記者の目:内部被ばくだけの数値明示を=小島正美
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110817k0000m070127000c.html
放射線の影響に詳しい中村仁信・大阪大名誉教授は「細胞の修復能力を考えると、生涯累計なら数百ミリシーベルト程度でも影響がないと見てよいはずだ」と述べる。
名前ではなく、根拠が必要。この名誉教授はこの内容の論文をどこかに発表しているのか。発表しているなら、その論文はどこで読むことができるのか。新聞はなぜそういうことを書かないのだろう。科学のスタンスに立つなら、個人の感想など必要ない。
「累積量ならインドの高線量地域に住む人で約500ミリシーベルトでがんの増加はなかったとのデータの方が信頼できる」との意見だ。
高線量地域の住民は生物学的に放射線に強い体になっている可能性もある。そのあたりの検討は恐らくされていない。
福島県の一部では、外部被ばくだけで年間10ミリシーベルトを超えることが予想され、何も食べられなくなりかねない。
「何も食べられなくなりかねない」というのは科学ではない。
平時と緊急時を分けるなど「経済社会的な状況に応じて規制していく、という従来の国際的な放射線管理の考え方に対する挑戦だ」と指摘する専門家もいる。
この手の主張もときどき耳にするのだが、では「緊急時」とはいつなのか、という議論が欠落している。3月25日頃は確かに緊急時だっただろう。では、今は緊急時なのか?いつまで緊急時なのか?僕の個人的な感覚からすれば、計画停電がなくなったあたり(最後の停電は3月28日、計画停電の不実施が明示されたのは4月8日)でもう日本は緊急時ではなくなっている。
規制値の設定いかんでは、野菜の摂取不足が起きて、逆に健康に悪影響が出るかもしれない。現実の国民の食品摂取の仕方まで踏み込んでリスクを評価するのが、委員会の役目ではないか。
つまり、「東日本にいる限り、容認しなくてはならない放射線被曝が存在します。それを容認しない場合、別の健康被害が発生する可能性があります」と認める必要がある、ということ。偏食による健康被害の有無は、放射線被曝による健康被害の評価とは無関係だ。つまり、「放射線による健康被害」と、「偏食による健康被害」は一義的には独立して評価されるべき、ということ。その上で、両者について東日本の住民がどこで折り合いをつけなくてはならない場合、その着地点はどこなのかを考えなくてはならない。あるいは、そういった検討の必要がない西日本に行くか。
この記事を書いた小島正美さんはちょっと頭が悪いと思う。記名記事なのは評価できるけれど。この程度でも最近の新聞は記事が書けてしまうのだなぁ。