2010年12月18日

渚にて

渚にて [DVD]

核戦争後の世界を描いた作品。となると、ターミネーターとか、北斗の拳とか、その手の映画を想像するし、一方で「渚にて」などと言われると恋愛ものの映画のようにも見えるのだけれど、どちらとも全く異なる作品。

映画の始まりは「うわー、こんな昔の映画でこんなにリアルな潜水艦の特撮ができたんだ!」と感心してしまうのだが、もしかしたらあれは本物かも知れない(笑)

さて、映画の方は、とても核戦争が起きたとは思えないオーストラリアの日常シーンが続く。その中で、色々な人の会話を通じて、なぜそんなことになってしまったのか、これから何が起きるのかがゆっくりと語られていく。今は何も不都合がないけれど、5ヶ月が経過したら人類は全滅する。それまでの間にどうやって生きるのかを人々は考えている。死が半年先にあったときは希望を語っていた人もいる。そんな中で、残された人々は、シアトルから発信され続けているモールス信号を受信する。全滅したのではなかったのか?燃料だけはたっぷり残っている原子力潜水艦をシアトルへ派遣することになる・・・・。

被爆国ではない国で作られた映画だから、はだしのゲンのような悲惨な描写は皆無。いや、それは故意の演出だったのかも知れない。何しろ、人も動物もいないだけの街の描写が不気味。そして、そういうだれもいない街であっても、やはり最後の時をそこで過ごそうとする人もいる。愛する人と一緒にその時を迎える人もいる。ゆっくりと迫ってくる死の中で、もっと明確に死と隣り合わせの環境に身を置き、生きていることを実感しようとする人もいる。メルボルンに残された人々の百人百様の「残り時間の過ごし方」を淡々と描いていく。

「あぁ、ここで終了ならな」と思ったところから、物語は徐々に広げた風呂敷を畳んでいく。この間レビューを書いた「未知への飛行」も絶望的な映画だったけれど、この映画も同様。恐らく、冷戦の核競争真っ只中という環境がクリエイターたちをこういう映画に向かわせたんだろう。大きな波がほとんど存在せず、モールス信号のエピソードですら淡々と語られる中で、逆に核戦争の悲惨さがひしひしと伝わってくる。

「未知への飛行」を観て、すぐに「渚にて」を観るのが良い。逆はダメ(笑)。評価は☆3つ。

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