2010年10月03日

野田秀樹さん 朝日賞スーパートーク

浜離宮朝日ホールで実施された「朝日賞スーパートーク」の招待状をもらえたので、聴きに行ってきた。古くからの野田ファン、遊眠社ファンとしては、それほど新しい話もなかったのは確かなのだけれど、結構楽しめた。前半は過去の芝居の動画とトークを織り交ぜたもの、後半は会場にいる学生さんを中心とした質疑応答といった構成。

「先生に連れられた学生さんが多いなぁ」と思っていたら、こんなところに動員に関する記事があったりして

野田秀樹スーパートーク、動員のお願い【城西地区情報】

なんか微笑ましい(笑)。こんな、動員をかけなくちゃならないようなことなのかな、とも思うのだけれど、ケータイ世代だと、どうしても引きこもり気味で、こういう大人からの圧力がないとだめなのかな、とも思う。僕が高校生の時とか、よその高校の学園祭まで演劇を観に行ったりしたものだけどねぇ。こんな風に過保護だからだめなんだよ、とも思うし、その一方で今の社会状況では致し方ないのかな、とも思うけれど、どちらにしても難儀な時代ではある。昔の野田さんなら「学生が多いねぇ。動員されたんでしょ」とかちくりと言いそうだけれど、そういうこともなく。野田さんもすっかり丸くなって、あと、そんな世代に対してもきちんと歩み寄って、何かを伝えて行かなくちゃいけないんだろうな、と感じるようになったのかも知れない。

以下、前半の面白かった話、記憶に残った話(ただ、こちらは場内が暗かったので、議事録を取ったわけではない)と、後半の質疑応答抄録(明るかったので、iPadを使ってほぼすべて収録、ただし、抜けはあるはず)。

前半:

劇団のために芝居をやるのは観客に悪い。今の日本はそんな劇団ばかりだけど。後期の遊眠社はそういう劇団、劇団を維持するための劇団、劇団員を食わせるための劇団になってしまった。それが嫌だった。

劇団員の生活を背負い込むのは辛い。そして、今なら逃げられると思った。だから劇団を解散して海外に行った。

遊眠社の、特に最後の六年間は辛かった。

僕は海外で芝居をやることに強い魅力を感じたが、劇団員の中には海外に行くことに疑問を持つ者もいた。

芝居は未来を語るのではなく、過去を語るもの。そして、語ったからと言って、過去に対して何かできるわけでもない。その意味で、芝居は祈りでしかない。ただ、それは暗黙の了解であるべき。

「キャラクター」において、僕はやってはいけないことをやってしまったんだと思う。みずから、「芝居なんて、祈りでしかないんだ」ということを明示してしまった。だから、これからは芝居をまた元のところに戻しに行くための芝居をやっていくことになると思う。


後半:

今の若者に求めるものは?
→テンションを高めに。脱力系に見えても良いものは脱力してない

大事にしているものは?
→表現を説明しないこと。表情で説明しようとするのはだめ。

海外の人と仕事をする時に大切にすることは?
→文化をリスペクトする必要がある。

ひとの目を気にしない?
→若い人は子供のころから動いている自分を見ていて、その結果どうなってきているのか、知りたい。自意識過剰になるんじゃないか。僕たちの自意識とは違うと思う。答えはないけれど興味はある。他人の評価は気になるが、だんだん図々しくなる。

最初、女役をやったときどうだったか
→小学校の時、赤ずきんをやった。抵抗はなかった。

歌舞伎の次の新作の予定はあるのか?
→あります。いつもやっている男とやる。別のタイプの原作ものもある。

一番難しい状況と、乗り越えた経験は
→しょっちゅうある。ロンドンでは劇場確保が大変だった。舞台をやっていると大きな事故とか色々ある。すぐ切り替えることが重要。落ち込むヒマを持たない。

平成っ子に出会った印象は
→ゲーム世代は喋らない。携帯世代は一緒にいる人間を無視する。そういう人が増えてきた。それを批判されている平成生まれは、チョロチョロ面白い奴が出てきている気がする。期待している。

やるのも観るのも生身だと、良いものも悪いのもあるだろうが、どう思ってやっているのか
→過剰な反応は困る。特に初日。熱心なファンの予定調和的な反応は余計なお節介になることもある。

精神的技術とは
→日本の共同体は精神的に幼い。鎖国のせいでひきこもり体質になったのでは。ただ、江戸時代の文化は鎖国を続けたせいで凄い文化ができた。それは、今、我々が抱えている幼稚さとは違う。自分が幼稚なら、それが価値になるように高めるべき。自分は演劇をやる上で、テーマ主義を離れ、言葉遊び、すなわちダジャレに走った。ダジャレは技術。親父ギャグと言われるけれど大変。それを35年続けるのは大変。

脚本を書くときに大事にしていることは
→本は自分の像なので、大事になってしまう。ある意味子供のようなものだが、それをカットする事が重要。色々切って、研ぎ澄ませる。本を書くなら他人の芝居を色々見た方が良い。ここは要らない、という作業をやるべき。僕は自分で人に言われる前に切る。

日本語の強み、弱味は
→英語しかわからないので、比較が英語だけだが、五七調を理解できるのが特徴。英語で考えるという事は、考え方を変えるということ。日本語は結論が最後に来るので、考えながら喋ることができる。一方、英語は「イエス」と、先に結論がくる。良い、悪いではなく、これが英語と日本語の違いだ。ちなみにフランス人は何でも「ノン」っていう。あいつらはとりあえず「ノン」って否定するのだけれど、最後まで聞いてみると「なんだ、イエスじゃん」ということになる。一方で日本人は何でもハイと言う。「はいはいはい」と聞いているけれど納得していなかったりする。

若いころに影響を受けたのは
→中井英夫、・・・・(ぼそぼそ語ったので聞き取れず)

役者になるのに役立つ事は
→なんでも。柔軟。観察。狭めない方が良い。ドラマは見てないので悪口も言えないが、役者は役を一所懸命演じているんだと思う。でも、それではだめ。演技は、役者が抱えているものを全部出すこと。僕がおばさんができるのはおばさんを観察していたから。柔軟はやっておいた方が良い。

観客が一度の観劇で理解するのは難しいのでは
→役者はピンポイントで理解している。観客はトータルで理解している。

演劇をやってなかったら
→いつから仕事になったかも分からず、演劇は仕事ではない。今日みたいなのは仕事。自分は運が良い。他の職業と言っても、良くわからないが、少なくとも歌手は無理だと思う。

美しいと感じるものは
→しょっちゅう思う。比べて見たことはない。笑顔でも良いし、自然でも良いし、言葉も、絵も、食べ物も。

役者さんに求めるものは
→作品によって違う。「表に出ろいっ!」みたいにテンションを求めるときもあるし、内容を良く考えてもらう事もある。

最近感動したことは
→あるけれど言いたくない。個人的なこと。こんなところで言いたくない。

次回作はどうなるか
→思案中。キーワードはあるが、言わないほうが良いと思う。アイデンティティとか、語り尽くされたものについて書いてみようかと思っている。最初は次作を前ニ作に絡めて、三作パッケージにしようかと思ったけれど、そうでもないかな、と思っている。どうなるかはわからない。

今日の感想は
→偉そうですいません。人生について語って、テレビに出ている江原なんとかさんかよ、とか。


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