2012年11月24日

北のカナリアたち

東映創立60周年記念作なんていう大事な作品をどうしてこんなウンコ脚本を書く脚本家に任せたのか、小一時間問い詰めたい気分である。が、別に大事じゃないというか、来年は創立61周年記念作品が上映されるのかも知れない。

まず、のりしろを作りつつ、リレーみたいに工夫なく登場人物たちをつないでいくストーリー展開が最悪。登場人物たちのスケジュール調整が難しかったのか(邦画ではありがちだけど)、複数の役者が一緒の場面で出てくることがほとんどない(このあたりは脚本家のせいではないけれど)。それに対応して、それぞれの登場人物のパートが完結しなくてはならないため、無理やり謎を出し惜しみするハメに。そのせいで、最初の方の会話が不自然極まりない。おい、お前、そこで会話を打ち切るのか?みたいな。

不自然極まりないといえばストーカー男が20年ずっと監視していたのに気が付かないのも不自然だし、娘が知らない仲村トオルの詳細を小百合パパが知っているのも不自然だし、色々な謎がきちんと順序良く明らかになっていくのも不自然だし、小池栄子の不倫がバレるタイミングも不自然だ。加えて、同級生同士でアホかというシーン(ネタバレ自粛)まであってビックリ。ストーリーとしても破綻している。

吉永小百合はただでさえ演技力がないのに、40歳の役って、そりゃぁ無理があり過ぎでしょう。おまけに演技で年齢を演じ分けることができないから、「あれ?今は40歳?それとも60歳?」って、わけわからなくなってしまう。若手の実力派をごそっとかき集めてしまったので、吉永小百合のダメっぷりが物凄く明瞭になってしまった。

共演者たちは、「あの吉永小百合と共演できた」ということで嬉しいのかも知れないけれど、観客からすれば「もうちょっと、別の女優さんの主演でなんとかならなかったの?」と思うし、「もうちょっと、別の脚本家でなんとかならなかったの?」となる。あ、でも、吉永小百合の同世代の人たちは楽しめるのかな?僕は無理でした。

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