白夜行をヤクルトホールでの試写会で観てきた。最初に書いておくと、このホールは試写会の環境としてはかなり下の部類。音響システムが酷い上に、画面の下が切れちゃっている。ただで観させてもらっているのだからあんまり贅沢は言えないし、すぐ近所のスペースFS汐留ホールとかと比較するのはどうかと思うけれど、それにしてももうちょっと何とかならないものか。
さて、作品。原作は言わずと知れた東野圭吾の最高傑作。彼の作品はほとんど読んでいるけれど、いくつかの傑作群(彼の作品には駄作も散見されるが)の中でもトップの質で、恐らく今後も彼がこれ以上の作品を書くことはないだろう。それほどの傑作なので、原作に忠実に映画化すればもちろん傑作になるのは間違いない。ところが、この原作は分量が物凄いので、ストレートに映画化するのは不可能。そこでこの名作をどう料理するか、脚本や監督の手腕が問われるわけだけれど・・・・・。
映画化にあたっては、その分量も問題だけれど、小説の構成が大きなハードルだったはず。原作は主人公の心理描写を極力排除し、主人公の周辺を濃密に描くことによって、徐々に主人公の姿をあぶり出していくところが秀逸だった。言葉を変えれば、はさみで周囲が少しずつ切り取られ、最後になって全容があぶり出しのように見えてくる、切り絵のような物語だったわけだ。しかし、映画でそれを徹底的にやってしまえば、主人公達の出番がなくなってしまう。必然的に、原作では意図的に削除されていた主人公達の描写が増えてくる。そして、それによって観る側のイメージが固定化してしまう。このあたりの構造的な難しさがあったのだが、その点はかなり上手にバランスをとっていたと思う(あとで触れる1点を除いて)。東野圭吾の最高傑作の、メインの隠し味がかなり損なわれてしまったのは残念だが、こればっかりは仕方がない。
その上で、物語を紡いでいく堀北真希、高良健吾、船越英一郎の3人がきちんと演じていたので、全体として破綻するところがなかった。特に観る前に不安だった堀北、高良の二人は、実際に映画の中で観てみるとぴったりとはまっていたと思う。加えて、子役を含めて脇を固めている俳優たちもしっかりしていたと思う。唯一、個人的に残念だったのは若い頃、夢の遊眠社のカワイ子ちゃん系看板女優だった山下容莉枝が凄い老け役だったこと。もっと綺麗な役なら良かったのに。仕方ないけど。
もともと原作があまり起伏のない叙事詩なので、映画もピークと言えるものが存在しないのだが、この手の、淡々と進んでいく話は個人的に好みで、そして、堀北真希が出てくるのを楽しみにしながら待っていることもあって、150分間が苦痛にならなかった。演出面で残念だったのは亮司が出過ぎで、そのせいで逆に彼の黒子としての悲しみが表現しきれなかったこと。彼の歩いてきた道は、もっともっと、ずっと暗かったはずで、それがかなり明るく表現されてしまったのが惜しい。この部分は監督と僕の解釈の相違かも知れず、監督のイメージに固定化されてしまったのが残念だった。
時代感みたいなものもきちんと出ていたと思う。「そうそう、僕達が子供のときって、こうだったよね」みたいなのが。それは先日の「ノルウェイの森」でも感じたのだけれど、最近の映画が表現する昭和の雰囲気というのは、なかなか良く出来ていると思う。銀残しを使った映像も含め、良い雰囲気を出していたと思う。あぁ、ただ、昭和何年、平成何年、という表現は、出来れば1975年とか、西暦でやって欲しかった。
2人がなぜそういう生き方を選ばざるを得なかったのかが一気に語られるラスト20分はなかなかのできだったと思う。
これまであまり良い作品に恵まれてこなかった堀北真希だけれど、久しぶりに代表作と言える作品になったと思う。評価は☆2つ半に堀北補正をかけて☆3つ。今度ちゃんと映画館でも観てくるつもり。いや、絶対にもう一度観る。何しろ、音響が酷かったから。あれじゃぁ音楽は全く評価できないし、セリフも一部聞き取りにくかった。
ところで、この原作を読んでない人が少なからずいるらしいことに驚かされる。「こころ」を読んだことがないとか、「羅生門」を読んだことがないとか、そういう教養のなさとはまた違うけれど、ツイッターとかやっている時間があるなら、白夜行ぐらいは読んでおいたらどうかな、と思う。