2011年03月13日

Twitter後のネット社会 番外編 その2「自分ができることをやる」

拙著2−6「Twitterも衆愚化する」から一部抜粋します。

多くの日本人が、「みんなが私と同じ意見だから、私の意見は正しいと思いたい」し、「自分の意見はないけれど、みんながどう思っているのかは参考にしたい」し、「みんなに溶けこむことで安心したい」し、そして「みんなと一緒であることによって考えることから解放されたい」のだと思います。


今、Twitterの一部のコミュニケーションでこうした傾向が見られます。「国の一大事だから、国民が一致団結しよう」というのはそのとおりですが、受け止め方や貢献の方法は人それぞれです。みんながみんな同じ反応をする必要はありません。ですから、「どの局でも同じような番組を放送していても無駄だ。それくらいなら通常の番組を流して欲しい」という意見もあって当たり前です。昨日の夜、テレビ東京ではショウビズカウントダウンをいつもどおり放送していたと思うのですが、さっぱり要領を得ない原子力保安院の記者会見よりは、ショウビズカウントダウンの方が精神衛生上よっぽど良かったと思います。「他局も流しているからうちも」というノリで津波の映像を流したり、ある町では人口の半分以上(約1万人)が全く消息不明だというのに、「行方不明500人以上」などと流していることにどれだけの意味があるのでしょうか。もちろん、意味がないとは言いません。でも、通常番組を流しているテレビ東京には、一つの見識が感じられます。

また、別の例を挙げてみます。私たちの会社は、微力ながら製品の売上の一部を災害復興に対して寄付することにしました。今回の地震にあたり、私たちがどう考えたのかを紹介します。まず考えたのは、被災した子供たちが遊べるように、どうぶつしょうぎアプリを無料化することでした。しかし、実際の現場は電気が不足しているようです。また、ネット環境が存在しなければ、そもそもダウンロードすらできません。お父さん、お母さんのiPhoneで遊んでいて、緊急の連絡や安否の問い合わせに気がつかなくても困ります。こうしたことを考えてみると、ただただ無料で配布してみても、あまり意味はないんじゃないかと考えたのです。そこで、全ての利益を赤十字に寄付する(寄付先は正確には未定)ことにしたのです。

一方で、「家庭の医学」というアプリは無償化されています。
iPhoneアプリ「家庭の医学」が無料になっています(追記あり)

このアプリの場合は現場にいないと役に立ちませんから、無償化は英断だと思います。

このように、iPhoneアプリひとつ取っても、考え方も対応のやり方も色々あるのです。そもそもこういった活動をせず、普通に会社を営業し、その売上の中から「税金」という既存の「富の再分配システム」を利用するのも全く普通のやり方です。寄付をするから偉い、無償化するから偉い、ということではありません。こういった事態に遭遇したときこそ、みんながそれぞれに「何が出来るのか」を考えなくてはなりません。

多くのネット住民がTwitterやmixiや2ちゃんねるやFacebookで情報の共有と意見交換をしていると思います。そこで考えて欲しいのは、「みんなと一緒であることによって安心していないか」ということです。人と一緒であることが貢献ではありません。それぞれが、自分にしかできないことをやるのが貢献です。それが今まで通りに生活することであったとしても、それは決して間違ってはいません。そうやって普通に暮らしていても、被災した方々にはきちんと支援が行われるような社会システムが日本には存在します。ネットにいると、その事実を見失いがちです。

「被災者に対してできること」について情報を収集するには、ネットは非常に効果的です。その上で、「自分には」何ができるのかを考えてください。

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