2010年12月03日

明日はどっちだ?(引き続きの現実逃避)

最初に書いておくと、僕が今逃避している現実っていうのは、ひとつにどうぶつしょうぎDXに導入する「らいおん・はんと」っていうゲームの設定とデザイン。設定は担当者で詰めて、デザインはイラレで描けばいいだけなんだけれど、昨日、夜中の3時過ぎまでやっていて、設定は固まり、3枚必要な絵のうち、2枚を仕上げた。といっても、2枚は簡単な方で、残ったやつが一番大変。これを今週中にやらなくちゃならない。もうひとつは、ヘアカット.jpのウェブサイトづくり。いつも使っているアプリとは違うものをCMSとして使っていて、このキャッチアップが面倒臭い(涙)。ってことで、ついつい現実から逃避しまくっているわけですが、ご迷惑をおかけしております関係者の皆様、申し訳ございません。

さて、現実逃避でちょっとコメントした「大「脳」洋航海記」さんがもう一本エントリーをあげたので、また見てみた。

今こそ合理的な基礎研究体制への転換を:社会への説明責任を果たし、理解が得られるその日まで頑張れるようにするために

うーーーん、これも、僕の考えとはちょっとズレてるんだよな。「低コストでも大丈夫なような合理的な体制」っていうのはそれはそれで難しいし、じゃぁ具体的にどうするんだよ、っていう話もあるし、そもそも、そういうリストラ重視の作戦っていうのは全体を萎縮させるから、僕は好きじゃない。いや、もちろん無駄は排除すべきで、そういう効率化はどんどん進めなくちゃいけないし、最適化というのは重要課題のひとつだけれど、それは本質を解決しない。あくまでも対症療法。「風邪ですねー、熱冷ましを飲みましょう」みたいな。で、じゃぁ、どうするんだよって、一番最初にさじを投げてしまっている「究極的には社会からの基礎研究体制(と研究者たち)の完全な理解を得られるよう努力すべきだが、それには10~20年どころかそれ以上の時間がかかる」っていうところに正面から向き合うことなんじゃないかと「僕は」思う。「完全な理解」っていうのは言い過ぎだけれど、国民理解っていうのは絶対に必要で、今もツイッターで「コラーゲン」とか調べると、マジで絶賛しているつぶやきばかり拾えるわけです。ここんところがリアルタイムで目で見ることができる国民目線と科学者目線の乖離であって、そこんところをどうするのかな、ということ。

ずっと前に僕が書いた「親と子のゲノム教室」っていう本は、5000部売れるのがやっとという本だったけれど、理研で広報をやっていたときに機関紙に書いた文章をベースに、理研の研究者たちにチェックをお願いしつつ加筆・修正してまとめたもの。今でも時々「買いたいんだけど、どこで手に入るの?」とか連絡が来る。幸い(?)、出版社にはまだ在庫があるみたいで入手可能らしく、先日も「非常に「ゲノム」楽しいです!まだ中級なんですが、わかりやすく妊娠中読んでいた脳科学の本よりめちゃくちゃおもしろい! 」なんていう感想をもらったところ。

僕自身、大学2年生になるまで生物なんてやったこともなくて、分子生物学なんて全然知らなかったわけだけど、一般教養で生化学の講義をとったら面白くてハマってしまったわけで、そういう「面白さ」っていうのはどういう分野だって必ずあるはず(だって、つまらないなら誰もやらないよね)だし、その面白さを、全然知識がない人と共有できる可能性はあるはず。

僕は自分のお小遣いがなくなったり、生活費が苦しくなったり、フェアレディZに乗りたくなったりすると本を書くわけだけど、ポスドクがお金がないっていうなら本を書くんだっていいわけでしょ。んなもん、やりようは色々あるはず。今は電子出版とかあるんだから、昔よりもずっと簡単に本だって出せるはずだし。何しろ生きて行くためにはお米を買うお金を手に入れなくちゃならないわけで、その手段が「文科省様、税金を恵んでください」って、役人に頭を下げて税金乞食をやるだけっていうのはいかにもアイデアが足りない。

これまで、大学にしても、研究者にしても、文科省とか財務省に向かって「お金ください」ってお願いしていたわけだけど、それは本質じゃないんだよ。そのお金の原資は税金であって、それを払っているのは国民の皆さんなんだから。「どうせ理解してもらえないから」って諦めてるんじゃないの?でも、本気で「この研究は面白い」って思っているなら、その面白さを国民のみんなに分かってもらう努力も必要だよね。っていうか、そっちの方がずっと重要なんだよ。役人が理解してくれたらおしまいって、そんなことはないでしょ。これは僕を含め、みんなが言ってきていることだとは思うけれど。

この間のエントリーで、僕が理研に出した応募書類へのリンクをはっておいたけれど、その中で僕が「理研でやりたいこと」として書いたのは、もうそれだけと言っても過言じゃない。一部意訳しながらまとめれば、「文科省の方だけ向いていて、年一回の一般公開のときだけ生活者の方を向く。外部から「プールで泳いだり、テニスをしたりしてけしからん」って言われると外環沿いに植林して外部から見えなくする、なんてことをやっているような組織じゃダメでしょ。なんで胸をはって、「やることはやっている。そのかわり、息抜きも必要。テニスコートとプールがあることも一流の研究所の証し」って言い切らないの?」という内容。でも、最終面接にすら残らないっていうのだから、理研は相変わらず文科省にヘーこらしたいんでしょう。それはそれ。あの応募書類は「僕がやりたいこと」というのを明確にまとめてあるわけで、そういう一区切りとなる文書をまとめる機会が持てたという意味で、理研理事の公募に応募した価値はあったと思うし、応募することを勧めてくれた人たちには感謝している。

僕が再三このブログで「研究は個人的なもの」って言っているのは、そういう個人的なことに対して、なぜ国民がお金を出さなくちゃいけないのか、そのことを真剣に考えて欲しいから。使命感?詭弁にしたって度が過ぎていて、悪い冗談だと思っても笑っちゃう。好きだからやってんでしょ。ただ、税金を使っているから、その説明に「使命感」なんて言葉が出てくるのかも知れないけれど、ぜぇんぜん違うよね。ってことを、僕は知ってるもん。だって、僕は学部のとき、4月から12月まで、全く、一日も学校を休まなかったよ。しかも、培養が8時間おきだったから、一日3回は確実に大学にいた。自転車で片道30分、毎日通ったけど、それは社会貢献のためなんかじゃ、絶対になかったわけで。そんなもん、1ミリもなかった。好きで、自分の知的好奇心を満たすためにやってんじゃん。違うのかなぁ。違わないでしょ?だって、国民だってそこまでバカじゃないから、わかってるでしょ。こいつら、ただ好きでやってんだろ、って。それが「社会貢献のために身を削ってます」って、それなら麻雀のプロもパチンコのプロもみんな社会貢献だよ(笑)。

やってることは、単に個人的な知的好奇心を満たすため。その上で、国からお金をもらうなら、国民にどうやって納得してもらうのかをちゃんと考えなくちゃ。「どうせわかってもらえないから」って諦めるなら、そこでオシマイだよ。

こういう話になると、「僕はそういう才能がないから」とか、「僕がやりたいのは研究で、国民理解の増進じゃない」とか、「コミュニケーション能力が低いから自信がない」とか言い出すんだよね。好きなことばかりずっとやっていたいのは誰だって一緒。でも、もうそんな時代じゃないんだって。夢ばかり追い続けていたってコメは買えねえんだって。じゃぁ、ちょっとズレたところで、自分の経験や知識を使って何ができるんだろう、社会のニーズは何なんだろうって考えなくちゃ仕方ないでしょ。ただ、僕は、実際のところ、能力のある奴はすでにそういう方向に踏み出していると思っている。数が少ないだけで。だから、そういうパイもだんだん減ってきているはず。あと、「そんなの面倒くさい。わかってくれる社会に出て行く」っていうのもあるはず。僕の大学院時代の友達のひとりはオーストラリアでちゃんと先生をやっているし。やりたいことやりたい、自信のないことはやりたくない、外国に出ていく勇気もない、でもお金ないと研究できないし生活もできない。仕方ないから、「このままじゃ、日本の科学技術はオシマイだ!!!」ってネットで叫んでみても、「ふーん」ってことになっちゃうでしょ。

#フェアレディZを手放して随分経つし、とりあえず今アゴラ・ブックスに査読してもらっている本の出版が決まるようなら、「親と子のゲノム教室」の電子化も考えるかなぁ。売れ行きが良ければ続編を書くんでも良いし。もう、お金なくてね(笑)。閑話休題。

やっぱり、最大の問題は、

しかしながら、社会からの理解が得られるようになるにはかなり長大な時間がかかることでしょう。


って、諦めているところだと思うね。もしかして、「親と子のゲノム教室」を手にとって、読んで、楽しんでくれているような層の人とコミュニケーションとったことがないんじゃないかと思っちゃう。僕なんか、はやぶさには正直全然興味がないけれど、あんな話にもとりあえずみんな「すげぇ」「すげぇ」って喜んでいるわけでしょ。「あのさー、もっと宇宙規模で考えようよ。オリオン座のアルファ星のフレアを波動砲でふっ飛ばしたわけでもなければ、ガミラスから遊星爆弾が飛んできたわけでもないんだよ?」みたいな話は全然出てこない。今朝だって、「おいおい、リンじゃなくてヒ素らしいぞ」って、んなもん、「全体の構造が全然変わらないで、ただリンがヒ素にリプレースされているだけでしょ。昔キャンディダ酵母でセリンとチロシンのtRNAの遺伝暗号が変化している事例があってみんな驚いたけど、それとあんまり変わんないじゃん。要は「コカ・コーラのつもりでずーーーーっと飲んでいたら、一本だけペプシコーラでした」ぐらいの話だし」って言う考え方もできるのに、みんなNASAの発表がすげぇって喜んでいるわけだ。だから、要はやりようなんじゃないかと思うんだけどね。

#最近のネット内のコミュニケーションを見ていると、単なるなかよしグループ形成で終わるコミュニケーションが目立つ気がする。僕の周りだけかも知れないけど、「理系女子の集い」とか、そんなのはじめっから話が通じるのが当たり前で、そんなコミュニケーション、意味ないから(笑)。「理系って、大変だよねー、女子って大変だよねー、あー、就職どうしようかー」って話してるのかな(笑)。興味ないからどうでも良いけど。

そういえば、コミックサイエンス撲滅、しばらく放置しちゃっているな(笑)。あれもネットをうまく使えばちゃんとまわると思うのだけれど、理研の理事になれなかったので、ちょっと遅れちゃってるなー。

なればこそ、その日が来るまで基礎研究体制が生き延びられるよう、今こそ研究者たちが自ら立ち上がるべきだと考えます。皆様、いかがでしょうか。


ちょっと、立ち上がる方向が僕の方向とは違う。でも、だからダメだってことではない。こういう考え方もあると思うから、やれば良いと思う。僕がやりたいのは、理研にいた時も、経産省にいた時も、国民理解の推進だから、これからもそれをやる。

#と言いつつ、バイオテクノロジー戦略大綱をまとめたときには、「国民理解の徹底」という部分に数値目標を入れることに失敗したんだけどね、僕は。もうちょっと僕に能力があればねぇ。一応課長に主張はしたんだけれど、やっぱ、下っ端の課長補佐じゃ限界がありましたとさ。残念。

あ、文科省のお金がなくなって、仕事がなくなって、食べていけないなーっていう場合は、うちの会社、いつでも応募してくださいね(笑)。無責任に投げ出すバカがいたおかげで無差別の採用には後ろ向きですが、本当に困っているならちゃんと手を貸します。うちの会社にも仕事はあるし、子会社で社長を募集しているところもあるから。もちろん、研究をやるよりはずっとストレスだと思いますけど、食べていける可能性(←これ、重要。確約じゃありません。僕だって同じなんだから)はあります。

いやー、適当にだらだらと書きたいことを書くのって、楽だね(笑)。ということで、そろそろ真面目に仕事に戻ります(笑)。

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これもTwitter止めた効用かも(笑) 明日はどっちだ?(引き続きの現実逃避)(「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑)」社長のブログ)
【閑話休題】ひさしぶりに読む「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑)」社長のブログが殊の外おもしろい【Science and Communication】at 2010年12月04日 20:00
この記事へのコメント
研究自体の重要性は国からみても非常に高いのは同意です。平凡なところでも、光熱水、物流、インターネット、薬とかだってみんなこれまでの科学の進展の成果。今、これを捨てて生きろと言われても国民はNoと言うだろうし、きっと50年後の国民も、たとえ今のような経済状況でも、科学に投資したことに賛同こそすれ否定はしないでしょう。

にもかかわらず、科学の振興に逆風が吹いている理由は、その投資した資金の活用方法で、大学や研究所で既得権を得ちゃった人たちが、この研究活動のための資金を好き放題使っちゃっていることが非常に問題。このことで、科学への投資の正当性、特に大学や研究所への投資の正当性が霞んじゃってる。もちろん文科省もその予算枠を作っているんだから関係者の一部ではあるけど、それを使ってる、いわゆるアカデミア側があまりにもひどい。
Posted by ななし at 2010年12月04日 23:06
ということですかね。ここを客観的に、アカデミア以外の人間が評価してそれを運営に反映する仕組みを作らないと、税金垂れ流し、補助金漬け体質と言うのは改まらないんじゃないかと言うのは、最近のアカデミアのトップの声明を見ていればわかるのではないでしょうか。アメリカの有力大学のほとんどは私立ですから、実のところ、究極的には税金を投入しなくても運営/研究できるはずなんですけど、もっと補助金くれって・・・


あとは、最近は学振PDや若手A/B/Sがその必要性を再審されてるみたいだけど、やっぱりそれは若手人材の質が低下したことも原因の一つじゃないかと思います。上の方の人材は何時の時代も変わらず優秀だと思うけど、それにくっついてる金魚のフンみたいなのはひどい。

(3)博士あまりについて
これまで見てきた余剰博士の問題点と言うのは、自己評価が甘く、視野が狭い人が圧倒的に多いと思う。つまり、客観性がないので能力的にも全然通用しないし、実のところ本当に研究したい訳でもないのに、自分は研究ができる、自分には研究しかないと思い込んじゃって、業界に居残る。これを長いこと続けると、本当に選択肢が減り続けて、消極的に研究業界しかなくなるという悪循環。それ以外の人は現実を認識して外に出てるか、どうすれば出世できるかを「研究」して上に登っていく。

という感じでしょうか。
Posted by ななし at 2010年12月04日 23:08
あと、もっと恐ろしいことは、若手支援を減らして、ダメな人材の生活保護をやめようと言うのは実際にはスケープゴートで、本丸は上にもあるようにこういう逆風の中でもヌクヌクとしている人たち。なのに、この部分には誰も触らない。ここの中核をバラして再構成するのが、税金による科学振興を合理化するベストな手段で、若手は今切ってもほとんど効果がない。いや、むしろ、次世代の人材のバッファーが失われてマイナスなんじゃないかと思う(実のところポジション不足なので、余剰博士の中に埋もれてるまともな人材は居る)。この辺が、いろいろな若手が現状に悔しくて仕方がない理由なんだと思う。

余剰博士が業界にしがみついちゃう理由ってのは、自分より能力の低い既得権者がアカデミアにしがみついてうまい汁吸い続けているのを見ているから、絶対に自分もそうなってやるって思ってしまうからだと思う。でも、これを端から見ている業界外の人は、「お前は何を言ってるんだ??」ってなっちゃうのもわかる。結局は、(1)研究業界を評価する仕組みをきちんと組み立てる、(2)評価に基づいてスクラップアンドビルドするというのが、これからの科学への投資の前提ということでしょうかね。

最近また、この手の議論が上がってきたので、一言と思ったら、一言どころじゃなかったけど、勢いで書いてしまったので連投します。謝りません(笑)。ちなみに、これは生物系の博士でこの業界を10年以上見てきた人間の意見です。学振DC、PD、若手なんたらも貰ってました。
Posted by ななし at 2010年12月04日 23:08
>大学や研究所で既得権を得ちゃった人たちが資金
>を好き放題使っちゃっていることが非常に問題。

>若手人材の質が低下したことも原因の一つ

>自己評価が甘く、視野が狭い人が圧倒的に多い

>自分より能力の低い既得権者がアカデミアにしが
>みついてうまい汁吸い続けているのを見ているか
>ら、絶対に自分もそうなってやるって思ってしま
>うからだと思う。

大筋で同意します。

>勢いで書いてしまったので連投します。

別に全然構いませんよ。分割して面倒くさかっただろうなぁ、とは思いますが(笑)
Posted by buu* at 2010年12月04日 23:57
buuさんって、面白い人だなー.お会いしたいですね.
私はアメリカで20年くらい研究をしていて、考え方がアメリカ資本主義的毒されているかもしれませんが、アメリカの科学が世界をリードしているのはそれなりの理由があると思っています.
Posted by Takeo Watanabe at 2010年12月05日 07:05
そういった視点から、日本で、研究自身に金を使うか若手の研究者に金を使うかっていう問題をみると、僕は、若手の研究者の人数を増やすのに結構金を使っても良いと思うなー.社会福祉とか云々はちょっと横において議論をさせてください.基礎的な科学とか芸術とかが発展するためには、まずいっぱい若い人間にそれをやらせて、その中で抜きん出た人間だけが生き残れるシステムが一番良いと思うんですよ.ブロードーウェイでは、役者予備軍が5000人もその辺にいて這い上がれる努力をして、そのなかで有能なものだけが生き残って来たから、あれだけ芝居が抜きん出ていると思うんですよ.駆け出しの若者が本当に才能があるかどうか分からないから、とりあえず多くの人間にやらせてみて、良いのだけ残すという発想ですね.基礎科学研究も同じで、生き残った才能のある人間だけに多額の金をやるのが、金と科学の発展だけを考えた場合、いちばん効率的な気がしますね.もしそれが正しく効率だけを考えたとしたら、若手、とくに、ポスドクを多く雇うために金をだすことは悪いことじゃない.
Posted by takeo watanabe at 2010年12月05日 07:06
ただし、どの人間が生き残るかの選択の基準にかんして、日本のやり方は大いに問題があるように思えますね.第一に、日本は学歴、あるいは、同じ学閥内のコネクションを重視しすぎますね.第二に、重要な分野に多くの金を出して、その分野では多くの研究者が生き残れるようにするのが大事だけれど、どの分野に金をやるかが少数の「偉い先生」が文科省に働きかける事によって決まるようだけどですね。このえらい先生って言うのが、科学的業績でそうなった人だけではなくて、結構な数が、文科省詣でをして役人の受けの良い人や学部長、所長経験者など社会的に地位が高く科学よりも政治の好きな人だということが問題ですね.そういう連中の政治ゲームで将来の重点領域が決まってしまったら金の無駄使いでしょうね.この辺の科学の発展にとってアンフェアーな非効率的システムをみたポスドクが、システムをちゃんとしろって考えても、無理はないんじゃないですかね。また、正確に自分を評価するシステムではなかったら、自分の本当の能力はわからないから、能力のない人間でもあきらめきれないという状況になるのではと思うのです.あるいは、本当に能力の有る人間が漏れてしまった場合も同様です.

Posted by takeo watanabe at 2010年12月05日 07:07
もう一つ、確かに私自身、研究をしているのは、社会的な貢献のためではないですね。社会貢献の使命感に燃えて立派な研究をしている人がいれば、それは大変立派だと思うけど、たしかに余り見た事がないです.ただし、知的好奇心を満たすためにはファウスト博士のように「真理を知るためには悪魔にでも魂を売る覚悟がある」ことも時として必要なのではないでしょうか? 私の知っている数人の基礎研究系のノーベル賞受賞者たちの中には、社会貢献の気持ちのかけらのないような人も多いですが、彼らは、金を取るためには「自分のやっている事がいかに社会に貢献するかを考えだす」ことにやぶさかではないでしょうね。それで、将来自分の研究が社会に貢献すれば、それはそれで非常に満足でしょうけどね.
ながながとすみませんでした。
Posted by takeo watanabe at 2010年12月05日 07:07
たびたびすみません、2個目が抜けてました。

もう言い尽くされた感があるけど、アカデミアの問題は、大きく分けて2つ(1つ)でしょう。

(1)次世代の、知を生み出す人材を育てていない。
研究とは、原則として自分で情報を仕入れて論理的に分析、考察して新たな知見や価値、方策を生み出すこと。研究における思考法は社会でも十分活用可能。だから本当は何人生み出しても社会で活躍こそすれ、売れ残るなんておかしい。にもかかわらず、実際にはそうではない。その理由は、大学院生(特に生物系の院生)がほとんどの時間を費やすのは下請け実験で、研究者としての成長ではないから。これを5年間やっても、知的生産性は上がるわけがない。つまり、大学教育は研究を教えてない。詐欺。だから、どんなに博士には価値があるって営業しても、価値ない物は売ることが出来ない。これが恐ろしいのは、知を生み出す仕組みを次の世代に継承できないこと。生物系は特に、脳みそが筋肉で出来ていると形容されるような人が次のポジションについている率が高いので、10年後くらいにはそろそろ崩壊の危機。

(2)既得権が確定すると、バカが濃縮される。
大学は次世代に知を継承するための教育さえしっかりしてれば、非常に大きな大義名分があるんだから、誰も文句言わないで大学が存続し、研究もできる。なのに、なんでそれをしないで好き放題してるかというと、運営に客観性がないから。大学の人事権などを教職員自身が握っていて、国民はその過程を見ることすら出来ないというのは問題。こういう既得権の輪にバカが一人でも紛れ込むと、仲間を引き込んでさらにバカな集団を作る。それであっという間に全体がバカになるという負の循環。
Posted by ななし at 2010年12月05日 07:09
>Takeo Watanabeさま

>考え方がアメリカ資本主義的毒されているかもしれません

僕の考えは2年ぐらい前にまとめてあるのでこちらをどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50795804.html

>いっぱい若い人間にそれをやらせて、その中で抜きん出た人間だけが生き残れるシステムが一番良いと思う

全くそのとおりだと思います。日本が駄目なのは、1.振り落とされた人間がまだしがみつく(セーフティネットがあるのに、それを使おうとしない)、2.能力が落ちた過去の人間が椅子をあけない、3.そもそもちゃんと能力を評価しない、ってことです。

ポスドク1万人計画なんて、まさに「いっぱいやらせて、抜き出た奴を生き残らせよう」って話じゃないですか。負けた奴は自分で考えれば良いだけ。勝ち、負けを決めるシステムや判断基準は不透明かも知れないけれど、そんなの前からわかっていたこと。だから、僕はポスドク1万人計画は全然間違ってなかったと思ってます。ただ、いつまで面倒見るんだって、せいぜい35でしょ。

>社会的に地位が高く科学よりも政治の好きな人だ

科学的に偉い人もほとんど全て利害関係者になっていて信用できません。
http://twitter.com/#!/Amidalachan/status/9836262303211520
ほとんど、文科省の傀儡じゃないですか。日本人がノーベル賞を取ると、始まるのが役所のスカウト合戦です。スカウトして、自分の役所の予算を増やそうとする。
Posted by buu* at 2010年12月05日 10:05
> たびたびすみません、2個目が抜けてました。

細かいところで「?」って思うところもありますが、大筋で特に反論するところはありません。
Posted by buu* at 2010年12月05日 10:16