榎木英介著: 博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか?
語りつくされているという5号館さんの感想は全くそのとおりで、僕ももうすっかり語りつくしてしまい、飽きてしまった。
僕は博士がどんだけ使えないのか、僕がベンチャーの社長という立場から雇った過去の博士たちを例にしてこのブログで紹介したことがあるけれど、でも、博士って、本当に就職がないんだろうか。
今、超就職氷河期とか言われているけれど、僕の会社は365日、24時間募集をしている。でも、ここ半年ぐらいで就職希望の連絡をくれた学生はひとりだけ。内定を出したけれど、他に良いところを見つけたとのことで、今のところ来年の4月からの新入社員はゼロだ。もちろん、「博士はダメ」とかの制限を付けているわけでもないから、誰でも希望を出すことはできる。って、ネガティブなことを書かないで宣伝するだけなのは良くないからちゃんと書いておくけれど、うちの会社で求めているのは営業人材で、ほぼ完全な能力主義。実績があがらない社員を雇っておく余裕はない。博士でも構わないけれど、うちの会社で売っているものは美容院対象のサービスだったり、スキーだったり、どうぶつしょうぎアプリだったり、ウェブサイト制作サービスだったりするから、その営業で「博士」を役立てるのは勝手だけれど、役に立たないのが普通だと思う。つまり、博士なんていう肩書きは全然役に立たないし、将来も保証されないということ。で、うちの会社に応募してこない博士は、それじゃぁ嫌だってことだよね。別に僕達も無理に勧める気はないからどうでも良いけど。
#以前、僕の大学院時代の親友の弟(東工大の博士)が「ライブログにぜひ入れてくれ」って言ってきて入社したことがあったけれど、入社3ヶ月で「やっぱり大学院で研究します」って、散々迷惑だけかけて辞めていったケースがあって、うちみたいな小さい会社でそういう馬鹿がいると会社の経営が一気に傾いちゃうから、覚悟のない奴は入れたくないんだよね。
要するに、博士取って「就職がない」って言っている人たちって、「このままやりたいことを続けたいなぁ」っていう甘ったれというのが僕の認識。なぁんてことを思いつつ、ここまで書いたことを「下書き」に登録して、「もう面倒だからこのまま放置しちゃおう」って思っていたところにこんな記事を発見。基本的に書きたがりだし、今、ちょっと仕事の方で煮詰まっているところもあって、書き足すことにした。
学振PD騒動雑感:なぜポスドクの人件費は「生活保護」扱いされるのか
マジで吹き出しちゃったのは、
「『人類のために研究成果を役立てたい』という使命感や知的好奇心から自ら進んで基礎研究に身を捧げる」人種
というくだり。いや、「国はこれこれこうじゃなくて、あれこれうんぬんかんぬんって思っているじゃないだろうか」って書いてあるから、こうですよって明記しているわけじゃないけど、多分この人はこう思っているんだろう。
僕は職業柄もあるし、これまでのキャリア形成の経歴もあって、山ほど研究者を見てきているし、友達もたくさんいるけれど(時々名前を出しているけれど、東大でRNAやっている鈴木勉君を筆頭に、東大、東工大中心に沢山知人がいる)、「身を捧げる」なんて人はひとりも見たことがない。みんな、自己犠牲なんかでやってるわけじゃなくて、好きだからやっている。上の文章が微妙なところは「使命感」と「知的好奇心」という全く違うレイヤーを並列に扱っているところ(故意かどうかは不明)で、これじゃぁ駄目だ、って感じ。使命感を前面に出すなら、自分の好きなことじゃなくて、人の好きなことで良いはず。「僕は金儲けに興味があるから、生物なんてやめにして経済学の研究をやってくれ」と言われて、「はい、全人類のために経済の基礎研究をやらせていただきます」っていうなら話は全然違うけれど、頼まれもしないで勝手に個人的な知的好奇心に則って研究しておいて「人類の役に立つために自ら進んで身を捧げます」なんて噴飯ものである(だから、本当に吹き出した(笑))。
いや、「人類の役に立つために自ら進んで身を捧げます」っていうのは僕なりにスプライシングしているわけだけど、この中に「知的好奇心」なんていう言葉を巧妙に盛り込んでいる(繰り返すけれど、故意かどうかは不明)ところがイヤなんだよね。
もちろん、そういう人もいるかも知れないし、例えば僕が一緒に仕事をしたことがある和田昭允さんとかはそういう人物だった(かも?)と思うけれど、他には誰ひとりとして見当たらない。これを読んだ僕の友達、知人で、「俺は全てをなげうって、人類の役に立つために自ら進んで身を捧げて基礎研究をやっています」という人がいたらぜひコメント欄に書きこんで欲しいですよ。絶対いないと思うし、いたら縁を切りたいと思うもの。恥ずかしいから。「運良く税金を使わせてもらいながら好きなことをやることができている。それがたまたま人類の役に立ったら嬉しいな」ぐらいでしょ?だって、本気で「人類の役に立つために」って思うなら、基礎研究よりもずっと効率的な方法が山ほどあるんだもの。人類の役に立とうと思うなら、むしろ基礎研究なんて効率が悪いから避けるべきところ。
もし多くの研究者が「世のため人のために全てをなげうって」って真剣に考えているとしたら、もう、社会とのコミュニケーションは全く平行線だと思うよ。だって、世の中は「好きなことをやっているだけの穀潰し」だと思っているんだから。たとえば、はやぶさの話だって、NHKのプロジェクトXみたいなのりで仄聞するには悪くない話だけれど、じゃぁそれが何か世の中の役に立つのかって、全然立たないよね。僕も学生時代は生命の起源とかを勉強して色々考えて楽しんだ口だけど、生命の起源がわかろうが、宇宙の果てがわかろうが、数学の超難問が解けようが、そんなものは戦争の解決や貧困の解消にはつながらない。単に、知的好奇心を満たすだけのこと。ものすごーーーく、非常に個人的なことなわけ。このブログでも「研究とは非常に個人的なものである」って何度も書いているけれど。そこのところの合意事項が社会と研究者の間で成立しない限り、ずーーーーーーっと平行線。
ただ、僕は別に基礎研究なんか要らない、とは言わない。やり方はすごくおかしいと思っているけれど、一定のコストは割くべきだと思う。それは、「テレビの娯楽番組なんか要らない」とか、「小説なんて貧困を何も救済しない」というのと一緒で、野暮だから。きちんと自由な資本主義が回っていれば国が基礎研究なんてやる必要はなくなるはずだけど、日本の資本主義はかなりいびつだから、今のところは仕方がない。だから、基礎研究にもお金を出せば良いと思っているけれど、「俺たちは人類のために身を捧げているんだからお金をくれ」とか言われると「何を馬鹿な事を言っているんだ、こいつは」と思う。
ついでなので上の大「脳」洋航海記さんのエントリーに言及しているこちらのブログにも。
ポスドク、博士の就職問題がボンボンの甘えにしか見えない理由
という見方をされているという大前提を持たないといけない。
えっと、ほとんど「マジで」同意するんだけれど、
科学行政の話をするときには、原資が税金であることが多い。博士課程まで勉強できるほどめぐまれていて、好きなことを仕事にできて、優秀である博士に税金を投入しなければならないというのは、何か釈然としない気分の人が多いはず。特に起業家の人たちは、お金稼ぐことの厳しさを知っているので、よりその気持ちが強くなるのもしょうがない。
このところは微妙。僕は起業家だけど、科学に税金を投入することについて懐疑的ではない。ただ、「博士に税金を投入すべき」と、「研究に税金を投入すべき」は全然違う話で、僕は博士に税金を投入すべきとは思わない。あくまでも研究に税金を投入すべきだと思っている。
上の、大「脳」洋航海記さんは「使命感」と「知的好奇心」を巧妙に混ぜたけれど、こちらは「研究に税金を投入する」と「博士に税金を投入する」を巧妙に混ぜている印象。このあたり、明確に違うということを指摘しておきたい。同じように、
「科学や技術こそが日本にとって重要だ」と言ってくれて
というセンテンスがあるけれど、科学と技術も全く違うもので、これを並列にして議論するというのもものすごく乱暴な話。
昨日、新宿の若旦那とのやりとりをエントリーしたけれど、僕は理研の内情とかも散々見てきて、そういう予算がどうやって決まって、どう執行されているのかも見てきている。そういう立場からすると、もうトップから末端まですべての部分で問題山積で、あぁ、事実上の自民党独裁政治が何十年も続くと、こんな風になっちゃうんだなぁ、というのが所感。でも、民主党に変わってもあんまり変化がないんだけどね(笑)。そういうこともあって理研の理事に立候補したんだけれど、書類ではねられちゃったんだから仕方ないねぇ。
何しろ、税金をもらわないとやっていけない人たちっていうのは紛れもなくタックスイーターであって、その点では確かに生活保護と何も変わるところがない。
末筆ながら、僕は日本人の中では相当に科学や研究に対して理解のある人間だと思います(笑)。