2011年02月09日

もうすぐ出版、「Twitter後のネット社会」

僕は、「今シーズンはスキー費用は全額印税でやる」と決めた。つまり、出版できなかったら今シーズンはスキーをしない、という強い決意表明だった。おかげで、今日になってもまだ一日もスキーをしていない(汗)。

計画が大きく狂ってしまったわけだけれど、実はこれは僕には全然責任がない。ただ、そこのあたりをグチグチ言ってもあんまり生産的じゃないし、当事者同士で「次はこういうことがないようにお願いします」と相談しておけば良いことなので、そのあたりはスルー。

ということで、今月末ぐらいには本が出ると思うので、皆さん、お買い上げよろしくお願いいたします。電子出版ですので、入手は簡単だと思います。そのあたりは詳細はまた追ってお知らせします。

さて、その本は「Twitter後のネット社会」というタイトルからもわかるように、Twitterのブームが一段落して、日本のネット社会はどうかわっていくのか、ということをまとめている。ただ、先のことを色々書いても、外れたら意味がないわけで、分量的には「ちょっと前」と、「今」についての分析が8割ぐらいになっている。それは、例えばどういうことなのか、という説明をちょっとしておこうかな、と思う。

ちょうどついさっき、ちょっとマイブームの芦田さんがこんなつぶやきをしていた。

芦田宏直 @jai_an
偏差値評価は、どんな会社の人事評価よりもベター。 RT @kokobamo: そもそも三流二流一流って誰が定義したんだろ?万人に納得できる理由があるから広まったんだよね?RT @jai_an: 御意。 RT @Tanibito: http://deck.ly/~sO3wq


http://twitter.com/#!/jai_an/status/35208799375597568

日本的な価値観で言えば「え?」って印象を持つ人が多いと思う。僕も、多分2月5日までなら「え?」って思ったはず。でも、今は、それがなぜだかわかるわけです。それで、多分、この変化は、Twitterを介してのみのコミュニケーションからは生じなかったと思う。きちんと目の前にいる人間の口から説明されて、初めて腑に落ちることって、かなりあるんじゃないか、と。これは僕だけなのかも知れないけれど、「ネットごときで自分のこれまでの価値観を逆転させられてたまるか」みたいな感覚が根っこにあるような気もする。

また、芦田さんはTwitter上で「偏差値評価」と「人事評価」を無条件に比較しているけれど、その背後には「ある程度きちんとした設計がなされた試験による偏差値評価」という但し書きがあるはずで、そのあたりは140文字では表現されない部分である。

芦田さんの場合、Twitterの特性を熟知していて、それを非常に適正に利用している。誤解をまねくような書き振りをして、馬鹿が寄ってくるのを待ち受けている。寄ってきた馬鹿を叩いて教育することもあるし、その現場を傍観者たちに見せることによって、目に見えない大量の閲覧者に対してもトリガーを引く。情報不足の中で自己の価値観を否定され、反感とクエスチョンマークが渦巻いている状態で実際の講義を行えば、その教育効果は非常に高くなる。

芦田さんは教育が大好きな人間だから、Twitterのように馬鹿が次から次へと湧いてくる環境は楽しくて仕方がないに違いない。

つまり、Twitterの、一つの理想的な利用方法を芦田さんは提示しているのである。

芦田さんの他にも、Twitterを上手に利用している人は存在する。でも、一方で、変な使い方をしている人も山ほどいる。両者の違いはどこにあるかって、Twitterというメディアの特性を理解しているかどうか、なわけだ。ちょっと前に時々見かけたのが、「Twitterを初めてからブログを書くことが減った」というもの。これなんか、典型的な「私は何も考えていません」という表明に他ならない。なぜかって、ブログとは何か、Twitterとは何か、そして自分が書いているものは何か、について全く考えていないことが明白だからである。ちゃんと考えている人なら、こんな自らのバカ表明みたいなことはしない。そんな恥を晒す前に、考えるはず。なんで、ブログの記事を書く機会が減ったんだろう、って。