討すべきことではありません。何かトラブルが発生している最中に、臨機応変に対応策を考えていっても良い場合と、良くない場合があります。前者の代表例は、前例のない災害です。机上で練り上げた対応策は機能しない可能性がありますから、状況を見ながらその場その場で対策を考える必要があります。後者の代表例は、被害が大きく、そして前例による知見が蓄積されている災害です。これらは過去の災害から学んだマニュアル通りに対策を進めることが大前提になります。平時に、客観的に評価し、決定した対策を粛々と実施し、その中で何か反省すべき点があったのであれば、口蹄疫対策が全て完了した時に見直しをすれば良いのです。口蹄疫対策の妥当性についてはあとでいくらでも議論する時間があります。今この瞬間は、マニュアル通りの対応を冷静にこなしていくことが最重要です。
蛇足その2
木村氏はTwitter以外にブログでも自身の主張を展開しています。
口蹄疫問題を考える―危機管理の立場から―
この中で木村氏は「国際的には、FMDフリーの認定が遅れ、貿易上大きな障害となります。」と、口蹄疫が蔓延することによって貿易上の障害が発生することを認識し、また、「感染の広がりを如何に効率的に抑えるか」と書いています。これらはTwitter上での発言とはかなりトーンが異なっており、木村氏の本意がどこにあるのかは不明です。
蛇足その3
とにかく、対応が後手に回った場合、今は被害者の宮崎県が次の瞬間には加害者になっている可能性があるのです。そのあたりを良く認識しておく必要があるでしょう。なお、下記にも関連エントリーがあります。
ブログでバイオ番外編 種牛49頭を処分しないことにはどういう意味があるか