「FacebookとTwitterの違いはなんだと思いますか?」と聞かれれば、誰でもすぐに「実名か、匿名か」と答えることができると思います。そして、この回答は正しいと思います。では、実名であることのリスクとは何でしょうか。現在のFacebookの利用者は、ほとんどがこのリスクを考えずにいるのではないでしょうか。
これまで、一般の日本人は実名での情報発信をほとんどやってきていませんでした。それは、村社会体質、長いものに巻かれたいマインド、個性的であることよりも他者と同じでいたいという横並び志向、あるいは「和を以て貴しと為す」といった言葉に象徴されるのですが、なるべく目立たないでいることが美徳とされていたからだと思います。
そういう匿名社会に実名主義が導入されるとは、どういうことでしょうか。実名主義とは、各種の情報に「名前」という固有の情報がタグ付けされるということです。
今、例えば「大島優子」という人間をネットで調べても、それほど多くの人は見つかりません。日本にたくさんいるであろう同姓同名の「大島優子」さんは、ひとりの非常に有名な大島優子さんの陰に隠れることができます。これが匿名主義の特徴です。これまでずっと匿名主義でやってきた日本のネット社会には、実名でタグ付けされた情報がほとんどないのです。逆に言うと、今後、実名でタグ付けされた情報は物凄く目立ってしまう、ということです。これが日本における実名主義の最大のリスクです。
例えば私が自分のブログで、「どこのたれべえという非常にけしからん人物がいる」と告発した場合、それはあっという間に白日のもとに晒されてしまいます。これまで「どこのたれべえ」というタグがついた情報がほとんど存在しなかったために、それにタグ付けされた「非常にけしからん」という情報が目立ってしまうのです。有名人ならともかく、一般人であればこれは大きなリスクです。私のブログはPageRankが3しかありませんが、それでもGoogle上ではそれなりの情報発信力があります。私が実名で誰かの不始末を晒した場合、それはあっという間に、Googleでその人を検索した時の上位にリストされてしまいます。これまで全然情報を発信していない人の場合は、下手をしたらトップに掲載される可能性すらあるのです。
試しに私がこれまでに実名でブログで取り上げた人物たちをGoogleで検索した場合のリスト順位を列挙してみます。
Aさん 1ページ目、5番目
Bさん 1ページ目、6番目
Cさん 1ページ目、1番目
Dさん 3ページ目、4番目
Eさん 1ページ目、6番目
(2012年7月23日)
このように、私が自分のブログで取り上げただけでも、その記事は簡単に目立つ場所に置かれてしまいます。
Facebookを実名で利用することによって、実名と情報が関連付けされた状況が生まれやすくなります。これがTwitterのような匿名情報であれば痛くも痒くもないのですが、Facebookは実名なのでそうは問屋が卸しません。仕事で名刺交換した誰かについて、「この人、どんな人だろう」と調べた際、ネガティブな記事がリストアップされたら、調べた人は「ん?」と思うに違いありません。もちろん、ポジティブな情報もリストアップされますが、多くの場合、検索者の興味は10のポジティブな情報よりも1つのネガティブな情報に注目します。どちらかと言えば、不都合なケースの方が多くなるのではないでしょうか。
最近はコンビニやTSUTAYAのレシートに、レジの対応者の個人名が記載されることがあります。このデータとFacebookの個人データも、Facebookのアカウントできちんと対応していなければ、容易に紐付けすることができます。コンビニのレジで「あ、可愛いな」と思った場合、そのレシートに記載された名前をGoogleで検索すれば、その女性が見つかるかも知れません。それを手がかりに、Twitterや他のSNS、ブログのアカウントを見つけられてしまうかも知れません。あるいは、Facebookの利用者で良くあるのが、女性で生年を隠しているケースなのですが、子供の頃の、男性の同窓生などを見つけられてしまえば、そんなものはあっという間にバレてしまいます。年齢は一例ですが、実名で紐付けられた情報をプライバシーと切り離すのは非常に難しいのです。レジの女性が、話をしたこともないただのお客さんからストーカー被害にあってしまう可能性もゼロではないのです。少なくとも、Facebookを利用していることによって、そのリスクは格段にアップすると考えられます。
米国の場合は、これまでもたくさんの実名記事があったので、日本ほどフェイタルではないのだと想像します。なぜなら、たくさんの記事の中にデータが埋もれてしまうからです。しかし、匿名文化でずっとやってきた日本においては、実名制で、しかもミクシィと違いかなりオープンな形で利用されているFacebookのデータは、とにかく目立ってしまいます。Facebookを実名でやっている方は、試しに自分の名前で検索してみて下さい。検索結果に自分のFacebookアカウントが出てきませんか?
「大島優子」さんなら、有名なひとりの陰に隠れることも引き続き可能でしょう。鈴木一朗さんも大丈夫かも知れません。でも、珍しい名前なら、すぐに検索できてしまうと思います。これがキラキラネームなら一発です。つい先日も、キラキラネームの大学生が集団準強姦容疑で逮捕されましたが、「強姦 キラキラネーム」で、名前を入れるまでもなく一発検索されてしまいます。
もし、不倫相手が過去の行為についてブログに記載したら、あなたはどう対応しますか?これまで、そういうリスクは原監督や橋下市長のような、一部の人だけのものでした。これからは、Facebookをやっているほとんど全ての人が、そうしたリスクを抱えることになります。有名人たちは、そういうリスクを前提にして生きてきているので、それほど問題がありません。でも、大勢の、Facebookを利用している一般人は違います。実名でFacebookを利用するということは、これまで保護されてきたのに、突然素っ裸でネット社会に飛び出したようなものです。でも、多くの人には、まだその自覚も、覚悟もないのではないでしょうか。もちろん正しい知識を持ち、適切にFacebookを使っているのであれば、一定のプロテクトはできます。しかし、そこまでのリテラシーを持つことや、危機管理できることを多くの人に求めるのは難しいでしょう。
一週間ほど前に、米国ではFacebookユーザーが減少に転じたようだという報告がありました。
フェイスブックユーザーが欧米で減少か、アナリストが報告
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE86H01A20120718
私はこのシリーズで再三「日本においてはFacebookの時代は終わりつつある」と書いてきていましたが、それが目に見える形になるのは意外と早いかも知れません。日本の社会には、Facebookは決定的にフィットしないのです。
関連エントリー
その1「情報拡散は公式RTを利用しよう」
その2「自分ができることをやる」
その3「ポジティブ情報も生き残れないTwitter」
その4 ツイッターでの議論はソーシャルリンチにつながります(草稿)
その5 自分にとってのカリスマ
その6 芦田さんのツイッター微分論について その1
その6 芦田さんのツイッター微分論について その2
その7 来る前に終わった?フェイスブックの時代
その8 遅れて登場した「村の重鎮」
その9 自治体までFacebook
その10 芦田宏直氏の講義の事例
その11 Twitter微分論について
その12 地獄への道は善意で敷き詰められている
その13 来る前に終わったFacebookの時代
その14 Facebookの行政利用って、本当にうまくいくの?